Blackbird On A Lonley Wire / Will Hoge (2003)

  Roots           ★★★

  Pop         
★★★★☆

  Rock      
★★★★☆

  Southern 
★★    You Can Listen From Here


 ◆変身!!

  「華麗なる変身」とは、口が裂けても言えない。
  Will Hogeのメジャー2作目「Blackbird On A Lonley Wire」では、“華麗”とか、“スマート、都会的、モダンロック”といったタイプの表現がデビュー時から変わらずに似合わないでいる。
  しかし、#1『Not That Cool』を聴いた瞬間、
  「をを、Hill Hogeが変身した〜!!」と直感した。

  Will Hogeのデビュー盤は、何とライヴアルバムだ。元Georgia SatellitesのフロントマンDan Bairdが、ギタリストとしてフル参加していることは1999年の段階で知っていたのだが、結局ライヴアルバムは敬遠し勝ちな性癖が影響してしまい、件のアルバム「All Night Long」の入手は2001年までずれ込んでしまった。スタジオ盤としてのデビュー作である「Carousel」と前後しての購入になったのだ。
  この2枚の既出盤でもWill Hogeのロックンローラーとしての地力は、濃厚過ぎて鼻を摘んでしまう程に感じることが出来てはいた。実際、「All Night Long」を購入する動機になったのは「Carousel」だからして、前作への評価が低い筈もない。 
  そして、Will Hogeの通算3作目「Blackbird On A Lonley Wire」に於いても、彼の評価は下がるどころか、赤丸急上昇でロケットローンチしてしまった。
  通常なら、アルバムを出す毎に良くなっていくミュージシャンへの評価は“成長”とか“熟成”といった語彙で表わされるべきだと思うし、実際筆者もこの定型な賞賛をすることが殆どだ。
  Will Hogeへの評価も、“成長”した、として悪くは無いと考えてはいる。がしかし、やはりこのアルバムを聴いて感じることは“成長”よりも“変身”であるのだ。

 ◆変身・・・・何に?

  #1『Not That Cool』のストレート過ぎるポップさと、限界までアップビートを突き詰めつつも、ハードロックとなってはいない絶妙の疾走感。ここには、デビュー且つライヴ盤である「All Night Long」から毅然としてそこに居続けるHill Hogeのロックシンガーとしての拘りがある。
  しかし、ロックシンガーであると同時に、Will Hogeはソウルやファンクといった黒人ルーツの音楽を思わせる歌を書くライターだったし、ソウル的な歌唱法をロックンロール熱唱の裏側に常に感じさせるシンガーでもあった。
  これはライヴ盤である「All Night Long」よりスタジオ録音盤の「Carousel」で明確に浮き出ているかもしれない。
  しかし、#1を聴くと、黒人らしさは殆ど見せないが白人ソウルシンガーとしての顔を有していた男としてのWill Hogeの表情は見えてこないのだ。
  つまり、ソウルシンガー且つロックシンガーであったWill Hogeが、ブラックルーツ音楽への傾倒をスッパリとかなぐり捨て、よりロックの中核に近づいたロックの歌い手に変身しているのだ。

  しかも、この変身にはもう一段階上に登った付属品が追加装備されている。
  それは、ロックンロールのシンガーだけでなく、消えてしまったソウル色に成り代わるようにルーツロック、ルーツミュージックとしてのプロバイダーとしての側面を彼の音楽が帯びてきていることだ。
  思えば、「All Night Long」では、確かにロックシンガーとしての獰猛さや精悍さはプンプン発揮していたが、ルーツロックとしてのレイドバック感覚やアーシーさには結構不足な部分が目立っていたと思う。
  この事実は、「Blackbird On A Lonely Wire」に収録された曲のオリジナルが何処からかを知ると、更に明確に形をとることになるのだが、それは後述する。
  次にスタジオ処女盤となった「Carousel」だが、こちらではロックンロールよりもロックン・ソウルという、まるでDaryl Hall And John Oatesのベスト盤のような名前が似合う音楽性が強まっていたと思っている。ポップミュージックの親しみ易さよりも、ロックンローラーとしては相当濃い喉を持つWill Hogeの声質が、白人ソウルロック的な特徴を際立たせてしまったと判断すべきだ。
  同時に、それなりにコマーシャルであったにせよ、ソウルと質量のあるロックサウンドにメロディが遅れをとってしまっていたと解釈することも可能。

  結局、前2作では、ロックシンガーとしての才能を出し切っていたが、その分ルーツミュージックやトラッド・ロックの担い手としては見なすことの出来ないシンガー・ソングライターであったと云える。
  しかし、この3rdアルバムにてWill Hogeは急速な変身を遂げている。ルーツロックの供給者としての面を纏って。
  これを変身と呼ぶべきか。それとも、焦点をソウルフルさを生かしたファンクやブルージーな南部ロックから、よりアーシーでホワイト・ウォッシュなPop/Rockへと絞り直したとも見なすことも出来る。この場合、変身というよりも集中する要素を変えた=転身とも表現出来そうだ。
  また、言わずもがなであるけれど、当然成長は、「変身」とは別にちゃんと実行されている。これまた過去の発表曲が再度3作目に取り入れられているので(これまた後述)、比較すれば簡単に判明すだろう。

 ◆凡そ、3段階に分かれたアルバム構成

  さて、変身でも成長でも、成熟でも、兎に角レヴェルアップを大いに果たしたWill Hogeの3rdアルバムは、大体3段階に分かれて曲が並んでいる。以下、筆者の極主観による分類で曲ごとに解説を加えていきたい。
  また、飛び地のように他の集団に紛れ込んでいる曲もあるので、それはそれで個別にグループ分けしておく。

 ■変身の証明である本格派 Roots Pop/Rockな第一部
  #1『Not That Cool』 から #4『Hey Tonight』まで。そして#10『Better Off Now(That You’re Gone)』。
  #8『Someone Else’s Baby』と#12『Baby Girl』。

 ■南部ルーツ、そして南部ロック音楽への傾倒を見せる第二部
  5『Hey Tonight』 から #7『It’s Shame』まで。  

 ■「All Night Long Live At The EXIT/IN」からリテイクされた、爆走ロック時代も忘れてない第三部。
  #9『TV Set』と#11『All Night Long』。

  こんな所だろう。ネーミングセンスの欠如については筆者の責任なので、容赦願いたい。

 ◆やはり出色は前半の4曲

  熱く、なりふり構わず唄いまくるシンガーという印象の強かったWill Hogeだが−そこが魅力でもあったのは確か−見事に真実のロックシンガーとして落ち着きと親しみ易さを備えるに至っている。
  特に、アルバム前半のキャッチーでありながら、ナッシュヴィルのコマーシャルな商業カントリーに染まり切らないロックとしてのタフさを持った良質な曲の並んだアルバム前半は素晴らしい出来になっている。
  これこそ、良い意味でのコマーシャリズムと売れ線ラジオフレンドリーなロック・ヴォーカル音楽の真骨頂だと断言させるものが存在している。
  殊に既存のWill Hogeの曲では最もポップで軽快な#1『Not That Cool』は、Willの腰の据わったロックシンガーへの変身を明確に裏付けるナンバーだ。
  残念ながら、ギタリストは既にツアーのスケジュールが合致せず「Carousel」録音後にバンドを去ったDan Bairdが復帰するには至っていない。が、南部サウンドの特徴を余すことなく表現した分厚く豪快なギターアンサンブルとリズムセクションのマッチョさがアクセル全開でHogeの濃厚なヴォーカルを支えている。
  寧ろ、Dan Bairdのギターが経験とプレイの年輪の違いからか、やや主張し過ぎていた「Carousel」よりもバンドアンサンブルとしてはバランスが良くなっているようにも思える。
  更にWallflowersの(もうJacobと手を切るべきだと思うが)オルガニストであるRami Jaffeeがハモンドオルガンを担当し、曲に隠し味では済まない丸みを与えている。
  Rami Jaffeeは5曲でオルガンを弾いているが、彼に限らず、今作には複数のキーボーディストが参加し、積極的な鍵盤類の活用が見られる。これは殆どノン・キーボードだった前2作と比べると、Pop/Rockを意識し出した証拠だと考えている。
  唯でさえ、突出して孤立しがちなクセのあるWill Hogeのヴォイスを包み込んでマイルドに聴かせる効果を、鍵盤は齎すからだ。
  そして、このアルバムには参加していないが、ツアーに至って正式にキーボーディストのJohn lancasterをWill Hoge Bandに加えているのだ。サポートメンバーではなくバンドに鍵盤担当を加入させるという行為は、より一層Willがバンドアンサンブルを重要視し出した現れだろう。

  #2『Be The One』は、やや前作に近いR&Bやファンクの微臭が感じられるナンバーだ。Will Hogeも曲に合わせてメロディをなぞっていた#1とは異なり、かなりファンキーな歌い方をしている。しかし、親しみ易いメロディを書いているし、バンドメンバーとのコーラスワークではきっちりとソウル側でなくロックサイドへシフトしてくれるので、ルーツィなカラーの方が出ている。サンプリングを控え目ながら効果的に使っているのも面白い。
  そして、これまたHogeの変わり身を観察できる、バラードの#3『King Of Grey』。ピアノを中心に、南部やナッシュヴィルサウンドを超越した、ロックヴォーカルの雄というべき正統派なロックバラードをダイナミックに、甘く熱唱してくれるのだ。ストリングスを商業ロック顔負けに大胆に取り入れた、Top40ソング的バラードを恥ずかしげも無く取り入れつつ、しっかりとルーツな雰囲気をギターソロを中心にエッセンスとして加える図太さ。
  ある意味、#1よりも如実にWill Hogeのロックの歌い手たる性格を反映している曲だ。
  #4『Secondhand Heart』も、単にボルテージを上げていた頃とは大きく異なり、ロックリズムを大切にしながらも、ソフィストケイトされたポップソングへのアプローチを仕掛けている曲だ。そしてライトでありながらスピーディであり、そしてサザンロックとしての重量感は不足無し。Bob SegerやJohn MellencampといったアップステートなHearland Rockの風格さえ備え始めている。
  そして、過去からの使者たるリテイク2曲に囲まれた形になっている、#10『Better Off Now(That You’re Gone)』もスタンピードする傾向にある後半をモデレイトするアンカー的なポップロックとして重要だ。
  これまたウルトラキャッチーなメロディにパワフルな演奏が合体するサザン系のPop/Rockとして最高級に属するナンバーだが、ピアノ、オルガン、ハーモニカといった楽器がそこはかとないルーツテイストを彩り、実にオーガニックな曲に纏め上げている。

  #8『Someone Else’s Baby』はかなりアクースティック。それでいてドリーミーなパワーポップの要素も持ち合わせた、Willにしては新境地に挑んだナンバーだ。
  キーボードをピアノ、オルガン、シンセサイザーと複数組み込み、ストリングスセクションまで加えているのに、曲としては大人しいミディアム・チューン。アーシーな面も微細に見せつつ、フワフワとした柔らかさを芯にしたDoug Powellあたりが得意としそうなナンバーだ。
  更にアクースティックとセンシティヴなアレンジに特化した#12『Baby Girl』ではボトルネックギターも加え、南部カントリーのテイストも取り入れ始めていることが見える。極力ソフトに歌おうとし、所々で裏返り気味なWillのヴォーカルが何となく新鮮だ。女性コーラスも参加させ、牧歌的な雰囲気を醸し出してもいる。
  このジェントリーな2曲を聴くにつけ、単なるタテノリシンガーからは脱皮しつつあることが理解できるだろう。

