Against The Wind
    / Bob Seger And The Silver Bullet Band (1980)

   Roots         ★★★

   Pop         ★★★★☆

   Rock      ★★★★

   Southern ★★★  
        


  Against The Wind 移ろい小考

  『Against The Wind』とは何なんやろか?
  そないなことは、このアルバムを、曲を初めて聴いた頃は考えもしなかった。
  学校で良い子にしておれば、何もかも上手く行くように思えた。まだまだ、隣りに気になるあの娘が座ってくれたらええなあ、何て席替えにドキドキしとったようなジャリタレに、ボブの歌が分かろう筈もないわな。
  英語の授業いうんも、発音もヒヤリングもトーキングも全然やらへん役立たずなモノやったし。実際に聴き取りが当時でかたかも定かやないし。
  高校受験なるものもはっきしいうて真剣に勉強したことはなかった。勉強と称して部屋でヘッドホンから流れてくる洋楽のヒットソングに心が逝ってしもてたし。もっとも、高校受験の頃はBob Segerの歌は『Roll Me Away』や『Even Now』やったけど。
  ここでも単に「学校をサボる」とか「指定のシャツを着てこない」程度のくだらない規則破りが、当時考えうる『Against The Wind』やったようだ。
  ただ、やはり周りとはかなり変わった学生やったらしく、授業中に教師の言うた発言に対して訂正を求めて丸々喧嘩腰の議論を始めて授業を潰したり(周りから感謝されたけんね)、テストで字がババイいうて正解を6つもペケにした教諭とこれまた1時間睨み合いして授業を潰したりした。
  結構知らん生徒から、委員会で班を組んだとき「MOTO君でしょ。アンタ有名やしね。」とか言われて面食らったりしたけど、まんざらでもなかった。
  つまらない授業しかせえへん数学の教師に「つまらん」ってはっきり発言して、退出を強要されたこともあった。
  他人と違うことやっとれば、それで得体の知れない満足感を得てた頃、それまた『Against The Wind』と考えてた頃があった。
  そやけど、学校のガラス割りまくったり、気に食わない生活指導のオヤヂをボコにしたりするような度胸はなかっただけかもしれんけど、それは格好悪いと考え、独り悦に入っていたこともあった。
  孤高なることが『Against The Wind』やとも思い、ナルシスティックな自尊心を弄んでいたのもこの頃。Bobの歌は『Like A Rock』になっとった。
  紆余曲折を経て、貧乏学生となり、家賃が1万円台の金閣寺のそばの下宿屋に落ち着き、生まれて初めて自由に選択が可能な生活を始めた時、あまりに開放感があったため、『Against The Wind』も『Fire Lake』も完全に何処かへとほかしてしまった。

  ♪「Caught like a wild fire out of control.Till there was nothing left to burn.」♪
  ここまでは夢中になって何かをしたかというと、恐らく何もしてへん。どっかの講堂で立てこもって国家権力の走狗とどつき合いをしはった世代から見たら、絶対ぬるま湯な生活やったろうし。

  ♪「And I remember what she said to me.How she swore that it never would end....」♪
  こないな劇的な愛情劇場の舞台に立ったような覚えは全くないねんけど(涙)、まあそれなりの幻想と幻滅を経験して、それまで分からなかったことを理解したような気分にもなっていた。
  そして、4年間の猶予期間が終焉。どないしてもネクタイ締めて、電車乗って仕事するんが嫌で、セコく貯め続けた金をはたいて国外逃亡。杜と湖の国で初めて真剣に語学を学ぶ。『Fire Inside』のツアーを見た。これはめっちゃ想い出になる。
  そやけど、この頃から

  ♪「I began to find myself searching ,searching for shelter again and again」♪
  というフレーズが耳に痛なってきたんも確か。「楽したい。そやけど、それやったらダメ人間。」という虚栄と現実の狭間で煩悶を始める年齢になってきたような気もした。とはいうても異国で暮らすのはめっちゃ刺激的やったし、こっちの生活の方が向いてるんやないかなあ、って考え出した。結局金が尽きて帰国するねんけど・・・・。
  
  ♪「Seems like yesterday.But it was long ago」♪ ♪「And the years rolled slowly past」♪
  いうようなフレーズがしみじみと感じられるようになってきた。20代前半までの生活はまさにこの2つに集約されるよう。

  ♪「We were young and strong ,we were runnin’ against the wind」♪
  社会人と呼ばれる身分になって、色々なシガラミいうものに縛られるようになって、ようやっとこれが気概やあ、って思うようになってきた。上司の言うことをハイハイと聞いて、日々生きていくだけやったら何がおもろいねん!って思えてきたんは、職場の環境にあんまり恵まれなかったこともある思うねんけど、「つまらんオヤヂにはなりたない。」いう強迫観念みたいなモンがあったように感じる。省みれば歳取ることへの惧れの裏返しやったかも。

  ♪「I found myself alone.Surrounded by strangers I thought were my friends」♪
  そやいうても、出る釘は打たれるし、煙たがられるんはあたし前。結局、「余計なことは言わないこと。」「危ないヤツとは距離を置くべし。」と賛同は得られんかった。仕事はそれなりにやってたんで、結局扱いに困って昇進と同時に飛ばされるいうパターンを繰り返して、気が付けば同期で出世頭になっとった。
  そんなんちいとも嬉しなかった。言いたい事言わん限り、現状は変わらんのに。結局どっかに蹴り出されるだけ、いうんが分かったのと、上司に干されたのが相まって辞表を叩き付けたんが20世紀最期の年。
  Bob Segerの名前は久しくシーンから消えていた・・・・・。
  ヒトは何処までも独りねんなあ、って自由人になり、漫然として日を過ごしながら思う日々。世間的には一部上場大企業にケツを捲ったんにとやかく言われるんが鬱陶しかった。

  ♪「I found myself further and further from my home.And I guess I lost my way.」♪
  漂泊いうか、ホンマに何もやる気がのうなって、自分のいる所がわからんくなってきた頃、『Against The Wind』の意味、その歌に込められた生き方、強がるだけでなく「searching shelter」のフレーズで年齢を重ねることで惹起してくる弱さいうことすら正直に独白した歌詞が、めっちゃ沁みた。
  冬の河原で寝転がりながら、繰り返しこの歌を聴いて過ごしたこともあった。
  数ヶ月の充電せなアカンなあ、ってのんべんと日々を過ごすうちに親父が頓死し、急激に状況が変化してもーた。
  泡を喰った訳やないけど、意外にスルスルと再就職活動を再開でけた。かなり早く結構良い条件で新しい場所を発見、これが帝都での勤務やった・・・・・・・。

