Recovering The Satellites / Counting Crows (1996)

     Roots         ★★☆

     Pop         ★★★★☆

     Rock       ★★★★★

     Alternative ★★



  Counting Crowsに出会わなかったらとうに音楽というかメジャーシーンに絶望したのはもっと早かったに違いないだろう。・・・・もっとも、問題の先送りになっただけなのかもしれないが。(苦笑)
  1997年、偶然にも彼らのアルバム発売後に駐米できたことがあって、ライヴを堪能することができた。
  当HP初のライヴ・レポートである。少しでも彼らのライヴの雰囲気が伝わって頂ければ幸いだ。
  なお、このレポートはhoriaiさんのファンサイトSULLIVAN STREETに以前御厚意で掲載して頂いたレポートを加筆修正したものである。 
(1997.Oct. Brockbustergrenhelen Pavilion At San Bernardino County In California,
 With Gigolo Aunts And The Wallflowers)

  西海岸は天国である。赴任してみてしみじみと理解できた。犯罪都市、とテレビの番組の特集に論われるLos Angelesであるが、危ないところには行かなければ良いのである。(地●の×き方かい!!)少なくとも私の居住していたTorrenceは実に治安が宜しく、夜間12時くらいにジョギングしても問題なかった。
  兎に角、物価は安い、気候は良い。のんびりしている。そして何より、何らかの注目アーティストのライヴが殆ど毎日何処かで行われている!!・・・・資金があればの話であるが。
  やはり、小さなBallroomやDisco、Coffee HouseそしてBarの小会場のギグへ足を運ぶことが多かった。アリーナクラスのライヴは殆ど行ってなかった。というか大好きなバンドは大体においてアリーナークラスのバンドでないということが原因であったからだが。
  が、しかし、カウンティング・クロウズが来る、会社のスパニッシュ系パートタイマーからこの話を聞いた時、「何!!!」と大声をあげてしまった。俄かには信じられなかった。ツアーのスケジュールが合わないと全く見れなくなるバンドも多いのに、まさか彼らのライヴが見れるとは。
  早速チケット・マスターでチケット購入。当然仕事は理由をつけてブッチである。(笑)
  が、残念ながら、アリーナは完売。アリーナの少し後ろの席が手に入ったのは幸運だった。発売当日に買えたからなのだが、並ぶべきやった〜。チクショ〜〜!
  ところが、チケットにはSan Bernardinoという日本の連合艦隊が壊滅したり謎の反転をしそうな(ミリタリー・マニアやなあ)地名が。場所を同僚に聞いたらなんとLA中心から250キロほど西にあるそうだ。
  開演は7時半から。仕事の定時が6時。車飛ばしても二時間はかかるから、何とか5時過ぎには口実を作って逃げようと、つるべ落としのように沈む太陽に誓った。しかし、Californiaの日差しは強烈だ。高層建築が少ないため、モロに西日が突き刺さってくる。嘗て、EaglesのGlenn Freyが少年時代、毎日のように丘に登って地平線に沈む夕日を見ていたというエピソードにシンクロするものを感じてしまったりした。

