Soundtrack To Your Bender 
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The Dry Spells (2003)
  Roots           
★★★☆

  Pop          ★★★★★

  Rock       ★★★★

  Alt-Country ★★★★☆    Official Site
                    Special Thanks To Mr. Bill Whalen

 ◆ Uncle Tupelo、Jason & The Scorchers、Doug Sahm...etc.

  Uncle Tupeloが呼び水となり、Alt-Country Rockがブームになってから10年以上が経過した。
  これまでに幾多のカントリー・ミュージックをベースとしたバンドが登場し、Uncle Tupelo、Jason Ringenberg、そしてDoug Sahm等の後継者と評価されてきている。
  更にメジャーデビューして一時注目を集めた、Son Volt、The Bottle RocketsやWhiskeytownといった新世代のバンドを筆頭にして、元祖的なミュージシャンやバンドと比較されなくても、Alt-Countryと分類されるべき存在は次から次へと登場している。既にムーヴメントが終焉を迎えているにも拘わらず、完全に安定ジャンルとして米国では定着を見ていると云える。
  それだけに、単なるAlt-Countryや懐古主義コピーバンドには些か食傷気味な部分を感じているのも確かだ。
  そういった多数の新人バンドが登場する、玉石混交を呈しているシーンの中で、これ、という輝きや才能を放出しているバンドやシンガーを見つけた時は、常に新鮮な驚きと喜びを感じるのだ。
  山師ではないが、多数の石の中から玉を見つけた時の感動は格別なものがある。

  今回紹介するペンシルヴァニア州のバンド、The Dry Spellsも副題にピックした先達の音楽を正統に継承するバンドのひとつだとは思う。
  だがしかし、才能としてかなり稀なものを有しているバンドであり、凡百のオルタナカントリーサウンドとは一味違うものがある。
  だからこそ、滅多にやらないCD-Rメディアのトップレヴューとなっており、ホームページのトップにジャケットを掲載しているのだ。
  これを以って、筆者の評価としてはかなり高い事を汲み取ってもらえれば幸いで、後の駄文を読むよりも実際に購入して戴くのが最もな近道だろう。
  が、それで終わってはミもフタもないので、これからAlt-Country Rockでありながら、他多数のバンドと差別化できる素晴らしさを有したThe Dry Spellsについて少々書いてみたいと思う。

 ◆Uncle TupeloやThe Bottle Rocketsよりも熱いロックナンバー有り

  上記に挙げた有名バンドよりも、The Dry Spellsに軍配を上げたい項目は幾つもある。
  以下、曲毎に感想を書きつつ、The Dry Spellsの長所について語って行きたい。

  #1『Lockout』のパンクロックそのままの荒々しさ。
  この、有りの侭を平手で叩き付けるようなサウンドは、「No Depression」や「Still Feel Gone」といったAlt-Country Rockリヴァイヴァルの契機となったUncle Tupelo初期のアルバムを、21世紀に聴く、という感じだ。
  が、The Dry Spellsの唐竹割りの如くにカッ飛んだ爆走ロックビートは、Uncle Tupeloのパワーを遥かに凌駕している。
  比較対象が適切でないのは重々承知だが、Green DayやA New Found Glory的なストレート・フォワードなパンク・フィーリングがひた走っている。
  Alt-Countryの一角を成すのは、ガレージロックやパンクロックのネック・シェイキングな爆発リズムだけれど、同時に土臭いエレメントも持ち込まなければ、単なるPunk Popと同じになってしまう。
  ここまでパンキッシュなバンドは、パンクロックの分野を見ればそれ程珍しくは無い。しかし、ここまでスタンピードしておきつつも、しっかりとアーシーな感触を表現出来ている事実は傾聴に値すると思う。

  #3『Gone Again』も#1に劣らず、タテノリ満々の直球一筋なロックナンバーである。
  ともすれば、カントリー側に偏って、所謂Cow Punkサウンドに近似し勝ちな、Jason & The ScorchersやUncle Tupeloよりも、よりロックンロールに親しい音楽性を持っている。
  この点は非常に貴重である。
  何故なら、近年登場する多くのAlt-Countryバンドが、かなりカントリーに傾倒した、“Alt”よりも“-Country”のパートにアクセントが置かれている場合が多数を占めているからだ。
  Alt-Countryと呼ばれるバンドで、ここまで飾り気の無いロックンロールを聴かせてくれるバンドはかなり久方ぶりな気がする。

  しかし、ロックンロールとはいえ、初期のWhiskeytownや、「Brand New Year」でヘヴィオルタナ化してしまった頃のBottle Rocketsとも異なり、ラウドでオルタナティヴでへヴィなロックに突き抜けてしまっているのではない。
  #4『Driving Drunk』に代表されるように、スライドでダストな空気を放出しつつ、極端にカントリー・ミュージックに踏み込まないルーツサウンドを聴かせてくれる。
  この点では、初期のUncle Tupeloのガレージロック風なファスト・ナンバーと重なる面があるだろう。
  どうしてもCountry Rockの枠を、時代性もあるだろうが、抜け切れなかったGram PersonsやDoug Sahmよりも、六訓ローラーとしての顔を主張出来ている。
  更に、Uncle TupeloよりもThe Dry Spellsの方がポップであり、若々しい感性が溢れていると思う。この若さは、イコール分として、未完成でありガチャガチャした粗さといったネガティヴな評価に等しい面もある。
  が、#4『Driving Drunk』の文字通り『酔払い運転』の如く、ネジが外れたように自由奔放な展開は、ラフでいい加減に一見見えるが、かなり曲の流れを考慮したメロディメイキングが成され、アレンジ、インプロヴィゼイション、メロディの変化と、練り込まれたナンバーである。
  このように、決して若さを免罪符とした暴走や荒さだけを伝家の宝刀として捧げず、その暴れん坊振りすら、ロックナンバーの滋養として活用する才能があるバンドなのだ。

  #12『GTO Girl』は完全な古典的な一本槍ナンバー。ハードエッジなロカビリー、R&Bロックンロールといった面を踏襲したロックチューンだけれども、Hank WilliamsやChuck Berryの若かりし頃よりも、更に荒っぽいナンバーとなっている。パンクロックやオルタナティヴといったロックのムーヴメントを経験してきた後世代バンドならでわの、ロックンロールへの解釈が見られる。
  単に古のカントリー・ミュージックやパンク、カウ・パンクを単にコピーするだけで終わっているバンドではないのだ。
  オリジナリティと、古典的なサウンドへの回帰の両面を有したユニットである。
  他の才気溢れる新世代バンドと同様に、こういった光る要素がある。 

◆ Alt-Country “Rock n Roll”の理想系

  スピード・ソングスはとことん速く、ラフに、攻撃的に。
  然れども、ルーツ・フィーリングは忘れずに。
  これがロックトラックスにおけるThe Dry Spellsの特色だという事は前項で語れたと思う。

  しかし、これだけでThe Dry Spellsの魅力は語り尽くせたとは思えない。前章で挙げたナンバーほどにはパンキッシュではない、ややテンションの落ち着いたロックナンバー。
  この割合は、ストレート・フォワードなロックチューンより遥かに多い。
  そして、その全てのナンバーが、非常にキャッチーであり、良い意味でコマーシャルなメロディを有している。
  しかし良質でポップなメロディという路線を貫き通しているにも拘わらず、甘かったり柔らかかったり、ソフトな感触が一切ないのだ。
  どのナンバーもアグレッシヴであり、そしてゴツイ硬質な手触りを有している。
  その反面、音量を垂れ流す事でヴォルテージを上げ、曲の出来を誤魔化すだけな非才なパンクバンドとは全く違った印象を与える曲ばかりなのである。

  う〜む、文章にすると複雑怪奇になってしまう。

  サウンドの屋台骨が攻撃的で荒っぽいのに、ガチガチなオルタナティヴやオルタナパンクにならない原因は、簡単に述べれば、どのナンバーにも自然に盛り込まれたアメリカン・カントリーのエッセンスだろう。
  レイドバックしたアメリカン・トラディショナル、以上の表現で顕せるようなHeartland Rock的なルーツセンスではなく、もっと生のままなカントリー・フィーリングを素朴に取り入れているのが、The Dry Spellsの特徴であるだろう。
  中には、#11『Walking To The Moon』のようにロカビリー風味を濃く聴かせたナンバーもある。
  しかし、この#11にしても、あからさまなロカビリーやヒルベリーサウンドの能天気さを直接写し取ったのではなく、Pop/Rockで仕上げている。ザックリしたギターのトーンやフックの効いたリズムは、単なるブルーグラス系サウンドとは一味も二味もロックの味付けが強い。
  更に、ブルーグラス的なワルツが楽しい#9『Sliver Cord Amnesia』もかなり直裁的なグラスルーツを覚えるトラックだ。
  西海岸や南部のカントリーと異なり、よりやんわりとしたゆるやかな中部・東部系のカントリーテイストがある。
  特に幾度か変調のスターターとして使われるギターソロは、ブルーグラスそのままの流れだ。が、このナンバーもアメリカンロックとグラスソングの融合という位置付けが相応しい。骨太のリズムギターやコロコロと変化する調子には娯楽的なロックの組み立てが見える。

  女性バックコーラスを被せて、ゆったりとした雰囲気を出している#2『Close To The Edge』。
  8ビートが淡々とリズムを刻む、シンプルなコード構成の#6『Here Comes A Stranger』。
  どちらのナンバーも、ハイテンションなトラックが多いこのアルバムでは(曲の速さに拘わらず)、落ち着いた印象のある曲だ。
  そして、カントリー的だが、カントリーではない。これこそAlternative Countryの名前がしっくりと当て嵌まる、としか述べようのない感覚で纏められている。
  インタープレイではスライディッシュで飾り気のないギターが、必ずユニゾンを見せ、ロックンロールを主張している。まるでカントリーではない、と表明しているように。
  これらのトラックと同様なミディアムテンポで唄われる#10『Loud Shoes』になると、かなりカントリー的なバックボーンが薄れる。
  Pop/Rockを一層意識したアレンジとメロディは、Wilcoの「A.M.」サウンがを更に訥弁に語られ、崩れたスライディッシュなギターが被せられたようにも捉えられる。
  メロディが良質な点では、Wilcoの名盤たる「A.M.」を完全に超えているだろう。ややサイケディリックや英国サウンドに色気を出している初期Wilcoよりもずっとアメリカンである。

 ◆あまりソウルやR&Bを取り入れない、白人的なサウンド

  #5『Untitled With Slide』はタイトルが語るようにスライドギターが唸りをあげる。かなりパワフルなトルクが中段ギアで引っ張るロックチューン。
  この英国ハードパブ風のナンバーを聴くと、FacesやRolling Stonesが真っ先に思い浮かぶかもしれない。
  が、これらの古典英国ロックサウンドよりも、米国的な音楽素養が強い。特に、R&Bやブルース、ソウルといった黒っぽい音楽が殆ど感じられないのが、StonesやFacesとの大きな差異だろう。
  暴れん坊振りは、初期Facesに肩を並べるものがあるが、Facesがハード・ドライヴィングに集中する余り、必要量に足りないでいるポップさは比べようも無く、The Dry Spellsが勝っている。
  #5と同様に南部ロックのタフさを覚える懐の深い#8『When She Rides』も、非常にカントリー音楽の影響を濃厚に感じるナンバーだ。
  しかし、カントリーではなく、カントリー風のロックにも属さない、特有のロックナンバーになっている。強いて云えば、ハードカントリー・スタイルとでも表現できるだろうか。
  Georgia SatellitesやJohn Mellencampのキャラクターと被る部分が結構あるスライドギター・ソングでもある。

  グニャグニャと音を磨り潰したようなギターが唸る#7『Albo』も、かなりダートなトラックだ。こういったナンバーには付き物のブギーなブルースロックスタイルは感じられない。
  それよりも、メロディの良い素直なオルタナカントリーの歌に、ランブリングなギターを加えて演奏をしたという印象だ。
  
