Say−”KAY−lee” / Ceili Rain (1997)
Roots ★★★☆
Pop ★★★★★
Rock ★★★
Celtic&Bluegrass ★★★★
Reviewed by YAS21さん
Ceili Rain と聞いて一体何人の人が知っているのか?そう考えればこのレビューは至って楽で有る。
かく言う自分も殆ど何も知らないので在るが、兎に角このSay Kay-Leeは素晴らしいCDで在る。このグループのバイオ等は伝道師MOTOに任せるとして、私は宣伝広報に専心致します。
大雑把に言えば米のケルト音楽をやる人達で有るが、Hootersが好きな人ならOKでしょう。
ケルト音楽は苦手なのだが、モロに其れっぽくは無いので、非常に聴き易いです。アコースティック楽器が中心の演奏なので、何時聴いてもリラックス出来るお薦めの一枚です。 又曲がええんですわ。全曲OKの駄曲無し、是非皆さんにも聴いて頂きたい一枚です。
弱冠手に入れ難いという難点は有リますが、伝道師に泣きつけば救いの手を差し伸べてくれるでしょう。
中心メンバー&VoのBob Halligan, Jr. の声が何より素晴らしい。曰く言い難い声なので、聴いて貰うしかないですね、この声は。Music Speaks Louder Than Words。此れをさらに展開すると、音楽は語るものでは無く、聴くものだという所に帰結する。
Ceili Rainと言う希有な音楽家のCDを聴いてもらいたい為だけにこの駄文を書く決意をしました。
ジャケットも抽象的な中々雰囲気の有るジャケットで私は好きだ。
曲紹介に行きます。
★#1『That’s All The Lumber You Sent』
最高のイントロダクションです。
ケルティック音楽に在りがちな典型的なダンスチューンですが、アコーディオンとかピアノとかの
アンサンブルが実に見事で心地よいです。
曲もキャッチィーでPOP、最後の方でテンポがアップして行きエンディングに向う構成も見事としか
云い様が無い。
所でMOTOさん、『其れはアンタが送ってきたガラクタの総てだよ』と言う印象的なリフレインは、
実の所私にはさっぱり意味が分りません。詞もユニークそうなのだが手に余ります。
フォローしてください。
★#2『I Don’t Need A Picture』
このアルバムを語る時のキーワードは幾つか在るが、其の中で一番似つかわしい言葉が『POP』
と言う形容であろう。最高の誉め言葉。このアルバムを知らないと云う事は人生の損失で有ると思
わせてくれるPOPな楽曲群達。
イントロのアイリッシュ・フルートとボタンアコーディオンのリフは、 『祭囃子』である。何処か懐かし
い響。まぁ、ケルト音楽其の物が延々と繰り返される『祭囃子』では在るのだが。
この曲も途中でブレイクしてから、盛りあがっていく構成が見事で良く練られている。
ファルセットフェチの筆者には、最後の方に出てくるBob Halligan Jr.のファルセットが辛抱たまらん。
総てのファルセットフェチ諸氏にこのアルバムを捧げたい。
★#3『Do It Anyway』
もうこの曲を何回聴いた事だろうか?千や弐千では無いと思う。次の#4と合わせて非常にリピート
性が強い最初の山場である。
最初何のインフォも無しにBob Halligan, Jr.のVoを聴いた時はてっきり女性シンガーだと、勘違いして
しまった程彼のVoはハイトーンである。
こう云う声に非常に弱い故、猫にかつお節状態なので、クリティカルな視点に欠ける事はお許し頂き
たい。
この曲での彼のファルセットは狂おしく、思わず彼の喉仏を擦ってあげたい衝動に駆られる(コラ!)
★#4『Call Home』
この曲も又祭囃子の笛の音(ねと読んでね)で始まる。此れが又なんともノスタルジック。
2つ目のキーワードは『AOR』としたい。この音楽を一体誰に聴いてもらえば一番喜んで貰えるか?
此れを考えた場合、直ぐに浮かんできたのがAORファンで有る。この種の音楽は万人向けとは言え
ず自ずとリスナーを選んでしまうのだが、AOR系SSW物がお好きな向きには概喜ばれる物と確信
する。
まぁ、AORと一口に云っても右派から左派までかなり間口は広いのだが、全般に好まれると思う。
MOTOさんが言って居る様に、この人達の市場のウエイトはかなりの比重でクリスチャンミュージック
市場に重きを置いている。最新作は其の手のレーベルからのリリースであるし、其の手の歌手にもか
なり楽曲を提供している。この曲もそんな一曲らしい。古来よりAORとクリスチャンミュージックとは相
性がベストである。
POPシンガーからそちらに移行する例はあまたある。H氏が好きなDion、日本を代表するPOPシン
ガーY.T氏の御贔屓のB・J・トーマスなどはその最たる例。今後の活動は其方が中心になる事は充
分考えられる。
話をを元に戻すと、流石にこの曲はシングルに為っただけの事は有る、私がシングルを選ぶとしてもこ
の曲を選ぶと思う。
どれもがキャッチィーな楽曲だが、分けてもこの曲が一番シングル向きの感じがします。
流れてくるとつい一緒になって口ずさんでしまうぐらい、覚えやすい曲である。典型的鼻歌ソング。
★#5『Love Travels』
祭囃子はさらに続く。言って見れば全篇祭囃子のオンパレードです。何しろケルト音楽ですので。
そして、3つ目のキーワードは既にもう何度も出ている『祭囃子』である。この曲も笛で始まる。
聴かせ所はMOTOさんも書いているとおり、途中のテンポダウからの一気の攻め。アコーディオ
ンが活躍する終盤は否が応でも盛り上がります。
筆者の好みを書いて申し訳無いがアコーディオンや蛇腹と言った楽器は大好物で、それらの音
色が流れるだけで御機嫌になれる。
ここらの楽器が好きかどうかはこのアルバムの評価を左右する大きなポイントなので、嫌いな人は
このアルバム自体を無視して構いません。(ヲイ)
★#6『Ceili Rain』
『信仰と密着してない土着音楽は有り得るか?』と言うテーゼを持ち出せば答えはNoです。有り得
ません。総ての土着音楽は基本的に神への捧げ物として演奏されます。
だから、ケルト音楽を演奏する彼等が宗教的なメッセージを打ち出すのは極めて自然な事なのだと
思います。
幸いな事に詞を理解する能力が私には欠如しているので、音楽が自然に耳に入ってきます。
アコギのカッテイングに続いて入ってくる笛の音が何とも心に染み入ります。音色其の物が敬虔な気
持ちにさせる作用有りです。 蛇腹系に続いて次の最近の楽器のお気に入りは、竹で作った笛や、リ
コーダー等の笛類です。笛の音色に惹かれます。
この曲での笛の音色は心の琴線に触れます。其の浸透性が強い音色に導かれて、壮大な世界が展
開されます。 是非SSWファンに薦めたい一曲です。これを聴かないと絶対損だと思います。聴かな
い手は無いと思います。
★#7『Long Black Cadillac』
御機嫌なロッキンケルティックダンスナンバー。
有りそうで無かったブルースハープとケルティックの組み合わせ。このようなパターンは他にも有るの
だろうか?簿学故余り思い浮かばないが、この組み合わせは実に面白いので御存知の方あらば、
是非御一報ください。それにしてもカッコええですぞこの曲は。
こう言う曲でアメリカのハイウエイを高速でドライブすれば気持ちええでしょうな、さぞかし。
★#8『You Then Me Then You Then Me』
如何にもの典型的ケルティックダンスチューン。
陽気に騒いでいる風情。アイリッシュウイスキーでも呑みながら聴きたい所です。途中で出てくる
ファルセット雄叫びが何とも、最高。この曲は聴き様に因っては『悠然見、友禅美、夕膳味』とリフ
レインが聞える事を付記しておきます。
★#9『The Big Show』
ズンドコロッキンナンバー。が、凡百のロケンロールと一線を画のは、バックで始終鳴り続ける各種
の民族楽器に因る処だ。スイングするケルト音楽とでも形容出来様か。
本来のケルト音楽は、スイングと言うのとは全く違うノリで演奏される事が多い。ドラムがドコドコ鳴
って、丸でジャングルビート?!でこのアルバムの中にあっては、やや異色のナンバー。
こう言うのを聴くとやはり、このバンドはロックバンドで、リアルケルト音楽とは根本的に違うと思い知る。
このバンドは折衷の具合がホンマニええんだす。よい塩梅にバランスが取れているから、私の様にケ
ルト音楽が苦手な人間でもスンナリ聴く事が出来る。
まぁ、其れも一重にVoが好みのタイプと言うのが大きいけれど。
★#10『Peace Has Broken Out』
後半の個人的なベストトラックです。ここでのBob Halligan Jr.の声には抵抗出来ないです。メロメロ。
楽曲も最高なのだが、タイトルが『平和が紛争で破られた』なので、此れは反戦歌ですか?
