V / John Cate - Limited Edition (2002)

  Roots               ★★★

  Pop         
    ★★★★★

  Rock      
   ★★★★

  Alt-Country 
★★★★
                    You Can Listen From Here

  「V」のシンプルなタイトルはまるでChicagoのレコードのバックナンバーを見るようでもある。読んで字の如く、2002年早春に発表された「V」は通算で5枚目の作品となる。とはいえ、これまでの4枚には番号でタイトルされたプレスは存在しないのだが。
  発表間隔を追ってみると、1996年に自主制作のデヴューアルバム「Set Free」を発表してから2002年までの7年間で5枚のフルレングスアルバムのリリースを見ることができる。相当精力的にスタジオレコーディングに励んでいるアーティストである。
  活動名義はこれまでに2回の変更を見ている。1〜2枚目がJohn Cateの名前で、3〜4作目が、バンドを付け足して、John Cate Bandとしてリリースされている。で、5枚目のアルバムにしてまたもやJohn Cateというソロ名義に立ち返ったのである。しかし、実際は全くデヴューから変更はない。
  リードヴォーカルにしてソングライター。ギター・プレイヤーとハーモニカ吹きを兼ねるJohn Cateを中心に据え、ギター、ベース、ドラムスのミュージシャンがバッキングするというスタイルは不変のままである。結局はJohn Cateのプロジェクトと考えて差し支えないかもしれない。アルバム毎にバンドメンバーがチェンジする、という程流動的なユニットではないけれども、John Cate抜きでは成り立たないバンドであることは疑いようがないからだ。
  どのアルバムでも基本な形は4ピースであり、ゲストプレイヤーが数名参加するというレコーディング形式も、デヴュー時から本作におけるまで一貫している。
  彼らのライヴを観たのは1998年の東海岸のマサーチューセッツ州ボストンであったと記憶している。特別John Cate Band(当時はこの名前で活動していた。)目当てではなく、ジョイントであったSwinging Steaksを楽しむためであったのだが、Steaksの前に登場したJohn Cate Bandのライヴ・パフォーマンスが予想外に宜しかったので、ライヴ会場で販売していたその時点のCD3枚を全て購入してからのリスナーである。

  さて、これまでのJohn Cateのアルバムは、ライヴパフォーマンスは別として、はっきり述べるとどれも60点から70点くらいの採点しかできないようなレヴェルに位置する作品であった。どのアルバムも王道ポップ・ロックというよりは、カントリー・ロックであり、ブルースロックであり、しかもとても普通なサウンドとヴォーカルなため、特筆する点は然程存在しないと言っても過言ではなかった。その普通さが良いのだけれども、印象としては強烈とまでは到達していなかった、残念ながら。
  ぶっちゃけた話、大ハズレはまずないけれども、かといって大当たりもなく、安全牌として安心して程ほどの音楽が楽しめるという典型のバンドであったのだ。ルーツィな音出しは絶対にしてくれるアーティストなため、サウンドのアレンジに関しては全く心配せずに購入できたが。
  1枚のアルバムで、耳を惹かれるナンバーは数曲。後はそれなりのダークでスローなルーツサウンド。シンガー・ソングライター風の手堅いルーツロック、この程度の認識に留まっていたバンドであった。
  その「手堅さ」が上手い具合に持ち味として自己主張できていれば、Swinging Steaksのように耳に残るサウンドになったのだろうが。良い意味でも悪い意味でも、Swinging Steaks程にはサザンオリエンティッドなアクがどぎつくなく、かといってスムーズなポップセンスには到達していないダークなブルースとR&B路線を加えた、所謂“悪くない”グループ。
  音楽的なオルタネイトの範囲は広汎にカヴァーしているのだが、どうにもキリリとしたものが見つけ難い平均的普通人のようなバンド。
  これが4作目のセルフタイトル「John Cate Band」までに筆者が下していた判断である。

  が、この最新アルバムは間違いなく、これまでのキャリアでは想像もつかないくらいジャンプアップした最高傑作である。
  というように書くと、全然『最高傑作』ではないのに平気でそのようにコピーを印刷する日本盤のCDの帯のようで、お定まりであり、ちょっと嫌なのだが、現実として傑作であるのは間違いない。
  こういった至極普通の奇抜さを全く考慮していないポップロックのサウンドにありがちな、どうにも目立たない箇所が個性であるという、良心的であろうとするが故の瑕疵を、匙加減を間違えたのではないかと疑いたくなるくらい明るくポップでストレートなメロディが大増量しているがために、見事にカヴァーして普通故の中庸さを十全に特長付けている。
  これまでのアルバムにも何曲か存在したシングルカット向きなアッサリ味なパワーポップ風サウンドを、殆ど全曲までにその割合を増やしているのがまず素晴らしい。
  更に今までの作品でたまさか出会うことが出来た“聴けた”ハイライトソングを、よりレヴェルアップさせたポップにして上品なルーツテイストで装飾を施し、ナチュラルなアメリカ中東部に特有なおおらかなロックンロールとして完成させている。
  曲として不足気味なコマーシャルさに上乗せされていたブルージーな黒っぽさやカントリー・ブルースの暗さ、そしてカントリーのヌルイ退屈さ、といったこれまでのマイナスポイント全てを払底するキャッチーでアップテンポな曲がドンドンと存在感を主張している。
  デライトフルで軽快なロックチューンが大勢を占めているため、これまでのブルーグラス/ブルーステイストにもそのキャッチーさが乗っかり、今一歩足りなかったポップ度への不満を背後に追いやってしまっている。あからさまでステロタイプな南部風ルーツテイストは特に前半では殆ど逼塞し、本来の出身地である東海岸のポップスと折り合いを上手にこなしているルーツロックの電車道を快走する音楽性に変革を遂げている。
  John Cateは自らの音楽性を4枚目のアルバムをリリースした時点で“American Singer−Songwriter’s Music”と定義しているけれども、確かに下世話なオルタナサウンドを全く持ち込まない、土着系のシンガー・ソングライターが拵えたロック&ポップスのアルバムのスタンダード、と断言してしまっても良い。
  間違いなく今年の第二クゥオーターでは最高の当たりであり、前・中・後期の3ステージに分けた場合、前期では最大のヒット作である。

  さて、アルバムの内容について言及する前に、John Cateとバンドメンバーに付いて述べておこう。
  レコード・デヴューは1996年とかなり最近の、所謂新人に属するけれども、John Cateというアーティストは20代、30代の若造ではない。はっきりと生年月日は記載されていないけれども、40代に足を踏み入れているようである。1996年に初のCDを出すまでに随分と長い回り道をしてきているのだ。
  John Cateは英国人の父と米国人の母の間で誕生した英米両方の血を引くアーティストである。生まれは英国のリヴァプールである。奇しくもロックにのめり込むきっかけとなったBeatles生誕の地である。が、生まれてすぐにアメリカへと家族が移住。10代の頃、僅かな期間英国へ里帰りし暮らしていたようだが、これまでの人生の大半を米国はボストン周辺で費やしている。
  実際に彼の音楽的背景に影響を及ぼしているルーツは、John曰く、移民時代から南北戦争にかけての民謡や賛美歌から始まり、ブルースや戦前のフォーク&カントリーミュージックというアメリカン・トラッドな音だそうだ。
  John Cateが幼少の頃触れていた楽器は、アコーディオンとチェロというクラッシックだかトレディショナルだか判別が付き難いものであった。その彼がロックインストゥルメンタルに興味を持つきっかけとなったのが、エド・サリヴァン・ショウでブラウン管越しに観たBeatlesの演奏。この年代から推定して、やはり少なくともJohn Cateは少なくとも30代後半以上のミドル・エイジになりそうだ。
  Beatlesの音楽に啓発され、Johnはギターとベースを弾くようになる。ローディーンではスクールバンドやアマチュアグループでギターを弾き、高校生になってからはベーシストとしてローカルバンドを幾つか渡り歩き、本格的にミュージシャンとして活動を開始する。
  が、面白いことに、John Cateがプレイしていたのはフュージョン、ジャズロックといったこれまたルーツ音楽には違いない側面はあるけれども(ジャズという点にて)、アメリカン・ルーツ・ミュージックやトラッドサウンドとは全く違う方向性の音楽を選択し、演奏していたことだ。JohnはZamcheckというジャズ&フュージョンロックバンドのベーシストとしてプロキャリアをスタートさせる。
  1970年代後半から1980年代半ばにかけて、ビッグネームとしてはPat Metheny Groupやビーバップ・ジャズの御大であるGary Burtonのフロントライナーとして全米をツアーしていたそうだ。
  フュージョンサウンドのアメリカの良心のようなPat Methenyや、ロックではない完全無欠なジャズ・プレイヤーのGary Burtonのツアーに参加するという意味は、当然ロックンロールではなくどっぷりとジャズに漬かったビートを叩き出さなくては到底オープニングアクターとして起用されないだろうから、当時のJohn Cateが所属していたグループの音楽性が推し量れるというものだ。
  特段、John Cateはフロントマンとしてでもなく、単なるバンドのベースプレイヤーとして活動していくが、1980年代の半ばで演奏活動の一線から身を引いてしまう。そして1990年代半ばに再び音楽活動を再開するまで10年間は一切のプロフェッショナルとしての音楽活動をしていなかったそうだ。復帰後1996年に「Set Free」をリリースし、それ以降はハイペースで活動を継続していくのだが。
  何故、10年間の空白を置いてしまったのかは、彼も明確には述べていない。また、長期のブランクを空けた後、いちベーシストからバンドのリーダーとして活動を再スタートさせた訳もはっきりとは分からない。
  が、彼のインタヴューから断片くらいは掴めそうに思えるので、少々John Cateのコメントを記載して考察してみることにする。

  「僕は子供の頃からミュージシャンとなる良い資質は持っていたとは自分でも思う。けれども、かなり歳を喰うまで一端の評価を得ることのできるプロのミュージシャンに自分がなれるとは思えなかった。その殆どは、音楽産業に存在する色々なトラップ−本気の意志を挫く様な−に引っ掛かったことが原因だと思う。多くのアーティストがこういった経験をしているだろうけど、僕はまだ駆け出しの頃にこれに直面し、自信を喪失してしまった。」
  「歳を重ねるまで、何時もプレイはしていたけれど、決して本気で追及することがなかったBob Dylan、Tom PettyそしてRoy Orbisonといったシンガーソングライターの道を選択する気が起きなかったよ。常に音楽として影響は受けていたんだけれどね。」
  以上の2つのコメントから察するに、フュージョンロックやジャズバンドとして活動してみたものの、様々なしがらみやゴタゴタで成功には遠く及ばず、20代のミュージシャンはメジャーシーンでの成功に挫折してしまったのだろう。そして、加齢と10年の冷却期間を弾みとして、インディでの活動でもアーティストとしての地位を築けるようになってきた90年代後半という時代性がJohnの背中を押したのだろう。
  音楽ビジネスから退いて、じっくりとソングライティングの積み重ねと、自分の内面の見直しという熟成・準備期間がJohn Cateには必要だったに違いない。蓋し、些か陳腐ではあるけれども、時の流れが才能あるシンガー・ソングライターを水底から明るい水面の上に吸い上げてくれたのだろう。

  さて、第一線に復帰してから、初のリーダー作「Set Free」を皮切りに、「American Night」(1998年)、「Never Lookin’Back」(1999年)、「John Cate Band」(2001年)と順調にリリースを重ねるうちに次第に活動拠点のニューイングランド州を越えて、バンドの評判は広まっていく。
  マサーチューセッツ州のケンブリッジにあるHouse Of Bluesで1995年からレギュラーで演奏を始め、現在も継続している。Americana Showcaseと名付けられたこのステージは、土曜日の昼間にナッシュヴィルのルーツアーティストであるBilly Blockをパートナーに向かえて行われている。夜のギグと違い、家族連れや子供にもルーツ音楽に親しんで欲しいというのが目的のエンターテイメントである。
  また、いち早くインターネットでMP3ファイルの試聴による通販ビジネスに乗り出すというように、ネットを介してのPRに積極的なアーティストでもある。
  「インディ・アーティストとして、僕は今まで行われなかった方法で僕自身の音楽を広めていきたいし、インターネットという分野の発展はミュージシャンにとって大きな契機なるだろう。」
  と、1999年の段階でコメントしている。現在のネット通販の普及、ネットショップの増加を鑑みれば、彼には先見の明があったと言わざるを得ない。
  また、ネットの音楽ファイル配信を介して、テレビ番組のディレクターの既知を得て、fashion runawaysというテレビ番組に彼の歌が挿入歌として使用されたこともあるそうだ。
  現在はボストンを中心として、ニューイングランド州、マサーチューセッツ州、そしてナッシュヴィルを往復する演奏活動を順調に繰り返し、イリノイ・ミシガン・オハイオといった中部各州でもクラブサーキットを順調にこなしている。