  ロックンロールの根源としてブラックミュージック(リズムボックス登場以降の打ち込み音楽は問題外)は、重要なルーツである事は確実。The Dry Spellsにしても黒人音楽のバックボーンが皆無とまでは断言しない。
  モダンロックチャートに名を連ねるパンクポップやエモポップのバンドは、全般に黒色が薄い傾向にあるが、ルーツ系のプリミティヴなロックンロールをプレイするバンドで、ここまでブラック・ミュージックカラーが表に出ないバンドも珍しいのではないだろうか。
  これがコテコテのカントリーロックやAlt-Countryバンドなら話が違うかもしれないが。
  要するにAlt-Countryの主要構成要素たるパンク&ガレージとカントリーサウンドの両方を微妙に調整している、本当のAlt-Countryバンドだと考えている。
  Alt-Countryと区分されつつも、どう聴いてもカントリーなバンドが多数な現状で、ロックでありつつ、カントリーが感じられるバンドは僅少だろう。普通こういったバンドは、非カントリー系な土臭いロックバンドが呼称の対象になる場合が殆ど。が、The Dry Spellsは“Roots Rock”ではなく、“Alt-Country Rock”と表現するしかないくらいに白人サウンドの権化たるオルタナカントリーなのである。
  Alt-Countryにも様々なタイプがあるが、カントリーらしさがあるが、カントリー過ぎない形式のバンドは相当レアな気がする。

 ◆オルタナカントリーのThe Beatles

  音楽の特色もさることながら、The Dry Spellsには更に面白いキャラクターが存在する。
  グループ4名が全員マルチプレイヤーであり、それぞれソングライティングも行う。
  ここまでは決して多くはないけれど、こういったバンドが皆無な訳でもない。が、それぞれのメンバーが自分の書いた曲でリードヴォーカルを担当し、しかもリードギターを弾いているというバンドはそう滅多に存在しないだろう。
  各メンバーの作成曲=リード担当曲は以下の通り。

  Bill Whalen (Drums,Guitar,Vocals)
  #4『Drinking Drive』
  #8『When She Rides』
  #9『Silver Cord Amnesia』
  #11『Walking To The Moon』
  #13『Weishample Ramp』
  (そして、ヒドゥン・トラック兼ボーナス・トラックである。The Weekend Bender Ensembleというコーラスグループとお気楽に唄っている。見事に底抜けたパーティソングだ。)

  Jerry Smith (Guitar,Bass,Vocals)
  #1『Lockout』
  #7『Albo』
  #10『Loud Shoes』

  Bob Oettl (Guitar,Drums,Vocals)
  #2『Close To The Edge』
  #5『Untitled With Slide』
  #6『Here Comes A Stranger』
  #12『GTO Girl』

  Greg Lowe (Bass,Guitar,Vocals)
  #3『Gone Again』

  その中でも最も多くの曲を書き、ドラムからギターまでこなすBill Whalen氏によると、
  「少なくともこのアルバムでは、各自が書いた曲を自分で歌い、ギターも弾くというスタイルを採る事に決めてた。次はどうなるか解らないんだけどね。」

  だそうである。
  正直、4人とも、上手なヴォーカリストではない。
  少なくとも現在のレヴェルは、ヴォーカルで聴くアルバムではないと思う。
  が、この飾り気のないプリミティヴでラフ、そしてアーシーな演奏には何気に似合っている朴訥な唄い方は好感が持てる。
  未だ、インディでデビューしたてな事実を考慮するなら、これからユニークな魅力を持つヴォーカリストに成長していく余地は十分にあると思われる。
  
  それにしても、メンバー4人が全てリードヴォーカリストであり、しかもマルチプレイヤー。全員がギターとドラム、ベースの内最低2つは演奏する。
  このスタイルはBeatlesを連想せずにはいられない。
  また、リヴァプールで活動を開始した当時の4人組が、かなりラフで技術よりも若さに任せて押し捲る演奏をしていた事も、現在のThe Dry Spellsと重なる部分があるように思えてならないのだ。
  云うまでもないが、大いなるポテンシャルを秘めている事の期待として、Beatlesを引き合いに出している面もある。

 ◆期待のレーベル、Blindpigeon Recordsの盟主

  筆者が本グループを発見したのは、別バンド経由である。
  The Dry Spellsがリーダーとなって運営しているインディレーベルであるBlindpigeonに所属するルーツロックバンドのMulletsアルバムをオーダーしようとしてこちらに行き着いた次第だ。
  この新興レーベルは、The Dry Spellsの他にも幾つか注目に値するバンドを抱えている。

  まだ発足して間もないレーベルであり、アルバムを発表していないバンドもある。
  更に、この半年間で1度しか更新されていないし、それ以前にサイトがずっと未完成な状態にある。
  Bill Whalen氏によると、The Dry Spellsは映像作品を現在制作中であり、新譜のデモ録音も行っている。また、所属バンドMulletsの新作もそれ程遠くないうちに発売予定であり、その動きにあわせてレーベルを本格始動する計画になっているとの事。

  現在、The Dry Spellsも含めて4バンドのみのレーベルだが、どのバンドもルーツロックとしてかなり筆者のツボに合いそうな音を出している為、一日も早いウェブサイトの完成とレーベルの活動を望んでいる。

  このアルバムは青い円盤にインクジェットプリンターで印刷したペラ紙ジャケットだが、いずれはプレスCDのしっかりしたインナーで発売されるに違いない。
  秘めているポテンシャルと、提示している実力は、Uncle Tupelo次世代と目している数ある存在の中でも突き抜けたバンドだと確信しているからだ。
  新譜のデモが出来次第送付してくれるという約束を戴いているので、到着を一日千秋の思いで待ち侘びている最中である。  (2003.12.5.)


  Strange Seasons / Nadine (2003)

  Roots            ★★☆

  Pop          
★★★★★

  Rock       
★★★

  Americana 
★★★☆      Official Site


 ◆アナザー・サイド

  前作「Lit Up From The Inside」を2000年に発売後、2001年から2002年に架けて、バンド自ら「休止」を宣言。公式サイトの更新は停止し、約2年間目立った活動をしていなかったNadine。
  インディバンドは得てしてこういった宣言の後消滅してしまう事が多い。
  が、翌2002年に米国で初めてリリースした自主盤の2nd作からバンドをサポートしてきたレーベルUndertow Recordsにて、「Lit Up From The Inside - The Unmastered Version -」を密かにリリースして以降、再びバンドの活動に火が入った様子である。

  しかし、この2002年リリース作は、取り立ててファンの間でも話題になるような事がなかった。
  というのも、これが2000年のリリース作「Lit Up From The Inside」のアレンジ違いという作品だからである。
  Unmastered Versionという副題から想像できるように、デモ音源以上、最終マスタリング前という、中間のアレンジでプレスしたアルバムなのである。

  「Lit Up From The Inside」はアクースティックな音色にループドラムやマシンビート、そして多くのキーボード類を加えた、所謂ルーツ系モダン・フォーク(?)的というエクスペリメンタル作の表情を有していた。
  その部分がそれ程鼻に衝かず、アクースティックレコードのみならずルーツロックレコードとしても楽しめた。これがNadineの素晴らしさだと思う。
  しかし、このVersion3.1とも言うべきアナザー・サイドアルバムは、モダンビートや現代アレンジの要素がミックスダウンし切れていない段階の音源を拾った為、もっと朴訥で素朴なアレンジで表現されており、よりルーツィなアサイドを強調したものである。
  結果としてモダンロック的浮遊感や、カッチリした完成度は後退したものの、よりAmericanaサウンドを強調出来るアルバムになっている。
  かなり手の込んだサウンドを意識せずとも実行していたオリジナル「Lit Up From The Inside」とはまた違った雰囲気のあるアナザー・ヴァージョンなのだ。

  ところで、敢えて別ヴァージョンというかマスタリング前の音源を、曲順だけ大幅に変更してリリースした意図は何なのだろうか。
  バンドの活動休止期間に、リリースの谷間を埋める為に、Unmastered Versionを出した。
  こうビジネスライクに捉えてしまうと身も蓋もないのだが、そう考える事も出来るとは思う。

  だが、独逸のレーベルから発売された処女作「Back To My Senses」、そして自主制作された2作目にして傑作である「Downtown Saturday」のルーツ主軸な音楽性から、かなり異なったアプローチが見られた「Lit Up From The Inside」を出して2年。この空白を経て、再始動の号砲ともいうタイミングにてわざわざマスタリング前の音源を再発売した意図は何らかの考証を与える意味があると思う。

 ◆「Back To My Senses」から「Lit Up From The Inside」までの変遷、そして

  Nadineの特徴は、非常に柔らかいルーツロックサウンドにあったと思う。
  柔らかいというのは単にアクースティックとかフォーキィという使用楽器の選択によるアウトプットではない。
  アクースティック・インストゥルメンタルでもザクザクした硬質の音は表現出来るし。
  カナダ人ヴォーカリストのAdam Reichmannのソフトな声質も大きな要因にはなっているが、それだけでもない。
  柔らかいという単語自体曖昧模糊としている。が、
  フワフワした手触りがある感じ。
  夕暮れに遠くから聞こえて来るラジオやテレビの哀歌のような、ノスタルジックな感慨を呼び起こす要素がある。
  何処と無く寂しげな雰囲気が曲に存在している。
  
  以上のような非常に主観的なエッセンスがNadineの曲には多く感じられていたのだ。
  この手応えのフニャっとした箇所は、Neil Youngに何処となく似ているが、Neilの場合は骨がない軟体動物的な頼りなさがどうにも駄目に感じる場合が多い。これに対して、Nadineはもっとガッチリと逞しい音を創っている。
  表面的には& The Crazy Horseのようなハードドライヴなロックサウンドよりも余程大人しいのに、だ。
  Ryan Adamsのソロ作の方が、比較例としては適当かもしれない。

  そういった優しい空気を基本にしつつ、
  処女作「Back To My Senses」は非常に基本に忠実なAlt-Country Rock。
  2ndアルバム「Downtown Saturday」はAit-Countryという単語では表現しきれなくなったルーツロックとシンガーソングライター風音楽のミックス作。そう呼ぶに相応しい傑作なアダルト・ルーツアルバム。
  そして、3作目「Lit Up From The Inside」では、直接的な土臭いアレンジを相当減らし、鍵盤とアクースティック弦を大幅に取り入れたアンビエントなフォーク風サウンド、そして大らかな米国中西部を匂わせる微かなアーシー・アトモスフィア。加えてマシンビートまで加えた新進性。これらを全て混合したユニークなロックアルバムとなっていた。

 ◆Wilco的な音楽の変化を進んだが、革新の名の元に堕落しなかったバンド

  3作目にして、独特の味だった浮遊感をより明確に浮き出させるためか、相当にモダンロックの流れに足を踏み入れたアルバムを世に出したのだ。
  根底に流れる、緩やかで柔らかいルーツ感覚は不変としても、表現方法が相当変化した為、ルーツロック的な空気は縮小していた。

  この流れは「A.M.」という1990年代前半を代表するAlt-Countryのアルバムでデビューしておきながら、次第にルーツサウンドから距離を置き、仕舞いにはルーツのルの字も含まれないエレクトリック・ポップバンドへと下落したWilcoの軌跡を連想せずにはいられない。付け足すなら一時期のJayhawksも同じ轍を「Smile」で踏んでいる。
  云ってみれば、カントリーやパンクサウンドをベースに広まったAlt-Country Rockから、頑固にカントリーに拘泥せずあらゆるサウンドスタイルを許容したモダン型のサウンドに3作目にして大きく移行した訳である。
  ますます、「Being There」、「Summerteeth」と続いたWilcoの電子鍵盤サウンドを思い浮かべてしまう展開だ。
  NadineのマルチプレイヤーであるSteve Raunerが初期2作では必ず演奏していた、ラップスティール、マンドリンを3作目で一切弾かなくなったのも、Wilcoが3作目でフィドルプレイヤーを解雇した事件と重なってしまう。

