Crossing / The Boxcars (2001)

     Roots              ★★★★★

     Pop              ★★★☆

     Rock            ★★★★

     Americana&Blues ★★★★★



 私的には、2001年上半期がまだ終了はしていないとはいえ、National Dustの『Welcome To Utopia』と並んで一押しのアルバムである。入手はかなり早い段階で済ませていたのだが、如何せん全くこのバンドに関する情報が入手できずに悶々とする日々を送っていた。
 ルーツロック系のオンライン・ショップとしては大手であるMiles of Musicが先月の末に漸くこのアルバムを入荷したので、それにつれてHPや海外レヴューの情報が入手可能かと喜んだのもつかの間、完全にぬか喜びに終わってしまった。依然としてしてアーティストの情報は全く霧の彼方であり、バンドはおろか、このインディアルバムの配給先であるPalace Flophouse Recordsのコンタクトアドレスも無記名である。恐らくThe Boxcarsの設立したレーベルでないかとは想像はしているが。
 近来セルフリリースであってもe-Mailアドレスは殆どアルバムに記載されているので何とかアーティストにコンタクトを取り情報を戴くという、非常手段が(笑)取れていたのだが、今回は全くの手探りで紹介をしなければならない。次第に海外でもレヴューするところやインタヴュー記事が出てくるとは思うので、随時付け加えていく形にしたいと考えている。また、誤情報が多くなると予想できるため、このバンドに関する詳細な情報をお持ちの方がいましたら、メール等で、是非ご連絡お願い致します。お礼致します。
 一応、極少数でも拙い紹介文を読んで戴いている方々が存在する以上、なるべく個人の力量で可能な範囲で情報収集をした後にレヴューを書きたい、と考えているのだが、これ以上この素晴らしいアルバムを自分だけのラックに入れて楽しむのに忍びないため、今回はフライング(と言っても、かなり遅れてしまったが。)でレヴューを書く。
 そのくらい、筆者的には当たりのアルバムなのであることを考慮に入れて戴ければ幸いである。今回情報源になっているのは上記のジャケット写真でも伺えるが、インディ丸出しである、インナー記載の文章のみであることをお断りしておく。
 現在彼らについて判明していることは極僅少である。我が心のバンド、Hootersと同郷のフィラデルフィアのバンドであること。プロデューサーがEdan Cohenという人であること−もっとも彼については寡聞にして全く知識がないのであるが。バンドは個人的に「これしかない」的な編成なパーマネント・キーボーディストを含む5人編成であること。
 クレジットによれば、Matt McGrath(Lead Guitar&Vocals)、Paul Edelman(Bass&Vocals)、Dan Roberts(Rythm Guitar&Vocals)、Brian Samson(Drums)、そしてこのバンドを筆者の大のお気に入りにさせている要因の一つである鍵盤のキーパーソン、Amber de Learents(Organ,Piano&Tumborine)という以上の編成となっている。が、リード・ヴォーカリストも誰か分からないと言う体たらくである。(ホンマに情報がないねんで〜。)
 ソングライティングは一応Boxars名義と謳っている割に、各曲のリストの横にライター・クレジットが乗っているのは何故だろうか?(笑)これによるとリズムギターのDan Robertsが単独で4曲(#1、3、5、9)、リードギタリストのMatt McGrathと共同で1曲(#6)を書き、そのMcGrathは単独で3曲(#2、7、8)に名義が見られる。そしてベーシストのPaul Edelmanが単独で2曲(#4、11)にクレジットされ、最後に外部ライターとギタリストの2人が1曲を(#10)を仕上げているようだ。メンバーの多くがライターであるような感じである。ワンマンバンドではないようである。不明なリード・ヴォーカル・パートも恐らく3人のヴォーカルでシェアしているようである。あまり声質が極端に異ならないので断言はし兼ねるが。(汗)
 どちらにせよ、こういう形態のバンドは好感が持てる。ワンマンとその他という編成ではなく、かっちりとしたバンドとしてのカラーを出しているところが、地味好きな著者のツボである。気が早いが是非ともこの1枚で終わって欲しくないグループである。
 インナーを参照する限り、2000年の夏に僅か数日で地元のフィラデルフィアでレコーディングされ、同じ秋にミックスダウンされたようである。メンバーのルックスは掲載のスナップが演出であろうがぼかしたものになっていて、不明と同じである。
 「謝意」の項に眼を向けるとThe Butcher Holler Boys(コア過ぎか)や個人的にお気に入りのバンドである、Naked OmahaやThe Pine Topsの名前等が見られる。が、演奏にゲストが参入しているかは記載がないためよく分からない。多分、ノン・ゲストでアルバムを創ったように思えるのだが・・・・。
 結局のところ、殆どのデータがないため、あまり参考になる情報をお届けできていない。汗顔の至りである。故に、アルバムと各曲の印象で、リカバリー(できると良いが)していきたいと思う。
 基本はルーツ・ロックである。オルタナ・カントリーというよりルーツ・アメリカンという表現のほうが絶対に似合うバンドである。アメリカーナというにはロックテイストが強過ぎるし、カントリーのような軽さは殆ど感じられない。
 非常に難しいのだか、「王道アメリカンロックのインディ形態の理想」と名付けるべきかもしれない。とはいえ、度肝を抜かれるほどキャッチーではないし、キラーシングルも(著者的には多いのだが)恐らく世間一般の標準で照らし合わせるとなさそうだ。しかしながら全体として素晴らしいルーツアルバムに仕上がっている。
 泥臭く牽引力のあるギターと、控えめだが実に堅実なリズム隊。そして殆ど全曲で両方取り入れられているピアノとオルガン−このパートがやはり彼らを特徴付けていると考えている−が実にグルーヴィである。
 兎に角、軽薄さは微塵も感じられないが、必要以上に重厚ではなく、ポップなメロディと、東海岸のバンドとは思えないくらいの南部ロック的な力強さとブルージーな味わいが絶妙に混じり合い、普遍的なアメリカン・ロック・・・・アメリカーナと呼んでも差し支えはないとは思うが、が堪能できる。
 スピーディなナンバーよりミディアム寄りのレイドバック感覚満載の曲が大半を占めているが、ロカビリー的・商業カントリー的な「ダサさ」や「古臭さ」は毛ほども存在しない。・・・これらのライトというか軽いノリは鼻につきやすいしね。 上手に表せないが、埃っぽいというより、陳腐であるが「大地への賛歌」という表現がコトリと填るような草の根的根幹が感じられる。が、くど過ぎるほどには重くなっておらずに、ロックとしての味わいを過不足なく楽しめるアルバムである。ブルース系譜の重さというのは、時にそっち系の音楽がやや苦手な筆者にはおなか一杯なことが多いのであるが、このようにロックとポップでしっかりと調理してくれると、程よい重さをそなえた極上のメイン・ディッシュとなる証左の典型である。
 ジャケットのこの淡白でモノクロームでいてしかも重厚さを想像させる雰囲気が、内容とも実に合致している。写真に広がる亡羊とした半乾燥帯のような奥行きと広がりを併せ持ち、その要素をロックと言う媒体で十二分表現しきっている。欲を言えば、後少々早いというか持ち前の豪快さを疾走感の溢れるポップ・ロックチューンで演奏して欲しかったということであるが、完全に個人的な趣味の部類であるので、黙殺して戴いてかまわない。(笑)
 さて、各曲に目を向けるとへヴィなブルーステイストに溢れたミディアムテンポなトラックである#1、3、6、7、9と豪快なルーツパワーを感じさせるロックチューンである#2、5、8。そしてうねりとパワーを兼ね備えたスローナンバーである#4、5、10と唯一牧歌的ともいえるラストトラックの#11に分類できそうである。とはいえ、どのトラックも極論では中テンポの曲であるとカテゴライズしてしまってもかまわないだろう。 根底にあるのは大地に根を下ろしたようなアーシーさとブルースに敬意を払った芯の入った強さである。
 お薦めというか個人的には唯一速いナンバーである、豪快なギターにピアノとオルガンが絡むキャッチーなロックナンバーである#2『Half Parted』。そしてこれまたキャッチーでブルージーなバラードの#4『Bootstraps』が大のお気に入りである。この曲のヴォーカリストの裏声を使った歌唱法がまた素晴らしい。当然ながらピアノは極楽トンボに転がっている。そして、豪快なスロー・ミディアムなナンバーの#5『Roll Me』も捨て難い。へなちょこなパワーポップもどきなバンドには決して真似のできない魂の篭ったへヴィさがポップなメロディで演奏されるところは堪らない。同じ魅力はオープニングトラックとしてはかなり地味なところがまたニクイ(笑)#1『Gone To Fall』にも当てはまる。
 #8の『Strong Waters』のへヴィなうねりもまた良い。オルガンの咆哮が格好良過ぎる。
 また、アクースティックなラインにエレキギターとピアノが絡む#11『The Ballad Of Buffalo Creek』も地味ではあるが印象深い。印象深さでいうなら後半のギターソロでぐんと盛り上がりを見せる、ブルースバラード的な#10『Police Song』もピックアップしなくてはならないだろう。
 ここに挙げなかった他のナンバーも基本的には外れなしである。モダンブルース的な色合いも濃いアルバムであるが、やはり泥臭いギターと流麗な鍵盤が織り成す、ベーシックなルーツロックアルバムである。3人のヴォーカリストを有し、コーラスワークは目立ったアレンジをしていないが、非常に厚みがある。
 アーシーであるのにカントリー的なカラーを殆ど感じないのは、非常に稀有であると思う。カントリー的軽さが正直それほど好きでない筆者には大歓迎だ。ブルースとロックとポップとブルーグラスの交差点と言うか、焦点をばっちり当てるとこのようなアルバムになるのかもしれない。これをアメリカーナと呼んでよいかはやや不明瞭であるが。
 ルーツのダイナミズムを堪能できるアルバムだから、お薦めなのだが、万人向けではないかもしれない。何と言っても地味であるから。(笑)
 が、濃いブルースがかなり駄目な筆者が全く抵抗なく聴けるアルバムな故、アルバム志向のルーツロック好きなリスナーには絶対に大好物になるだろう。更にカントリーの軽さに食傷気味という方にはこの根っこの張った草の根的なパワフルさを味わって欲しい。
 しかしながら、情報が全く入らないのは何故か?これほど素晴らしいアルバムが海外の好事家にレヴューされていない(私が見落としているだけかもだが)のは珍しい。
 詳しい情報が一日も早く手元に届かないか心待ちにしている。  (2001.6.9)