 ◆ロックにだけ入り浸りではない。深いサザンルーツ・ミュージックへの踏み出し

  #5『Hey Tonight』は、ソウルフルなだけのサザンロックを叩き付けていた頃とは大きく異なり、懐の深さとメロディに気を使った跡が伺える、サザンチューン。かなり南部ルーツとR&B的なエッセンスが敷かれているが、これも厚いロックチューンとして本格派に属する曲だ。何より、アンサンブルから浮き出ずに歌を合わせているWillの歌唱法が、単なるサザンソウルで切られないロックトラックに仕立てている。
  #6『Doesn’t Have To Be That Way』のブルージーでヘヴィなサザンロック、まるでLynard SkynardやLittle Feetを継承するような南部ルーツ色たっぷりな曲。
  単に熱唱するだけでなく、根源音楽への敬意を込めて南部ナンバーとして歌うWill Hoge。
  同じく、かなりヘヴィでありつつもコマーシャルさとメリハリの効いたダイナミズムを持った#7『It’Shame』。かなり古典的なサザン・ハードロックにプログレッシヴな展開をミックスした、1980年代のアリーナ・サザンロックと呼ばれたヒットバンドに伍する色合いを持っている。
  ロックンロールの重さだけでなく、サザンルーツへの傾倒とサザンロックを親しみ易いロックトラックへと膾炙させた産業ロック的側面を持ったナンバーだ。

 ◆しかし、オーヴァードライヴな少しやり過ぎロック野郎でもある

  が、爆走ロックも健在だ。Dan Bairdをひと目で惚れ込ませた我武者羅ロック野郎だった無名時代。
  ノリだけで録音されたライヴ盤の「All Night Long」に収録されていたのが、#9『TV Set』と#11『All Night Long』である。
  この2曲に関しては細かい説明は必要なかろう。パンキッシュでハードドライヴで、ノイジーなガレージロックな性格も持ったロックンロールだから。
  こういった爆走トラック野郎風のナンバーもWill Hogeのガラガラなヴォーカルには適しているが、こういったノリノリなパンキッシュサザンサウンドはWill Hogeではなくても出来るのだから、これ一杯で固められると辟易しそうな気もする。
  しかし、キーボードを加えたりしてアレンジの面ではオリジナル・ヴァージョンよりもロックとしての厚味を巧く添加しているのは流石だ。

 ◆2連続のメジャー発売

  Will Hogeの2作目、「Carousel」は2000年に録音され、先行的にインディ発売された。この時点で、既にAtlantic Recordsと契約を結んでいたのだが、初期に出回ったのは、レコードレーベルのロゴが入っていない自主リリース盤だった。単に、「Will Hoge 2」となっているだけだ。
  筆者が2001年初頭に海外オークション経由で格安入手したのが、こちらのAtlanticの品番が無い方だ。しかし、2001年にその後を追うように発売されたメジャープレス版の「Carousel」には何ら変更点は見られない。
  かなり前に「Carousel」について拙いレヴュー・・・今読み返すと実に稚拙なので何れ抹消したい(汗)・・・・を書いたが、その際にDan Bairdとの“馴れ初め”は解説している。
  簡単に書くと、ケンタッキーで教師を目指していた大学生のWill Hogeは、何処かで道を間違えた或いは天職に目覚めたのか曲を書き始め−ロックシンガー・ソングライターとしてはかなり遅咲きのスタートだ−ナッシュヴィルに勉学を投げ打って移住。
  3ピースバンドを幾つも立ち上げて演奏活動を開始。1999年にライヴパフォーマンスをDan Bairdが偶然目にし、Willの才能に惚れ込み、バンドを結成。1999年に「Live At EXIT/IN」を自主発売。直ぐに「All Night Long」と改題されて売り出され、4000枚のセールスを地元で記録。
  これに眼を付けたAtlantic RecordがWillと2000年に契約。当初は何故かセルフリリースされた「Carousel」だが、直ぐにAtlanticからの配給に変わる。インターネットを中心にジワジワと評判が上がり10万単位で売れた。
  物凄い成功ではなかったが、そこそこの成果を残せたのは重畳で、2003年の「Blackbird On A Lonely Wire」も晴れてメジャー契約継続となった。
  筆者はこのキャッチーで胸弾むハードエッジを持ったアルバムこそがメジャーで評価されるべきと考えているので、Will Hogeのメジャーでの活動が続いていることはとても嬉しい。

 ◆真実のロックシンガーとして成長していけるか?

  「僕は完全無欠のロックンロールバンドが今はもうそんなに多くないと思っている。Otis ReddingがBucker T & MGsと演ってた頃は、それこそがロックンロールだった。確かに多くの素晴らしい“ロック”バンドは存在しているね。でも彼らが“ロール”を持っているとは思わないんだ。
  “ロック”とは頭をガンガン振ること。”ロール”とは腰をシェイクすることなんだからね。」

  「僕はラヴ・ソングを歌うし、シンガー・ソングライターでもある。でもシンガー・ソングライターという響きは僕のテイストでは少し弱ッちい泣き虫野郎と思えるんだ。
   この点が、僕がTom PettyやBruce Springsteenを愛して止まない所なんだ。彼らはシンガー・ソングライターでも在ると同時に、偉大なストーリーテラーでもある。が、彼らはアクースティックギターを抱えて座って歌うよりももっと素晴らしい音楽を創れる驚くべきバンドを持っている。ここが重要なんだ。僕がアーティストとして在る為に常に心に思うこと、それは僕の後ろにロックンロールを支えるバンドメンバーがいるということ。」

  以上のようなコメントを一部紹介してみたが、このコメントを実践し続ける限り、Will Hogeは本当のロックンロールシンガーとして良質なアルバムを届けてくれるに違いない。
  問題は実践、有言実行が可能かという点だ。しかし、この素晴らしいアルバム「Blackbird On A Lonely Wire」が既に実践の実例となっているのだから、彼の言葉には説得力がある。
  きっと次も”アタマをガンガン振って、腰でリズムを取れる”ルーツロックの快作を届けてくれると信じている。メジャーで駄目になり堕落するミュージシャンは多いが、2枚連続で良作を発表したWill Hogeには最早不要の心配だ。
  願わくば、メジャーでの活動が長く続けば良いのだが。  (2003.5.25.)


  Running Horse / Poco (2002)

  Roots            ★★★☆

  Pop          
★★★★

  Rock       
★★★☆

  West Coast 
★★★★  You Can Listen From Here


 ◆1989「Legacy」以降。

  1989年に、遂にレコーディングメンバーとして顔を揃える事の無かったオリジナル・ポコとして、バンドを創設した5名による初のレコード「Legacy」が発売された。
  このアルバムはリユニオン作品としては例外的とも言える傑作になった。少なくとも筆者はそう思っている。
  チャートの反応も、1984年の「Inamorata」から5年振りという空白期間を置いたにも関わらず、上々の結果を示し、1978年の「Legend」以来、Pocoとしては4枚目にして現在までは最後のトップ40アルバムにもなった。更に、これまではたったの2枚しかなかったトップ40シングルに2曲、『Call It Love』と『Nothing To Hide』を付け加えるという成果も残している。
  この予想外のリアクションに、プロモーター側は大々的なツアーと、次のアルバムの製作を発表したのだが、ツアーの開始直後にバンドは再びメンバー間の不和から空中分解。解散してしまった。
  それ以降、バンドのメンバーは各々の道を歩み始める。Jim Messinaはソロアーティストに戻り、Randy Meisnerは彼のリーダーバンド、Black Tieを結成したが長続きせずに幾つかの非アルバムプレスバンドを結成しては解散の繰り返しを送る。
  Richey Fureyは宗教活動に没頭するようになり、クリスチャンレーベルからソロアルバムを1990年代に1枚発表した後は教会活動に専念していく。
  この中で、唯一Pocoとして残ったのが、唯ひとりバンド創設から1984年の「Inamorata」までPocoに在籍を続けた、ペダルスティール奏者のRusty Youngだった。
  Rustyは殆どオリジナルメンバーといって良いヴォーカリストのPaul Cottonと1991年に新生Pocoを再スタートさせることになる。ここにはドラマーのTim SmithとベーシストにRichard Nevilleが参加した。
  この90年代のPocoは、1997年くらいまでゆるゆるとライヴ活動を行っていた模様だ。かなり地味な活動だった様子で、この当時西海岸に住んでいた筆者の耳にDoobie BrothersやEaglesのリユニオン的ツアーの情報は入ってきても、Pocoについては全く入ってこなかった。定期的な活動ではなく、稀にライヴツアーを行うという間歇的なバンドスタイルを選択していたらしい。
  また、Rustyも常にPocoだけに専念していなかった。1988年頃、RustyはあのFoster And Lloydの片割れであるパワーポップの職人Bill Lloydと、 New Grass Revivalに在籍していたJoan Cowanという2人のヴォーカリストと協力してバンドを結成。The Skykingsと名乗るカントリーロックのグループをスタートさせている。
  RustyがオリジナルのPocoへと参加したため、一時期The Skykingsの活動は停滞した。しかし、プロジェクトのご破算により、1992年頃からRustyはこちらのバンドに力を注ぐようになる。
  このThe Skykingsは、元Doobie BrothersのPat Simmonsを正式に4人目のメンバーとして迎え、1992年から96年に掛けて活動。メジャーレーベルのRCAから「Four Wheel Drive」を、Warner Borthersから「The Sky Kings」をそれぞれ録音している。玄人受けする地味なスーパープロジェクトという所に位置するバンドだ。
  しかし、“諸般の事情”により、このアルバムは2枚ともオクラ入りになってしまっていた。
  1996年から1997年に掛けて、Warnerから2枚のシングルCDとEPが発売されたが、フルレングスのプレスには至っていない。
  が、再発レーベルとして著名なライノから2000年に、1996年から1997年の音源を全て収録した再発盤(というよりも復刻盤かな)が「Out Of The Blue」というタイトルで発表された。24曲入りに分厚いブックレット付きという、如何にもライノらしい企画盤である。
  限定5000枚という触れ込みで発売されているが、2003年現在もまだライノに在庫がある模様なので、Pocoに限らず西海岸カントリーロックファンやBill Lloydのフォロワーはチェックしてみてはどうだろうか。Rusty Youngのファンには、彼のリードヴォーカルが聴けるという点で堪らないものがある。但し、値段はちと高目ではあるのだが。

  話が少し逸れたが、Pocoに話題を戻そう。YoungとCottonを中心に1990年代を細々とアルバムすら発表せずに過ごしたPocoだが、1990年代後半には再び沈黙。このまま殆ど話題が起きないまま、過去のバンドとして消えていくと思っていたのだが、2001年くらいから、再びライヴを行い出したという情報が2002年の始めに耳に入ってきた。
  実際は、一旦休眠したPoco−理由はPaul Cottonがソロ作を作成のため、ライヴに参加できなくなったかららしいが−だが、2000年にオリジナルドラマーのGeorge GranthamがRustyとPaulの誘いに応じて再びPocoに参入することが決まり、活動が具体化。
  続いてJack SundrudがPocoに再加入。Jackは1984年に「Inamorata」を発表した後、Rusty Youngが密かに続けていたPocoとしてのライヴツアーにメンバーに加わっていたギタリストだ。1986年から、「Legacy」ツアーのサポートメンバーとして1990年までPocoに加わっている。アルバムにはクレジットされなかったので正規のメンバーとして数えられることは少ないのだが。
  また、Jackは1990年代に2枚のアルバムを作成しているカントリーロックバンド、The Great Plainsのギタリストでもあった人である。彼をベーシストとして加え、活動再開に向けて準備に入っていたようである。
  2001年半ばから、徐々にライヴを開始しつつレコーディングを進めていた。そして2002年の師走に、本作「Running Horse」を自主流通にてインターネット販売開始となるのだ。
  このアルバム発売に合わせて、全米ツアーもスタートさせている。但し、それ程過密なスケジュールではなく、週に2回が最高程度の緩やかなツアーの模様だ。
  兎に角、「Legacy」から数えると、実に13年ぶりのオリジナルアルバムが世に出たのだ。

 ◆名作「Legend」のカヴァーを継承・・・・?

