In The Middle Of Nowhere / Enzendoh (2001)

     Roots          ★★★☆

     Pop          ★★★★★

     Rock        ★★★★☆

     Alt.Country ★★★★☆

                       You Can Listen From Here


  ロックンロール!!タフでワイルドである。
  キャッチーでポップ。もうこのメロディは珠玉である。
  タフでアーシーで、ルーツィ。これこそアーシーなポップ・ロックアルバムである。

  何も質問せずに、兎に角買うとけ。(笑)損は絶対にしない。

  久々の驚きは北欧−スカンジナヴィア諸国、非英語圏から届けられたアルバムであった。
  もうここまで筆者のストライクゾーンと言うよりも弱点を、否、経絡秘孔を突かれて、「お前は既に死んでいる。」状態である。
  「あべし」で「たわば」で「ひでぶ」である。(ネタが古いわい!!)
  と、どっかの世紀末拳法漫画のカルトネタはどっかに蹴っ飛ばしておこう。
  冗談はさて置き、真面目な話、まさに”Killing Me Hardly,Immdiately,Completely」である。今年2001年もかなり素晴らしいルーツロックアルバムに出会うことが出来たが、このアルバムは久々にオープニングから
  「来た、来た、来た、来た〜〜〜〜!!!!」
  と著者も咆哮したアルバムだ。年間軽く200枚を超えるアルバムを聴いて、友人に「おまいはプロのレヴューアーかい?アホ。」と後ろ指を挿されることに快感さえ覚えるくらい枚数をこなしていると、手前味噌ながらそれなりに耳は肥えてくるものである。
  そして、やはりいきなり”だあらっしゃ〜〜!!”のガッツポーズや、ボディビルのような”ムキムキ”ポーズが(悪癖である)出てくるアルバムは年間で10枚あれば良い方である。つまり、筆者の嗜好をグサリと刺し貫く程の相性度なのである。
  余人はどう思うか分からないけれども、ルーツロック、カントリーロック、というよりも非オルタナ系の正統派(の筈)音楽が好きな人なら間違いなく愛すべきアルバムだ。
  お断りしておくと、試聴リンクで聴けるのは彼らの1stセルフリリース・アルバムのマテリアルである。これまたかなり格好の良いルーツロックであるが、この2ndアルバム「In The Middle Of Nowhere」はその好盤の出来を遥かに凌駕している。

  まず、#1『The War』で、もう文字通りぶっ飛んだ。このバンドEnzendohは自分達をPower Contryと自称するそうであるけれども、まさに言いえて妙な呼称であると思う。筆者的俗な解釈ではPower PopとCountryの両方を兼ね備えた音楽とすることが可能だろう。
  但し、商業Countryの尻の軽さは毛ほども存在しない。今年で最も筆者が絶賛のバンドThe Durty Truckersのロックンロールに重きを置いた方向性に近い。この素晴らしいBostonのバンドよりは、確かにカントリー色と言うか、レイドバック感覚は強い。よりアーシーで土の匂いに満ちた音創りをするバンドである。The Durty Truckersが暴れん坊過ぎてMount Pilotの方が肌に合うと言うリスナー向きかもしれない。
  取りも敢えず、この#1はその攻撃的前のめりなロックンロールといい、その目を見張るようなポップ性といい、この2つのバンドに非常に近しいものがある。どこまでも泥臭いギターに、ナチュラルな、決してキンキンとがなる五月蝿いだけのオルタナギターや打ち込みの安っぽい音は存在しない、アンサンブル。兎に角、この曲でやられてしまうことは請け合いである。
  そして、往々にして1曲目が良いアルバムを出す新人バンドにはありがちである、”ファーストトラックに全力を注ぎ過ぎて2曲目から力負け、落差が激しいで、ホンマ。”というパターンに嵌らないかと言う心配は、このバンドには無用であった。
  #2『Blue Nights』は#1からそのハスキーでパンチの効いた歌唱を聴かせてくれたヴォーカルのOve Wulffのヨーデルのようなシャウトで始まる、これまたルーツィでカントリー・パンク的な躍動感がダサダサにかっ跳んで行くキャッチーでネイキッドなナンバーである。この曲はSteve EarleやSon Voltのロックチューンを実に近くに感じさせるナンバーとなっている。2曲続く、カントリーフレイヴァーを持ちながら、過不足無くロックンロールを披露する攻撃にはもう降参としか言いようがない。
  #3『Out In The Light』は、欧州伝統のルーツとも言うべきどことなく悲しげなメロディラインをミディアムの上くらいのアップビートに載せた泥臭くも儚げな雰囲気を感じ取れるナンバーとなっている。ゲスト参加のMona Jonassonという女性バックヴォーカルの高音域を生かしたサポートも、曲に柔らかいと言うよりも悲しげな印象を付加するのに一役買っているようである。ロックンロールとは言い難いナンバーではあるが、そのラウドなギターが常に主張する粗いサウンドが、この曲を欧州ブルースとも言うべき哀愁歌として、力強さの根源を与えているようだ。
  マンドリンやバンジョーがリフからアクースティックに活躍する#4『Me And Jerry Lee』は、トラッドカラーの強いナンバーである。1996年に元HRバンド、EuropeのヴォーカリストJoey Tempestがアクースティックなポップロックアルバムをリリースした時も、1999年にオルタナ色は未だあるもののアーシーな乾いたアルバムをLoosegoatsがリリースした時も北欧ツールロックへの驚きはあったが、アイリッシュトラッドでもなく、ヨーロピアントラッドでもない、アメリカントラッドのエピゴーネンと批判は受けても”良いものは本場モノでなくてもエエやん!”と断言できる素晴らしいレイドバックソングがここにある。
  それだけで十分である。
  ポップとルーツロックのツボを際限なく突いてくれるようなアップテンポな名曲、#5『The Luckiest Guy』は、ハーモニカの懐かしさを感じさせる弾むリフから、一気にスピーディーに展開していくロックチューンである。ここでもマンドリンやバンジョーの魅力が遺憾なく発揮されている。このようなアメリカンルーツ・ポップチューンの典型のような素直な歌を耳にすると、やはり彼らがスウェーデンのバンドとは到底信じられなくなってしまう。
  コーラスの重ね方も実にオーソドックスであるが、ポップスの王道を歩むように心地良く安心して聴けるアレンジとなっている。また、ドライヴィなギターサウンドにマンドリンがハーモナイズする箇所はCounting Crowsの名曲『Rain King』を重ねずにはいられない。
  泥臭くパワフルなルーツチューンの攻勢は#6『A New Day Coming Up』に#5の余勢を駆って雪崩込んで行くようだ。前曲よりも一層ハードでゴキゲンなアップビートに支えられ、さり気なく挿入されたピアノがとても地味ではあるがインパクトのある叩かれ方で、もっともっととロックンロールを盛り上げる。このキャッチーでタテノリなロックスピリットはやはりGeorgia Satellitesが嘗て与えてくれた、ロックと南部ルーツテイストの融合におけるルーツロックのコマーシャルサイドとの昇華が最高の音楽になる可能性を再確認させてくれるようだ。
  この#6はかなりハードでドロドロとしたタフなロックナンバーであるが、大のお気に入りである。ここでIan McLaganやRoy Bittanにひとつ本気でピアノを叩かせたらどのような名曲になるだろうと想像するとワクワクしてくるのだ。
  #3でバックコーラスの好サポートをしていた女性ヴォーカリスト、Mona Jonassonと今度はデュエットをOveが感情を込めて歌い上げるのが、#7『I Won’t Tell』である。2曲続いたロックチューンの後で、特別ルーツィと言う訳でもない、アクースティックなしっとりとしたバラードは、動と静のメリハリの付け方も絶妙で、思わず耳を傾けて、ほっと一息つけるような安息所的な曲だろう。このような優しいポップセンスは、北欧のポップミュージックにABBAの時代から存在する普遍的な感性ではなかろうかと、21世紀までしっかりと継承されていることが嬉しくもある。地味に鳴っているペダルスティールの効果も宜しい。
  #8『If The Rain Gets Cold』はややスローなテンポが中心となりつつも、コーラスパートで、グイグイと聴き手を引き寄せる変調とエモーショナルさを併せ持ったロッカバラードだ。メンバーの感動的なコーラスとマンドリンのバッキングがやや重いギターと掛け合って、壮大な曲調を更に盛り上げてくれる。こうなるとルーツナンバーと言うよりも、産業ロックのテイストも入ったサザンロックのバラードとも言えようか。
  陽性のカントリーロックナンバーといった#9『Losing You』でフィドルやバンジョー、マンドリン、スティールギターと言ったアクースティックインストゥルメントを軽目にジャムったナンバーを、ひたすらフェスティバル調のネアカさで演じて、Power CountryバンドとしてのCountryサイドを見せ付けてくれた後は、またもポップなナンバーの、これもシングルにカットできそうな#10『Just Another Guy』が来る。それ程ドライアップしていない、湿り気のあるポップロックチューンであり、これはPopバンドとしてのEnzendohというユニットが目指している態度の一面を代表しているかの如き1曲である。やや、ハイトーン領域を使用して甘めに歌うOveの声はタフと言うよりやはりジェントリーで優しげである。
  Blues Rockへの憧憬というか彼らの追求が如実に顕現しているのが、#11『The Rocking Truth』である。ここまでのツールテイストはどちらかと言うと、サザンロックで言えば泥臭くはあるがポップロックな豪快さと、カントリー音楽のアーシーさと明るさを主軸に置いたものであったが、この曲のライトなブルースタッチのロックリズムは、大陸的な哀愁よりも、より深いアメリカンなブルージーなテイストが込められている。
  しかしながら、美しいメロディがそのBlues Rockの中でもポップスとして映えてしまうのは、クドくないのでとても好ましくはあるのだが、これは彼らのというよりソングライターのOve Wulffの才能だろう、きっと。
  続く#12『In The Year Of...』も8ビートのミディアムなテンポを基調にしてして、浮遊感のある鍵盤類が珍しく全面に打ち込みビートも含めて出されているけれども、これまたポップ・ブルースというかブルーアイド・ソウルのポップナンバーと言う感が強い美しいナンバーとして仕上がっている。ここでのキーボード群の使用方法はTrampolinesやBeagleでお馴染みのフワリとした、オールド・ブリティッシュポップを念頭に置いた音出しである。いやはや、ルーツを基本にしつつもとても多彩な側面を見せてくれるバンドであることだ。
  一転して#13『If This Ain’t True Love』ではUncle TupeloやJason And The Schorchersが肩の力を抜いてのように、どのアルバムにも入れてきそうなカントリー・パンクナンバーとなっている。生のギターに、マシンガンのようなリズムとカッティング。Cow Punkという表現が最も似合うナンバーが来るとは。ここまで色々やって見せられると、通常は散漫な印象に終始するアルバムになるのだが、やはり一貫してカントリーロックとルーツロックの両者をポップで表現しようとする態度は変わらないため、才能の豊かさを証明するようなルーツ音楽の万華鏡のようなアルバムとして完成しているのだ。
  #13に続いて、ラフな、ルーズさにかけてはアルバム中で#13と匹敵する、リラックスしたナンバーが#14『Driving By』である。この崩れ方や脱力感はスワンプロックの要素を含んだルーツアクースティックの肩肘張らない自然な魅力をさりげなくも楽しく聴かせてくれる。
  この崩し方は、相当年季を積んだヴェテランのロッカーが良く披露するようなシブさと落ち着きが感じられ、もはや1998年にレコードデヴューした新人バンドというより、練達のミュージシャンとしての余裕さえ感じさせるのは驚嘆に値する。
  #15『Trouble』もルーズ3連発目の後半3曲目に当たる、フックの効いたアップテンポなルーツロックチューンで、ラフにジャンプするメロディがとてもパンチ力がある。やはりこういったアップテンポの曲に見られるキャッチーさは瞠目に値する光るものがある。このアーシーでドライヴフィーリング満載なギターワークといい、疾走感のあるメロディに乗って跳ねるコーラスといい、ポップロックの必要不可欠な要素をどの曲にも惜しげなく投入しているところがとても好感度アップに繋がっている。変に肩肘を張って、芸術性や難解性に批評家筋の受けを狙っていない素直さが最高に彼らの財産となる点ではないだろうか。
  16曲という、長時間収録が当たり前となった現在でも、やはり多作に属するこのアルバムの最後を飾るのは、ごく普通のミディアムなルーツロックチューンの『The Fool And The Dirt』である。ややゆとりのあるメロディといい、小気味の良いギターサウンドといい、これまで聴かせてくれたEnzendohというバンドの魅力を、サラリと流したような、押し付けがましくない、安心してアルバムの余韻に浸りつつ聴けるナンバーとなっている。
  このあたりの配曲も、老成というか巧みな手腕を感じてしまい、ますますダダモノではないように思えてくるのだ。