  ♪「Against the wind.I’m runnin’against the wind.I’m older now but still runnin’ against the wind.
    Against the wind.」♪
  結局、どのような生き方が『Against The Wind』なんかは未だにわからへん。
  反抗すること、これだけやっとった訳やないけど、言いたいことははっきし言うてきた。利口な生き方やないとはよう分かっておる。後悔したことやってぎょうさんある。作らんでエエ敵も作ってきた。
  そやけど、短い人生、やっぱし自分のやり方を貫くのが『Against The Wind』なんやないかな、って最近考えるようになった。周りととことん上手くやるんも、イイヒトであり続けるんも、きっと『Against The Wind』やろなあ、って今までセコイ立ち回りや内心軽蔑してきた振舞いも、そんなん思えるようになった。
  でも、許容し理解するいうんと、自分の道を行く、いうんは全然別やと思う。
  10年・20年後、自分がどないになってるんか分かろう筈もおへんけど、きっとこの名曲・名盤はラックに収まり、時折プレイヤーに乗ってるやろし、「I’m older now but still runnin’ against the wind.」な自分でありたい。
  切にそう願う。
  順風に乗り、流されるより逆風でも我が道を進む人間でありたい。
  このアルバムを聴くたびにそないに感じるようになったのは、年齢が自分という人間に降り積もった証なんやろかなあ、って考えると
  「Seems like yesterday.But it was long ago」
  「And the years rolled slowly past」
  が更に感慨深い。が思い返せば常にアメリカンロックは変わらずに傍にいた。これからも、死ぬまで傍にいて欲しいと思う。
  以上、ロック中毒オヤヂの回顧録。  (2001.7.16.)


   The Late Late Late Show 
        / The Thompson Brothers Band (2000)

    Roots     ★★★

    Pop     ★★★★☆

    Rock   ★★★☆

                          Reviewed By ひろさん


  このバンド、MOTOさんからいただいた2枚目のCD-Rに収録の『Wanderlust』を聴くまで、僕は全く知りませんでした。おおお
  パワーポップの名曲!と盛り上がり、何度もリピートして聴いていたのですがその話をMOTOさんにしたら「最初のCD-Rにも彼らの『Half Your Life』って曲を入れたのに」との返事。
  すいません、気付きませんでした。だけど曲調かなり違うんですよね。
  で、アルバムを聴いてみると・・・うーん、やや渋め。「ルーツ寄りです」というMOTOさんの言葉通りでした。これの1つ前のアルバムはパワーポップな作りだそうなので個人的にはそっちを是非聴いてみたいのですが。
  
  1曲目『Hit Me Hard』はジョージア・サテライツ風(MOTOさんこの手のCD何枚くらい持ってるんでしょうかね・・・)。
  ▲(答え:数えたことあらへんです。^^;)
ローファイ・ラップな掛け合いが素朴でよいです。
  そして2曲目『Wanderlust』! わーい。70年代パワーポップのお手本のような曲。「キャッチー」を絵に描いたような素晴らしいメロディー。しかも泣けます。いきなり終わってしまう感じがもう何とも・・・。ああもう1回聴きたい〜。
  なもんで再び『Wanderlust』! 
  わーい。例えるならフォトメイカーの『Where Have You Been All My Life』あたりでしょうか。サビの循環コードがたまりません。このアルバムのクライマックスと言ってもいいですね。
  ああ終わっちゃった。いやあ良いアルバムだったな〜。停止ボタン。あ、まだ2曲目でした。
  3曲目『Fallin In』でまた渋くなります。うう。でも次のアコースティック・バラード『Out Of It』で復調。これ、メロディとかアレンジがストーンズの『As Tears Go By』ぽいですね。
  5曲目の『Half Your Life』が終わるとこのアルバム第二のピークが訪れます。マンドリンにリッケンバッカーがかぶさるイントロからして昇天ものの6曲目。ファストボールの『The Way』にも似た泣きのメロディが秀逸で、「くせー」と思いつつ愛聴してしまいます。タイトルは『哀愁のチェイン』・・・嘘です。
  本当は『Draggin Those Chains』。
  次の『Now』はちょいザ・バンド風。
  そして8曲目、『Honky Tonk Women』じゃなくて『Ain't Got No Reason』。ジョン・クーガー・メレンキャンプを思い出したりもします。
  9曲目はタイトルがいやでも目を引く『For What It's Worth』。なんと60年代風サザン・ソウルです。それにしても、このタイトルで全く別の曲を作るとは、大した度胸ですね〜。(ホメてます)。
  10曲目『Come Down』はエコーのかかったギターが妖しげなスロー・ナンバー。「なんかクリス・アイザックみたいでいいなあ」と浸っているとその曲は3分も経たずに終わってしまい、次へ。
  ラストの曲『No No No』は「結局アメリカ人はこれかい!」と禁句を洩らしそうになるアーシーなロックンロール・ナンバーです。
  きっとライヴではラストにこういう曲を演って盛り上がるんでしょう。
  うーん。でも何だかんだ言いつつ体が動いてしまうのは何故なんでしょうか・・・。
  きっと僕の使命はこのアルバムがパワーポップ・ファンにとって「買い」か「買いでない」かを知らせることだ、と勝手に思っているので書きます。『Wanderlust』1曲のためだけでも「買い」です!
  ・・・と本当は書きたかったのですが、これメジャーのBMGから出てたくせに現在CDNOWでも購入不可です。
  もう廃盤? なので、偶然見つけたら即買いましょう。どうしてもダメならMOTOさんにお願いするってことで(笑)。
  
  ▲(註:The Thompson Brothers Bandは結構大手のRCAから3枚ともリリースを重ねてますが、どのアルバムもプレス数が極端に少なく、すぐに在庫が切れてしまいます。で、ほどほど売れてるけど、物凄いセールスを記録してないため、増プレスも少なく敢え無く廃盤というパターンが続いてます。よく契約が続いてるもんだ・・・・。) 