  13年振りの新作「Running Horse」は文字通り、「走る馬」があしらわれているジャケットだ。
  が、Pocoのファンなら直ぐに気が付くだろう。このイラストは、1978年、Pocoとして唯一のトップ20アルバムとなった「Legend」に使われていたものと基本的に同一なのだ。「Legend」の背景色が白であったことと、Pocoとアルバムのロゴの位置が異なっているだけで、基本デザインは過去の名作をそのまま用いたと考えるしかない作りだ。
  この馬のイラストが使われるアルバムとしては4枚目となる。1980年の「Under The Gun」にも縮尺や色合いは異なるが、同様の馬の絵が使用されているし、1989年の「Legacy」でも馬の頭部を拡大したイラストが描かれている。
  しかし、LPとCDというジャケットサイズの大きさの違いはあれども、全く同じ構図を採用することはある種の批判を受ける危険性を孕んでいるだろう。
  「過去の名作に縋ったリユニオン作品」、再結成に失敗し、過去の栄光を汚す作品しか発することの出来なかったヴェテランバンドに頻繁に投げつけられる批判である。特に、過去のヒット曲のリメイク等を含んでいる場合やタイトルが嘗ての名盤に関連するものであった時、この手の批判はヒートアップし易いものである。
  が、Pocoは既に前作の「Legacy」でタイトルとジャケットデザイン共に、最高の知名度を誇る「Legend」をモロに追従した形を採っており、稀なことだが、セールス的にも作品のクオリティとしても成功を収めているのだ。
  だからこそ、単なるカントリーロックのリヴァイヴァルではなく、ロック作品として評価された「Legacy」(批判も同時にされたのだが)と同様、看板に過去のイメージを使用するが内容は新しく更にレヴェルアップしている作品、を筆者は期待していたのだ。

  そして結論からいえば、単なる「Legend」の焼き直しには終らない良作を、Pocoは再び届けてくれた。こう述べても問題ないアルバムになっている。
  残念ながら、「Legacy」のような異様なロックンロールのパワーは感じることが出来ない。しかし、「Legacy」は妙に産業ロックらしくて、拒絶反応を起こしたカントリーロックバンドのPocoを支持するファン層にはまたとない贈り物となっているアルバムなのだ。

 ◆非常にオーソドックスな西海岸カントリーロック

  13年間の空白はPocoというクリエイター集団−正確には、Young、Cotton、そして新顔のSundrudのソングライティングには何ら悪影響を与えなかったようだ。
  バンドが創設時から持ち味にしていたカントリーロックの土臭さをそれとなく出しつつも、バンドの基本である爽やかで明るい西海岸サウンドを余すことなく伝えてくれている。
  Richey Fureyがメインだった頃のポップなカントリーでもなく、中期Poco以降のTimothy B.Schmitのセンスを活かした西海岸のコンテンポラリーなポップサウンドと、Paul Cottonが持ち込んだ泥臭いR&Bの狭間で揺れつつあるロックサウンドでもない。Rusty Youngのブルーグラスな拘りが満載なカントリーロック路線に近いが、それだけでもないのだ。
  Rusty Youngの有する爽やかなカントリーロックへの愛着。
  Paul Cottonに特有なR&B的な粘っこいロックンロール。
  Jack Sundrudの、両者の中間に当たる普遍的なPop/Rockとカントリーのセンス。
  これら全てがバランス良く溶け合い、西海岸ポップサウンドとカントリーロックの間に絶妙の位置取りで鎮座する、ベーシックな西海岸カントリーロックとして仕上がっている。
  正直「Legacy」で十二分に堪能できた、光り輝く程の勢いは感じることはできない。
  が、ミュージシャンとして、またバンドとして結成30年を超える集団として持ち合わせているゆとりと余裕がたっぷりと漂う安定感抜群の作品として、不安に感じることなく聴ける。
  どっしりとしたヴェテランの持ち味が最大限に活用された、これぞオヤヂの渋さ、を言わしめる力が込められている。

  思うに、派手さや話題性、先進性、という点で同時代に活躍したEaglesやDoobie Brothersの影に隠れ、常に後塵を拝し続けたPocoだけれど、その目立たない原因でもあった良心的で地味なカントリーロックと西海岸ルーツサウンド。
  そのひた向きとも言えるサウンドの基本が、メンバーが交代し、時が過ぎてもPocoとしてのサウンドに受け継がれ、最終的に純粋な西海岸サウンドとして21世紀に存在しているのだ。
  このことは賞賛に値する。Eaglesは新作のレコーディングに頓挫し、ライヴに逃避している。Doobie Brothersはパッとしない凡作を時折発表している。
  こういった元西海岸のスターバンドが失速と減退の潮流に流されつつある中、頑なに自らのサウンドを(流行の影響はそれなりに受けつつも)保持してきたPocoが最も安定したアルバムを届けることが出来たのだから。
  だから、この普通さ、オーソドックスさこそ、PocoのPocoたる所以なのだ。云ってみれば、「Legacy」は少し出来過ぎて圭角が立ってしまったアルバムなのかもしれない。

 ◆中心はRusty Young

  今回のリード・ヴォーカリストは3人。Richey FurayやJim Messinaの脱退以降、リードヴォーカルを担うことの多くなったPaul CottonとRusty Youngだが、今回の中心はRusty。
  これまでのRustyはヴォーカリストとしてよりも、ボトルネックギターやドブロといったルーツギター弾きとしてバンドに貢献する割合の方が多かったのだが、今回はソングライターとしても、ヴォーカリストとしても最も多数の曲をリードしている。
  基本的に、自分が書いたナンバーを自分で歌うというスタイルが貫かれており、リードヴォーカリストは曲ごとに以下となっている。

 ●Rusty Young・・・5曲
  #1『One Tear At A Time』
  #3『If Your Heart Needs A Hand』
  #5『Forever』
  #7『If You Can’t Stand To Lose』
  #10『That’s What Love Is All About』  

 ●Paul Cotton・・・3曲
  #2『Ever Time I Hear That Train』
  #8『I Can Only Imagine』
  #11『Running Horse』

 ●Jack Sundrud・・・3曲
  #4『Never Loved...Never Hurt Like This』
  #6『Never Get Enough』
  #9『Shake It』

  Rustyが2曲で、The Skykingsの同僚、John Cowanを始めとした外部ライターと共同で曲を書き、Jackも1曲は共作であるが、ほぼメンバーの曲で固められたラインナップだ。
  キーボードにTony Harrelが参加している他は、レギュラーの助っ人は一切なし。数名のゲストが見られるが、それは後述する。
  以上のように、中心はRustyに比重が置かれているが、殆ど均等に曲を持ち込み、リードヴォーカルを分け合う形になっている。
  Rustyのヴォーカルの大ファンである筆者にとっては、彼のヴォーカルが半数近く聴けるのは大歓迎だ。

 ◆如何にもPocoらしい曲々

 ●Rustyが歌う
  #1『One Tear At A Time』こそ、西海岸ロックの集大成。
  こう叫びたくなるくらいにカリフォルニアしている曲だ。オープニングでPaul CottonのエレキギターとRustyのラップスティールが静かに合流し、爽やかなメインメロディが流れる。そこに乗るのは、Rusty Youngの甘くハスキーなヴォーカルだ。「Legacy」時代の張りのある声と比べると、やや大人しくなったかなと思うが、彼の美しい声質は不変だ。
  オルガンとGeorge Granthamの堅実なサポートを受け、ミディアムでポップな乾いたサウンドが絶妙にたゆたう。
  決して派手ではないのだが、これぞ西海岸のPop/Rockという歌を、久々にヴェテラングループによって聴かせて貰った気がする。
  コーラスワークも、もう“ウエスト・コースト”である。PaulとGeorge、そしてJackとRustyのコーラス・ハーモニーは過去のどのPocoに劣るものでもないことが、#1でしっかりと分かる。
  #3『If Your Heart Needs A Hand』は、サザン・フィーリング溢れる、ブルージーでダークなトラック。1970年代後半のPocoに見られたソリッドなロックサウンドを懐かしく思い出させる曲だ。低空飛行するオルガンとヘヴィなPaulのギターが南西部ロックというべき、Eaglesの『Witchy Woman』に通じる雰囲気を出している。Rustyのヴォーカルも常にも増して粘着性を表に出している。
  西海岸ドブロギターのリフといえば、コレ。が、#5『Forever』だ。このキャッチーで清涼感のあるミディアムポップは「Legacy」の『What Do People Know』を少々レイドバックさせた感じで、これまたRusty Youngお得意のPop/Rock。このシャカシャカとした歯切れの良さが堪らない。
  ストリングスの美麗なリフでスタートする#7『If You Can’t Stand To Lose』。アクースティックで繊細。何処までも透明な美しさが舞い上がっていく。この曲は21世紀版『Crazy Love』と呼びたくなる。リードヴォーカルで引っ張るのもRusty Youngと嘗ての最大のヒット曲と同じ点もあることだし。
  Paulの泣きのギターとRustyのボトルネックギターが重なるソロパートはこのアルバム最大のエモーショナルな部分でもあるだろう。
  #10『That’s What Love Is All About』の優しいカントリー・フレイヴァーの溢れるバラードもまた、Rustyのヴォーカルに良くマッチしている。ドブロやバンジョーの間にパワフルに混じるピアノサンプリングが静かにバラードを支えている。後半の低めに抑えたコーラスやヴォーカルの掛け合いはPocoの円熟味を堪能するのに最適だろう。

 ●Paulらしい歌
  #2『Ever Time I Hear That Train』は如何にもPaul Cottonらしい、少し粘り気のあるポップチューン。R&Bの風味を微小に効かせつつ、カントリーやレイドバックの感覚を取り入れているところが、やはりPocoのサウンドだが。
  Rustyのペダルスティールが後半のアンサンブルで鳴るが、これを聴くとやはりPocoだと感じてしまう。この曲ではGeorgeのハイハットが実に気持ちいい。
  それにも増して、円熟味を増したPaulのエレキギターが#1同様、実に堅実なルーツ・フィーリングを演出している。
  #8『I Can Only Imagine』も、1980年代のAORとR&Bロックの中間を行くような、Paulのクールなセンスが目立つ。ここではRusty繋がりで、Bill Lloydがギタリストとして参加。彼の弾くギターソロがロックしていて良い。
  1#11『Running Horse』も嘗ての中期以降のPocoで披露していたR&Bをベースにした微妙に南部テイストを感じさせる西海岸ロック。
  全体にPaulの作風はポップさとレイドバックさではRustyには及ばないが、クールさとシャープさでアルバムの流れを引き締める役割を担っていると思う。今回もその例に漏れることは無い。
  
