The Land Of Salvation And Sin
/ The Georgia Satellites (1989)
Roots ★★★★★
Pop ★★★★☆
Rock ★★★★
Southern ★★★★
このアルバムが一応、最後のオリジナルなGeorgia Satellitesのスタジオ録音アルバムとなっている。一応に込めた熱い思いを、ここの偏狭なサイトを訪れてくれ、あまつさえレヴューを読んで戴ける方なら分かってくれると思う。
ギタリストのRick RichardsがフロントマンのDan Baird抜きでGeorgia Satellitesを名乗り、『Battleship Chains』や『Can’t Stand The Pain』といった5〜6曲のリテイクを含むアルバムをリリースしているようだが、やはりダン抜きではサテライツとは認めないので、あまり興味はない。・・・・・というか聴きたいのだがドインディーなイシューでプレスも極少数しか存在しなく、なかなか発見できないので嫉妬して貶しているというのはここだけの秘密である。(笑)
(2001年11月に漸く入手。豪州でリイシューされ始めたようだ。持ってない方必聴。)
ジョージア・サテライツは日本のみの企画盤ミニアルバム「Let It Rock」を始め、殆どのマテリアルが日本盤として発売されているのでいちいち解説は必要ないと思う。といいつつ書かずにはおられないのが熱烈なファンの性である。誠に度し難い。
が、バイオグラフィーやディスコグラフィーは後回しにして、このフルレングスとしては3枚目のアルバムを批評してみよう。(誉めるだけという突っ込みは却下やで〜。)
Georgia Satellitesというバンドは何時聴いても思うのだがやはりメジャーなバンドである。ラフでタフでセルフタイトルの1stアルバム以外は全くセールス的にもチャート的にも振るわなかったという事実があっても、決してインディのバンドにありがちなコアなリスナー向けの自慰的な音作りに終始していない。
彼らがメジャー・シーンに踊り出た頃猛威を振るっていた産業ロック的なアプローチとは、サウンド的には全く対照的な、埃っぽい、泥臭いルーツ・サウンドであるけれども、しっかりとアメリカンロックの歴史に流れるキャッチーで躍動感溢れる音が頑として鎮座している。
何時か何処かでラジオで聞いた事のある曲−決して華やかで街じゅうに流れていた訳ではないけれども、絶対に欠かせない唄−気だるい春の午後朝寝した寝起きに、夏の夕立の後の夕涼みで、秋晴れの休日に買い物に出かけた愛車のラジオから、明日は雪になりそうな肌寒い冬至の頃の街角で、何時かきっと、何十年後かに怖いもの知らずだった若い頃を思い起こさせてくれるロックン・ロール。それがサテライツの音楽であると信じている。
インディペンダント・レーベルが90年代に入り、充分商売として成り立つ前の音楽界で、自分達のやりたい豪快なサザンロックと土臭いアメリカンルーツの要素を、実に巧みにそして微妙にメジャー指向のサウンドで表現しているのは特筆に価する。
最近の所謂アフター・オルタナ・カントリー世代やガレージロック世代のように、ディープでくどい、時には胃にもたれてしょうがない極端な嗜好への傾きがない。そう、ジョージア・サテライツはクドくないのである。ブルース、カントリー、ポップ、ハードロック、オールディズといった新大陸で育まれたSame Old Rockn’Rollの旨味をきっちりと、こう云うと語弊があるかもしれないが、産業ロック的な売れるサウンドに昇華している。
ブルース・スプリングスティーンやボブ・シーガ、トム・ペティにチャック・ベリーそしてボブ・ディランと、枚挙に暇がないが、アメリカンロックの屋台骨を支えてきた偉大な先駆者達の正統な継承者であることは断言したい。彼ら大御所自身が、商業主義を批判しつつ売れるアルバムをリリースしてきたことは紛れもない事実であるし、それ故に正統派なアメリカンロックの道がテキサスやアリゾナを縦走する灰色のフリーウェイのように、がっちりと伸ばされてきたのは間違いのない歴史なのである。
その一端をしっかりと継承していたのが1980年から活動を開始した彼ら4人組、Georgia Satellitesなのである。カリスマという点では正直突出しているとは言い難いが、その音楽性にはあり余る説得力がある。
筆者が常に捜し求めているのは「ジョージア・サテライツを彷彿とさせてくれる豪快でキャッチーで埃っぽいアメリカン・ロック」であることを鑑みれば、如何に彼らの歌がツボに填っているかご想像できるだろう。が、残念なことに彼らのような全てを満たしてくれるバンドはなかなか出現してくれない。ハード側に寄りすぎてノイジーさが目立ったり、アーシー過ぎてロックの魅力に欠けてしまったりと、そうそう満点を付けることが可能な後継者は現れてくれなかったりする。
まあ、それであるからこそ彼らが今でも特別なバンドであるのだが。(笑)
本当ならもっと「ジョージアの衛星たち」を肴にしてくだを巻きたいのだが、残りのアルバムのレヴューに少しは取っておかないとネタが無くなってしまうので、このくらいで冗長な前置きは終了したい。当然ながら、サテライツの3枚のアルバムは筆者の大フェイバリットである。まあ、今更書くまでもないが。