拙い英語力では理解不能です。MOTOさんのフォローをお願いします。
それにしても何と染み入る声なんだろう。個人的な事に為りますが、エリック・アンダーソンやアーロン
・ネヴィル等何人か安心して身を委ねられる声の持ち主が私には居るけど、彼も其の中の一人です。
★#11『I Wanna Be Different』
実に軽快な曲。バックのアコーディオン?が実にいい味を出している。
この曲の感じは少しだけ、『マラヴォワ』と言う有る時期話題になった、ワールドミュージック方面の
グループを思わす雰囲気が有ります。アコーディオンの奏でるリフが似ているのかな。心地よい風
に吹かれているそんなたたずまい。
オープンカフェのこじゃれた店のBGMとしても機能しそうな気配があります。
★#12『666 Degree』
最後を締めくくりに相応しいお祭ナンバーで、幕を閉じる。
気合のドラムから入ってバグパイプ系の民族楽器のリフが細かくお囃子を入れる、そう言う展開
の小気味よい曲です。普通ならギターが担当しているパートをバグパイプ系で演るのでモロにお
祭のノリです。このCDはリード楽器としてはギターが殆ど出てこない不思議な『ロックアルバム』
ですが、CDの後半部分になって来ると少し出てきます派手目のギターが。
レビューを書くにあたり、再びリピートの嵐と化したこのCDですが、飽きる所か聴く度に新たな発
見をしたりするので何とも手強いです。
中毒性の強いCDなので、くれぐれも心してかかるように。
私は結構苦行僧的な所が有り、苦手な音楽でも辛抱強く向き合うと言う不毛な修行をする事が
ある。
ケルト音楽は私に取っては正に此れで、決して聴かず嫌いなどではではなく苦行して導き出した
結論が、「向いてない」で有る。
何回聴いても馴染めなかった。最近は悟ったので殆ど聴かないのであるが、唯一の例外がこの
Ceili Rainである。
最後になるがこのCDを啓示してくれた伝道師MOTOに特別の感謝と敬意を表して終わります。
(2001.6.20)
「Ceili」という単語はどんなに大きく分厚い英語辞典を探しても見つからないと思う。かく云う自分も米国の図書館で探しまくったが見つからなかった経歴を持っていたりする。(苦笑)
単語の意味が判明したのは、詳細にはホームページを見てからだが、ライヴの最中にこのアルバムのタイトル曲であり、大名曲である#6『Ceili Rain』を歌う前にステイトされたトークからであった。彼らのライヴを体験すればきっとその意味が実感できることは請け合いであるが、絶対来日はしないだろう。(涙)というか知ってる人に会ったこともなかったりする。誰か知ってますか?文通してください。(笑)
以下はオフィシャル・ホームページの解釈を筆者が訳したものである。
『Ceiliとはゲール語で生演奏でダンスを楽しむパーティのことを表す。四方を囲んで8人で踊るケルト式フォークダンスパーティと思って欲しい。またラテン語でCoeliという単語は天国、Heavenを指す。(筆者註:ラテン語は欧州の言語の殆どの起源であるからしてシニナムとみて良いという解釈だろう。)
そしてRainとは天上からもたらされる全ての恵みを象徴するものだ』
以上から推察するにCeili Rainとは、やや我々のような世界にも稀に見る無宗教民族には理解し難い、宗教観という概念を含んだ造語と見なすべきだろう。「恵みの雨」とでも簡訳するのが適当だろうか。一歩突っ込んで「踊れる音楽を我らに与えてくれたことに感謝して楽しむべし」というような音楽そのものに対する素朴な喜びを表した言の葉と、著者的に捉えている。
ちなみにここでの「踊り」とはディスコやユーロやヒップのような死滅して歴史から消え去った方が世のため人のためであるような排泄物以下の類のモノではない。(こんなん音楽といえへんわ。)前述したフォークダンスやケルティックなダンスを考えてもらえば間違いないだろう。(映画タイタニックのワンシーン・船内で踊ってたような感じか。卑近過ぎる例であるけれども。)
ゲール・Ceiliという単語から容易に想像がつくであるとは思うけれど、ケルト・ミュージックの系譜に分類される音楽と言ってもあながち過ちではない。・・・・・どうも胡乱な表現になるが、このCeili Rain、単なるケルトバンドではない故を持ってのことである。それ以外の要素があるという意味合いと考えて頂ければ幸いである。
不思議なことに日本の市場はケルトというジャンルにはかなり寛容というか、門戸が広く、そこそこのマイナーなケルトバンドからケルトとロックを融合させたバンドでもそれなりに紹介されている。少々気合の入ったレコード店ならWorld MusicではなくCelticとジャンル分けまでされていたりする。
かなり多くのバンドが伝統音楽であるケルト・トレディショナルとロック・ポップとの融合を試みてきてるのが、例えばケルト系音楽の通販サイトへ行くと良く伺えるのだが、あまり個人的に成功したと思えるバンドに出会う確立が低い。トレディショナルたるケルトのカラーの自己主張が強烈過ぎてロック・ポップが力負けしてしまうことが多いように思えるのだ。
が、このCeili Rainはロックとポップス、そしてブルーグラス系のアメリカ・ハートランドミュージックにケルトテイストを巧みに加味して、全く完璧なフュージョン・ロックとしている。これ以上、ロックテイストが増すと、単なるトラッド・ポップとなり、ケルティックな味わいでの差別化が不可能になるし、伝統音楽へ振り子が寄り過ぎると今度はドレディショナルに申し訳程度のロック・ポップエッセンスを加味しただけの、市場に氾濫しているケルトバンドに成り下がってしまう。
Steve Winwoodの歌ではないが、実に「Fine Line」上に位置するアルバムである。実際2000年の2ndアルバム(その前にライヴアルバム『We’re Making A Party』をリリースしているので通算としては3枚目であるが。ちなみにこのライヴ盤はライヴアルバムが苦手な筆者も驚きの素晴らしいアルバム。必聴。)『Erasers On Pencils』はケルトカラーが強くなり過ぎて、彼らの身上であるポップさが後退してかなり肩透かしを喰らわされた。ロックとしては悪くはないアルバムではあるが。
フロントマンのBob Haligan Jr.(Lead Vocal、Piano、Acustic Guitar&Harmonica)が「このアルバムは第一にポップミュージックで、第二にロック、そしてケルトは第三なのさ。」と述べているように、あくまでもポップとロックにケルトを融合させた音楽性が特徴なのである。
曲創りを全て引き受けるBob Halligan Jr.が1994年に『Sprung』というソロアルバムをリリースしている。このアルバムはピアノとアクースティック・ギター、そして控えめなストリングスのみで構成された、実に美しいポップアルバムなのであるが、本作「Ceili Rain」にトラッキングされているナンバーが半分ほど収録されている。いわば、Bobが創った美しいポップソングにロックとケルトの醍醐味を取り入れて完成したのが、本作であるのだ。
従って、ポップでキャッチーで無い筈があろうか、いやない。(反語)というかここまでポップで良いのか、と心配するくらいキャッチーである。日本のメディアが「ポップ」と銘打つ何処ぞの音楽とはもはや比較にならないくらい、というか比べるのもおこがましい。
バンドの核であるBob Halligan Jr.というヒゲオヤヂのキャリアはかなり多彩である。80年代中期からソングライターとして様々なアーティストに曲を提供したり、セッション・ミュージシャンとしてピアノやギターで活動をしている。
少々挙げてみると、Micharl Bolton『The Hunger』にJoan Jett『Good Music』、Rebecca St.James『God』(#8『You Then Me Then You Then Me』を名前を変えてカヴァーもしているそうだ。)やCherといったロック&ヴォーカル系のアーティストからKiss『Hot In The Shade』、Judas Priest『Defenders Of The Faith』にRick Cua(このアーティストはめっちゃお薦め。メロウな産業ロックメタルで何故日本で売らないのか不思議なくらいポップなHR。)のアルバムといったHR/HMのバンドにも曲を提供しているし、近々筆をとる予定のFelix Cavaliereの『Dreams In Motion』にもバック・ヴォーカルとして2曲に参加する等、長期間裏方に徹してきた人である。
その長いキャリアの集大成として書き上げた曲はどれも前述のようにポップで説得力に満ち溢れている。単なるルーツ・ポップでなく、ケルト楽器がふんだんに使われているところが、言うまでもない彼らの特徴である。ソングライティングにはBobの細君であるLindaやクリスチャン・メタルの良心、Rick Cuaも数曲で協力しているが、基本的にはBob Halliganの仕事である。
「長い間、曲を書くということは迸る情熱を伴うというより飯のタネでもあった。」と彼は述懐する。そして他人に曲を提供するより自分で歌う曲を書きたいと考え、前述の『Sprung』を発表しギグを始める。が、1年にも満たないうちに「ソロで演るにはエネルギーが有り余り過ぎて物足りなかった。」と自覚したBobは1995年からナッシュヴィル周辺でバンド仲間を募り始めた。
現在の形になりCeili Rainを名乗ったのは1995年のこと。後に殆どメンバーが交代するが、このアルバムまでのラインナップは何と7人編成。Bob Halliganを筆頭に
Chris Carmichael (Fiddle、Cello、B.Vocal) 、 Michael McCanless (Fiddle)
Buddy Connolly (Button Accordion) 、 Hunter Lee (Tin Whistle、Uilleann Pipes、Irish Flute
Highland Pipes、Didjeridu、B.Vocal)
Cactus Moster (Drums) 、 Tony Hooper (E.Guitar、B.Vocal)
Rick Cua (Bass、B.Vocal)
という編成である。この時点ではツアー用のユニットという色合いが強く、現在までバンドに残っているのはボタンアコーディオン(!!)奏者のBuddyのみである。ギターパートの2名はソロミュージシャンとして(特にRick Cuaは)活動もしているのでまあ致し方ないであろう。
しかしながら、アイリッシュ楽器やドレディショナル楽器と現代楽器の見事なまでの併用である。方向性は違えども初期のE.L.O.を想い出させるところがある。
演奏も全く同じで見事にトラッド系の楽器と現代楽器のアンサンブルを聴かせてくれる。Bobのハイトーンで優しいヴォーカルに乗せて、古臭さというか、欧州の伝統を感じさせる音がロックサウンドに乗って、パワフルにしかもダンサブルに展開する。(繰り返すがクラッシックなフォークダンス風。)コーラスの厚さも爽やかで軽快、西海岸を彷彿とさせる。
これで米国のバンドというから驚きである。否、英国本場のケルティックのように深くケルトに足を突っ込む危険性が少ない分、抑制が効いていると判断すべきだろう。ディープなケルティックロックの信奉者には物足りないかもしれないけれど。
収録曲は前述の魅力を全て満たしていて捨て曲が全くない。#1の『That’s All The Lumber You Sent』からポップさとケルティックのカラリとした乾質の明るさがマッチして、素晴らしい出来を予感させてくれる。どちらかというとアクースティック・トラッドポップ的なナンバーであるが素晴らしい。
アイリッシュ・フルートとボタンアコーディオンのリフから突入するポップナンバーの#2『I Don’t Need A Picture』はソロ作にもアクースティック・ヴァージョンが収められていたが、こちらの厚いアンサンブルも文句なしのポップソングである。
#3『Do It Anyway』のフィドルとハイランドバイプにロック楽器が絡んでいく展開のキャッチーさは、もう何も言えない。ここまでの曲はどれもシングルにできる。コーラスパートの美しさと、Bobの高いキーを駆使したヴォーカルが鳥肌モノである。
全米のケルト系ラジオ局への第一弾シングルとして配給された#4『Call Home』は実にハートウォーミングなトラッド風バラードである。述べるのを失念していたが、このバンドはカントリー&ケルト系のチャートでも紹介されたが、クリスチャン・チャートにもファンを獲得したように、基本が宗教曲である。始めに記したCeili Rainの意味合いから簡単に推察できるとは思うが。「この曲はCeili Rainのライトなサイドな歌だよ。宗教概念的なものじゃなくて、感情や葛藤、ディレンマといった普通のテーマなのさ。」とBob。
そしてスローな曲の後に続くパワフルなロックチューンの#5『Love Travels』。跳ねるようなリズムに乗せて、ホイッスルとフィドルが、ピアノがハーモニカが踊りまくる。中ほどでスローになりまたも盛り上がる変調は長年HR系のソングライターとして活動してきた故の成果かも。
そして、タイトル曲の最高にドラマティックなバラード、#6『Ceili Rain』。かなり宗教的な謝意についての曲なため、歌詞的には共感ができないが、メロディは最高である。コーラスも分厚く、トラッド風パワーバラードと呼びたい。(?)