   Tal Bachman / Tal Bachman (1999)

     Industrial                ★★★★

     Pop                  ★★★★★

     Rock               ★★★

     Adult Contemporary ★★★★★


  レヴューを書くために参考までにと、日本盤をレンタルしてみた。・・・・オフィシャルサイトの情報をただ和訳しただけであった。まあ憶測でモノを書くよりはなんぼかマシであるとは思うけど、もう少し複数のソースからの情報を加味して欲しいものである。プロとして当然ではないだろうか?まあ、他人のことはとやかく言えた義理ではないのだが。というより、詰まるところ、情報として書くネタが一気になくなってしまって八つ当たりをしたいだけなのである。(汗)
  それにしてもそのまんまを書かれてしまうと非常につらい。やはりメジャーなアーティストは情報入手という面では、手に入り易い分、ソースも限定されてしまうのだろうか。
  兎に角、日本盤のライナーの焼き直しにならずに済んだのは重畳といえるだろう。(あ、嫌味〜)
  ということで、Tal Bachmanの趣味とか好きな食べ物とか休日には何をしている、という類の情報しか残っていないのだ。・・・・こういった情報の掲載をしても本HPの趣旨にはそぐわないと考えるので、曲のインプレとともに、雑感を述べることにしたい。希望があれば彼のインタヴュー記事から付け加えても構わないけど。(笑)
  ちなみに好きなジャンクフードは「Dad」というメーカーのオートミールだそうである。(書いてるやんか!)
  敢えて記す必要もないが、彼も所謂2世アーティストである。Guess WhoやBachman-Turner OverdriveのギタリストでありソングライターであったRandy Bachmanの息子である。同時期に活動している2世アーティストにはJacob DylanやAdam CohenにA.J.Croceというような連中がざっと見ただけでも存在するが、Jacob Dylan程カリスマ性のある父親を持つより若干はプレッシャーが少ないとは想像できる。
  が、やはりRichardの息子−血統書付という色眼鏡では見られるのは仕方ないことであろう。しかしながら、2世だからといってシーンに残れるというと決して甘くはないのは過去の2世達を想い出せば分かるとは思う。
  父親の物凄いレコードコレクションであるとか、3歳の頃から楽器に触れることができて、ドラムやピアノやギターを子供の頃からマスターできたというプライオリティは存在するにしてもだ。
  レコード会社とのコネを掴むのに父親の人脈を利用したかもしれないが、最終的にデモテープが通るかという点は本人の音楽性であるし、更に商業的に成功するかというのも血統だけでは如何ともし難いものがある。厳然とした事実であろう。
  その点、90年代のメジャーシーンの主流となった、オルタナ・へヴィネスと黒人音楽、女性ヴォーカルというどれにも当てはまらない全くの正統派なロック・ヴォーカルアルバムをリリースし、大とはいかないが、ヒットさせたTalは賞賛に値することを成し遂げたと思う。
  どのような音楽をして正統と解釈するという尺度は個人によって様々であるが、筆者的には奇を衒わないオーソドックスで分かり易くポップなロックンロールが正統派であると考える。間違ってもニルヴァーナやパール・ジャムは正統派とは呼びたくないし、ミクスチャー系やへヴィネス系は論外である。裏を返せば、90年代のメジャーシーンでは中々セールスが厳しくなったジャンルのロックというべきだろう。
  正直、ファーストシングルとアナウンスされていた#2『She’s So High』を初めて聴いた時、「おおお、エエ曲やなあ〜。でもきっと売れないやろなあ。」(笑)と正直思った。が、99年のある日、ビルボードのTop100シングル・チャートを何気に見ていたら、何と第19位まで上昇していた。(それから何位まで上がったかは知らない。最近は全くメジャー・チャートを見なくなったので。)まさか、このような素直なポップ・ロックナンバーがTop20ヒットに喰い込むとは。何事にも例外はつきものであるが。
  余談だが、この曲のPVに出演する、道化師と練り歩くお姉さんはどーみても「So High」に見えなかったりするのだが如何なものだろうか。(笑)
  Talの高校時代にベタ惚れになった経験を元に創られたというこの歌は、もう王道以外の何物でもないポップ・オリエンテッドな歌である。きっと誰もがラジオから流れてくるのを待っていて、その実中々現れないような、素直な歌。70年代のロックがコマーシャリズムと同居することがメインストリームな頃の流れや、80年代のアリーナ・ロックの緻密な練り上げられたややオーヴァープロデュースな音、そして60年代ポップスの影響が顕著なキャッチーさといい、父親のレコードコレクションを聴きまくって消化したという音楽性の奥行きが如実に表現されたナンバーである。
  この曲に彼の魅力は集約されているが、正統派と銘打った心情にはやはり80年代の産業ロックのカラーを強く感じさせる曲の練り上げと、そしてElton JohnやBilly Joelといったソングライター級のメロウでキャッチーなソングライティングの方向性が大きく寄与しているだろう。どちらも私的に大好物な音楽であるので。
  オープニングトラックの『Darker Side Of Blue』から彼は詩人というか歌の書き手としての力量を見せつけてくれる。「ブルー」より更に深遠な憂鬱、というショウビジネスへのかなりの批判を込めて書かれたようなこの歌は、パワフルなギターとシンセサイザーのリフから始まり、哀愁を帯びたメロディがハードポップなラインに乗っていく展開はまさに70年代のQueenやCheap Trickを髣髴とさせるものがある。歌詞に「パパラッチ」といった単語が取り入れられているのはやはり90年代であるが。(笑)