さて、1989年に発売されたこの3枚目のアルバムだが、基本は前2作と変化はない。アーシーなテイストを叩き台にしてサザンロックの豪快さをポップな躍動感溢れるラインに乗せている。
ただ、前の2枚と比較してポップという点では一番安定したメロディを持っている印象が強い。同時に土臭いルーツへの傾倒というか、トラッドなテイストが一番表面に出た音創りを展開していると思う。やや多彩な要素を詰め込みすぎた感のある1st「Georgia Satellites」よりビシッとした一貫性がある気がする。
これは既に2ndアルバムの「Open All Night」で完成されていたとは思うが、カントリー的要素ではこちらの『The Land Of Salvation And Sin』に軍配が上がると考えている。殊に#2のエッジの効いた泥臭いロックナンバー
『Bottle O’Tears』から続く、彼らにしてはかなり長めの5分を越えるブルージーなナンバー#3『All Over But The Cryin’』とホーンセクションも絡んだ黒っぽい#4『Shake That Thing』を聴くと、ハードなギターで一気に疾ッ走しっていたデヴュー当時より重厚さが出て来た感じがするし、より一層のルーツミュージックへの回帰が見て取れる。
その前後のIan ”Pump”McLaganの必殺のピアノをジャムった#1『I Dunno』の格好のよいロックといい#5『Six Years Gone』の泥臭いパンチの効いたミディアム・ロックは七転八倒モノの素晴らしさ。この2曲さえあればもう丼飯が3杯はイケル。(謎)
潰れたようなラフなスライドギターと活きの良いコーラスが文句無しのこれまたブルージな#6『Games People Play』最高。
アクースティックなメロディにDanとRickの掛け合いヴォーカルが楽しい#7『Another Chance』文句無しなアーシーで優しく愉快。
またもやイアン爺いのB3オルガンが踊るキャッチーな#8『Bring Down The Hammer』と#13『Crazy』でのホンキィなピアノが・・・・このオヤヂさすが。彼らの起用する鍵盤弾きは誰もが最高である。
ハードでパンキッシュな「殺人鬼の家」#9『Slaughterhouse』に#14の60年代の不良ロックの味がする『Dan Takes Five』は大のお気に入り。
やはり良い意味で落ち着きと老成を(そこまで当時は老けてないが)感じさせてくれるスロー・ブルースとBoogie感が漂う#11と#12『Days Gone By』。
どれをとっても絶妙なバランスを擁したルーツ・アメリカンロックの王道的解釈がそこにある。やはりストレートなロックの魅力としては前作「Open All Night」にやや席を譲る形になっているようだが、どちらも大好物な方向性のアルバムであるから全く問題なく2股をかけれる。(笑)
さて、彼らについては前の方でも触れたようにご存知の方が多いと思うので、メンバーやディスコグラフィーについては次回の(何時になるかは未定だが。)「Open All Night」で紹介の場を持ちたい。故に、2枚のミニアルバムについてだけ述べておこう。が今回はそのうち1枚だけ。残りは後のお楽しみということで。(笑)1985年、全米ブレイク前夜に英国のみのリリースとなった本当の意味でのデヴューアルバムが6曲入りの「Keep The Faith」である。収録曲は『Tell Me Fortune』、『Red Light』、『Six Years Gone』、『Keep You Hands To Yourself』、『Crazy』、『The Race Is On』の6曲。このうち2曲が4年後に紹介した本作で再録されるのが興味深い。
この時のメンバーはRickとDan以外はRandy DelayがドラマーでDavid HewittがベーシストとなっておりRick PriceとMauro Magellanはまだ参加していない。ジャケットは紙ジャケで、リックとダンの2人のみが写されているが非常に初々しい感じがして微笑ましい。今となってはかなりの貴重盤であろう。どーだ、羨ましいだろう。(アホ)え、・・・・皆さん持ってはるん?(笑)
このアルバムをリリースして約1年後、「ジョージア・サテライツでやる事に意義を見出せなくなったんだ。」というダン・ベアードは自分を自らサテライツから解雇してしまう。であるから厳密にいうとリックのサテライツは本家ということになるかもしれないが、やはりダン抜きのサテライツは自分にとっては消化不良である。切望、復活!!!
(と書いたが、「Shaken Not Stirred」最高である。Dan吉がおれば200%良かったのだが。)
メンバーの近況や解散後の活動についてはまたの機会に。(またかい!)
兎に角、彼らを知らない若い世代(私もまだ若いけど(自爆))がぼちぼちいるのには驚かされる。オルタナ以降の世代にもきっと訴えかけるものがあるのは絶対保証するので聴いて欲しい。
が、日本盤は廉価盤で再発された1st以外は廃盤の憂き目を見ている。(涙)何でじゃあ〜〜〜〜〜!!!