  さて、首尾よく5時に退社ちうか「とんづら」を決め込んだ。ネクタイ、スーツ姿のまま、社用車のカローラで(アメ車だったら絵になるがこれが現実です。)フリーウェイを405号線から10号線に向かう。
  しかし、甘く見ていた!!LAダウンタウンの大渋滞。じわじわとしか流れず、仕方ないので夕食に仕入れておいたハンバーガとチリチーズフライを食べつつイライラ。
  更に10号線は郊外のベッドタウンに帰る乗用車で大渋滞。LA中心から一時間走ってものろのろ運転。喉がいい加減渇くが、ライヴに遅れたくないので我慢。
  Ontarioというカウンティを超えたあたりから、あたりは荒涼とした岩石砂漠が目立つようになる。改めてロスが砂漠に生えたような都市ということを実感する。ある種、Californiaの荒野に太陽が沈み、夜がじわじわと闇の領域を広げてくる風景は感情の根源にうったえる雄大さがあるのだが、その時はひたすら焦っていたので、殆ど感想もない。後程振り返ると、実に素晴らしい自然の1コマであったのだが。
  何とかたどり着くと既に8時半になっていた。会場は、LAからラスヴェガスに抜けていく小高い丘の間にある大野外ステージ。周囲は見渡す限り荒野と砂漠(岩石砂漠)。人家は全くといってよいほどなし。すごい場所である。大遅刻でかなり泡を食っていたので、全力で入場する。が、アメリカ人はおおらかなのか、暢気なのか、誰も急ごうとしていない。というか邪魔である。のたのた歩かれるとむかつくで、ホンマ。で、人波を掻き分け前進中に「わっ」と、ステージで歓声が上がる。
  と「あ、Jacobが出てきたんだ!。」と誰かが言うや否や集団マラソンに変化。極端な民族であると冷静に思いつつもマラソンに参加している自分が・・・・。
  幸い、The Wallflowersの公演はかなり遅れて、21時から始まったので、充分に堪能できた。周囲は圧倒的に白人が多い。黄色人種や黒人が意外に少ない。WallflowersのサポートにCounting CrowsキーボーディストのCharles Gillinghamがサポート出演して大喝采を浴びていた。
  そして、Jacob Dylanが「さあ、今夜の主役に出番を譲るね。」と退場した後、約30分落ち着かないことこの上ない。目を夜空に向けると澄んだ空に飛行機らしき光点が、点滅をしつつ移動していく。何となく『Daylight Fading』の一節♪「It’s Getting Cold In Carifolnia」が浮かんで口ずさんでいると、照明が一斉に落ちる。
  真っ暗なステージの上から大歓声に後押しされるように♪「Gonna Get Back To Basics」とアルバムとツアーのタイトル曲『Recovering The Satellites』が聴こえてくる。瞬間、観客は総立ち。めいめいが黄色い声を挙げる。私も自分でも訳のわからない叫びを挙げ、力いっぱい拍手をする。と、ジャケットのシューティングスターのような星の絵がバックに浮かんでくる。ここでまた大歓声。丁度♪「Wildest , Wildest ,Wildest People」の盛り上がりに入ったところでステージが明るくなる。
  他には全く凝ったセットはなく、ただジャケットの星というか流星のマークがバックに光っているだけ。実に彼ららしい演出である。
  またも拍手の嵐。ヴォーカルのAdamはカシミア地のボタンダウンのシャツとチノパンといういでたち。少しずんぐりな体型にレゲエミュージシャンのようなヘアスタイル(何というのかは知らないけど)で、お世辞にも格好良いとはいえないが、マイクを右手に空いた左手をぶん回しながらステージを左右に移動する。
  中央にグランド・ピアノがあるが、Charlesはその左隣にすえてあるハモンドB3を弾く。黒い革ジャンに、ブラックジーンズ、弁護士のような神経質そうな顔と良くマッチして鋭い雰囲気がする。さすが元法律家の卵。
  Benは10月の西海岸のかなり肌寒い夜気の下でもTシャツ一枚で、ピアノの右隣に鎮座しドラムセットを叩く。
  ベースのMatはCharlesの少し前で、静かに長髪を振りつつブンブンとベースを掻き鳴らす。
  舞台左袖にはDanが、右袖にはDavidがそれぞれエレアコとエレキギターを分担して弾いている。Danはこのツアーから加わったギタリストだが、ツインギターのハーモニーは素晴らしい。
  ひょとしたらサポートとして加わっているか、と期待したペダル・スティールやマンドリン担当のDavid Immergluck(註:現在は正式メンバー入りしている)は見られず、6人のメンバーのみの演奏だ。
  アルバムのタイトル曲が終わると、またもや大歓声。が、観客の絶叫がまだ止まぬうちに、間髪をいれずにシンバルの音がシャッシャと弾み、ドライヴィなギターのリフが入る。アダムがぴょんぴょん飛び跳ねて、『Angles Of The Silences』がスタート。アルバムからのファースト・シングルである。
  前方のアリーナでは既に開始5分でタテノリ状態。皆ダンスを始めたり、ジャンプを始める。こちらも負けじとタテノリ開始。ラストのギターソロをアルバムと寸分違わずDavidがプレイし、物凄い歓声が秋の夜空に舞い上がる。このギター・ソロが大好きなのでもう鳥肌モノである。