兎に角、挿入されるケルティック・インストゥルメントの織り成す音世界は感動以外何者でもない。
続いて初めてかなりラフな曲が登場する。これまた『Sprung』にアンプラグド・ヴァージョンが収められていた曲の#7『Long Black Cadillac』である。「死について少々示唆した歌だよ。」とBobが述べているが、曲調はブルースハープとストリングスの掛け合いにアコーディオンが乗っかるドライヴ・ポップスである。これまたシングルカット可能。まあ、全ての曲がカット可能なのであるが。
引き続きワールドミュージックぽいトレディショナルなリフから始まる#8『You Then Me Then You Then Me』も実に楽しくジャンプするグルーヴィなダンス・ロックナンバー。後半に入るとかなりロックテイストが増した曲が続くが、#9の『The Big Show』もケルト・ロックナンバーである。ケルトの明るさと同居する黄昏色の昏さとロックのエッジが見事な掛け合いを見せる。
ハイランドパイプとタムのデュオで始まる、アルバムの中でアイリッシュ&ケルトクラッシク色が最も強いバラードの#10『Peace Has Broken Out』にしても野暮ったさというより、優しさと優雅さがまず前面に出てくるのはBob Halliganの流麗なヴォイスのおかげであろうか。いずれにせよ、美しい曲である。
次の曲#11『I Wanna Be Different』も宗教曲ではなく、内面の虚飾や見栄や偽善について歌った曲だろう。聴き取りが非常に簡単であるので、良く分かる曲でもある。この曲も#10と同様にトラッドカラーが強い。が、流れるようなメロディは秀逸である。
そして、最後のトラック『666 Degree』はアルバムの中でも最もラフでハード・ドライヴィンなトラッド・ロックチューンである。故にやや甘めの前半を引き締める効果があるラストナンバーともなっている。この曲の後にバグ・パイプ系のインスト風小ブリッジが挿入されているのが、なんともこのアルバムのケルトへの敬意を暗喩しているようで興味深い。
ケルティックバンドはそれこそ星の数ほどあるけれども、最近活動中のバンドではこのCeili RainとCarbon Leafくらいしかロック・ポップとの上手な妥協をしているバンドは見かけないように思える。ちょこちょこと探してみてははいるのだが、中々理想の音には巡り合えないものである。
その点、このバンドのアルバムは貴重である。素晴らしいケルティック・フュージョンアルバムだ。太鼓判を押すので是非とも購入をお薦めする。
参考までにこのアルバムは1997年にセルフリリースされ、翌年にPunch Recordsから副題であった”Say KAY−lee”をオフィシャルなタイトルにしてリリースされた。2000年発売の『Erasers On Pencils』も2001年にBMG傘下のレーベルと契約してプロモされるということである。今後の活躍に期待したい。
この非常に色合いが綺麗なジャケットは個人的に1997年ベストジャケである。暖かい色使いにダンスをしているような人々のイラスト・・・・。まさにこのバンドの魅力が溢れている。 (2001.6.10.)
Heartland / Michael Stanley Band (1980)
Adult Contemporary ★★★★
Pop ★★★★☆
Rock ★★★★☆
Roots ★☆
Reviewed by Kyotaさん
「Cabin Fever」('78)「Greatest Hints」('79)という、そのクオリティの高さにもかかわらずセ−ルス面では完全に失敗に終った2枚のアルバムをリリ−スしたのち、バンドはアリスタ・レ−ベルから「無造作に」(マイケル談)契約を切られ、不幸にも、新しいレ−ベルを見つける運も全く無かった。解散の危機にさらされていた彼らに残されていた唯一の道は、独力でのアルバム製作であった。
「初めて自分達でプロデュ−スし、僕達の望むやり方で”最後の”アルバムをレコ−ディングしたんだ」
超低予算でつくられたこの「Heartland」は、最終的にEMI-AMERICAによって買い取られ、ケヴィン・ラレイ作のキャッチ−なポップ・ロック・チュ−ン『He
Can't Love You』(全米最高位33位)と共にバンド史上初のメジ ャ−・ヒット作になった。まさに”起死回生”と呼ぶにふさわしいアルバムになったのだ。
既に前作「Greatest Hints」で、ソングライタ−、キ−ボ−ディスト、バックグラウンド・ヴォ−カリストとしてその優れた才能を披露していたケヴィンであったが、本作からは自らクリエイトした曲(#4、7、11)でリ−ド・ヴォ−カルをとるようになり、前述したように彼のポップ・センスがいかんなく発揮された1stシングル#4『He Can't Love You』が、このアルバムがヒットする原動力になった。
#4はもちろん、ケヴィン作の他の2曲が本作において果たしている役割も非常に大きく、"ケヴィン節"が炸裂した切ない(そして青臭い(笑))#7『Say
Goodbye』、エンディングを適度な緊張感をもって締めくくる#11『Save A Little
Piece For Me』と、アルバムの要所に効果的なアクセントを加えている。
(余談であるが、ケヴィンのソングライティングはマイケルにも少なからず影響を与えていたようで、次作「North
Coast」でマイケルは『Say Goodbye』に似通ったテ−マを持った『Somewhere In
The Night』を書いている。これも名曲)
ケヴィンの透明感溢れる歌声が前面に出ることで、楽曲そのものの持つ個性が増幅され、マイケルのもつル−ツ色の濃い(土着的な)サウンドとのコントラストが、このチ−プなサウンドのアルバムに絶妙な起伏を与えているのである。
軽快な#1、3、8、10、ル−ズな#9、2ndシングルとしてリリ−スされ(全米68位)バンドの代表曲のひとつになった#2と、まさに"アメリカン・ロック"たる佳曲を提供したマイケルに、ケヴィンのキャッチ−かつメロディアスな楽曲が彩りを添え、ツイン・ギタ−、ツイン・キ−ボ−ド、べ−ス、ドラム+サックス(本作ではクラレンス・クレモンズがゲストとして参加)という稀有なバンド・サウンドがふたりの個性を過不足なくサポ−トしてゆく…"これぞMichael
Stanley Band"たるスタイルが確立された、記念碑的なアルバムがこの「Heartland」だといってよいだろう。しかしこのキャラクタ−は、結局マスに受け入れられる前に、80年代の歴史の中に埋もれてしまうのだが…。
そう、結局彼らはREO Speedwagonにも、スプリングスティ−ンにも、ジョン・メレンキャンプにもなれなかった。
私は、彼らが中堅バンドで終った理由は、その「音楽性の中庸さ」にあると考えていたが、この表現は誤りであったように思う。彼らはただ自分達に正直な音楽をやりたかっただけなのだ。
Michael Stanley Bandとは自然体でユニ−ク極まりない(しかも普遍的な)アメリカン・ロックをクリエイトすることの出来た、実に貴重な存在だったのである。今後、彼らのようなバンドが現れる可能性は、ほとんどゼロに等しいといってよいだろう。
「サウンド・クオリティはベストではないけれど、これは最もよく僕達らしさが表現されたアルバムであり、ここには正しいアティテュ−ドがある。ロックンロ−ルがアティテュ−ドでなかったら、ロックっていったい何なんだい? ボリュ−ムを上げて、僕達と同じ位楽しんでくれよ!」
(文中のランキングはビルボ−ド誌に拠る) (掲載2001.8.2.)