(2001.4.17)
40 Watt Fade / Mr.Henry (2000)
Roots ★★★
Pop ★★★★
Rock ★★★
Modern ★★★
とある掲示板で「ヘンリー氏がアルバムをリリースやで〜。」とカキコしたら「Joe Henryのことですか?」という回答を戴いて、解凍不能なくらい(上手い!!)凍りついてしまったことを覚えている。・・・・というかMr.HenryやJoe Henryを話題にしてマイナー度を競っている時点で既に終わってはいるのだが。(笑)未だ、1名の方にしか「知ってる。」と云われたことがないバンド、Mr.Henryを紹介しようと思う。まず、始めに彼らをジャンル分けしようと思ったのだが−無論、良質なアメリカンロックであることは議論を差し挟む余地はないのである−これが非常に難しい。ルーツロックと単に唐竹割りはとてもおこがましくてできない。ルーツロックといっても、Bar RockからBlue GrassにSwamp Rock、Alt.CountryにAmericana、Southern RockとBlues、と論えば細かい相違は議論を置くとして、多種多様である。が、Mr.Henryは本当にどのジャンルにも分類できない。Adlut Alternativeで良いのかもしれないが最近Creedなんかまで同ジャンルにカテゴライズされている現状を鑑みると、それもやや違うというか含めたくない気がしてならない。Roots PopやAcustic Popと呼んでも悪くないのだが、それだけではないと危惧する気持ちが収まらない。結局、悪し様に言ってしまえば、中途半端なロック・バンド、好意的な表現をすれば様々な良さが織り込まれた西陣織(というと派手すぎるかもしれないが)のようなアメリカン・ロックバンドと分類できそうである。まあ、つまりはこのことが言いたかった訳である。が、重ねて繰り返すが、ルーツとモダン・ロックとアクースティックとポップスというアメリカンロックのベーシックが隠し味が活かされた、極上の家庭料理のように食卓に並んでいると想像して頂きたいのである。決して、高級レストランの豪華で派手なディナーでもなく、ジャンクフードの刹那的美味さを尖覚させるために化学調味料をふんだんに使用した安っぽさはない。地味ながら毎日食べても飽きない惣采の趣が、このアルバムを名盤に選んだ所以である。何回か書いてきたが、所謂「Gin Blossoms未満のロック」の典型に当てはまるかもしれない曲群のピースであるかもしれない。(どっちやねん!?)正直、微笑が無意識のうちに浮かぶキャッチーさや、躍動感が清涼感を与えてくれるといったストレートなロックさにはやや足りないところは否めない。豪快なテイストも泥臭さもまず聴こえてこない。ピーカンの青空に広がる青い海と白い砂浜という風景から連想される心風景ではなく、秋枯れた廣野で聞く弱って消えていきそうな虫の声を聞くという心情のような、繊細で情緒感溢れるメロディが素晴らしいのである。うう、何を言っているのか・・・・。自分でも的確な表現ができない。が、繊細とは記述したが弱々しいとかひたすらジェントリーなアクースティックさが売りのフォーキィなアルバムということは絶対に間違った印象である。ゆめゆめ誤解しないで戴きたい。要所にフックの効いたロック・テイストが散りばめられているし、優しくともそれだけで言い表せない牽引力を持っている。今回は常にも増して抽象的になってしまっているような気がする。まあ、実際に購入して聴いていただければお分かり戴けるとは思うし、私の2000年ベストCD-R他にも1曲入れて広報活動に勤しんだので、(笑)極少数の方には共感を抱いてもらえると信じている。(というか共感しれ!!)抽象的な文章に足を踏み込んでいるのは、恐らく彼らの書く、歌詞が素晴らしく繊細で、示唆に富み、心の琴線をじわじわと侵食する吸引力を持つ、「詩人」的な芸術性があるからであろう。少なくともイメージに走ってしまった原因の一翼をになってくれているのは確かである。ということで、更に視覚的というより妄想的な類のレヴューが続く。お帰りはブラウザでどうぞ。リンク貼るのがめんどい「Back」をクリックさせるような手間は著者はしないのである。嫌になったら最後の底までスクロールをせずとも退室できるという画期的なシステムである。・・・・絶対ちゃうわ!!また、自己弁護と理論武装・・・このへんはもはや長い目で見て頂くしかない。(汗)
太陽の輝く朝のバンドというより月の蒼い光が似合う、又は夕焼けのくすんだ茜色が似合うサウンドを創り出すバンドである。ある時は力強く、そして次にはゆったり、しっとりと彼らの音世界を耽溺させてくれる。実に中毒性が強い地味ロックである。この手のアルバムは非常に他の方にお薦めしにくい。良さが明確な根拠より感覚的な嗜好に基づいているからだ。が、アメリカンなベーシックな音やあるいは大英帝国的なスノビッシュなメロディ至上な方にも受け入れられるであろう、フレキサブルな魅力があることを断言する。・・・・どっちつかずと指摘されると反論しにくいのがやや弱いというか筆者の力量不足である。忸怩たる思いである。で、そういった煩悶を深い思考へと誘ってくれ、哲学的思索の迷宮に誘ってくれそうな、歌詞はもう素晴らしいの一言である。ロマンティックなラヴ・ソングやストレートに愛を唄った如きの歌の中にも、間違いなく傷つき易きメランコリックな感性が息づいている。それはオープニング・トラックの『Apollo Racer』から顕著である。「♪Apollo Racer walking on the moon
, twelve men stand before you , Apollo Racer walking on the moon , twelve
who once adore you♪」とアポロ計画での人間関係を示唆的にコーラス分で綴りながら人生の過去に対する拘りを唄った歌詞は非常に難解であるが、力強いコーラスとさりげない地味なポップセンスは不思議なくらいリピート性がある。際立ったキャッチーなロックではないのだが。そして、これは素晴らしくスピーディでキャッチーなナンバーの#2『One』。「♪As you