「スゲエやんけ、なあ、おっさん!!」と隣りの年配のおっさんとハイタッチ。「Gattya!!」とか叫んで。もう操状態である。後に発売されたライヴ・アルバムではこの生な音が聴けない。絶対ライヴの方が素晴らしい。
  ここで、漸くAdamが「こんばんは、みんな。」と挨拶。ウオーと地鳴りのよな返事が返る。
  「このサン・ヴェルナディーノ・カウンティでライヴを開くのは初めてだけど、ここはもうCaliforniaだ。(そうだー!)今回はミネソタのMinneapolisからツアーを始めたけど、僕らは殆ど故郷に帰ってきたんだ。大陸を横断してね、そう帰ってきた!!(お帰りー!)そう、次の歌はCaliforniaについても歌っているんだ!(おっしゃー!いけー!)」・・・・という具合で開始10分ほどで既に観客と一体になって盛り上がっていく。
  予告どおり、『Daylight Fading』が始まり、アダムがリフでジャンプする。結構重そうな体型なので、ジャンプが低いが(爆)。
  続いて照明がダークな色合いになり、『Children In Bloom』のサイケディリックなヘヴィナンバーが演奏される。
  そしてやっとバラード『Goodnight Elsabeth』(Charlesがグランド・ピアノを弾く。むっちゃ格好エエ。)でAdamのヴォーカルを堪能。
  「この辺で、一枚目からもいくよー。」と、いきなりダンがギターを弾くが、アレンジが相当アクースティックに変わっており 「シャララ・ラ・ラ・ラ・ラ」が入るまで皆『Mr.Jones』と気が付かない。この辺で解ってくるが、Adamはギグではかなりのアレンジを施して歌うということ。最新版(この時点ではこのアルバムだ。)からのナンバーもかなり独自にアレンジして、振り回して歌う。インストの演奏自体はスタジオ録音に忠実なので、ライヴでスタジオ録音の再現を求めるファンにはなじめないかもしれない。普通初ツアーの場合は極力アルバムに近く歌うのが恒例なのだが、これまた起きて破りである。『Mr.Jones』でも、歌うというより、語りかけるような調子である。
  だが、続く1stの名曲バラード『Sullivan Street』では、かなりスタジオ・ヴァージョンに忠実に歌う。Davidがマンドリンを奏でるが、やはり名曲である。隣のおっさんに 「ええ曲やんけ」って言ったら「ホンマやなー」と曲が終わると同時に、またもハイタッチで喜ぶ。
  そして、Danがバリバリと弾くギターに乗って『Have You Seen Me Lately』が始まる。ライヴ映えする曲で、グランド・ピアノを転がすCharlesがシブい。Mattが一番地味に淡々とベースを弾く。
  周りでもツイストかブギかようわからんフリーなダンスが始まり、私もタコ踊りを披露。ここで、前半終了。
  当然、「Come On!(はよ、出て来い)」の嵐。5分ほどでドラマーのBenを先頭に再登場すると割れんばかりの拍手が。これで終わりではもう消化不良以前の問題だ。
  そして、いきなりCharlesがステージ右袖でアコーディオンをくねらせる。『Omaha』とすぐに解る。後半戦は1stからのナンバーが多く切な過ぎる『Perfect Blue Buliding』、マンドリンが絡むアップテンポな『Rain King』でズンとインパクトを入れて、『Hanna Begins』でじんわりと客を唸らせるようにと繋げる演奏の連続はただただ圧巻。
  マンドリンとアコーディオンをフューチャーした『Mercury』(Adamがピアノを弾くがごっつ上手。)まで、セカンドからは1曲のみである。これは少々意外であった。殆どが聴けると期待していたのだが。
  1stのラストトラック『A Murder Of One』でトリのナンバーとなる。絶対に大騒ぎになると踏んでいた歌詞の♪「Counting Crows」では案の定、総立ちで大合唱。やや歌の間を開けて、さあ、一緒にとマイクを観客席側に向けるAdamの茶目っ気も微笑ましい。♪「Shame Shame Shame」のくだりではAdamとシンクロするように大観衆がジャンプするため地響きさえ感じてしまう。このナンバーも歌い方がかなり「語り」的になっている。
  当然、メンバーが引いた後もアンコールの大合唱。一曲目が『Raining In Bltimore』とは驚き。このような暗めのスローナンバーをセットに挙げるとは。次が激烈名曲『A Long December』というバラード2連発には、興奮気味だった大観衆も腰を落ち着けて耳を傾けている。いずれもAdamがピアノを弾き語りし、Charlesはアコーディオンを担当。この辺のルーツテイストが彼らを大好きな存在にしている所以だ。
  普通、アンコールの最初は盛り上げるためロックナンバーを持ってくるものだが、スローナンバーで勝負する彼らの実力に脱帽である。そして2度目のアンコールにただ1曲、アクースティックナンバーの『Walkaways』を歌いながら、フロントライナー、スタッフ、バンドのメンバーを紹介して、興奮の約2時間は終了した。時間は12時半近く。ここからLAまで2時間以上。明日も仕事なので結構きついと思いながら、家路に着いた。もう、こんな僻地に来ることはなかろうと思っていたが、年が明けてエアロスミスを見に再訪する事になる・・・・・。
  これ以降、LA周辺で3回も彼らのライヴを追いかけることになった、秋の透き通った夜空の蒼い闇は、一生忘れられない経験となった。  (2001.9.7.)