  で、ハイライト曲である#2に続き、これまた個人的に甲乙がつけ難い程お気に入りのメロウでドラマティックに盛り上がるバラードの#3『If You Sleep』。現在のマーケットではどう呼ぶべきか疑問ではあるが、まさに一昔前の「売れ線バラード」であろう。実に結構であるが、筆者的には。へヴィさとノイジーが格好良さと勘違いしているというか洗脳されている、多くのリスナーには軟弱な歌としか聴こえないかもしれないけど。第二段シングルになったようだが、ヒットしたかは寡聞にして知らないのである。・・・あまりチャートに興味がなくなったので。ヒットしてしかるべきバラードであるとは思うが。
  ちなみに#2とこの『If You Sleep』は人気青春恋愛TVシリーズ(見たことないけど)「Dawson’s Creek」の挿入歌としても使用され、更に#1『Darker Side Of Blue』も「NYPD Blue」というテレビドラマのプロモスポットのBGMとして使用されたとのことである。
  続く#4『(You Love)Like Nobody Loves Me』も前の曲と同じようなストリングスをロックインストに絡めた大仰なバラードである。このアルバムはかなりオーケストラが感動的にというかやや過多に取り入れられている感が強いが、ストリングス・アレンジはElton Johnの中期作品まで敏腕を振るった名人Paul Buckmasterがクレジットされている。彼のオーケストレーションアレンジはかなり強烈であるが、筆者的には非常に好きなクドさであるので問題なしである。
  #5の『Strong Enough』もややハードでロック寄りではあるが、同系統のバラードタイプの曲。Michael Boltonの『How Can We Be Lovers』に通じるものがあると感じるのは私だけだろうか。この前半で似たような曲が並ぶのがややマイナスと思う箇所である。#1や続く#6『You Don’t Know What It’s Like』のようなアップテンポかミディアム・ファストなチューンが欲しかったと残念に思うのはデヴューしたての新人に求めるのは酷であるだろうか。
  この#6はブルースハープがブギー調のギターに絡む荒っぽい出だしから、Talの得意技なキャッチーなヴァースに移行するという心地よいアップテンポナンバーでかなり好きである。
  で、またもやオーケストラと分厚いコーラスがガンガン押しまくる#7『I Wonder』と、同じバラードでありながらしっとりした優しいアクースティックな魅力が溢れる#8『Biside You』が続くが、Tal Bachmanというヴォーカリストの高音パートを十分に使った歌い方は、とても新人と思えない力量を感じる。バラードで甘くそしてハイトーンに歌うことも、ロックチューンもぐいぐいと歌ってのけるところは未来の大器を予感させる。が、やはりバラードが多過ぎる気がする。
  ややリズムを活かしたR&B系の匂いも感じる#9『Romanticide』はピアノの(Talが叩いているらしいが)ビートが今までにないタイプの曲で、彼の音楽性の多彩さを垣間見せてくれるし、#10『Looks Like Rain』のファルセットヴォイスも交えて歌う、これを待ってた的なスピーディーなロックナンバーは、このタイプの曲をもっと入れるべきだったと地団駄を踏むくらい疾走感に溢れている。軽快なギターリフが凄く良い。
  この曲は「Rain」という単語を象徴的に使い、ラヴ・ソングのような受け取りも可能だろうが、その実、政治的な問題提起をしている唄であると解釈している。趣味が政治・時事雑誌の読書という文学青年のTalの思想を暗喩的に織り込んだ1曲ではないだろうか。
  アップテンポなチューンの次は#3並に美しいバラードの#11『You’re My Everything』。タイトルからも簡単に推察できるようにスィートなラヴ・ソングである。Tal Bachmanは#1や#7そして#10のような、かなり意味深な詩を創ると思いきや、このようなステロタイプなラヴ・ソングも同時に書くので、よく方向性が掴めないが、未だ本人も暗中模索の域を出ていないのか、それともただ手を拡げる範囲が広いのかは次作を待ってからの判断になるだろう。
  最後の『I’m Free』はリラックスしたアクースティックギターのリフから次第に盛り上がる展開のバラード・タイプの佳曲である。それ程過装飾でないところが、落ち着きを見せていてラストナンバーとしては良い感じである。ここでもTalのハイトーンなコーラスワークが聴ける。しかし、多彩な声の持ち主である。
  で、今回初めて聴いた日本盤のみのボーナストラックを聴いたが、ミディアム・テンポのポップチューンで、しかも変調を多用した飽きのこない展開で、悪くなかった。流れを壊すことの多いボーナス曲が多い中、及第点の出来であると思う。
  繰り返すが、ロックアルバムとしてはややマイルド過ぎる気がして、やや不満が残る。父親の音楽性とはかなり違った方向へ向いているとは思うが、単に父のフォロワーであるよりは我が道を行っているようで好感が持てる。
  しかし、これだけの完成度のデヴューアルバムを創ってしまったからには、次回作での期待が嫌が応にも膨らみ、それなりのアルバムを持ってこられては辛口な印象を持ってしまうのではないかと、いらない心配をしてしまうくらいに、良く出来た1枚である。
  現在2ndアルバムのデモを録音中であるというTal Bachmanのニューアルバムは順調に進めば2001年年末に配給になるとのこと。期待はできる人なので是非とも裏切らないで欲しい。
  しかし、今回のレヴューではやはり浮いているというかジャンルが違う気がする。筆者の節操のなさの好例と考えて頂ければ良いのだが。(苦笑)  (2001.6.11.)