 ●意外に掘り出し物、Jackのヴォーカル
  そして、初めてPocoのアルバムでリードを歌うJack Sundrudだが、期待以上に良いヴォーカリストである。Timothy B.Schmitを何処かに感じさせる青臭さと滑らかさを備えた甘いヴォーカルの持ち主だ。Tim程にはハイトーンではないが、爽やかさと甘さという点では少々タイプが違えども、Tim SchmitやRichey Furayの歴代ヴォーカリストに伍する仕事をしていると思う。
  彼の作である#4『Never Loved...Never Hurt Like This』では、Rustyのアクースティックなバンジョーが特徴的なナンバーだが、Jackの声がとても曲に合っている。フェンダー・ローズピアノも裏方として完璧な仕事をしている。
  このアルバムの中で最も、普遍的なポップナンバーなのが、Jack作の#6『Never Get Enough』というのも面白い。
  Rustyのドブロやラップスティールが加わって、レイドバックさを出しているが、それ以上にアップビートで厚目なロックリズムは、PaulやRustyだけでは中々持ち込めないタイプのサウンドだと考えている。
  Jackのヴォーカルはアップビートなポップナンバーにも似合っていて、正直、Paulよりももっとヴォーカリストとして前面に出て欲しいとさえ思ってしまう。
  ヒット性が最も高いのも、この#6だろう。Pocoらしくもあり、新しくもある、そんな曲だ。
  ブルーグラスとテックスメックスの匂いを濃厚に感じるのが、#9『Shake It』。ここまでオーソドックスなポップソングのみを書いてきたJackが見せる別の側面だ。The Great Plains時代は中心のリードヴォーカリストではなく、ギタリスト兼ヴォーカリストだったので、彼の作風を良く知ることが出来なかったが、意外に幅広い才能がありそうな人だ。
  が、このナンバーもPocoとしては異色に属するだろう。#6とは違い、違和感を少し感じてしまう。

 ◆21世紀のPoco

  オリジナルメンバーはRustyとGeorge。これで出発した新生21世紀Pocoだが、これからは精力的に活動して行きたい旨をOHPの日記でもメンバーが述べている。
  現在は宗教音楽や実際に牧師として活動しているRichey Furayが彼らのステージに飛び入り参加したという情報もあり、今後更にオリジナルメンバーが増えていく可能性もある。
  次のアルバムはメンバーのコメントによると、2003年末位にライヴアルバムを発表したい、とのこと。George Granthamは是非Richeyも加えた録音を行いたいと述べている。ので、もしかしたらより完璧な形に近づいたPocoが今年末に見られるかもしれない。
  21世紀の先陣は、ライノから「Sibling Rivalry」を発売したDoobie Brothersに譲った。しかし、内容ではインディ発売の「Running Horse」の方が遥かに上を行っている。
  この発売レーベルの大きさの差が、即ちバンドとしての格の差になってしまっているのは、内心忸怩たる所がある。
  しかし、これからも目立たないけど、Pocoは良いアルバムを送り届けてくれる、そんな予感を確信に変えてくれた1枚でもあるのだ。  (2003.5.18.)


  Rock & Roll Party / Virginia Coalition (2003)

  Roots             ★★★

  Pop            
★★★★

  Rock         
★★★★

  Boogie&Funk 
★★★★ You Can Listen From Here


 ◆一筋縄では括れない、「ヴァージニア多国籍軍」

  Virginia Coalition、Coalitionとは「連携、連合、合同、連立」といった、集団の活動に繋がる語意を持った単語だ。
  忠実に訳せば、「ヴァージニア連合」となるだろうか。
  意訳すれば「ヴァージニア州のロック野郎共が集ったバンド=一団」となりそうで、これが原意として最も適当だと思う。
  しかし、何と言ってもVirginia Coalitionの多彩な音楽性を目の当たりにしてきた筆者としては、その一言でルーツロックだけとは包括し難いVirginia Coalitionを(勿論、大別としてはVirginia Coalitionはルーツなロックンロールバンドと分ける事に意義は全く無いけれども。)「ロックの多国籍軍」とでも呼んでみたい衝動に駆られてしまうのだ。
  当然ながら、某リアルに存在した連合軍のように統制が取れなかったり、足並みが揃わなかったり、何処かの特定なメンバーがイニシアティヴを握って我を通している・・・・というネガティヴな意味は一切含まない。
  次に何が飛び出すか分からない。こういった驚きと新鮮な感動が常に味わえる、予想もつかない意外性を見せる連合体。ふと、隣を覗けば、全く違った存在が闊歩しているような集団。
  こんな意味合いで「多国籍軍」という単語を挙げてみたのだ。

  が、ここまで書くと、我ながら「多国籍軍」という単語に対して良い意味でも悪い意味でも、バラバラな趣がある一塊の存在だと捉えていたことが理解できた。
  となると、やはりVirginia Coalitionにもバラバラな所があるのだろうかと再考してしまう次第である。そして改めてこのバンドの音楽性を考えつつ、1stアルバムから今作3枚目の「Rock & Roll Party」までを通して何度となく聴くと、更に分かってきたことがある。
  幾つかの点に於いて、矢張りVirginia Coalitionは筆者の有する誤ったイメージとしての、「多国籍軍」的な要素を持っているバンドなのだ。

 ◆まさに、ロックンロールのパーティだ! Having A Party!!

  この「Rock & Roll Party」でVirginia Coalitionは3枚目のリリースを記すことになる。
  バンド結成とアルバム初発売が1998年という状況を振り返れば、まずまずのペース配分でここまで歩を進めていると云って良い。
  が、順当なアルバムリリースの堅実さと比較すると、Virginia Coalition(以下、バンドも使用しているVACOという略称に統一する。ご了承を。ちなみにこの愛称はファンが呼び始めて定着したものだそうな。)のアルバムは実に先が予想し辛いのだ。
  アメリカン・ロック、アメリカン・ルーツロックという仕分けには一切異論は無いが、これを基本として、様々と表現上では頻繁に使用するけれど実際にこれ程の様々、様々、多種多様、パッチワーク・・・と表現の仕様に頭を悩ませる位、まるで多国籍軍のユニフォームの見本市を見るようにコロコロと曲が変化する。

  名盤と評価されるアルバムには、その多彩性を特徴としつつ、ポップミュージックやPop/Rockの竜骨である良質なメロディメイキングが流れていることが多い。というか普通はこのタイプのロック名盤が大多数を占めると思う。
  以上の如くな、肝心のツボを押さえた多様性が、堅実路線とはいえ矢張り最も歓迎すべきものだ。当然、このPop/Rockの基本に幾つのプラスアルファを上乗せできるかによって、そのアルバムの良し悪しのレヴェルは上下することになる。
  と、これが普段筆者の言及するポジティヴな意味での「多様性」だ。
  
  が、翻ってVACOの音楽性をひと眺めしてみると、曲ごとに飛び出てくる要素は多種多様そのもの。文字通り、ビックリ箱的な、“次に何が飛び出してくるか予想不可能”なロックンロール・ワールドがアルバム中で闊歩している。
  しかも、曲の始めに、
  「ああ、中テンポの軽めなルーツポップかな?」とか「モダンロックの要素が入ったポップナンバーだろうな。」
  と予想を立てるとかなりの確率で外れることが多かったりする。
  オープニングの雰囲気と曲の終わりまで流した全体のイメージが食い違ってしまうことがそこそこ起こったりする。
  1曲1曲がかなりユニークなロックンロールである上、曲調まで“優等生的に”この曲は云々のように流れるだろう、とつい考えてしまう正統派路線から脱線を繰り返してくれたりするのだ。
  この事実を顕著に感じるのが、VACOをBGM代わりにして読書等をしている場合だ。
  意識の片隅で、ああ良いポップナンバーだなあ、と耳を通していると、何故か全然違った曲が耳を通過し、アレアレ?と思ってしまうことが結構あったりして。

  これこそ、娯楽音楽の権化たるロックンロールの大騒ぎ、パーティだ。
  「Rock & Roll Party」というタイトルそのものだ、このアルバムで踊っているリズムは。

  しかしながら、VACOは只奇を衒ったり、意外性だけを求めて曲をネジクリ回すイロモノバンドとは全く土台が違う。
  当然のことながら、プログレッシヴやゴシック系のハードロック等に見られる「変調・転調重視」“だけ”のバンドでも断じてない。
  ベースにコマーシャルでありつつも痛快なロックンロールのビートが鎮座しているからこそ、このような多彩・多様なロックソングが楽しめるという訳だ。
  下手をすると散漫且つ、全く焦点のボヤけてしまった3流お笑いロックアルバムになる危険性すら含有した、多岐多枝に渡る音楽性を詰め込んでいるバンドなのである。
  ある種の際どさ−これはAlternativeと他のジャンルを融合させようと図る道を行くバンドにも多々見られるが−を背水に敷きながら、それを自覚しているのかしていないのか、自由奔放なロックンロールを思いのまま演奏している。そのライヴ感とジョイフルな感情が伝わってくる、確かな手応えとして。
  恐らく、VACOのメンバー自体ある種の天然的な楽天さがあるのだと推察している。そうでなければ、このちゃんこ鍋や、ブイヤベース的にゴッタゴタに詰め込んだロックンロールのアルバムを自信を持って堂々と押し出すことは出来ないと思うからだ。
  以上のように、気負いのないようにしか見えないのだが、実はかなりキャッチーなメロディを創り込んでいる所に、このバンドのスタンスが見えてくるだろう。
  メジャーな流行には一切頓着せずに、自らの信じる良質なロックサウンドをやりたいように、演る。しかし、音楽ファンの求めるソングライティングは実践する。これだろう。
  メジャーレーベルに媚びへつらう事と、ファンを大切にすることは、言うまでも無いが別物。この境界線を確定することは困難だが、少なくともVACOはメジャーの安っぽいラウドロックやオルタナティヴ一辺倒のサウンドには毒されていないから、ユーザーフレンドリーなバンドと考えなくてはならないし、実際にそうだと信じるに足る音楽を表現している。

 ◆Bar Band、それともファンクロック? 或いはカントリーロック?、パワーポップ????、エスニックサウンド・・・

  今回のアルバムはこれまでが全て11曲だったのに対して、15曲入りという手数の多さが特徴だ。普通なら、やや散漫になってしまうかな、という危惧を感じる曲数だ。
  だがしかし、VACOの場合、元々散漫というよりも多彩過ぎるので全体としてバラバラになり過ぎている感覚は薄い方だと思う。・・・それはそれで問題がないとは云えないが・・・・。
  思えば、1stアルバムでBarry Manilowの『Copacabana』をまんま連想させるラテンリズムが唐突に出現したことに度肝を抜かれてから、このバンドの意外性には耐性が構築されていたと思うのだが、なかなかどうして毎回新鮮な驚きを提供してくれる。
  その驚きには、当然レヴェルの高いPop/Rockを毎回リリースしてくれること、そして沢山の曲がキャッチーであり分かり易さを持っていることにある。数多くのヒネリを加えながら、正統派路線といえるルーツロックアルバムとして完成に至らしめることができるのは多彩というよりも多才な証拠だ。