  なお、この原文である拙文を掲載して戴いたhoriaiさんにこの場を借りて感謝の意を改めて表明致します。
  さあ、次はレヴューや!気合入れんで〜。


  ♪「It’s Getting Cold In Carifolnia,I Guess I’ll Be Leaving Soon」
     / ここカリフォルニアも冬の気配が漂うようになってきた。そろそろここを旅発つ時がきたようだ。

  この#3のアメリカンロック・ポップの金字塔のような歌、『Daylight Fading』を聴くたび、思い出すのはLAの中心街のビル群を見ながら、フリーウェイを走った、晩秋は夜のLos Angeles。
  ハリウッドの山の手でライヴを1週間に5回も見ては、帰宅が12時を回っていたあの頃。
  カリフォルニアが日中38℃を超える夏から、肌にしんわりと冷気が降りてくるような、秋のカリフォルニアへの移ろいを感じつつ、生から死の季節−夏は生命の誕生・謳歌、秋は生命の黄昏・最後の輝き・そして冬へと収束する死。
  「旅発つ」ことは、死を逃れて、どこかの楽園へと向かいたい願望なのだろうか。
  私にとってはカリフォルニアこそ楽園であったのに。

  夜のフリーウェイ405号。10号との分岐。パサディナへと続く、全米でも有数に古いフリーウェイのとても危険な新入ロと出口。

  近所の手作りハンバーガーショップ、チリチーズ・フライを山の様に盛ってバクバクと食べたこと。

  20代最後の一目惚れをして、見事に玉砕したこと。

  道を間違えて南中心部、Comptonのように激烈に危険な地区を車で彷徨ったこと。

  秋の夜空。日本の空とは違い、群青にどこまでも澄んだ空。溶けそうな青黒い闇。

  聳えるビル街。夜中のフリーウェイ。

  ラジオからはCounting Crowsの『Long December』、The Wallflowersの『One Head Light』、Collective Soulの『Listen』・・・・・至福の時間。

  ビーチで半裸でジョギングして、海に入ったら水が冷た過ぎたこと。

  私はCounting Crowsを聴くたびに、間違って就職し20代の半分を無為に浪費してしまった、ダメ企業での唯一の収穫だったアメリカ駐在を思い出す。
  何故か、そこには失敗したことや嫌な想い出はフラッシュバックしてこない。
  苦しい思い出・辛い記憶は、全て、このアルバムのジャケットのような流星の如く、一瞬に、そして幻の様に流れていく。