Heartland、意味合いとしては辞書的には国の中心部−地理的な使い方もあるし、文化・産業・政治の中心という概念的な解釈としても使われる−という説明がなされている。
あまり日本のリスナーには馴染みがないとは思うけれど、アメリカのジャンル分けの一方法として「Heartland Rock」という分類を適用する場合がある。
どういった類の音楽ジャンルというと、文字通り「アメリカ中央部」の草の根的音楽、Americanaを叩き台にして、ロックンロールを表現した音楽と解釈されているようである。が、あまりルーツミュージックに傾倒せずに、あくまでロックを主体としたロックを表現する場合に使われるようである。
つづめて言えば、王道的アメリカンロック−ここではロックでキャッチーで、ルーツの持つ魅力と都会の洗練されたセンスが融合したロックと考えている。−のとこ。メインストリームなロック、本来の意味でのAlternative性を持つ音楽として解釈すれば過不足ないと思う。
まあ、現在のオルタナティヴ=ヘヴィ、ノイジー、ミクスチャー等の公式が成り立つ有象無象の歌心を忘れたというより最初から持っていないロックとは全く異なる次元の良質な音楽のことだ。
具体的なHeartland Rockとなると、このMichael Stanley Band(以下MSB)の『Heartland』がプレスされた時代周辺では、Reo Speedwagonの『Hi Identify』、Bob Segerの『Against The Wind』、John Couger Mellencampの『American Fool』、そしてBruce Springsteenの『The River』、Tom Pettyの『Damn The Torpedoes』等の大ヒットアルバムをピックアップできるだろう、熱心な音楽ファンなら。もしくは80年代に洋楽を普通に聴いてた方でも。
この類の正統派と呼んでも語弊のないアメリカンロックの骨子のような、しかも大ヒットを殆どが記録しているアルバム群と比較して、MSBの名義としては6枚目のピースは(ライヴアルバムとベスト盤を含む。)全く遜色のない素晴らしいロックアルバムである。少々運命の歯車というと大袈裟かもしれないが、その巡り合わせが良い方向へと傾けばDoobie Brothersの「Whell Of Fortune」ではないが、時流に乗ってモンスターアルバムになっていたとしても、当時のマーケットの趨勢からすれば、不思議ではない。
Heartland Rockだけでなく、ルーツとアーバンのバランスを保って創られたアメリカンロックのアルバムは、自分で企画しておきながら、非常にジャンル設定が難しい。ルーツに然程傾倒しているわけでもなく、かといってアダルト・コンテンポラリー一辺倒でないロックンロールの魅力に溢れているからである。
やはり正統派アメリカンロックとしか名前の付けようがないと思う。そして、この『Heartland』も全くこの範疇に当てはまる、というかMichael Stanley Band自体が王道アメリカンロック・バンドであるのだ。未だに信じられないことであるが、ソロ活動を含めると30年以上のキャリアを有するMichael Stanleyの一連のアルバムが、ただの一度も日本で邦盤として発売されたことがない。(註:MSBマスターのKyota氏によると『Greatest Hints』と『You Can’t Fight Fashion』はアナログ盤が本邦でもリリースされたのこと。Thanx!!)
Top40アルバムヒットもなく、Top10シングルも1曲も生んでいないので知名度が低いのは頷けるが、同じような立場のJohn HiattやTom Waitsはきっちりと殆どの音源が発売されている事実を鑑みると、やはり首を捻らざるを得ない。まあ良いアメリカの音楽が全く評価されないのは2001年の現在でも全く変わらないので、正統派ロックがチャートで売れていた当時のアメリカでヒットしても日本では評価はきっと低かったことは想像に難くないが、音源の入手はもっと簡便になっていたことは間違いないだろう。その点だけでも改善がなされて=ヒットして欲しかったのだが。
まあ、愚痴ばかりのたくっていても話題が進まないので、殆どのリスナーにとって馴染みの薄いMichael Stanleyと彼のバンドユニットであるMSBについて簡単に解説しておこう。熱心なチャートフォロワーならTop40ヒットになった『He Can’t Love You』(著者もこの曲で彼らを知った。)やキャリアでは最高のヒット曲『My Town』を記憶しているかもしれない。
MSBのネームベースであり、中心ソングライターであり、リード・ヴォーカリストであり、ギタリストである、Michael Stanleyは1948年にアメリカ北東部のオハイオ州はクリーヴランドで生まれている。某野球映画で著名になったインディアンズの本拠地でもあったりする。Heartlandと銘打つにはぎりぎりの東の端というところであろうか。
自らの音楽を「Cleavland Rock」を呼ぶくらい、Michaelはオハイオ出身で、地元をベースに活動してきたことに誇りを持っているようだ。
バンド活動を始めたのは高校生の時で、動機は単純であった。「ちゃっちゃと小金を稼げて、女の子にモテたから。」だそうである。1969年にはSilkというバンドを率いて最初のアルバムをリリースしている。
この頃、ある日のライヴの観客であったBill Szymczykが彼のパフォーマンスに目をつける。Billは今更ではあるがEaglesの『Desperado』や『On The Border』のプロデューサーとして著名である人で、1970年代前半から中盤にかけてかなりのメジャーなアルバムのプロデュースを手がけている。Billのサポートで2枚のソロ名義のアルバムを作成した後にそのレコーディングの過程でセッションを共にしたミュージシャンと結成したのが、Michael Stanley Bandである。
と簡単に記してしまっているが、このバンドを組むまでMichaelもかなりハードラックを味わっていたりする。ミュージシャンとして活動する傍ら、収入の大元であったレコードチェーン店のマネージメントの仕事を解雇され生活に困窮したりしている。初期のMichaelはサラリーマンと2足の草鞋を履いていたのだ。現在のようにインディ・レーベルで飯が食える時代ではなかったのだろうが、メジャーでなければ売れない→売れない→生活苦→メジャーを目指す指向が強い、というようなある種、健全な上昇志向が当然であった時代なのだなあと、完全に余談であるが時代の変遷を感じたりする。
兎も角、ミュージシャンとして専業する決意の表明としてのように立ち上げたMSBであるが1975年のバンドとしてのデヴューアルバムである『You Break It ,You Bought It』から1986年の解散まで11枚のアルバムを(2枚のライヴ盤と1枚のベスト盤)リリースしている。
最後の2枚はレコード会社との契約が拗れて契約を切られ、インディからプレスしたアルバムであり、筆者も未聴である。解散の原因も、後にMichaelが語るところによると「別に内部で揉めた訳じゃないよ。金が稼げなくてバンドとして活動できなくなったんだ。まるで生活に困窮して分かれた夫婦モノみたいだよ。」だそうだ。
・・・・最後まで商業的な成功に恵まれなかったバンドである。
が、これまたミュージックシーンに顕著な、良いアルバムを創ったバンドが商業的に不遇であるという好例がこのMSBである。
繰り返しになるが、非常にオーソドックスでキャッチーなロックンロールを聴かせてくれるバンドである。メロディの良さはReo Speedwagonと全く同等であるし、ロックのダイナミズムはBruce Springsteenに匹敵し、それでいて、都会的なメロウでソフィスティケイティッドされたアレンジが『Corner Stone』の頃のStyxにも通じる要素があるように感じる。更にこのアルバムから大胆に導入されたサックスフォンが、例えばBob Segerと銀弾隊やEddie Moneyのようなホーンを取り入れたバンドの、ルーツテイストと併せ持つアダルト・ロック的な魅力を醸し出している。
Bryan Adams(時代的には彼の方が後になるが)中期的な素直なメロディもまた長所のひとつである。
このアルバムでのバンドは6人編成という、現在の多くのバンドのようにツアーやレコーディングでサポートを入れなくてはアルバムを再現できないような半端な構成ではなく、自分たちでがっちりとした演奏をやりたいという誠実さと熱意の感じられるチームである。3ピース大嫌いの著者にとっては美味し過ぎる人数である。やはり人数が多ければ多いほどしっかりした分厚い演奏が可能になるのだ。MSBくらいの力量と作曲の才能が確固としてあることが前提ではあるが。
バンドのメンバーは、この時点ではこれ以降のアルバムでバンドの特色の一つとなるサックスの吹き手が、Rick Bellではなく、ゲスト扱いのClarence Clemonsである他は解散した時点までのメンバーがほぼ固定されている。(次作である『You Can’t Fight Fashion』でリードギタリストのGary Markaskyが脱退するが。)
Michael Stanley (L&B.Vocal、Guitars、Percussion) Michael Gismond (Bass、Synthesizer)
Bob Pelander (Piano、Organ、Synthesizer Tommy Dobeck (Drums、Percussion)
Orchestra Bells、Vocals)
そして本作から加入のピアニスト兼、リード&バック・ヴォーカルのKevin Raleigh。彼の加入が中規模とはいえこのアルバムが彼らのキャリア最大の成功となった原動力であると考えている。(前作から加入。忘れてた・・・・。バンドに活を入れた点ではJourneyに加入したJohnathan Keinみたいやね。)
ハイトーンでスィートな彼の透明感溢れるヴォーカルは全11曲中、3曲のみのリードとはいえ、バンドの音楽性に多彩さを加味し、またツイン編成となったキーボードの厚く流麗なラインは、元来の素直なメロディに都会的なスマートさを付加している。無論、バックヴォーカリストとして力量のあるヴォーカリストが加わったことによるコーラス・パートの充実は書くまでもない。
実際Kevinの歌う#4『He Can’t Love You』はこの時点での初の全米Top40シングルになった。そのスピーディな躍動感といい、元気よくスウィングするホーンといい、楽譜から零れ落ちそうなポップテイストといい、Top10に食い込んでも何ら不思議はないのだが。