  今回は1曲のシークレットトラックを加えた16曲が実質のヴォリュームだが、その#16がまた独特だ。VACOの特徴として、ヴォーカリストのAndyがギターの他にコンガを、キーボーディストのPaulが各種パーカッションをライヴステージでも頻繁に叩きまくり、独特のビートを演出するところにあるのだが、#16は殆どパーカッションのみで演奏されるネイティヴ・アメリカンっぽいエスニックソング。これが浮いた感じも無く、全体のピースに填まっている所がVACOらしい。
  それは、バーロックが濃厚なルーツナンバーから、カントリーロックそのまんまのトラック、パワー・ルーツポップ風の軽快なポップソング、R&Bやファンク、ブルースにブラックコンテンポラリー、ワールドミュージックにモダンロック、といった各種の音楽性をあちこちに感じられる曲が次々に登場するからだ。
  大元の根本は、決してAlternativeやCollege RockそしてEmoでもなく、Roots Rockなことは疑いの一点もない。
  しかし、FacesやGeorgia Satellitesのようなストレートなロックサウンドやバーロックサウンドとは少し次元を異にする、一癖ある独特のロック世界が展開される。
  だから、彼らのルーツを知ることはかなり困難なようにも思える。

 ◆七色の声を使い潰す(?)2名のヴォーカリスト

  VACOの特徴として、タイプの異なる2枚のヴォーカリスト兼ギタリストが在籍していることが挙げられる。
  Worry Stonesのメンバーと仲の良い友人であるという、少し鼻に掛かった脱力系スゥイートヴォイスの持ち主、Steve Dawson。
  そして、黒人顔負けのシャウトヴォーカルから、抑えたクールな歌い方まで可能としているユニークなコンガ叩きでもあるAndy Wonder。ちなみにこのAndyはアルバムごとに名前を変更している。それでもファーストネームだけはAndrewとしていたのに、このアルバムではAndyに縮めている。このあたりも彼のエキセントリックさを見れるように思えてならないが。
 しかも、この2人のヴォーカリストはかなり声の音域と質を変えて唄う事のできる才能があり、注意しないでアルバムを聴いていると、複数以上のヴォーカリストが存在していると錯覚さえしてしまう。
  時にはデュエット、次は掛け合い、そして低音と高音を使い尽くす唄い方。まさに惜しげも無くヴォーカルを振るっている。これは相当タフでなければ、ギグで潰れてしまいそうなくらいの頑張りだろう。ここまで声を活用して使い潰すのではないかと危惧させるヴォーカルは白人系には珍しいと見なしている。
  とはいえ、熱唱系ヴォーカルのように不必要なクドさはあまりないところが良い。

 ◆始めの2曲と締めの2曲は実に素直で王道Roots

  オーガニックなエレキギターのリフでスタートする#1『By & By』は、VACOが単なるごちゃ混ぜバンドでないことを証明する真っ直ぐなPower Roots Pop/Rockといった実に親しみ易い曲だ。このバンドは鍵盤弾きのPaul Ottingerが専任として在籍しているが、同じくらいにパーカッションも叩きまくり、次いでにベースもこなしている。同時にベーシストのJarret Nicolayも各種鍵盤をレコーディングでは受け持っており、同郷の素晴らしいロックバンドであるWorry Stonesと同じく鍵盤ワークには事欠かないバンドだ。
  そのPaulのギターが打ち付けられるハンマーのように力一杯叩かれ、John Patrickのドラムスがこれまたオーヴァードライヴ気味にガンガン叩かれる。
  キャッチーなラインにパワフルな演奏。東海岸南部の音楽性を代表するルーツナンバーだ。
  続く#2『Come And Go』はヴォーカルがAndyにバトンタッチ。これまたルーツィなギターとピアノの重低音のアンサンブルが特徴的なパワールーツナンバーだ。
  しかし、正統派ソングとはいえ、マッタリと始まるバラードタイプの出だしから、やはりかなりボルテージを上げたロックギターが途中で走りまくる。このままパワー・バラードでラストに雪崩れ込むと思いきや、またぞろ曲の終焉ではしっとりとした幕引きを見せてくれる。と、やはりユニークな構成をするバンドである。
  末尾に目を向ければ、Steveの優しいヴォーカルで静かに歌いこまれる#14『Maggie In The Meantime』。ピアノをメインに美しく奏でられるメロディは派手さは無いが、ほっとさせる側面がある。しかし、この曲も所々ラテンテイストを匂わせるスコアが見られ、それが少しミステリアスな雰囲気を出していたりもするのだが。
  クレジット上のラストトラック#15『Johnny Wonder』も非常にベーシックで軽快なルーツロックナンバーだ。間歇的に登場するハイキーなピアノのパーカッシヴな音色。微妙に緩急を付けたギターワーク。落ち着いた、これがシャウトする人かと疑問に思うくらい安定感のあるAndyのヴォーカル。

 ◆本領発揮、転がる、変わる、ロックする

  #3『Walk To Work』ではディレイを効かせたキーボードとギターが転がりまくるファンクナンバーとして始まり、中盤ではロックンロール全開のギターが唸り、トーキングラップまでゲストヴォーカルに挿入させる。Andyのローファイ・ラップ気味なヴォーカルにSteveのハーモニーが被さるコーラスは絶品。
  また、コンガのソロまで取り入れ、まるでジャズロックのショウを見ている感じにもさせる。
  ヘヴィなロックナンバーになりそうな予感で始まる#5『Referring Rosarita』でも、中盤では浮遊感のあるプログレッシヴ調子、あたかも80年代産業ロックバンドのノリを再現するかのような展開を見せ、そして欧州的な哀愁のある2分以上に及ぶインストゥルメンタルが延々と続く。憂いを帯びたピアノの音色が印象的だ。
  しかし、この曲も分類不能。モダン・ハードロックとでもしておこうか。
  パーカッシヴなコンガとアクースティックギターで始まり、何処となくワールドミュージックの雰囲気と纏いつつグラスルーツのテイストも加えつ淡々と進む#6『This Is Him(Hurricane Song)』にはレゲエの影響を感じる。・・と考えていたら、ラスト40秒で突然陽気さを増し、ガンガンのハードロックリズムが暴れる。
  が、こういった突然な奇襲が嫌味にならずに楽しめる所がVACOの長所だ。この#6の変貌にしても不自然なシフトではなく、こうなっても良いというツボを突いているから、抵抗無く受け入れられるのだろう。
  
  曲そのものに意外なヒネリはないけれど、次々に毛色の変わったナンバーが連続する流れも面白い。
  #7『Sink Slowly』はクラッシック・ロックの懐の深さを覚えるブギーなピアノと脇役のB3が活躍する鍵盤ルーツ曲。高音域を駆使する2名のヴォーカリストのア・カ・ペラなヴォーカルパートと転がるピアノの楽さがユニークだ。
  #8のタイトル曲は1分少々のモロに古典的バー&キャバレーロック。Andyのバスヴォーカルを聴いていると50年代のオールディズ全勢に戻ったような錯覚を覚える。
  #9『Jerry Jermaine』は完全なファンクナンバー。辛味の効いたハモンドが尾を引き、アシッドなギターがヘヴィに暴れまくり、金管系のパーカッションがガンガンと叩かれる。自然なサウンドが主体なVACOには珍しいシンセノイズも取り入れたライヴナンバーだ。
  ライヴナンバーに近い一発っぽいテイクが、#12『Stella』。この曲もファンクロックで、#9程にはア・ド・リブな曲ではないけれど、その分丁寧に演奏されている。とはいえ、ライヴっぽい即興性は十分だが。
  ハードなファンクロックの後が、これまたコテコテなブルーグラス、ウェスタンな#13『Martha Lu』。突っ走るフィドルにSteveのマシンガン・トークヴォーカル。ホンキィなピアノに、ブンブン唸るウッドベース。Andyのヨーデルシャウト。田舎のコミュニティのダンス・カントリーそのものだ。さり気なくロックギターを加えている所がVACOらしいが、これが冗談か開き直りか悩むくらいのベタさ。
  こういった曲を演奏するかと思うと、#4『Valentine Eraser』のようなバンジョーとフィドルを丁寧に使ったトラッド・ポップをチョコンとトラッキングさせるソフトな面もあるのだから、奥が深いというか、何と云うか。特に#4のドキツクないカントリー・フレイヴァーはルーツバンドとして貴重なものだろう。

 ◆Worry StonesのTim Metz氏も参加

  謝意の欄に、Pat McGee BandやWorry Stonesの名前が見えるが、実際Timさんに確認したところ、Worry Stonesのメンバーとかなり親しいバンドらしい。プロデューサーも最新作を手掛けたTed Comerfordと共通という点も興味深い。
  そして、非常にパワフルで王道的なバラード風ロックナンバーである#10『Moon In The Morning』にTim Metzさんがバックヴォーカルで参加していると伺った。全体を2本の気持ち良いギターが引っ張り、要所をピアノとリズム隊が締めるという非の打ち所の無いロックチューンだ。確かに気をつけて聴くとWorry Stonesのヴォーカリストがコーラスに参加していることが分かる。
  奇しくも、この珍しく(笑)忠実にPop/RockしているトラックはWorry Stonesと似ている作風でもあったりする。綺麗なピアノソロが印象的だ。日本語訳したら「有明の月」というタイトルも筆者の趣味に合致。
  また、続く#11『Your Least Favorit Song』は更にルーツ度合いを増したバラードだ。Steve Dawsonの微妙なヴォーカルがこういったしっとりなナンバーには良く似合う。アコーディオンに、ピアノ、そしてバンジョーとバスドラムを中心にした打楽器。クライマックスではピアノとSteveのヴォーカルのユニゾンという流れも琴線に触れる。
  こうやって、普通にも素晴らしい曲を書けるバンドだということが、2曲続くバラードではっきりと主張されている。

 ◆Virginia Coalitionの軌跡

  Virginia Coalitionは1998年に結成されている。メンバーは全員ヴァージニア州のアレクサンドリアという街の出身であり、高校時代からの親友同士ということだ。バンドをスタートさせる前から曲をメンバー全員で書き、バンドのコンセプトを固めてきたというから、デビュー前から基本は出来上がっていたといえよう。グラスルーツを基本としたロックンロールを、曲を聴いた人が足踏みして踊れる曲を演奏しよう。
  このコンセプトは見事に実践されている。
  バンド結成後から、年間250回のギグをアメリカ中西部から東海岸に跨り実施し、地道に人気を獲得していく。そしてブレイクの切っ掛けとなったのが、オハイオ州のクラブのレギュラー演奏を得てからだそうだ。
  この後、1998年にリリースしていた「The Colors Of The Sound」が順調に売れ始める。
  そして、ワシントンD.C.のThe 9:30 Club、NYCのBowery Ballroom、シカゴのHouse Of Bluesと、著名なクラブでライヴを行えるようになっていく。
  2000年の2枚目のアルバム「Townburg」のCDリリース・パーティはワシントンD.C.で行われることになる。これまたインディリリースとなるが、この頃から人気はかなり上昇し、1stアルバムは2万枚、2ndアルバムも短期間で9千枚の売上をライヴ会場とネット販売で記録する。
  ちなみに「Townburg」のミキシングはMitch Easterが手掛けている。
  そして、2003年1月の発売となった3rdアルバム「Rock & Roll Party」はビルボード誌のインターネットチャート初登場で18位を記録。これまでにインディ発売したアルバムの総売上は5万枚を記録。本作も順当に売れている様子。
  これに伴い、インディレーベルのDCNが配給元となり、過去の2枚のアルバムも再発。現在は大手のネットショップなら3枚は殆ど品揃えとして置かれるという状況になっている。
  今作のエンジニアとミキシング担当はCounting CrowsやSheryl Crow、JayhawksやLisa Loebのアシスタント等を手掛けたJoe Zookが行っている。
  このままで行くと、次回はメジャーからの声が掛かりそうな流れだ。
  最も、「メジャーなラジオには全く興味が無いし、そのあたりの音楽を意識していない。」と主張するVACOがメジャーに上がるかは疑問でもあるけど。

  ◆変化球の正統派?