  しかも、大幅に革新を目指した「Lit Up From The Inside」は、セントルイスのインディバンドだったNadineの評判を大きく広めた。
  独逸のGlitterhouse Recordsからたった1000ドルの制作費兼ギャラで作成されたデビュー作「Back To My Senses」は最終的に米国での配給先が見つからなかった為の選択だったし、2作目の「Downtown Saturday」もレコーディングスタジオが当初は使えず、自主制作盤だった。
  が、「Lit Up From The Inside」は前作の配給を受け持ったUndertow Recordsから発売され、Undertow自体が多くのミュージシャンを抱えるが意図で活動していた時期に当たった幸運もあったのか、それなりのプロモーションを得て、Alt-Country系の雑誌やサイトで好意的に評価された。
  こういった追い風の中で、最早Nadineが手本としたUncle TupeloやSon Volt的な音楽に戻るのは難しくなったと考えてもおかしくは無い。

  ところが、ここからがWilcoやサウンド改変により改悪に陥ったJayhawksと、Nadineが異なる部分。
  
  以前の素朴なAlt-Countryに立ち返るのか、シンセサイザーやループドラムを取り入れたモダン・フォークを中心に組み立てていくのかの迷い。これはどれ位の分量かは不明瞭だが、確かに存在した筈だ。
  その回答を自ら得たくて、3作目をシンプリファイした、「マスタリングしない」アルバムを曲順まで変更して発表。どちらの方向に進むべきか、同じ曲のアレンジを変えることで模索したスピンオフを発売。
  これが「Lit Up From The Inside -The Unmastered Version-」のリリースされた理由だと勝手に想像している次第だが、安易に路線変更による成功を甘受せず、ちゃんと試行錯誤を行っているのだ。
  当然、完全な筆者の独自解釈な為、全く的外れである可能性が大きい。が、自らの原点を簡単に捨てずに、しっかりと基本を踏まえた4作目を出した事実は、Nadineの誠実さと才能を事実によって証明している。
  更に、路線変更した3作目自体が、WilcoやJayhawksの駄作には比較するのもおこがましい程出来が良かった事もNadineを評価出来るポイントでもある。
  
  正式な4作目で迷いが吹っ切れたような演奏を聴くに付け、アナザー・ヴァージョンまで発表して道を探していたNadineのメンバーの試行錯誤の末の成果が見られると思う。
  単純に前作を踏襲した作品で終わらず、完全に独自のスタイルを築き上げたと評価したいのが、今作「Strange Seasons」だからである。
  2ndアルバム「Downtown Saturday」がAlt-Country Rock時代の完成形とするなら、「Strange Seasons」はAmericana RockへNadineが3作目と3.1作、更に後述のベータ版4作目を経験して打ち出した最終回答にして、既に完璧にものにした音楽性の塊として賞賛をしたい。

 ◆キーボード・オリエンティッド路線は残しつつ、しっかりしたルーツ作品になった新作

  「Strange Seasons」をカテゴライズすれば、間違いなくRoots RockでありAmericana Rockだろう。
  Alt-Countryのように、カントリーやパンク、トラディショナルに深く拘泥する事無く、より広範な音楽性と混和したサウンドを確立した音楽を、Americanaと呼ぶ場合が増加しているが、まさにNadineはそのアメリカン・ルーツサウンドの理想形だと思う。

  カントリー的な、Alt-Country的なアサイドは全く消えてしまっている。
  然れども、オルタナティヴやソニックロック、パンクポップといった現在のメインストリーム・ロックスとは全く違ったレイドバックセンスとダウン・トゥ・アースな感覚を内包しているサウンド。
  初期2作では完全に補助的な役割で演奏に加わっていた鍵盤類を、殆ど主役として舞台上に登らせている。
  しかも、ドラムループやマシンビートは前作に引き続きの活用である。
  が、それでも「Lit Up From The Inside」よりも、全然ルーツロック“らしい”作品として完成しているのだ。

  これには、3作目ではアクースティックギターを強調していたのに対して、エレキギター主導に立ち返った。これが一点だ。レコーディング時点では、ギタリストはAdamとSteveだけだが、実にパワフルで、プリミディヴな音を立てたギターを弾いている。
  そして、ドラムやパーカッションがマシンビートに頼らず、気合の入った叩き込みを行っているのも、ルーツロックとして聴こえる一因だろう。
  更に、キーボードは殆どのトラックで複数弾かれているが、どの曲でも決して薄っぺらいマシンノイズとして扱われる事が無い。これがWilcoの「Summerteeth」やJayhawksの「Smile」との大きな違いだ。
  電子鍵盤を、テクノロジーとして、電子ビートとして解釈した上述のメジャーバンドとは反する形で、Nadineはあくまでもルーツサウンドを興す目的でキーボードを使い込んでいるのだ。
  言い方を代えれば、Beatle PopやSynth Popと区分されるドリーミーなサウンドアレンジを、至極ルーツサウンド寄りにしたポップロックとなるだろうか。
  Power Popでもあり、Modern Rockでもあるけれど、最終的にはアメリカン・ルーツに属する、キーボード・ルーツロックをNadineは創造したと思っている。
  意外に、鍵盤類を豊富に使ったルーツサウンドというのは見付からない。創作自体が困難なのだろう。少しポイントを外すとパワー・ポップやオルタナティヴ・ポップの領域に大きく撚れてしまうのだから。

  ここ数年、Neil Youngがそういったプログレッシヴ・ルーツサウンド風の音を出そうとして苦心しているが、その最悪の失敗例が2002年の「Are You Passionate?」だろう。
  この酷いアルバムも、キーボードを多用して柔らかく音を包もうとして、単なる弱腰・柳腰のヘタレサウンドになっただけの典型だ。
  Neil Youngの後継者的な評価を最近Nadineは、メディア上でされる事が多いが、正直ピークを過ぎてしまったYoungとは比較するのも勿体無いくらい瑞々しいロックとポップの才能があると思う。

 ◆キーボード・ルーツトラックのモデル、#2『Different Kind Of Heartache』

  冒頭の#1『Friends And Lovers』のアクースティックギターを伴った、Neil Youngのアクースティック3部作を思わせるリフを聴いた時は、更にアンビエントなフォーク路線が進んでしまったと勘違いしてしまった。
  「Lit Up From The Inside」のオープニングソングである『Without A Replay』よりも更に幽玄な雰囲気。
  名曲『Losing Track』で見せてくれたサクサクなアクースティック弦の音色の気持ち良さとは異なる質の浮遊感。
  この軟体質なラインとヴォーカルは、やはりNeil Youngに似ている。
  しかも、クラヴィネットやローズピアノ、オルガンといった鍵盤類をゆっくりフューチャーしながら進むスロー調子。
  シンセ・ドラムを使い、エレクトリック・パーカッションのループを取り入れたリズム。
  しかし、ギターだけは初リフ以外の部分で随分骨太になっている。このため、覚束なくクネるメロディの中にも芯が入り、ルーツィな安定感を齎している。
  元来、こういった微かに黄昏れた空気がNadineの持ち味であったので、大きくNadine固有のカラーを外してはいないアルバムだと思ったものだ。
  しかし、ロックサイドから遠ざかっていく速度が加速したように感じてしまったのも確かだ。似たような空気を引き摺る2作目のスローオープニングナンバーである『Closer』より全然緻密でスマートになってしまっていたから。

  だが、次の#2『Different Kind Of Heartache』を聴いた時、ロックアルバムへの期待を抱けるようになった。
  個人的に、#2は一聴するや否や、今年聴いた鍵盤主体のナンバーではトップクラスに入るフェイヴァリット・ソングになった。
  ピアノの持つ、音の“間”を最大限に引き出したと思える、ややくすんだ音色で始まるリフ。
  実にリズミカルなラインをピアノが歌っている。そのピアノに唱和する控え目なベースとギター。裏からサポートをするキーボード類。でしゃばり過ぎず、とはいえ弱さとは無縁に加わるギター。
  Adamのヴォーカルも、#1での擬似Neil Young風ヘナヘナヴォイスとは異なり、得意のハイトーンでソフトな喉を活用し、活き活きとラインを唄う。
  テンポとしては速過ぎず、遅過ぎずなミドルレンジだが、鍵盤の存在感が曲全体を厚くコーディングし、頑丈な骨組みのアンサンブルを構築させている。
  何といっても、ピアノ鍵盤のシンコペーションが快感なナンバー。
  この力強さに、新作の骨子を感じずにはいられないだろう。

  #3『Sad At Goodbye』でも鍵盤のリードは変わらない。オープニングのR&Bリズムを意識したリフから、ピアノサンプリングが最も目立つ。全体としてはマイナー調子の英国サイケディリックとR&Bを中部的なルーツセンスで併せた感じのトラックだ。このトラックではかなり線の細いヴォーカルとハーモニーが主体で、彼等の複数の音楽性を見るには適当なナンバーだろう。

 ◆最もロックなアルバム

  元来、Nadineはミディアムからスロー・スピードの間で勝負をしているバンドという印象が強い。パンキッシュなナンバーやスピードマーチャンダイズなロックトラックは、これまでのアルバムでは殆ど見られない。
  だが、今回は相当ロックンロールに踏み入れた曲が幾つかトラッキングされ、Nadineが単なるアンビエント・サウンドバンドで留まる事をヨシとしなかった意気込みが見られる。

  特に#12『Something’s Gotta Give』は、デビューからこちら最もはっちゃけたナンバーだろう。
  ギターアンプのノイズをSEとして歌に入る演出からして、ライヴ一発撮りを模している感じだ。即興そのものの演奏に、崩れたギターと今にも破裂して壊れそうなアナログシンセサイザーのくぐもった音。
  ルーツロックというよりも、アングラなプログレ・パンクと言った所か。
  “ウェル・クラフト”という単語が似つかわしいアルバムの流れからすると、ボーナスかシークレットトラックとすべきタイプの曲だ。これを締めのトラックとして持ち込んだ事が、Nadineのロックンロールへの表明だと考えたい。
  #6『Beautiful』もかなりボルテージが上がっているロックナンバーだ。コロコロと音色を変えて出没するラフなギターがノイズを放り出す。ハモンドB3、フェンダーローズといった鍵盤類も少し規格外のテンションでギターを追いかけている感じ。全体としてはAdult AlternativeとRoots Rockの中間辺りで妥協されたナンバーだろう。

  が、ロックナンバー最大の聴き場所は、#8『Inside Out』だろう。ワールドミュージック的な、何処と無く米国先住民族のシャントを思わせるア・カ・ペラで始まるのがとても印象的だ。
  #6や#12と異なり、かなり丁寧に仕上げられたロックナンバーで、オルガンにしてもギターにしても、Nadineらしく丁寧に収納されてメロディを形成している。
  Mr.Henryの『One』ほどパワーロックではないが、ルーツィな安定感とポップなラインは素晴らしい。
  モダン的な要素と中西部ルーツのセンスが上手く妥協しているのだ。
  これはNadine得意なスローナンバーでは十分に表現されているけれども。

  また、それ程速いナンバーではないのだが、そのグルーヴ感覚が軽快な#11『Poor Man's Vacation』もユニークなポップチューンである。
  ムーグシンセサイザーとハモンドB3という電子鍵盤と、エッジの切れ味が良いギターとリズム隊を、英国古典ポップの味付けで融合させている。
  口笛まで楽器としてソロパートを唄う。古臭いオルガンのソロにR&Bリズムが和す。ラスト付近ではエフェクターを思いっ切り噛ました、ラジオから流れるようなギター音を搾り出しつつフェードアウトさせるという、遊び心満載のナンバーとなっている。
  同じく、スロートラックではなく、寧ろミッドテンポに分類されるだろう#10『Cold Chill』。プログレッシヴバンド、まるでBostonのようなスペイシーなオルガンノイズからスタートする、かなりスマートな曲だ。
  ギターもアーシーというよりも、Adult Alternative風にチューニングされているように思える。
  しかし、オルガンやドラムビート、ギター全てが合同すると、最終的にはルーツトラックになるのが、不可思議。
  まさに、Nadineマジックかもしれない。