  ▲は管理人注釈です。


  毎度毎度のお誘いに〜♪と、招き猫は手招きしないだろうが(謎)、何故にこの国ではこれほどの素晴らしいバンドが常のこととはいえ、全くと言って良いほど、顧みられないのであろうか。本邦での、「格好良いとか、ロックだ。」とか言われている、つまらない雑音にしか過ぎないオルタナヘヴィ系のみ有り難がたがる現在の風潮では、叫べば叫ぶだけマイノリティの遠吠えになってしまうけど。
  毎度毎度のこととはいえ、やはり忸怩たる思いが強い。少なくともアメリカン・ポップ&ロックが好きであるなら、是非この『The Late Late Late Show』は個人輸入してでも聴いて欲しい1枚だ。
  とはいえ、入手について言及するなら、ますますアングラ化が進行しているような気がしなくもない。まずはこのジャケット。モノクローム系の渋いといえば確かにシブイ、と言えなくもないが、悪く言うと手抜きとか金かけてないというしかないかもしれない。(笑)
  インナーに至っては、ブックレットという形ですらなく、ドインディのように1枚の正方形のラテックス紙に最小限の情報が記載されただけで、どのアーティストにも定番な「Special Thanks」すら書かれていない。
  てっきりインディ落ちしたのだろう、と考えていたが、上にも記載されたようにそこそこの著名レーベルであるRCAで契約し、BMG配給という形は全くデヴュー時から変化していないので、ほっとするやら物足りないやらであったが。前作である初のフルレングスアルバムである2nd『Blame It On The Dog』−「犬のせいにする。(何をや)」ではカラフルなジャケットでインナーもしっかりしていたのだから、この落差は普通に考えると資金不足としか思えない。
  前作は日本にも少数輸入されているらしい。松山市の某大手輸入レコード店で安売りされていたそうであるから。(情報提供:YAS21さん)やはり売れないのだろうなあ。(涙)
  まあ、ちゃんとメジャー系からリリースされたことを素直に喜んで、先に進もう。
  先にひろさんが、特に各曲についての素晴らしいレヴューを届けてくれたので、まずはこの「The Thompson Brothers Band」について補足の形で解説をすることから今回は始めてみよう。
  1枚の6曲入りミニアルバムであるデヴュー盤『Cow On Mainstreet』(1996年)を含めてたった3枚のアルバムしか彼らはリリースをしていないが、グループ結成は1986年まで遡ることになる。つまり今年で15年選手になる訳である。もっとも1986年に彼らがボストン郊外のThompson家の地下室でプレイを始めた時は、皆10代半ばであったのだから、まだまだメンバーは20代後半である。ヴェテランと呼ばれる年齢ではない。
  ベーシストでありヴォーカリストでもあるMike Whittyはこう回想する。
  「初めてトンプソン兄弟に出会ったのはまだ12歳、中学生の時さ。その後バンドで活動し出してからは15年もずっと一緒にいるんだから、もうトンプソンの養子になったみたいなもんだよ。」
  「僕たちは3人ともリード・ヴォーカルを担当するし、ハーモニーも共同で歌っている。」
  と後にも述べるが、バンドの最大のプライオリティの1つである多彩なヴォーカル・パフォーマンスを強調するのは
Matt Thompson (Drums&Vocals)である。
  「僕たちが書く歌は僕たちの周りにいる人達や出来事だよ。それらが本当に経験したいことなのさ。」
  とのたまうのはバンド名の由来でもあるもう一人のThompsonのAndy Thompson (Guitars&Vocals)である。

  Matt Thompson (Drums&Vocals) 、 Andy Thompson (Guitars&Vocals)
  Mike Whitty (Bass&Piano&Vocals)
  
  この3人が本格的にバンドとして始動するのは、共にボストンからナッシュヴィルへと1991年に移ってからである。
  ナッシュヴィルのベルモント大学で音楽関係の単位を取るために進学した場所が、ルーツ&カントリーのメッカであったことはある種の運命を感じないでもない。
  彼らは在学の傍ら、朝の3時までバーやクラブで演奏活動をするようになる。
  バーボンの臭いと煙草の紫煙・・・・・いかにも雰囲気が、酔いどれな感じが漂う。彼らのルーツ系というかカントリーミュージックへの傾倒はこの演奏活動時にしっかりと根付いたと見てよいだろう。
  「最も影響を受けたのはSteve EarleとWillie Nelsonだけど、カントリーを作ってはいない。もっとロックンロールをやりたいのさ。僕たちはもっとロックよりさ。Garth BrooksよりClashみたいにね。」
  とMike。
  次第にオーディエンスの支持を受けるようになったこの3ピースは、ある程度の稼ぎをギグでできるようになり、大学を中退して、音楽活動に専念するようことを決意。レコーディングをするための曲を書きつつ、ナッシュヴィル周辺でライヴ活動を精力的に続ける。
  そして評判を聞きつけたRCAと1995年に契約してから、4年で3枚という(1996−2000年)かなりのコンスタントさを保ってレコードリリースを開始し現在に至る。