  ♪「Daylight Fading Come And Waste Another Year」
    / 日の光が夏から秋、冬にかけて次第に弱まっていく季節の移ろいの中で、また1年無為に過ごすのだろう。

  この歌詞に、如何に自分が数十年しかない人生を無駄に過ごしてきたか、痛感しない訳は無い。しかし、地平線に沈む真っ赤でどでかい夕日を受けつつ、帰宅する時、人生を無駄に費やすことこそ、最高の贅沢かもしれない。
  そんな風に思うことがある。それはカリフォルニアの乾いた大気と、ブルーグリーンの海がそのような感慨を持たせるのかもしれない。あくせくした日本の日常ではこのような考えは唾棄すべきものなのかも知れない。

  ♪「A Long December And There’s Another Reason To Believe,Maybe This Year Will Be Better
     Than The Last」
    /  12月は長くあって欲しい。それはね、今年はきっと昨年よりいい年だったと信じたい理由を探す時間が必        要だからさ。

  #12『Long December』を聴くたびに「Best Yet To Come」というフレーズを思い出す。
  いつか良くなる、何時か仕合せになる、きっと何時の日か風は吹く・・・・・・・・こう考えて、どれだけ、無駄な時間を過ごして来ただろう、とこの歌を聴くたびに思う。あの、歳の瀬の、「今年もいいこと無かったなあ。」と年末の雑踏でふと1年を振り返り、謂れの無い虚無感を覚える瞬間。

  きっと誰もがLong/願う   Long/長い  12月

  そして、一歩「My Finest Hour」は未来へ先送り。そして、もう一歩老いて死に近づく・・・・・・・・。

  ♪「The Smell Of Hospitals In Winter,And The Feeling That It’s All A Lot Of Oysters But No
     Pearls」
    / 冬の病院。嗅ぐ匂い。沢山の牡蠣があるけど、中身の真珠が全く入っていないような空虚さを感じる。

  ♪「It’s Been So Long Since I’ve Seen The Ocean,I Guess I Should」
    /長い間海を見ていない、海を見たい・・・・・・・。

  歌詞的には別のヴァースに属するこの2つのフレーズを聴くと、卑近で俗っぽいイメージだが、”病弱の少女が病院の窓から海を探して視線を遠くへ投げている”といった映像が浮かぶ。当然、病院は赤煉瓦造りで蔦が絡まっていなくてはならない。(笑)
  遠い昔、もう誰を見舞ったかも何処だったかも忘れたが、寒い日に誰かの見舞いに連れて行かれた。海のそばの大きな白い建物で、窓から青黒い海原が見えた。覚えているのは食べさせてもらったチョコレートとその砕ける波頭だけ。ふと、何時かの情景が無作為に頭に浮かんでくる、このアルバムを聴くと。

  ♪「Gonna Get Back To Basics,Guess I’ll Start It Up Again」
     / 基本に戻るんだ。また最初からやり直せばいいのさ。

  タイトル曲#10『Recovering The Satellites』のファースト・フレーズを耳にすると、何となく、何時でも人生振り出しに戻せるような気がしてくるので、とても不思議だ。何度も無駄にしている時間も、最初からやり直せる。
  以前勤めていた一部上場企業を、上司と揉めて退職した時、この明るい希望を擡げさせてくれるようなメロディと”衛星を取り戻す”とった謎めいた歌詞に随分心情的に救われた気がする。
  ”衛星”とは女性に仮託した存在のようである、この歌の中では。が、私は理想、そう夢、夢想と呼んでも良いのかもしれない。遠く、まさに人工衛星の様に大気圏外の手の届かないところを、存在は知っていても決して普通には見えないもの。そんな存在を取り戻すんだ。こう歌いかけているような気がする。
  肉眼で見えなければ望遠鏡を使え、頑張れば何とでもなる。そんなメッセージ。

  ♪「I Wanna Be Scattered From Here In This Catapult」
    / ここからカタパルトに乗せて僕を射出して欲しい。何処か遠くへ。全てを忘れるくらい強烈なGで。

  ♪「All Of A Sudden She Disappers」と物凄い痛い歌詞でスタートする#1『Catapult』。この、逃避と自己を痛めつけるだけ痛めつけようとするような、失恋ソング。このカタパルト(ガンダム世代には「行きま〜す。」やね。)というギミックで、逃避を表現するAdamのセンスにはただ頭が下がる。
  しかし、もし、生身でカタパルトで打ち出されたとしたら。20トン近いジェット艦載機を打ち出す現代のカタパルトに乗せされたとしたら。まさに、Scattered / バラバラ・粉々になってしまうに違いない。
  飛び散る内臓・臓物・血・・・・・・・・肉槐。
  この歌は血を流すイメージがある。そう、現実にはカタパルトで打ち出される勇気も無いのに、その自己破壊を何処かで妄想する男。
  現代人の、私達の誰もが持っているに違いない、自己破壊衝動。自殺衝動とまでは言わないが、人間に自殺因子が備わっていることは遺伝子研究で解明されている。
  「自己を傷つけるナイフ」、と作中でも歌われるように、全ての人間の精神活動は流血を伴うものかもしれない。

  このように、1曲それぞれに、あらゆる夢想・妄想・勝手なイメージが私の心の中に頑として存在する。
  もう14曲すべて書き出すと止まらないので、取り敢えず4曲だけにしておく。
  ここまで書いて思ったが、これはレヴューになっていない。
  故に正規版レヴューは200本目に腰を据えて書きたいと思う。
  可能ならば、冷静に。  (2001.10.28.)    