  さて、この筆者絶賛の、Enzendohというユニークと言うか呼び難そうな名前のバンドであるが、幾度か文中で触れてきたようにアメリカのバンドでもなければ、英語圏のバンドでもない。
  北欧はスウェーデンのバンドなのである。
  レコードデヴューは1999年にセルフ・プロデュース、セルフ・リリースの「The Sun Never Shine On Frank’s Back Door」をプレスし、今作「In The Middle Of Nowhere」は2作目に当たる。
  1stアルバムが自主制作であったが、スウェーデンのルーツシーンで高い評価を得て、他の欧州諸国でも歓迎された実績を踏まえ、本作はとてもこれからが楽しみな良質なルーツロックレーベルのDurty Recordsとの契約の元に発売されている。バンドは4ピースの、

  Ove Wulff (Lead Vocal,Guitars,Mandolin,Banjo,Harmonica) , Pär Norén (Drums)
  Micke Jönsson (Bass,2nd L.Vocal,B.Vocals) , Ronny Wiklund (Guitars,B.Vocals)

  という編成である。
  Enzendohの名前で活動を開始したのはレコードリリースの年の1999年のことだそうだ。ここまでに至る歴史は公式HPに概略が述べられているので、かいつまんで訳してみよう。
  現在のバンドのメンバーのうちRonnyを除いたOve、PärそしてMickeの3人が音楽活動を共に開始したのは15年前の1986年のこと。
  当初はロック、ブルース、ハードロック、カントリーロックと様々なジャンルのカヴァーバンドからキャリアをスタートさせた3人は、直にOveの書いたオリジナルをプレイするようになる。尤も、OveとPärは1979年からバンド活動を共にしていたようである。
  その後、3人は別々のバンド活動へと移行していく。1980年代にストックホルムへと移住してきたRonnyも含めて、彼らはブギー・ロックバンド、ハードロックバンド、ダンス系のR&Bバンドのメンバーとして国内で活動を続け、3人の再会を含めて再び集ったのが1998年のことだそうだ。(それまでの在籍したバンドは流石に知らないバンドばかりな故に表記は割愛させて頂く。)
  結成当初はSiderjaというこれまたやや馴染みの薄そうな言語体型のバンド名だったそうだが、1999年に現在の名称に変更し、1stアルバムをリリースしている。このアルバムはどのくらいプレスされたか明記が無いため、はっきりしたことは述べられないが、発売数ヶ月で自主制作盤にも拘わらず、売り切れという好セールを記録して、現在のレーベルとの契約の契機となったそうだ。

  しかし、1990年代後半にかけて、北欧ポップバンドが日本でもかなり持て囃された。というかアメリカでは見向きもされないTrampolinesやMerrymakers、Beagle、This Perfect Dayという、ロック発祥の地である所謂”ロック先進国”が芸術性や、極端な自己満足という名を借りた難解性の追求やポップの軽蔑にひた走っていった中、これらの純粋で伝統的なポップミュージックは一種の清涼剤となってくれた。
  とはいえ、やはりポップであるための重心の軽さ、底の無さが、ルーツ音楽好きの筆者には飽きが早い音楽でもあったのだ。(とはいえゴミクズなオルタナサウンドの数億パーセク倍素晴らしが)
  が、1990年代後半に入り、このEnzendohを始め、Ben、Elmer、The $1000 Playboys、Alimonyといったルーツミュージックを北欧特有のピュアなポップラインをベースに披露するバンドが出現してきた。
  これはとても喜ばしいことだ。特に、このEnzendohはポップセンスも素晴らしいし、歌詞の内容も多彩、何よりとてもルーツテイスト満載なのが素晴らしい。
  このアルバム「In The Middle Of Nowhere」は間違いなく筆者の年間ベスト10に食い込むアルバムになることは間違いないだろう。
  ルーツロックだけでなく、北欧ポップスが大好きでカントリー系も聴けるリスナーならもうマストなアルバムだ。
  のみならず、全てのロックファンに聴いてもらいたいのだが、何故か北欧モノのリリースに寛大な本邦のメディアもルーツ系と名がつくと何故か冷淡に変質するのだ。前述の日本歓迎されたポップバンド群に何ら遜色なく、ロックとしては遥かにレヴェルが上なのに、忸怩たる思いを禁じえない。
  願わくば、このレヴューで1人でも多くの方がこのアルバムを手に取る機会を持って欲しい。 (2001.11.2.)


   Summer Shine / Vigilantes Of Love (2001)

     Roots       ★☆

     Pop       ★★★★☆

     Rock    ★★★☆

     Acustic ★★★
                     You Can Listen From Here


  直訳すると「愛の自警団員」とか「愛の守護者」という意味になる・・・・・・・・まあ翻訳してもあまり変わらないかもしれないけど、兎に角、1991年にレコード・デヴューしてから10年間でオリジナルアルバムを10枚、ベストアルバム(新曲が結構入っているから新譜と見ても良いかな。)1枚、ライヴアルバム1枚、そしてインターネット流通専門の限定ミニアルバムを1枚と 、合計で何と13枚のアルバムをリリースしている。
  年間につき、1枚以上の激烈なハイペースである。まるで1960年代や70年代のシーンを見ているような感覚に陥ってしまう。
  中々愛の多いバンドであることだ。(笑)
  基本的に筆者は寡作を是としない。無論、多ければ良いというのものではないけれども、特に1980年代以降の「大物は数年の間隔を開けてレコードを創るのが当たり前。」という風潮は実に唾棄すべきものだと信じている。
  特に、それは所謂”勘違い大物”バンドに向けられた不満であることを述べておこう。
  つまり、大した実績も無いのに少々売れただけで、大物や実力派と勘違いして、徒にリリースの間隔を空けるバンドや自称アーティストのことである。
  それでもって、まだ待った甲斐のあるアルバムが聴ければ良いのだが、長々と待たされて期待を大きく外すアルバムでもリリースされた日には堪ったものではない。期待の大きさの反動で傑作の後の凡作は得てして評価が厳しくなるというか酷評になることが多いが、ここに待たされた間のストレスが付加されると、更に腹立たしいことが倍増する危険性がある。
  結論としてはそれなりのアルバムを供給してくれるなら、多作は才能の証拠と言うことだ。
  まあ、寡作がカリスマ性を上げると勘違いしている凡人ミュージシャンは、リリースをしないうちに世間から忘れられてしまえばよいだけの話であるから、放って置けば良いのだろう。例えば10年近く待たせて最悪の駄作をリリースしたDon Henryとか。
  寡作でも、勿論届けてくれるアルバムが素晴らしいものなら問題はない。「Walk On」でコケたBostonも3枚目までは平均7年の間隔を空けながらも最高のクオリティを提供してくれているし。

  言うまでもないことではあるが、このVigilantes Of Loveは多作が多才に評価されるべきバンドである。年間1枚以上のリリースペースを保ちながら、しっかりとライヴもこなしているし、このエネルギーには脱帽だ。
  まずは彼らの2001年に本作をリリースするまでの航跡を記してみよう。オリジナル以外の音源には注釈を付けておくことにする。

  Jugular (1991)
  Driving The Nail (1992)
  Killing Floor (1993)
  Welcome To Struggleville (1994)
  Glister Soul (1995)
  V.O.L. (1996)・・・・新曲入りベスト盤。これ以前の5枚からの選曲。
  Slow Dark Train (1997)
  To The Roof Of The Sky (1988)
  Live At The 40 Watt (1998)・・・・ライヴ盤、文字通り。
  Cross The Big Pond (1999)・・・・英国録音・限定の7曲入りアルバム。EP扱いされることもあるが
                          筆者的基準でフルアルバム扱い。
  Audible Sigh (1999)
  Electromeo (2000)・・・・インターネット限定1000枚発売4曲入りアルバム。
  Summershine (2001)