Kevinの歌う残りの2曲も素晴らしい。BeachboysやBeatlesを連想させるような爽やかなア・カペラのコーラスから始まるサーフナンバーのような#7『Say Goodbye』はKevinのピアノとBobのシンセのサウンドが実にアダルトなポップソングとして映える。ラストナンバーの#11『Save A Little Piece For Me』は後期Doobie Brothersのようなアーバン感覚溢れるリズム系のポップナンバーになっていてAORソングと呼んでも差し支えないしっとりしたナンバーだ。
初のTop40ヒットを加入したばかりのKevinに取られてしまった形のMichael Stanleyであるが、歌のクオリティとしては前作『Cabin Fever』のJohn”Mutt”Lange(Def Leppardの『Histeria』で全て分かるだろう)との共同作業で培ったであろうと推し量れる、ポップでパワフルな方向性を維持して素晴らしい作品を書いて、歌っている。
ファースト・トラックの『I’ll Never Need Anyone More』からキャッチーで心弾むようなロックチューンであり、彼らの中庸性の魅力が全開である。コーラスワークも、地味ではあるが小気味の良いギターリフも、ツイン編成の鍵盤のインプロヴィロゼイションも完璧である。産業ロックとしての魅力−Reo Speedwagonにも顕著な−を感じることが大である。
その魅力はサックスフォンがメロウにすすり泣く、アーバン・ポップというかAOR風のバラード#2『Lover』でも顕著である。この手のナンバーにバンドとしての熟成をじっくりと実感できる。じわじわと時間をかけて沸いている鉄瓶のような味わいがある。
キャッチーでスピーディな、いかにも80年代のロックチューンという印象が強い#6『All I Never Wanted』は大のお気に入りのナンバーである。シングルカットしても良かったと、非常に残念である。特に個人的に弱点というかこれを聴かされるとメロメロなロック・キーボードがどのトラックでも余すところなく挿入されているのは、もはや反則である。(笑)
同じく#10の『Carolyn』も軽快でポップなロックチューンである。コーラスが分厚く、跳ね回るピアノはどうしようもないくらい正統派なアメリカンロックである。これもシングルにして欲しかった。
基本的に非常にオーソドックスなラヴ・ソングオンリーに近いラインナップの中で、歌詞的にシニカルなワークソング風であるのが異色である、#5『Working Again』もメロディ的には全くMSBそのまんまであり、ビートの躍動感が楽しいポップ・ロックナンバーである。
ここまで書くとかなり甘めなアルバムというイメージが湧いてくるかもしれないが、確かにその通りだ。(笑)が、やはりアメリカ・ハートランドミュージックのルーツであるややうねりのあるブルージーな陰りと泥臭さもきちんとカヴァーしている。#3『Don’t Stop The Music』はやや重いロックナンバーで、ダークな雰囲気のメロディとやや捻くれたロック賛歌的な歌詞が面白いナンバーだ。が、やはり都会的なセンスが伺えて流麗なロックとして聴けるのは、彼らの技ありであろう。#9の『Voodoo』もブルージーな曲。Journeyの傑作『Lovin’,Touchin’,Squeezin’』を連想するのは筆者だけであろうか。
そう、当時全盛期であったJourneyをややアーバン寄りにしてメロウなロックを演らせるとMSBに近い方向性ではないだろうか。
「売れる」経絡秘孔(笑)はしっかりと突いていたのに、それ程の注目を集めずに中規模のヒットで終わってしまったアルバムであるのが、やはり信じられないし、今更ながら残念である。20年を経た2001年に置いても、何ら色褪せないベーシックなロックとしての旨みが凝縮されている。隠れたとまで売れなかった訳でないが、やはり埋もれかかっている名盤という位置付けをすべきであろう。
今回、必死になって(笑)作者が発掘したので、是非読まれた方、特に80’sロックファンの方に聴いて欲しい。
Michael Stanleyは1990年代もマイペースで活動を続け、2000年にはかなりの好盤であるソロ作『Eighteen Down』をリリースして、レコードデヴューから30年を経過し、超ヴェテランの域に突入した。アメリカンロックの良心の一人として歳に負けずにこれからも良作をリリースして欲しいと切に願う。
ちなみにアナログ盤ではトラッキングされなかった#2『Lover』と#4『He Can’t Love You』のライヴ・ヴァージョンがCDには収められている。彼らのライヴアルバムは持っていないのだが、なかなか良い感じである。こういうボーナスなら歓迎したい。 (2001.6.14.)
Dreams In Motion / Felix Cavaliere (1994)
Adult Contemporary ★★★★★
Pop ★★★★★
Rock ★★☆
Blue−Eyed Soul ★★★
彼との再会は全くの偶然だった。とある新古品を2割以上安く売るCDショップへ、夜のジョギングの途中で何気なく寄った時、新着品の棚に横置きしてあった、モダン・アート風のジャケットの上に書かれていた名前が「Felix Cavaliere」であった。
正直、暫くの間、「誰だか覚えているねんけど、誰やったかなあ」と頭を悩ませてしまった。それくらい、彼の作品は時間を空けて届けられたのである。
学生の時、確か1990年くらいだったと記憶するが、レコード屋へとふらりと寄った際、物凄く懐かしいジャケットを見かけた。砂漠というか、砂丘が広がり、砂の間に沢山のピアノが埋もれている。そんな非日常的なスナップの中心に立つむさ苦しそうな髭オヤヂ。
これが何と1994年の発売となった本作『Dreams In Motion』の前作にあたる『Castles In The Air』で、オリジナルのリリースが1979年!!であるので、このアルバムまで15年の間隔が空いたことになる。
ちなみにこの辺のお話にがっちりシンパシーを覚える貴方は、相当ディープなリスナーであるという太鼓判を著者が押して差し上げるという、栄冠を与えよう。(笑)
この『Castles In The Air』、帯の説明では世界初CD化ということであった。しかも1800円、躊躇せずに買ったことを想い出す。当時から欲しいCDと本には目がなく、生活費を極限まで削り取っても買い漁っていた。その習性は10余年を経た現在2001年でも全く不変不動である。そんな自分の成長のなさに少々寂寞たるものを感じなくもないが、同時にそんな自分が結構好きであったりもするので度し難いこと夥しい。(この3枚目は日本のみでCD化され、現在に至るまで何処からもプレスされていない。当然廃盤である。)
しかし、Felix Cavaliereの27年間のソロ活動で発表した僅4枚のうち、本国アメリカでCD化されているのは4thの『Dreams In Motion』のみで、残りは廃盤という事実を鑑みると、「買うといて良かった〜」としみじみ思う。
ちなみに現在、日本でプレスされた2ndソロ『Destiny』と4th以外はCDでは入手が非常に困難である。というよりCD化されていないのではないか。作者の情報ではCD化のニュースはないのだが・・・・。
おい、レコード会社、名盤探●隊とか銘打って高い定価でCD出すんやったらFelix Cavaliereのソロ作全部CD化しれ!!そんなヘタレな商売しとるから洋楽マーケットが落ち込むんやあああ〜〜〜。ドアホ。
と、恒例の毒を吐いたので、次に進もう。
何時の間にか『Castles In The Air』の話題になってしまっているが、あまり書くと、いつかこちらの3枚目のソロ作をレヴューする時ネタがなくなってしまう。故にこのアルバムから唯一のシングルとなった『Only Lonley A Heart Sees』が彼の現在までの最後のTop40ヒットというかメジャーチャートでのヒットとかいう類の話題は触れないことにしておこう。(といいつつさり気なく触れるのが素敵だ。・・・・何処がやねん!)
兎に角、15年の空白を置いてリリースされたアルバムの主人公が、この愛すべき髭オヤヂ、Felix Cavaliereなのである。15年前、筆者は未だ詰襟も着てないようないたいけな(大嘘)少年であった。が、このアルバムを手にした時は、社会の構造に幻滅した、資本階級へと貴重な人生の一部である時間を切り売りする被搾取階級に甘んじるという辛酸を舐める立場に変質していたことを考慮すると、15年という時間は非常に長い。・・・・というか己の時間の無駄使いを痛感させてくれる。
その空白の15年間、この髭オヤヂが何をしていたかは殆どデータがない。1987年に映画「Hiding Out」のサウンドトラックに『So Different Now』という曲を提供し(プロデュースも本人)、歌ったのがソロとしては唯一の目立った活動である。1988年にRascalsのリユニオンツアーを全米で行っている。これは人気TVシリーズ「Moonlighting/邦題:こちらブルームーン探偵社」の挿入歌として使われたYoung Rascals時代の全米No.1ヒット『Good Lovin’』がリヴァイヴァルしたためらしい。
それ以降は全く音沙汰がなくなり、1994年に本作を発表する。が、それから精力的にアルバムを出してくれると期待したのもの、見事にすかしてくれたのだ、このオヤヂは。
『Dreams In Motion』を発表以降、1995年にFelixはRingo Starrと全米ツアーを行い、その後ナッシュヴィルに移り住む。そして又もや悠悠自適の生活に入る。レコーディング・アドヴァイザーとしてB.B.KingやIsaac HayesそしてRufus ThomasといったR&B系の大物黒人アーティストに協力したり、表面的な活動としてはLaura Nyroのプロデュースを担当したり、アクースティック系の新人Donnie Frittsのデヴュー盤にバックヴォーカルで参加したりと、地味に活動している。非常に物足りない。つまらない。アルバム作って欲しい。
現在、2001年Felixは「Felix Cavaliere’s Rascals」という名義で全米ツアーの真っ最中であるそうだ。これはYoung Rascalsというバンド名を嘗ての仲間と争って法廷で敗北したための苦肉の命名のようだ。バンドの編成等の情報が全く入らないが、かなりロングランのツアーのようで、秋口までは続くらしい。
前述のようにYoung Rascalsのメンツとは亀裂が深いので、どのくらい元Rascalsのメンバーが加わっているかも微妙なところだろう。少なくとも、法廷論争まで持ち込みYoung Rascalsの既得権を手に入れたEddie BrigatiとGene Cornishは参加していないだろうし。
兎に角、ツアーやるならアルバム出してからにしれ!!