   Long 331/3 Play / Buffalo Nickel (2000)

     Roots        ★★★☆

     Pop        ★★★★☆

     Rock      ★★★★

     Southern ★★☆


  まずは残念なお知らせでレヴューを始めなくてはならないことが、かなり悲しい。
  オフィシャルな発表はついになかったが(筆者の知る限り)、Buffalo Nickelというバンドは解散した、というより消滅してしまった・・・・・。正確には解散時の名称はGary Stier & Buffalo Nickelであったが、もうこの大事件と比べれば些細なことである。
  2001年の6月あたりから、バンドの間で不協和音が聞かれるようになってきた。このバンドBuffalo Nickelはその当時、メジャー・レコードデヴューから僅か半年くらいで、Gary Stier & Buffalo Nickelと名前を変えていたのだが、その節はインディバンドによく見られるバンドリーダーの名前をたまに冠したり戻したりする現象かなと、嵩を括っていたのだが、このGaryが自分の名前をBuffalo Nickelから外した段階で、最早将来の分裂は確実であったのかもしれない。(あ、メジャーレーベルからやったなあ。)
  まず、シンガーであり、バンドただ一人のソングライターであるGary Stierが他の3人と袂を分かったかのように、ソロ活動をライヴにて開始したのが、6月の末。
  また、以前からメールでやり取りをして戴いていたBuffalo NickelのベーシストでありバックヴォーカリストのRichard Turnerさんから「新しいバンドを兄弟のBritやギタリストのCharlieと結成するんだ。」と連絡を戴いたのも丁度その頃であった。
  今年の3月くらいまではライヴ・フェスティヴァルに出演したり、出身地のアトランタを中心に精力的なライヴツアーを行っていたのが、春が去ると同時くらいに、突然週1回くらいのペースにテンションダウンしてしまっていたので、少々心配であったのだが。
  そして更にRichard氏から新しいバンドの名前がMason Dixonとなることが伝えられた。この段階で、著者がBuffalo Nickelとしての活動は今後どうなるという問いに対しては、彼は意図的に無視する立場を一貫していたので、どうやら終わりであると確信を抱き始めたのが、7月。
  ところで、このMason Dixonというバンドは1980年代にテキサスを中心にして活動していたロカビリー・カントリーロックバンドと同じ名前である。故に、名前の重複を嫌ったバンドが新しい名前を探しているんだ、と教えられたりして、完全にBuffalo Nickelの話題はRichard氏から聞く事は不可能になった。肝心のGary Stierとは面識というか文識がないために彼のコメントや感想を未だ聞けていないのは残念だが。
  そしてメジャーへのジャンプ・アップとなったきっかけともなったBlack Crowsのフロントライナーであった頃からの付き合いであるという、Chris Robinsonの命名で、彼のバンドの名前を一部貰ってBlackberry Smokeとして発足したという連絡がメーリングリスト経由で届いたのが9月の初め。この段階で「Former Buffalo Nickel」という言い回しが使われたことが決定的であった・・・・・・・・。
  ちなみにこのBlackberry Smokeというバンドは、Buffalo Nickelのリズム隊であるRichardとBritのTurner兄弟と、ギタリストのCharlie Grayをリードヴォーカルに据えて、更にFred McNealというギタリストを加えた4人組で、Buffalo Nickelよりも一層泥臭く・粘っこい・ハードなサザンロックを試聴することができ、個人的には楽しみなバンドではある。
  一方、このアルバムの曲を1曲を除いて全て作詞作曲しているGaryの動向については、全くと言って良いほど情報が入らない。彼はソロシンガーとして活動を始めるのか(厳密には再開と言えなくもない。後述)それともまたバンドを結成するのだろうか。非常に気になるところである。女性フォーク系シンガーであるMichelle Maloneのアルバムに参加したり、彼女とジョイントでライヴを行ったという情報のみである。
  以上、2001年9月までの情報を整理してみた。

  #1『This Ain’t Nowhere』を聴いた瞬間、感じたことは、”ああ、Hootie & The Blowfishがまた来たぞ”という驚きであった。ジョージア州在住の友人からもの凄いローカルバンドがUniversalからデヴューする、と聞いていたが、まさかここまでアメリカン・ルーツ&カントリーを根幹にしたサザンロックな音のバンドであるとは思わなかったからだ。
  ジョージア州都アトランタで活動するサザンロック・グループでLonesome Jonesというバンドがいて、かなり有望株であるという話を在米中に聞いていたが、その解散したバンドのネクステージがこのBuffalo Nickelであることは全く知らなかった。
  それ以前にこのサウンドである。レコード発売前にビルボードの記事等で
  「僕たちはWallflowersやMatchbox 20と同じフィールドで(マッチ箱はその後クソ以外の何者でもないオルタナに媚びた今世紀最悪のアルバムを出したので、著者的に除外したいのだが。)音楽活動をしているんだ。」
  「流行に惑わされずに、大好きなEaglesやNeal Youngのような音を演奏したい。」
  というようなインタヴューを読んで、期待はしていたのだが、ここまで1990年代のメジャーシーンから逸脱した=素晴らしいルーツアメリカンロックを聴かせてくれるとは想像をだにしなかった。
  しかも、メジャーレーベルのUniversalである。同じジョージア州のアセンズ出身であるSister Hazelとも契約しているレーベルなので、まあ起こり得る珍事(?)のような気もしないでもない。が、しかし2ndアルバムがローカルで大ブレイクとなってメジャーアルバムとして再ミックスされた「Somewhere More Familier....」でメジャーへと這い上がったSister Hazelよりもロケット・ローンチ的な駆け上り方である。
  少々述べているが、アトランタ出身のGary Stierが結成したLonesome Jonesが「Smells Like Bacon」という7インチEPを発売して解散したのが1997年頃らしい。他にも自費で極少数のシングルをローカルリリースしているらしいがさすがに資料がない。
  このバンドを解散後にCharlieと大学時代の友人であるTurner兄弟を迎えて、Buffalo Nickelを結成するのだが、Gary Stierの名前で活動していたことも短期間あったそうだ。故に今回の解散劇の後のソロ活動は初ではないかもしれないというのが、先刻触れた些細な内容である。
  ちなみにこの「Long 331/3 Play」は2001年の夏にタイトルを「Buffalo Nickel」と変更して再リリースされている。明確には述べられていないが、バンドの解散によるバンド名の利権関係上の措置という噂である。ああ、今回は憶測が多い。(汗)