 ◆やはり柱はスローバラードなバンド

  で、やはりNadineの本領が発揮されるのはスロートラックとバラードだ。
  どれもオルガンやピアノ、シンセサイザーといった鍵盤とバラードの親和性を活かした傑作揃いになっている。
  また、Nadineのルーツィで、未だAlt-Countryバンドと評価される−筆者としては最早オルタナカントリーとは異なったジャンルのサウンドになったと思っているのだが−土臭さと、中西部地方のトラッドさを引き受けている部分が最も多い。
  ファズなギターとオルガンが力一杯バトルをする#4『Fools』。繊細なスタートから、オルガンのひと唸りでグンとボルテージを上げる展開は、エモーショナル以外の何者でもない。これまでのNadineのバラードには無かったザクザクしたギターと馬力のあるアンサンブルが聴きものだ。
  ピアノを始めとする複数の鍵盤が効果的に重ねられて、コッテリしたバラードになっている。
  これぞ中西部音楽の良心であるHeartland Rockの傑作だ。
  このバラードを聴くと、Trainのバラードが安っぽいだけの流行迎合音楽にしか思えなくなる。
  続く#5『Rocking Chair Song』は、まさにロッキング・チェアーに寝そべって、転寝をする時に聴くと、気持ちよく微睡む事が出来そうな、トローリとしたスローナンバー。
  微妙に南部風な揺れ方をするリズムを引っ張るパーカッションの数々とキーボードの曖昧な音に比べて、太いギターの音色が上手くコントラストを演出している。

  また、かなりブルーグラスなメロディの影響を感じる、雄大な#7『Better Off Now』は、アルバム後半に大きな山を作っている。
  形としては遅めな曲になるだろうが、その分厚さと存在感は、やはりロックだ。ロッカバラードとしてHootie And The Blowfishが歌ったらかなり面白いと想像したりもする。
  グラスソング的な柔らかさから、インタープレイでは乱れてコードが変調を繰り返す、サイケディリックな展開になるのもインパクトが強い。ラスト付近でのピアノの乱れ引きは、相当ジャジーでもある。
  #7以上に、米国中部の大草原を感じるのが、#『Got A Feeling』だ。
  サザンロックバンドがレパートリーに加えても違和感の無い、馬力のあるギターと透明感のあるキーボードのミックスが何とも懐の深い音を出す助けをしている。
  このキャッチーでありつつも、何となくマイナーな哀調を覚えるメロディは、Mr.Henryの名盤「40 Watt Fade」に通じる所があると思う。

 ◆まだまだ伸びるバンド。今後にかなり期待。

  3作目にして大幅なサウンドの改変を行ったNadineだが、その成功に留まらず、そして方向違いに行ってしまわず、ルーツサウンドに戻ってきてくれた。
  それもカントリー的なサウンドではなく、より新しい切り口を持ったAmericanaとしてだ。
  オルタナティヴでもなく、モダン風味もあって、でもやっぱりルーツという空気はMr.Henryに嘗て感じたモノに近い感触だ。まだ、「40 Watt Fade」まで至る深みが、やや足りないとは思う。
  未だ試行錯誤を行っている跡が、殊にロックナンバーで見られるし。
  が、これからも、どういった路線をとるにせよ、ルーツサウンドの核だけは保持して良質なアメリカン・ロックをプレイしてくれるバンドだと思っている。
  このアルバムからレーベルを移籍。その先がJuckbox JunckiesやWallflowersの鍵盤弾きであるRami Jaffee、そして個人的には全く評価していない中途半端のロクデナシであるPete Yornが所属しているTrampoline Recordsというのが、NadineのベタなAlt-Countryなアレンジに終始しない態度を良く表している。
  が、このままモダン的なサウンドに染まらないで欲しいので、出来れば古巣のUndertowの方が彼等には似合っている気がするのだ。
  レーベル先のカラーには似合っているし、ユニークなレーベルメイトも多い。良い環境にあるのは、嘗てUndertowが成長した時代と同様だろう。
  この機会にもっと評価と評判も伸ばして貰いたい。次の5枚目にプラスになる経験を今のうちに積んで欲しいと思っている。  (2003.11.17.)


  This Life / GB Leighton (2003)

  Roots                


  Pop                ★★★★☆

  Rock             ★★★☆

  Adult Contemporary ★★   Official Site


 ◆GB Leighton初のレーベル契約アルバム

  Glodeck Brian Leightonが、GB Leightonという名前のバンドで活動を始めたのが、1988年。
  未だ産業ロックやポップメタルがこの世の春を謳歌していた時代である。
  が、アルバムの発表は1994年の「One Time...One Life」まで5年を待たなくてはならなかった。
  EPやミニアルバムを除くと、これまでにBrianがリーダーとなって発売したアルバムは以下のようになる。

  「One Time...One Life」(1994年)
  「Come Alive」(1996年)
  「Live From Pickle Park」(1998年)
  「It’s All Good」(2000年)
  「This Life」(2003年)

  この他、1998年に「The Marksmen」という映像作品のサウンドトラック。
  1999年と2000年には「Acapulco Night」というEP、及びリミックス・ヴァージョンを幾つか収録したミニアルバムを発表している。
  EPについては割愛させて頂く。筆者も持っていないので。

  9年間でフルレングスがライヴ盤も含めて5枚。「Acapulco Night」までカウントすれば6枚。インディ・ミュージシャンとすれば平均的なレコーディング回数だろう。
  しかし、2000年の前作「It's All Good」までのアルバムは、全て自主レーベルからの発売となっている。
  特段インディ・ミュージシャンとしては珍しくない状況では、ある。
  これまでBrian Leightonのアルバムは、活動拠点であるミネアポリスを中心に4万枚以上売れているそうだ。
  インターネットが普及する以前・または発達していなかった時代に発売された1−2作がそれぞれ1万枚以上の売り上げを記録していたというのだから、地元ではかなり熱心な固定ファン層が着いているのだろう。
  1万枚を自主レーベルで売る事ができれば、相当の成功と評価されるローカルシーンだが、流石に安定して1万のCDを売るバンドに注目せざるを得なくなったのか、6枚目のフルレングス作品にて、漸く外部レーベルとの契約を結ぶに至っている。

  余談だが、敢えて苦言を呈したいのは、他のミネアポリス付近のインディバンドと比較すると、GB Leightonのアルバムは割高である事だ。海外送料を含めて20ドルを越えてしまうのは少々感心出来ない。平均単価が18ドルというのは、メジャーなバンドの大量生産で売れるCDよりも高値になるのはある意味仕方ないが、筆者の愛するミネアポリスのバンドを広く眺めても、GB Leighotnのアルバムが最も売り手に旨みのある価格となっている。
  これで内容が価格に比例していなければ、火を吐いて街を破壊していると思うが、悔しい事に高値で購入しても許せるクオリティなのだ・・・・・・。

  閑話休題。
  さて、Brianがバンド活動開始以来、苦節14年目にして契約を得た先は、ミネアポリスの中堅レーベルであるLiquid 8 Records。
  日本では世界に先駆けて発売されたDaryl Hallのソロ作「Can’t Stop Dreaming」、最近ソロ作の活動が活発なJohn Oatesの最新作「All Good People」といったビッグネームのソロ作を扱っているのが最も目立つか。
  更にNYCのパワーポップ男女混合バンドであるLava Babyのアルバムも同レーベルからの発売。
  80年代の熱心なファンなら名前を覚えているかもしれない、あのMidnight Oilの新譜も配給している。
  その他、ジャズのアルバムも扱うといった具合に、アメリカーナやカントリーロックといったルーツロックのカラーは全く無いレーベルである。パワーポップやR&Bカラーが強いレーベルと考えて良い。
  最も嬉しいのは、録音のクオリティが格段に上がっている事。過去のアルバムは全てデジタル録音しているとは思えないくらい音質のレートが低かった。
  これが「This Life」では劇的に改善されている。流石にメジャー傘下の中堅レーベル。これまでの個人スペースでの録音機材との差が如実に現れている。

  そして、図らずも非ルーツ系レーベルから初の契約アルバムをリリースした、という事実が今作に於けるGB Leightonの方向性を物語ってもいるのだ。

 ◆髪の毛亡くして、ルーツロック無くさずだったけど

  Brian Leightonは初期のアルバムではしっかりと繁った頭髪にて、写真を飾っている。
  しかし、1998年前後から一気にスキンヘッドへとその外見を変じてしまう。当初は剃り上げただけかと思っていたのだが、どうやら頭髪の病気で禿げてしまったらしい。
  が、Brianの頭がツルツルになり髪の毛を失ってしまっても、彼の音楽がルーツィさとポップさを失う事は無かった。
  禿げてしまった後の初のスタジオ盤である「It's All Good」はこれまでで最もポップでバランスの良い傑作として、かなりのお気に入りとなった。
  このアルバムから、以前はG.B. Leightonとカンマでバンド名を区切っていたが、GB Leightonと微妙に表記を変えている。
  とはいえ、バンドに大きな変化があった訳でもない。というか、GB Leightonは初アルバムをリリース以来、頻繁にメンバー入れ替わっている。
  最も長い間バンドに在籍しているリードギタリストのLuke KramerとドラマーのRandell Baugherにしても、全てのアルバムには参加していない。
  1994年から96年までの曲を集めてリリースされた2ndフルレングスの「Come Alive」からその名前が見出せる。

  今作「This Life」のバンド名は前作「It's All Good」と同じくGBだが、メンバーの数が初めて5名を越え、6人編成の大所帯バンドとなっている。

  Brian Leighton (Vocals,Guitars,Harmonica) 、 Luke Kramer (Guitar,Lap Steel)
  Randell Baugher (Drums) 、 Gary D (Piano,Hammond Organ)
  Jason Perri (Saxphone,Violin) 、 Jr. Flom (Bass)

  前作から引き続きバンドのメンバーなのは、Luke、Randell、Garyの3名。
  これまでのアルバム間の面子の流動が大きかった事を鑑みると、かなりの定着率だ。
  又、普通はゲストミュージシャンに依存するサックス、ヴァイオリンだけを担当するJason Perriを専属メンバーとして新たに迎えている。
  その反面、レコードリリース前の活動からずっとBrianと活動を共にしていたベーシストのJohnny Vincentがバンドから抜け、1stアルバムから在籍していたミュージシャンはBrian以外ゼロとなってしまった。

  これまでもBrianはホーンセクションやストリングスを積極的に取り入れ、単なるルーツロックバンドというよりも、如何にもミネアポリスのバンドらしい、中庸的なポップロックを作成してきたが、この専属ヴァイオリニスト兼サキスフォニストの加入によって、更にアダルト化が進んでいるのが、本作の大きな特徴だ。
  本来、オルタナカントリーとは全く質の違った、ルーツサウンドを創って来たアーティストがLeightonである。
  これまでのアルバムの中で、最もキャッチーなアルバムだった、2000年の「It’s All Good」にしても、カントリー的な曲は皆無。American Trad Rockと呼ぶのが適当かそれとも単にBar Band Rockと呼んだ方が宜しいか悩む、そんな中部ルーツポップがGB Leightonの音楽性だったのだ。

  が、「This Life」はこれまでより更に磨かれ、スマートになった中間的なPop/Rockに歩を進めている。
  Roots RockとAdult Contemporaryの境界線がこれまで以上にあやふやになっている。
  というよりもルーツ的なサウンドは端々に聴く事が出来るけれども、Adult Contemporaryの分量に天秤の針は大きく傾いている。
  とはいえ、脱ルーツを完全に果たしてAlternative化してしまったのではない。
  Brianの既存作がそうであったように、オルタナティヴ的な鬱要素、雑音要素、暴力的要素は、塵の欠片程も見当たらない。
  こういったサウンドは、1970年代から80年代のメジャーシーンの主軸であった−少なくとも主軸の1つだった−所謂Heartland Rockそのままであると云える。又は、Roots RockとPop/Rockの中間を行くAdult Oriented Rock(AOR)の理想形であるとも表現できよう。

  元来−デビューアルバムから前作まで−のGB Leighotnの作風は、Heartland Rockど真ん中を打ち抜いていたと思う。適度にアーシーでありつつ、決して必要以上にカントリーやトラディショナルに寄り掛からないメロディ。
  しかし、その米国中部・中西部的なベースが、よりアダルトサウンド化している。これが「This Life」だ。
  Adult Contemporaryとカテゴライズしてしまうには、ルーツロックの主張が強過ぎる。更にロックンロールの躍動を体感できるサウンドを維持しているので、スロー的なバラードが目立つACサウンドにはBrianの音はやや規格外だろうと思う。
  やはり、量を減じたとはいえ、ルーツフレイヴァーがまだまだ残るPop/Rockが適当なジャンルと云えよう。当然、その他のエッセンスも含まれるが、基本は中庸Pop/Rock。
  ミネアポリスには様々の良質な音楽が点在するが、ルーツ系のバンドでは非常にルーツレスに分けられるバンドである事は間違いない。
  元からルーツサウンドを深く追求するスタイルではないが、新作は相対的に見ても、かなりルーツの割合は減少している。