  前の2枚のアルバムはどちらかというと、ルーツ系の、そしてカントリー系の臭いはあるが、ポップでナチュラルなサウンドが売りのパワー・ポップバンド−ルーツ・ポップバンドと言っても間違いではないが、どちらかというと前作のプロデュースを担当したBill Lloyd的なパワー・ポップさが目立っていた。
  前作からカントリー・ポップ的なシングルである『Back On The Farm』がカントリー系のMTVで全米でヒットしたりもしたが、自身で表現するように、やはりアメリカン・ポップロック的なアプローチが強いバンドであった。
  今作『The Late Late Late Show』も基本的な姿勢は全く変化していない。
  が、最初にアルバムを聴いた時は正直「ゲッ!!」と思った。ひろさんも述べているように、アーバンラップとまではいかないが、Bar Rock風の野暮ったく重たげなラインに乗せて、トーキング的なMattのヴォーカルアレンジは、ミクスチャー的なラップリズムを取り入れた私的に大嫌いな方向性に行ってしまう可能性があったからだ。この#1『Hit Me Hard』は。このようなコテコテなルーツテイストとラップ的な歌唱方法はこれまでになかったものである。これでメロディが悪かったら一撃で放り投げたかもしれないが、キャッチーでルーツィなナンバーに仕上げているのはさすが。
  で、次の#2『Wanderlust』で常日頃のポップさを披露してくれたので、更に一安心した。確かにThe Thompson Brothers Band(以下TBB)らしいドキャッチーでシンプルな傑作である。
  が、またまたべったりな南部テイストのルーツナンバー#3『Fallin In』でターンテーブル的なシークエンサーやノイジーなドリルでも使って弾いているようなギターが、酔いどれピアノと共にフリースタイルで演奏されているので、またまた不安になる。この2つがなければ大好きなホワイト・ブルースロックなのだが。しかしポップでスワンプなので全然嫌いになれないとこは非常にニクイ。(笑)
 #1と3でかなり冒険しているTBBが本領を発揮し出すのが#4『Out Of It』からである。唯一外部のライターの曲であるこのストリングスとアクースティック・ギターのみの映画のサントラにも入っていそうなしっとりとしたバラードも今までにはなかった曲風である。これまた名曲だ。原曲は、TBBよりもややカントリーサイドのパワー・ポップを演じるDon Henry(Eaglesのホテカリオヤヂとは別人。ちと紛らわしい)である。こちらも柔らかいポップがお好きな方にはお薦め。
  次いでひろさんはスカッと流しているが(笑)筆者的には最大の傑作の#6『Half Your Life』が来る。オルガンのベーシックラインに乗せて、何処までもキャッチーでスピーディなメロディが実に快感である。気持ちよく叩かれるスネア・ドラムに小刻みなベースライン。そして彼ら最大の売りである、分厚いコーラス。ラストヴァースの直前でさりげなくインされるヴァイオリンのような(サンプリングか?)アナログシンセのダサい音。やはりルーツ感覚と速さが最高に好きな著者としては#2はそこそこ、#5が最高である。
  #6『Draggin Those Chains』でこれまたマンドリンが大陸的なというかブリット系の哀愁を感じさせるが、こういった曲も今回の新しい方向への挑戦であると思う。アーシーさよりも物悲しさが突出しているのは、美メロと呼ぶべきだろうか。ヴォーカルのAndyもいい味を出している。
  そしてまたまたマンドリンやアクースティックギターをメインとした素朴なしかし、非常にシンプルなスコアが爽やかなコーラスに絡む#7『Now』もこれまたお気に入りなナンバーである。「60年代のポップスが大好き。」とメンバーが口を揃えて言うが、まさにクラッシックなロック的な雰囲気が感じられる。
  8曲目はやや、ディレイをかけたYamaha DX−7(古いやんか!)のようなシンセサイザーと泥臭いギターの掛け合いとパワー満点なヴォーカルパートがバトルを繰り広げるこれまた明るいルーツナンバーである。
  #9『For What It’s Worth』は、「これでもか」というようなブルースロック的なギターリフからストリングスがかぶさり、メンフィス・ソウル風なフィーメールコーラスまで取り入れられているユニークな曲である。ひろさんは60年代サザン・ソウルと仰っているが、確かにモータウン・ソウル系なポップなライトファンクの原点のような懐かしさが漂う曲である。しかし、ここまで非常に多彩というか、これまでにない「何が次に来るか予想できない」としか表現できないようなびっくり箱ライクなロックアルバムに仕上げてくるとは想像も出来なかった。前作までのパワー・ポップ一辺倒とは全然違い、飽きが全く来ない。
  #10『Come Down』は、東海岸−TBBの出身のボストンやフィラデルフィアのバンドが好んで演りそうな、クールなスローナンバーだ。物凄く気怠るいギターにブルースハープのようなメロディカでもあるような小節が挿入されるとこはブルー・アイド・ソウルなところもあるように思える。
  そして、前の曲で締めても良かったのだが、Mattのガラガラとした声でパワフルに歌われる『No No No』がTBBがロックバンドであることを最後に再確認させてくれる。ホーンやクラヴィアントがふんだんに使用されたライヴ感覚そのままのドライヴ・チューンであるが、やはり60年代的なオールド・ポップなノリが見える、Old School Rockの典型なチューンで、これは踊れる。(笑)
  それにしても、ここまで色々なジャンルを取り入れて、しかもルーツ寄りのキャッチーなアルバムとして勝負をかけてくるとは想像できなかった。キャリアでは最高の傑作だろう。
  3人のヴォーカルは非常に厚くてしかも暖かい。また音域や歌唱法を曲によって変えているので、聴き飽きがしてこないのだ。ヴォーカル的には3人とも平凡であるが、そのビハインドをしっかりとカヴァーして、むしろ特色あるヴォーカルとして聴かせているのは素晴らしいと思う。
  今作ではこれまで以上に多様なインストゥルメンタルが使用されているが、レコーディング・クレジットが何処にもないため、詳細は皆目分からない。が、オーヴァープロデュースに陥りがちな、楽器の多に渡る使用をしながら、鼻につかないアレンジをしているのはこれまた絶賛すべき仕事である。プロデューサーのNiko Bolasという人を素直に誉めたい。・・・・やや異質な#1と3だけ違う人間がプロデュースしているが、さもありなんである。
  これはこれでメリハリがついて結果として良いアルバムになっているから。が、全曲このDavid Leonardという人物が手がけたらと想像すると、かなり怖い。(笑)
  ひろさんのお薦めのようにパワー・ポップファンにも聴いて欲しいが、アメリカン・ポップロックが好きな方にはマストなアルバムだ。入手はインディ系のショップなら可能なので、欲しい方は管理人までご一報を。纏め注文のついでに輸入がまだ今のうちなら可能です。
  と宣伝もして今回は終わろう。  (2001.7.29.)