  バンドは1stの「Set Free」のみ、以前所属していたジャズロック・グループからMark Zamcheckがキーボーディストとして登録され、5名体制であるけれど、2枚目からは4ピースにゲストミュージシャンという編成は不変である。
  デヴュー時から常に行動を一緒にしているのはギタリストのPaul Candiloreのみだが、ドラムとベースもそれ程頻繁に変更しているわけではない。2ndから4thまでは固定の4ピースであったが、今作でドラマーが交代。またベースもアルバムまでは2枚目からのDanny Megrathであるけれども、Tom Robertというプレイヤーと交代するようなアナウンスがされている。

  さて、アナログ盤に移し変えて考えてA面の#1〜#6のトラックが特に濃いカントリー&ブルースの風味が希薄なナンバーがぐんと増えている。厳密に述べると#6『Television』からはサザン風の泥臭いチューンが目立つようになるのだが、以前のアルバムよりも相対的にかなりコマーシャルになっているため、十分に王道ポップロックな前半と並んでも見劣りしない。
  前作までに良く収録されていたノンキャッチーなブルースロック風な#9『Hangman』以外は捨て曲となるようなノン・コマーシャルソングは皆無。#7『Already Down』もやや粘っこいミディアムなロッキン・ブルースだが、大幅に増量されたポップさが補助をしているため重量感あるバラードになり、感性にドッシンと楔を打ち込むような振動と重さが存在している。
  #9にしてもダートでダークなヒルビリー・ロックンロールとしては悪くない出来である。けれども、こういうナンバーが過半数を占めると、やはりブルースロックとしては評価可能だが、ポップロックとしては点数を辛くせざるを得ない。これが前作まで踏襲されていたパターンであったのだが、「V」は全く違う。
  まず、#1のファースト・トラック『Let You Run』は、ルーツロックとかモダンロックとかいうジャンルを超越した最高級のアメリカン・ポップロックのスタンダードである。上の試聴リンクで直にサンプルが聴けるので、筆者が四の五の解説するよりもまず、聴いて欲しい。
  Don Lewis Bandの「Between The Lines」がお気に入りのリスナーなら絶対にこのアルバムをプッシュするが、その心情はこの1曲で理解可能であると思う。軽快で、ロックのパンチが決まっていて、それでいて人工的なノイズは皆無なまさに直線ロックンロール。このアクースティックとエレクトリックのバランスは理想的過ぎる。
  また、同様にキャッチーで痛快なナンバーが#4『Still In Love With Her』だ。#1よりも更にゴージャズなロックナンバーである。厚目のアレンジに支えられ華やかなパワーポップ風の曲は3分以内に終ってしまうのが、実に勿体無いと感じる。控え目なキーボードも入れられ、シンプルなサウンドが身上なJohn Cateのこれまでの作風からすると、眩し過ぎるくらいだが、John Cateのヴォーカルもその明るさを助けるように伸びやかである。
  同じくコマーシャルなロックチューンでも#6『Television』はSouthern Rockの泥臭さとルーツパンクの荒々しさを感じる。ソリッドなリズムセクションと、奔放なギターリフに合わせてJohn Cateのシャウト・ヴォーカルがバーバンドのライヴ感覚を直接再現したかのようなラウドなナンバーであるけれども、このナンバーも実にキャッチーなファンキーさが楽しい。これまでのダークさが漂っていたお得意なロッキン・ブルースとはかなり違ったロックナンバーに仕上がっている。
  こういった胸躍るロックチューンとフォークロックのしっとりとしたただずまいを同居させた折衷曲が#3『To Be Her』だ。マンドリンと12弦ギターの乾いた音色に支えられて、甘いメロディがジワジワと中テンポで綴られる様は、とても心地良い。1970年代のフォークロックを聴いているような錯覚さえ感じるハーモニーとアクースティックな音。しかもちゃんとロックのビートは刻んでいるので、単なるフォークナンバーの静かさに終始しないところが格別だ。
  また、フォーキィでアクースティックな優しさが健在なことを見せてくれるのが、前半では#2『Without You』や#5『I Will Be Ready』である。
  マンドリンの音色がゆったりと流れるバラードの#5は、どことなくブルーグラス的なまったり感があるけれども、カントリーテイストはあまり表面に出されておらず、メロディの切なさが一番印象に残る。まさにRoot Rockのバラードとして聴けるナンバーである。
  #2もAlt-Countryのミディアム・チューンというより、アクースティックでアーシーなポップナンバーと表現する方が似つかわしいと思う。コマーシャルさでのみなら、ハイライトナンバーの#1や#4にも匹敵する曲の優しさとメロウさ。この曲もラジオシングルにしたいトラックである。
  このアルバムにはしばしばツアーでジョイントしているSwinging SteaksからヴォーカリストのJamie WalkerとベーシストのPaul Kachanskiが客演しているが、Jamieとのデュエットを#8『May The Road Rise To Meet You』で聴くことが出来る。ストリングスをフルに噛ませたこのバラードはJohn Cateのこれまでの曲では間違いなく最高にドラマティックでメジャー指向なバラードである。ややメロウな声質のJohnと鼻が詰まったようなクセ声ヴォーカルのJamieのデュエットや如何に、と心配したが、お互いにしっとりとこの歌を唄いあげていて、閑な感動が流れている。
  ここまでは前作まで大手を振って歩いていたブルースハープが全然聴こえてこなかったが、#10『Outsider』にて漸くブルージーで黒っぽさが漂うロックリズムに溶け合うハーモニカの音色を耳にすることが出来る。こういったカントリー・ブルースにしても、明るくポップに創りこまれているため、暗さや野暮ったさを疎ましく思う以前に、その大らかな重みをポップロックとして抵抗無く受け入れることが出来るのだ。
  #11『It’s Allright』も#10に引き続いて粘着力のある南部ブルースを叩き台にしたようなロッキンブルースである。この2連続はやや単調というかパターンが同じなので、少々詰まらなくもあるのだが、このChuck Berryに敬意を表したようなR&Bも背景に感じられる黒っぽいロックチューンはアクセントとしては#10よりも強烈かもしれない。
  ラストはブルースハープが間奏の度、メランコリックに吹き流され、バンドのバックコーラスとJohnのリードヴォーカルが綺麗なハーモナイズを披露する雄大なアクースティックバラードである。ここにもカントリーやブルーグラスのルーツテイストが希薄となり、アメリカ東中部のスマートなルーツロックに近い音楽性を確認することができる。
  とても寂しい雰囲気が歌詞にもメロディにも貫かれた、#8に負けない名バラードで締めくくりを向かえるため、実に終り方も余韻を残してくれてマルである。

  と、筆者絶賛な「V」であるが、問題が無い訳ではない。一番の問題はLimited Edition=限定盤のためか、このディスクがCD-Rということである。ピクチャー面は流石にレーベル・エディターでシールを作って貼るようなことはせずに印刷されているのだが、演奏面は間違いなくCD-Rだ。筆者のように激安プレイヤーしか持っていないと、ドライブのご機嫌斜めな時は全然聴けないのだ。Limitedを取り去ったプレスCD盤が出るのか問い合わせる予定である。
  名盤をCD-Rで聴くというのはやはり味気ないものだから。
  インナーも1枚紙のチープな白地にただ黒インクでクレジットとタイトルを刷っただけのチープさ。ま、プレスCDであったなら別に気にも掛けないところなのだが・・・・・。
  この限定盤については、その意図がインナーの最後の行にこう記されている。
  “This Limited Edition disc is produced for those who want to be where you don’t have to
   look up to see the sky”
  どうにも裏打ちされた意味に戸惑う一文だと思う。「空を眺めるのに視線を上げなくとも良い場所にいたい人のため。」に製作された、となっている。
  これを「次が待ちきれない。」と解釈すべきか、それとも「空を常に見上げている希望に満ちたポジティヴなリスナーへのプレゼント。」と意訳すべきか・・・・・。
  が、次の6枚目はそれ程待つ必要はなさそうだ、少なくとも。
  John CateはThe BandやEric Craptonのプロデューサー、またRolling StonesやBonnie Raittのエンジニアとして著名なヴェテランのRob Fraboniを向かえて、夏から6枚目のアルバムを製作開始するというアナウンスがなされたばかりだ。実にハイペースであり、この「V」を聴けば分かるように、波に乗っている人だ。
  名作をリリースしたがために、大物ぶって数年もリリース間隔を空けてしまい、アーティストとしてのピークを空費してしまった阿呆な新人や唐突にブレイクしたミュージシャンをこれまでに幾度と無く見てきたが、John Cateに限りそのような自爆を心配する必要はなさそうだ。
  6作目は、何としてもプレスCDにはして欲しいものだが。(苦笑)  (2002.5.3.)


  A Thousand Friday Nights 
               / Legends Of Rodeo (2002)
  Roots                   ★★

  Pop   
              ★★★★☆

  Rock  
           ★★★★

  Modern&Southern 
★★☆
                     You Can Listen From Here

  取り敢えず、今やレヴューしたことを後悔している詰まらないGoo Goo Dollsのオルタナティヴに媚びた「Gutterflower」を買うなら、絶対にこのLegends Of Rodeoをプッシュする。
  殆どGoo Goo Dollと同時に発売されたアルバムだが、先にこの「A Thousand Friday Nights」を聴いていたら、絶対に「Gutterflower」という現在の下らないシーンにゴマを擂り擂りのアルバムを買わなかっただろう。それ程、Legends Of Rodeoの音楽を耳にした後に残るものは大きかった。
  全く無駄使いをしてしまったものである。僅か数日の差で入手が前後したため、このような結果になってしまったのだが、誠に忸怩たる思いである。

  “Emo”という単語で呼称されるジャンルの音楽は、結構日本でも大勢のファンが存在するようである。あくまでもRoots Rockやらと比較した場合の話であるが。(苦笑)
  筆者は、どうもこのEmoとかEmo-Coreとかいう範疇に属する音楽は苦手だ。というよりも、こんなのはアメリカンロックとは個人的に思っていない。
  そもそもEmoというジャンルの草分けは、ハードコア・パンクやグランジ・ヘヴィロックに端を発する。現在はかなり広範な音楽性を包括してEmoと呼ぶらしいが、1990年代初めのシーンではEmoといえば、著者にとってはメロディックという売りは名ばかりの、ヘヴィで後にオルタナ・ヘヴィネスとして家庭内害虫の如く蔓延していくクソ蟲のような音楽の代表格であった。
  グランジやハードコア系のバンドでメディアが「キャッチー」と奉る音を「感動がある」、「情感が込められている」とまさにこじつけてEmotionalを約めたサウンド、これが本来の意味である。
  よって筆者的には
  「銀河系の果てまで飛んでいって、二度と帰ってくるな。ボケ!」の音楽である。
  が、1990年代後半に入る頃からWeezerやBowling For Soupといったより普遍的なリスナーの耳に馴染むパンク・ポップ、そしてEve 6や Blink 182のように全く深みの無いスカスカ能無しなオルタナティヴ・ポップバンドまでも含めて、Emo=Punk Power Popのような図式が出来上がってくるのだ。
  同時に、Jimmy Eat Worldのような『逝って良し&消えてしまえ』なGrunge Punkをも依然としてEmoと呼ぶレヴューアーやメディアが存在し、もはや明確な縄張りが困難な状況である。
  端的に言ってしまえば、1990年型のアングラ/インディ・ロックを総じて、Alternativeと括ると殆ど同義に近づいたジャンル分けに変質しているのだろう。
  こうなると、やはり幾ら筆者のストライクゾーンを通過するサウンドがEmoに取り込まれようが、根源的な意味合いで許容できないため、このサイトでは少なくとも著者の眼鏡に適ったバンドは、世間がどう分類しようとEmoとはカテゴライズしないことにする。ModernやRootsやAdult Rockで代用するので、この点を念頭に置いて欲しい。

  と、Emoについて長々とこき下ろしたのは、今回紹介するLegends Of Rodeoが海外サイトでは頻繁にEmoというジャンルで紹介されているからである。
  が、完全無欠なEmo単独と種別している文章はまず存在しない。その事実が、本グループがEmoという音楽性では一纏めに出来ない煌めきを有している証拠でもあるのだ。