 ◆Bruce Springsteenの熱烈な信奉者、Brian Leighton

  GB Leightonに最も近いミュージシャンやサウンドは、という比較が海外のレヴューでも数多く為されている。
  中でも一番名前が挙がるのが、Brian Leightonが信奉を公言して止まないBruce Springsteenだ。

  「誰にでも影響を受けた原点、ってのがあるよね。僕の場合、Bruceがそうなんだ。でも僕はSpringsteenの音楽をコピーしているつもりはない。彼は常にソングライターとして、ステージパフォーマーとして僕にインスピレーションを与えてくれるけどね。」

  確かにHeartland Rockらしい大らかさとアーシーな感覚はBruce Springsteenから受けた影響を窺わせている。
  しかし、SpringsteenはBrianよりも、ずっとカントリーや伝統音楽を意識したアレンジやメロディを求める場合が多いと思う。
  当然、アリーナロックにかなり擦り寄った「Born In The U.S.A.」のようなスッキリしたAORロック作品には非常にシンクロする部分が多い。
  が、ルーツロックとして比較すれば、発表アルバムの数が違う事を鑑みても、相対的にBruceはルーツサウンドを視野に入れたアルバムを幾つも放っている。
  Brian Leighton程にソフィスティケイディッドされたルーツポップ作品は見当たらない。寧ろ、曲単位で見ればBruceをお手本としたナンバーが、Brianには幾つもあるのだが。

  それ以前に、曲のキャッチーさと親しみ易さでは正直、大御所たるBruceが完全にLeightonの後塵を拝している。
  Bruceが創るナンバーは確かにフックがあるが、特段ポップ一辺倒ではない。Bruceは本人が意識するかしていないかに拘らず、ステイタスシンボルとしてロックンローラーたる事を求められ続けているからだ。
  Brian Leightonの方がノビノビと好きなポップソングを書いているという印象は、彼のアルバムを聴けばすんなりと納得出来る筈だ。

  また、ここの相違点が一番大きいと思うのだが、Brian LeightonのメロディはかなりR&Bやソウルミュージックの影響が目立つ。勿論、Bruceにしてもソウルを始めとした様々な根源音楽からの影響は多分に感じられる。
  しかし、R&Bやソウルを完全に中西部ポップロックと親和させている、一見普通のアダルトロック、しかし、実はオリジナリティのあるR&BベースのHeartland Rock。とBrianは彼のオリジナリティをきっちりと表出している。

  海外レヴューには“John Mellencamp with a hint of R&B”という表現があるが、これは他からの引用ながら言い得て妙だと考えている。
  メジャーのブラックチャートでもプレイされるヒットR&Bソングとは全然異なり、当然白人R&Bとも全く質の違った白人ロックをベースとしつつ、R&Bを感じさせる音楽。
  これを考えると、John Hiattのアダルトロックを強調した面、Bob Segerのデトロイト&アダルトロック。特にBobの70年代から80年代の作品に通じる所が結構ありそうだ。
  更に、パワーポップやAORロックンロールとしての側面から割ってみると、Brian AdamsやRod Stewartといった大物。そしてAdam Schmitt、Tommy Keeneといったパワーポップフィールドの面々。といった具合に、更にワイドなミュージシャンともシンクロする部分を持っていると思う。
  特に「This Life」は素朴なR&Bなルーツサウンドが心地よかった既存のアルバムよりも、相当にアンサンブルが厚目なので、余計にAOR的なシンガーを重ねてしまうのかもしれない。

  確かに、Bruce Springsteenのコピーでは終わらないミュージシャンである。

 ◆オーヴァープロデュース? 過剰結構!

  #1『With Nothing』のモロにPower Pop/Adult Alternative式なエレキギターに度肝を抜かれたファンは数多いだろう。2000年の「It’s All Good」の上がり終盤3曲、『Bad Bad Bad Alison』から『Love Is Easy』を挟み『Country Road』に至るロックンロール列車の驀進。これにはかなり驚いたが、#1のテンションとクリアなギターによるエナジーロックンロールはこの3連コンボを頭1つ超えてしまっている。
  海外批評では“Springsteenタイプのロックトラック”という賞賛が目立つ。確かに前作までのルーツロックなアレンジで歌われれば、「The River」や「Darkness On The Edge Of Town」あたりのロックチューンと重なる部分は多かったと思う。
  唯一「Born In The U.S.A.」での『No Surrender』や『Dancing In The Dark』といった産業ロックアレンジのロックチューンが敢えて述べれば近い感じか。
  しかし、「It’s All Good」でのホンキィなピアノもアーシーでアクースティックさを残したエレキやスライドギターも、陰を潜めてしまっている。Bar Band的なサウンドではなく、完全にパワー・ロックとして語られるチューンだ。
  やはりAdam Schmittのエナジック・ソングに被さる箇所の多い、モダンなロックだ。
  録音がクリアになった事も、#1をスカッと爽快なチューンに見せる補助をしているとは思う。が録音レヴェル云々を別として、ここまで田舎臭さが抜けるとはかなり予想外だった。
  転がるピアノではなく、流暢なシンセサイザーが滑り、後半ではサックスまでがアンサンブルに加わる。
  既存のバー・ロックスタイルから一歩外に踏み出したエポックメイキングなトラックだ。
  しかし、これだけスマートで綺麗なアレンジにしても、メロディの良さが強調され、ルーツレスになったマイナスがあまり感じられないのは、矢張り曲そのものが良いからだろう。

  そして、目玉の1つであるロックチューン、#8『Summertime』。
  アルバムからファーストシングルとしてラジオに乗ってかなりの評判を得たそうだ。
  豪快なホーンセクションからスタートという、これぞホーンをバンドに加えた効果だ、と主張しているようなトラック。
  このトラックまで聴く頃にはすっかり耳に馴染んでいるだろう、の随分垢抜けたギターと温かみのあるピアノのアンサンブルが軽快にリズムを刻む。
  Swagのメロディを、堅実で骨太のロックサウンドでリメイクしたような印象もある。ルーツロックとかオルタナティヴという理屈を抜きにして、アメリカン・ロックのスタンダートとなる名曲だ。これはやはりAORに分類すべきナンバーだ。

  これら2曲をオーヴァープロデュースと否定的に取るか、それともロックアンサンブルの成長と取るかでアルバムの賛否は分かれそうだが、基本のメロディの質が全く素晴らしいので、どちらの傾向を重んじるリスナーにも受け入れる事が可能だと考えている。
  確かにオーヴァープロデュース気味なのは間違いない。しかし、ロックチューン全てが、オーヴァープロデュースの為にルーツさを失ってしまったかというと、そうでもない。

  威勢の良いホーンセクションやストリングスが配され、ガッチリと装飾をされたロックチューンの#4『Perfect Timing』もこれまでのアレンジと比べるべくも無く、装飾過多のサウンドプロダクションが施されている。
  が、メロディにはミッドウエストサウンドの仄かに香る土臭さが存在し、甘いハーモニカやグルーヴィなハモンドB3が単なる産業ロック風の厚化粧ソングで終わらせない意図を主張している。
  言ってみれば、Heartland Rock with Arena Rockだろうか。

 ◆ミディアムナンバーに託されたルーツロックへの想い

  過熱気味なロックトラックよりも、中西部のルーツセンスが息づいているのは中程度の速さ以下のトラックだ。
  #5『How Does It Feel』の歯切れの良いリズムと、多彩な楽器を取り入れたメリハリのある展開は、楽器数を増やした事がプラスに働いた好例を示している。
  かなりラフにジャムるハモンドオルガンに、シャカシャカとリズムを叩くシンバルが気持ち良い。
  この曲もたっぷりとオーケストラが取り入れられているが、こういったミディアム・スローのバラードには実に似合っているアレンジだと思う。Counting Crowsあたりが演奏したらもっと面白いかもしれない。

  ブギ・ウギ調子の明るいジャンプナンバーである#7『Come Get Your Love』。ディスコバンドのヴェテランであるBoys Town Gangのヒット曲のカヴァーである。
  サックスがかなりア・ド・リヴな演奏を捏ねくり回し、オルガンを始めとした鍵盤ノイズも積極的にリズム楽器として使用されている。
  白人のR&B解釈としてはかなりユニーク且つポップサイドを意識している、ファンキーで踊れるナンバーだ。ライヴで披露したらかなりの踊りを招くナンバーだと想像している。
  Brian Leightonの以下のコメントを具体化したような曲でもあるか。

  「僕の歌に合わせて、皆が踊って、歌って、騒いで、飲んでくれる。これが曲を書く者としての本懐だ。これが歌を書く理由かもしれない。」

  ピアノソロがワルツを刻む、印象的なリフから始まるミディアムテンポの#10『Eye Can See』は、何とRembrandtsのPhil Solem提供したハートウォーミングな曲だ。キャッチーなR&Bセンスを取り入れたRembrandts得意のスタイルでもあるが、GB Leightonが演奏しても実にハマっている。Rembarndtsの曲として書き上げたらな、もっとR&Bがキツくなったかもしれない。ミネアポリスのポップバンド用に書き下ろした為、Philはキャッチーなラインを心掛けたのではないだろうか。
  ギターの音が適度以上に白熱したり、コーラスを重ね過ぎな部分もあるが、実に暖かいナンバーで、後半でBrianとバックコーラス隊がバトルをする箇所はかなりボルテージが上がり、変化にも富んでいる。

 ◆ソウル・R&B、アダルトの色濃いバラード群

  エナジックなパワーソングである#1の次に、いきなりソウル色の強いバラード#2『If You Go』が続くので、その落差が却って印象的だ。
  ストリングスの音響を使い尽くした、やや哀愁を含んだメロディは、かなりアダルトコンテンポラリー寄りなソウル・ミュージックを感じる。
  やや英国的なマイナー調子のラインをタップリな弦楽器で引っ張るダイナミズムは、これまでのGB Leightonでは見られなかった手法だ。
  また、#2と同様に何処と無く英国風味のコード進行を匂わせる#11『Your Everything』でもR&Bのセンスがバラードの美しい曲に込められている。Brianがこの手の歌で好んで使う、時折織り交ぜられるトーキング的なヴォーカルが、大仰にシェイキングするコーラス部の流暢さと対照的で面白い。
  後半のギターソロのエモーショナルさは、素朴なルーツサウンドとは程遠く離れてしまっているが、軽薄さは欠片も無いし、当然オルタナティヴの異臭も発していない。至極正統派のPop/Rockとして聴ける。

  勿論、ソウル風のアダルトバラードだけで染まっている訳ではない。
  アコーディオンのソロを冒頭で見せてくれる#5『Shout It Out』は、またもやストリングスが大活躍するコッテリ系のバラードだが、しっかりとグラスルーツの影響が感じられる。
  アンサンブルがかなりヒートアップしてしまう為、アーシーさはそれ程目立たないが、しっかりと曲の根底にはルーツサウンドが流れていると思う。
  唯一アクースティックギターを表に出した、タイトル曲#9『This Life』では、最も明確にルーツセンスが読める。しかし、このナンバーとてかなりアダルトロックに即した構成になっている。徐々に盛り上げられるギターアンサンブルと、随時合流してくるピアノやオルガン、そしてストリングス。
  以前の朴訥で素朴なアレンジは、最もアクースティックなナンバーでも見られなくなってきている。