   Turn Back / TOTO (1981)

     Industrial            ★★★

     Pop               ★★★☆

     Rock             ★★★★

     Adult Contemporary ★★★


  何年か前に「プログレロックの云々」という日本独自の企画オムニバス盤にTOTOの名曲『Africa』が入っていた。
  また、「AORの何とやら」という企画盤にもTOTOのこれまたグラミー曲である『Rosana』が選ばれていた。
  まあ、これらの曲を名曲として選ぶことに対しては何ら疑問の余地はないと思うのだが、『Africa』が果たしてプログレロックだろうか、というかTOTOがそもそもプログレロックと位置付けられるか甚だ疑問である。
  TOTOは確かに現在のロックシーンの中心であるオルタナティヴ系と比較すれば、シンセサイザーを多用し、アレンジが分厚いのは確かであるが、プログレロックと呼べるアルバムは1979年の2ndアルバムである、著者が初めて聴いた『Hydra』くらいではないだろうか。(1stはその後。)少なくともこの3枚目のアルバムである「Turn Back」はプログレッシヴとはかなり場所を異にするアルバムであると思う。後述するが。
  また、AORというのも遠からず、近からずという感じがするように思える。確かに、アルバム・オリエンディッドな曲風であるけれども、もっとロックなバンドであるように思えるのだ。もっとも、90年代に入り、イージーリスニング風の詰まらないアルバムばかり量産しているTOTOは悪いAORの見本であることに異論はない。
  繰り返すが、最近諸外国でも間違って使用されているAORという意味はAdult Oriented RockではなくてAlbum Oriented Rockである。前者の意味ではAdult Contemporaryが正しい。ACはAORよりもよりロックサイドに立った作品も含むので、こちらが定着してもらいたいものだ。
  さてさて、脱線してしまったが、TOTOとはどのようなバンドか、であった。産業ロックへの歩みよりもあり、また非常に緻密な演奏も見せる。そして王道的なポップセンスも内包しているバンド。
  やはりAdult Contemporaryやソフトロック系のアーティストであると思う。つまりは基本的なアメリカンロックの煌びやかさを強調したバンドなのだろう。
  しかし、TOTOが非常に良いバンドであり続けたのは正直4thアルバムの「W」までであると正直に告白しておくことにする。何と言っても1984年作品の「Isolation」が駄作であり、次いで80年代にリリースした2枚のアルバムは、魅力的なヴォーカリストであるJoesph Williamsを雇い入れてかなりの復活を見せたが、90年代に入りまたまた失速。
  1990年にリリースしたベストアルバム「Past To Present 1977−1990」で新曲を歌っていた、4代目ヴォーカリストである南アフリカ共和国出身のJean-Michel Byronのアフリカン・リズムを取り入れた新曲4曲はとてもユニークで今後に期待を持たせたが、このアルバムだけで敢え無く解雇。ヴォーカリストとしてはとても一流とはいえないギターの
Steve Lukatherをギター兼任のヴォーカリストに据え、更に偉大なるドラマーであるJeff Porcaroが頓死するに至り、最早TOTOに対する評価は、「惰性でアルバムを買うけど、後悔しかしない。」バンドに成り下がってしまった。
  と愚痴オンリーで、簡単な歴史を振り返ってしまったが、初期のTOTOはやはり素晴らしいバンドであった(過去形)である事実は断固として不変である。
  普通TOTOの最高傑作は?という問いに対しては、グラミー7部門制覇の「W」を挙げる方が多いと思う。また1stも捨て難いかもしれない。全然同意する。が、何故か一番聴くアルバムはこの3rdアルバムである「Turn Back」なのである。
  シングルヒットは1曲もない。#3『Live For Today』と#5『Goodbye Elenore』がシングルカットされているが、チャートインしていない。地味というならメロディ的に初期4部作では一番重苦しい「Hydra」からも『99』のトップ40ヒットが生まれているのに、だ。
  また、アルバムもトップ40入りしていない。ぎりぎりのところであるが。90年代のTOTOとは全く異なり、70〜80年代のTOTOはかなりのヒットメイカーという印象が強いのだが、このアルバムは初期の中では一番セールス的に苦戦したアルバムなのだ。
  ポップという点では、確かに1stや4thにはかなり見劣りする。派手さというか流麗さでもやや他のアルバムに比べるとビハインドがありそうである。
  が、元々どちらかというとウエットなアルバムの多い80年代のTOTOのアルバムの中では、乾いたアレンジと曲感の際立った、異色というべきアルバムになっている。オーヴァーとまではいかないけれど、細微でじっくりと練られたプロデュースが特徴な彼らの趨勢から鑑みると、このロックな作りはシンプルで気持ちが良い。
  ところで、TOTOのメンバーはレコーディング・クオリティというか音質には非常にルーズである。名うてのセッション・マンのプロが集まったグループの割にはあまりアルバムとしての完成した音に頓着していないようである。実際、このアルバムの音質は彼らの1stより劣る。
  演奏的にはSteve Lukatherのギターが物凄いというか、この頃の彼のプレイがキャリアでベストかもしれないと思わせるくらい際立っている。ギターに対して全く造詣のない筆者でもスゲエと感じるくらいであるから、これは相当だと思う。また、#5でのJeff Porcaroのドラミングは鳥肌モノだし、ピアニストDavid Paichの#1『Gift With A Golden Gun』でのドライなパッキングは脊髄に来る感動がある。
  これらの素晴らしい演奏が、非常にロークオリティな録音のため十分に楽しめないのはとても残念である。
  話によるとメンバーはこのレコーディングをセッション感覚で考え、ほぼ一発取りでメインパートをプレイしたそうである。これはとんでもないくらいに超絶なテクニックを誇る、TOTOのメンバーの力量の証だろう。更に賞賛すべきは、HR系のアーティストのように難しいプレイを「目立つ:さあどうだ凄いやろ。」と際立たせないで、アンサンブルの中で、一見簡単そうな演奏に聴かせている事である。
  これぞ、本当のプロフェッショナル魂ではないだろうか。
  さて、この「Turn Back」の基本はかなりシンプルなR&RとR&Bであると思う。私的にお気に入りはどれも良作の中で敢えて上位を選ぶとすると、やはりしょっぱなからLukatherのHR的なギターが暴れ回る#1『Gift With A Golden Gun』である。間奏でのSteve Porcaroのシンセサイザーの浮遊感は最高にクールだ。David Paichのピアノはもはや言うことなし。ヴォーカルが弱点と言われたTOTOの初代ヴォーカリスト、Bobby Kimballもかなりエモーショナルに歌っているし、コーラスはやはり西海岸ロックらしさが伺えるポップさがある。
  シングル向きの#3『Live For Today』も好きな1曲である。Steve Lukatherの初リード作であり、ヴォーカルまでこなすとこは後のトップ10ヒット『I Won’t Hold You Back』の下地だろうか。
  ドラマティックなバラード#4『A Million Miles Way』もややヴォーカルが弱いが感動的なバラードである。しかし、このアルバムでは良い曲は殆どDavid Paichが関わっている。彼の書く曲が筆者的には一番良いと思うし、ヴォーカルにしてもBobbyより上手いと感じるのだが、このアルバムではリードを1曲も取っていない。#3以外は全てBobby Kimballの独壇場である。この辺もタイトでライヴ感覚でレコーディングされたことが良く分かる。
  #5『Goodbye Elenore』のロックンロール・TOTOという表現が一番似合うストレートなナンバーもその演奏が素晴らしいので文句がない。続く#6『I Think I Can’t Stand You Forever』もR&B的なリズムとキャッチーなメロディが何ともいえない味わいがあり、非常に印象的である。
  結局全ての曲が良いのだけど。興味深いのは次作でNo.1ヒットとなる『Africa』でパーカッションを叩き、アフリカンなリズムを醸し出すのに一役買っていたJeffとSteveのPorcaro兄弟の父親、Joe Porcaroが#8のラストトラック『If It’s The Last Night』でもパーカッションで参加していることだ。この曲のエスニック的なリズムはやはり「W」への叩き台になった気がする。
  大ブレイクの前夜的アルバムに位置する、この「Turn Back」はロック名盤と一般に認識されるにはややアピールに欠けるアルバムであるかもしれない。が、ロックアルバムとして聴けば聴くほどに各メンバーの技巧が分かるような気がして(笑)リピート性が高いのだ。
  それにしても、もはやTOTOは才能が枯渇してしまったのだろうか。本当にロクなアルバムを最近は聴いていないのは気のせいでは断じてない。AORの残り火のような中途半端なアルバムしか「Kingdom Of Desire」以降は届けてくれない。
  やはり「W」での過剰なまでの成功が、何らかのプレッシャーや幻影となってつきまとっているのかもしれない。過剰な成功を収めたミュージシャンがその作品以降で泣かず飛ばずというのは、非常に多い。つまりは一発屋であったという結論を後に出されるのだろうが、TOTOはそこまで貶められるバンドではないと信じているのだ。
  ・・・・・だからこそ毎回アルバムを購入して泣きを見るのだが。(汗)
  そう思うにつけ、大成功前ののびのびとした演奏が聴けるこのアルバムは貴重ではないだろうか。
  TOTOというとどうもつまらない、としか感じていない90年代からのリスナーには初期4作を聴いてから判断をして欲しいと思う。入手も非常に容易であることだし。  (2001.7.30.)