  以上のように、ユニークなロックバンドである。カテゴライズはとてもやり難いバンドだが、やはりParty Rock、Roots Rockで良いと思う。モダンなサウンドや90年代以降のロックの影響は伺えるが、それ以上に古典的なサウンドへの傾倒が強いし、独自のスタイルを確立してもいる。
  正直、Worry StonesやKickbacksといった正統派の恰好良さよりも少しズレたユーモアのセンスでロックンロールを演じるのが面白いバンドである。
  このままでも十分注目株だが、一度優等生や没個性と謗りを受けても良いので、ガッチリとしたPop/Rockのベーシックなアルバムを聴いてみたいとは常に思わせるバンドでもあるのだ。多分やらないと思うけど。(苦笑)
  (2003.5.23.)


  To The Core / Tom Forsey (2002)

  Roots           ★★★★☆

  Pop          
★★★★

  Rock       
★★★

  Americana 
★★★☆  You Can Listen From Here


 ◆たまには、オフィシャルサイトのバイオグラフィを翻訳掲載してみる

  Tom Forseyは1993年型ホンダ・シビックを246000マイル(40万キロ弱)も乗り回している。
  これは結構重要なポイントだ。彼の自費製作盤として発売された2枚のアルバムの損益を鑑みれば、新車の契約書にサインを気楽にできただろうことが解る。
  しかし、Forseyはこう言う。
  「僕は高級ブランドのピカピカな新車より、こっちの方がイイね。」

  「Another Chapter Down」
  「To The Core」
  これらが彼の2枚のアルバム。収録されている25曲は名声や財産目当てで書かれたり録音されたモノではなく、オーガニックやルーツロックであることへの純粋な喜び、そして真摯な創造心によってレコーディングされている。
  思慮、疑問、回想を加味して譜面にペンを走らせ、それから感情と抱擁させて作曲をする。
  これが、Forseyの音楽が実に力強い所以である。彼はシンガーソングライターとして自身が敬愛している、Neil Young、Steve Earle、Johnny Cash、そしてJohn Hiatt、その他数名のようにシンガーソングライターであり、誰から影響を受けたのか根堀り葉堀り分析されたりすることを気にすることは無い。
  Forseyは疑心暗鬼と困難で苦悩する心情を感情豊かに描き出し、恋人達の幸せな時間、穏やかな夕べで一日が終わったこと、これら祝福する語り部に徹しているのだから。
  しかし、Tomの音楽は彼が呼び出す叙情的な感情によって一層深みが与えられている。ひとりぼっちのアクースティック・ギター、かすかなハーモニカ、哀しげなペダルスティール・・・全てが、心に響く特徴を掴んで離さない音色だ。これらの音はしばしば、はっきりしないものからクッキリしたサウンドへ変化を促す掛け橋となるエレキギターのソロへ刺激を与える。
  パワフルなハモンドB3オルガンが曲を奔流のように駆け抜け、感性や充足感といった感情を泡立たせる。

  Tomの最新作「To The Core」の2曲目、#2『Off And Running』での堅実な仕事よりも良い例を見つけるには酷く苦労するに違いない。
  #2は、「全てを尋ねることはできる」主人公だけれど、実際には「四方から壁が迫ってくるように圧迫を感じている」ことを歌っている。この#2で登場する人物は、新しい道を求めながら、「人生とは壁を飛び越えるまで、意味はまるでなさないもの。そして、今は壁を超え、走っている」自分を知っている。こんな歌だ。
  でも、Tom Forsey自身が#2『Off And Running』を「To The Core」のメインな曲と言い切っているのは少し疑問なのだけれどねえ。
  彼の荒削りなヴォーカルは、果ての無い放浪者の浪漫といったある種の擦り切れた感傷に満ちている。
  そしてTomの率いるワシントンD.C.界隈出身のメンバーからなる凄いバンド−
  リードギター:Terry Mettam、ペダルスティール:Dave Giegerich、ピアノ:Lenny Williams、オルガン:Benjie Porecki、ベース:Steve Sachse、ドラムス:Andy Hamburger
  −は巧みなテクニックで幅広い感情を表現してくれる。
  Forseyはイメージでイメージの中で頭に響いた曲のアイディアをミュージシャンに理解可能な説明が出来、彼に助言やサポートを与えやすいと定評がある。このため、レコーディングに入る前に、長期のセッションを行うのが普通なのだ。幾つかの試みがアルバム中で見られるけれど、全体を通しては短いものとなっている。
  例えば、バンドは街道酒場でプレイするロックバンドの影響を受けたような激しく突っ走るナンバー#3『Glad With You』で、メンバーを代え、フレキシブルに一発決めている。
  が、その後Tomは#2『Off And Running』に代表される自身のムーディな曲へ回帰することを心を決めている。そう夜が訪れる前に。
  「バンドの連中はまるで今その場で、結成したようだったね。さあ、もう一発行ってみようや、という感じだった。」
と、Tomは#3のレコーディングを回想している。

  Forseyの忘れっぽい性格の証拠がある。それはレコーディングメンバーやプロデューサーのDave  Hanburyと交わした約束を、曲創りのために破ってしまうということだ。
  彼はトッド・ラングレンばりのマルチプレイヤーであり、「Another Cheaper Down」の何曲かで見せたように、「To The Core」のラストナンバー#12『To Be Lucky』でもギター、マンドリン、ハーモニカ、ベースをプレイし、ドラムまで叩いている。
  しかし、Tomは他のミュージシャンを演奏に参加させ、プレイヤー個々の演奏スタイルからインスピレーションや新しい形を得ること好んで行っている。その産物としての例が、#4『Words With No Song』でMettanが弾くアウトロでの、Steely Danのレコードを聴いているような錯覚に陥らせるギターソロであり、1stアルバムのトラック『Seven Long Years
』でWillam“JuJu”Houseが叩きまくるイケイケドンドンなファンキースティックだったりするのだ。
  
  「他のミュージシャンと仕事をすることから、アイデアが生まれ、僕個人の心からのメッセージが創造できるんだ。」
と36歳になったTomは述べている。
  全部がそう上手く運ぶとはならないけどね、皆にやりたいようにやらせた結果、思い通りの曲になったり、失敗することもある。だけどもこれが僕のやり方。だから、僕が曲の中心部分を創作したとしても、言わば僕はバックバンドのメンバー達に頼っていると言えるね。まず僕のヴィジョンをプレイヤー皆に理解して貰い、それから彼らの演奏での技巧面、感情でのアイデアを取り入れて、もう一段上の技術や創造心へ昇華させるんだ。
  僕は自分がレコーディングのパートナーとして選んだ連中について細々と批評はできない。僕達の関係は利益以上の友情によって支えられているからね。
  レコーディングを進めていくことは、大好きだし、反面嫌になることだってある。でも僕の最も幸せな瞬間は、新しい曲のアイデアが浮かんだ時なんだ。」

  Tom Forseyはペンシルヴァニア州のニュー・キャッスルで生まれている。ミュージシャンキャリアの取っ掛かりを育んだのは1986年。友人のレコーディングした2曲に参加したことから始まる。当時Tomはピッツバーグ郊外にあるクラリオン大学に在籍していたが、これがTom Forseyの特徴あるヴォーカルを蒸留させる切っ掛けとなった。
  最初にTomの耳を捕らえたのは、アクースティックギターをベースにしたバンド、Crosby, Stills & Nash、America、Eagles、Dan Fogelbergといったアーティストだった。後に彼はもっと多様な音楽を演ずるアーティスト、Tom Waits、John Mellencamp、Vince Gill、Tom Petty等に影響を受ける。
  そして、最初に参加したレコーディングから13年を経てやっと、Tom Forseyは「Another Cheaper Down」を吹き込む。このアルバムには彼に影響を与えたアーティストの精神が明らかに継承されている。
  その後数年間、ソングライティングの経験を着々と積み上げ、研ぎ澄ませたTomはユルリとスタジオ入りを開始した。情熱的に自由に演奏するスタイルと、プロデューサーのChris Biondoと演奏のテクスチャを創造している。
Forseyのグループの中心は前作の参加ミュージシャンを核として、及びコラボレーションのメンバーは Todd McDaniel(ドラムス)、Keith Mitchell(ベース)、Kent Wood (キーボード)、Raice McLeod (ドラム)、Steve Steckler(ギター)Mike Ault(ギター)等が手を貸している。
  Tom Forseyの技巧に富んだアクースティックギターが特に、1stアルバムでの『What I Might Have Been』のような曲や、インストゥルメンタルナンバーである『Cea Blue』タイプの曲で主役を張り、前へ、前へと出ている。
  18ヶ月を費やして完成に至った「To The Core」を手にし、Tomはこう述べている。
  一層集中して努力した結果、まるで才能あるグループのミュージシャン達に後押しされるように、アーティストとしての自身が増し、地力が着いてきた、と。
  Tom Forseyは冒頭で触れたシビックを、音楽的ヒラメキを得るために使い続けるそうだ。
  「僕は退屈になると、フリーウェイをかっ飛ばす。大抵はその時にアイデアを自問自答し得ることになるなあ。」
Tomは#9『The In-Between』でこう歌っている。
  「もし僕が考えていることの半分でも実行できるのなら、神の領域で仕事をしているだろうさ。」と。

 ◆擦り切れた?ヴォーカルと演奏

  ↑にて、殆どフルでバイオグラフィーを翻訳。一度訳してから直訳的におかしい所や省略が多い英語特有の表現をある程度補った形にしてある。
  ・・・・殆ど、バイオというものよりもレヴューに近い紹介文だ。これで凡その雰囲気は掴めると思うし、一応試聴サンプルは全てOHPに置いてあるので、まずは聴いてみるのが良いだろう。

  まず、Tom Forseyの“荒削り”と表現されているヴォーカルが矢張り、このシンガーを特徴付けている。
  かなり老成したガラガラな超えで歌うと思えば、意外に甘さも含んでいて、総合的にはかなり渋目なヴォイスの持ち主だ。
  筆者的には荒削りというよりも、“鑿や鉋を入れる前の切り出した原木”みたいにナチュラルで、とことん無駄を殺ぎ落としたヴォーカルという印象がある。感触でいえば、ザラザラしているけれど、暖かくて気持ち良い鞣し革といったところだろうか。
  荒く加工する前の、原石・原木的な鈍い輝きがある。単にバリトンやバス・ヴォーカルではなく、もっと個性的な声の持ち主だ。
  「擦り切れた」「草臥れた」的なニュアンスがOHPのバイオには見れるが、実際にTomが持っている乗用車と同様に古ぼけてボロボロになってしまった感じはしない。
  確かにパリパリな瑞々しさは無いけれど、擦り切れたことで却って完成度が上昇する系統の声質だと思うのだ。
  荒削りとも違う、生のままなプリミティヴさ。エナジーのあるシャガレ声には得体の知れない魅力がある。Tom WaitsやMark Knopplerといった、一度聴いたら忘れないくらい個性のあるシンガーに伍する人だと、筆者は見なしている。
  例えるなら、歳を経れば経る程、外見に重厚さと落ち着きの増加する古式ゆかりな建築物。
  こういった趣がある。
  Tomのヴォーカルは、土臭く、暖かく、野暮ったいカントリーロックやフォークロックの味わいタップリな作風に実にマッチしている。
  悪く言えばかなり濃いクセのあるヴォーカルの持ち主なので、唄う楽曲を誤ると不整合や不協和音を引き起こす恐れがあるが、こういったルーツ系のPop/Rockはとても彼のヴォーカルに似つかわしい。
  恐らく、クセはあるけれどヴォーカリストの声としてはファーストクラスなクオリティを有する人なので、どんな曲を歌ってもそれなりに聴けるとは予想しているけれど。
  まあ、テクノポップとかコテコテのアダルト・ポップなんぞを唄ったら相当違和感が湧き出てくるかもしれない。