   Risen / O.A.R.....Of A Revolution(2001)

     Roots            ★★★

     Pop            ★★★★

     Rock          ★★★☆

     Modern&Jazz  ★★★★☆



  巷ではElectric Lights Orchestra−E.L.O.の15年振りの新作が好評のようである。筆者的にはやはりロックとなってしまったE.L.O.よりストリングス・ポップロックのE.L.O.が聴きたかったので、それ程持ち上げられない。
  おっと今回はE.L.O.ではなくO.A.R.である。時期が時期だけにこのバンドがE.L.O.に便乗したリリースをしたと誤解される方もいるかもしれない。(多分いないとは思うけど。)が、別にO.A.R.はE.L.O.の類似品ではないし、リリースも今作で3枚目を数えるバンドである。
  O.A.R.とは上のタイトルを見て頂くと直ぐに分かるであろう、「....Of A Revolution」の略である。これまでは彼らのタイトルロゴである円形のO.A.R.のマークと....Of A Revolutionというプリントが必ずジャケットにされていたのだが、今作では何処にも見つからないので、正式にバンド名をO.A.R.に変えたとばかり思っていた。が、インナーの一番隅に小さく円形のロゴと....Of A Revolutionを見つけたので、名称は変わっていないようだ。
  ちなみに正式名称に関しては「O.A.R.....Of A Revolution」と繋げて書かれたり、単に「O.A.R.」としているサイトもあり、更に「....Of A Revolution」と呼ぶこともあり、まちまちである。
  その辺はElectric Lights Orchestra=E.L.O.の関係と同じなのだろう。以下、OARと記すことにする。コンマを打つのがめんどいので。
  少々触れたが、この3rdアルバムの『Risen』で3枚目のリリースを数える。デヴューアルバムである『The Wanderer』をセルフリリースしたのが1997年で、2枚目の『Souls Aflame』がこれまたセルフリリースで1999年なので約2年ごとにアルバムを出していることになり、インディバンドとしては早くもなく遅くもないペース、否ややゆったりしたペースであるかもしれない。
  さて、彼らの音楽性であるが、海外プレスには「Island Vibe Roots Rock」という名称というかジャンルを与えられている。・・・・正直何と解釈して良いか分からない。Islandを文字通り「島」と訳すと全く謎な意味になってしまうし、形容詞的に「孤高の・独立した」と捉えると「独創的なリズムビートを持ったルーツロック」と意訳できなくもないし、Islandを更に意訳して「エスニック的なリズムを持ったルーツロック」と解釈している、筆者的には。皆さんはどのような意味があるかご存知だろうか。英訳に堪能な方、教えてください。
  と、かなり自己流でこじつけの訳を当ててしまったが、筆者的にはジャズやR&B、そしてどの民族音楽に分類されるかは不明である、やや無国籍的なワールド・ミュージック的なリズムとメロディを駆使した小粋な音楽を、ルーツロックという叩き台に据え付けたような音楽と解釈している。近いというか、ジャンル分けし難いところはDave Matthews Bandに通じるところがあると思う。あまり引き合いに出されていないけど。
  特に、今作から正式にサックスフォンがパーマネント・インストゥルメントに加えられ、ますます少々アーバンテイストのあるロックンロールという方向性へベクトルが加速した。
  やはりSeeking Homer(例えが悪いか。誰も知らないかも。)、そしてやはりDave Matthews Bandのようなやや捩れたパワー一点張りのセンスより、パワフルかつリラックス的なサウンドと表現すべきである。
  ルーツロックと分類可能であるけれども、泥臭いところは皆無である。カントリー&ブルーグラス系のサウンドも感じられないことはないのだが、ホーンセクションが強力になり、ハモンド・オルガンがかなりフューチャーされた本作『Risen』ではアーシーさもかなり目立たなくなっている。
  元来、カントリーと呼ぶよりも、ニューウェーヴというかモダンロック的なリズムを多分に感じさせるロックバンドであったために取り立てて違和感は感じない。むしろ、1stと2ndアルバムがスタジオ一発撮りのスタジオライヴアルバムであったのに対して、今回は初のスタジオ録音をしている。それにより音が丁寧にミックスされて、非常に彼らのデリケートかつおおらかであるという、相反しそうな2面的魅力が際立っている。
  端的にいうと、ルーツロックの基本要素のうちのR&Bをベースにしてロックとエスニックさで仕上げた音といえよう。・・・端的になってないわいな。今、結構雨後の筍状態で増えているアクースティック・ジャムバンドと呼んでも良いか。
  アルバムに収録されている曲はどれも非常にスゥイング感覚に富んだ、しかしながらジャジーと一括りにできないような、ワールドミュージックともやや異なる、余裕と楽しさに満ちたトラックばかりである。やや変化というかヴァリエーションに乏しいところがあるけれども、どの曲も非常に良い出来といえる。ギターのアレンジもアクースティックであり、それでいてエッジが効くところはしっかりと抑えている。
  さて、このOARというバンドであるが、全員がオハイオ州立大学の学生である、現役学生バンドである。年齢に至っては当然ながら学生であるので全員1979年生まれの21歳から22歳である。実に若い。ティーンエイジのデヴューというところは、解散してしまったToad The Wet Sprocektを思い出させるが、このサンタ・バーバラ出身の西海岸のバンドと異なる点は、メジャーでないことである。(笑)
  メンバーは5人編成である。

  Jerry DePizzo (Saxphone) 、 Chris Culos (Drums) 、 Benji Gershman (Bass) 
  Richard Oh (E.Guitar) 、 Marc Roberge (Vocal&A.Guitar)