go one way , I go one way , I'm the one♪」と単純なラヴ・ソングに聴こえるが、実はフルで聴くとかなりアイロニカルな恋愛観が伺えると思う。#3のややさりげなく盛り上がるスロー・ナンバー『B-Side Star』はその題名でお察しいただけると思う、彼らの深い洞察力と壊れやすそうな感性を。マンドリンの奏でるルーツテイストがさりげなくて心地良い。そして、しっとりとしたロマンティックなメロディが2000年個人的ベスト・バラードな#4『Tuesday』。美しいピアノとオルガンに支えられてヴォーカリストとして力量が格段に増したDave Slominの甘く、それでいて説得力のあるヴォーカルが卒倒モノである。これ聴いて感動しないロック好きはいないと敢えて言おう!!出だしの歌詞から素晴らしく寂寞感が溢れ、切ない。「♪Another
truckstop souvenir , wasted on the moon , I watched you smile and disappear
and give up way too soon♪」もう「クウ〜〜!!」と悶えて隣の他人の肩をバンバンである。(謎)#5の明るいロックチューン『100 Miles』は中弛みを締める曲として申し分ないし、これまた示唆的な歌詞が興味深い#6『Marathon』は英国的メロディにも通じそうである。#8のスピーディなナンバー『Used To Be』を挟んだ前後2曲は彼らの存在意義のような地味ナンバーであるが、決して悪くない。そしてアクースティックな#10『End Of This Town』は彼ら自身の上昇志向の表明か、あるいはオン・ザ・ロードの寂寥を更に重ねているようだ。「♪Keepin'
on foot on the groung , while the other's hangin' over♪」、若者の成功への憧憬の歌のようであるがやはり前述の心情が歌い込められているようで味わい深い。
さて、少々冗長的になり過ぎたので(いつもやんか)彼らについて簡単に触れておこう。結成は大都会ニューヨークである。確かに魅力の一側面であるモダンテイストは東海岸のバンドのクレヴァーな要素であるかも。1995年に1stアルバム『As Good As The Ground』をリリースしている。これは正直凡作の域を脱していないアルバムである。中心人物の片割れであるSteve Conte(Guitars&Vocals)もこの時点では参加していない。が1998年発売の2枚目の『Jackmaker』からかなりの成長をみせる。このアルバムも実に聴き応えがあってお薦めである。この段階で現在のラインナップであるDave
Slomin(L.Vocal&Guiters)、Neil Nunziato (Drums)、Andy Hollander (Piano,
Organ, Accordian)、Tom Spagnardi(Bass&Vocals)が固まる。そして、カレッジチャート等でじわじわと評価を上げて、その活動が新人発掘のプロデューサーとしても精力的に活動しているCounting Crowsのギタリスト、David Brysonの注目を浴び、彼のプロデュースで3作目の『40 Watt Fade』がリリースされたという次第である。Davidもギターで参加しているのはいうまでもない。確かにその才能溢れるソングライティングといい、あらゆる要素を内包した中庸さといい、Counting Crowsの魅力とシンクロする同位点があると感じる。今にも消えそうな「40ワット電球」の灯りの落ちた部屋でしっとりと聴いて欲しいアルバムである。 (2000.4.18)
Legacy / Poco (1989)
Roots ★★★★
Pop ★★★★
Rock ★★★☆
Westcoast&Country ★★★★☆
「Pocoは次のアルバムを準備中である。ツアーも始めた。」というプレスを読んだのが、このアルバムがビルボード・ナショナルチャートのTop40入りした頃、1990年のことであった。非常に楽しみにしていたのに、そのうちにツアーに入るや否や、Randy MisnerとRiche Furayが内部の不協和音から脱退してしまい、グループは後任を後期Pocoから加えるつもりとか色々とあったようだが「レコードは出す」というコメントを残したまま、結局Pocoの通算21枚目のアルバムは未だ手元に届いていないし、届くことも無いかもしれない。些か寂しいが仕方ないことかもしれない。これだけのメンバーが揃うことはまずないだろうから。ご存知の方も多いと思うが、このアルバムで再出発をしたPocoは本来の意味でのオリジナルメンバーである。Richie Furay(G)、Rusty Young(Steel)、Randy Misner(B)、Jim Messina(G)George Grantham(Dr)で1968年に活動を開始したPocoがファーストアルバム『Pickin’Up The Pieces』(邦題が「カントリー・ロックの貴公子、ポコ誕生」やからなあ(笑))をリリースした段階では既にRandy MisnerはRick NelsonのバンドStone Canyon Bandに移ってしまっていた。後にあの偉大すぎるEaglesの一員になることはいうまでもないが。という訳でレコード・デヴューは残りの4人になってしまった訳である。その残りの4人のうちRusty Youngを除いてひとりまた1人とバンドを去って行き、84年にリリースした解散前のアルバム『Inamorata』の段階で残っていたのはペダル・スティールとドブロ・ギタープレイヤーのRusty Youngのみであった。代わりにPaul CottonやTimothy B Schmitといった名うてのヴォーカリストを擁して80年代まで活動をしていたのだが、考えてみれば所謂70年代アメリカンロックの象徴とも言うべき西海岸サウンドを代表するグループでは彼らが一番長く活動していたのである。勿論アルバムの数もずば抜けて多い。まあ、長ければ、そして多ければ良いというものでもないが。特にPocoの場合、精力的に活動していたにも拘わらず同時期に同じ拠点のLAで活動していたEaglesやDoobie Brothersといったバンドとはセールスの面では比較にすらなっていない。殆どのアルバムがTop100入りも危ない、というかしていないアルバムが多いし、シングルヒットに至っては唯一のトップ20アルバムである『Legend』(全米第14位)からの2曲『Crazy Love』と『Heart The Gun』だけであり、しかもこの時点ではラスティ・ヤングしかオリジナルメンバーは残っていない。