  だが、この声をして勿体無いと思わせるところは多い。それは・・・・・・

◆もっとロックンロールを

  Tomは自分をロックンローラとではなく、シンガーソングライター、アメリカーナの歌い手。以上と自称している。
  言うまでも無く、Forseyの作風はエレクトリックとアクースティックな音色がブレンドされているが、アクースティックな弦の活躍が目立つ。このアクースティックで優しい調べをたゆたわせるスローナンバーやミディアムトラックが、Tom Forseyの大きな魅力を形成しているのは間違いない。
  しかし、非常に惜しいのは、このヴォーカルがロックトラックスで活用される機会が比較的少な目であることに尽きる。
  同じソウルフルなヴォーカルでも、黒人のパワー・ヴォーカルは、ボクシングに例えれば派手で見栄えの良いストレートやジャブの1−2と表現し、Tomの場合はダメージの割合で行くなら遥かに破壊力のある地味なボディブロー、といったところ。
  そのローギア・パワーなヴォーカルは、ルーツロックの土壌を捏ね回す土臭いインストゥルメンタル・プレイに絶妙の合致を見せるアビリティが存在する。
  というか、是非ともガンガンな泥臭いナンバーをグイグイ引っ張りあげて貰いたいのだ。
  が、大らかな範囲を包括しても、ロックナンバーと云い得る速めなナンバーはとても少ない。

  まずは、筆者的にはTom本人の見解とは異なり、本アルバムの代表トラックと考えている#1『Spare A Little Sympathy』。アップビートという面では寧ろミディアムテンポに属する曲だろう。
  しかし、ピアノ、オルガン、ギター、ベース、ドラムスという基本楽器をルーツ色を放出させるため、極限まで活用して盛り上げていく演奏。キャッチーなメロディと、堅実なプレイが広大な夷狄大陸アメリカの奥行を表現するように力をジワジワと込めていく様子は、ルーツロック好きには堪らないだろう。
  Tomの濃い口な声さえ受け入れられるなら、このナンバーは、ルーツロックとして外せない。
  次がバーバンド・サウンドのラフさを十全に発揮している、#3『Glad With You』。上のバイオではRoadhouse Rockと呼ばれている。街道の酒場で演奏してる田舎バンドのような、という意味。12弦ギターのジャカジャカな音も楽しいが、ハイハットとハモンドオルガンのバトルという、メジャーではまず聴くことがない、生のライヴに近いフリーなスタイルが面白い。
  この曲でのTomの熱唱は、彼がロック向きなシンガーであることを伝えてくれる。が、やはり魂の熱さが手触りとして伝わってくる#1には及ばないか。
  スライドギターが引っ掻き回す、ブルージーでファンキーな#6『Beltway Blues』も文字通りロッキン・ブルース調子のロックチューン。ドラマーのAndy Hamburgerがこのトラックでもバシバシとスネアを叩いている。
  ギターソロのパートでは数本のギターが、お約束通りにぶつかり合うが、やはりスライドギターを交えた掛け合いはこうでなくてはならないので、やられたと苦笑いと微笑を半分ずつ足した楽しみを見出せる。
  最後のロックナンバーは#9『The In-Between』。軽快なポップチューン的なメロディを持っているのだが、粘っこく唄うTomのヴォーカルと、コッテリしたオルガン、そして忙しくピックされるギター類が、ローカルミュージックの雰囲気をボンボン放出し、結局畑耕すポップチューンになってしまっている。それはそれで歓迎だが。

  と、全体の3分の1程度しかロックナンバーは存在しない。
  #5『Then I Knew』もタイプとしてはロッカバラードなのだが、テンポの良さとコーラスの部分でのビートのシフトアップが香辛料としてバッチリ効いているので、ロック的な楽しみが出来るかもしれない。何と言っても、シャガレまくりハスキーヴォイスともいえるパートまで踏み込んだTom Forseyのヴォーカルがヴィヴィッド過ぎる。
  少しヘヴィなミディアムソングの#7『Running Alone』は微妙なところだが悲しさを微量に感じられるメロディが
、メインラインを弾いていくオルガンと共に印象的だ。
  ペダルスティールやハーモニカを加え、中部グラスルーツの要素をタップリと詰め込んだ#8『I’ve Never Seen This Way』は哀しげなミディアムナンバーだが、これらはロックというよりもグラスソングに入る。
  この他の曲は殆どがスローソングかバラードになってしまう。

 ◆さりとて、バラードも良いのだけどね

  Tomがメインテーマと銘打っている#2『Off And Running』はピアノ、オルガンだけでなく、ペダルスティールを加えている。ここにForseyのルーツ楽器と音楽に対する想いを感じることが出来る。それにしても、啜り泣くように歌うオルガンと、センチメンタルなピアノ、寂しげな音を溶かしていくペダルスティール。そして抑え目に低く唄うTomのヴォーカルに合わさるハーモニカ。
  まさに地味系ルーツバラードとしては極上の部類に入る1曲だ。
  #2程には美しくないが、なだらかな起伏を重ねた稜線を遠望する気分をシミュレートさせてくれる、ゆったりとしたハートランド・ソングの#4『Words With No Song』。キーボードの暖かい音と、ルーツギターの繊細な音色のアンサンブルが居心地良し。
  そしてノンドラムなアクースティックスロー#10『Pray For The Fields』。ピアノとウッドベース、そしてギターとストリングスが補佐といった体の演奏に、オーヴァーダビングさせたTomの♪「tru,tru,tru...」♪と鼻歌コーラスが節を付けるインストゥルメンタル風の珍しいナンバー。
  続いて、カントリー風アクースティックナンバーの#11『Lucky To Be』。ハーモニカとマンドリンがゆっくりと歩を進める中、スライドギターが泣き、密かな空気が漂う。こういったグラスルーツ系のナンバーは商業カントリーには見られない素のアメリカン・ソングを濃密に見ることが出来るので、多少以上カントリー臭くても実に染みる。

 ◆ヴォーカリストとして注目、ソングライターとしても

  1stアルバムでも感じたことだけれど、Tom Forseyの特徴ある声は、ヴォーカルで勝負せずにバンドの音を含めて声も楽器とする、となってきた昨今の風潮の中で、注目に値する。
  無個性なヴォーカリストや無難なヴォーカルが多く見られる中で、一際異彩を放っている。
  ヴォーカリストとしての注目度は高い。
  2ndとなる「To The Core」では1st作「Another Cheaper Down」でアッケラカンとしていたカントリーロックの雰囲気から何段階も成長した渋さと男臭さを見せてくれている。
  が、ここにロックンローラーとしての男の汗の匂いを感じさせてくれれば、なお最高なのだ。
  このアルバムはロックナンバーは少ないけど、不思議に柔らかいとか、スローアルバムという印象は起きない。それだけ演奏とヴォイスの底力があるのだ。
  この馬力を次はルーツィなロックンロールとして叩き出して欲しいと願っている。  (2003.5.30.)


  Closer To My Home / Shawn Byrne (2003)

  Roots           ★★★★

  Pop          
★★★★

  Rock       
★★★☆

  Alt-Country 
★★★  You Can Listen From Here


 ◆まさかのKickback脱退

  Shawn ByrneはThe Kickbacks創設時からのメンバーだった。
  Shawnは1998年のレコードデビューから常に、このボストンのロックンロールバンドのメンバーとしてリードギター、リズムギターを担当。次第に中心人物のTad Overbaughの創作にも手を貸し出すようになる。
  Kickbacksの1stアルバムではTadと3曲を共作するに留まっていたが、2枚目のミニアルバム「Blue Man’s Color」では2曲を単独でバンドに提供し、リードヴォーカル1曲、オーラスのナンバーで披露。その後もTadがメインなのは変わらなかったが、アルバム毎にShawn Byrneの占めるウエイトは大きくなりつつあった。
  最新の3rdアルバムでは、3曲の自作曲を発表し、その全部でリードヴォーカルを唄うことになった。

  そのKickbacksだが、2002年秋に発売された大傑作ロックアルバム「Blindside View」にて、キーボーディストと不安定に交代を繰り返していたベーシストを正式に加え、鉄壁のクゥインテットを形成。これからも順調に5人体制で活躍していくだろうとお気楽に予想していた矢先にShawnのソロ作の発表が行われた。
  Shawnのアルバムが、Kickbacksのアルバムを配給しているSoadpop RecordsのMLを通して2003年の始めに通知された頃は、KickbacksのホームページにShawnはメンバーとして登録されていた。
  ところが、4月頃になると、何時しかメンバーが4名になってしまい、Shawnの名前はKickbacksから外れてしまっていたのである。
  さて、常にTad Overbaughと共にあったShawnに一体何が起こったのだろうか?

 ◆南へ・・・・

  KickbacksのTadさんとはメールで長いお付き合いをさせて貰っているが、Shawn Byrne氏とは面識は勿論、メールのやり取りをして頂いたことは無い。
  また、Shawnはホームページも持っていないため、ソロとして独立するに至った件を聞く事は敵わなかった。
  しかし、Tadさんに筆者なりに気を使って質問を投げかけたところ、快い返事を戴けた。
  Tad Overbaugh氏のご協力に感謝しつつ、Shawn ByrneがKickbacksを離れた理由を訳しておこう。

  「Shawnは僕達Kickbacksの連中と何ら問題があったわけじゃないんだ。彼は、自分の音楽を追及したくなっていたんだね。Bostonはロックンロールの街としては素晴らしい場所だと僕は思っている。
  けれども、ルーツィなオールドタイム・ロックンロールは兎も角として、カントリーロックやAlt-Country Rockを心から追及するには残念だけど、ベストな街ではないかもしれない。
  Shawnは自分が本当に書いて、そして唄いたくなった曲を求めて、ボストンから離れる決心をしたんだ。そしてナッシュヴィルに移って、ソロアーティストとして彼が何処までやれるかトライしているよ。
  だから、全く友人でなくなったって事は無いんだ。僕達は今でも仲の良い友人だし、連絡も取り合っている。」

  という次第である。レコードデビューから4年も苦楽を共にした古巣を離れるShawnとTadを始めとするメンバーの心境や如何に、というところだ。
  願わくば、両者に幸あらんことを願って止まない。

  そう、Shawn Byrneは住み慣れた東北部の都会、ボストンを離れ、南への切符を買い、ナッシュヴィルに向かった。
  南へと旅立ったShawnが置き土産の如く、ボストンへ残したのが、この「Closer To My Home」なのだ。
  このアルバムのレコーディング後、間も無くShawnはKickbacksを離れて、完全なソロアーティストに転身したから。

  さて、リードギタリストにして2ndリードヴォーカルを失ってしまったKickbacksが気になるのは、ファンとして当然の心情だと思っている。
  現在はどうなっているのか? 新しいギタリストは雇うのか?
  このような不躾な質問にもTad氏は快く答えてくれた。

  「今は僕と、本来はキーボード担当のSteve Scottが協力してリードギターを弾いているんだ。どちらかがリードパートを弾き、もう一方がリズムギターというようにね。当然Steveが鍵盤に回る時は僕がギターを引き受けなくちゃならないけどね。
  新しいギタリストは探しているから、見つかるまではこの形になると思う。
  まあ、僕もTom BakerのThe Dirty Truckersのメンバーだから、何でも掛け持ちすることには慣れているし。(笑)
  そうそう、The Dirty Truckersのレコーディングは大方終了しているよ。良いニュースだろう。
  順調に行けば、2003年の9月には発売できると思うよ。」 (是非そうあって欲しい。)

  更に素晴らしいニュースがある・・・・・って段々何のレヴューか不明になってきた気がするが・・・・。

  「Shawnが去ったことはとても寂しいよ。けれども僕は全くモチベーションを失っていない。もう次の4thアルバムの曲を5曲完成させたよ。今度はShawnがいないから、前10曲の歌は全部僕の作になるなあ。これは凄いだろう?(笑)
  The Kickbacksは2003年の9月からレコーディングに入る予定。楽しみにしていて欲しい。」

 とっても楽しみにしてるんで、年内に出るといいな!!