  である。このうちヴォーカルとアクースティック・ギターのMarcとドラムのChrisは幼稚園からの親友で、ずっと音楽を一緒にやってきている莫逆の友であるそうだ。この2名にRichardが加わったのが中学生の時。Ohという名前から推察可能であると思うが、彼は中華系のアメリカ人である。ルーツ系というかロックバンドで黄色人種のリードギターは非常に珍しい。というか白人のバンドにアジア系が参入というのはあまりこれまでになかったが、インディ系の彼らのようなステューデントバンドにはぼちぼち見られるようにはなってきている。
  そしてベースのBenjiが加わったのが高校生の頃である。彼ら全員、メリーランドのロックスヴィルという街の出身であり、揃ってオハイオ大学へと進学する。何故オハイオ大学へ?という質問に対して、Chrisは「生徒数が6万人もいるマンモス校だからね。誰でも入れるんだよ。」と笑って答えている。
  そして2ndのレコーディングに参加した同じ学生寮に住む、Jerryが本作からメンバーとなり、全てのトラックでサックスを吹いている。
  まだ未成年の頃はバーで夜の部での演奏ができなくて昼間だれもいないフロアでバーテンダーだけを相手に演奏したというような、傍目から見ると笑えるエピソードもある。
  影響を受けたバンドはかなりの数を挙げているが、ヴォーカルのMarcの兄であるJeff Robergeが所属する東海岸のルーツロック・ジャムバンドのFoxtrot Zulu(こちらもかなりお薦め。2枚のアルバムをリリースしている。OARより正統派というかオルタナ・ジャム的なバンドである。)にインスパイアされたところは大きいとメンバーは語っている。
  更に筆者的にクソバンドの筆頭であるPearl Jamのアンプラグドライヴにハマリまくり、高校生の頃は学校が終わると皆で毎日ビデオを鑑賞し、Pearl Jamのコピーバンドとしてキャリアをスタートさせていたりする。まあ、あの重いだけのヘヴィバンドが理想でも全く違う音をプレイしてくれているので、特別に許す。(笑)
  更に一番初めに音楽にのめり込んだきっかけはGenesisのライヴビデオ(これもJeffがもたらした物だそうだが)であるとのこと。何時頃のGenesisであるかは分からないが。
  キャリア的に、年齢の問題から大学のキャンパスを廻る形で活動を開始したOARであるが、オルタナ・グランジに飽きていた大学生達からかなり熱狂的な支持を受ける。ライヴのブート盤がかなり出まくり現在でもメジャーな(?)ブートレグだけでも6〜7枚はあるらしい。
  口コミとCDのコピーテープにより、更にネットでの伝達でOARは地元オハイオのコロンバスだけでなく、全米の大学で好意的に迎えられ、口コミのみで4万枚近いセールスをあげる。ネット時代に対応したローカルバンドの新しいブレイクの仕方といえよう。
  そして、3枚目にして初めて著名なプロデューサーを迎え、Everfine Recordsというインディレーベルと契約する。プロデューサーはJohn AlagiaでBen FoldsやVertical Horaizon、Agent Of Good Rootsのプロデューサーやエンジニアとしてユニークな仕事をしている人である。
  前2枚がスタジオライヴをそのままCDとしてリリースしていたのに対して、今回から本格的なレコーディングを行っている。Marcいわく、「最初の2枚はデモテープの延長のようなものだったけど、今回は本当にレコーディングをした。良い勉強になった。」そうである。
  Jerryのホーンが全編に、そしてJohn Alagiaの弾くオルガンがフューチャーされたことによって、サウンドに深みと厚みができて、聴き応えがグンと増している。が、ジャムセッション的なライヴ感覚は全くと言って良いほど損なわれていない。
  ジャムバンドにありがちな技巧と音創りに走ってしまった結果のポップさの喪失という、マイナス面もない。彼らの音はDave Matthews Bandよりも遥かにユルイというか暖かく親しみやすい。このような無国籍バンドにありがちな尖がったところは感じられない。やはり、ルーツロックという腰の据わった根っこ的な音楽をベースにしている点のプライオリティが出ているのだろう。
  歌詞の面では、いかにも学生らしいあけすけなラヴ・ソングがあると思えば、やや頭でっかちににも感じられる「青年の主張」という趣のある、将来の人生への模索とも言うべき歌もある。#2『Delicate Few』、#3『Hold On True』、#7『King Of Thing』、#10『Someone In The Road』とこれ以外にも意味深というか若者らしい危なっかしい感性を叩きつけたような歌がかなりのウエイトを占める。今の筆者には少々青過ぎるところもなきにしもあらずだが、かなり内面的な歌が多いのが特徴である。
  #1の前作のりテイクである『Hey Girl』からアルバムは幕を開けるが、ライヴ撮りだったプレテイクより遥かに素晴らしい出来になっている。格好のよいオルガンといい、エッジの効いたギターの掛け合いといい、Marcのソウルフルなヴォーカルといい、それら全てが独特の明るさ−このトロピカル感覚も伺えるリズムがIsland Vibeと呼ばれる所以かもしれない−とモダンジャズ的なルーツセンスに乗って跳ね回る。
  基本的にどのトラックも底抜けに明るいスゥイング感覚とシャープなホーン、そしてアクースティックと電子楽器の融合がショートフックの連打(何故ボクシング)のように切れ味良く、攻めて来る。
  ジャズ、R&B、ワールド、アメリカーナ的なレイドバック感覚、全てが集約されたこれもAlternative Rockの一形態であろうが、かなり独創的であると思う。
  個人的にはかなりエレキギターが押し捲る#10『Someone In The Road』(歌詞もシニカルでクリティカルで良い)がお気に入り。また#1『Hey Girl』のトロピカルジャズ的な明るいノリや、流れるように続く#2『Delicate Few』でのMarcのたっぷりとした声量が印象的なミディアムチューンも捨て難い。
  またSteely Danに通じるようなセンスが見え隠れする#5『Untitled』はベッカー&フェイゲンが作っても不思議でない曲である。この2人が創るにしてはアクースティックでルーツィであるが。(笑)
  #7『King Of The Thing』のややR&B風味なユルいところも気持ちが良い。
  同じようなタイプであるが#8『Night Shift』や#9『About Mr.Brown』のパワフルなライトファンク的なルーツナンバーも地味ではあるが、実に楽しく聴ける佳曲である。
  前述したが、ややワンパターンなノリの曲が増えているので、あまりバラエティに富んでいるとは言い難い。が、捨て曲なしで楽しめるアルバムであることは間違いない。
  ヘヴィロックやミクスチャーに飽きた20歳前後の「子供」を卒業したリスナーの支持を集めだしているOAR。ジャムバンドは聞きたいが、ちょっと取っ付き難いと感じている方に是非お薦めしたい。
  個人的にはDave Matthews Bandの考えすぎなヒネリ過ぎなところが見えてきたサウンドより遥かに期待できるバンドである。彼らの目指すRevolution−革命が何であるかは不明であるが、出来うるならミクスチャーロックとヘヴィロックを駆逐するような音楽革命のムーヴメントでも起こしてくれないか、と密かに期待している。
  まあ、夢物語だろうけど。(笑)  (2001.6.18.) 


   Hateful / Four Mile Mule (2001)