 ◆ルーツロックアルバムではなく、ルーツロック愛好家へのアルバムに

  正直、ここまでアダルト化するとは予想していなかった。
  ミネアポリス・ロックらしい良質なメロディとフックのあるポップラインは健在なので、アルバムとしての出来はとても宜しいとは思うけれど。
  これまで、確かに1970年代後半のBruce SpringsteenやBob Segerを連想させるルーツィなサウンドを創り続けてきたが、ややベクトルをずらした感は強い。
  かなりAORとモダンなポップ側に重点を置き始めたのは確たる事実だ。
  ライヴ映えするサウンドも、6ピースにしてサックスやヴァイオリンを加える事でカヴァーが可能ではあるだろう。
  しかし、年間平均200から250回のライヴ。多い年には280回のステージを行ってきたという本格派のバー・バンドがスマートで磨き抜かれたパワーポップになってしまわないかという一抹の不安を覚えてしまう。
  現在はまだルーツィな部分が多く残っている為、ルーツロックそのままのアルバムではないにしても、ルーツロック好きには安心して薦める事の出来るアルバムになっている。
  メロディがキャッチーであるだけに、どのようなサウンドを核としても成功は収めれるポテンシャルがある集団であるとは思う。しかし、次作では何処へ向かうのか、となるとちょっと予想が付き難い。
  今回のプロデューサーであり、録音スタジオのオーナーでもあるBobby ZはファンクやR&B音楽中心に活動している人で、やはりソウル風のバラード#2をバンドに提供もしている。共作者は、これまた意外な顔ぶれか、Men At Workのリードシンガー、Colin Hayだ。曲的にはこの捻くれたセンスがColinらしいとは思う。

  Bobbyのアドヴァイスで、ルーツ的なエッセンスを極力廃した結果がこのアルバムなのかもしれない。
  とても素晴らしい中道ロックだ。70年代や80年代ならば、チャートの上位に座していても不思議の無い良作だ。
  しかし、メロディに懸念が無かった分、アレンジ1つでここまで変わってしまうとは予想をだにしなかった。
  次のプロデューサーによってまた新しい顔を見せてくれるとは思う。それに対しては期待9割以上、不安1割以下という程度であるが。
  まあ、GB Leightonがとんでもないオルタナ作品を作るとは思わない。
  あ〜だこうだと云いつつも結局信頼しているし、信頼に足るバンドなのだ。今回は見事にやられた。二重の意味で。
  1つはルーツサウンドをここまで抑制した事。
  もう1つはメロディが前作よりも親しみやすくなっている事だ。
  是非次のアルバムでもポジティヴな驚きを持って来て欲しいものである。 (2003.11.22.)


  Uh-Oh , It's / Keith & The Satellites (2003)

  Roots           
★★☆

  Pop          ★★★★☆

  Rock      ★★★★☆

  Southern ★★★


 ◆オリジナルの“ジョージア衛星”の結成ならず、しかし・・・

 2002年にYayhoosとして久々にバンドリーダーでの活躍を見せたDan Bairdだが、2003年に入っても順調な活動を続けている。
 2002年から取り組んでいた幾つものミュージシャンのアルバムにプロデューサーとして名前を連ね、傍ら、Yayhoosの全欧ツアーを敢行。2003年末には全米ツアーも実施された。

 ちなみに2003年に発売された、Dan Bairdのプロデュース作品は以下の通り。

 Saddest Day Of The Year / X-Rated Cowboys
 The Jealous King / Chris Kinght
 Thinkin' Out Loud / Cash Monies & The Jetsetter
 Dang! / The Dusters  
 
 更に、Yayhoosのベーシストにして1982年から短期間The Georgia Satelltesに在籍していたKeith Christopherや、2001年に発売されたライヴアルバムで演奏をサポートしていたKen McMahan等とThe Original Georgia Satellitesをテンポラリー・バンドながら結成。2回のステージを行ってもいる。
 何とこのアトランタのショウには、Rick Richardsも加わっているのだ。
 2001年にチャリティー・コンサートの一環として、Rick RichardsとDan Bairdが一度だけGeorgia Satellitesの名前を冠したプロジェクトで演奏を行っているが、それ以来のDanとRickが参加したSatellitesとなると、2年ぶりとなる。
 更に、3枚目のソロ作となttアウトテイク集「Out Of Mathballs」を英国のインディ・レーベルより発売。このアルバムの発売に合わせて、Dan Baird & Friendsの名義で全欧ツアーを再度実行。
 こちらには、Ken McMahanやKeith Cristopher、そして元Georgia SatellitesのドラマーであるMauro Magellanが参加している。

 そしてそして、The Originally Georgia Satellitesの結成を機会として、2002年初夏にはRick RichardsとRick Priceを中心にツアーバンドとして活動を続けている、Rick Richards' SatelltesとDan Bairdが合体して、The Original Georgia Satellitesの正式なリユニオンの動きが報告され、ファンとして一時期は密かにしかし熱く期待していた。
 しかし、この再結成は、結局お流れになってしまった。何という事だろう。

 この再結成断念について、Danがコメントを発表している。
 以下、要約してみよう。

 「皆さん、俺は残念な事を伝えなくてはならないのが残念だ。
  8月と9月(2003年の)に行われる予定だった、オレとRick Richards、Mauro Magellan、Keith ChristopherそしてJoey Huffmanでのリユニオン・ツアーは中止になり、もう行われる事はない。
 期待してくれた人達がとてもがっがりしている事は解っているつもりだ。
 このラインナップで組む事が中止になった理由は、古い古い雪玉に例えられる。
 
 始めは小さかった雪玉が、よくあるように丘を転がり落ちる間に、どんどん雪を取り込んで大きくなっていった。うん、確かに稚拙な例えなんだけど、これが核心を突いている言い方なんだ。
 そして雪玉が転がれば転がるほどに、大きくなり過ぎて雪玉は止まらなくなるし、スローダウンもやり辛くなっていく。
 そんな雪玉と同じように、状況はオレの手を離れて全くコントロールができなくなってしまった。

 オレの立場からどんなに説明しようとしても、中止の理由は最大限オレの偏見に塗りたくられてしまうだろうし、多分最低の不正確な情報として語られてしまうと思う。(オレとオレの過去を知っている人達なら、得心してくれるだろうね。)
 だから、この場で非難すべき諸々のリストを挙げることはしないよ。今回はここまでのコメントがベストだと思う。
 こういった弁解は、終わったイザコザを再燃させる事になるからね。
 もう一度謝罪しておくよ。本当にゴメン。」

 というような例えでDanは再結成ツアーのキャンセルを語っている。が、ちょっと考えると容易にある程度の想像は付くように思える。
 斜面を転がり落ちる雪玉が大きくなり過ぎて手に負えなくなった。
 つまり、旧サテライツのメンバーとDanとのしこり−これに類する悪感情諸々−は、年月を経る毎に肥大化しており、再結成の打ち合わせの時、両者の間で沈静化を見ていたモノが再燃してしまったのだろう。
 要するに、Rick RichardsとDan Bairdの確執は予想以上に根深かったと考えるのが妥当だろう。
 距離を介して、仲間とは見ずに、再結成を話し合っている期間は良かったが、いざバンドを組むとなると、不協和音以上の衝突があったのかもしれない。
 原文を読むと、もう2度と再結成は無い、とまでは書かれていないが、前後の文脈から類推すると、「2度とやんね〜からな、こんなこった。」という憤りが噴出しているのが知覚出来るのだ。

 結論として、The Original Georgia Satellitesは今後見ることは難しくなってしまった、と云える。
 まだ希望は捨てていないが、やはりRickとDanがあってのGeorgia Satellitesであるし、そうあって欲しい。2001年には一度だけだがステージを共有している両者が、いつか雪融けを迎えることを切に望んでいる今日この頃だ。(苦笑)

 ◆・・・・しかし、オリジナルのサテライツの音源が発掘された
 
 非常に残念な結末を迎え、寂しい前途を予想されるリユニオン・プロジェクトの中止。

   が、奇しくも同年の2003年に、同じオリジナルでも、時代の違ったオリジナル・サテライツの音源が日の目を見る事になったのだ。
 新しい音源というポジディヴな存在ではないが、熱心なサテライツファンにとっては思わぬ福音となる音源。本家という意味のオリジナルというよりも、始まりという意味でのオリジナル・サテライツの音源で、今回紹介するKeith & The Satellitesのアルバムが、それに当たる。

 ◆Not The Georgia Satellites But The Satellites

 1980年、米国南部ジョージア州都アトランタにてKeith & The Satellitesというバンドが誕生した。
 このバンドは、ギタリストのRich Richards、ベーシストのKeith Christopher、ドラマーのDavid Michaelson の3名で結成されたトリオに、Dan Bairdというヴォーカリスト兼ギタリストが加入した事から始まる。
 結成してすぐに、The Satellitesと名前を変更。当時は頭にGeorgiaは載せておらず、単なるThe Satellitesだったのである。
 が、この頃はThe Satellites、Georgia Satellites、Keith & The Satellitesと複数の名前が混在していた時期でもあったらしく、正確な命名は不明瞭でもあることはお断りしておく。

 しかし、Keith & The Satellitesという名前は、ほんの当初だけ使われていたのは確からしい。
 寧ろ、2003年2月のオリジナルラインナップ(といってもドラマーはMauroだし、キーボーディストのJoeyも顔を見せていて、完全な創設メンバーではないが。)のプロジェクトを本家Georgia Satellitesと区別する為、Keith & The Satellitesというキックオフ・ネームを使ったので、このアルバムもKeith & The Satellitesというバンド名になったようであるが。

 さて、アトランタのバーやボールルーム、レストランでギグを開始したThe Satellitesだが、当初は会場のスタッフも含めて10人も人が集まれば上等という体たらくだったらしい。
 しかし、地道な活動によってファンの数は次第に増え始め、アトランタの著名なクラブで連夜のライヴを実行可能な程度の知名度を持つまでに上昇していく。

 この「UH-OH,It's」は、The Satellitesが丁度上り調子にあった1981年から1982年に掛けて、地元のスタジオにて録音された貴重な音源である。
 全11曲のマテリアルが収録されており、スリーブの情報によると、#1から#5が1982年の11月。#6から#11までが1981年の6月のセッションのレコーディングである。
 これらのマスターテープを発掘し、リマスターして1枚に纏めたのが本アルバムという訳だ。
 特に、#6から#11までは、The Satellites初のレコーディングという事で、当然アナログ音源であり、相当なラフミックスになっているが、それがまた堪らなく好ましくもあったりする。

 アルバム内容に触れる前に、The Satellitesが、突如メジャーチャートでブレイクし、『Keep Your Hands To Yourself』を全米第二位に、アルバム「The Goergia Satelites」を全米第五位まで押し上げる以前の動きだけトレースしてみよう。

 1982年までにはスタジオでレコードデビューの為のマテリアルを創作できるくらいまでステータスを築いたThe Satellitesだが、それからが伸びなかった。
 時に1983年。まだまだインディバンドで食いつなぐには寒い時代である。現在のインターネット普及による独自宣伝活動によって数万枚を売るインディペンダントが出る時代は、火星に到達するよりも夢物語だった頃である。
 まず、方向性の食い違いから、KeithとドラマーのDavidが脱退してしまう。
 残された、DanとRickは新しいリズムセクションを雇い入れ、活動を続行。幸運にも英国のインディ・レーベルであるMaking Wavesが契約を持ちかけてくる。クラシカルな英国ルーツスタイルに近いロッキン南部サウンドが英国の嗜好に合致した賜物だった。
 これがThe Georgia Satellitesとして初のレコードとなる6曲いりEP「Keep The Faith」となる。レコーディングは1984年で、発売が1985年。

 しかし、レコーディングを終えた後、Dan Bairdまでもサテライツを一時的に放棄してしまうのだ。
 彼は、1990年代から大半の活動を共にすることになるドラマー兼ヴォーカリストのTerry Andersonが創ったバンドであるThe Woodpeckersに加わる。
 残されたRickも、サテライツの維持には熱意を示さず、新ベーシストのRick Priceと同じく新ドラマーのMauro Magellanを率いて、The Hellhoundsというロックユニットを設立。
 このバンドが後に、元Guns’N’RosesのギタリストIzzy StradlinとのユニットJu Ju Houndsの原型ともなるのだが、それはかなり後の事。
 このように、英国で「Keep The Faith」が発売された時には、実質The Georgia Satellitesは空洞化していたのである。
 これではプロモーション活動もへったくれもない。普通ならこのままThe Satellitesは消えていく運命だった筈だ。
 しかし、この「Keep The Faith」が偶然にもElektra Recordsの目に留まってしまうのだ。
 同レーベルはDan BairdをThe Woodpeckersから引き抜き、RickのHellhoundsと再び組ませ、The Goergia Satellitesを再び結成させる。
 そして、1986年に4人組でデビューを飾ったThe Georgia Satellitesは唐突に大ヒットシングルを放つ。
 カントリー系のMTVで繰り返しオン・エアされた事が契機で火がついた『Keep The Hands To Yourself』は大したプロモーション活動もせずに1986年12月にトップ40入り。翌年には全米2位を獲得するシングルとなる。
 ちなみにナンバーワンを阻んだシングルは、Bon Joviの『Livin' On A Prayer』。このPeter Framptonのパクリソングよりもサテライツが仮に1曲でもトップシングルを獲得していたらその後ももう少し変化したかもしれないと考えてしまったりする。何にしても惜しい話だ。