  となっている。少々世間の注目を集めたのが、1993年の「Killing Floor」であろう。レコーディングは1992年で、その後直ぐにインディで発売されていたので実質のデヴューアルバムと扱っている人もいる。というのも「Jugular」がレーベルと契約して発売されたのが1993年であるためだ。
  よってリリース順が初期の3枚はこんがらがって解釈されることもあるのだが、一応兎に角リリースされた順では上記のようになる。
  話が逸れてしまったが、「Killing Floor」である。このアルバムのプロデューサーが、10枚以上のアルバムをインディでリリースしているアクースティック系ミュージシャンのMark Heardと、R.E.M.のリードギタリストであるPeter Buckであることだ。熱心なR.E.M.ファンならPeter関連でこのVigilantes Of Loveの名前を耳に挟んだか、購入した方もいるかもしれない。
  このアルバムの中で、筆者が未聴なのは、ライヴアルバムがあまり好きでないため、購入を控えている「Live At The 40 Watt」と限定EPの「Electromeo」の2枚である。その他は全て所有しているという、日本では稀な部類に入るリスナーではないかと想像している。
  この中で、筆者的に受け入れ難いアルバムは1997年の「Slow Dark Train」が筆頭に挙がる。読んで名の如く、スローでダークなナンバーが盛り沢山のこのアルバムはアルバムをリリースするたびにポップに、キャッチーにと変質していったVigilantes Of Love(以下VOL)の行き足を止めるような作品であった。
  正直次のアルバムを購入することを躊躇わせるほどの悪作であると今でも思う。このアルバムはアメリカに置いてきてしまったので、改めて聴くことは不可能であるけれども、聴きたくないアルバムであるからして、後悔は無い。
  特に悪いと言うことは無いが、筆者の相性にあまり合わないのが1996年の新曲入りベスト盤「V.O.L.」以前のアルバムである。
  初期のVOLの作風は、一言で言うとサイケディリック風のフォークロック、英国のフォークポップ的な風味が強いと思う。特にアクースティックギター、マンドリン、アコーディオンといったルーツナチュラル系のインストゥルメンタルを活用して、ドラムやベースのリズムセクションを極力抑制した音創りをしていた。
  メロディ的には特に目を見張るようなポップさを持った曲は1アルバムに数曲あれば良いほうで、この点はR.E.M.の初期作品群のポップ度に近いものがあるかもしれない。
  が、「Killing Floor」以降はガレージロックやパンクロックのノイジーなサウンドとロックテイストをも次第に取り入れるようになってきたが、その分サイケディリックな濃度は増し、より大英帝国連邦的なヒネリの効いたビターなポップセンスが目立つようになってきた。
  こう書くと、筆者の嗜好のレンジから外れるように聞こえるかも知れないが、確かに「V.O.L.」以前のアルバムは通しで聴くと、あまりにもフォーキーな大人しさに付けてストレートでない捻れたポップセンスが大勢を占めている場合が多く、手放しで絶賛とは言い難い。
  が、「V.O.L.」に収録されていた新曲や、ベスト盤のラインナップに選ばれた曲はかなり良いものが多く、この初期中期を網羅したベスト盤で再び注目に値するバンドへと、作者個人の内部でステップアップする。
  そして1998年の「To The Roof Of The Sky」から全体的にロック色がかなり強まってきた。内容的には相変わらず物凄いキャッチーなトラックは数曲で(そのために購入していたようなものであるが。)後は筆者的な”ジンブロ未満”なポップさのやや陰りのある曲が多かったが。しかしながら、このアルバムは今後を十分に期待する出来であったのは確かであり、その予感は見事に的中する。
  1999年にVOLは2枚のアルバムをリリースするが、そのうちの英国のロックフェスティバルに招聘されて、当地、殊にアイルランドの自然を大のお気に入りになったメンバーのフィーリングに触発されるように僅か9日で録音を完了した「Cross The Big Pound」はこれまでにないくらいポップで明るく、しかも英国的捻ったセンスでなく、英国トラッドの香りを感じれる好盤に仕上がっていた。
  更に、Buddy Millerの共同プロデュースでAtlanticからリリースされた同年プレス「Audible Sigh」はもう一段階ポップとロックの度合いがステップアップしたキャリア最高のキャッチーさと即効性を持つに至った。
  このアルバムのみ名義がBill Mallonee And Vigilantes Of Loveと正式に変更されている。これについてはBillが「僕の声がVOLそのものと気が付いたから自分の名前をグループの中に埋没させるのを止めたのさ。」
  と述べていたが、またも彼の名前はVigilantes Of Loveの中に戻っている。
  この相当ポップになってきた2枚を経て、(2000年のネットオンリーのEPは勘定に入れず)初めて1年の間隔を空けてリリースされたアルバムが本作「Summershine」である。

  さて、ここまでアルバムのリリースを追うようにして簡単に各アルバムと作風について述べてきたが、こVigilantes Of Loveというバンドは要するにソングライターでヴォーカリストでギタリストのBill Malloneeのユニットの性格が強いというよりもワンマンバンド的なプロジェクトだ。
  ユニット的には3ピース+ゲストミュージシャンと言う編成でレコーディングされることが多いが、アルバムによっては4人のカルテット編成を取ることもあり、半々くらいの割合で3人から4人のメンバーを行ったり来たりである。
  これまでにBill以外のメンバーで3枚以上続けてアルバムに在籍したミュージシャンは皆無である。殆ど各アルバム毎にメンバー交代が行われている。故にBill個人のバンドプロジェクトという色合いが濃いのも頷けよう。
  活動拠点はアメリカ南部、ジョージア州はアセンズ、Buffalo NickelやSister Hazelと同じホームグランドである。
  が、初期から中期、現在でもそのブリット・ポップ的な一段クールなポップセンスとアクースティックな音色に含まれる陰りの故か、欧州で非常に人気を博しているバンドであり、しばしば欧州ツアーを敢行している。
  ソングライターのBill Malloneeはアメリカ南部の出身ながら、泥臭い音楽を紡ぐ人ではない。70年代にギターを弾き始めた当初、プレイヤーから流しまくっていたのがXTC、Elvis Costello、Clash、Squeezeといったブリット的な音楽を好む、またはUKアーティストそのものな音源ばかりである。
  「The Byrdsのような西海岸のロックは3分間のブリティッシュ・ポップに比較したらそれ程印象的でなかったしね。当時のブリティッシュイノヴェーションは僕に物凄い影響を与えたんだ。」
  と更に少年の時代をBillは回顧している。
  が、同時にNeil YoungやBob Dylanにも影響を受けたと言う彼の嗜好は、VOLのアクースティック・サイドに滲み出ている。
  よって筆者はこれまでの彼らの作品を”英国フォークロック的”と呼ぶことが多い。
  「基本的な根元はね、Son VoltやWilcoといったAlternative Contryのアーティストと変わらないと思う。でも、彼らほどAmericanaやAlt.Countryにどっぷりとはまり込むつもりは無い。少しずつAlt.Countryをサウンドから減らしているのさ。」
  「僕たちが演ってるのは”オールド・スクール・カントリー”ではないんだ。僕たちは街でロックを聴いて育った。農場で働きながら少年時代を送った経験なんて無いんだよ。」
  とBillは自らの音楽性をルーツとオルタナティヴとカントリーの中間にあるような音楽と捉えている。ともすれば中途半端で地味で無個性に陥るような”どっちつかず”のサウンドになる危険性が高く、実際印象が薄いアルバムも多いのは否めない。
  が、近年のVOLのアルバムは非常にポップでアクースティックが芳醇ながらロックも堪能できるという、良いアーティストへの階段を登っていると思う。
  「なるべくだけど、アクースティック楽器の使用を控えるように努力している。けれどもそれはノイジーにガレージロックをやろうという訳ではいない。」
  このBillのコメントに現在の彼らの魅力が代表されているように思えるのだ。

  さて、この12枚目のアルバム(Electromeoは除く)「Summershine」は花をあしらったジャケットといい、タイトルの「夏の日差し」から受けるイメージ通りの、華やかで明るいポップアルバムとして仕上がっている。
  キャッチーさにかけては前作「Audible Sigh」を遥かに凌駕するコマーシャルさだ。
  Bill本人も認めているように90年代後半から続けている英国ツアーで耳にした英国ポップの影響が強い、しかしながらヒネクレたマイナーUKセンスよりも、ブリットポップの反対の側面であるわざとらしいほどのポップさの方が強烈な自己主張をしている。とはいえ、どこかしらUKのクセのあるポップさもブレンドされていて、そこはかとないダークな色合いも伺えて、その故か底の深いアルバムとなっているのは、相反するポップミュージックの要素が程よく同居したという英国ポップアルバムの名盤に見られるような事象が起こっているからだろう。
  まあ、歴史的な名盤とまではまだまだ言えないけれども、かなりの良作であるのは間違いない。
  メンバーとしては4ピースになった「Audible Sigh」でギターやマンドリンやペダルスティールといったルーツ楽器をこなしていたKenny Hustonが抜けた他は前作と同じ3人のグループとなっているが、Buddy Millerをプロデューサーとして迎えていた前作とKenが脱退したことでルーツカラーは更に脱色されている。

  Bill Mallonee (L.Vocal,Guitars) 、 Jake Bradley (Bass) 、 Kevin Heuer (Drums)

  にプロデューサーのTom Lewis(自身も3枚のインディアルバムをリリースしているマルチミュージシャンであるカナダ人のマルチプレイヤーである。)他、ピアノやオルガンを一手に演奏するRandall Brenblletと数名のミュージシャンがサポートの形を取っている。

  脱ルーツは#1『I Know That』から顕著である。アクースティックな演奏を基本に据えながら、煌びやかなとことんキャッチーでアップテンポなポップロックソングではVOLのこれまでのアルバムの中でも最高に華やいだ明るいポップチューンである。これはアップテンポな同様にキャッチーでエッジの効いた#8『Puttin’Out Fires』と並んでこれまでにないストレートなアップビートな歌として圧倒される。
  この2曲は私的にベストの部類に入るロックポップなソングである。
  また、アップテンポな曲では、#1や#8までとは行かないがエレキギターのリフが爽やかにドライヴする#2『She Is Fading』やBeatle Pop系のリズムポップ#6『Stand Beside Me』もいかにもVOLらしい、薄味系のポップさが光るナンバーである。#6でのシンセサイザーの使い方は今までに無いくらい現代的なモダンロックの味を醸し出している。#12『Making It Up As We Go Along』の英国ポップの影響が顕著なここ数作には必ずトラッキングされている、ややダークな雰囲気が存在するロックナンバーも悪くない。#4『I Could Be Wrong』も暗めのオルタナティヴ的なメロディを行間に感じるが、ポップさが全体的に底上げされていることと、オルガンやコーラスが綺麗にフューチャーされていること等で、初期作品ほどのヒネクレ具合が鼻につかなく、良いアルバムチューンとなっている。
  ポップさで言えば、#9『Happy Being Lonely,Lonely Lonely Happy』のアクースティックなギターを中心に爽やかな8ビートリズムが刻まれるミディアムチューンの心地良さは、やはりアメリカのバンドの分かり易さが再認識される。
  また、静かなアクースティックバラードやスローチューンはVOLの十八番であり、#3『Galaxy』でじっくりと心に染みるBillの寂しげなしんみりとしたヴォーカルは夜の静かなピアノバーで演奏の合間にかけられているFMソングのような、夜の陰影という感の強い落ち着きを感じる。#11『Green Summer Lawn』も滑らかなアクースティックなギターリフから始まり、Billの伸びやかなヴォーカルが優しく牽引していくスローナンバーであるが、ストリングスやタムの連打が所々取り入れられるようなユニークなアレンジが施され、ピアノも絡んでくると言う面白い展開を見せる。
  また#7『S.O.S.』や#13『Sailors』ではスローながら鍵盤をさり気なく盛り込み単なるアクースティックナンバーと言うよりも、より湿潤なアダルト・ロックへの変質も垣間見えるようだ。
  #10『It’s Not Bothering Me』の英国ロック的なモノトニアスさも適度に重いギターとさりげないポップセンスが、これまでよりも聴き易いナンバーとして耳に入ってくるにあたり、相当捨て曲が減ったことを改めて感じたりもした。

  以上、間違いなくキャリア最高のポップロックアルバムとなった12作目の紹介をしてみた。元来R.E.M.的なオルタナ・カントリーらしさが薄いルーツバンドであった。CMJのチャートなどでよく見かけるB級のやや斜に構えたメロディが多く、良い曲もあるが捨て曲も多いと言う初期作品から、ここ2〜3作のポップサイドへの傾倒は嬉しい限りである。
  長年、そこそこの評価で何故かずっと見捨てずに聴いてきたバンドであるが、こう花開くとはやや意外でもある。
  英国のポップセンスを取り入れて、上手にアメリカンルーツとの折り合いをつけているのが、成功している秘訣のように思える。
  是非、これからも精力的なリリースペースを崩さずに良作を聴かせて貰いたいバンドである。  (2001.11.4.)