  さて、以上を踏まえてレヴューに入ろう。
  久々に、本当に久々にメジャー・リリースの当たりバンドが2002年4月に届いた。思えば、昨年2001年はメジャーは全くロクなアメリカンロックのバンドが輩出されなかった。
  どの新人も全くオルタナティヴという現代シーンの宿痾から逃れられない、Rock n Rollをラウドでノイジーに、そしてアーティフィシャルのクラフト音楽として演奏するステロタイプだった。悪くないバンドも少しは存在するのだが、如何せん平べったいし深みがない。
  2002年に入っても、メジャーから届く新人バンドはどれもこれもスーパーの閉店間際に抱き合わせで販売される売れ残りの惣菜品そのまんまに、誰がどうやっても同じになる音を、徒に捏ね繰り回している状況に変化は無いように思え、失望と共に21世紀2年目のメジャーも駄目と考えていた。
  とはいえ、この「A Thousand Friday Nights」を初めてプレイヤーに飲み込ませた時点では、その予想には劇的な変革は訪れそうも無かった。
  正直、#1『Hold On Nothing』のヘヴィなモダンロックというかオルタナティヴ臭いオープニングを聴いた時は、
  「あ〜単なるハードコア系の音に転んだか・・・・。またハズレ引いたか・・・・・。」
  と、相当失望を覚えたものだ。というのも、2000年の夏にLegends Of Rodeoの手によって自主制作されたミニアルバムである、「South Atlantic Hymns」を聴いた時、かなり将来が期待できるAmerican Rockなバンドという認識を既に抱いていたからだ。
  このたった5曲しかトラッキングされていない、「South Atlantic Hymns」の収録曲は順に『The Flags』、『South Dakota』、『Jesus Drank Wine And So Will I』、『Everything’s Alright,OK』、『We’d Be Happier Here』となっているのだが、このアルバムの時点でルーツとかモダンとかオルタナを超越するスケールの大きさを示していた。
  「南大西洋への賛歌」と題された、バンドの出身地であるフロリダのお国柄を至極端的にタイトルとしたような、このデヴューアルバムはリリースの時点で、そのクオリティの高さにそぐわず殆ど反響を得ることは無かった。

  このLegends Of Rodeoと、何となくRoots RockやCountry Rockのインディバンドにありがちな名を持ったグループが活動を開始したのが1990年代中頃。軽く触れたが、南国フロリダ州はパーム・ビーチという街で誕生したコーストバンドである。
  同じ海岸地方でも西海岸のバンド程には清涼感溢れて零れる、とまではなっていない。が、フロリダの明るさをメロディに明け透けではないが、ちゃんと装着したサウンドを武器にしている。更に、フロリダのアメリカンロックのバンドに多く見られるキャッチーさは例に違わず兼ね備えているバンドでもある。
  活動当初は、Legends Of RodeoとByrdsに憧憬を感じるような名前ではなく、Recess Theoryと名乗り、フロリダ州で演奏活動をしていたらしい。もっとも、アンダーグラウンド時代の資料は、メジャー・デヴューした翌月の現段階(2002年5月)ではオフィシャルには発表されていない。よって資料となる素材が少ないのが少々辛いか。
  フロリダのインディで一足先に名を挙げ、レコードデヴューを果たしたオルタナティヴやハードコアパンク−世間的にはEmoと分類しているらしいが−バンドのStrongarm、Vacant Andy’s、 Shai Huludといった先輩グループとクラブサーキットをこなていた。
  すると、ここに列挙した3つのバンドが集まって、Futher Seems Foreverというアクースティック風味の多量なパワーポップグループを結成。このFuther Seems Foreverと共同で1999年に6曲入りミニアルバムの「From The 27th State」を発表。
  Recess Theoryは後半の3曲で登場。『Checklist Before Chicago』、『Tonight,This Three Hour Drive』、『Oh Dateless Morn’』の曲はどれもまずまずなインディ・ポップロックであったが、前半のFuther Seems Foreverの3曲の方が相対的に出来が良いので、やや喰われ勝ちなデヴューである、率直なところ。
  殆ど時を同じくして、自主制作の単独デヴューアルバム「They Would Walk Into The Picture」を発表。地元フロリダ周辺ではかなりの評判を得たようだ。当時、アルバムをリリース毎にドンドンとポップに移行しつつあったSaves The Dayや同郷のパンク・ポップバンドのA New Found Gloryと比較されるくらいにポップなアルバムであるようだったが、筆者はこのアルバムは未聴。
  どうやら、Saves The Dayに近い、ドキャッチーで一本調子なパンクポップだったようだが、WeezerにしてもGreen Day、Get Up Kidsといったパワーポップ/パンク・ポップ(EmocoreとかEmo Popと近年は言われている)は悪くないのだが、ロックンロールという味わいに欠けるきらいがある。
  少なくとも筆者には、単なる爆走系コマーシャルソングに過ぎず、Real Rock n Rollとはあまり感じることができない性質の音楽だ。聴いていて楽しいのだが、飽きるのが早く長期間心に残らないのだ、こういったウルトラ・ポップでありながら軽く単調にアップビートだけで押すサウンドは。稀に引っ張り出して聴く分には良い音楽だが、そもそも棚の奥から引きずり出すことすらあまりしなくなるくらいに、印象が薄いのだ。
  やはり、ロックンロールのダイナミズム−緩急と深みと重みに渋み、そして名ばかりのEmoではなく、本当に感情の篭もった音楽。これこそ真のロックサウンドだろう。単調が悪い、色々とタイプの違うナンバーをアルバムに収録するのが良い、と大別するのではないけれど、やはり終始パンクでライトポップではインパクトは薄められてしまう。

  と、話が脱線してしまっているので、Recess Theoryに軌道を修正しよう。この名前で活動していた時代は、Emo PopバンドのFuther Seems Foreverと共同のアルバムを発表したり、初のフルレングスがエモ&パンク・ポップ風な「They Would Walk Into The Picture」であったため、このバンドはSaves The Dayのように縦割り一本道パンク・ポップとして継続していくか、またはFuther Seems ForeverのリードヴォーカルであるChris Carrabaが方向性の違いのためかバンドを脱退し、よりアクースティックな繊細さを求めたポップロック・ユニットのDashboard Confessionalと同様なAcoustic Emoの方向性に移行していくかと、漠然とした予想を立てていた。
  が、2000年に、突如名称をLegends Of Rodeoに変更しリリースされた「South Atlantic Hymns」では、確かにアクースティックでメロディアスというDashboard Confessionalとの共通項は見られたものの、より本格的なアメリカン・サウンドが展開されていて、嬉しい誤算を感じたのだ。
  Recess TheoryからLegends Of Rodeo(以下LOR)へのグループ名変更により、フロリダのEmo Rockシーンの定型に沿って堅実に活動していく路線からの脱却を図る起爆剤にしたように思えるのは筆者だけだろうか。

  兎に角、これまでのパンク・ポップライクなエモ・ポップ路線からModern RockやAdult Rockの本格派に転じたLORは、かなりハードなライヴ・スケジュールをこなすようになる。
  一日に同じ街で、昼と夜と場所を変えてライヴを行うこともざらであったという。お隣のエリア、ジョージア州出身のバンドHootie And The Blowfishが実践してきたように、兎に角ギグを続け、良い演奏を聴かせる。そしてCDを会場で売る、という草の根活動を続けた結果、「South Atlantic Hymns」はミニアルバムのインディ盤としては相当な好成績となる7,000枚以上を売上として記録することになる。
  このキャリア初の成果に注目した幾つかのレーベルが契約を2001年に持ちかけ、最終的にMCA RecordsがLORを獲得。2002年4月に、初のメジャー・フルレングスである「A Thousand Friday Nights」をリリースする。
  プロデューサー及びピアノをプレイし、バックコーラスも受け持っているのが、Daniel Cageである。Danielは北欧にも住んでいたことのあるサンフランシスコ出身のシンガー・ソングライターであり、自身もMCA Recordsから2000年に「Loud On Earth」というモダン系のアメリカンロック作をリリースしている。他にはバックヴォーカルで1名、ハーモニカで1名のゲストプレイヤーを参加させているだけのこじんまりとした編成である。
  Danielのソロ作はあまり反響を得なかったアルバムだが、内容は1980年代のサウンドをあちこち摘んだようなアダルトなロックであり、ヴォーカルが弱いのとメロディが少々頼りない点を別としても悪くない作品である。
  本人のアルバムよりもこのLORのアルバムでの仕事が絶対に良い結果となっているのは皮肉とまでは現段階ではいっていないが、兎も角、Daniel CageとLORの共同プロデュースで創作されたフルレングスは、前作のミニCDを更に内容を濃くし、発展させたアメリカンロックの快作となった。
  オフィシャルサイトにもステイトされているが、LORは確かにスタート時点ではDashboard ConfessionalやFuther Seems Forever、そしてA New Found GloryのようなEmo-Punk Popであった。これに異論は無い。
  が、LORは本作で、そういった何とかの一つ覚えの何処を切っても同じ音楽的なSaves The DayやWeezerの揮発性の強い現代ポップ・パンクよりも一段高いAmerican Rootsを掴んだサウンドを独自に発展させている。
  Emoと指摘されれば、成る程、と思わざるを得ないようなハードコアの名残のある#1や2001年に来日を果たしたSaves The Dayが取り上げそうなパンク・ロック風の#5『Bartender』等が聴けるけれども、適度にアーシーで、重みのある音楽性を根底に根付かせたサウンドは紛れも無く、アメリカンロックである。
  Counting Crows、Collective Soulといったメジャーのアメリカンロックから、ややマイナーなMarathonやMichael McDermottのレヴェルまで、将来的には登りつめれそうな大型ロックバンドの登場である。

  余談となるが、Dashboard ConfessionalはこれまたSSWサウンドをEmo Rockと特異に融合させた、木目細かいアクースティック・ポップを追求しているので、独自性という点ではLORに落ちるものではないが・・・・。このバンドは機会があれば何れ紹介したい。

  さて、ルックスも取り立てて良くもなく、悪くも無いところはCollective Soulとシンクロしそうだが(笑)、演奏はまだまだ荒削りである。またソングライターでリードヴォーカリストのJohn Ralstonのヴォイスはかなりのヘンテコな癖があり、パフォーマンスだけで評価すれば、超実力派とは言い難い。ドラムのJeff SnowもベースのSteven Eshelmanも力量は感じるミュージシャンなので、まだこれからだろう。
  が、キャリア的にはポッと出の新人ではないため、演奏にしても曲の組み立て方にしても、上手さと巧みさがあり、耳に障るような粗雑さは感じられない。パンク・ポップのバンドのようにパワーと空元気で押し捲り、誤魔化すという手抜きはしていない、メジャー新人である。こういった点はCounting Crowsのデヴュー時を思い出させる。