売れれば良いというものではないが、売れないより嬉しいし、その方が全くセールスが振るわないより良いに決まっている。惜しむらくはグラミー賞を獲得したり全米No.1アルバムをリリースした前2つのバンドと比較するとイメージ的な華やかさでは劣るかもしれない。が、それ故にPocoの音楽はカリフォルニアに顕著なウエスト・コースト・ロックの純粋さを一番しっかりと持っていたような気がする。西海岸特有の爽やかなコーラス、まさに「カリフォルニアの青い空」のように清涼感のあふれるロック。抜けるように気持ちの良い疾走感が、優しいアクースティックなカントリーフレイヴァーと混在して華やかささにかけるきらいはあるが、良き地味な音楽を提供してくれていた。コマーシャルさという要素に関してはやや一歩劣る感が強いのでそれ故にセールスが伸びなかったのだろう。この辺はあくまでもやりたいことを貫くのが良いのか、売れるためにやりたいことを妥協するのかという泥沼の分析になりそうなのでここでは控えさせていただくが、私の基本とする主張は、商品として購入するリスナーを対象にしている以上、自慰行為に終始するのはやめてもらいたい、ということである。この妥協点についても語り尽くせないので、この場では詳細な論を採らない。が、敢えてこういった話題を持ち出したのには理由があるのだ。実はこの『Legacy』はコアなPocoファンやカントリーロック路線の初期Poco派には非常に評判が宜しくないのである。理由は日本で海外で幾度か耳にしているが、「モダンテイストが多い。」「アリーナ・ロックのような分厚い音だ。」「ギターやドラムがジェントリーな音出しでない。」「初期の頃のカントリー・ロックな魅力がない。」と散々である。ちなみに私の演奏仲間の間(当時)でも実に評判は芳しくなかった。(涙)
が、そんなことは同でも良いのである。何故か。筆者が好きだからである。(無敵状態)まず、何と言っても力強い躍動感が嗜好にばっちりである。売れ筋のサウンドやあ?それで何が悪いねん!ということである。私的には。更にキャッチーさでは過去最高であろう、この20枚目のアルバムは。勿論、ウエスト・コースト・サウンドのスパーンと抜けるような爽やかさはニコニコ納税並に素晴らしい。(謎)確かに残業ロック的アプローチが随所に見受けられるのは否定できないと思う。嘗て無い程の電気ギターの導入に、スネアドラムの音もかっちりとしたクリアさが目立つ。殆どの鍵盤をサポートで弾いているBilly Payneのオルガンの音も分厚いサウンドへの傾倒に一役買っているだろう。がしかし、カントリー・テイストもソフィスティケイトされた形でしっかりと自己主張をしている。爽やかなスライドギターが冴えるオープニングの『When It All Began』はそれこそ極上のカントリー&ウエストコースト定番ナンバーだ。是非世紀を越えて語り継いでいきたい曲である。この曲は彼らの活動の原点を見つめ直してもう一度「やるぞ」という気構えが伺える未来へのメッセージ的な曲で、これからのPocoの活動に充分期待ができる・・・・と書きたいが↑の体たらくであるので。(汗)「And
the music was live Poco. Some called it country , some called it rock and
roll. But whatever the sound ,it was sure to be found , With a heart ,
rhythm and soul......」まさに始まりの唄である。そして、まさに名曲中の名曲である#2『Call It Love』爽やかロックン・ロールの権化のようなナンバーで筆者の80年代ベスト10に入る傑作である。この曲だけでも聴く価値はある。それにしてもこの曲を始めとして全11トラック中3曲でリードを取るRusty Youngのヴォーカルは素晴らしいに尽きる。甘くて枯れた極上のビターチョコレートのような美声。これまで殆ど彼がリード・ヴォーカルを演じてなかったのが惜しまれるし勿体無い。このアルバムはドラマーのジョージ以外、全員が一流のヴォーカリストであり実際リードを分け合っているが、ラスティの声はピカイチである。彼のヴォーカルはキャッチーでルーツで、そして爽やかな魅力がある#4『What Do People Know』でも聴ける。考えてみるとこのトップ20入りしたアルバムからの3曲のヒット・シングルのうち全米第17位まで上昇した#2と小規模なヒットに留まった#4は彼の声のおかげかもしれない。ラスティの美声は#8のしっとりしたバラード『Who Else』でもその力量を余すところ無く見せ付けている。是非ソロシンガーとして活躍して欲しい人である。そしてEaglesのベーシストとして著名なRandy Misner。いきなり南部テイスト満載な黒っぽいナンバー#3『Nature Of Love』や更に豪快なサザンロック風の#7『Rough Edges』を聴かされ、『Take It To The Limit』の甘く切ないヴォーカルの印象とのギャップに意外さを隠せないが、そちらのスゥイートな味はTop20シングルである#5『Nothing To Hide』でしっかり聴くことができる。この曲はこの頃全盛であったアーティストのRichard Marxが作詞からプロデュース、アレンジを一手にこなしている。彼は当時『Hold On To The Night』から『Right Here Waiting』まで3曲連続No.1ヒット(Top10ヒットなら10曲連続)を放ち尤も充実していた頃である。(これ以降は才能が枯渇してダメになるのだが)ので、実にヒットのツボを抑えた好バラードである。そして、もう一枚の甘く爽やかなヴォーカルRichie Furayの曲は#1と#10のメランコリックなアクースティック・バラードのみだがそれも残念である。さて、最後のJim Messinaがある意味、初期のPocoを一番引き摺っていそうである。殆どの曲がリード・ヴォーカリストと外部のライターの共作方式なのだが、彼は殆ど自分だけで曲を創り、最もカントリーサイドに向いたPoco的な歌を唄っているのである。声の良さはいうまでもないが。アクースティックな西海岸サウンドの#6『Look Within』や#11『Follow Your Dream』はLoggins&Messinaを懐かしくさせる魅力が溢れている。と、このように素晴らしい完成度である。ひたすら我が道を行っていた(とはいえ後期のPocoはそうでもないとは思うが)Pocoというヴェテランバンドが初めてメジャーなモダンサウンドを導入したアルバムだ。実際一番のセールスを記録し100万枚以上売った。これを堕落と捉えても批判されても別に気にしない。私が好きなアルバムなのだから。西海岸の音楽性である爽やかさにカントリーの土臭さ、そして躍動感が心地良いロックの醍醐味と、どこからでも美味しく味わえる。そしてタイプの異なる一流のヴォーカリストが4人も聴けるのである。繰り返すが、このようなカリフォルニアの偉才が集うことはもうないだろう、多分。