   Thus Always To Tyrants
   / Scott Miller & The Commonwealth(2001)

    Roots                ★★★★☆

    Pop                ★★★

    Rock              ★★★★☆

    Country&Alternative ★★★★

                       You Can Listen From Here
  
  Scottはこのアルバムの創作時における意図を以下の様に語っている。
  「僕はこのアルバムの歌を、V-Roysの2枚目のアルバムに収録した『Virginia Way』のテーマに沿ったコンセプトアルバムとして纏めることを考えていた。始めの歌から最後の歌までね。」
  「時折”Quadrophenia”のコンセプトも取り入れようとした。実際幾らかは引用しているよ。」
  この2つのテーマはかなり重いし痛いものである。前者はアメリカ南北戦争に駆り出された兵士の心情を歌い上げたブルーグラスなレイドバックソング。
  後者「Quadrophenia」はThe Whoの2枚組コンセプトアルバム(邦題:『四重人格』)であり、モッズという多重人格の少年の悲劇的なリアルな生活を綴ったアルバムである。
  ベーシックなアイディアがこういった概念では歌詞が明るいものに為るはずも無く、重厚な演奏と相まって、聴き取りが可能(歌詞付きなので是非精神がタフな方は目を通して欲しい。)ならば、かなりアメリカの歴史に沿って歌われた曲が多いこと、更に内省的な詩が殆どであることが分かるだろう。
  全くの偶然であるが2001年のアメリカの悲劇を重ねると、このアルバムはかなりの重みと言うより国家としてのあり方を問い掛けるような内容を有しているような感じがするのだ。
  ジャケットからして、ヴァージニア州の州旗を完全に引用したものであるし、アルバムタイトル「Thus Always To Tyrants」は歴史に造詣の深い方なら直ぐにピンと来るだろう台詞の使い回しである。
  独立13州の一つであるヴァージニア州の州旗に刻まれたモットーであるとともに、第16代米国大統領、エイブラハム・リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースが、大統領の頭部を拳銃で打ち抜いた後に、フォード劇場の舞台へと飛び降り、聴衆に叫んだ「Sic Semper Tyranis」というラテン語の科白を英訳したものでもあるのだから。
  まあ、意訳すると「悪辣な政治家の末路はすべからく打倒されるべし。」と些か古典的に表現できるのではなかろうか。
  このようなScott Millerの歴史への造詣と精神活動への興味を歌詞にしたことを踏まえると、このアルバムは一層深く聴き込めるのではないかと思う。
  またCommonwealthという単語は基本的に連邦や国家を表す語彙である。Theという定冠詞を付けると”大英帝国連邦”という意味で使用されることが多い。少々形骸化してしまった連邦ではある。まあ古典的な表現と呼ばわっても構わないだろう、筆者にはイギリス等という存在しない国名を使うより余程好きであるけれども。
  更に英国語源な単語であるが故か、アメリカ初期独立13州のうちヴァージニア、ペンシルヴァニア、マサチューセッツの3州とケンタッキー州が州の正式名称としてCommonwealth Of 何州というように活用している。この辺は完全な余談であるけれども。
  これもMillerの歴史に対する興味の表れか、それとも何らかの揶揄なのか。推し量ってみるのも興味深いかもしれない。

  さて、このアルバムのレヴューを書く前に、リハビリテーションではないけれども、今回の主役Scott Millerがソングライターとしての相棒Mic Harrisonらと結成していたロックグループであるV-Roysの一連のアルバムを聴き直してみた。
  元々Steve Earleにその才能を評価され、彼の所有レーベルであるE-Squared MusicからSteve Earle And The
V-Roys名義で「Johnny Too Bad」というEPをリリース、フルアルバムとしては1996年に「Just Add Ice」、1998年に「All About Town」を同レーベルからプレス。
  そして2000年にグループ解散の手向けのような意味合いでライヴアルバム「Are You Through Yet?」と合計3枚のアルバムと1枚の4曲入りシングルを残して解散している。
  Scottの相方であったもう一人のフロントマン、Mic HarrisonはThe FaultsというグループにこれまたV-Roysのベーシスト兼ピアニストであったPaxton Sellerを引き連れて移住。2001年にセルフタイトルのアルバムをリリースしている。ちなみにこのアルバムはルーツロックと言うよりもオルタナティヴの色合いが匂うハード・ポップ的な音出しが特徴でルーツファンの間ではいまいち話題が盛り上がっていない。悪くはないアルバムであるけれども。
  そしてScott Millerは2000年の晩秋にソロ活動のスタートとして「Are You With Me?」というアクースティック・ライヴアルバムをリリースしている。
  グループ解散後即座のことと、V-Roys最後のライヴアルバムのタイトルへの解答というべきか、対になるような地味なジャケットのライヴアルバムは、このレコーディングへの準備作であったらしい。
  そして2001年の本作And The Commonwealth名義での「Thus Always To Tyrants」となる訳である。

  おっと、何時の間にかディスコグラフィーの様相を呈してしまったようだ。話をV-Roys関連に戻すとしよう。
  この「Thus Always To Tyrants」を何回も聴き込んだ後で、V-Roysの曲と比較してみると、ポップさでは少々V-Roysの音源に軍配が上がりそうである。
  V-Roys自体が物凄くドリーミーなポップラインを創り出すバンドであったかというと、そうでもない。確かにポップなメロディはそこかしこで聴けたが、パンク、オルタナティヴのノイジーで数歩ステップダウンしたメロディも聴こえてきたバンドである。
  よって、V-RoysよりメロディアスでないこのScott Millerのソロ2作目-スタジオレコーディングでは初のソロ作品であるが-はもうポップ過ぎて頬が自然に緩んでしまうようなメロディラインに耽溺できるような類のアルバムではない。
  普通なら、お手軽な比較対象となる前身グループよりもメロディ的に退化-筆者の大前提としてキャッチーさがない音楽はゴミ以下の雑音というテーゼは花崗岩の石塔よりも硬いのだ-した作品を評価することは稀である。
  ソロになったらもうアカンやん、と手洟をかんで(今時いるかい!)ポイ捨てが普通である。
  しかし、このScott Millerのアルバムはその点、稀有な例となっている。繰り返すが、確かにポップなメロディは存在するが、物凄いポップな曲は殆どない。どちらかというとアフター・グランジ世代型のトゥ・ステップ・ビハインド的な不足型ポップラインとしか聴こえない曲すらある。
  詰まるところ、筆者の苛立ちが一番強い、中途半端なコマーシャルさしかないという境界線までは行かなくとも、もう一歩のキャッチーさが欠如するアルバムだという意味である。奇しくも、この不満はScott Millerのソロ作よりもポップなV-Roysにも感じていたことでもある。
  が、物凄くポップで美しいメロディや、胸躍るスピード感が不足していても「格好良い」と愛聴するアルバムは多々あるし、反対に滅茶苦茶ポップでも駄目なアルバムであることだってこれまた多い。ポップさと言う物差しでは絶賛ではないが、このアルバム「Thus Always To Tyrants」は総合的な力量で、筆者的に「取り敢えず、買え。」なレヴェルの1枚として光るものを有しているのである。
  直ぐ上のアルバム評価の★の欄の最終項目に敢えて、Alt.CountryとせずにCountry&Alternativeとしたのは、筆者自身のこれまでにクドクドと書き綴ってきたことを代弁していると思ってもらえれば幸いである。
  Alternative CountryというよりもCountryの要素と、Alternativeのこの程度なら筆者でも何とかと言う類の要素を、両方含んだ作品なのである。
  勿論、ルーツロックと大別する音楽性を有したアルバムであることは疑いの無いことではある。約めれば多彩と縦割りにして、それで解決するのだろうが、とても多彩の一単語では片付けられない音楽性がこのScott Millerの2枚目の作品には存在しているのだ。
  とことん牧歌的なブルーグラス・ソングを入れてくるかと思うと、オルタナティヴ的なノイジーなギターが炸裂する歪んだようなロックチューンも聴くことができるし、素直なキャッチーで胸踊るロックチューンも健在。更に、ガレージロック風の喧騒がハードでサイケなパンキッシュ・チューンまで取り入れられている。
  最終的にはこれら全ての要素が「ルーツテイスト」として収束しているので、やはりたっぷりとしたルーツアルバムとして様々な要素が詰まった作品としか言いようがないのがもどかしい。
  ハードロック・ルーツハードと単純に唐竹割りすることが可能ならば、CountryとAlternativeを分割したりはしない。
  人工的な耳障りなギターやただ考えなしにヘヴィなロックをひけらかす詰まらないバンドであるなら、こうもサウンドの厚みや重厚さを深く感じることは不可能だと思う。単なるハードなロックバンドで鍵盤を使用せずにソリッドな演奏をポリシーとするバンドなら米国だけでなく世界中に存在するのだから。
  やはり筆者が蛇蠍の様に忌み嫌うオルタナティヴをルーツの重みに上手く転換しているため、表現のし難い音楽性が内在するのだろうと推察する次第である。