     Roots          ★★★★

     Pop          ★★☆

     Rock        ★★★★

     Americana   ★★★★

                         You Can Listen Here


  少々、お薦めのポイントがピックアップし難い、というかまず第一に地味で、第二も第三も地味なのである。
  典型的なインディ・ルーツバンドな音楽性を持っているとでも表現すれば良いだろうか?筆者的な表現で は、「ジンブロ未満のサウンドの典型」と位置付けている。
  (この意味が分からない方はここを読んで頂けば幸いである。)
  要するに取り立てて、物凄くポップな音楽性でもないし、ハードなロックンロールでガンガン押しまくる訳で もなければ、叙情性溢れる透き通った美しさもない。
  中庸性、と記せば聞こえが良いだろうが、悪く言うと非常に可もなし不可もなしな、中途半端な音楽性を有 したバンドであるとも言える。
  と、のっけから随分マイナス・イメージな言い方を続けてしまったが、実際にはこの手の地味サウンドが著 者的には全くの大好物であるからして、全然問題はないのであるが、一般に「日本人受け」する音楽ではな いであろうことを説明したかったのである。
  メジャー未満のオルタナ・カントリーバンドのステロタイプなメロディと音楽、と一言で説明してしまうとそういうことである。テキサスのバンドらしく、サザンロックにブルース、カントリーといった大きな枠の中での土着音楽の要素は全て取り入れて消化しているバンドなのは確かであるが。
  それらを突出して追及することなく、ロックという土台で表現しているところが、やはりルーツロックの、良質なルーツロックのバンドと躊躇なく言い表せる点であると考えている。
  尤も、これ以上土着系の音楽性に没入しすぎると、ロックという枠組みから軌道を外れて、トレディショナル系の音楽団と位置付けされてしまうだろうから、そうなると、伝統音楽は好きだが、あまり偏り過ぎずにロックとの上手な妥協をしている音楽が一番の好みな筆者のストライク・ゾーンからは逸脱してしまい、拙文で紹介する機会もなかったかもしれないが。
  何をもっての所以か理解不能なのだが、本邦ではロックというとどうもハードやへヴィがまず尊ばれる傾向があるようである。殊に、ある程度の音楽を聴いているリスナー層においてその傾向が顕著なように見受けられる。更に、ただでさえ、ポップでキャッチーな音であってもメジャー・チャートである程度のアクションがない見向きもされないような市場性のため、今回紹介するFour Mile Muleのようなバンドは全くといって構わないくらい無名なバンドはまず、「個性のない音」として処理されてしまい勝ちである。
  非常に残念で、かつ情けないことである。・・・・とここでいつもなら恒例の「死ね、シネ攻撃」が入るとこであるが、今回はまあ止めて置こう。どれだけ叫んでもここのマイナーHPにリスナーが群がることはないだろうから。
  放っておいても大怪獣の如く、今後も口から火を吐きつづけることは間違いない。(笑)本人が保証する。
  さて、このFour Mile Muleの魅力というか推薦ポイントを未だ明確に述べていないが、やはり南部ロック系譜に位置する、力押しでゴリゴリのハードロックではないけれど、軽薄さとは無縁の自然な重厚さ−つまりルーツロックの魅力そのものなんやけどね。−が第一に挙げられるだろう。そして、これなくしては私的にダメなアーシーさと泥臭さ。
  物凄くポップで一度聴いたら忘れない、というようなメロディではない、正直な感想である。が、適度にキャッチーであり、何ら奇を衒わないメロディラインはじっくりと心の中に浸透するような味わいがあり、聴けば聴くほど良くなるタイプの地味アルバムである。・・・・これは欠点ともなるけど。第一印象が薄いという点では。
  カリフォルニアやフロリダ系列の音楽のような底抜けな明るさ(軽さとは異なる。念のため)は感じられず、そこはかとないダークな落ち着きがそこかしこに漂っている。このジャケットを見て頂くと分かるかもしれないが、ワークブーツに踏みつけられて壊れたギター、又はスクラップになったギターを踏みつけて歩いているのかのどちらかは明白でないけれども、哀愁というか、夕暮れの遭魔ヶ時的な昏さが感じられる。
  土とワークブーツとギター、という3つが揃ったところはいかにも土着系のバンドという野暮ったさもあるが、実に示唆的なジャケットであると思えないだろうか。
  曲としては泥臭いブルーステイストが感じられるロックチューンとレイドバックしたカントリーロックの土臭さが匂う曲の2つの方向性に大別できるだろう。前者としては程度の違いこそあれ、ギターのエッジの効いた力強さがどの曲も印象的だ。
  #1『Angeleen』、#6『Sunset Strip Bar』、はかなりポップなメロディラインにルーツィなギターラインが絡み、カントリーロック系のラジオでシングルになりそうな佳曲である。かなりラフな作りであるので、かなりライヴ感覚で音を楽しめるのは全トラック共通である。
  #4のタイトルトラック『Hateful』、#8『31 Reasons』、#10『White Trash Christmas Ball Blues』、#12『Shotgun』等は、かなりハードなエッジでいかにもテキサスブルース系の粘着力のあるメロディがガツンガツンと叩き付けられるようなサザンロックナンバーである。ポップさがあまり顕著ではないが、じっくりと腰を落ち着けて聴ける安定感があるナンバーではある。
  個人的に一番聴き所であると感じるのが、豪快なバー・ロック&ブルースロックのような地を這うようなうねりが哀愁の浮き出たスローナンバーでドラマティックに展開する類のロカビリー・バラード調な#7『Carousel』と、同じような劇的な盛り上がりをオルガンのすすり泣きとダークなギタープレイで構築する#11の『Down The River』であろう。実にブルージーでアーシーな世界が拡がり、聴き応え十分である。
  後者のカントリー・ロック的な要素は珍しく明るい感じのミディアムチューン#2『Monday Moring』を別とすると、大半がアクースティックなカントリータッチのナンバーである。どのトラックも実に地味である。取り立てて指摘する箇所もないのだが、このバンドの静の部分が感じられるナンバーが揃っている。最後の#13『Hit The Town Running』などもかなり優しく、モノトニアスな曲調がフォーキィである。他の#3、5、9等も悪くないのだが、メロディ的に地味でポップさがあまりないので、フォークといってもブリティッシュフォークロックを更に地味にした感じと捉えて貰えば良いと感じている。
  さて、このテキサスのバンドであるが4ピースである。メンバーは

  Lou Vergo (L.Vocal、Guitars、Harp)    Daniel J.Hines (Guitars、Mandolin、Lap Steal、Vocals)
  Matt Key  (Drums、Vocals)          Kirk Richardson (Bass、Vocals)

  でありサポートとしてRip Rowan(Danielと共同プロデュースをしている。)という人がB3を弾いている。1999年にリリースした1stアルバム『Black And White Movie』からメンバー構成的にもサウンド的にも大きな変化がない。堅実なバンドである。1stアルバムはインターネット販売でそこそこの売上を記録し(半分くらいは欧州からの発注だったそうだ。)、2ndの今作の発売にこぎ着けることが可能になった助けをしたとのこと。
  日本で幾人の人が買ったかは全く知らないがもしかすると筆者だけかもしれない。(ってこれは笑えん。洒落になってへんからなあ、結構。)
  ソングライティングの中心はヴォーカルのLou VergoとギターのDaniel J.Hinesである。が、このヴォーカルのLouという人は25歳まで楽器にすら触ったことがなかったというから驚きである。奥さんに薦められてギターの練習を始めたのがバンドというか音楽を始めるきっかけとなったという変り種。
  もっとも音楽的に影響を与えてくれたのは、彼を55歳の時に種付けした(笑)父親で、カントリーソングをずっと歌っていてくれたのが一番印象に残っているそうだ。
  現在の音楽を演奏するのに最もインスパイアされたのはSon Voltの『Trace』であるそうだが、メンバーは全員音楽的バックボーンとして、殆どルーツ系の音楽は聴いていないそうだ。
  彼らが聴いていたのはNWBHM(New Wave Of British Heavy Metal)やグラムロックが殆どで、音楽の話題で盛り上がるのはKissやIron Maiden、Pixiesというアーティストであるそうだ。
  Danielは「僕らは80年代のロックのフリークで追っかけだった。」と言う。しかし「やりたい音楽は半分くらい違う方向だったんだ。そうオルタナ・カントリーの音だよ。Son Voltの『Trace』みたいな。」とも述べている。
  やはりオルタナ・カントリー的な色合いしかサウンドからは見えて来ないが、なかなか面白い。
  「このアルバムはプロデューサーのRipのスタジオを使うことができた。だから時間間際になって次のバンドがスタジオの前で待っていることを考えなくてよかったからじっくりとレコーディングに専念できたよ。」とドラマーのKey。いやはや、やはりインディバンドである。まだまだメジャーには遠いだろう。
  「写真見てもらえば分かるけど、僕らはロックスターにはなれないね。このルックスじゃあね・・・。(笑)」と冗談めかすDanielであるが、確かに頷けるとこはある。(笑)
  「今の僕たちは良い曲を書いて、聴きたいと思う人に聴いてもらいたいだけ。」
  「メジャーになるより、バーで支払うお金で、いやそれより安い料金で僕たちのライヴを見てくれて、結果としてお金が節約できた、って人々を集めるように頑張っているのさ。」
  完全に草の根的な活動のバンドである。99%以上の確率で彼らがスターダムに上がることはないだろう。しかし、このような地味であるが、アルバムとして通しでじっくりと楽しめるピースを届けてくれるバンドの一つとして、これからも頑張って欲しいものである。
  シングル志向の方や、パワーポップ大好きな方にはお薦めできないバンドであると率直に記しておこう。きっとFour Mile Muleの方々も文句は言わないだろうと思う。もっとも流行や話題性とは無縁の音楽性であるので、そこまで考慮するのは杞憂というものだろう。  (2001.6.24.)