  幾度か述べたが、剛球ロックナンバーであり、オルタナ・ヘヴィネスとハードコアの残照を見上げた空に感じるような危うさのある#1『Hold On Nothing』からアルバムは始まる。好意的に聴くと、Southern Hard Rockというワイルドさをシャウト一発からスタートするこのハードナンバーに感じることも出来るが、かなり女性的な柳腰ヴォーカルとも表現したいJohn Ralstonの調子の外れたような唄い方もあり、ややオープニングとしては不適切なナンバーのように思える。全体のイメージを草創期のEmoと誤解させてしまう危険性があるからだ。実際に、筆者もそうなりかけたことだし。
  確かにロックンロールのダイナミズムは存在するが、全編こういった曲で統一されていたら、オルタナ・ハードコアのバンドとして即投棄したに違いない。但し、全体の落ち着きからすると、こういったゴリゴリの叩き付けるナンバーが1曲は存在した方が適切だろうから、聴き込んだ現在では結構鋭いオープニングとしてそれなりに評価しているが。
  しかし、#2『American Love』〜#3『Crazy Eight』で#1への不安は完全に拭われることになる。
  EverclearのArt Alexakisのやや音程の揃わないヴォーカルに何処となく似ているJohnのア・カ・ペラとドラムのリズムで地味にスタートするが、アクースティックとエレクトリックのロックリズムが次第にダイナミックに盛り上げていくロックナンバーの#2は、とても歯切れの良いポップなアメリカンロック。
  アクースティック・ギターのリフがとても流麗なポップロックチューンである#3では、ノスタルジックなハーモニカが取り入れられたHeartland Rockを彷彿とさせるアーシーな安定感がある。Modern Rockというよりも、この#3になると、中西部のRoots Rockナンバーと分類する方が適当だと思う。メロディがとてもコマーシャルなので、やや鼻に引っ掛かったようなJohnのヴォーカルが最初の#2ではミスマッチと感じなくも無いが、次第に慣れてくる。
  #4『Saint Street』では、マシンドラムのような音出しのスネアが重みに欠けるが、南部の粘着力を90年代型のロックと上手く掛け合わせたブルージーなスローナンバーを聴くことが出来る。Danielのピアノも良い隠し味としてこのスローテンポな哀歌を彩っている。
  #5『Bartender』は先に記したように、Punk Pop系のアップビートナンバーであるけれども、ギターが出身地の南部のバックグラウンドを反映してか、軽薄なだけのポップパンク風なヤケクソな音出しにはなっていない。Georgia SatellitesのようなSouthern RockとModern Rockの境界線に位置するようなロックナンバーである。もう少し、地に足が定着すれば、ルーツィな爆走感覚が芽生えることを期待できる良曲である。
  曲の題のままではないが、#6『Baltimore Blues』はサザン・ブルースの影響を感じるキャッチーで寂しげな、しかしアリーナロックのようにゴージャスなバラードに仕上がっている。こういったゆったりとしたピアノが不定期に叩かれるバラードをエモ・ポップなバンドでは演奏してくれないし、演奏自体が出来ないだろうから、この真実のエモーションが詰まったバラードにLORの独自のカラーを感じることが出来ると思う。後半でかなりアドリブ的なヴォーカルとインストゥルメンタルのバトルが聴けるのは、やはり南部ロックっぽい。
  唯一、前作の「South Atlantic Hymns」から再収録されたナンバーが、#7『The Flags』である。アクースティックな雰囲気を全体に纏わり付かせながらも、ピアノも加えたロックビートをコマーシャルに弾き出すこのチューン。バンドの新生を象徴するかのように改名して直後のアルバムの1曲目に収録されていたが、まさにフロリダのステロタイプなPunk Popからの解脱を示すようなナンバーである。この適度の土の匂いが、1980年代には存在し、90年代のメジャーからほぼ消滅してしまったロックの要素なのだ。
  泥臭いヘヴィなギターリフと憂鬱なハーモニカのうねりで始まる#8『Long Road』は、#4のようなブルースを内包するブルージーなチューンになるかと思っていると、予想を見事に裏切り、ミディアムアップの速さでメランコリックな美しさを持つロックナンバーとして展開していく。こういった感情の入れ揚げ方をEmoと呼ぶのだろうか。確かにEmotionalな甘さのあるナンバーであるけれど。
  ブルース色のあるのはむしろ次のトラック#9『Devil,Started Rock And Roll』である。ハーモニカが野暮ったく震え、ハモンドB3サンプリングやピアノまでスゥインギングに絡んでくる、ルーツナンバーの重さを感じる。この曲はもう完全に南部ロックの普遍的なほろ酔いナンバーであろう。
  12曲のうち、唯一John Ralstonが手掛けておらず、リードギタリストのNathan Jezekのペンによる#10『Nothing Better To Do』は力強いパンチの効いたロックチューンである。2分台後半で一旦フェイドアウトし、「ああ、パンク・ポップ出身のバンドらしいなあ。」と思わせておき、即座にコーラス部分がフェイドインし、それからブリッジが2分近く続くという2段構えの構成はユニークである。こういったEmo Punkナンバーだけだと退屈になるが、数曲毎にトラッキングされるとアルバムを活性化してくれるので、アクセントとして良い。
  ラスト2曲、#11『Travel And Trust』、#12『Standard Life』はどちらもアクースティックなゆったりとしたナンバーである。特に、情感の篭もった#12が、アクースティックな淡々としたポップナンバーから、パワフルなロックビート部分へと変質していく雄大さは、南部のバンドとしてのタフさを#1とは違った方面から見せてくれるようで、興味深い。
  #11もボトルネックギターのような電気ギターの捻った音が聴ける、牧歌的なアクースティック曲であり、このバンドにルーツの味わいを感じれる佳曲だ。

  それにしても、またもや良いバンドだが、決してメジャーでは売れないようなバンドが出現した。願わくば売れて欲しいのだが、プロモーションもそれ程活発にされていないようなので、ブレイクは難しいと思う。
  可能なら、メジャーで良質な音楽は売れないという21世紀の枠組みをぶち壊すくらいにヒットして欲しい。
  まあ、この方向性なら、インディに再び落ちようが何処までも付き合えるけど。・・・ってデヴューしたばかりのバンドに失礼だ、こうも悲観的では。(苦笑)是非、頑張ってプラチナディスクを獲得してもらいたい。  (2002.5.5.)


  Graham Colton / Graham Colton (2002)

  Roots                   ★★☆

  Pop
                 ★★★★

  Rock  
           ★★★☆

  Acoustic&Modern 
★★★
                     You Can Listen From Here

  所謂、Roots RockとかAlt‐Countryと呼ばれている音楽は、どのように良質でも現在のメジャー・シーンで持て囃されるのは困難だろう。これで、完全なCountryになると米国で最も堅実な市場性があり、Top100のアルバムチャートにも頻繁にランキングされるアルバムは後を立たないのだが。しかしながら、Top40 Country向けの音楽はロック・ミュージックとはどうにも呼べない。
  どうしても幅広いリスナーを掴むには、ある程度の現代的で、アーバンなテイストが、言い換えればロックからカントリーさを脱色させる必要があるだろう。1980年代とは異なり、1990年代2000年代のシーンではロックとしてルーツ音楽をブレイクさせるには“濃い”伝統/土着音楽から一歩引いたサウンドで勝負しなくてはならないのが現状である。
  まあ、1980年代に売れたアーティストも多かれ少なかれそうであったけれども、21世紀のマーケットではより一層のモデレイトされたルーツサウンドが必須なのは間違いない。それは、1990年代の10年間でそれなり以上にメジャーシーンで好成績を残した正統派なアメリカンロックの作品を振り返ってみると、やはり大別すればRoots Rockというよりも、ルーツを取り入れたポップ・ロックであったことも証明の輔弼をしている。
  Counting Crows「August And Everythig After」、Collective Soul「Hint,Allegation And,Things Left Unsaid」、Gin Blossoms「Congratulation I’m Sorry」、The Wallflowers「Bringing Down The Horse」、Hootie And The Blowfish「Cracked Rear View」、Matchbox 20「Someone Or Yourself Like You」。
  こういったミリオンセラーを軽く超えたアルバムは、土臭いルーツ・ロックという側面も有しながら、都会的なスマートで親しみ易いマイルドなポップセンスを兼ね備えている。Roots、Modern、Adult Alternativeという様々なジャンルを融合させクロス・オーヴァー・ミュージックとして完成をみたアメリカンロックがこういったアルバムには凛として存在する。

  長々と前置きを綴ってしまったが、こういった名作群に加われる才能を感じる一枚のアルバムが、テキサスはダラスから届いた。今回紹介するGraham Coltonというミュージシャンは、まだまだ未完成だけれども将来的に大化けしそうな可能性を秘めている。というより、そのロック・モンスターとなれる片鱗を既にこのデヴュー盤で示してもいるのだ。
  現在、この「Graham Colton」は自主制作であり、大手のネットショップでも品揃えとして加えられていない。まさにまだまだこれからの新人だ。が、唯ひとつの点を除けば、既に新人にして名盤を創造してしまった、と断言できるのだが・・・。少々残念ではある。

  例えば、The Wallflowersの唯一の名盤である「Bringing Down The Horse」の1曲目と2曲目が、ゴミクズアルバムである3枚目の「Breach」に収録されていた頭2曲に差し代わっていたとしたら、どうにもここまで印象に残る名盤にはならなかったように思える。
  『One Head Light』から『6th Avenue Heartache』の連発した名曲が冒頭に存在しているからこそ、1stの「Wallflowers」で大ハズレしたバンドが一気に400万枚を売るヒット作としてのインパクトを与えたことは、決して夢想の類ではないだろう。
  もう一つ例を挙げると、北欧ルーツバンドのLoosegoatsが1999年に発表した2枚目のフルレングス「Plains,Plateaus And Mountains」がどうにも今ひとつルーツロックアルバムとして消化不良なのは、開始2曲の『Adversity』と『Casillero Del Diablo』が、モロにクソ馬鹿Pearl Jamに倣ったオルタナナンバーであるからだろう。こういった曲が2連続すると、どうにもアルバム全体の雰囲気が損なわれてしまう。あくまでも、ルーツロックのアルバムとして全体を捉えていく場合だが。

  このように、2つの対照的なアルバムを挙げてみた。何が対照的かというと、オープニング2曲が良い曲かそうでないかという点に於てである。
  最初の1曲だけ凄い勝負曲で、以降は全然勢いが衰えていくというアルバムはとても多いのだけど、やはり冒頭に良いナンバーが集中しているアルバムは、相対的に見て印象が良くなる傾向にあると思う。
  “前半飛ばして、後半で息切れ”タイプの作品の方が、“前半萎え萎えで、ラストスパート”な作品よりも全体の評価は高くなるのは、普通音楽をアルバムで聴く場合、1曲目からプレイするのが普遍的なスタイルである筈だから、致し方ないことだろう。勿論、終始一貫して全てのナンバーが素晴らしいアルバムこそ、大名盤になるのだが。

  で、何が云いたいかというと、このGraham Coltonというセルフタイトルでリリースされた1stアルバムは、頭2曲だけ残りの7曲と比べるとかなり質が落ちる、ということだ。が、3曲目以降と比較した上での程度の問題であるということは、ここではっきりと述べておきたい。
  単独で聴いた場合、#2はやや目劣りするとしても、#1も#2もそれなりのロックナンバーである。両者共に、再びWallflowersの「Bringing Down The Horse」に擬えると、『6th Avenue Heartache』と『Three Marlenas』というヒットシングルに挟まれた『Bleeders』の如き地味でいまいちなナンバーになると思う。
  『Bleeders』とて悪いルーツナンバーではないが、ヒット曲満載の前半では明確に“繋ぎ”としてしか機能しない曲に落ち着いてしまっている。
  同じことが「Graham Colton」の#1『Jessica』と#2『Save Me』にも当て嵌まると思う。

  最初に、Graham Coltonのデヴューアルバムを手に入れ、最初の2曲を聴いた時は、実に詰まらない凡作を12ドル出費して購入してしまったと、少々ながら鬱になってしまったことを白状しよう。
  まず、オープニングナンバーの#1『Jessica』。John Mayerをもう少しサザン風味のスパイスを加えて、アンキャッチーに整えたような曲だった。モダンロックとルーツテイストの入ったアレンジ。そして、オルタナティヴの影が鬱陶しいメロディにちらつく。
  まあ、究極的にはModern & Roots Rockとなる重いメロディラインを抱えたロックナンバーであり、それなりの尻の固まり具合があるため安定感を感じなくも無いが、Wallflowersの「Breach」でのアレンジとスコアをいい気になって捻くり廻した失敗例が脳裏に霞めてしまう、際どいチューンである。
  Southern Rockのしつこさというか暗い重さが目立ったルーツ・ナンバーと表現する方が適当かもしれない。まあ、悪くは無いが手放しでは賞賛できない中途半端さがある。
  引き続き、#2『Save Me』であるが、これはSouthern Rockのアンキャッチーで哀愁的なラインがでしゃばり過ぎた典型のブルース・ロックだろう。コーラスも綺麗だし、そこそこポップであるからして、これまた決して悪い曲ではないのだ。特に、若さ故の甘さと青臭さを聴かせるGraham Coltonのテナー・ヴォーカルは思わず耳を欹てずにはいられない程のチャームを持っている。
  が、AlternativeとSouthern Rockの中間のようなルーツナンバーであるため、説得力が弱いのだ。哀しげに泣くギターの音色とスライド・ギターの掛け合いは大好きなのだが、メロディまで暗鬱が入ると筆者の好みの豪快な硬派サザン・サウンドからも外れてしまうのである。この点で、#2はやはり消化不良だ。
  この2曲迄の感想は、筆者が大嫌いなElliott Smithの悪い点−「中途半端にポップ」、「必要ないのに泥臭くしようとして重くしてるだけ」、「シンガー・ソングライターにオルタナサウンドを無理に融合させている」までは到達していないけれども、
  『ルーツロックをモダンサウンドと南部サウンドという素材、そしてオルタナティヴという隠し味で不味く料理してしまった、半端モダン・ルーツロックのアルバム』
  という判断を下しそうになって、プレイヤーを止めかけた。カントリーの音を意識的に排除してメジャー指向の音楽性を目指そうという意図は見えるし評価したいけれど、このサウンドではなあ・・・・、というのが正直な第一印象であったのだ。