であるから、ちゃんと聴いてない人は手に入れて置くようにする方が良い。このピースは文字通り次世代に残るLegacy−遺産となるであろうから。 (2001.4.19)
Dream Life / P.J. O’Connell (2000)
Roots ★★★★☆
Pop ★★★★
Rock ★★★
Alt.Country ★★★★★
P.J.O’Connell(PはPatの略。本人からのメールの宛名がそうであった。)の活動歴はかなり長い。彼個人の名義でリリースされるアルバムはこの20世紀最後の年にプレスされた『Dream Life』が初めてであるのだが。まず、殆どのリスナーの方がPatのことをご存知ないと思うので,今回はマトモに(そうけ?ホンマか?)アーティストの経歴から紹介していこうと思う。P.J.O’Connellは1958年、小さな小さな、日本では何処にあるか知らない方の方が多いのではないかという独立13州の一つ、コネティカット州生まれの42歳。1975年に音楽活動に専念するため、ノース・キャロライナ州のダーハンという街に移り住んでから、ここを拠点に活動を開始し、現在に至る。最も影響を受けたミュージシャンはビートルズとバーズだそうであるが、これはこのアルバムを聴いていただければ実に合点がいくと信じる。更にNRBQも大好きで、メンバーとの交流も深いようである。何でも高校生の時、彼らを招聘してショウを主催して以来の付き合いだそうだ。確かにNRBQ的魅力も充分に有している。後に触れることになるけれど。で、1983年頃(82年という文献も84年という説明もあり、間を取らせて戴いた)にThe Flying Pigsというパンクロックに近いロックバンドを結成し、ローカル・ツアーに明け暮れる。P.J.はこの「空飛ぶ豚」で殆どの曲を書き、リズムギタリストそして、キーボーディストにリード・ヴォーカルといったフロントマンとして活躍する。彼らのインディでのレコードプレスに関しては資料がないので、言及できないが、90年代に入り『Mexican Divorce』という事実上のデヴュー・アルバムをリリース。1997年にこれまでの10年以上に渡るライヴ活動で演奏してきた曲の集大成という感じで、『Desi』というアルバムをリリースする。このアルバムは彼の影響を受けたという60年代ポップスの香りが強く漂い、更にルーツテイストが加わったなかなかのアルバムであるので、こちらも大いにお薦めである。で、P.J.がソロ・プロジェクトを開始したからといって、The Flying Pigsは解散した訳ではなく、こちらの活動も平行して行うそうである。実に精力的なことで結構である。さて、簡単にこのアメリカ東海岸を拠点として活動する好漢について触れてみた。彼は非常に良い方である。件の『Mexican Divorce』が手に入らないとメールしたらタダで送ってくれると即座に返事を戴いた。日本でも自分のアルバムを聴いておるヒトが居て、非常に感動したとのことであるが、それではあまりにも申し訳ないので、ちゃんと売値だけは送金しておいた。まあ、送料で足が出る思うのだが、その辺はご好意に甘えさせて戴いた。やはりこのようなアーティストとの交流はメジャーなビッグネームとではそう簡単に成立しないだろう。とある「ややメジャー」になってきたアーティストに久々にメールしたら、マネージメントサイトから返事が返ってきて、メーリングリストに登録して「やった」的な返事がきて、少々気分の悪い思いを最近した。無論、音楽活動をするからにはメジャーを目指すのは当然であるが(最近はインディで充分飯が食えるので、地元に留まるアーティストが増えている。実に嘆かわしい。)やはり、距離が遠くなるのは寂しいものである。娘を嫁にやってしまった父親の心境だろうか。(それは違う)さて、ではこのアルバムのレコーディング・データから列挙してみよう。
2001年に好盤をリリースしたばかりのTerry Andersonが彼のバンドとともに全面的にレコーディングに参加していることは個人的に喜ばしい。Mike Krause(Guitar)に、テリーのThe Woodからの盟友Jack Cornell(Bass)とTerryが3分の1くらいの曲でドラムを叩いている。ハーモニー・ヴォーカルとしては殆ど全曲に拘わっているそうだ。これに加えて、母体のThe Flying PigsからBill McCarthy(Guiter)を始め、Robert Trusdale(Bass)らがゲスト的に演奏に参加している。そしてプロデューサー兼キーボードを一手に弾いているWes Lachotは過去のThe Flying Pigsの2枚のフルアルバムで同じくプロデュースを勤めており、続投的起用である。が、このアルバムのレコーディング中にパットの愛娘が生後1年少々で他界するという悲しい出来事が起きている。そのショックにめげず、素晴らしいアルバムを出してくれたものだと、感慨がひとしおである。