  さて、本作はHootie & The Blowfishの大ブレイクを思い出させてくれるようなアルバムである。なのだが、同じようにサザンロックというかカントリー要素をたっぷり含んだ、基本的なアメリカンロックを演じながらも前者と全く異なるのは”全然売れなかった”(涙)ことである。
  驚くなかれ、3ヶ月少々遅れて日本盤もリリースされている。こちらの解説は勿論読んでいない。ボーナストラックが2曲も付けば絶対に購入したであろうが。(笑)きっとこちらにはプロのライターの方が詳しいバンドの内容を解説しておられると想像するので、正確な情報を知りたいという方はこちらの購入をお薦めする。又、もし追加情報、筆者の収集した情報に誤り等あれば、伝授して頂けると幸いだ。
  が、こちらは驚くこともなく、本邦でも全く売れなかったそうである。反対に売れたら異常であろうが。(苦笑)
  恐らく、Universalにはツアーによってじわじわと評判を伸ばし、現在では2000万枚近くを売っているHootieの1stアルバムの夢よもう一度、の狙いがあったのだろう。
  勿論、Kenny Wine ShephardやFastball、The Black Crowes。そして大ヴェテランのWillie NelsonやSteve Earle、更にはオルタナ系のCrackerにカントリー色の強いBR-549、以上のフロントライナーとして全米を廻り、偶然にも大物プロデューサーのDanny Kortchmarの目にとまり、ぞっこんに惚れ込まれ、あれよあれよという間にメジャーデヴューの運びになったのは、彼らの音楽が実力のあるものであったことは疑いようは無い。
  メジャーでデヴューして商業的に全く成功しなかったのはバンドにとってもレーベルにとってもフラストレーションになったことは想像が易い。もう少し、インディでサーキットをしてからメジャーへと上がればもっとグループとして存続できたかと考えるのは夢想だろうか。
  どのみち、二匹目の泥鰌は柳の木の下にいなかった訳であるし、やはり良いアメリカンロックは奇跡でも起きない限りメジャーでは売れないということを立証して、バンドは終焉した。
  しかし勿体無い。バンドの核であるGaryにはめげずにこの方向性を貫いて欲しいものである。ルーツ音楽を叩き台にした70年代や80年代のメインストリームとして地位を獲得していた、本物のアメリカン・サザンロックをだ。
  アルバムは全12曲で構成されている。
  ゲスト陣は超一流のヴェテランばかりである。HeartbreakersのMike CampbellにBenmont Tenchのコンビはこの手のルーツ系の若手のメジャーアルバムには殆ど顔を出している。彼らを筆頭にJayhawksのGary LourisにKenny Aronoff (John Mellencamp's band)、Michael Ward(The Wallflowers)といった錚々たる顔ぶれがサポートしているところはさすがにメジャーアルバムの面目というところか。勿論マルチプレイヤーであるプロデューサーのDanny Kortchmarも演奏に参加している。クレジットが詳細でないため、誰がどの曲でサポートをしているか想像するのも良いのではないだろうか。
  アルバムの構成上#9『What You Don’t Need』から#12『Let It All Come Down』までが軽快なカントリーフレイヴァー溢れるアップテンポな曲が全くなく、スローなサザンロックのロッカバラードや、黒っぽいロッキンブルースナンバー で固められているのがやや単調な流れとなっている点以外は殆ど満足の出来である。言うまでもないが、少々R&Bやゴスペルを匂わせる重目なビートナンバー#11『One Man’s Ceiling』が一番アンキャッチーでやや好みでない以外は、後の後半3曲の感情の入れ込み具合といい、パワフルなバラードの感動といい文句は全く無い。
  1stシングルとなった#4『Good Day』やオープニングの#1『This Ain’t Nowhere』はGin Blossomsの名曲『Follow You Down』を髣髴とさせるような疾走感てんこ盛りの、アメリカン・ルーツロック&ポップの原点のような大名曲である。この2曲にはThe Byrdsに連なるカントリーロックのお約束と、Bruce SpringsteenやBob Segerに端を発するアメリカン王道ロックの精神が生きている。「子供の頃、MacのLindsey Buckinghamがシャウトする歌を聴いたのが、今までで最高の音楽の思い出だよ。」とGaryは一番好きなヴォーカリストにFleetwood Mac全盛期のリードシンガーをピックしているが、確かにコマーシャルの権化のようなメロディは頑として存在している。
  特に#1のさりげないオルガンとアップライトピアノのバッキングは、これ以上前面に出ると、ギターサウンドより目立ってしまう限界線上でメロディを紡いでいて、この際どさが失神モノである。
  反対にややラフなギターを爽やかにアレンジした#4では、南部的な泥臭さよりも、西海岸的な清涼感を90年代のサウンドに昇華していると思う。
  #2『Fool Enough』はGeorgia Satellitesを聴き返したくなるようなハードな粘着力のある、それでいてポップなフックの効いた南部ロックをメジャーなレールに乗せたら、このような突っ走り方をするだろうというツボにはまったようなロックナンバーである。終始爽やかな#1とのコントラストも素晴らしい。
  #3『Miss America』と#5『Comeing Up Roses』はそれぞれHootieのトップ10ヒットである『Let Her Cry』や『Hold My Hand』を連想させるようなロッカバラードである。哀愁のあるメロディに泥臭いギターのサウンドが絡むところは、何故か哀愁をオルタナ的憂鬱と勘違いしているどっかの国のメディアに、「これこそメランコリックなバラードや」と叫びたくなるくらい、良質である。
  微量にルーツ的な色合いを混ぜつつも、都会的な洗練されたポップロックなチューンとして際立った#6『Stayed』はこれまたシングルにしても全く過不足のない、素敵なメロディを持ったナンバーだ。嫌味にならないくらいのルーツテイストの織り混ぜ方は、やはりメジャーレーベルにはこのくらいのすっきりしたアレンジが必要なのだと再確認させてくれる。この方向性のメジャーなアレンジなら大歓迎なのだが。
  ソウル・ポップ的なサニーサイドな音楽性が気持ちの良い#8『Evil Wind』はハスキーなGaryのヴォーカルとバックヴォーカルの老舗Lennonファミリーの織り成すコーラスが60年代のポップスを懐かしむような味わいを感じる。ヴォーカルの重ね方では際立ったポップナンバーであると思う。
  JayhawksのGary Lourisがギターを弾くならこのアクースティックナンバーでないかと、勝手に想像しているのが#7『Ragged Out Heart』。徐々に盛り上がるメロディラインと、これまた多重なコーラスワークに、ピアノの叙情的な旋律が、地味な展開ながら、聴き飽きの来させないバラードとして仕上げをしている。
  #9『What You Don’t Need』もこれまた泣きの入ったバラードである。少々バラードの比率が高いアルバムであると思うのだが、どのバラードも素晴らしいので、それで良いと思ってしまうところが既にやられている証拠であろう。
  バラードの最高峰であるのは南部的な重心の低さと、ブルースロック的な重厚感をズシリと心に打ち込んでくれる#12『Let It All Come Down』であると思う。感動的な展開とメロディにおいては他のバラードに一歩譲るかもしれないが、エモーショナルな歌への気持ちの込め方と、やや黄昏たしっとりした感覚とサザンロックのパワーの融合は絶妙の効果を発揮して、アルバムのトリをきっちりと締めてくれる。
  捨て曲は勿論なし。敢えて言えば#11がやや退屈か。ここへポップロックなアップテンポなチューンが飛び込めば完璧な流れになると思うのに、と勝手に残念がっている。