  しかし、次の3曲目『Best Thing』を聴いた途端、上半身がピンと立ってしまった。それくらい前半2曲とは趣の異なる音楽が始まったのだ。
  #3『Best Thing』から始まる大攻勢は、いきなり曲の趣を事にすることから始まる。アクースティックなギターとウィルツァー・ピアノをメインにしてメロトロンのようなサンプリングまで加えてポップにそしてエモーショナルに盛り上がっていく美しいミディアム・バラードで、前半のいまいちな印象は吹き飛んでしまう。
  次第に太くなるエレキギターの情感の引っ張りといい、コーラスの透明感といい、素晴らしいアダルト・ロックだ。
  #4『Summer Stars』もやや碑ねこびたダーティなギターから始まり、暗いオルタナ的展開を予想させるが、イントロギターがフェイドアウトするなり、アップテンポでコマーシャルなロックナンバーへと変調する。良い意味で予想を覆された曲だ。ギターのアレンジも南部風の泥臭さと、都市的なスマートさの両方を併濁したような重心がぶれない安心感を示してくれる。これこそ、モダン・ルーツナンバーと云えよう。
  #5『Killing Me』になると、再びアクースティックな繊細さが溢れたメロウなギターが爪弾かれる。ジワジワとコーラス・パートへと向けて盛り上がっていくことが簡単に予測できるタイプの曲だけれど、その“お約束”が実に和ませてくれる。コーラス部分からのスライドギターとストリングスまで加えて、Arena Rockのバラードのように感動的に押し捲るブリッジはまさに圧巻のひとことである。
  ここでもヴォーカリストとしてそのしっとりとしたテナー・ヴォイスを武器とするGrahamの力量を見て取ることが可能である。
  #2から速い、遅い、速い、という曲を交互に配しているがスローバラード#5の次はまたもスピーディなロックナンバーが続く。#6『Accident Of Youth』はムーグのようなピコピコなシンセサイザーと#5でも使われていた、遠くから聴こえるラジオの音のようなヴォーカル・サンプリングが同梱されているが、それ程メカナイズされた人工サウンドを感じないで済むナンバーである。というのは、スライドギターの泥臭くもスコンと抜けた軽快な音色と、ストレートなロックビートが爽快なロックナンバーとしてこの曲を飾り立てているからだろう。
  ここにもストリングスがロックの醍醐味を盛り上げるため、ELOを連想されるように振り回してアレンジされている。
  #7『Waiting』は即効性のありそうな分厚いコーラスからスタートするが、Aメロでは粘つく南部ロックのうねりを演出させ、これはダートなサザン・ロックになると思わせておいて、コーラス部分では、またも変転する。ハードロックのパワーバラードとも通用するようなこってりとしたコーラスを重ねまくり、黄昏たメロディを大仰に広げて、中盤のダーティなメロディを忘れさせてしまうようなロックバラードで収束していく。よって、後半のコーラス部分が一番印象になるナンバーとして落ち着いている。
  ドラスティックなアレンジを見せ付けてくれた後の#8『This Time』は一転して殆どアクースティックギターだけで切々と掻き鳴らされるフォーキィな感触の歌となっている。バックコーラスは「ここぞ」という場所でハーモナイズされ、情感を盛り上げてくれるが、シンガー・ソングライター風の弾き語りナンバーが基本となっている。ここまで、アク−スティっクさをそこそこフューチャーしていたものの、これほど閑かで熱いナンバーを取り上げるとは、8曲目までの組み立てでは予測さえしていなかった。
  最後の#9『Waking Up』も毛色はアクースティックなギターが気持ち良いシャッフルを聴かせてくれるナンバーであるけれども、感情の赴くままをギターにぶつけて表現した#8とは異なり、半歩下がったクールさが窺える。5分近い長い曲であり、得意のテンポとメロディの変更を随所に盛り込んでいる。時にはロックのざっくりとしたビートで跳ねるパートも存在するが、根底に流れているのは冷静に組み立てられた静謐さであるように感じる。それにしても良く練り上げられたナンバーである。1曲聴くだけで2〜3曲を聴いてしまったような感覚に捕らわれてしまう。

  Graham Coltonは2002年でまだ20歳の若者である。確かに、若さは感じるけれどもまさか20歳とは想像をだにしなかった。世代的には1990年代のグランジ・オルタナヘヴィネスの奔流を丁度経験してきた世代だろうけれども、オルタナティヴからの影響は冒頭の2曲でやや伺えるのみである。
  オクラホマ州はオクラホマ・シティ生まれで育ちも同市。父親がアマチュアバンドを結成していたので、父親のバンドが演奏する音楽を聴いて育った経歴を持つ。
  「僕は、親父のバンドがカヴァーしていた曲を全て覚えている。殆どが80年代のブリティッシュ・イノヴェーション時代のナンバーだったね。それを歌って唄を覚えた。」
  12歳になると、巷を吹き荒れるグランジの嵐を何処吹く風と、Kinks、Tom PettyそしてByrdsというヘヴィロックとは無関係なアメリカンロックの虜となり、カヴァー・バンドを始める。
  18歳になって、テキサス州のダラスにある南メソディスト大学へと入学する。ここで、彼はプロのミュージシャンとなることを決意し、学校の勉強はそっちのけで、地元のバーや喫茶店で演奏をを始め、時間のある時は独身寮でひたすら作詞作曲に励む。
  「ルームメイトが外出するのを待ち受けていて、帰ってくるまで寝食を忘れて曲創りに励んだものだ。」
  とGrahamは振り返っている。
  こうした努力の甲斐があってか、Grahamはダラスへと越してきてから1年も経たないうちに、インディのクラブシーンではかなりの人気を博するようになる。ここで、Grahamは本作のプロデュースを担当するCary Pierceと出会うことになる。
  Cary Pierceを良く知らなくてもCaryとJack O’Neillと組んでいたデュオグループであるJackopierceなら覚えている人も多いのでは、と思う。メジャーのA&Mに数枚のアルバムを残していて、5年以上音沙汰が無いアクースティック・ポップな2人組の片割れである。ルーツな土臭さよりも、アーバン&モダンなフォーク音楽を演奏していたバンドであり、良く言えば音楽性が広く、悪い意味で中途半端だ。
  Carry自身も2000年に「You Are Here」というモダン・ポップロックないまいち印象が薄いアルバムを出している。彼らしく毒にも薬にもならない良作である。
  とまれ、Carryと意気投合したGraham Coltonは2001年に彼とスタジオ入りし、本作「Graham Colton」の録音に突入する。本格的に音楽活動を始めてから1年少々でメジャー・アーティストでもあったCarryに才能を認められたのだから、素直に誉めたい。
  が、Carry Pierceがプロデュースしたため、都会的なロックの方が田舎ルーツサウンドを凌駕したアレンジのアルバムになってしまったことは否めない。Carryの手腕でアクースティックな側面では成功しているが、土の香りを芳醇に降り掛けることには決して十全な成果を収めていないのでは、と思う。
  まあ、これは筆者の趣味なのだが・・・・・。
  レコーディングにはCarry Pierceがヴォーカル、ギター、ベース、鍵盤とマルチプレイヤー振りを発揮して全面協力している他、2000年に既存路線のアクースティックバンドからロックに変更し、『Everything You Want』を全米No.1ヒットさせたVertical HorizonのベーシストSean Hurleyが協力。そして地元ダラスのヴェテラン・ワールドミュージック・グループのBrave Comboのドラマーで他にもたくさんのセッション歴を有する、Mitch Marine等がバックアップしている。なお、#8『Save Me』の弾き語りナンバーのみ、プロデューサーが異なりBrian Turtonというミュージシャンが手掛けている。
  このアルバムの収録曲はColtonが単独で書き上げたのは1曲も無く、殆どが両プロデューサーのCarry PierceかBrian Turtonと共作したものだ。#2のみColtonは関わっていない他人の曲だが、このナンバーが一番出来が宜しくないのでもっけの幸いと云うべきだろう。

  また、Carryと殆ど同時期に知り合い、次第に親密になったTurtleというギタリストと曲を書き始め、このレコードを吹き込んでいる最中も共作を行っていたそうだ。。
  「レコーディングに協力してくれた人達とアクースティックな音楽を創るのは素晴らしい経験だった。けれどもTurtleと一緒に曲創りを始めると、今度はエレクトリックな曲を書くようになってきた。」
  と、GrahamとTurtleはバンドを結成することを決意し、3名のミュージシャンを加えて、Graham Colton Bandを2002年に立ち上げた。構成は、

  Graham Colton (L.Vocal,Guitar) , Turtle (Guitar,Vocals) , Ryan Tallent (Bass,Keyboards)
  Drew Nichols (Slide,Guitar,Vocals) , Jordan Elder (Drums)

  と皆20歳そこそこの若いミュージシャンのようだ。アルバムのレコーディングに参加していたミュージシャンが誰も存在しない、マッサラなバンドであるが、果たしてライヴ・パフォーマンスはどうなのだろう。評判は上々のようでありテキサス州や活動拠点ダラス以外でもツアーを行っている。
  これまでにHootie And The Blowfishを始めとして、Train、Blues Traveler、John Mayer、Evan And Jaron、Bob Schneider、Flickerstickというルーツロックからトラッド色の強いメジャー大物バンドのオープニングアクトとしてヴァージニア州やノース・キャロライナ州まで足を伸ばし、単独でもワシントンD.C.でギグを行うまでにもなっている。
  今後もSister HazelやO.A.R.、Pat McGee Bandといった筆者も大好きなバンドのフロントライナーを務める予定となっている。
  こういった大物人気バンドの前座を経由してメジャー・レーベルの目に留まり、契約を交わしてメジャー昇格というパターンはよくある事件なので、これはチャンスである。
  衰えつつあるとはいえ、こういったアクースティックでアーシーな味わいをもつ現代ロックを受け入れる皿はまだ存在していると思うからだ。今後は注目のバンドである。
  最後にGrahamのコメントを紹介して締めとしよう。

  「僕はライヴに足を運んでくれる人達が『これこそ素晴らしい』って絶賛してくれているか自身はないけれど、実はライヴを通して会場に来る人や雰囲気から受ける感動は計り知れない。もし、こういった感情を音楽に変えることができたら最高だね。それが究極の到達点だと思うよ。」

  頑張れ、20歳。(1980年代生まれか・・・・。フクザツ。)  (2002.5.8.)


  Too Much Is Always Better Than
          Not Enough / Diamond Dogs (2002)
  Roots             ★★★

  Pop
          ★★★★★

  Rock  
    ★★★★☆

  Boogie 
★★★★


  欧州の西に浮かぶ島国である大英帝国は、嘗て「日が沈まない土地はない」と喩えられた程に世界を席巻していた。要するに、世界中に植民地と連邦国家を樹立させ、そこから搾取して栄えていたのである。搾取される方は堪ったものではなかったろうが。

  ま、それは余談として、1960年代から1970年代にかけて、英国のシーンで確固たる地位を築いていたのがパブロックやブギ−ロック、そしてハードロックとも呼ばれていた強靭で硬派なロックンロールだった。これが独逸第一帝国の提督から名前を引用したバンドまで行き着くと、完全無欠のハードサウンドになってしまう。ので、ここではFaces、Rolling Stones、Kinksといったその音楽性に差異こそあれ、マッシヴなロックサウンドを奔放に演奏していたハードだけでは語れないバンドについての言及としておく。
  が、第二次世界大戦後大英帝国が斜陽化したのと同様に、こういったシンプルでストレートなロックサウンドは1980年代頃から、次第に英国のシーンから消えていく。ハードという音楽ではNWOBHという名称で1980年代から台頭するブリティッシュ・ハードが堅実な市場を主に日本と欧州や豪州で構築している。
  こういったハードなサウンドと英国風ロックンロールは本邦では一緒くたにされ、「Hard Rock」というジャンルに括り付けられているが、やはりハードロックと“ハードな”ロックンロールは異なると考えている。
  とまれ、古き良き英国ロックンロールは単純にアダルト・コンテンポラリー化したのではなく、絶対数が減少(=新人バンドが多数輩出されない)し、次第に先細りになり零落の一途を辿っていたのだ。しかも、1990年代から台頭したブリット・ポップというジャンルが蔓延り出すと完全にメジャリティからは外れてしまう。
  何処までもノイジーで重い音をポップに演奏するというのが、ブリット・ポップの定義らしいが、そこにはポップ・ミュージックとしての良心もロックンロールの爽快感も最早存在していない。単に五月蝿く耳障りなやさぐれ音楽と言うのが筆者的ブリット・ポップの見解である。
  よって、1990年代には英国の真性ロックシーンは恐竜並に絶滅の危機を迎え、現在もその消滅の危機は継続中であると考えている。上で列挙したヴェテランバンドに続くフォロワ−が全くといって良い程現れてこないのだ。現実にはアンダーグラウンドにはこういった古臭い音を出すバンドは存在するのだろうが、そのあたりは全く情報がないので分からないだけかもしれないけれども。
  実際に2001年に復活したQuireboysが英国ではそこそこツアーを行えるし、全くブリティッシュ・ロックの土壌が死滅した訳ではないのだろうが・・・・・。