・・・・そのくらい待ち焦がれるくらい、彼のアルバムは素晴らしいのである。約30年間でたった4枚のソロしか出してないオヤヂであるが、何時聴いても、彼の創るメロディとヴォーカルは味わい深過ぎる。物凄い即効性のある、No.1ヒットになって歴史に残るような曲はないし、またFelixのスタンスとして創らないだろう。
ブルー・アイド・ソウル、良心的なポップR&Bを基本とした、とってもハートウォーミングな曲を書く人である。
そのヴォーカルの色っぽいというと語弊があるかもしれないが、艶っぽさはソウルフルであるがくどくなく、まったりとしてそれでいてしつこくな・・・・・(ヲイ)。兎に角、スピーカーから流れてくる声に色がついているように感じられるのである−漠然とした色合いで何色と明確にしようとすると非常に表現が困難だが。
例えば、秋の夕方、釣瓶落としのようなでっかい夕日が沈む瞬間の色。
春の宵、見上げた夜空にかかる朧月夜の淡い色合い。
夏の夕立があがって晴れていく空の青。
上手に表現できないのがもどかしいが、どこにでもあって常には見られないような瞬間の魅力、そのようなずっと後になって非常に懐かしくなるような、さりげない、それでいながら印象的な感動を与えてくれる。
時折、ファルセットに変質する流麗なヴォーカルはよく手入れされた猫の手触りのようだ。Steve Winwoodや初期のBilly Joel、Elton Johnのヴォーカルにも合い通じる吸引力がある。
更に、何と言ってもオルガン・プレイヤーとしての魅力である。彼のペダルワークは実に気持ちよいスゥイング感に溢れている。独特のうねりというか音だしが、非常に色気がある。これも男の色気というとまたまたアブナイが、中性的な繊細さと力強さがミックスされた味わいと呼べばよいだろう、きっと。このアルバムでは10曲中6曲でしかB3を弾いていないのが不思議であるし、残念でもある。彼にはピアノより古びたハモンドオルガンの方が似合うように思えるのは筆者だけだろうか。
その素晴らしいオルガンのリフから始まる#1『Trust Your Heart』。全体的に非常にプログラミング系の打ち込み音が多用されたアルバムであり、この曲もサンプリングがドラムスとキーボードで使われまくっているけど、Felixの幾年を経過しても不変のヴォーカルと、鳥肌の立つようなB3のグルーヴ感覚が全てを調和、というよりFelixのカラーに染めてしまっている。歌詞もラヴ・ソングという形をとってはいるが、前向きな希望に満ちた内容で、久々にアルバムをリリースした彼の内面を顕しているように思えるのは気のせいだろうか。この曲にCeili RainのBob Halligan Jr.がバックヴォーカルとして参加している。
今は亡きJeff Porcaroの素晴らしいドラミングが堪能できる#2『Stay In Love』はソプラノサックスと女性バックコーラスが流麗な印象を与えてくれる、実にアダルトなチューン。ファルセットになりそうでならない、微妙な境界線で喉を披露するFelixのヴォーカルは素晴らしい。
第一弾シングルになったのはミディアムポップな#3『If Not For You』で、この曲でもハイトーンなキーを駆使するFelixのヴォーカルが聴き応え満点である。David McMurrayの奏でるサックスも後半の盛り上がりのヴァースを巧みにフォローしている。しかし、厚いコーラスとFelixのソロパートの掛け合いが実に絶妙だ。もっともこの要素は次のナンバーである#4『Voices Calling』で更に顕著である。かなり地味なリズム系のナンバーであるが、コーラスパートでのFelixとバックヴォーカルの、楽器ではないがインプロヴィゼイションは、ヴォーカルとしてのロックの魅力を再認識させてくれるほど素晴らしい。
しっとしりしたスローナンバーの#5をはさみ、今作のハイライトであるタイトルソング#6『Dreams In Motion』は唯一といって良いロックチューンである。B3ハモンドの絶妙な演奏−もう感動モノである。それ以外に表現はできない。−に乗せて、ドライヴフィーリング溢れるメロディがラフに暴れてくれる。とはいえ、アレンジは緻密で曲の完成度も高い。アート・ロックとで表現できる名曲である。このようなロックンロールをもっとプレイして欲しかった。その点が非常に贅沢な不満である。
#7『Big Surprise』もロック寄りなナンバーである。ややR&B的な要素と、大陸的な哀愁さも感じられるDean Peaksのギターソロがユニークなナンバーである。R&Bへの傾倒は彼の基本でもあるが、#8『Me For You』でも彼の原点ともいうべきフィーリ・ソウルの影響を如実に感じることができる。この2曲はやはりブルー・アイド・ソウルの旗手たるFelixの面目躍如というところだ。
#9『You Mean More』はかなり地味なアルバムトラックなのだか、不思議に気に入ってる曲である。歌詞的には単なるラヴ・ソングであるし、特に派手さもないが何故か好きで頭から離れない曲なのである。やはりFelixのソウルフルな歌い方に惹かれているのだろうか。「♪So Much More」や「You Mean More」の歌い廻しが耳から離れないのだ。麻薬のような曲だ。
そして非常にドラマティックに後半にかけて多彩に展開していく#10『Young Blood』も#6のタイトルトラック並に素晴らしい名曲である。ギターのMichael LandauとドラムのJeff Porcaroのサポートは実に堅実でまさにセッション・マンとしての職人芸を感じる。無論Felix CavaliereのハモンドB3は文句のつけようがないし、ソウルフルな女性バックヴォーカルとの掛け合いで展開するコーラスパートは煌びやかでいてしかもパワフルだ。歌詞的にも唯一の明らかなメッセージソング性を持ったこれまた冒頭にリテイルしていくような明るい示唆に富んだ曲である。何とも感動的に〆てくれるものだ。
しかしながら、これほど良いアルバムであるのに、セールス的には全く振るわず、これ以降Felixがアルバムをリリースしないのはその辺にも原因があるかもしれない。と勘繰ってはみるのだが、7年に1枚ペースでしかトータル的にアルバム作成を行わない人なのでなんとも言えない。
ツアーを現在進行形で行っているのは単に21世紀の記念的イヴェントかもしれないが、アルバムを出すといった、第一線に戻る気力が戻ってきたのでは、と希望を持ちたいものである。更に勝手を言えば、今度はもっとロックナンバーが聴きたい。これは実に切実な願いでもある。
このアルバムから丁度今年2001年で7年目。今度は15年も待たせて欲しくないものだ。 (2001.6.16.)
Ben Folds Five / Ben Folds Five (1995)
Modern ★★★
Pop ★★★★☆
Rock ★★★★
Alternative ★★
♪「Got Nowhere But Home To Go. Got Ben Folds On My Radio Right Now,Right Now
I’m In Trouble For The Things I Need. Hey Monkey ......」
Counting Crowsの2ndアルバム『Recovering The Satellites』の1曲、『Monkey』を聴いた時、正直驚いた。
まさか、Counting CrowsがBen Foldsの名前を歌に入れるとは、いかに想像できるだろう?
ちなみにこのアルバムは全米初登場No.1アルバムとなり、300万枚以上のセールスを記録しているので、少なくともそれだけの人数が「Ben Folds」の名前を聞いたことになる。数字の上で統計ではあるが。無論、世界中では更に多くのリスナーがこの名前を(多分)聞いただろう。歌の前後から歌の名前か、歌い手の名前か、どちらかには判断がつくに違いない。
しかし、この300万以上のレコードを買った人々でどの程度Ben Folds Fiveを、この時点で知っていただろうか。
『Recovering The Satellites』を聴くような良質なロック好きなリスナーには殆どなじみのバンドであったと想像している。
1996年の時点で、日本ではかなり早い時期にブレイクし、大英帝国でもかなりの評判になっていたし、本国アメリカではカレッジチャートやインディチャートでかなりの人気を博していた。
芳しいセールスを挙げるには至っていないが、所謂、「音楽好事家」「好きモノ」を中心にじわじわとリスナーに浸透し、多くのアメリカのローカル年間トップ10アルバムに顔を出したそうである。
Ben Folds Fiveの名前がナショナルワイドにメジャーとして拡大するのはSonyと契約に至り、作成した1997年の2ndアルバム『Whatever And Ever Armen』からのシングル『Brick』が全米Top50ヒットとなり、更に『Battle
Of Who Could Care Less』もスマッシュヒットと続き、アルバムもトップ100入りしてからであるが。
とはいえ、メジャーチャートでヒットした作品が個人的に好きかというとそうでもないのである。
正直、Ben Folds Five(以下BF5)の残したスタジオ録音盤(アウトテイクとライヴ音源を集めた『Naked Baby Photo』は除外する)の点数は1stから順に、10点−6点−1点となる。典型的な尻すぼみバンドである。が、これはサウンド的な評価であって、Lyrics−作詞に関してはどのアルバムも素晴らしい。というか筆者の感性に非常にヒットするのだ。
上記の点数であるが、アルバムを重ねるごとにロックナンバーが減って行き、最後のアルバムである1999年リリースの『The Unauthorized Biography Of Reinhold Mesnner』に至っては完全にアップテンポの曲が姿を消し、ホーンセクションやストリングスを取り入れた訳の分からないアルバムになってしまっているためであるから。
2ndではそこまでの落ち込みはないのだが、やはりかなりメロディ的に英国っぽさが比重を増して、かなり個人的に楽しめなかった。
とまれ、個人的に戴けない作品を貶す場ではないので、話を1stアルバムであるセルフタイトルの本作に戻そう。
まずはやはり曲感からだろう。今更敢えて述べるまでもなく周知のことであろうが、このバンドはギターレス・トリオ編成の珍しいバンドである。ギターレスでロックバンドと言うと、当座はThe Doorsくらいしか目ぼしいバンドが思いつかないのが情けないが、やはりこの変則のスタイルは珍しい。