  と、更に小難しい思考を弄んで自沈の様を呈しているが、このアルバムはとても重厚なルーツロックアルバムである、と言いたかった訳である。重い=ヘヴィとしても間違いではないが、単なるヘヴィなだけではない奥行きがこのScott Millerの初スタジオ録音アルバムには感じ取ることができる。
  正直、さりげないポップ性が妙に耳に残るアルバムである。こういうアルバムが単に大仰な派手ポップス作品よりも長く聴け、印象に残ることが多いのがマジックと言うヤツであろうか。反面、結構アクと癖の強いアルバムでもあると考えている。
  がしかし、ルーツロック好きなら−大概で広範な意味におけるルーツ・ミュージックが好きなら−このアルバムを堪能することが可能だ。こう断言可能な点が、この万人向けではないようで万人に愛されるようなアルバムになっている不可思議な魅力であると思うのだ。また、このシリアスな歌詞を考慮するなら、この程度の陰りはあって然るべきであるとも思う。
  重厚とか重目と記してきたが、所謂サザンロックの泥臭さや重さとはその性質が全く異なる、この点がAlternativeと敢えて分類した原因の主なところである。
  どちらかというと粘着質でダサい田舎臭さが身上の南部音楽よりも、相当カラリとした都会的なロックの重心の低さが全体に漂っているのだ。また、乾燥したメロディと言ってもブルーグラス系の砂埃が舞っているような熱い風の乾いた質量ではない。やはり、どことなく流麗で先鋭的な感覚を、ルーツと言うロアで粗い感性を媒体に溶かし込んだような音楽性を感じる。
  単純にオルタナティヴとルーツのミクスチャーと表現できないところは歯痒い。非才なる作者の筆ではこれ以上の言葉を費やしても出てくる言の葉は同じになってしまうだろうし。
  ただ、Counting CrowsやWallflowersの如き、絶妙の都会音楽とルーツ音楽の折り合いを付けるレヴェルにまでは至ってはいないであろうことは言い切って良いと考えている。この2つの王道アメリカンロック・バンドよりは遥かにルーツの野暮ったさを内包したサウンドである。しかし、将来大化けする可能性も否定できない才能を思わせる。
  V-Roys在籍時には感じることの出来なかった将来的評価である。今のうちに先行投資しておいた方が良いかと思いきや、海外では相当のレヴューで標準以上の評価を得ていた、既に。(笑)
  しかし、日本でこのアルバムを取り上げているサイトがどれだけあるのかと考えると、とてもお寒い気がする・・・。

  さて、演奏と各曲について触れてみよう。The Commonwealth名義になっているが、実質はScott Millerとゲストミュージシャンのレコーディング形式と考えた方が良さそうである。というのも、The CommonwealthにはMiller以外の演奏に参加しているプレイヤー殆どと、”Special Thanks”に挙げられている名前も含めて合計14名の人物がクレジットされているからだ。
  逆に演奏に参加しているミュージシャンでThe Commonwealthにクレジットされていない人も数名いるけれども。
  興味深い”Special Thanks”に列記されている人物はMic HarrisonやSteve Earleは当然としてもSteve ForbertやTommy Womackの名前が見えるところか。
  参加ミュージシャンでは日本では著名なBeth Neilsen Chapmanのアルバムでギターを弾く等、結構メジャーな活動にかかわっているギタリストのDavid Grissomや、Scottと同じレーベルSugar Hill Recordsから10枚以上のフォーク&カントリーアルバムをリリースすると共にマンドリン、フィドル、マンドセロ、ボゾキといったルーツ弦楽器の演奏者としてステータスを築いているTim O’Brien、それからフィドルやアコーディオン、バンジョーの弾き手としてアルバムも数枚リリースしているDirk Powell(彼はThe Commonwealthにはクレジットされていないが)等、かなりのヴェテランと名手が集められているようだ。
  ために演奏は実に安定していて、危なげが無い。逆にあまりに演奏が締まり過ぎていて肩が凝るくらいである。

  このアルバムは初めから相当にヘヴィなロックナンバーの連続である。#1『Across The Line』は「一線を超えて新しい人生を新天地で得たという」男について歌われる、ストリングスがサイケディリックなうねりを捻り出しながらミディアムなリズムに乗っていく曲。これは西へと向かっていった開拓民への敬意をも込めているような気もするが。
  オルガンとこれまたノイジーに重いギターがギュンギュンに鳴りまくるスウィングムード一杯のハードなナンバーで始まる流れは、#2『I Made A Mess Of This Town』に続いていく。アクースティックなリフで始まり、ややトロリとしたファースト・ヴァースが終わると、途端にMillerの吹くブルースハープが、バリトンギターが、ベースがドラムがハードな演奏を叩きつけてくる。#1と比べれば比較的スマートなロックチューンであるが、しかしハードで重い。
  #3『Loving That Girl』の一見ラヴ・ソングなタイトルの3曲目で一応ロックのヘヴィさは抑えられる。しかし、かなり屈折した愛の躊躇いや妄想を歌ったこの曲はラヴ・ソングと言うよりもストーカーまがいの精神未発達な内面を歌い上げたような歌詞である。スローなスゥイングムードな出だしから、またもコーラスでガツンと上昇するようなエキセントリックなメロディにはハーモニウムやシンセサイザーのバックサポートが非常にツボをついている。
  #4『I Won’t Go With You』はオルタナティヴ的な崩れた無遠慮なギターとローファイ・ラップ並みに語りかけるように歌うScottのヴォーカルがあまり好きな要素ではないのに、コーラス部分でしっかり突っ走るロックンロールを演じてくれるので、オルタナティヴとルーツロックの中間の歌のような印象を与えてくれる。これまたエッジの尖ったロックチューンである。
  このアルバムで最もキャッチーでスピーディなアメリカンロック・ナンバーが#5『Yes I Won’t』である。Scottの担当するアクースティックギターとDaveのエレキギターが気持ち良く疾走し、これ以上ないくらいの絶妙さで叩かれるエレキ・ピアノとオルガンのバックサポートはREO Speedwagonのヒットナンバーの如きコマーシャルさを持っている。ここまでで一番伸びやかに歌うScottのやや鼻に懸ったようなヴォーカルも適度なルーズさを醸し出していて二重マルである。まず、メロディ的には前半のハイライト・ソングだろう。
  一転してバンジョーとフィドル、そしてアクースティックギターが踊るブルーグラスソング#6『Dear Sarah』de、急激な深みに落ち込むように雰囲気が変わるのが、丁度中間である。ここまでのヘヴィで陰鬱なロックアルバムの雰囲気を一気にブチ壊すナンバーである。が、この落差は面白い。正直、終始一徹ヘヴィヘヴィで暗くては疲れてしまうし。
  また冒頭に述べたようにトレディショナル・ソングの題名も作中で歌われるこの曲は南北戦争の一兵士の心情を綴った哀歌をグラスソングの陽気さで表現したものである。
  続く#7『Highland County Boy』も民謡的なトラッドソングであり、これまた南北戦争の情景を第三者の目から叙情的に詩篇した内容だ。僅かにハーモニカとフィドルだけの楽器で思いっきり古典的な民謡な感覚で歌われる。こういったカントリー風の感性はMic HarrisonではなくScott MillerによってV-Roysに持ち込まれたのかな、とも思うようになってきた。1990年代初めにMicの録音したソロアルバムがあまりにもカントリーロック調であったため、このアルバムを聴くまではこのような悩みとは無縁であったのだが。
  恐らくはアルコール中毒について歌った#8『Absolution』では、再びハードでノイジーなロックンロールの流れに急激に立ち戻る。ブンブンと唸るウッドベースの音と時折ブルージーな音色を挟むハーモニカがなければ、殆どオルタナティヴロックナンバーという曲である。
  ギターのリフが初めて聴いた時にSmash Mouthのヒット曲『Walkin’ On The Sun』にそっくりと感じ、何回聴いてもリフはこのスカコアバンドの歪んだギターと同じにしか聴こえない#9『Miracle Man』も陰鬱なオルタナロックのメロディが目立つナンバーだ。殆どのパートを押さえ気味に歌い、コーラスでヤケ気味にシャウトするScottのヴォーカルもどことなく陰気である。
  #10『Daddy Raised A Boy』はいきなりのハーモニカのソロからスタートするキャッチーなポップチューンで、アーシーで明るいメロディが印象的だが、歌詞的にはやはりアメリカ人であることを痛感するところがある。
  ♪「He Lied About His Age To Fight Japan」はまだ歴史的な事象として捉えられるが、♪「He Had Some
Help From The Atom Bomb」には、一般大衆の偽らざるハイポクリティカルでない思考が良く表されているとは思うのだが。全体の歌としては♪「My Daddy Raised A Boy And Not A Man」という非常に意味深なフレーズには特に精神年齢と肉体の成熟の釣り合いについて考えされられる。キャッチーさでは#5と並ぶ明るいロックナンバーでカントリー的な要素も含んだ良曲である。
  #11『Goddamn The Sun』の2分足らずのガレージパンク風、Replacementsもかくやというキャッチーなロックナンバーを経て#12『Is There Room On The Cross For Me』のピアノの伴奏だけでしっとりと歌われるラストナンバーでこのアルバムは幕を閉じる。これまた#1と同じく人生に対する疑問の投げかけの形をとった詩であると思うが、宗教概念を持ち出しているため、理解はできるが共感は無神論者の筆者には不可能だ。
  曲としてはダークでヘヴィなルーツアルバムを結ぶには美しく静かで非常に印象的な1曲であるとは思う。

  それにしても、メロディといい歌詞と言い癖があるルーツアルバムだ。とてもハードであり、数曲のグラス・チューンとポップなロックソングがなければ、ルーツとオルタナティヴの割合は逆転していたかもしれない。
  が、そのギリギリなところが実に微妙で危うくて良いのだ。硬質なタフそうなアルバムであるのに、一突きすれば粉々に砕けそうな繊細さと言うか神経質さをとても感じるアルバムである。
  王道的な部分も有するが、異色な雰囲気も漂う不思議なルーツロックのアルバムである。これをデリケートとかサイケディリックと範疇付けすべきなのだろうか?
  兎に角、聴けば聴くほどに奥が深い。  (2001.11.5.)