さて、かなりバイオグラフィー関連を長々と述べてしまったが、漸くディスクの感想を書ける。ここまで飽きずに読んで戴いた方はもう少々のお付き合いをお願いする。基本的に実にポップな姿勢はThe Flying Pigsと全く事を異にしない。やや懐かしさのある古臭い音出しも健在で、オールディズ的なノリもしっかりと継承している。が、やはり特筆すべきはバーズやビートルズの影響がヘヴィである英国ポップ色より、ルーツテイストが大きなウェイトを占めていることである。すっきりしたポップというより、オルタナカントリーの方向性が一層強くなっているように見受けられる。かなり土臭さがはっきりと聴こえるようなっているのは、筆者的にはキャッチーさを保持してくれている限り大歓迎である。また、ロカビリー的なオールディズの敬意を払った態度が顕著で、オープニング・トラックのパンキッシュでエッジの効いた『Please Give Me Something』に#11の50年代ナンバー『The Wayward Wind』のカヴァーを実にポップにロックに、しかもアーシーさを味付けして聴かせてくれる。#2の『Lucky Guy』から#5『New Orleans』までの、カントリー的アーシーさとミディアムなテンポが同居した流れは決して派手ではないが、全てが良作である。そのポップさは同じようにやや早目の#6『Nashvile』にそのまま流れていく。そしてThe Flying Pigsの曲のセルフカヴァーというべきかリテイクというべきがはっきりしないが、パンク・ロックテイストが満載な#8『Giving Up On You』とフックの効いた#10『Artist Too』は彼の今までのキャリアの積み重ねが見えるとともに、素晴らしいロック・チューンであり、この2曲の間に挟まったルーツテイストがダサくて心地良い、これまたロック・ナンバーの#9『Angel 10/11』と3連続ロックとなりアルバムの流れとしては一番のハイライトであると思う。そして、前述の夭逝した娘『Elsbeth』に捧げた同名の#12は優しいインストナンバーで、しっとりとした追悼のレクイエムであろう。そしてこのアルバムは#13のスローなカントリー・タッチの『Anymore』で静かにフェイド・アウトしていく。
総じては、非常にキャッチーで、土臭い曲が続くルーツ・ポップアルバムという感じである。無理にロックを演じようとする気負いやドリーミーなポップさとは無縁であるため、やや地味な印象が強い。またミディアム・ルーツナンバーが多いため、やはり即効性というかガツンという印象を植え付けるのはやや難があるだろう。しかし、楽曲は全て非常に完成度が高く、ツボを得たポップさは聴き込めば聴きこむほどに耳に残るようになる。アメリカ東海岸のクールさと南部のルーツテイストが無難な結婚をしたようなサウンドである。まず、オルタナカントリーが好きな方には外れようの無い出来であろう。O’Connellのヴォーカルが相変わらず、少々物足りないが、このアルバムでは以前より深みが増してきたように感じられて、良い傾向であると思う。#1でのシャウト・ヴォイスからして、非常に力量が増しているし、#3のレコーディングの最後の方で完成したという『The Hardest Job In The World』での枯れた優しさが映える歌い方といい多彩さは確実に増加している。まだまだ伸びる人であると思う。先日戴いたメールでは2001年秋に新譜を出す意向でNRBQとの共同作業をしているそうである。このところ頻繁に来日しているNRBQであるので、一緒に来日してくれないものかと密かに希望しているが、まあ無理であろう。(苦笑)重いリフもなく、煌びやかなアイドル性も無く、落ち着いた良質なアルバムであるため、現状では注目を集めることは少ないと言わざるを得ない。なお、このアルバムの正式プレスは2001年であるが、著者は2000年中に入手していたため、敢えて2000年表記で、「Take It As It Comes」には入れなかった。この辺りの事情を誤解なきように記しておく。
現在のメジャーチャートや、日本で氾濫しているノイジーなロックを盲目的に聴いて喜んでいる世代にはこの良さが分からないかもしれないが、アメリカンロックの生な、ルーラルな音を聴きたければ、是非とも入手すべき好盤である。 (2001.4.21)
Soul Provider / Michael Bolton (1989)
Industrial ★★★
Pop ★★★★★
Rock ★★★☆
Contemporary ★★★★★
このアルバムが最後の妥協点であったように思えてならない。そう、ロックアルバムとソウル系のR&Bアルバムとの臨界点である。この次のアルバム『Time,Love And Tenderness』で彼、Michael Boltonの全米での人気は最高を極める。シングルもアルバムも大ヒットし、当時の米大統領クリントンの就任記念セレモニーで名曲『Lean On Me』のカヴァーを披露したりした。その際に述べられた口上が、「Most Famous And Sexy Singer In The States」であったのが懐かしく思える。21世紀になった今、彼の人気は凋落し嘗てのセールスは見るべくも無い。私はこの原因はグランジ・オルタナ台頭の波に飲まれてしまっただけではなく、徒にR&Bに走り過ぎてロックミュージシャンとしての気概を何処かに置き去ってきたからではないかと思う。確かに『Time,Love And Tenderness』は良く聴いたし、好きなアルバムではあるが「これでエエんやろか?」という危惧を当時(1991年)に抱いていたことは決して後からの取って付けた予想図ではなかった。確かにマイケル・ボルトンのソウルフルで白人離れしたヴォーカルはソウル系の唄を歌わせても間違いなく一流であろう。が、ご存知の方も多いと思うが彼は元々ハードロック・シンガーだったのである。尤もそれ以前はMichael Bolotinという本名で中途半端なロックを歌っていたのだが、Michael Boltonと変名してからは間違いなくハードエッジな産業ロックの味もあるハードロックを歌っていた。そのハードロックからアダルト・コンテンポラリーなソフトな路線を取り入れ出したのが、前作である『The Hunger』であり、全米Top10ヒットとなり、上昇の足ががりになったOtis Reddingの大名曲のカヴァーである『(Sittin’On)The Dog Of The Bay』を筆頭に『That’s What Love Is All About』等のヒットを出して初のゴールド・ディスクを記録している。このアルバムにはJourneyのギタリストであるニール・ショーンと鍵盤弾きのジョナサン・ケイン、そして『Raised On Radio』のレコーディングやツアーにベーシストとして参加したランディ・ジャクソン等が半数のトラックで参加し、ジョナサン・ケインはプロデューサーとしても腕を振るっている。確かにこのアルバムはJourney系列の産業ロックが非常に色濃いアルバムであったし、依然としてして、これまでのハードロックテイストも如実に感じられる、ライト・ハードロック的な仕上がりになっていて、実に筆者のツボであったので、かなりこのアルバムには期待をしていた。