米国のインディ・シーンではテクノ系や打ち込み系、トラッド音楽バンド等にはそこそこというかギターレスがかなり見られるのだが、「ロックバンド」と銘打つとやはりギターの不在なバンドは稀有の存在である。
些か短絡的思考であるのだが、<ギター=ロック>という公式はギターを弾けない筆者でも漠然と思いつくステロタイプなイメージである。であるからして、やはりギター抜きでのロックミュージックは、プログレッシヴやヴォーカル系のロックという印象を中々拭えないでいる。
このBF5のアルバムがロックンロールアルバムとして成功している事実を踏まえても、更に著者が鍵盤入りのロックに非常に甘いという極個人的嗜好を加味しても、やはりギター無しのロックというのは非常に音的イメージ思い浮かべるのが難しい。実際、2ndからロック色が薄れていくのはギターを有しないバンドの宿唖であったかもしれない。
が、この1stアルバムに限り、ギターが存在しないという事実も全く気にならないくらいくらいロックしてくれている。
メンバーは
Ben Folds (L.Vocal&Piano) Robert Sledge (Bass&Vocals) Darren Jessee (Drums&Vocals)
オンリーのトリオ演奏で、唯一ラストナンバーの#12『Boxing』でヴァイオリン、ビオラ、チェロが使用されている他は、少々サンプリングとSEが使われているのみのシンプルな演奏である。そのサンプリングにしても、目立つのは#3『Julianne』のSEと、出世シングルになった#6『Undreground』の冒頭だけくらいである。
つまり大部分をピアノ、ファズ・ベース、ドラムだけで表現しているのだが、ソリッドな印象よりも奥の深い、練りこまれたサウンドに聴こえるから不思議である。ユニークなコーラスもこの単純な楽器に華を添えるのに役立っているのだろうが。それにしても3ピースとは思えないサウンドである。しかもライヴ感覚満載−実際アメリカで筆者は2回ライヴを見る機会に恵まれたが、アルバムテイクと殆ど遜色のない演奏を披露してくれていた−のスタジオで創り込まれた音には絶対に聴こえない音である。
ブンブンと振り回すファズ・ベースに、メインのラインが表現できるくらいに唄うドラムス、そしてある時はガンガン叩きつけるドラムのように、またある時は叙情的な美しさを聴かせるBen Foldsのピアノ。兎に角、この人のピアノは多様な音を出してくれる。元ベースとドラムのプレイをしていたというのも頷ける。
自分たちを「Punk Rock For Sissies=泣き虫パンクロック」と呼んでいるのは最早有名だが、パンクと言うよりフリージャズと等価のフリーロックスタイルのような、流麗でそれでいて荒々しいロックサウンドのような感じがする。
フリーというと難解な音楽性を連想させてしまうかもしれないので、一応述べておくが非常に分かり易い音を基本にしている。むしろ、ピアノロック=アダルト・コンテンポラリー・オンリーの既成概念から自由になったというニュアンスでのフリーと読んで戴ければ幸いである。無論、このアルバムにはアダルト・コンテンポラリー性も充分に含まれているのは断るまでもないか。
さて、曲も素晴らしいがそれより歌詞が、大好きなバンドである。Ben Foldsという人が書く歌は、クレヴァーなオタッキー満タンの詩である。・・・何を言いたいのか自分でも難しいのであるが、芸術性や文学性も勿論感じることのできるかなりのソフィスティケイテッドされた世界を構築させつつ、反面、粗野な感覚やマニアックな根暗さというか、オタクの拘りのような主張が感じられてならないのだ。In And Outで考えるとInなオタクであるように思える。
つまり非常に頭の良い人で普段はオタクらしさを見せないけど、内面は滅茶苦茶オタッキーなヤツ、という印象を勝手に著者が創り上げてしまっているだけであるのだが。
いわば、70年代シンガー・ソング・ライター的な純粋さよりも現代的な複雑な性格のライターとでも表現できようか。うむむ、書けば書くほど言いたいことが不明瞭になってきたので、中止。煎じ詰めれば現代的な神経質さを持った詩人といえるかも。
#1のビートの効いたジャンプナンバーの『Jackson Cannery』の一節。
♪「Stop The Bus.I Wanna Be Lonley.When Seconds Pass Slowly.And Years Go Flying By.
You Got To Stop The Bus.I’ll Get Off Here.Enough’enough.I’m Leaving This Factory」
「降りるで。ほっといてくれ、独りになりたいんや。時間はゆっくりしか進まんのにあっという間に歳とってしも
たわ。ほれ、バス停めれ。ここで降りるんや。もうたいがいや。こないな工場辞めたるわい。」
最高にロックなメロディもお気に入りの#2『Philosophy』。この歌の歌詞は実に示唆的でしかもオタク的頑固さ満載だ。
♪「Don’t You Look Up The Skyline.At The Mortar , Block And Glass.And Check Out
Reflection In My Eyes.See They Always Used To Be There.Even When This All Was Glass.」
「モルタルやコンクリやガラスで縁取られたこのビル群を見てみい。ほんでオレの目には何が見えてるか瞳を
覗いてみそ。このあたりがただの緑の草原やった頃から、オレにはこの都会の摩天楼が見えていたんが分か
るやろ。」
♪「So You Can Laugh At All You Want To.But I Got My Philosophy.And I Love You. You
Are My Friend.But You Got No Philosophy.Now It’s Time For This Song To End」
「好きなだけ笑い。そやけどボクには確固たる哲学があるねん。ほんでキミのことは好きやで、何たって
友達やさかいな。そやけど残念ながら、キミには哲学がないねんなあ。しゃあない、この話はやんぴにした
方がええやろ。」
実際曲と一緒に聴くのが一番なので、これくらいに勝手方言和訳は打ち止めにしておくが、実に個人的な感性に直撃する歌詞である。まあ、筆者もオタクだからしてシンクロしているのだろうが。(笑)
歌詞的には#3『Julianne』も実に退廃的いうか青春の迷走という感じで面白い。勿論、ガラスの割れるようなSEで始まるパンキッシュなラフなロックソングであるところも大好きな点だ。
#5『Alice Childress』の美しいバラードナンバーは曲も良いし、都会の生活での孤独と言うか人間の汚い部分に幻滅したアリス・チャイルドレス(この子供でない的なニュアンスともとれる名前の付け方のセンスは最高。)へのメッセージ的な歌はBen Foldsのナイーヴな内面を吐露しているようで実に深い詩である。
前述したラジオヒットシングル#6『Underground』は間の抜けたようなコーラスと跳ね回るキャッチーなメロディが文句無しで、さすがに英国でもシングル化されただけのことはある。彼らの代表的な曲なのは間違いない。しかし、アングラで幸せという歌にはやはり屈折と言うか、現代社会の冷たさを批判しているようなメタファーが見えて、技あり的な感覚を手放しで賞賛したい。
メロディ的に#2と双璧な#7『Sports And Wine』は歌詞はそこそこであるが、スピーディでしかもスゥイング感が溢れる演奏は最高だ。ドラムソロのパートは鳥肌が立つくらいで、このアルバムの演奏では#2のピアノの乱れ弾きに匹敵するくらい大好きな箇所。#9の『Best Imitation Of Myself』もメロディ的に同じくらいお気に入りである。自分を偽ること、虚飾への自己嫌悪というテーマで唄われる歌も、等身大な思いがして、共感を覚えることひとしおだ。
英国的センスと言うか初期のSteely Danのようなアーバンでスノビッシュなメロディがグルーヴィな#4『Where’s Summer B?』はこのバンドのパンク的な魅力以外のクレヴァーな要素を具現化したようなナンバーで、シングルとなったのも頷ける。ちなみにインディ時代にこのアルバムのリリース前後を含めて#1、3、4、5、6、8がシングルとしてリリースされている。インディバンドとしては異例のカット数の多さが彼らの曲のヒット性を示していると考えられるだろう。
ホンキィ・トンキィなピアノとぶん回すベースの掛け合いが楽しい#8『Uncle Water』も非常に気持ちの良いナンバーである。ややサイケディリックなナード感のあるメロディは、彼らをロックバンドとして聴ける要素を増やしてくれているように感じられる。あまり流麗なナンバーばかりではアダルト・ピアノアルバムになってしまうだろう。・・・それはそれで好きではあるのだが、やはりBen Folds Fiveの魅力はロックバンドであることだ。
#10『Video』の黄昏た独白といい、#12『Boxing』の「老い」への悔恨と言い訳といった、スローなメロディに乗せて歌われるBenの世界は、文学的とも表現できるし、且つ結構後ろ向きというか他力本願的な弱さも伺えて、本当に身近な感性で理解できる・又は反論可能な歌であると思う。聴けば聴くほどに、自分の行き方に疑問を投げかけてくれる。この2曲はやや地味なメロディよりも、歌詞に耳を傾け、自己に問題提起をするのも良いかもしれない。
それにしても、当時は凄いピアノロックが現れたものだと、驚かされたのだが、どんどん尻下がりになってしまったのは非常に残念である。アップテンポなやや崩れたロックを、英国的なデリケートなセンスを踏まえて聴かせてくれる、全く愉快で独創的なバンドであったのに。
ソロでの活動は正直期待していない。グループ在籍中にBen Foldsが立ち上げたプロジェクト『Fear Of Pop Vol.1』があまりにも実験的過ぎる、ポップとは程遠い内容であったし、最後の3枚目のアルバムが「泣き虫パンク」のなの字も感じられない駄作であったからだ。
次に筆者を虜にしてくれるギターレスバンドは出現してくれるのだろうか?The Doors以来の驚きバンドであったBF5までかなり時間がかかった。(無論Doorsはリアルタイムでない。)願わくば、近いうちに出現して欲しいものであるが、難しそうである。 (2001.7.2.)