   57 To Nowhere / The Leftovers(2001)

    Roots          ★★★★☆

    Pop          ★★★★☆

    Rock        ★★★☆

    Alt.Country ★★★★★


  お薦めポイント、というか自己の中では非常に評価が高いが、他人に薦める場合、このThe Leftoversというようなバンドはとても困惑を感じる。特に、シングル志向のリスナーには薦めることが難しそうだ。
  とはいえ、シングル向きの曲が皆無かというと、全くそのようなことはない。むしろ、どの曲もシングルとして切ることが可能なほどキャッチーである。まあ、現行のチャートでヒットすると聴かれれば、可能性は100%ないと言わざるを得ないけれども。
  但し、物凄いヒット性の在る曲とか、リフやコーラスを聴いただけで、グイと身を乗り出すような強烈な煌めきが存在する曲が封入されているかと問われれば、答えは残念ながら世間一般のシングル感覚から言えば、”No”となりそうである。
  ざっかけない言い方をすれば、かなりポップでコマーシャルなメロディを持った曲ばかりが詰まっているけど、キラーシングル的なトラックがない平均的に纏まったアルバムとなるだろうか。
  言い換えると、アルバムで通しで聴くのは物凄い気持ちの良い、聴き易い作品であるけれども、シングルベストを自分で作成する時にピックアップ可能な曲を改めて探す段になると、「う〜ん」となってしまうような1枚だ。
  無論、ルーツ好きの方ならそれこそどれもシングル・チャートの上位に押し上げたくなるような良曲が揃い踏みしていることは言わずもがなである。しかしながら、嘗てそれ程ルーツ一辺倒で無かった頃の、雑食性な嗜好も持ち合わせていた筆者の耳で判断するなら−つまり70〜80年代のバランスの取れたメジャーヒット・チャートを好むようなリスニングに照らし合わせると、やはりスマッシュ・シングルは選ぶことが出来るが、メガヒット・クラスのシングル曲はなさそうである。
  けれども、著者的にはこのようにアルバムとして非常にトータルバランスの取れた、品質の高いピースこそマスター・ピースとなることが多い。最も好んで聴くタイプのアルバムである。然れども、全く反対であるが今ひとつ印象が薄いために即座に記憶の片隅へと追い遣られ、フェイドアウトしていく危険性も高いエリアに位置しているアルバムでもあるのだ。
  勿論贅沢を言えば、物凄いお気に入りのヒット性100%(くどいようだが21世紀の腐ったメジャーチャートではなく、ロックがそのコマーシャル性を評価されていた頃のTop100のことである。)な曲が盛りだくさんで捨て曲なしな作品が最高に決まってはいる。が、そのような傑作はそうそう現れないものであるし。

  結論から言えば、この「57 To Nowhere」は『良いアルバムであるけど、何処か弱く、多少聴いて次第に忘れていく1枚。もう二つくらいレヴェルが上だったらヘヴィロテしたのになあ。』と感慨に耽る用のアルバムではなく、
  『平均的だけど全て平均より上のクオリティを持った、地味だけど長く愛聴できるアルバム。』なのである。
  実際当HPの表面には出てこないが、このような良質な「平均値で平坦」なアルバムは多数、筆者も聴きこなしているが、ベスト盤等に入れて他人に薦めることが難しいため、聴いている枚数に対して暗数に属するアルバムになることが多い。まあ、短絡に述べればレヴューし難いアルバムということだ。
  現実問題として、レヴューしない→聴かなくなる→忘れる、という過程を踏むことが非常に多い。
  だが、この「57 To Nowhere」はちゃんとアピール出来る魅力があるからこそ、紹介に至った訳であるし、また聴きつづけることが可能なのだ。
  まず、平均で地味なアルバムでありながら、どの点において、”その他大勢の特徴がないアルバム”と差別化をしていることを分析してみよう。ひいては、このアルバムの良さについて語ることに繋がるだろうし。
  
  第一に、個人的に苦手なカントリーの要素が強く匂わないアルバムであるということは大きい。どうも俗なヴィジュアルで申し訳ないが、カウボーイ・ハットを被り、焚き火の傍でフォークギターを掻き鳴らすというTop40カントリーのプロモ・ビデオに一般的なカントリーミュージックというのは、あまりにも軽過ぎて肌に合わない。筆者の女性シンガー嫌いも、このような場に女性ヴォーカリストが圧倒的に多いことも起因している。
  このThe Leftoversというバンドはカントリーの要素、そしてこれまた嫌いといえるロカビリーの風味も内包しているバンドであるのは、彼らがアメリカンルーツを演奏している上ではどこかで舐める音楽性な故、当然のことである。が、彼らはちゃんとロックのビートで音楽を届けてくれるのだ。
  自らを『Rock-N-Roll Rodeo』と呼び習わすThe Leftoversの自称は非常に的を得たものであると感じる。
  そう、彼らはロックバンドであるのだ。
  第二に、キャッチーであることだ。しかも中途半端なキャッチーさではなく、相当にポップ度合いの高いメロディを聴かせてくれる。これはやはり、これだけインディルーツのバンドが存在すると、強烈なセールスポイントとなると思う。
  ”Pop”という単語は非常に広範に使われ、どこまでがポップで、どれ以下がノン・ポップという境界線は明確には規定されていないし、またできようも無い。それぞれの主観というレンズでPopという物差しは規定されるからだ。が、このアルバムで紡がれるコードはどれも派手さは無いが、キャッチーで耳触りの良い、良質なポップミュージックであることは、ポップに喧しい筆者も太鼓判を押す。
  この2つのロックでポップ、という2大条件を満たせば、ほぼ問題無しである。十分レヴュー基準に達している。
  更に、第三の点は、手の加わっていない生な音であること。相当に無駄の無いシンプルな音なので、聴いていて疲れることがない。筆者はハードでディープなサザンロックも大好きであるが、あまり聴きつづけるとトゥー・マッチに感じることもある、正直。が、このように適度に軽い癖の少ない音を聴くのはとても和むのだ。反面としてやや軽く流して聴く傾向を助長するというマイナス面もあるのだが、そう瑕饉とはならない問題であるだろう。
  もう述べてしまったが、ルーツでアーシーでありながら、中部アメリカサウンドに特有なクドさのない、まろやかなメロディが相当に評価できる。これで伝統音楽のブルーグラスの音が強くなると、これまた牧歌的に過ぎて筆者のレンジから外れてしまうのだが、グラス系の音はまるで表面には浮いてこない。やはりロックである。
  が、中庸的と一刀両断してしまえる程には音に凸凹がないという訳ではない。適度にバーロックのような野太さも加わっているのだ。まあ、ルーツロックである。身も蓋もないけど。

  さて、より具体的に各曲に言及しながら、更にThe Leftoversについて述べてみよう。
  ツールロックと述べたが、より突き詰めればオルタナ・カントリーの権化のようなバンドである。そのうち、オルタナの1部分であるパンキッシュな箇所はそれ程強烈でなく、カントリーの部分は更に薄い。
  言わば、アメリカンロックのシンプルなコアに、適度な粗っぽさと、土臭さを加えて焼き上げたような、80年代ならアメリカン・ロックと表現できた音である。
  とはいえ、やはり90年代係累に分類される、オルタナ・カントリーと表現する方が似合う音である。メジャーでアメリカンロックを名乗るには、やはり粗いところがまだまだ目立つからだ。
  丁度ガレージパンクにも、カントリー系の音にも偏らずにバランス良く中間に位置する、同じ中部アメリカのバンドであるNadine(2ndまでの)に近い雰囲気があるが、Nadineほど微妙で寂しげな音出しでなく、より陽性のサニーサイドに属する−この意味ではカントリーロックの底抜けな能天気さ−を全面に押し立てたサウンド創りをするバンドである。
  #1『Rodeo Bullfighter』から、明るさ炸裂のロックチューンが飛び出す。あっけらかんとしたスゥイング感のある、ブギー・ロックとでも表現できようか、兎に角、脱力したようなリズムにリード・ヴォーカルのTim Moranのヴァリトンを強調した低めに抑えた声が妙に似合うナンバーである。ややラップを巻いたようなトーキング調の歌い方は南部ロックの影響をも感じることが出来る。かなりフリーに自在なプレイを聴かせるギターが楽しさを倍増させるように存分に跳ね回っている。
  #2『Full Blown』もリフから崩れた泥臭いギターと、Timのシャウトから突入する#1と同じようにミディアム・アップテンポなロックチューンである。適度にポップで、シャカシャカと刻まれるリズムがどのパートも元気印である。パーティ・ロックというのか、それともオールド・スクール青春ロックというべきか、とてもクラシカルな60年代以前の純粋な単純なオールディズをも感じさせるナンバーである。途中でパーティのざわめきのようなSEも挿入され、所々で♪「Ha,Ha,
Ha,Ha」とスクールダンスを意識したようなTimのシャウトと合いの手的リズムが、悪ガキロックといった古いアメリカの映画を連想させるような曲だ。
  #3『Twenty Four Hours』はこれまた、弾むようなキャッチーなメロディを持ったシンプルなナンバーである。やや流麗な感じを前の2曲と比べると受ける感じがする。これまたトーキング・ラップのようなスローな前半から、コーラス部でパンパンと小気味良くジャンプするナンバーである。ここまでのどの曲もそうであるし、全体を通してであるが、しつこくなく、それでいて泥臭いギターがただの軽いだけのナンバーにしない威力を発揮している。
  前半でもっともアップビートでシングル性の高いロックチューンが#4『1-2-3』である。ライヴ感覚一杯のとてもルーツロアな曲であるけれども、上手なコーラスの被せ方、ギターのカッティングの気持ちよさ、一定の間隔で少しずつテンポとリズムを変化させつつ、踊るように続くメロディ。とてもラフなチューンであるけれども完成度は非常に高度であると思う。ボコボコと野暮なベースラインやジャカジャカと五月蝿いドラムは、スクールバンドのような等身大な部分を感じさせてくれる。まさに、街角のロック兄ちゃん達の「踊れる曲」の極致な気がする。
  初めてブルースハープが聴こえる、やや優しげなナンバー#5『Caffeine』でも、やはりダサさとリラックスしたリズムは不変である。クラブやディスコで人工ビートやリズムボックスの安っぽいビートで踊りまくる頭カラッポの連中のダンスではなく、素朴にダンサブルなリズムがここでも活かされている。芯の強いリード&リズムギターとTimのヴォーカルの掛け合いはどの曲でも実に楽しい雰囲気を創ってくれる。
  2ndリードヴォーカルのベーシストRodneyが唯一リードを取る#6『Light In Charleston』は喉の奥から低音を搾り出すようなラップでRodneyが低く低く喋り、それにテックス・メックスのようなロカビリーダンスに近いリズムがキュルキュルと巻きついてくる、アコーディオンやフィドルはフューチャーされていなくてもこれまた伝統的な田舎ロックである。曲としてはお遊びトラックのような雰囲気が強いけど、アルバムにアクセントをつける意味ではとてもユニークな手法である。
  最もハードでしかしキャッチーに突っ走るナンバーが#7『Get Some』である。英国の60〜70年代に輝いたパブロックの如きシンプルで野暮ったいロックチューンである。初めて鍵盤の音も聴こえてくる、かなり分厚いナンバーであるのだが、インタープレイ等でで終始一貫ハードなギターソロを聴かせずに、所々殆どベースとドラムのリズムにTimの語りを聞かせるようなトーキング・シングで間を空けるところが、彼ららしいラフだけど緊張させない美点だろう。
  #8もかなり泥臭くハードなミディアムナンバーの『You & Me』が続くが、こういったラフさとキャッチーさが微妙に交差したナンバーできっちりと纏めるところはライヴでのパフォーマスンスを期待させるところが大いにある。この曲もかなりザクザクとしてカラリとした爽快感があるけれども、軽さを感じさせないのはNot Lame系の浅薄なポップさだけが売りのバンドでないということを改めて分からせてくれる。
  #9『Restraining Order』は一番練りこまれたというかスケールの大きいナンバーである。ハードでポップなエレキギターラインが格好良いナンバーだ。畳み掛けるようなヴォーカルとコーラスワークでガンガンと牽引しておいて、中盤で全く異なるカントリータッチの曲にシフトして、また突然、エレキギターの吼える元の曲に戻るところなど、このシンプルな曲ばかりのアルバムでは異色の大作である。が、とても即効性のあるハード・ルーツポップという感じのロックナンバーである。次第に回転を上げるようにしてマシンガンの様に叩きつけられるヴォーカルと演奏が、突然哀愁を帯びた小節の曲にシフトするところは驚かされる。
  最後の曲#10『Causing Confusion』は唯一エレキギターがなりを潜めたアクースティックなミディアムナンバーである。のんびりと始まって、次第にコーラス部へと盛り上がっていくメロディに込められたコブシの強さは、これまた単なる癒し系のアクースティックでなく、Leftoversがどこまでもロックなバンドであることが分かる。また、バーバンドとしてのエンターテイナー性も十分に発揮していることも良く分かる。この曲はライヴ・テイクである。