  このような大英帝国の落日とは対称をなすがの如く、英語圏からではなくスカンジナヴィア地方から、古典的ブリティッシュ・パブ・ロックンロールを復刻させたような音を出すバンドが出現した。正確には瑞西(スイス)ほど著名ではないが、永世中立を継続している国スゥエーデン出身のバンドである。
  近年良質なオルタナ・カントリーのアーティストがポロポロと溢れ始めている、将来的な期待が目白押しの地域である。が、Diamond DogsはRoots Rockと呼ぶにはやぶさかではない音楽性を誇ってはいるけれど、その音楽的背景はカントリー・ミュージックではないだろう。
  では、何処にこのバンドのルーツが存在するのか少々考察してみるとしよう。

  1990年代後半から、日本や欧州では、北欧パンクと呼ばれるハードな爆走音楽が独自の市場性をを形成しつつある。1980年代にはEuropeの世界的なブレイクで一足先に市場性を獲得していた、所謂北欧メタルとはかなり音楽の本質を異にする。
  Backyard Babies、Hellacopters、Deadbeats、Turpentinesといったひたすらハードに突っ走る系のバンドは華麗なシンセサイザーやストリングスを使用するArena Rockの体系に連なるスカンジナヴィアン・メタルとは正反対のヘヴィでダークでシンプルな汗臭く不良少年のケレン味たっぷりのハードサウンド。
  これは1980年代のLAメタルに代表されるポップメタルへのアンチ・カウンターとして登場したGuns N’Rosesの音楽性を想像してもらえば良いだろう。特に北欧パンクシーンではメジャーで全世界にデヴューしたHellacoptersの後追いバンドが相当生まれている様子。アメリカで例えるならNashville PussyやBackcherryに近い音のバンドだ。
  また、No Fun At AllやStarmarketのようにメロディアス・パンクと言われるややおとなし目のパンクバンドまで、日本盤が確実にプレスされるというように、アメリカン・ロックよりも売れ筋の感が強い。こういったバンドもリリースを重ねるごとに、単なるぶちかまし体当たりの棍棒ロックからメロディ重視に移行しているようには見えるが、所詮パンクロックであり、所謂ダーク系のメタルサウンドも入ったハードロックである。
  こういったバンドはヘヴィさとアグレッシヴさは突出しているけれども、ポップな味わいやロックンロールの旨味や渋みはどうしても欠如しがちだ。
  と、元々はこういった単純なパンク&ハードサウンドをベースにしつつも、北欧ポップセンスを最大限にロックサウンドに融合させ、数段上の安定感溢れるクラッシック英国風ロックを演奏するのが、このDiamond Dogsである。
  率直な話、Hellacoptersとかなりの関連性を有するバンドなのだが、爆走パンクからハードロックへと移行しつつあるHellacoptersの音楽性とそれ程重なるものではないのが特徴だろう。
  英語のアルバムをあまり作成しなかったため、日本では全く知られていないハード&ブギーなポップロックバンドのWilmer Xをご存知な方ならそのフォロワー的な存在と考えてもらっても良いかもしれない。スウェーデンのEMIから順調にアルバムをリリースしているロックンロールのバンドである。
  2000年年末に、デヴューEP「Among The Non Believers」をリリースしてから、2002年の4月(プレスは3月だが配給先で売り出しは4月)の本作「Too Much Is Always Better Than Not Enough」まで約2年間でフルレングス・アルバムを2枚、ミニアルバムを2枚の計4枚をリリースするという、これまた1970年代のリリースペースを現代に再現しているかのような懐古性をも(多分)持ち合わせているのもDiamond Dogsである。
  しかも、4枚のアルバムでダブりとなっているのは、デヴュー・EPとデヴュー・アルバムに収められていた『Bite Off』のみである。よって、2枚のミニアルバムも後から発売されるフルアルバムのマテリアルを入れただけの先行盤ではなく、ほぼ完璧な新作としての性格を持っているのだ。実質4枚のアルバムを2年でマーケットに出してきたバンドである。

  #1.「Among The Non Believers」    (2000)  <5曲入りミニアルバム>
  #2.「As Your Greens Turn Brown」  (2001)  <15曲入りフルレングス>
  #3.「Shortplayer」               (2002)  <6曲入りミニアルバム。うち2曲はカヴァー。>
  #4.「Too Much Is Always Better Than Not Enough」  (2002)  <12曲入り2ndフルレングス>

  という4枚のアルバムを密にリリース。が、プロジェクトの活動歴は1993年からスタートしている。現在は全く入手は絶望的ということだが、地元瑞典(スウェーデン)のインディ・レーベルから1993年から1996年に掛けて4枚のEPを発表しているそうだ。無論、筆者も聴いたことは無いし、アナログ盤7インチとCDの両方のプレスが存在するらしいということしか分からない。
  彼らのディスコグラフィによると「Blue Eyes Shouldn’t Be Cryin’」(1993)、「Honked」(1994)、「Good Time Girl」(1995)、「Need Of Ammunition」(1996)となっている。
  が1997年から2000年まで北欧のインディバンドが、これだけは受け継いで欲しくなかった英国的なシングルの乱発を模倣する風潮が酣(たけなわ)な中で沈黙している。これはバンドのプロジェクトのリーダーと言われているBobby Lee FettがキーボーディストとしてThe Hellacoptersの正式メンバー入りしたため、活動が停滞したのだろうかと推測しているが、本当の所は不明瞭である。
  曲の殆どを書いているのは単独と共作を合わせれば断然リードヴォーカルのSuloであり、次いでBobbyの名前が挙がるという具合だからだ。
  が、Hellacoptersのワールド・デヴューと続く世界各国でのセールスの成功により、メンバーのBobby Fettの所属するバンドが注目を浴び、フルレングスを発表できるまでになったというのは間違いないだろう。となると、やはりDiamond Dogsの舵を握っているのはBobby(Boba) Fettと考えるべきか。
  それよりもSuloとBobaのタッグで初めて完成をみるバンドと考えた方が妥当かもしれない。というのはHellacoptersが2000年末に「High Visibility」というフルアルバムをリリース後はレコーディング活動を活発には行っておらず、BobaにDiamond Dogsに専念する時間的余裕が出来たための副産物がこの緊密なリリースとも考えられるからだ。SuloとBobaが揃って初めて動けるバンドなのだろう。

  2000年のデヴュー時にはクレジットされていたメンバーは6名。これが2001年の初フルレングス作品「As Your Greens Turn Brown」では8名というかなりの大所帯までにメンバーを増やし、2002年に相次いでリリースされた3枚目のミニアルバム「Shortplayer」と第4作目の「Too Much Is Always Better Than Not Enough」では7名のミュージシャンがクレジットされている。
  かなり大所帯であり、基本としてバンドのメンバーだけでステージ再現が出来ない3ピース形式は嫌いな筆者にはとても嬉しい『無駄な』大人数である。
  各メンバーについては、瑞典語でも殆ど情報がない(しかも読めない)ため、詳しいデータが少ない。しかし、著者の調べられる範囲で得た情報を開示しておこう。

  ★Sören “Sulo” Karlsson − アルバム上はSulo (Lead Vocal)
    メインのソングライターにしてヴォーカリスト。このヒトに関しては全くデータが無い。

  ★Bobby Fett (Guitar)
    歌のクレジットでは2枚目のアルバムからAnders Lindströmを名乗っている。1969年生まれ。1997年から
    Hellacoptersにピアニストとして参加。他、同国のインディ・バンド多数にわたり、鍵盤とギターで顔を出して
    いるらしい。スウェーディッシュ・ルーツパンクバンドのSewergroovesの全てのアルバムにもピアノで参加。
    Diamond Dogs結成以前はSkandal、Jimmy Wong And The Lockoutsといったバンドで活動していた。

  ★Henrik Widén (Piano,Organ)
    坊主頭の海坊主のようなおっさん。ひとりだけ他のメンバーよりも老けて見えるが、結構若いらしい。(笑)
    ユーロダンスバンドのRednexという異色のジャンルでピアノにクレジットされている。

  ★Stefan Björk (Bass)
    Wilmer Xに1983年から1988年まで在籍。女性ルーツロッカーのCarla Olsonのアルバムにも参加。

  ★Stevie Klasson (Guitars,Mandolin,Harmonica,Steel,Vocals)
   Johnny Thunders Bandのメンバー。英国ハードロッカーのGlenn Matlockのアルバムにも参加。他、
   Thunders関連のアーティストのアルバムで活躍。 

  ★Mattias Hellberg (Harmonica,Guitar,Vocal)
   Hellacoptersのアルバムに客演。Tidigare Rocket 99、Nymphet Noodlersというバンドにも在籍したようだ。
   2枚目からの参加で、最初はハーモニカとバックヴォーカルだけのメンバーという贅沢(?)ぶりを発揮。

  ★Jesper Karlson (Drums,Percussion)
   Mattiasと同じくTidigare Rocket 99、Nymphet Noodlersに参加していた模様。Suloと名字が同じだが
   この名字は結構北欧に多いらしい。関係は今のところ不詳。

  ★Darrell Bath (Slide,Guitars,Vocals)
   本作のレコーディングには参加していないが、オリジナルメンバーで脱退したKent Axènの補完メンバー
   のようである。

  以上、年齢等も明確ではないが、メンバーは活動歴からして30代半ばを中心にプラスマイナス10歳くらいで分布していると思われる。但し、写真では20代に見えそうなメンバーが多いので何とも云えないが。

  さて、漸く曲について述べていくことにしよう。8人体制という大掛かりなバンドは、少子化ではないけれども次第にメンバーが減る傾向にあるメジャー・シーンに対しても真っ向から立ち向かっているようで、純粋に面白みが感じられてならない。
  その8名が搾り出す音楽は、Faces、Rolling Stones、Mott The Hoople、初期のRod Stweartといった70年代の英国ロックのタフでアップビートなパーティ・ロックである。Quireboysからハードロック色をやや抜いたサウンドと呼ぶのも適切かもしれない。
  米国で例えれば、The Black Crowesの初期2枚まで、J.Geils Band、Izzy Stradlinというストレートでサザン・ロックの重厚感を上手くポップに融合させたロックンロールの21世紀版といえるだろう。
  3枚目の作品「Shortplayer」で、Diamond DogsがRolling Stonesの『Connection』とオールディズR&BロッカーであるBo Diddleyの『Phills』を取り上げて、デモ・ヴァージョンの形で録音している。ここにロックンロールのファンならDiamond Dogsの音楽性と背景を容易に想像することが出来るのでは、と思う。
  12曲のうち2分台の短いナンバーが5曲と約半数を占めているのは、パンクロック出身者の多いこのバンドの性癖なのかもしれないが、単調に暴力行為を一徹するだけのパンクソングのような退屈さは無く、全曲しっかりと聴けるナンバーを揃えて来ている。
  デヴュー・ミニアルバムの「Among The Non Believers」では、まだスカンジナヴィアン・パンクとメタルの影響を感じるような『Bite Off』や『Weekend Monster』といった曲が大半を占めていた。しかし、次作の「As Your Greens Turn Brown」では、かなり使い込まれた革製品の鈍色が曲に浮かんでくるような、燻製された渋いヴィンテージ・カラーを増したナンバーが多くなり、アクセル全開でかっ飛ばすタテノリのみのナンバーは相対的に減小の傾向を見せるようになり、それは3枚目の「Shortplayer」を挟んだ本作でも大きな変化は無い。
  が、4枚目をリリースするに至り、一層下回りが安定してきたように思える。元々、爆走パンクとは二味以上コクの違いを思わせる枯れた匂いをも漂わせる音楽を演奏しているバンドであったが、更にレトロ・アクティヴで古臭い格好の良さが向上している。
  タコ入道のようなHenrik Widénが叩くピアノやオルガンが何と言っても隠し味以上に主役を張っているのも注目すべきだろう。4人も在籍するギタリストが重ねるギターの音も魅力があるけれど、それ以上に鍵盤の主張するサウンドは脳裏に張り付くように一度耳にしたらラインを追わずにはいられないだろう。