  ・・・恐らく2004年まで完成は待たされることになると思うけど。「Blindside View」もレコーディングを開始したというニュースから10ヶ月以上待たされたことだし。(涙)

  以上のようにKickbacksは元気に活動中だ。ライヴの回数がいまいち少ないのが非常に不満なところだが、何とかならないものだろうか。つーか、誰か日本に招聘して欲しい。
  絶対に売れると思うのだが。

  と、何故か南に行ってしまったShawn Byrneよりも北に残ったKickbacksの話題中心になってしまったので、この辺でShawn Byrneのアルバムに目を戻すとしよう。

 ◆“Kickback”なロックサウンドを期待すると・・・

  文字通り、“蹴り返される”危険性のあるアルバムを、Shawnはソロシンガーとしての打ち上げ作に持ってきた。
  ルーツロックの土臭さを残しつつも、パワフルでフックの強烈な正統派アメリカン・ロックンロールのバンド、Kickbacks。そのバンドでかなりキャッチーでスピーディな曲を演奏し、ライディングし、唄っていたShawnの作風。そこにフロントマンのTad Overbaugh程ではないにしても、Kickbacksらしさを期待してしまうのは、自然な流れだと思う。
  が、ロックシティである、デトロイトならぬボストンに決別し、商業カントリーだけではないにしても、カントリー・ミュージックの一大生産地であるナッシュヴィルへと向かったShawnの意図を考えると、それが完全ではないにしても、的を得ない期待と予想は可能だ。
  ・・・予想はしても、ナッシュヴィルのトップ40カントリーになることは勘弁して欲しいし、期待はしていない・・・。

  さて、Shawn Byrneのソロ作「Closer To My Home」だが、ストレートなKickbacksライクなアルバムとは一味違う、レイドバック感覚とカントリーロック、Alt-Countryの風味がてんこ盛りのルーツアルバムになっている。
  Kickbacksの2000年発売EP「Blue Man’s Collar」にて、Shawnが提供した2曲、『Two Days Away』と『Mr.Moses』はそれなりにレイドバックしたカントリーセンスを感じられる曲だったが、このソロ作に至るまでのカントリー・ミュージックへの傾倒は見られない。
  況や、「Blindside View」でのホーンセクションをぶち噛ました『Be Just Fine』や重苦しいハードナンバーの『Behind The Wire』に通じる曲をや、であろう。
  KickbacksにはTad Overbaughという才能あるリードヴォーカリストとソングライター、そしてリードも任せられるギタリスト、といった具合に悉くShawnと役割の被るアーティストが存在していたので、自然とShawnもKickbacks向けの曲を創作していたのだと推察している。
  というのは、ロック作ではなく、ルーツなPop/Rockとしてバランスの良い#1『Hard Time Afternoon』を「Blindside View」から持ち越しているからだ。
  全くアレンジも演奏そのものも「Blindside View」収録ヴァージョンと同じだ。ドラムスにはKickbacksのJon Burton、そしてベースには同じくMatt Arnoldが登録されている。Jonはこの他にも3曲でドラムを叩いている。
  しかし、TadとSteveの名前がクレジットされていないのは少々不思議。このナンバーは元々、Shawnとリズム隊の2人で録音されたとも解釈できるが・・・・。
  まあ、ソロアルバムに自分の在籍していたバンドのリメイクとかセルフカヴァーということは、ままあるのだが、全くそのままのヴァージョンを移すというのは、矢張り#1はShawnの単独演奏に拠って録音されたか、それともTadの名前を敢えて外し、Kickbacksからの独立を強調したかったのかもしれない。
  筆者としては後者と考えている。プロデューサーを担当しているSteve Scottがクレジットとしては#3のピアノのみ。#1で間違いなくハモンドB3を弾いているのだから、もしかするとクレジットに書き忘れということも考えられるか。

 ◆Dylanのカヴァーも飛び出すカントリーロック、オルタナカントリー作

  Kickbacks時代の曲に続くのは、何とBob Dylanの名曲『You Angel You』だ。過去、ゲストとしてKickbacksのアルバムでゲスト参加したことのあるTim Obetzがボトルネックギターを弾いている。1974年発表の知る人ぞ知るカントリーロック風のアップビート・ポップをShawnはスマートなカントリー風のポップロックに仕立てている。
  同じくTimがペダルスティールで参加した#11『Long Lost Friend』が完全なグラスルーツ式アクースティックチューンであるのとは好対照だ。こちらは南部のスワンプさが滲み出るようなルーズなサザンカントリー風。
  このボトルネックギターをアレンジした2曲を比べるとShawnのポップセンスとカントリー音楽への憧憬が明確に読み取れる。
  Kickbacksのオルガニストであり、このアルバムのプロデューサーでもあるSteve Scottが低音に寄ったピアノを聴かせる#3『Horses Of Eminence』。ダークでアーバンの風味も効かせたサザンスタイルのロックがじっくりと重い。ここには浮ついた商業カントリーの影響なんぞ欠片も感じられない。
  ライトでほっと一息つけるカントリー・ポップの#4『The Way It Goes』ではパーカッシヴな打楽器のリズムと、のどやかなハーモニカの対比が注意を引く。こういう軽快なナンバーではShawnの無難な、一応何でも唄えそうだが強烈な個性にはやや欠ける、といった声も似合っている。
  タイトル曲#5『Closer To My Home』は、Shawnが「家に近づいてきた」。つまり、「回帰する音楽へ近づいてきた」と読めるアクースティックなバラードだ。土臭さを仄かに出ているセンスも良いが、高音で頑張るShawnのヴォーカルが一番インプレッシヴかもしれない。

  後半に入ると、更にShawnのレイドバックとトラッドへの歩み寄りは増す。
  #6『Cydnie』になると、アコーディオンまでShawnは自ら抱えて、思いっきりブルーグラス調のポップを揺らしまくる。ゲストのバックヴォーカルを大胆に配置して、ブギウギな楽しさをトラッドソングに加えている。これぞ元祖祭りソング。
  #7『Granna’s Song』でもトラッドな乾いた印象が目に付く。また、アクースティックな音色が細かい彼のソングライティングの才を反映させている。最後のアウトロにジングルベルのフレーズが登場するのが印象深い。
  #10『Behold Blues』はタイトル通りに、マッディでディープな南部式ブルースナンバー。このアメリカントラッドに根差したブルージーな感覚は「Blindside View」でもShawn作の曲で感じることが出来たが、ここまでコテコテなサザン・ブルースを持ってくるとは驚きだ。

  また、徒に南部レイドバックするだけでなく、#1の類、Shawnのバンド時代を振り返らせるキャッチーな曲も存在している。#8『True』にしてもバンド時代の曲と比較すると大人しいが、基本は抑えていると思う。
  TadやShawnのエレキギターがグイグイとヴォルテージを上げていく展開にはならずに、じっくりと8ビートを加速していくようなコーラス隊にも気を使った良質なPop/Rockだ。筆者としては、カントリーに寄り掛かり過ぎるよりも、こちらの親しみ易いPop/Rock路線をもっと多く期待したいのだが。
  同じく#9『Daddy』もカントリータッチとロックエッジが配分良くミックスされたShawnの元バンドを思わせるような佳曲になっている。ハーモニカやアクースティックギターといった一層ルーツ寄りの楽器で纏まられた演奏スタイルが、Shawnのソロシンガーとしての個性を主張しているが、このサクサクと進行するアクースティックなロックナンバーは、彼の本領発揮作と見なして良い筈。

 ◆さて、何処まで頑張れるか

  ソロ1作目としては、実に良心的なカントリーロックであり、Alt-Countryの良さを詰め込んだアルバムだと思う。
  Kickbacksでは表現し切れなかったことが沢山あったのだろう、かなりカントリーロックに走っている箇所が見受けられる。
  ヴォーカリストとしても、Tad Overbaughのように一撃で「スゲエ恰好良い」とか「男臭い声」とインパクトはないけれども、ちゃんと唄えるところは外さずに唄う才能はあるシンガーだ。
  少なくとも、Shawnが書く良作の数々に力負けすることだけは、ない。
  が、欲を言えば、Kickbacksで提供していた、よりロックンロールに近いルーツミュージックやカントリーロックを主体にして、「Kickbacks弐號店」とでも銘打てるようなアルバムを持って南部に進出して欲しかったとは思う。
  それこそナッシュヴィルには、売れないが良いオルタナカントリーやカントリーロックを地道にプレイしているバンドが数多く偏在しているのだから。そこへ食い込むには少し大人し過ぎるアルバムではないかという危惧はある。
  無論、妙にオルタナ臭くなったり、極端なカントリー化をして貰っては、幾ら冒険を期待しているとはいえぶち壊し。だからこのオーソドックスなAlt-Countryのアルバムに留めておいてくれて、一安心という心情もある。
  こういった基本的なレヴェルは全てクリアした標準以上、然れども個性にやや欠如するきらいのあるアルバムを引っ提げ、新天地でどのくらい頑張れるか注目はしていきたい。

 ◆でも、やっぱりカム・バ〜ック!!

  と飾りつつも、折角The Kickbacksが5人体制になったことで飛躍的な成長を見せてくれた矢先でのソロ独立だ。
  Tad氏も5人目の新しい“キックバッカー”を探すのに苦労している模様だ。大体、Steve Scottがステージで鍵盤を弾くことに制約が出来てしまうのは嬉しくない、極個人的な嗜好だが。
  故に、この優等生的な完成度になった「Closer To My Home」を聴くと、少々不安になってしまう。
  ソロアーティストとしてそれなり以上なら、このレヴェルでも十分に認められそうだからである。些か没個性とはいえ、実力の程は確かに感じさせてくれるアルバムだから。
  これは、Shawnが次に出すアルバムがどうなるか、注目するしかない。
  傑作を出せば、これまで以上に順調にソロ活動を続けていくだろう。
  失敗作をもって、故郷に戻り、そしてKickbacksへ再合流。失意の帰郷・・・・となるのもイロイロな意味で複雑。
  う〜ん、やっぱり脱退はせずに、ソロ活動と並行してKickbacksにいて欲しかった。Tad OverbaughはちゃんとDirty Truckersのギタリストと本業のバンドリーダーを兼任しているのだから。

  嗚呼、最後までKickbacksの呪縛から離れられなかった・・・・・。  (2003.6.3.)

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