  以上、10曲はどれもポップでパワー溢れるリード&リズムギターが印象的である。このアーシーでありながら弾むリズムを強調したスゥイングムードは、このバンドがオルタナカントリー・バンドであると同時に、極度にハードでも泥っぽくもないバーバンド的な要素も同時に持ち合わせていることが伺える。
  やや、ヴォーカルがラップ的な歌い方が多いのは力量不足の故か、スタイルの問題かはまだ明確な結論が出せないでいるが、それ程素晴らしいヴォーカルではないのは確かだ。曲には合っているけれども。
  このシンプルでジョイフルなThe Leftoversというバンドはシカゴ出身のバンドである。メンバーは全員1976年生まれの25歳という若いバンドである。

  Tim Moran (L.Vocal&Guitars) , Rodney Allott (Bass&Vocals)  
  Mark Petranek (L.Guitar,Keys&Vocals) , Tom Weselak (Drums)

  というシンプルな演奏を身上とするバンドである。4人ともにシカゴ出身で、結成も同都市である。が、結成後暫くして、2000年までの2年間、何故か彼らは活動拠点を南部のアリゾナ州へと移す。動機や原因についてはまるで言及されていないため、何ともいえないが、シカゴエリアで埋没していては掴めない、独自のスタイルを追及するためであったように思われる。
  そして、アリゾナで当時人気のあったThe Refreshments(現在Roger Clyne & The Peacemakersと編成と名前を変えている。)に最も感化されたそうで、Leftoversの言う「Southwestern」なスタイルを彼らから学んだそうだ。
  確かに野暮ったい中で何処かしら抜けた爽快感はThe Refreshmentsの影響を感じなくもない。
  この間、セルフリリースで何らかのシングルやアルバムも出していたようだが、詳細なデータが手元にないため、不明であるが、故郷から離れて活動していたこともあり、活発なリリースはなかったようで、フルアルバムも創ってはいない。
  その異郷での修行を終え今年、シカゴエリアに舞い戻り、地元でクラブ・サーキットをしながら初夏に初のフルレングスアルバムである今作「57 To Nowhere」をリリースする。
  ルックス的にもサウンドと同じく冴えない連中であるが、その飾り気のないところはとても好感が持てる。
  ポップな曲を創る才能は大したものである。更にビートとリズムの感覚が独特だ。単なるオールディズ・ダンスナンバーの模倣でない新しさが感じられるのだ。故にポップさでStroke 9のモダン・オルタナバンドな、またリズムでDead Or Alive的な部分もあるとメディアに書かれるのも納得がいく。 無論この2つのバンドのような人工的な作ったサウンドではないけれども。
  完全セルフ・リリースな本作であるが、ここまでキャッチーでルーツなアルバムを創れるなら、何処かのレーベルが放っては置かないだろう。
  後はもう少しアルバムに多彩性が出てくればかなりのジャンプアップが見込める逸材であると思う。
  ヴォーカルは少々弱いのは目をつぶろう。
  しかし、Leftoversというバンドはかなり一般的で、筆者が知るだけでも他に4つほどの同名バンドが在る。近い将来、レーベルと契約することになったあかつきには、変名もありえそうな気がするのだが。
  中部のルーツバンドは最近良質な新人が多いけれども、その中でもかなり面白いルーツロックを演奏してくれるバンドであるから、是非とも今後の飛躍を期待したいものである。  (2000.11.11.)


    Shaken Not Stirred / The Georgia Satellites(1996)

     Roots        ★★★★

     Pop        ★★★★☆

     Rock      ★★★★★

     Southern ★★★★


  漸く手に入れた。ヒジョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜に長かった、入手までは。
  まあ、その苦労譚をのべたくっても字数と容量の無駄であるからして、割愛させて頂く。(笑)
  
  未だもって正式な解散宣言はなされていないGeorgia Satellites。まあ、ここにこうしてアルバムがあるのだから、それは当然といえるかもしれないが。
  フロントマンのDan Bairdが自らをGeorgia Satellitesから解雇するような発言を行い、ソロ作「Love Songs For The Hearing Impaired」を、Rick Richardsが元Guns N’RosesのギタリストであるIzzy Stradlinとタッグを組んで「Izzy Stradlin & The Ju Ju Hounds」をそれぞれ1992年にリリース。
  当時のDanのコメントでは
  「正式解散宣言なんぞしないよ。どのバンドだって正式に解散してお互いを罵り合っても、何年か後に”再結成宣言をするだろう。何とまあアホらしい。だから、またGeorgia Satellitesで皆と一緒にやりたくなったら、また演るだけさ。ただ、僕はSatellitesで現在いる意義が見出せなくなったから、自発的に”クビ”になったんだ。」
  と何時かはGeorgia Satellites(以下、GS)として復活することを期待させてくれるような希望を、感じはさせてくれたものだ。
  しかし、1993年以降、IzzyのプロジェクトもDanも非常に動きが鈍くなる。1994年にはシーンでは名前を聞くことが殆どなくなってしまう。
  何となく、もう終わりかもしれないという危惧を抱きつつも数年が過ぎた。
  で、1996年にRick Richardsが元GSの仲間Rick Priceと組んで新生Georgia Satellitesを結成。プロモツアーとレコーディングを開始した、と小耳に挟んだ時は俄かには信じられなかった。
  この信じられないには二つの意味が込められており、一つは「まさか本当に?」という期待を含んだ”信じられない”であり、もう一つは「Dan抜きでやるのか?そもそもDanなくしてGeorgia Satellitesが成立するのか?」というネガティヴな不安を含んだ”信じられない”であった。
  結果として両者の”信じられない”は双方現実であった。
  1996年にDan Bairdは4年ぶりのソロ「Buffalo Nickel」をリリースして、Terry AndersonやEric AmbelらとThe Yayhoosを結成しツアーを始めたのだ。その時は、GSの一ファンとして喜ばしく思ったものだが、同時に「やはりDanはもうSatellitesには戻らないのだろうか・・・・。」という寂しい気持ちもあった。
  Rick RichardsはRick PriceとドラマーのBilly Pitt、そしてギタリストのJeremy GrafとGeorgia Satellitesを名乗りやはりDan抜きの編成で再びGSを立ち上げたのだ。
  が、アメリカ本国では1996年当時(2001年現在もだが)、GSのようなアーシーでストレートなロックを演じるバンドはお呼びでなかったらしい。彼らは欧州は丁抹(デンマーク)のレコードレーベルCMC Recordsと契約を結んでのアルバムリリースをしている。プレス枚数も相当少なかったらしく、数千枚から数万枚と諸説あるらしいが、現在までも殆ど市場に出回っていないので数千枚というプレス数が正しいようだ。
  なお、彼らの本国アメリカでも1997年にジャケットを買えて3MNというインディレーベルから極少数がリリースされているようである。筆者はアメリカでジャケットだけは見たことがある。メンバーのショットは全く写っていないかなり地味なジャケット写真であったように記憶している。
  1997年頃は、日本では比較的出回っていたらしいが、筆者は持っていなかった。今ほどネットも発達しておらず、見事に買い逃し、
  「ヘン〜だ。DanのいてんSatellitesなんぞ、ク●ープを入れない珈琲(ちなみに筆者はカフェインが苦手だ)みたいなもんやからいわんわい。コノチクショ〜〜〜。」
  と負け犬の遠吠えを繰り返していた。 
  しかし、2001年も後少しを残すところとなり、海外オークションで今まで殆ど出品されなかったこの「Shaken Not
Stirred」がかなり頻繁に顔を見せるようになる。それまで高額であった落札額も暴落し、著者は5ドルで新品・ビニール付きを手に入れて狂喜乱舞。
  が、どうやら欧州で再プレスが始まったようである。・・・・・・有り難さ激減な気持ちである・・・・・・・。
  しかし、アルバムの内容は貴重盤・レア盤といったプレミアで左右されるものではない。実際にDan抜きでどのような音になったか非常に気になるところであった。
  で、届いたアルバムを聴いて・・・・・・・・・
すんません。私の間違いでした。(土下座)もっと早く、
いかなる犠牲を払っても手に入れとくべきやった。(後悔)


  以上である。
  Georgia Satellitesのフルアルバムでは通算で数えれば4作目、「Shaken Not Stirred」。
  直訳すると「微妙にではなくガンガン揺れている」であろうか。まあ超訳(どっかの人気作家の和訳かい!!)では
  「チマチマやっとらんでドカンと一発いかんかい!!」
  てな具合だろうか。いかにも豪気なタイトルである。
  「ウジウジしとらんでドンと楽しめ、コラ。」
  という意訳もできそうだ。(参考にしないように。)実際、筆者のアホ和訳はアホとしても、このアルバムの音楽性はひたすら楽しく、豪快に、ロックに、とこのようなシンプル・アズ・ザットなものである。
  前16曲のうち、このアルバムのオリジナルは厳密な意味ではたった4曲。
  #5『Deep In The Heart Of Dixie』、#6『Anne Lee』、#14『Shaken Not Stirred』、#15『She Fades Away』。
  うち、#5と#6がRick Priceのペンに拠る。#14のタイトル曲はRick Richardsの単独作。#15が両RickとドラマーのBilly Pittsの作品となっている。
  残りの12曲はGS時代の音源の再録・再アレンジ版か、スタジオ録音では初披露のカヴァー曲となっている。
  よってこのアルバムの番付は4thアルバムであるけれども、完全に新作ではない。裏ジャケットに太字でこう書かれている。
  ”Greatest & Latest”と。
  つまり、Now And Then的な性格の新曲入りベストと扱われているのだ。が、筆者としては完全な新作アルバムとして聴いている。
  何故かと言うと、12曲のうち9曲はGS時代に録音された音源の焼き直しであるのだが、アレンジが最高に格好良くなっているからだ。
  Dan在籍時の第一次Georgia Satellitesのテイクよりも、遥かにラフでタフでノイジーで適度に崩れていて、それでいてしっかりとキャッチーで酔っ払いな南部ロックの魂の核のような、彼らの基本の泥臭いロックは全く変わっていないからだ。以前のヴァージョンよりも、よりライヴ演奏に近づいたと言っても良いだろう。
  さて、演奏はよりアグレッシヴでシンプルになっているが、肝心のヴォーカルはどうだろうという不安があるかもしれない。正直、あのDan Bairdの尾を引いて大気圏外へかっ跳んで行くような怪しげなコブシの伸びはない。が、ヴォーカルを担当しているRick RichardsもRick Priceも名ヴォーカリストとは言えないまでも、少なくとも演奏に負けないタフでパワフルな喉を叩きつけてくれる。少なくともIzzy Stradlinよりも演奏との一体感は間違いなくあるし、上手であると感じる。
  というより、むしろこういうタイプのロックを聴く場合、ヴォーカルと演奏のマッチがなされていれば十二分に音楽を楽しむことができるという好例だろう。
  参加ミュージシャンは4名の他は3人のみ。実にダサダサで垢抜けないピアノを弾く(そこが味がありまくり)Stan Urbanが随所で鍵盤を叩く。なおオルガンは全く使用されておらず、鍵盤は全てアクースティックピアノである。これもまた良き哉。
  後はGS時代の代表曲#7『Don’t Pass Me By』と#9『Battle Ship Chain』でそれぞれTommy Lui、Kund Lindhardという人がバックヴォーカルでヘルプをしているだけだ。