  こういったセピア色で渋みのあるサウンドが成長しているのは、スライド・ギターが啜り泣き、ジャジーなエアブラシのドラミングに幽玄の如きオルガンが滑っていくインストゥルメンタル曲の#12『I Shall Not Be Moved』での、飴色に変色した木材の家具を想像させるほろ苦さに代表されている。
  また、このアルバムから初めてホーンセクションを導入し、#1『Charity Song』、#6『All Strung Out』、#9『Bittersweethearts』、#11『Blues Yet To Come』といったナンバーに大胆にフュ-チャリングしているのが一番目立つ斬新さである。勿論、Diamond Dogsとして新しいという意味であるが。
  シカゴ・ブルースロック風のブラス隊が吹き上げるサウンドが、大胆にスピーカーを揺さぶる#1のイントロで流れてくるピアノは60年代のオールディズを聴くかのような幻惑を感じるアナクロな音色だ。Beatlesの『Lady Madonna』でPaul McCertneyが叩くピアノを思い出してしまう。
  豪快なうねりを持つ#6のR&Bを感じるロック・ビートにバリトン・サックスを中心としたホーンが絡み、テナー・サックスがソロを執るのは、懐古的に走り過ぎるかもしれないが60年代のカウンター・カルチャー・バンドを甦らせたみたいであるし、しかも単純に楽しいパーティ・サウンドになっているところが気軽で良い。ブラス・ロックに多かったメッセージ性のシリアスさがないからだ。
  歯切れの良いリズムと自由にぶち叩かれる極楽ピアノが、そしてSuloのデヴュー時よりも円熟味を増してハードロック形式のヴォーカルスタイルからRod Stweartを思わせる色が滲み出てきたヴォーカルが、ジャムる#9はとてもコマーシャルで元気なナンバー。
  #11のSuloのヴォーカルを中心に大人しく始まって、コーラス部分で唐突にブラスセクションを従えて、ロックを叩き付けるというパターンは予測がつくけれども、それからの壊れかかったような各楽器の激突が荒さを通り越してア・ド・リブ感満載なため、素直に乗れるナンバーである。
  剛球一直線なロックナンバーも健在で、#2『Bound To Say』のヘヴィなポップパンク曲でマシンガンのようなピアノが暴れ、潰れたスライドギターが唸りを発しバンドの攻撃的な面を眼前に突きつける。
  やや大人の落ち着きのあるロックナンバーである#8『Every Little Crack』ではハードなギターリフに乗ってポップなメロディが気持ち良くリズムを刻んでいく。こういったロックチューンでも単純で軽いポップパンクとは重さの違う深みがあるし、爆走パンクの汚く五月蝿いだけの音楽性とも異なった身体の芯にズシンと響いてくるパンチ力がある。
  他にもホンキィ・トンクな極楽さが踊り出すダンス・ブギーな#3『Sad To Say I’m Sorry』や#5『This One’s For My Lady』のマンドリンも聴こえる欧州風のメロディが印象的なアクースティックなパブロックナンバーもありと、かなり多岐に渡る範囲を網羅している。
  今作はスローなバラードもロックナンバーを引き立てるだけでなく、その存在感を広げているのも嬉しい。
  ハーモニカが甘苦い雰囲気を出す#10『Stardom』から、オルガンが侘しげな音色を引き出しつつ、じっくりと泥臭く展開していく#4『Somebody Elses Lord』とラフなアレンジの中にも美しさが感じられる哀歌が聴ける。
  また、R&Bをベースにしてファンクなムードを漂わせる骨太なスローでブルージーな酔いどれナンバーの#7『Desperate Poetry』が最高にダイナミックなナンバーだろう、このアルバムの中では。

  このように終始一貫してハードだけでなく、メタルの刃の尖がりだけでもなく、単なる爆走パンクでもない、本当のロックンロールを演奏する北欧のバンドについて思うところを長々と記してみた。
  もうBobaにはHellacoptersで鍵盤を弾くのを辞めて貰い、Diamond Dogsでギターに専念して欲しいものだ。爆走ロックの王国である瑞典からこのような本格的なレトロ・ロックのバンドが出現するのはWilmer X以来かもしれない。しかも英語の歌を演奏できるバンドであるところはポイントが高い。
  アルバムタイトルは「やり過ぎはいつだって足りないよりマシや。」という意味合いだろうが、まだまだ足りない。
  もっと、このペースでロックンロールをガンガンと届けて欲しいバンドである。
  ちなみにバンド名はDavid Bowieの1974年発売の同名アルバム「Diamond Dogs」から引用した、かは分からない。何分資料が少ないので、ご了承願いたい。  (2002.5.11.)


  Century Spring / Mason Jennings (2002)

  Roots            ★★★★

  Pop
          ★★★★☆

  Rock  
    ★★☆

  Acoustic 
★★★★
                    You Can Listen From Here

   「Century Spring」−『百年に一度の春』とでも訳せば良いだろうか。

  Centuryという単語は、こういった意味で形容詞的に使われることがある。このアルバムタイトルの意味に正確に合致しているかは保証の限りではないけれども。
  が、こう解釈すると何ともロマンティックで雅楽的なタイトルではないか。スケールの大きい幻想小説を読むような気分にさせてくれる一節であると思う。
  仮に春という季節が一世紀に一度しか巡って来なかったとしたら、どれだけの歓喜と感動があるだろうか。新人類始原時代に終わりに近づいていた氷河期の間に訪れる間氷期のようなものだろうか。・・・・ともう少し雅な例えが出来ないものか、と自分でも情けないが。(苦笑)
  まあ、何はともあれそういった想像力を喚起させてくれるような、たおやかでのどやかな春の風を流れる音楽に合わせて想像しながら、この「Century Spring」を聴いてみるのも面白い。
  間違っても「世紀の春」なんて不恰好な解釈はしたくない、と感じさせるサウンドがこのMason Jenningsの3枚目の音に刻まれている。

  Mason Jennings、Jenningsという名前から第一に連想するのが、Will Jenningsである。Steve Winwoodのソロ活動作品で、数多くの名曲をWinwoodと書いているソングライターとして知る人ぞ、知る人物だ。彼が殆ど参加していない1990年の「Refuges Of The Heart」はいまいちであるし、全く存在の見られない1997年の「Junction 7」に至っては問題外の最悪の出来である。こういった実績を鑑みると、Winwoodの栄光を支えたのは、Will Jenningsの力に拠るところが多いのではないだろうか、と思う。
  と、ここまで振っておいて、Mason Jenningsは全くWill Jenningsは関係ない。(を)本題に戻ろう。

  Mason Jenningsはロックミュージックとは一番縁遠いイメージの纏わり付くハワイアンで有名な(なんつー貧困なイメージ)ハワイ州で生まれている。が、生後間も無くペンシルヴァニア州の工業都市、ピッツバークに家族ごと移住している。ペンシルヴァニア生まれという記載もあるのだが、どうにも資料が多いアーティストであり、判断がつきかねるところが多い。
  少年時代に聴いた音楽は、母の好きなロックンロールと、父が愛聴していたクラッシックと伝統民謡という、かなり極端な相性を有する音楽だったそうだ。ちなみに彼の父親はインディ・ミュージシャンである。
  Masonの父親は彼が幼少の頃に、ミネソタ州はTwin Cityの愛称を持つ中庸ロックの聖地、ミネアポリスにと移り住む。ミネアポリスを拠点にしてバンド活動をするためであり、家族を東海岸に残しての「単身赴任」であった。
  が、音楽家らしい手法で息子のMasonとコミュニケーションを取るため、バンドのデモテープをせっせと自分の子供に送っては聴かせていたようだ。このやり取りが、元来娯楽音楽を何の制約もなく聴いて育ったMason Jenningsに一層音楽に興味を持たせるようになった。
  資料によれば、Mason Jenningsは1975年生まれの27歳(2002年現在)である。ギターを始めたのは13歳の時と極端に早くもなければ、遅くもない年齢だ。本格的にミュージシャンになろうと決意し、活動を始めたのが高校に入ってから。結局Masonは高校を中退し、彼の父親が活動しているミネアポリスに自分も居を構えることになる。
  これが16歳のことだから、相当に思い切ったことをした少年だった訳だ。普通高校生でアマチュア・バンドをやりながらローカルに人気を博し、卒業後に本格的なデヴューというパターンが多いのだが、余程、Twin CityにMasonを惹き付ける何かがあったのだろう。
  学業の合間に曲を書くことより、好きなだけ自分の時間を費やして作詞と作曲をしたかったというところが本音のようだが、ミュージシャンとしての親の補助もあったのではないだろうか。これは想像の域を出ないのだが。
  兎も角、16歳からミネアポリスのバーやクラブで弾き語りを始めたMason Jenningsという少年は、20歳になるまでに地元のクラブシーンでかなりの好評を博すようになる。その彼の才能に注目したメジャー・レーベルからこの時点でいくつかの契約オファーがあったそうだ。John MayerやJosh Rouseに通じるアクースティック系アーティストの需要は未だ健在というところだろうか。
  が、Masonはそれらのオファーを全て蹴ってしまう。
  「僕はいつもメジャー・レーベルの責任者に『貴方達はアーティストの成長と発展を助けてますかね?』って質問するんだけれど、彼らの答えはこうさ。『いや、それはシングル・レーベルの仕事だろう』って。」
  「自分がひとりの人間として、アーティストとして成長するのに好きなだけ時を費やせるという事柄が、ひとりでやっていくことの最も素晴らしい点だ。また自然に浮かんできた新しいアイディアに挑戦することは、他人に与えられた方法や制約の中でそれらを使い回すよりも良いことだよ。」
  と、彼はインディで自主活動をすることを望む。20歳を出るか出ないかの年齢でここまで“若気の至りや気負い、圭角”があるとはいうものの、しっかりと自分の方向性を抱いているのは不相応な程に老成していると思う。
  結局、Masonは自分のスタンスで弾き語りをしつつ、1998年に自主プレスのアルバム「Mason Jennings」を発表する。23歳の時である。
  何と、殆どがMasonのギターとヴォーカルのみ、そして他の楽器もプロデュースも全てMason Jenningsという時代に逆行したようなワンマン・レコーディングアルバムであった。彼をシンガー・ソング・ライターと分類するメディアは多数に登るが、確かに1960年代や70年代のフォーク・ブーム期に見られたワンマンスタイル・レコーディングを懐かしくさせるようなスタイルである。
  このアルバムからのラジオシングルである『California (pt.U)』や『Butterfly』が地元のミネアポリスだけでなく、全米広範の地方ラジオ局でかなりのオン・エアを記録し、地元のバーでレギュラー演奏のステイタスを得ることに成功する。
  クラブサーキットを含めて演奏する機会がこれまで以上に増加したため、Masonはベーシスト、ドラマー、そしてサックスフォニストを雇い、The Mason Jennings Bandを結成。こういったシンプルなメンバーでツアーを開始する。
  そして、2000年に今度はバンド編成でレコーディングを開始し、2枚目の自主制作盤「Birds Flying Away」を吹き込む。この2枚目では共同プロデューサーに、Ed Ackersonを迎えている。
  Ed AckersonはThe Hung Ups、Bellwether、Balloon Guy、The Blow Popsといったアクースティック・ルーツやパワー・ポップのバンドのプロデューサーをしてきた人である。
  が、このMason JenningsのアルバムではかなりMasonのフォーキィな持ち味を活かした仕事をしている。が、彼特有のB級な曲がり具合も織り込んだようで、これはMasonの1stもそうなのだが、ややヒネたポップセンスが随所に見られるアルバムである。この辺については後述しよう。
  この2枚目のツアーはかなりの歓迎を受け、ライヴ会場で販売した2枚のアルバムのトータルは3万枚を超えているそうである。セルフ・リリースとしては相当の数字であり、これだけを売ればまずメジャーが放置しておかない。好例が1998年にシングル『Llulaby』が突如ヒットし、一気にメジャーと契約してしまったShawn Mullinsである。
  アクースティックなアーシーサウンドという点ではMason Jenningsと共通する箇所もあるアーティストであるが、Mullinsとは異なり、Masonは自分のレコード・レーベルであるArchitect Recordsを2002年の春に設立する。
  この自主レーベル創立は、3作目である本アルバム「Century Spring」に焦点を合わせたものであることは明白だろう。そして、自主レーベルの設立と前後して、過去の2枚のセルフ・リリース盤を再発し、50アーティスト以上を抱える、ニュージャージー州の中堅レーベルであるBar/None Recordsに発売を委託している。これによって、大手のオンライン・ショップにもMason Jenningsのアルバムが入荷したので、これまで以上に入手が容易になった。まずは喜んでよいことだろう。
  そして、2002年3月末に、3作目の「Century Spring」が発売される。