で、登場と同時に順調にビルボードのチャートを上昇し、あっという間にTop10入りし−確かピークポジションは7位くらいか−出すシングルは全てナショナルチャートのTop40入りした。というかこれまた定番になっていた名曲のカヴァーである#2『Georgia On My Mind』が全米第39位くらいに留まった以外は全てTop10入りするという馬鹿売れであった。個人的には#9の唯一好きになれないナンバーである『Love Cuts Deep』以外の曲ならどれをカットしても絶対にヒットしそうな(当時のマーケットでの話であるが)くらいアダルト・コンテンポラリー色の強い、ポップ・オリエンテッドな創りである。メジャー・デヴュー以来続けていたハードロック路線への傾倒はかなり色を薄め、よりアダルトな方向性が増している。また、これ以降のめり込んでいくソウルやR&B的な黒い音への歩みよりも見られるし、前述の彼の原点のようなハードロックへの拘りも未だ残滓を留めていて、実に絶妙な良さを醸し出している。元来、非常に熱くソウルフルな歌声の持ち主であるため、得てしてこのようなヴォイスの持ち主創る作品は大仰なアルバムというか暑苦しいアルバムになりがちな危険性があるのだが、心地良いキャッチーさがかなり濃さを緩和してくれているように感じられる。シンプルなロックが好きなリスナーには、これでも非常にコッテリなアルバムに思えるだろうが、産業ロック大好きな筆者には非常に美味しいとこ満載の音である。まだ、この頃は売れると直感したアルバムが曲がりなりにも売れていたんやなあ、と懐古することひとしきりである。・・・・・何もかもグランジ&オルタナボケヘヴィネスが悪い!!!取り敢えず、死んどけ!!(ヲイ)
またまた毒を吐きまくっているが、やはりダメなものはダメでこの辺の音は邦楽と同じくらい宇宙を漂う宇宙塵並に、リュウグウノツカイが棲息する位の深海並に評価は低い。・・・・・やっぱし死ね!!!(壊)
ということでレヴューに戻る。Michael Boltonは邦盤が殆どリリースされているのでここへ足を運んで戴いている方々なら改めて説明の必要も無いのでバイオ関係は省略させて戴く。Michael Bolotinの本名で歌っていた時代のアーリコレクションも発売されたくらいであるので、問題はないと思う。さて、いきなりKenny Gの美しいサックスが冴えるTop10ヒットナンバーの『Soul Provider』でこのアルバムは幕を開ける。MichaelとKenny Gの付き合いは長く、1982年の『Greatest Hits』ではプロデューサー兼アレンジャーとしてケニーをサポートし、1989年の大ヒットアルバム『Kenny G Live』ではヴォーカル曲『Don’t Make Me Wait For Love』を競演している。ちなみに筆者はKenny GではこのアルバムのTop40ヒット『Going Home』が大好きである。それはともかく、#2の邦題「我が心のジョージア」のシングル・ヴァージョンではKennyのサックスが大幅にフューチャーされたアルバム・テイクよりメロウなトラックになっている。また脱線するがこのシングル、本邦ではアルバム・ヴァージョンが出されてしまい、がっかりでそれ以米盤シングルを探しているが未だ見つからない。誰か持っていたら譲ってください。こっちの方が好き。・・・・ちなみにこの曲のピアノは先日惜しくも亡くなったRichard Teeである。素晴らしいピアノである。それを考えて聴くと更に心に染みるだろう。
そして、軽快なロックナンバーの何故シングルにならなかったか不思議なくらい素敵な#3『It’s Only My Heart』の後が全米No.1ヒットになったバラードの『How Am I Supposed To Live Without You』である。この曲は当時聴きに聴いた。ので米盤のテイクと日本盤のテイクが微妙に違うのに気がついた。本当に僅かな歌い方やアレンジの差異なのだが、他に気がついている方はいるのだろうか?多分いないだろうが。(汗)そして#5、#6共にハードロック時代の名残を背負ったようなハードエッジの効いたナンバーである。この辺がこれ以降の彼にはなくなってしまうのだが。兎に角、#5のパワーバラード的な『How Can We Be Lovers』は全米第3位にまで上昇する大ヒットになる。続く、ストリングスをかましたモロ売れ線のドラマティックなバラード『When I’m Back On My Feet Again』も確か全米第7位くらいまでヒットした筈である。これまた滅茶苦茶ツボなバラードである。私的に。そして、アダルト・ロックの権化のようなソフトな男女デュエット曲である#8『From Now On』はこのアルバムの中でひょっとしたら一番好きかもしれない。何も言うことはない。最高に売れ線のバラード。インスタント・デュエットの相手はSuzie Bensonである。そして最後の#10もまたまたヴォーカリストとしての魅力満載な泣きのバラードである『Stand Up For Love』。まあ、売れっ子ライターのDiane WarrenやDesmond ChildといったTop10ヒットを何曲も書いているソングライターと共作をしたり、彼らに曲を提供してもらっているので、売れたのは当然かもしれない。が、やはりハードポップのパンチ力よりも一番ヴォーカリストとして−当然ロックサイドに立った−勝負して、その魅力を余すところ無く表現しているアルバムであると思う。1枚前の『The Hunger』よりもアダルトに、そして1枚後の『Time,Love And Tenderness』ほどロックテイストを損なっていない。80年代の流行の集大成の如き名盤であることは間違いないと思う。ロック・ヴォーカルというジャンルがまさにピタリと当てはまるような素晴らしいアルバムである。まあ、ロックファンでこのアルバムを聞き逃したのはキャッチーさを毛嫌いするリスナーだけであると思う。近年の全く売れなくなったマイケルを見るにつけ、彼のピークはこの1枚であったことを痛感する次第である。丁度大学生だったこともあり、一番のモラトリアムにいた中でのアルバムであるこの時代の愛聴晩はどれも陳腐だが「青春の想い出」的な偏愛の度合いが強い。この名盤もその1枚である。まあ、敢えてお薦めする必要も無いだろうが、聴いたことの無い若い方は取り敢えず聴いておくと良いだろう。 (2001.4.26)
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