   River / Izzy Stradlin (2001)

     Roots     ★★★

     Pop     ★★★★

     Rock   ★★★★☆
   




  良く思うことの1つに、ハードロック系のバンドのギタリストが製作するアルバムと言うのは、ギターを弾かない筆者にとっては非常に個性と言うか、そのミュージシャンの顔が見難いアルバムであることが多い、という事柄がある。
  まして、ヴォーカルを自分で取らないで、雇われヴォーカリスト数人等に分担して歌わせると、もう誰のバンドか分からなくなってしまう。勿論、1名のヴォーカリストに歌わせる例もあるのだが、その場合も落とし穴がしっかりとクチを空けている。
  ヴォーカリストが素晴らしい個性の持ち主だと、歌い手のアルバムになってしまったような錯覚に陥るし、ヴォーカルがダメな場合、かなり印象が悪くなるのは否めない。
  繰り返すが、ギターを嗜まれるリスナーの聴き方とは根本的に異なるので、その視点というか聴覚でということが大前提にあることを述べておく。
  ちなみに著者的にはギターと言う楽器は疾走感を与えてくれ、ある時はパワフルなリフを、またある時は美麗なラインを聴かせてくれれば基本的に嬉しいという程度である。殆どの場合。だからと言ってギターを蔑ろにしているつもりはないし、大好きなギターソロも多い。あくまでもメロディとして好きなところがギターオリエントな方達との相違点である、と自己分析。
  で、恒例の脱線をしてしまったが、最終的な方法として、リード・ギタリストいうかアルバムリーダーがヴォーカルを取る場合も多々ある。
  正直、バンドでギターを弾いていたインストゥルメンタル専門のミュージシャンが、ヴォーカルも素晴らしいと言うことは皆無とはいえないが、あまり寡聞にして聞き及んだことは少ない。
  尤も、初めからヴォーカリスト兼リード・ギタリストとしてバンドに君臨していた歌い手の場合はこの限りではないのは言うまでもないだろう。
  で、漸く、この元、Guns ’N Rosesの肩書きは今更述べるまでもないが、この80年代後半から90年代初頭にかけて爆発的人気を誇ったハードロックバンドのリード・ギタリストであったIzzy Stradlinの話に入れるのだが、相変わらず「歌が下手」である。
  1992年に& The Ju Ju Hounds名義でリリースされたアルバムも加えると、「銃と薔薇」脱退(というか解散後)に本作である『River』を含めて4枚のリーダーアルバムを作成し、全てのトラックでリード・ヴォーカルを取っているのでいい加減に慣れてはきたが、やはりヴォーカリストとしての魅力は皆無に近い。サウンドの方向性は異なるが、TOTOのリードギタリストのSteve Lukatherも個人的にヴォーカリストとしては正直一流とは言い難い点が似通っているが、IzzyはSteveより歌が上手くない。
  Steve Lukatherは『I Won’t Hold You Back』というTop10ヒットも持っていることだし。
  基本的にヴォーカルと言うパートは、普通にリスナーとして聞く場合、最も即効性というか耳に入ってくるインストゥルメンタルであると考えている。故に、ヴォーカルが上手くないというのはある種致命的である。
  非常に定義付けが困難であるのだが、Izzy Stradlinは「ヘタウマ」という下手な中にも味わいというか正体不明の魅力のある、といった類の声質でもない。声質からいうと、最近のアメリカン・ルーツロックのインディバンドに多く見られるしゃがれ声系のヴォイスに分類されるだろうが、パワフルな牽引力も無ければ「シブイ」と呼ばれるような枯れた成熟さも感じることはできない。
  繰り返すが、音痴にしか聴こえない歌い回しも多々耳に飛び込んでくる、「下手なヴォーカル」の典型である。
  が、このギタリストのアルバムを毎回購入するのは、やはり彼の作るメロディが良い、という一言で説明が可能である。これは最初のソロプロジェクトである『Izzy Stradlin & The Ju Ju Hounds』を聴いた時に、失礼な感想であるだろうが「え!!こないに良いメロディを作れるヒトやったのかいな?!」と思わず驚いてしまった時から、今作に至るまで、かなり不思議な要素として心に残っている。
  Guns ’N Roses時代のIzzyは、バンドのメンバーである、事柄以外に大して感慨を与えてくれる人ではなかった。曲作りに関してもこのHRバンドの最初の2枚は全てGuns ’N Roses名義となっているし、(インディアルバムの『Live Like A Suicide』は含んでいない)今のところ最後のスタジオ録音盤となっている2連作の『Use Your Illusion1&2』から、ソングライティングに個々のメンバーがリストアップされるようになった時でも、2枚のアルバム収録の26曲のうちAxl Roseが関わっているのが22曲に対して(うち単独作が6曲)、Izzyは13曲(うち単独3曲)という割合である。
  これでは曲作りのメインはAxl Roseと筆者が考えてしまうのも仕方ないような気はする。が、Guns ’N Roses解散後、Axlが全くアルバムをリリースしなかったのは、やはりIzzyが実はソングライティングの中心になっていたためなような気がしてならない。
  Guns ’N Rosesというハードロックバンドはある意味私的に素晴らしい点と、とてもマイナスな点が併在するバンドである。シンプルでストレートな、HR/HMというと煌びやかな華々しい印象が強かったメタルブームから、プリミティヴなロックンロールを回帰させメインストリームに乗せたという功績。
  そして、このへヴィでダークなメロディが後に大攻勢をかけ、90年代のアメリカンロックの代表となったグランジ・オルタナブームの呼び水になったような印象を受けるところが、非常にマイナスな点である。
  それは兎も角として、Izzy Stradlinという稀有なメロディメーカーが、個性と言うかルックスや行動でさらにどぎつい不良っぽさを振りまいていたAxl Roseという強烈な個性に隠れてしまっていたのがGuns ’N Roses時代のIzzyであると思う。また述べるがギタープレイについてのテクニックな面は造詣が深くないので何ともコメントができない。
  それ故に『Izzy Stradlin & The Ju Ju Hounds』の音を聴いた時、「ああ、ガンズのロックな部分はIzzyが引っ張っていたのやな。」と感じて驚いたのだ。アメリカン・ルーツロックの香り溢れる、まさにロックンロールなアルバムは王道アメリカンロックの90年度版という趣があり、このギタリストを過小評価していたことを反省したものである。
  無理やりにハードロックを演じるのではなく、自然体でルーツミュージックとハードロックのダイナミズムとノイジーさを重ね合わせたアメリカンなルーツハードロックというのが実直な感想であった。珠に傷はやはり下手なヴォーカルであったのだが。
  それから6年もの間隔を空けて、GeffenからリリースされたIzzy Stradlin名義の『117°』も前作でオルガンやピアノでサウンドに多様性と奥行きを絡めていたIan McLaganの鍵盤が聴かれなくなった以外は、基本的にキャッチーでシンプルなアメリカンロックを聴かせてくれた。かなりゆっくりとしたリリースであるが、信頼できるアーティストになってきたなあ、と考え始めた。
  しかしながら、1年後に早くもリリースされた『Ride On』がロックンロールの魅力が欠如した、キャッチーさもスピーディさもとことん薄い、ブルースとも言い兼ねる中途半端な大駄作であったため、株が非常に落ち込んだ。このソロ3作目(個人名義では2作目)『Ride On』はその内容のお粗末さも手伝ってか、先行発売した日本だけの発売に留まり、アメリカではプレスさえされなかった。
  1999年という時代に、仮にIzzyがクオリティの高い王道アルバムを製作したとしても好セールスを記録することは無かっただろうが、アメリカで売り出されもしなかったという事実がこのアルバムのレヴェルの低さを証明していると考えることができよう。
  この駄作を出してくれた「前科」があったため、今回ソロ4作目となる『River』を購入するにあたり、かなり躊躇いを覚えた。結局購入してしまったのだが、ひとえにそれは1回の失敗では見捨てられないくらいの魅力があるアーティストに筆者の中で、Izzy Stradlinが成長していたという証左だろう。
  さて、アルバムはどうかというと、「悪くなく良作以上」であると思う。ルーツ回帰への路線はこれまでの個人名義の3枚のアルバムの中では最も強力だろう。方向性としてはファースト・プロジェクトであったThe Ju Ju Hounds(以下、JJHとする)のアルバムに近いと思う。但し、JJH程のハードでドライヴフィーリングに溢れたロックテイストはなさそうである。よく言えばやや落ち着いて、地に足が着いてきた。であり、悪く言うとトーンダウンしているような感じ、であろう。
  が、バンドアンサンブル的にはソロ活動時からコンビを組んできた、元Goergia Satellitesのギタリスト、Rick Richardsのスライドギターはやや控え目になっているようだが、ベースのDuff McKanganもドラムのTaz Bentleyのプレイも実に堅実であり、派手さよりも纏まりを一層感じる。そして、今作の全てのトラックに参加するIan McLaganがとても魅力的ないぶし銀オヤヂのB3ハモンドとピアノを聴かせてくれていて、彼の参加がサウンドに厚みとバラィエティを付加しているのは間違いないだろう。
  バンドアンサンブルとしてはこれまでに一番かっちりした演奏を聴かせてくれていると感じている。