   A View From 3rd Street / Jude Cole (1990)

     Adult Contemporary    ★★★★☆

     Pop              ★★★★

     Rock           ★★★

     Industrial      ★★★★
                          Reviewed By Kyotaさん
                                                   

  ここに、Moon Martin&The Ravensの貴重なライヴ映像がある。1981年にドイツで収録されたものであるが、当時Ravensのギタリスト/ヴォ−カリストとしてム−ン・マ−ティンをサポ−トしていたのが、若き日(なんと若干19才)のジュ−ド・コ−ルであった。
  イリノイ州出身のジュ−ドは、このRavensでプロ・ミュ−ジシャンとしてデビュ−。その後The Records("Starry Eyes"のヒット曲がある英国のバンド)、デル・シャノン、テッド・ニュ−ジェント、デイヴ・エドマンズ等、実に様々なバンド/ア−ティストのレコ−ディングに参加、キャリアを重ねていくわけであるが、このライヴ・ビデオにおける、彼の既に貫禄さえ漂わせるプレイを見れば、その後に数多くの一流ア−ティスト達から誘いを受けたのも十分納得できるというもの。最初から彼は"モノ"が違っていたということなのだろう。
  そして、脇役としてのキャリアを積み重ねながらも、ソロ・ア−ティストとして活動する夢を持ち続けていたジュ−ドは、常に曲を書き続け、ついにデモ・テ−プを完成させる。幸運なことにそのデモがピ−タ−・セテラ(ex.Chicago)の目に(耳に)とまり、彼の推薦もあってジュ−ドは1987年にアルバム「Jude Cole」でめでたくソロ・デビュ−を果たした。
  デビュ−作「Jude Cole」は、セ−ルス面こそふるわなかったものの、ラス・タイトルマンのプロデュ−スと、ジョン・オ−ツ、ケニ−Gといった豪華ゲスト陣のサポ−トの下、『Like Lovers Do』、『You Were In My Heart』といった代表曲を収録した完成度の高いメロディアス・ロックアルバムで、シンガ−・ソングライタ−、ジュ−ド・コ−ルの存在をアピ−ルするのに十分な内容だったといえる。
   そして1990年、このセカンド・アルバム「A View From 3rd Street」において、ジュ−ドのクリエィテイヴィティは一気に頂点を迎える。結論から言うと、これはアメリカン・ロックの大傑作だ。
  ジュ−ドはこのアルバムの為に88曲もの曲を書きおろしたそうである。ちなみに"3rd Street"とは彼が当時住んでいた場所のことで、この「inspiringな場所」(Jude談)で全ての歌詞を書いたと、インタビュ−で語っている。
  流石に88曲の中から選りすぐられた10曲だけあって、楽曲のクオリティには文句のつけようがない。そして演奏面、アレンジの点でも”完璧”といえる精度を誇っている。
  ギタ−がガンガン前面で鳴っていることもなければ、ヴォ−カル・ハ−モニ−やキ−ボ−ドで過度に飾り付けることもない。全てのプレイ、アレンジメンツはどこまでもメロディアスな楽曲(#1と#4が外部ライタ−との共作であるのを除いて、他は全てジュ−ド本人の作曲)と、どんなにシャウトしても"エモ−ショナル" "メロディアス"という本分を決して外れることのないジュ−ドのヴォ−カルを100%活かす方向で作用している。この品行方正(という言葉はあまり好きではないが)なつくりを"AOR"のひとことで片付けるのはある意味簡単だ。日本盤のライナ−・ノ−ツにもある通り、このアルバムの歌詞は、ほとんどジュ−ドのパ−ソナルな経験に基づいたものである。
  しかし彼は、感情をガッと必要以上に押し出すことをしない、もう一人の自分〜スト−リ−・テラ−としてのジュ−ド・コ−ルに語らせることで、曲自体に語らせることで、個々の楽曲のキャラクタ−が自然な形で光を放ち、ジュ−ドの感情の機微に、リスナ−はしっかり身を任せることができるのだ。
  オ−プニングは壮麗な『Hallowed Ground』。そして、恐らくジュ−ドというと、この曲を思い出す人が多いであろう名曲『Baby It’s Tonight』(全米最高位16位)へと自然な流れをみせる。
  3rdシングルとしてリリ−スされた#3『House Full Of Reasons』(最高位69位) これはアルバムのハイライトであると同時に、90年代を代表するアメリカン・ロックの名曲である。
  この曲におけるジュ−ドのメロディ・メ−カ−としての"ひらめき"は素晴らしいとしか言いようがない。そんじょそこらのミュ−ジシャンにはまず書けないであろう、美麗を極めた、独特のメロディ・ラインだ。コ−ラス・パ−ト、John Coreyによるイントロダクションを始めとするアレンジも見事。今でも、ジュ−ドの"This Is The Room!"というフレ−ズを聴いただけで、胸がつまりそうになる…。
  思いきりロックした#4、#6、2ndシングルとしてリリ−スされ、ヒットを記録したミディアム・テンポの#5(最高位32位)。(ジュ−ドの友人、キ−ファ−・サザ−ランドがディレクタ−を務めたプロモ・ビデオが物凄くク−ル。またこの曲は後にビリ−・レイ・サイラスによってカヴァ−された)で中盤を引き締め、タイトルが既に曲調を語っている、土着的な#8で音楽性の幅を見せつける。そして終盤には#7、#9と、タイプの違うバラ−ド2曲(どちらも名曲!)でしっかり泣かせ、アルバムはおだやかな#10で静かに幕を閉じる。
  向こうからこちらの心に押し入ってくることはないが、あなたがそっと近寄っていけば、しっかり受け止めてくれる。いちど好きになったら、一生の付き合いになること請け合いの、とても優しいアルバム…それがこの「A View From 3rd Street」です。
  この後ジュ−ドは「Start The Car」(1992) 「I Don't Know Why I Act This Way」(1995) 「Falling Home」(2000)と良作をリリ−スし続けるが、残念ながら「A View From 3rd Street」でみせたようなマジックは再現できていない。