 ◆完全に初収録となるマテリアルは2曲プラス1曲
 
 以下、収録曲を書き出してみよう。()カッコ内は収録されたアルバム。

 #1『Sheila』(Open All Night)
 #2『Crazy』(Keep The Faith / In The Land Of Sulvation And Sin)
 #3『Working In The Slaughter House』(In The Land〜 タイトルは『Slaughterhouse』に変更)
 #4『Smoke From A Gun』(初収録)
 #5『Keep Your Hands To Yourself』(Georgia Satellites)
 #6『Six Years Gone』(In The Land〜)
 #7『Red Light』(Keep The Faith)
 #8『To Much Fun』(初収録)
 #9『Can't Stand The Pain』(In The Land〜)
 #10『Everybody』(初収録。リードヴォーカルはKeith)
 #11『Keep Your Hands To Yourself(Alt.Track)』

 こうやって並べてみると、既出の曲の大半は3rdアルバム「In The Land Of Sulvation And Sin」からとなっているのが解る。
 筆者は常々、最も売れなかった3枚目(トップ100入りすら逃す)が最も彼らのバック・トゥ・ルーツに忠実なアルバムだと唱えてきたが、始まりの録音で3作目の代表曲と認識されているトラックは完成していたのだ。
 1作目で必要以上にハードロック風の曲を取り入れているのが不自然だと考えていたが、やはりこの辺りは当節のメタルブームを反映したレコード会社の要求の兼ね合いがあった事は想像に難くない。

 であるから、この11曲を収録、最新の技術でマスタリングを施した「UH-OH,It's」は雰囲気的に、レコードレーベルの制約が薄くなった3作目、又は完全にインディ版のRick's Satellitesの「Shakin' Not Stirred」に近い。

 また、後半6曲−The Satellitesとしての初スタジオワークのプロデュースには、あのBrendan O'BrainがJoe Perryという人物と共同で担当している。(このJoe PerryがあのJoeかは不明。多分違う。)
 Brendanが売れっ子プロデューサーとして頭角を現すのは1990年代になってからであるが、その10年近く前からThe Satellitesと関連していたのは興味深い。

 Brendan自体は、筆者は全く評価していないプロデューサーであるのだが(何せ、粗悪な文化の権化たるヘヴィロックやラップメタル、ミクスチャーの作品が多過ぎるから。)、稀にこのような本格的なアメリカン・ロックの作品を手掛けるので、非常に掴み所が難しい。
 そのBrendanだが、#6『Six Years Gone』ではピアノを叩いている。
 後のIan McLaganのピアノと比較すると、鍵盤に気合の入れ方が足りない奏法だが、彼は本業がギター系なので、これは致し方ないし、名手Ian爺さんと比較するのも可哀想だ。

 その#6を始め、既に正規盤で聴く事が可能な#7、#9、#11は初レコーディングという若さが実に良く浮き出ている。
 どのトラックも後のガッチリした安定感よりも、腕白な元気さが見える。
 比較的近いのが「Keep The Faith」のみに収録されている、クラッシックR&Bハードスタイルの#7『Red Light』だが、この曲もよりワイルドに叩きつけられている。
 唯一であろう、Rickの単独作で、サテライツの代表曲でもある#9『Can't Stand The Pain』はイントロのスライドギターからして、泥臭さと田舎臭さが倍増。後のトラックで転がりまくっていたピアノが入っていないのは残念だが、Dan BairdとRickそしてKeithまで加わったトリプルヴォーカルが、後のDan中心の酔っ払いヴォーカルラインよりも青くて微笑ましい。

 そしてアルバム上は今回初のお目見えとなった#8『To Much Fun』。ややブギーな南部ロックの典型であり、メロディもサテライツの原点に立ち返ったように実にキャッチーだ。
 初期のStonesやFaces、Chuck BellyやBuddy Hollyを思わせるナンバー。やや地味だが、過熱気味のレコーディングの重石になっているようにしっかりした曲だ。
 後のアルバムに収録されなかったのが不思議なくらい。
 #10『Everybody』はKeithが創作したナンバー。そしてヴォーカルは、やや鼻に掛かったようなトロリとした声の持ち主であるKeith。
 この関連から、後のKeithが離れて完全に別物となったGeorgia Satellitesのアルバムには収録されなかったのだろうが、こちらもゴキゲンなロックナンバー。ストレートなサザン・トラックでシャウトが気持良い。

 興味深いのは、ファーストテイクとなった#11『Keep Your Hands To Yourself(Alt.Track)』と、1年半後に録音された同トラック#5『Keep Your Hands To Yourself』の格差だ。
 驚いたのは、#5はその後ヒットしたヴァージョンと殆ど変わらないのだ。やや演奏が厚くなって、Dan Bairdのヨーデルが少し強力になった程度しか違いがない。
 大ヒットを記録する5年前には、既に完全なモールドが完成していた事になる。これは驚きだった。
 対して、#11では無理矢理ウィスキー・バーンな声を出そうとして苦しそうに歌っているDanのヴォーカルが不器用で、楽しい笑いを誘われる。
 バックの演奏もかなりいい加減で、まさにデモ・ヴァージョンの名に相応しい。が、これこそがThe Satellitesの原点なのだろう。

 これが、前半の5曲になると、かなり演奏が地に付いてきた感を覚える。
 唯一2ndアルバムへ収録された#1『Sheila』では、演奏よりもDan Bairdの初々しいヴォーカルに耳を奪われる。後の馬力で押し捲る酔いどれヴォーカルよりも、遠慮というかスタイルが固まっていないように思えるが、これもまた若さがあって宜しい。
 #2、#4はパワーが目立っていたメジャー盤のテイクよりも、ザラザラした埃っぽさとスライドギターがよりカントリー的な色合いを出しているのが特徴だろうか。
 しかし、これより7年後、メジャーでの大成功を経ても、彼らの根っこが変わっていない事を確認できる原型でもある。やはりGeorgia Satellitesの基本はロックンロールでルーツロックなのだ。

 そしてこれまた今回初登場の#4『Smoke From A Gun』。
 このトラックでは、Dan Bairdのヴォーカルが実にハマっている。後の3作のアルバムで遠慮呵責なく振り撒いていたパワー・ヴォーカルが既に実現されている。ややドラ声風のハーフシャウトを駆使して唄い続けるDanのヴォーカルのパーソナリティが存分に発揮された曲だ。
 このナンバーも3作目か2作目のどちらかにテイクされても全く違和感が無かったし、サテライツのベスト盤に入れても全然問題ないガッチリしたロックナンバーだ。
 今回のアルバムで個人的にはこの#4が最も大きな収穫だった。まだまだ、このような名曲が眠っていたのは個人的に新鮮だったから。

 ◆Not A Official Press But A Permitted Bootleg

 このアルバムはオフィシャル盤ではない。
 DanのサイトやYayhoosのサイトでも決して紹介はされない類だろう。
 少々理解が難しいかもしれないが、海外ではブートレグがミュージシャン側で容認されている場合が多い。(しかし、公式には販売ではなく交換の形で認容されるという形式が殆ど。稀にブート音源を自ら売って飯の種にしているミュージシャンも存在するが。)
 とはいえ、完全にゲリラ盤でもない。どうやら2003年2月のThe Satellites復活ギグを記念して企画されたインディ音源が位置づけらしい。
 しかし、リマスタリング技術の進歩により、デジタル化された音源は、メジャー盤よりも良好なサウンド・レートとなっているので、メジャー盤がりマスターされない限り、現在最高の音源は4thとこの半非公式音源になりそうでもある。

 音質に関しては全く問題ないが、メディアは案の定CD-Rで、ジャケットもコート紙にプリンターで焼き付けた程度のチープなシロモノである。
 ファンなら是非手に入れておきたい一品だが、ブート嫌い、R嫌いの方は手を出さない方が賢明だろう。
 (2004.1.12.)


  Victrola For Sale / Wheelhorse (2003)

  Roots                      
★★★★☆

  Pop                    ★★★☆

  Rock                ★★★★

  Traditional&Alternative ★★★☆
  Official Site


  ◆#1『Plow』

  出足でアクースティックな叙情性を数瞬だけ振り撒き、即座にスライドギターが埃っぽい音を捻り出す。
  鋭く切れ込むスライドギター、そしてラップスティールギターの擦り切れた音。
  リードギタリストJoseph LitteralのスライドプレイはSonny Landrethよりも寧ろDaivd Lindleyを思わせるパワフルなスタイルだ。
  サザン・フィーリング満載の馬力のあるリズムセクション。
  黒人のようにソウルフルなChirs Stewartのヴォーカル。
  非常に高いレイドバックの度合。
  バック・トゥ・ザ・ルーツミュージック、或いはディープ・トラディショナル。
  現代的な−あまり好きな単語ではないのだが、オルタナティヴ的−サウンドの力技の重さが、ロックンロールの燃料を燃焼させる。
  そして、曲のテイルからフェードアウトまでに繰り広げられる、ヴォリュームのトーンを落としたスライド弦とChirsのヴォイスの掛け合いはオルタナティヴの乱雑さとサザンサウンドのダートさの両方を顕している。

  濃厚なトラディショナル・サウンドと純度の高いオルタナティヴ・ロック。

  #1『Plow』を聴いた瞬間、このWheelhorseに惚れてしまった。
  スライドギターやラップスティールの音が好きなリスナーは必聴だと思う。

  ◆濃いと濃いを併せて、どうなる?

  #2『Loose Of The World』は、女性コーラスを加えたソウル・ロック。
  ゴスペルブルースのトラッドな雰囲気が漂う、サザンスタイルのトラッドナンバーだ。
  しかし、この曲は単なる
  America Trad-Rock とか Southern Roots Rock
  という単語では表し切れないナンバーである。
  ブルースのブラックルーツ音楽の衣装をゆったりと纏わり付かせながらも、実にヘヴィサウンドが爆裂するのだ。
  チャートでうれなくなって以降のCinderellaやLed Zeppelinのブルージーで重いロックンロール。
  へヴィといっても、現在のTop40向けに迎合したオルタナティヴ・へヴィサウンドではない。
  Alice In ChainsやStone Temple Pilotsといった様式美が感じられないヘヴィネス・サウンドを抽出培養した超過重量のヘヴィネスとは異なる、ブルースを叩き台にしたハードサウンドである。
  しかし、古典ハードロックスタイルよりも、もっと現代的なオルタナティヴのセンスが感じられる。これがWheelhorseの大きな特徴だ。
  先に述べた通り、知性の感じられないへヴィ一辺倒のオルタナバンドとは全く違う、純粋なAlternativeだ。

  元来、その単純且つ浅薄さが祟り、他の音楽との融和性に欠如しているAlternative Rock。そのサウンドを幾つものミュージシャンがルーツ音楽と融合させようとして骨を折ってきている。
  しかし、中々にして達成されるものではなかった。
  オルタナティヴ−互換性・代用性−という語彙の意味に反して、非常に他の音楽との互換性や親和性に乏しいのがAlternativeである。
  悪い意味において、濃過ぎる堅牢さが、全ての歩み寄りを台無しにしているのだ。