  この最新アルバムは、疑いようもなくMason Jenningsの“ロックアルバム”としてキャリア最高の傑作だ。
  これまでの彼の2作品は、アクースティックで現代フォーク・ミュージックを徹底的に追及した作風がまず第一義であったように思える。兎に角、繊細であり、細微であり、触れればたちまち壊れてしまいそうな儚げな脆さがそこかしこに漂っていた。
  20代前半の若者が切々と訴えかける青臭い感情が赤裸々に吐露されているような、素朴で自然な色合いが濃い作品の創り手、というのがMason Jenningsの印象であった。
  が、同時に、これまた古典的なサイケディリック風味−敢えてポップ一辺倒にすることを是としない、といった意図が明白にメロディ・メイキングに見て取れる、スコアの捏ね繰り回しがかなりの部分に感じられた。サイケ・ポップとまでは尖がってギスギスとはしていないかもしれない。
  他の表現を用いれば、英国風の歪んだポップセンスを多分に継承しているようなシンガー・ソングライターであり、Dave Matthewsと常に比較されていたことを顧みると、Dave Matthews Bandのジャズやブルースを加味しつつ、酸性のジャム的なアクースティックな音楽を創作していたシンガーと考えてもよいだろう。
  但し、Mason JenningsにはDave Matthewsのように演奏とアイディアだけで圧倒しようとする強引さもないし、敢えてサイケディリックで独創的な音創りをして斬新さを衒うような恣意的な傲慢さの欠片も無い。常に自然体であり、優しくアクースティックな音楽を届けようとするフレンドリーな姿勢が微笑ましい。
  この点で、1996年の「Crash」を最後に加速度的に堕落し、メジャーの看板を下すことこそ最後の救いになりつつある下らないバンドに成り下がったDave Matthewsとは雲泥の差がある。ライヴに物凄い収益があるため、未だに凄い音楽を演奏していると信じて止まないオオボケバンドにはもはや賞賛などかける価値も無いだろう。
  と、DMBを貶す場所ではないのでこのあたりで打ち止めにしよう。要するに、もはやDave Matthewsなんぞとは比較できないほど素晴らしいアーティストに成長したことが言いたかったのだ、この27歳の青年が。

  そう、殊にメロディ・メイキングの点で素晴らしい高みまでMason Jenningsは成長している。これまでのように敢えて酸味を利かせたアシッドさや苦さを加えたり、捻りを入れヒネリを加えて奇妙なポップさを演出することなく、元来のスタイルに合致するような素直で優しいメロディだけに統一した音楽性でこのアルバムを作成しているのだ。
  また、非常に特徴ある、一度聴いたら忘れられないMasonのヴォーカルは相変わらず「温泉まっしぐら」である。=ユニーク・・・・湯に行く・・・・・・・。(寒)
  と冗談は筆者の顔だけにしておいて、Mason Jenningsの最大の武器は、その声質だとこのアルバムを聴いて深く考え直すことひとしきりだった。特別に綺麗な透明感も無く、ガンガンと魂を揺さぶるような質量も無い。何処にでも転がっているように思える普通の声なのだが、何故か耳について離れない。
  声質ならBruce HornsbyとPaul Westerbergの中間というところだろうか。が、Hornsbyほど唄い回しは巧みではないし、Westerbergのようなヘタウマ系の毒も無い。
  非常に表現が難しいのだが、適度に甘く、やや語りかけるようなヴォーカル。
  スピーカーを通しても通さなくても、鼓膜を震わせる音量は全く変わらないような、ありのままのヴォーカル。
  ヴェルヴェット・ヴォイスという表現があるが、手触りはむしろ麻やコットンのようにややざらついた感覚がある。
  Aaron Nevilleの声から高さと艶を脱色させ、その暖かさだけを残して裏漉ししたヴォーカル。
  と、思いつくままに挙げてみたが、やはり親しみの持てる優しくユニークな声。トーキング・ヴォーカルではないのに「唄うぞ」と構えて歌っていない自然体なスタイルの歌い方ができるシンガー、という纏め方しかできない。
  Neil Youngにそっくりな頼りなさがあるといえば、一番近いのはNeilの爺いかもしれない。Masonも今作をこう振り返っている。
  「僕はOrnette ColemanやJohn Coltraneといったかなりのジャズアルバムを聴いてきた。でもこのレコードはよりNeil Youngからの影響をストレートに出しているね。ラヴ・ソングとアクースティック・ベースなナンバーという2点で。演奏のスタイルも「Harvest」や「Silver And Gold」に似ているかな。」
  実際に、Neil Youngの声に若さを含ませたら、Mason Jenningsになりそうな気がする。爺いの声よりはもっと甘さがあるけれども。

  更に、アクースティックが主体という方向性は変わらないのだが、演奏が全体として膨らみを持ち、適度にアンサンブルを強調したバンドサウンドになっていることも、本作の大きな変更点だろう。これまでに全くといってよい位に使用されていなかったピアノが積極的に取り入れられ−当然弾くのはMason Jenningsである−アクースティックなカラーに程好い華やかさを添えている。
  このピアノを多用したアレンジは、全体としてフォークからフォークロック、ルーツロックというロックサイドにMasonが移行していることを示しているという側面も有する。物凄いアップ・ビートなナンバーが増えた、というか最初から存在しないのだが、明るく、素直なポップナンバーが相対的に多いので全体として明るくはきはきした感じが色濃くなっているのだろう。
  純粋さと繊細さに影のように付きまとう苦悩さと暗さ、という表現が適当だった2枚目までと比べると、軽くなったという表現を敢えて使用したい。誤解を招くかもしれないが、確かにやや鬱の入ったメロディが全く払底され、デリケートな曲の流れに弾んで楽しげな雰囲気が満ちている。
  最初から貫かれてきた哲学的思慮深さよりも、より心暖まり希望に満ち溢れた、舶来表現ならハートフルなアルバムに仕上がっていると感じるのだ。
  しかし、装飾過剰になっておらず、とても和める。Jenningsはこう言っている。
  「僕はあまり複雑にごちゃごちゃとした要素を詰め込むことをしていない。」
  まさに、その通りで、単なるアクースティックな弾き語りのアルバムではないが、とても等身大で潔さを聴かせてくれるアルバムである。

  Masonは「Century Spring」についてこう述べている。
  「僕はこのアルバムを単なるラヴ・ストーリーだと思っている。そして愛というものを皆がどう感じているかをあらゆる方面から表現するように試みてみた。」
  が、直裁的なラヴ・ソングはそれ程多くないようにも感じる。#2『SorrySigns On Cash Machines』、#3『New York City』、#4『Dewey Dell』の3連続はラヴ・ソングなのがすぐに聴き取れるが。#6『Century Spring』もその類。
  寧ろ、より感情の内面を、暗喩的に文学的に、幾つかの詩として綴ったというような雰囲気である。これこそシンガー・ソング・ライターのアルバム、という繊細な世界が用意されていると考えている。
  これまでに軽く300曲以上を書いているという、Masonのソング・ブックからピックアップされた曲は、今回は10。しかもアルバムの総演奏時間は僅かに32分ジャスト。
  極度な装飾を嫌う彼の趣味を反映したかのように、簡潔な仕上がりとなっている。

  まず、1stシングルとなったのが#1『Living In The Moment』である。これまでにない、ビートの振り撒かれたロック・ポップチューンである。何処となく、ネジが緩んだようなMasonのヨレっとしたヴォーカルがこれまたミディアムな速さの曲調に見事にマッチしている。2分強で終ってしまう小曲であるけど、これまでにないMasonのトライアルを見せ付けるには十分な効果のあるナンバーだ。
  このナンバーは約3ヶ月の全米ツアーを一緒に行ったJack Johnsonの歌から得た影響が大だ、とMasonは述べている。2001年に「Brushfire Fairytales」というモダン・フォークのアルバムをリリースしてかなりの評判を得たアーティストがJack Johnsonであり、2002年には日本盤も出たらしい。筆者はあまり好みではないのだが。
  Jack JohnsonとBen Harperの前座としてツアーに参加したことが、かなりMasonにとってプラスに作用したようでもある。Masonは特にBen Harperをある種の理想としている。
  「確かに僕がかくありたい、って望むことをそのままにやっているシンガーは居ないと思う。けれど、Ben Harperは凄いね。彼はMTVで脚光を浴びたり、全米中のラジオでヘヴィローテーションになることを望んではいないだろう?けれども、彼は上手くやっているよね、多くのファンの支持を受けて。それは彼が本物なヤツだからさ。」
  また#1のように軽快なナンバーが#3『New York City』である。彼にしては珍しい、かなり電気ギターが際立ったアップビートなポップナンバーだ。とはいえ、とてもジェントルな雰囲気を持つナンバーに仕上がっているのは、Masonの独自性を顕すようで面白い。
  また、筆者の大嫌いな軟弱シンガーの代表である、Ron Sexsmithと比較されるのは非常に涙を禁じえないが・・・
  そういった比較をされてもある程度仕方ないと思えるのは、#6『Century Spring』や#8『Killer’s Creek』といったアクースティックでポップなソフトナンバーの存在があるからだろう。
  が、単にナヨっとしてオカマ野郎としか思えないRonとは違い、Mason Jenningsの歌には心が入った彫像のようにピリッとした芯が入っている。
  ファルセットのコーラスが美しいタイトル曲#6はMansonがドラムとベースと全ての楽器を担当しているサラサラとした清涼感のあるギターが印象的な曲。
  #8『Killer’s Creek』はブリティッシュ・フォークのような落ち着いたアクースティックギターとワルツ風のピアノ小節で始まるが、即座にロックのダイナミックなビートが曲を支配し、あちこちで変調する大作である。いかにもスムースジャズ・ピアノといった午後の紅茶のような優雅な音色のピアノと折り重なったヴォーカルが素晴らしい調和をみせてくれる。
  異色なのが、レゲエのリズムとラップの歌唱法で進行する#7『Bullet』だろう。黒人のラッパーも顔負けのラップを披露するMasonのヴォーカルにも驚いたが、それをレゲエのタッチでメロディにくっ付けるとは更に吃驚であった。いわばルーツ・ラップというジャンルになるだろうか。これは面白い試みである。曲の骨組みがきっちりとメロディを組み上げているので、ラップと即座に嫌悪せずに聴けるところが流石だ。
  バラードもピアノを加えたことで、かなり説得力と情感を有するようになっている。#2『SorrySigns On Cash Machines』はリリカルなピアノが主役で歌うしっとりとしたバラードであり、裏声を駆使したMasonのヴォーカルは特にコーラス部分の甘い展開でその威力を発揮している。
  全てのヴォーカル・パートがハーモニーで歌われる#『Dewey Dell』ではアクースティックギターとピアノだけがバックを支える2分の小作品だが、賛美歌のような美しさがある。
  #5『Forgiveness』になると、今度はピアノ一本で地のさざめきのようにひっそりとしたバラードが歌い込まれる。こういったシンガー・ソングライターが素のままにアレンジを施さずに歌うデモ・ヴァージョンとも思えるナンバーを聴くと、彼がPaul McCertneyやElton Johnといった偉大なソングライターと並べて批評される原因が分かる。若き日のこのロックシンガー2大巨頭の作風に通じるところがあるのだ。
  得意の弾き語り風なナンバーはアルバムの最後に2曲続いている。
  #9『East Of Eden』はリズム隊とのアンサンブルによって進行するが、どこまでもアクースティックなバラードである。繊細且つ寂しい慕情を弾き出すような歌を聴いていると、アレンジの違いはあるけれども、Michael McDonaldのライティングを思い起こしてしまう。
  #10『Adrian』はやや声を太くして地を這うような雰囲気で語られる、フォークナンバーである。こういったナンバーには今まではJohn Lennonによく見られたサイケディリックな出っ張りがあったのだが、ここでは実に覚束ないくらいのリラックスさを全面に出して歌を紡いでいる。この静かなナンバーで32分のアルバムは幕を引く。

  単なるアクースティックでフォーキィなアーティストなら腐るほど転がっているが、Mason Jenningsのように説得力のあるアクースティックな音楽を演奏するアーティストは少ないだろう。折りしも、ジャム・ロックのムーヴメントが盛んなため、兎に角ジャジーでアクースティックギターを入れるだけの似非バンドが氾濫しているインディ・シーンでは数少ない本物のナチュラル・フォーク・ロッカーであると思う。
  最後に彼のインタヴューを幾つか紹介してこのレヴューを終るとする。

  「僕は自分が“ロックスター”ではなく、“フォークミュージシャン”と呼ばれていることは良いね、と思う。確かに僕はアクースティックな音楽をやっているし、ポップソングで僕の考えていることを表わす以上に、僕が歌で語れることが多いと思う。それが僕にとっての“Folk”さ。」

  「僕はこの場にないある種の音楽を聴きたいと思っている。だから僕は曲を書く。これを追求することが、アーティストにとって一番大事なことだと思うよ。」

  「生涯ずっと音楽をやっていきたい。それが望みだよ。分不相応なお金は要らない。普通に暮らしていくだけの小さな空間と収入があれば十分だ。例え、僕が成功しても、それは何時かは下降線を辿るし、また浮かび上がることもあるだろう。どんな仕事だって上手くいくときと駄目な時があるようにね。兎に角、音楽を続けていきたいね。」

  何となく、市井の音楽家、という印象が浮かんでくる。  (2002.5.18.)

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