(文中のランキングはビルボ−ド誌に拠る)   (掲載2001.8.3.)


  1990年代の入り口である1990年、初の全米チャートNo.1シングルはPhil Collinsの『Another Day In Paradise』であった。とそれは本編には関係ないのだが、当時はまだまだシアトル発グランジ・ミュージックとその改悪版のようなオルタナ・ヘヴィネスロックやミクスチャー・ロックが猛威を振るう兆候は、少なくともチャートには見られなかった。と言いたかったのである。
  1990年代もきっと素晴らしいロック・ヴォーカルの新星が活躍するに違いないと希望を持っていたものである。儚い夢物語であったが。(涙)
  ぼやきはこっちへ置いて、当時この10年を代表するようなロック・ヴォーカリストになるだろうと、著者が勝手に予想したシンガーが2名いた。一人は1991年にデヴューしたCurtis Stigersであり、もう一人がこの回で取り上げるJude Coleである。ちなみに予想はセールスという点では大ハズレであった。(笑)
  この両名とも、セルフタイトルのデヴューアルバムが素晴らしい出来であること、かなりのソングライティングの才能がある(または、アルバムリリース時にはあったように思われたでも可。)ことと、傑作を発表した後のアルバムがいまいちであること、等共通点が多いように思われる。更にヒットしたアルバムが1枚こっきりであることも類似点であろう。  音楽性としてはCurtisは畳み掛けるようなソウルを取り入れたヴォーカルとリズムが特徴で、Judeはどちらかというとアーバンな現代的繊細さを主体にしたアダルト・コンテンポラリーの洒落たセンスが売りのシンガーである。
  その点では、アダルト・コンテンポラリーというジャンル分けで同一という共通項があるだけだが。
  まあ、90年代初頭において、これからを期待させるアーティストはかなり存在したが、アダルト・ロックのヴォーカリストとしては、この二名が個人的な注目の的であった。
  ここまでJude Coleに関して1990年代と繰り返してはいるが、ソロアルバムを発表したのは1987年である。ソロデヴューが27歳と少々遅いが、デヴュー前の裏方としてのキャリアは長い。純粋な音楽活動としては、アマチュアバンドで演奏を始めたのが11歳の時であるそうだ。バーバンドであるカントリーバンドで演奏を始めたのをきっかけに、自分でCCRのカヴァーバンドを結成したり、他のバンドに所属し、高校のダンスパーティやセレモニー、結婚式の披露宴で演奏をしたりと10代の初めから学業より音楽に的を絞って活動していく。
  プロとしてのキャリアへの足がかりは18歳の時、LAに旅行に出かけ、そのままいついてしまったことから端を発する。どういった経緯で仕事が舞い込んだのかは不明であるが、LAに住み着いて1ヶ月で、「Moon Martin And The Ravens」のギタリスト兼バック・ヴォーカリストとして雇われる。このグループで2枚のアルバムに参加している。
  1981年には英国のアダルト・ロックバンドである「The Records」に加入。リード・シンガーの一人として、また、リード・ギタリストに収まる。平行して数々のセッションをこなす。
  興味深いのはDel Shannonのアルバム「Drop Down And Get Me」に参加した際、プロデュースを担当していたTom Petty & The Heartbreakersに才能を買われ、ベーシストとして加入しないかとのオファーを受けたとか。話半分としても彼の才能を証明するエピソードであると思う。
  このようにツアーのサポートミュージシャンとしてやセッションギタリストとして活動しながら、Judeは自分の曲を書き溜めていった。が、苦労は続き、1985年にPeter Ceteraが彼のデモテープをWarner Brothersに紹介してくれなかったら、当時生活費を稼ぐために行っていたバーテンダーの仕事を今も続けていたかもしれない。
  長い下積みを経て、1987年にRepriseからリリースされた「Jude Cole」はアダルト・ロックとしてのデヴューアルバムとしてはかなりの良作であったのにセールス的には全く反応を引き出せずに終わってしまった。
  ここで、インディ落ちする等して彼のキャリアが終焉しなかったのは重畳としか言い様がない。この次のアルバムである「A View From 3rd Street」で3曲の全米トップ100ヒットを含む成功を収めるのだから。
  88曲の中からピックされたという10曲で構成されたこのアルバムは、この後に吹き荒れるグランジ旋風にも、当時まだまだ猛威を振るっていたLAメタルサウンドや黒人ラップミュージックといった流行にも、全く左右されることのないアダルト・コンテンポラリーなアメリカンロックのアルバムである。
  豪華ゲスト陣が否が応でも目を引いた1stアルバムとは異なり、最低限のゲスト・ミュージシャンを起用しただけで、殆どの曲を固定メンバーで演奏しているところから、Judeのソロ2枚目を数えた故の落ち着きを感じることができる。
  ちなみに目立つ大物ゲストは#9『Compare To Nothing』でドラムを叩いている故Jeff Porcaroくらいであろう。