  その狭量さ故に、オルタナティヴはロックンロールの短い歴史に於いても、異質な感触が付いて回る鬼子的な存在であると考えている。
  本来、革新的であると同時に大衆性も持っているのが普通であったロックンロールに、全く独りよがりなマスターベーション行為を公然と許容したのがオルタナティヴの大いなる罪科である。
  結果として、鬱感情やフラストレーションの垂れ流しが、オルタナティヴの代表格となる流れが出来てしまった。
  原始に於いては、Alternativeの名前の通り、世代の垣根を越えたブロードなジャンルを意味するのが、この音楽カテゴリーであった筈なのに、だ。
  が、そのアンバランスなAlternativeを、稀にだが巧みな結婚により他のサウンドと纏める事が出来たバンドもあるのだ。
  そのひとつがWheelhorseである。
  Wheelhorseは、トラディショナルやブルーグラスとハードなオルナタティヴをユニークに融合させる事に成功しているレアなバンドなのだ。
  #2は真の意味で、Alternative Roots Rockと呼べる、希少な成功例だと思う。
  ブルースハードとルーツロックという、ある程度適合性のあるサウンド同士ではなく、、よりモダンロックに属するハードネスサウンドとルーツ音楽を組み合わせてしっかりとした形に形成しているのだから。

  ちなみに、ウッドベースをはじめ、鍵盤全般をプレイしてバンドのアンサンブルを支えているMatthew Patterson氏によると、このハードロックナンバーはメンバーでもかなりお気に入りの曲ということだ。
  
 ◆Real Mountain Music

  ハードスライドが吼えた#1、ゴリゴリのリズムが暴れた#2。
  以上のようにルーツロックとオルタナティヴの割合は異なるが、ハードエッジなロックンロールが走っていた頭2曲の後に、フォーキーな#3『My Name』がフワリと舞い降りてくる。
  とてもピュアで訥々としたマウンテン・フォーク・トラックだ。

  巷で溢れているヘヴィサウンドとアンプラグドナンバーを交互に入れるという手法は、誠実さを装うチープなオルタナティヴ集団が頻繁に使用している。
  が、Wheelhorseがこういったアクースティック・ベースの素朴なナンバーを披露しても、単純なヘヴィサウンドとアンプラグドの使い分けには見えない。
  というのも、どの曲にもヘヴィネスな馬力過剰な部分があっても、それ以上に誠実なトラディショナル・サウンドを追求している姿勢が明らかだからだ。
  馬鹿力一本槍の糊塗の為に、取って付けたようなアクースティック・トラックを入れ込むイージーさとは重みが違うのだ。 

  ペダルスティールの哀しげな音色、Matthewの抱える一聴してダブルベースと分かる、太いベースライン。
  全てが、美しさとトラディショナルな侘び寂びで表現するしかない名曲だ。
  カントリーではなく、もっと伝統様式を深く差し込んだ、まさに山の音楽。

  ペダルスティールの物哀しい音色と、アクースティックギターのカップリングで流れる#6『Two Thousand Dollars』も本格的なマウンテン・ミュージックだろう。
  Chrisが珍しく目一杯に力を入れて歌わず、甘く抑えたヴォーカルを聴かせてくれる。単なるパワー・シンガーではない事を証明してくれる曲でもある。
  アナログシンセサイザーを隠し味に使ったりして、シンプルなトラッド風ソングでは終わらせない奥行きがある。
  ペダルスティールと牧歌的なコーラスが、否が応でもグラスソング的な空気を生み出すが、ブルーグラスの能天気さは殆ど感じられず、叙情的なバラードに上手く仕上げている。
  この辺りのソングライティングは非凡と言わざるを得ない。

 ◆Roots Alternative Rock n Roll

  まるでネイティヴ・アメリカンのシャントのようなChrisのヴォーカルで始まる#4『Joyride』。
  そのヴォーカルにグネグネと濃いフィドル弦が絡み、グラスルーツな雰囲気を盛り上げていく。
  そのユニゾンから、一気にヴォルテージを上げるJosephのギター類と彼の弟Jason Littrelが弾くリズムギター。
  マンドリンやバンジョーまで加わり、黒っぽいハード・オルタナティヴを7分近くのたくりまわす。
  ブルーグラス的な野暮ったさとブルースロックのハードさがドロドロに溶け合っている、本格的に骨太なナンバーである。上辺だけキンキンとスピーカーをハウリングさせるオルタナティヴバンドとは全く重みが違っている。
  このナンバーは、マウンテン・ロックの別形態でもあるだろう。

  #3や#4程に“山寄り”のアレンジではなく、より普遍的な中西部ルーツサウンドに現代的なへヴィサウンドが融合していく#5『The Water Is Wide』。
  キャッチーなラインを辿るマンドリンの音色でルーツィな感触を。
  Chrisの奔放なヴォーカルに新生代のオルタナティヴな空気を。
  スライドギターやリズムギターのへヴィな音色には南部ロックの安定感を。
  雄大なコーラスにはゴスペル音楽の影響を、それぞれ感じずにはいられない。
  色々な展開を見せてくれる、中盤のハイライトソングだろう。

  スケールの大きいロックンロール・トラックスだった#4、#5に比較すると、少々こじんまりとし過ぎた感の強い#7『Leaving Train』もルーツとオルタナティヴの両方を備えたミクスチャー・ナンバーだと思われる。
  オルガンを軸に、R&Bロックのスタイルを踏襲。
  R&Bの淡々としたメロディ進行に、ハードで鋭角的なロックリズムが乗っかっている。
  寧ろ、サザンロックとオルタナティヴのダークさを、それぞれ抑制しつつ混ぜ合わせた感じのナンバーだろうか。
  少し泥臭いが、Trainあたりのレコードに入っていてもあまり不思議はなさそうにも思えるナンバーだ。

 ◆Wild Drive Bluegrass

  変り種、というかいかにもハードサウンドを追求するWheelhorse、と思えるナンバーが、#9『Baptist Town』だ。
  この「Victrola For Sale」は収録曲10曲のうち、半分以上のトラックが5分を超える長い曲というのが特徴の1つなのだが、この#9も6分を超えるロング・ランニング。
  ストリングスを擬似したシンセサイザーに、ペダルスティール、そしてバンジョーがアップテンポで暴れる。
  根源は、コテコテのブルーグラスだけれど、相当にオーヴァードライヴしたリズムが叩かれる。
  と、思いきや、突然4ビートにスローダウンしたりもする。
  全体的に、プログレッシヴ・ロックンロール全盛期を彷彿とさせる大仰な変調・転調を多用するバンドであるけれど、#9のようなブルーグラス基本のナンバーにも活用してくるのは意外だ。
  古典的ハードロックのメリハリを、グラスソングに流用したと思ってくれて良いだろう。かなりハードなナンバーでありつつ、グラスソングの抜けたイメージが同居しているので、何とも表現のし辛い曲になっている。
  暴れん坊なブルーグラスと評ずるべきか。
  辛味の効いたメロディで、お祭りな空気の満ちたグラスソングとはタイプの異なるナンバーである。
  オルガンまで導入し、分厚さではサザン・メタルにも引けをとらない。
  グラスルーツをここまで肉付けする所が、Wheelhorseの所以だと考えているのだが。

 ◆Southern Rock or Heartland Rock

  全体的に見てハードなロックアンサンブルに、クラッシック・ハードよりもモダン・オルタナティヴの音を一層強く感じる傾向のあるWheelhorse。
  しかし、サザンロックの図太さが、クラシカルなルーツロックとしての面を際立たせ、オルタナティヴ+ルーツロックではなく、ルーツな南部ロックと捉える方が妥当な曲も存在する。

  じっくりとスローな流れに、コッテリした演奏が鍬を入れる#8『Eastbound For Nowhere』。
  アーシーかつハード。
  しかし、ダウン・トゥ・アースな骨子が鎮座しており、力任せなパワー・サウンドはあまり突出していない。
  じっくりとしたMatthewとSteveのリズムセクション。
  “溜め”の効いたJosephとJasonのギター。
  性急に過ぎず、たっぷりと喉を披露するChris。
  Josephのリードギターは往年のハードロックバンドの名ギタリストに引けをとらない技巧がある。
  サザンロックのダイナミズムな風格を持つスローロックンロールだ。
  特に後半のギターの掛け合いは素晴らしい。
  こういったスマートさを感じる演奏には、Heartland Rockの要素も組み入れられていると思える。

  最後を飾る#10『Beads And Mirrors』は、更にサザン・フィーリングの濃さが感じられる。
  タップリと行間に感情を置いたコード進行には、新人バンドらしからぬ落ち着きを思わずにはいられない。
  また、#1や#2でも登場したゴスペルコーラス部隊のThe Gospel Troopsがヴォーカルで参加。
  唸り、滑り、揺れるオルガンと一緒になって、サザンゴスペルの沈殿物をズンズンと攪拌する。
  特にサザンブルースの筋肉質をそのまま鳴らすギターと、オルガンの奔放な音色のバトルは、脱穀機のように馬力満載である。
  ここにChrisのヴォーカルと黒人ゴスペルヴォーカルが加わって乱戦になる終盤の緊張感はすざまじい。
  それでありながら、トラッドな柔らかさを感じるのは、中西部サウンドの福音だろう。
  南部サウンドを目指しつつ、中西部サウンドの基本も捉えているバンドなのである。

 ◆『馬車馬』の歴史

  ケンタッキー州出身のメンバーで固められたWheelhorse。
  ソングライターは、リードギタリストにしてマルチプレイヤーのJoseph。
  以下、パーソナルを記しておく。

  Joseph Littreal (Lead/Rhythm Guitars , Lap Steel , Mandolin , Banjo , Bass , Vocal)
  Matthew Patterson (Bass , Organ , Piano , Percussion)
  Jason Litteral (Rhythm Guitar , Bass)
  Chris Stewart (Lead/Backing Vocal)
  Jamie Eads (Drums)

  レコーディング時にクレジットされていたドラマーのSteve Gulietteは脱退し、新ドラマーのJamieが現在はメンバーとなっている。
  バンドのメンバーの音楽的ルーツはJimmy PageからBob Dylan、Duane Allmanといったブルースロックからハードロック、フォークロックとジャンルを跨いだ大物達。
  これにメンバーの地元、ケンタッキー出身のブルーグラス・ミュージシャンであるBill Monroe、Osborne Brothers そしてRalph Stanley。彼らロック時代の前からブルーグラス界で歌っていたヴェテラン達。
  Wheelhorse自体は、1990年代前半にブルースロックバンドとして結成されている。
  が、音楽的見解の相違によって、メンバーの間で意見が分かれ、バンドはいったん解散する。
  ところが、年を経て21世紀に入ると、メンバーは自らのルーツの柱であるブルーグラスとマウンテン・サウンドをベースにロックンロールを追求するというコンセプトの元に再集結。
  再びWheelhorseを立ち上げ、現在に至っている。
  本作「Victrola For Sale」はバンドが初めて作成したアルバムで、アメリカン・ミュージックのバンドとして演奏するという考えで作成されたそうだ。
  以前のように、ブルースロックを模倣するようなスタイルを取らずに、自らのルーツを元にアメリカン・ロックを独自にプレイするバンドとして再生した、という経緯が存在するのだ。

 ◆モダンサウンドとトラディショナル/ルーツの融合

  所謂カントリーメタルやルーツハードロックとは異なり、濃厚なトラディショナル・サウンドを基盤にしながら、現代的なモダン・オルタナティヴな新しさがロックンロールとして充填されている。
  どうしても癖とアクの強いオルタナティヴは、ルーツサウンドになじまない性質を有している。
  実際に、Wheelhorseも融合が巧みとはいえ、完璧に混和させているまでには至っていない。一部にはバランスが取れずに統一されずガチャガチャしている箇所もある。
  これは彼らの問題ではなく、オルタナティヴ・ミュージックの個別な悪質の為である。
  が、その結合不可なアンバランス部分でさえ、不可思議なロックンロールの醍醐味の一部、風変わりな味わいとして包括してしまえる懐の広さが、Wheelhorseの非凡さなのだ。
  結果、ユニークな、『現代風トラッド煮込み』、『ブルーグラス風オルタナ味』、というべき特有のサウンドが創造されて
いるのだ。
  かなり印象が強いロックンロールである。
  特に#1は名曲中の名曲だと思う。是非聴いて欲しい。  (2003.12.7.)

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