  さて、まずはこのアルバム用に書き下ろされた4曲についてから述べることにしよう。
  順番に始めは#5『Deep In The Heart Of Dixie』である。Richardsのスライドギターがリフから冴えまくる、重心の低いサザン・ロックのゆったりした余裕を根底に感じるハード・ドライヴィンなロックチューンで、兎に角、エレキギターとスライドギターのバトル、力一杯プッシュされるピアノのホンキィなプレイ。もう80年代のSatellitesを聴いているような錯覚にさえ陥る。
  続く#6『Anne Lee』も埃まみれのスライドがのっけから弾かれる黒っぽいタフなR&B感覚を帆一杯にはらんだナンバーである。さり気なく聴こえるPriceの細かい指使いのマンドリンやピアノのバッキングが、単純そうで織り込まれた音の重なりを堪能させてくれる。この適度にブルージーさとアーシーさが混じったロックナンバーを演奏させると、やはりGSは素晴らしい力を発揮する。ハープらしい音まで聴こえてくるのは気のせいか。
  そしてタイトル曲の#14『Shaken Not Stirred』。さすがにタイトル曲!と思わせるくらいのキャッチーで土臭くハードなギターをフューチャーした、最高のポップロックナンバーだ。しかもややジャンプナンバー的に底抜けに明るいビートが実にパワフルである。
  最後の新曲である#15『She Fades Away』も荒野を突き抜けていくような爽やかなメロディラインに、力強いギターリフが乗っかっていく、これまた極上のポップロックチューンだ。この2曲は全体的にラウドでラフで攻撃的なアレンジの曲が多い中、結構すっきりとしたスマートさを泥臭さの中にも感じさせるナンバーで、とても気持ち良い。両リックのコーラスも息が合ってばっちりだ。
  この新曲2曲で新生Satellitessへの信頼を筆者は確かなものにした。ノイジーでルーズになるのが傾向のインディ落ちできっちりとポップなメロディを投げかけてくれるのは、メロディメーカーとしての彼らの態度が不変なことを提示してくれているように思えるのだ。

  次は初の披露となるカヴァーナンバーについて。大多数のファンが新曲と思ったであろう#3『Runnin’Out』はRichardsが1978年にTommy Riversという人と結成していたデュオのDesperate Angelという名義で発表したシングル盤からのリメイク作品である。ポップなミディアムテンポのアダルトロック的なナンバーである。これまた適度にアーシーであり、ヒット性が世が世なら高いナンバーだろう。
  後の2曲は両方とも有名なナンバーである。#13『My Fault』は大英帝国謹製の説明の必要もないだろうFacesの4thアルバム「Ooh La La」に収録されていた曲。
  #16「Rain」はBeatlesナンバーである、これまた言わずもがなだが。#13では原曲のブルースバラード的な南部風味を殺さずに上手にカヴァーしているし、#16でもGS独自の解釈をつけてロッカバラード風に仕上げているのは恐れ入る。

  最後に”Greatest”の部分である、Georgia Satellitesとして残した過去3枚のアルバムと1枚のベスト盤に収められた再録している曲について印象を簡単に述べておこう。
  まず、最初に気が付いたのが、Dan Bairdの関わった曲が#10「Six Years Gone」ただ1曲のみということだ。後はカヴァー曲かRick Richardsの作品だけである。もっとも8曲のうち3曲はカヴァーであり、1曲#9『Battle Ship Chain』はDanの盟友であるTerry Andersonの単独作品であるため、Richardsの曲はたったの3曲であるけれども。
  この辺りは意識してDanのカラーを排斥しようとしたのか、それともただの偶然かは定かではない。著者の個人的見解ではやはり、Dan Bairdを抜いた新生Georgia Satellitesを強調したかったのであると推測している。
  #7『Don’t Pass Me By』の冒頭のSEに、2枚目のアルバム「Open All Night収録のDanがリードを取る
『Don’t Pass Me By』の出だしをラジオまたはアナログ盤から流れてくるような小さいヴォリュームで入れているところの演出も、Danに敬意を表してか、あるいはこっちより俺たちのヴァージョンの方が凄いんだぜ、的なシニカルな比較か、とどちらともとれるような解釈になるように思える。
  この#7のオリジナルは(Ringo Starrではない)アナログ録音であったが、最高にゴキゲンな(あ〜陳腐な表現。でもこれしか言い様無し。)こちらのヴァージョンは更にラフでア・ドリブが効いている。録音技術の進歩もあるだろうけれども、よりシャープになったギターの音や、フリーな転がり方に磨きがかかったピアノのロックンロールな熱さはもう言うことがない。
  最高なのは#9『Battle Ship Chain』。元が名曲というかGSの代表曲であるから、筆者の色眼鏡も入っているのは否定できないが、やはり素晴らしい。この曲はアレンジも原曲にかなり忠実で、コーラスがやや薄くなったことと、後半のライヴ会場のようなざわめきのSEがかなり生に近い音になっている以外は、ほぼオリジナルに近いナンバーとなっていて、これはこれでとても嬉しい。勿論全体的にやや荒っぽいアレンジになっているが、それもまた魅力を加えこそ損なうことはない。
  よりエッジが効いてソリッドになっているのは#12『Can’t Stand Pain』だろう。ヴォーカルは両Rickのダブルヴォーカルが多用されているが、オリジナルでコロコロと自己主張していたピアノは、バックで微かに鳴っているくらいで、よりハードドライヴィンなロックナンバーとなっている。
  #11『Slaughterhouse』もより前のめりでスピーディなアレンジを施され、サザン・ハードな疾走感抜群なロックンロールとして再び蘇っている。このかなり良く言えば自由に、悪く言うとより雑になった演奏とヤケクソのようなヴォーカルを聴くと、よりライヴテイクを意識して録音したことが良く分かる。
  #8『Hand To Mouth』は80年代よりも老成というか成熟が感じられるナンバーとなっている気がする。エモーショナルなピアノを印象的に取り入れて、じっくりとした落ち着いた演奏が、アーティストとしての年輪のような要素を想像させるのだ。
  #10の唯一のDanが関わった曲、『Six Years Gone』も、#8と同じく落ち着きを感じることができる。ややパワーがオーヴァフローしていたくらいに思われたオリジナルよりも、いくらかトーンダウンして、しかし、ギターワークは全く遜色なく素晴らしい曲になっている。オリジナルで印象的だった酔いどれピアノがフューチャーされていないのは少々残念であるが。
  残りのカヴァー曲リメイクである#1『Games People Play』、#2『Hippy Hippy Shake』そして#4『Let It Rock(Bye Bye Johnny』についてはもう言を重ねるべきでないかもしれない。
  #1では更に重厚さを増したヴェテランとしてのパワーが如実に感じられる。ピアノの低音を使った演奏も更に渋みを加えていてる。これでもう冒頭から圧倒されてしまった。ここまで地に足がついたしっかりしたアルバムになるとは正直想像していなかったので。
  #2は最後のGSのメジャーチャートでのヒットシングルである。(というかヒット曲はこれとあのもう1曲くらいしかないけど。)ヴォーカルのシャウトといい演奏といい、オリジナルと殆ど変わらない。
  また#4ではこれが初のスタジオ録音ヴァージョンとなるが、ライヴよりもワイルドなヴァージョンとなっている。マシンガンのようなピアノとRichardsのスライド・ギターがアクセントを目一杯付けてくれる。

  以上、最新のGeorgia Satellitesのアルバムについて駆け足で語ってみた。
  このアルバムをレコーディングした後、ギター担当のJeremy Grafが脱退。バンドはキーボーディトのJoey
Huffman(Drivin’N Cryin’の殆どのアルバムで鍵盤を担当している人。)を雇い入れ、ツアーを始めるが、Joeyもすぐに脱退し、1997年に欧州とアメリカの南部を少々回っただけでまたもや新生GSは分解した。
  が、その後、RichardsはIzzyの2ndアルバムに参加しつつも、Satellitesとしての活動をサイドプロジェクト的に継続していたようで、1999年にも数回ライヴをやっているらしい。
  そして2000年に約10年ぶりでDanとSatellitesのメンバーがチャリティコンサートでGeorgia Satellitesとして演奏を行ってくれた。これで再結成と思いきや、DanはThe Sofa Kingsとソロツアーを敢行した後Yayhoosを中心に精力的に活動し始め、Satellitesへの復帰の意志は微塵も見えてこない。
  Rick RichardsはIzzyの3rdアルバム「River」に参加しつつ、2001年も数回Rick Richards’Satellitesとしてライヴを行っているらしく、今年も11月に1回、来年は2回の予定が組まれているそうだ。

  Dan Bairdがいないと思い、このアルバムを敬遠している方は
兎に角、買え!!!!!

  いみじくもGeorgia Satellitesファンを自認するリスナーならこれは最高のアルバムになる。(と自分が買うたんで態度がでかい。)
  墺太利(オーストリア)でリイシューが始まったようである。入手に関してはまだやや不透明であるが、興味のある方は管理人にメール、または掲示板でお尋ねください。同じファンとして協力は惜しみません。
  しかし、何時の日かDan Bairdがフロントマンに戻るGeorgia Satellitesを見たいものである。このアルバムを聴いて更にその思いが強くなった。  (2001.11.14.)

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