  その為か、アレンジとしてはシンプルとは決して表現できないくらい練りこまれているのだが、オーヴァープロデュース的な嫌味が感じられず、実に整然と纏まっている、いわば整頓され尽くした仕事場を思わせるような爽快感がある。  とはいえ、飛び抜けるようなロックの清涼感というより、どちらかというと乾いた都会的センスが全体に漂うコンテンポラリーカラーの強いアルバムになっている。Judeはギタリストであるが、ギタリストが魂を込めたロックアルバムというより、シンガー・ソング・ライター的な落ち着いた感覚を、メロウでそれでいて複雑なコード進行に埋没させたような大人の魅力を感じる。
  当時、セールス的にも才能的にも全盛期であったRichard Marxのデヴューアルバムにも通じるような、西海岸音楽の爽やかさよりもドライなくぐもった側面の情熱を表現しているように感じるのだ。
  兎に角、相当緻密なアレンジが実際に体感できる−この系統のアルバムは技巧に走ってしまい、ヴォーカルやメロディが疎かになりがちであるのだが、そのようなことはなく、Judeのハイトーンとハスキーの中間に位置するヴォーカルも十分に堪能が可能−稀有なヴォーカルアルバムである。
  決してドキャッチーなメロディと、パワーで押すタイプのアルバムではなく、曲調としては大英帝国謹製の70年代や80年代のヴォーカリストの流れを組んだ如くな非アメリカン的なマイナー・コードも多用されている故に、直球的なアメリカンロックというよりもブリット的なアメリカンロックという印象が強い。
  勿論、ここで述べているのは英国音楽の良い面であることは言うまでもないが。
  お気に入りとしては、やはりヒットした#2『Baby It’s Tonight』から#3『House Full Of Reasons』の流れが真っ先に挙げられる。#2の地味なギターリフからプログラミングシンセを交えて徐々に盛り上がる展開は、やはりヒット性が高く即効性は抜群である。そして美しいピアノと鍵盤類のリフから、パワフルなギターとB3でグンと突入する#3のメロディの創り方はJudeの才能を如実に感じさせてくれる。
  しかし、Judeのヴォーカルというのは一見地味であるが、どこまでも耳に残る深みがある。この事実を再確認できるのがハートフルなバラードである#7『This Time It’s Us』であり、更に#9『Compared To Nothing』である。60年代のポップスを髣髴とさせるようなキャッチーなア・カペラコーラスから始まり、やや寂寞を帯びたラインが飛び込んでくる#7の感情に溢れた曲調といい、アクースティックピアノで「静かなる朝の大地」「高原の夏の夜明け」といった清涼感とドラマティックな美しいメロディが同居する、「しめやかなる激情」という単語が当てはまるような#9は名曲である。
  また、多少は地味であるが、キャッチーでやさしいリズムが心地良い、これまたヒット曲になってしまった#5『Time For Lettting Go』は、アーティストに追い風が吹く状況でなければアルバムトラックとして埋もれてしまいそうな佳曲である。このJudeのポップセンスを集約したようなトラックが売れたのは誠に喜ばしいことだ。
  やや、珠に疵といえば、あまりにも精巧に且つ緻密にアルバムを作り上げてしまったため、ロックの動的魅力をアピールする曲、例えば#1や#4等が少々弱く聴こえてしまうことだろうか。が、本当に些細であるので、この傑作の評価を下げるには全く至っていない。
  
  さて、Jude Coleはこの後3枚のアルバムをリリースしている。対して先刻引き合いに出したCurtis Stigersも3枚のアルバムをリリースしている。両名とも傑作の後が良作ではあるが、決して凌駕するアルバムを出したとは言い難い。が、Curtisは1999年のアルバム「Brighter Days」で外部の大御所の曲を取り入れて、久々の傑作たるアルバムを届けてくれた。然れどもやはり1stには今一歩及ばない。JudeはCurtisより平均的にすればクオリティの高いアルバムを発表しているが、ややこじんまりと纏まってしまった感が強い。
  もう一度、傑作と呼べるアルバムを聴いてみたいと切に願う。が、現在の米国マーケットでは正統派ロック・ヴォーカルの苦戦は免れず、両者共にインディ生活が続きそうである。
  追い風は再度吹くだろうか。   (2001.8.4.)


   Bat Out Of Hell U: Back Into Hell / Meat Loaf (1993)

     Industrial    ★★★★★

     Hard      ★★★

     Pop     ★★★★

     
     










君は、この恐怖に耐えることができるだらうか?

今、戦慄のすとおりいが幕を開ける!!

久々の
実録しりいず傑作選第四弾!!!

今回は前置き無しで始まるのである。

なお、冗談の通じない方、心臓の弱い方、普通のレヴューを期待していた方、
お帰りはあちらでごんす。→  イマナラマダマニアウ。キミタチノオカアサンハナイテイルゾ。  

覚悟をきめた兵(ツワモノ)のみ扉をくぐるが良い。フォフォフォフォ。・・・・・・。(誰やねんおまえ?)

The Gate To Hell− 第四回 「幻想奇譚」(大嘘)への鬼門   

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送