  G N’Rを思い出させてくれるようなハードロックナンバーである#1『Jump In Now』からこのアルバムはスタートするのだが、もはやゆとりというか若さに任せての暴走ロックという汚さがやや鼻についてしまったG N’Rよりも、安心して聴けるロックナンバーとなっている。やはりMcLaganオヤヂのオルガンは格好良過ぎる。
  続く#2『Head On Out』もサザンロック系のハードロックである。Izzyの生まれ故郷フロリダのルーツシーンでも顕著に聴かれるようなアーシーでブルージーなナンバーだ。が、曲間に挿入されたポップセンスはかなり練り込まれた感じがして好感が持てる。この曲も良作だ。
  #3『River』は明るく、爽やかなポップロックの典型のような曲。Ian爺のピアノと軽目のコーラスアンサンブルが非常に爽快感を与えてくれる#4『Far Below Me Now』と共に、この2曲はハードロックとしてではなく、ポップロックなルーツナンバーとして私的に大のお気に入りである。しかしながら#4のアクースティックでアーシーな感覚満載の曲を聴いて、#3のやはりルーツィなポップロックだけを聴くと、Izzyが元ハードロック&メタルバンド出身という過去を忘れそうである。HRギタリストとして、無理矢理ヘヴィなロックを書かないところが、彼のフレキサブルで多才なポイントであると賞賛を送りたい。
  #5の『What I Told You』はこのアルバムで最もマッディでヘヴィさが顕著なハードチューンであるが、やはりここまで泥臭いメロディを展開してくれると、ルーツミュージックが大好きな筆者にしてはもう言うことはない。手放しで喜びたい。更にこのようなハード・ルーツロックを演ってくれる人はあまり存在しないように思えて、貴重な気がする。
  #6『Get Away』は転がるピアノとB3ハモンドがロックのリズムに絡まっていくホンキィ・トンクさも伺わせる佳曲であるだろう。このキャッチーでダサいセンスはやはり聴き応えがあるので、単なるハードロックよりも味わいがあることは請け合いである。
  #7のダークでヘヴィな『Underground』はややオルタナ・ヘヴィロックを匂わせるものがあるが、シンプルさという要素が「重さ」だけを強調してしまわない役割を演じてくれるので、耳を塞がずに聴けるナンバーに仕上がっている。
  残念なのは#8のアシッド・ジャズと言うかミクスチャー・レゲエとも言うべきつまらないアンキャッチーなナンバーと同じく#9『Run−In』のレゲエタッチの曲だ。後者はまだしも明るさがあるが、へんてこな処理をしたヴォーカルはただでさえ下手糞なIzzyのヴォーカルに拍車をかけている。Izzyのレゲエ好きは有名で、かなりレゲエ的な要素を取り入れた曲を披露してきているが、この2曲は明らかに失敗。ロックの醍醐味も感じられず、ヴォーカルの妙でカヴァーという類の芸当もIzzyのお粗末な歌では不可能であるから。この2曲は減点の対象の筆頭である。
  対して#10『Feelin’ Alright』はカントリーソングとでもいうべきアクースティックでレイドバック感覚の満ちた落ち着いた曲である。この曲ではIzzyの音楽的ルーツと言うか、方向性が見えるような気がしてならない。
  このような曲をサラリと披露出来るほどにIzzy Stradlinというギタリストが成熟してきたと考えると、今後が楽しみになる。HR支持派やGuns ’N Roses復帰を望む方々にはきっと正反対の意見がありそうだが。
  2001年にAxl RoseがG N’Rを再結成させるそうだが、オリジナルメンバーはAxlくらいしかおらず、ギターが3人と聴いてやや引いてしまい、キーボードが2名と知り、やや興味が湧いたりしているが、やはりIzzy Stradlinのいない「銃と薔薇」ははっきり言って興味はあまりない。というかどうでも良かったりする。
  Izzyには是非、ソロで活動を続け、HRどっぷりでない、ルーツテイストのあるアメリカンロックを提供してもらいたいというのが本音である。
  予断だが、キーボーディスとが中々新陳代謝してくれない。Ian McLaganも素晴らしいオヤヂであるのだが、ぼちぼち Benmont TenchやIanではない若い引っ張りだこの鍵盤引きが登場して欲しいと切に感じてしまう。
  このアルバムで素晴らしいピアノやオルガンを聴きながらだ。
  さて、どうなることやら、IzzyのこれからもAxlも。そしてロック・キーボディストのこれからも。
  興味は尽きない。  (2001.6.27.)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送