Rumble / Tommy Conwell And The
Young Rumblers (1988)
Roots ★★★
Rock ★★★★★
Pop ★★★★
Blues ★★
まず、Tommy Conwellの名前を覚えていて、彼が来日までしていたことを記憶、または実際にライヴへ足を運んだ人がこの拙文に目を通す機会があるならば、こちらも是非読んで頂きたい。Hooters関連のアルバムの充実度がかなり凄く、Tommy Conwellのディスコグラフィーは特別なスペースで紹介されている。
このレヴューを書くに当たって、Tommy Conwell & The Young Rumblers(以下、TM&YR)の情報を集めなおそうとしたが、何処にも情報が皆無に近い状態であり、非常に苦心した。というか早めに諦めて、自分の記憶と少ない関連情報から駄文を綴ることにした。
上記のHPの管理人ゆみさんの方が遥かにお詳しい。何とTommyとお知り会いであるそうだし。その、ゆみさんの情報によるとTMは現在小学校の教師をやりつつ、インディで活動しているそうである。2枚のメジャーアルバムをリリースしたアーティストとしてはやや寂し過ぎる気がする。
このメジャーデヴューアルバムはそこそこのヒットを記録しているが、通算で3作目(1986年にフィラデルフィアにてデヴュー盤をリリース。CD化はされていない。)・メジャーで2枚目の1990年リリースの『Guitar Trouble』が内容・セールス共に最悪であり、インディ落ちしてしまった。
丁度、全米にヘヴィロック・グランジブームの嵐が吹き荒れ始めた頃で、TM&YRのような音はリスナーに敬遠され始めたことも起因したのだろうが、1997年の4thアルバム『Sho’s Gone Crazy』まで7年の間音沙汰がなくなる。このアルバムではバンド名が『Tommy Conwell & The Little Kings』と変わってしまっている。ゆみさんによれば、この後もう一枚アルバムをリリースしているらしいが、作者も何処にも見つけることができなく、名前が『Hi−Ho Shilver』ということとレーベルが倒産しオクラ入りの可能性もあるらしいことしか判明していない。是非聴いてみたいのだが・・・・・。彼の音楽の原点であるブルースカラーが何処まで出ているか非常に興味がある。
さて、つい先に述べたように、TC=ブルースシンガーという印象が強いようであるが、自分としてはブルースは確かに彼の音楽性の基本ではあるが、TCはロックシンガーであると捉えている。
むしろ、Bar Band的なサザンブレーバーに溢れた音楽が魅力ではないかと思う。勿論、ブルージーであることには異論はない。特有の重量感のあるメロディは単に重いだけのヘヴィロックとは一線を画していることは間違いない。絶対にパール・ジャムやリンプなんぞのボケカスバンドとは同じ枠では括れない。
ヘヴィだけがロックの魅力でないことがTommy Conwellのアルバムを聴くと改めて認識できる。が、あまりブルーステイストを加味しすぎると3rdアルバムの如く大ハズレになるのだけど。この『Rumble』に関しては、見事に卑近な表現をすれば「売れ筋の音楽」とバー・ロック的なルーツテイストが実に等価としてミックスされていて、がっちりとしたロックアルバムとして仕上がっている。
というか当節の流行だった産業ロックの香りを残しつつ、アメリカン・ルーツにアプローチした音楽であろう。80年代後半という時代は何故か、ルーツロック的なテイストを持った且つメインストリームのアメリカンロックのレールを踏み外さないロックがかなり台頭した時代であると位置付けをしている。
例えばOne way Home / Hooters (1987) 、 Georgia Satellites (1986) 、 The Way It Is /
Bruce Hornsby & The Range (1986) 、 Fore! / Huey Lewis & The News (1986) 、
Tunnel Of Love / Bruce Springsteen (1987) 、 The Lonesome Jubilee / John Cougar
Mellencamp (1987)
と中にはHeartland Rockも含まれるが、メジャーなヒット作でもこれくらいのアルバムがぱっと思いつく位である。
ややこのアルバム『Rumble』はこれらの大物アーティストに比較すると格落ちするきらいはあるのだが、十分に王道的なアメリカンロックであると思う。というか、メジャーシーンで本物のアメリカンロックが売れた最後の時代の、更に最後のアーティストになるのではなかろうか。
これ以降、LAメタル、黒人のラップがチャートを席巻し始めるのだから、まさに端境期の一歩手前で届けられた一枚と呼べる。現在の市場性では、TC&YRがデヴューしてもきっとインディアルバムが関の山であるだろう。まして売れるということもあまり我らが国ではなさそうである。故に曲がりなりにも脚光を浴びれた分、このバンドはまだ単にインディに埋もれたバンドにならなかっただけ幸運かもしれない。
さて、メンバーについても軽く触れておこう。Tommy Conwell (L.Vocal&Guitar)を筆頭に
Christopher Day (Guitar) 、 Jim Hanum (Drums) 、 Rob Miller (Piano、Organ、Synth)
Paul Slivka (Bass)
の5人組である。ご存知かもしれないがRobはインディ活動時代のHootersのベーシストであり、健康上の理由でAndy Kingと交代した経歴を持っている。Hooters時代はもう一人のRob、Rob Hymanが鍵盤を担当していたのでベースに回っていたが本職はキーボードの方なので、こちらの方がHooters時代より良い演奏をしているように感じるのは鍵盤好きなための錯覚だろうか。とはいえこの人はサックスからギターまで何でもこなせるマルチプレイヤーであるのだが。
しかし、何時聴いても思うのはプロデューサーのRick Cheritoffの影響力が強いということである。言うまでもなく、この人は「6人目のHooters」と表現できるくらいHootersのメジャーアルバム3枚にプロデューサーやソングライターで深くコミットしているが、この『Rumble』を非常にHootersの『Nervous Night』と『One Way Home』の中間の音のようなロックアルバムに仕上げている。
率直な感想は「The Children Of Hooterization」であり、「Younger Btother Of Hooters」である。ルーツロックを叩き台にしたストレートでキャッチーなロックと言い、適度にアーシーな感覚が内包されたラフなスタイルといい、Hootersの後継ぎ的というかフォロワーとしてアルバムを作っていくのでは、と当時は思わせた音であった。
が、次作以降は不必要に重くしたようなアレンジと曲調が災いしてか、このアルバムで楽しめるロックの疾走感や開放感はあまり垣間見れなくなってしまう。3枚目では(実際は4枚目)やや吹っ切れた感じがしなくもないけど。
ジャケットのファッションにしても同じ街の出身であるHootersへ右へ習えしているような気がしてならない。メンバーが平等に写っているのはHootersと異なる箇所であるとは思うが。(笑)
基本路線はHootersというかRickカラーであるが、Hootersがマンドリンやメロディカを使用してレイドバック感を表現しようと試みているのに対して、TC&YRはどこまでも直球勝負なロックンロールであるところが異なる点である。
ともすれば単調さが鼻につくアルバムになってしまう方向性であるが、この陥穽に陥らないで済んでいるのは、やはり曲の良さであると思う。
特筆すべきは稀有なメロディメイカーの一人であるJules Shearが『Reckless Sleepers』名義でリリースしたアルバム『Big Boss Soul』で同年に披露している#3『If We Never Meet Again』のカヴァーである。ミディアムでキャッチーなロックのお手本のようなこの曲はTCのブルージーな路線からはやや外れてしまっている感が強いけど、やはり名曲である。日本でもシングルとなってヒットしたので覚えている方も多いかも。
更に#9『Tell Me What You Want Me To Me』ではJulesと共作をしているのは更に驚きである。Cyndi LauperのデヴューアルバムでShaerも曲を提供しているが、その際にRickやHootersのEric BazillianやRob Hymanとの人脈ができた故での参加かもしれない。この辺は筆者の知識では不明である。が、やはりJules Shearが手を入れた曲だけのことはあり、これもブルースフレイヴァーよりもシンプルな基本的ロックな躍動感溢れるナンバーになっている。
そして、前述のHootersのコンビとRick Cheritoffが協力して仕上げた#2『Half A Heart』もHootersが演奏しても何ら違和感のないやや産業ロック的な流麗さのあるロックチューンとなっている。コーラスの入れ方や鍵盤類のアレンジもやはりHootersっぽい。つまりは良い曲であると言うことだ。
もう1曲Rick Cheritoffが共作者として名前を連ねているのは#6『I Wanna Make You Happy』である。こちらはややTCの嗜好が強く出たのか、黒っぽさの漂うブルースロック的な色合いが強いが、嫌味になるほど濃過ぎではないので、ロックナンバーとして聴ける曲である。
残りの曲群もルーツロックと産業ロックのバランスが微妙にマッチした程よいスピーディさとヘヴィさが織り込まれた良作揃いである。
但し、問題はヴォーカリストとして、Tommy Conwellがあまり魅力的でないところは、非常に瑕疵な部分であると考えている。確かに粘着力の強い、ソウルフルなヴォイスであるのだが、あまり惹き付ける魅力がないように思える。単に重たいブルースだけ演奏しているならそれなりに様になるであろうヴォーカルスタイルであるとは思うのだが、このようなロックアルバムを通しで歌わせると、化けの皮が剥がれるというか飽きが来てしまう類の声であると、残念ながら評価としては辛くなってしまう。
#1の小ヒットとなった『I’m Not Your Man』や#5の『Workout』のようなハードドライヴィンなロックナンバーを力任せに歌うのには適したヴォーカルだろうし、これの曲は大好きであるが、やはり長く印象に残る声質ではない。
やや哀愁の感じられるこれまた日本でシングルになった#4『Loves On Fire』のようなナンバーよりも豪快にサザンロック風にロックしまくる#7『Everything They Say It True』や#10『Walkin’On The Water』の方がTCの魅力をより一層際立てることが可能なナンバーであると思うが、やはりB級というか丁寧なヴォーカルではいまいち力量不足を感じざるを得ないのは#8『Gonna Breakdown』を聴くと明白である気がする。
しかしながら、メロディ的にはどの歌も素晴らしいので、単純にロックアルバムとしてそのパワーを満喫するのには非常に良いアルバムであると思う。
1980年代のメインストリームであった、アメリカンロックの最期の方に位置する良作であることは間違いない。これ以降はヒットにも恵まれないのは残念であるが、アルバムのクオリティから換算すれば仕方ないことであるかもしれない。やはりメジャー2作目が悪過ぎたのではないだろうか。評論家筋の受けは良かったらしいけど。
ロックをロックとして純粋に堪能できるアーティストであるし、ブルースロックが大丈夫な方なら全てを通して聴いてみても良いと思う。
1999年にバンドとしては8年振りにリユニオン・ツアーを行っているが、これでまた再結成とはならず、メンバーは個々の仕事に戻ったそうである。ライヴのできるバンドが地道に活動すれば、それなりの人気と評価を得て、メジャーへの道が開けるような土台が出来てきているので、ぜひともTC&YRにはもう一花咲かせて欲しいのだが。
ギタリストのChristopher Dayは今年2001年にソロ作をレコーディングする予定であるそうだが、他のメンバーに関しては活動的な情報はまるで入ってこない。
兎に角、依然活動は続けているようだがあまり楽観的な状況では無い様である。
せめて、幻になりつつある通算5作目の『Hi−Ho Shilver』だけは聴いてみたいのだが。困難なようである。
(2001.7.6.)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||