  折角日本盤もまだ出まわっているので、購入していないロック好きなリスナーは直ぐに購入した方が良い。ヘヴィロックとゴテゴテに装飾したミクスチャー音楽が猛威を振るった20世紀末に、このようなストレートなルーツロックアルバムが発売されたことは驚くべきことである。繰り返すが。
  解散は残念であるが、このBuffalo NickelがGary Stierのワンマンバンドであったことを鑑みれば、彼の才能はソロにせよ、新しいバンドにせよこれからも十分に聴けると思うし、Blackberry Smokeのよりディープなサザンロックも堪能できると前向きに考えていきたいと思う。  (2001.9.18.)


   Red’s Recovery Room / Clodhopper (1998)

    Roots                   ★★★★★

    Pop                   ★★★☆

    Rock                 ★★★☆

    Alt.Country&Traditional ★★★★

                        You Can Listen From Here


  トレディショナル・ソング系のルーツアルバムというのは非常に他人に薦め難いところがある。例えば、今年2001年にBlue Mountainが「Roots」という題名まんまのトレディショナル・ソングをカヴァーしたアルバムをリリースしているが、このアルバムを未だ購入さえしていない。前作「Tales Of A Traveler」にてDan Bairdの協力によりかなりポップでキャッチーなルーツバンドとして新生したBlue Mountainがベッタリのルーツアルバムを渋く演じることに抵抗があるからだ。筆者の評価の低いアルバムはどのくらい世間の評価が高かろうと、お薦めは絶対にしないのが極個人的主義であるからしてダメそうなアルバムは取り上げない、聴かないのだ。
  このようにルーツ好きであっても、トレディショナル・ソング−つまりは日本風に表現すれば民謡であるが−が好きとは限らないのであるし、事実クセのあるトレディショナル・アルバムも多い。
  トレディショナルと一口に言っても、スタンダード系のヴォーカルから、土着系のカントリーカラーを強く残したトレディション音楽もある。
  混同してはならないのは、最近雨後のタケノコ状態に林立しているJam Rockと同義に捉えられているTrad Rockであろう。この意味でのトラッドはあくまでも伝統的な歌謡の焼き直しではなく、根源音楽のラフさと未完成さ、及び自由さをロックというメディアで表現したものである。Dave Matthers Band等をトラッドロックと分類しているが、彼らが草の根な民謡を歌うバンドではないことは、周知のとおりであろうし。
  と、いきなり脱線してしまっているのだが、この「Red’s Recovery Room」というアルバムはここまで触れてきた、トレディショナルソングで固めたアルバムでは厳密にはない。
  少々、メジャー過ぎる例であるが、Hootersの3rdアルバム「ZIG ZAG」の2ndシングルとなった『500 Miles』がトレディショナルソングの新解釈であったように、このClodhopperもオリジナルの歌の所々にトレディショナル歌を彼らなりに解釈し、取り入れつつ、アルバムを創っている。
  が、全体としてオルタナ・カントリーへの音楽性の強さと、伝統音楽への追求がそれほど区別がつかなくなっているところが非常に興味深く、更にこのアルバムを”ルーツロック”なアルバムとして成功させているのだ。
  つづめて言えば、オルタナカントリー系のロックがかなりトラッドへ傾斜している、ということとトレディショナル・ソングのアレンジがそこそこロックとして聴ける解釈がなされているということであろう。導き出される結論というか全体像は、とことんトラッドに両足まで突っ込んだ、ダサく垢抜けない、乾いた土の匂いが感じられるようなアルバムであるということになる。
  が、ともすれば、民族音楽系のポップスやロック、日本で著名な大西洋を渡った大ブリテン島の西に位置するアイルランドのケルティック・ミュージックを例に取ると、あまりにも民族音楽としてのアクが強くてロックやポップのコンテンポラリーでコマーシャルな要素が挫けてしまうという危険性(反面、成功例とも言えなくもない。ディープ・トラッド肯定派にすればであるけれども。)に陥りがちな落とし穴に嵌まることのないアルバムである、と考えている。
  少なくとも、トレディショナルのスローに過ぎるビートの退屈さを感じることだけはない。この点であくまでも「ロック」が好きな著者の嗜好を過不足無く満たしてくれている。

  さて、この「Red’s Recovery Room」のジャケットというかアルバム全体を眺めてみよう。実に簡便過ぎる拵えなのである。デジパック仕様のような普通のプラスティックケースに入ってはいないアルバムであるが、これをデジパックと呼ぶにはかなり語弊があるように思えてならない。
  デジパックの様に、両扉を開いてCDを取り出す形ではない。ただ、一枚の表ジャケを開くとCDが見えるだけ。このケースがまた薄く、CDシングルの紙ジャケ盤よりもペラペラかもしれない。(笑)というかCD-Rのスリムケース並なチープな器である。兎に角、極薄なアルバムである。
  また、インナーも全く味気なく、レコーディングに参加したメインのアーティスト4名とサポートミュージシャンの名前、そして1997年にカリフォルニアとモンタナ州でレコーディングが行われたことが必要最低限に、実にプラクティカルに書かれているだけである。勿論プロデューサーやミキシングはおろか、各メンバー担当楽器のパートなどは記述のあろう筈もない。
  更に、このインスタントカメラでどこかの場末の繁華街のネオンを撮影し、そのままジャケットにしたような全く手の込んでないジャケット写真。(これはこれでとても味があって本作の作風にもヒットしているが。後述)
  どうせライヴ会場での販売だけかと舐めてかかっていたら、ここに貼った試聴コーナーへのリンクでジャンプが可能である、Amazon Com.に品切れで(爆)置いてあった。試聴は可能だが、入荷したことはこの2年間で一度も無いのは気のせいだろうか?
  というのは、どうやらこのClodhopperの所属していたOur Planet Recordsが倒産した模様なのだ。他にもMarc OlsenやCitizens’Utilitiesといった結構将来的に楽しみなAdult Alternative系のアーティストを抱えたワシントン州のレコードレーベルであったのだが、2000年くらいからオフィシャルサイトが消滅し、新しいアーティストのリリース情報も聞こえなくなって来たので、消滅は確実である。
  何時の間にか消えてしまう前に、Clodhopperのページは数回目を通しただけで、放って置いたので今回レヴューを記すに際して非常に情報収集に腐心することになった。海外筋でもやはりローカルバンドだけあって殆どまともな情報が検索できない。以前に集めていた情報の記憶の断片と、極少数の記述からしかこのグループを窺い知ることはできないのである。
  残念なことに1999年以降の活発な活動情報は全く無し、皆無、である。解散または空中分解、自然消滅、活動停止、とどれを採ってもネガティヴな予想しか浮かんでこない。
  しかしながら、このバンドのリーダーであるDanny Pearsonが前身のバンドが解散した後、このClodhopperのアルバムを世に出すまで約5年をかけていることを考えると、まだまだそう悲観したものではないかもしれない、という希望的観測を持てそうだ。
  1983年の結成から1994年の解散まで、7枚のアルバムをリリースしたサンフランシスコ出身のバンド、American Music Club。(以下AMC)このダークで鬱なサウンドが特徴的なややルーツのテイストも併せ持つグループが、Danny Peasonの所属先であった。私的にはかなり嫌いなバンドである。オルタナ的暗さとモノトニアスさを80年代から出していたバンドだからだ。
  このポスト・オルタナティヴと呼ぶべき、暗い憂鬱なサウンドを売りにしていたバンドで、Dannyはベースとバックヴォーカルを担当していた。あまり目立たない存在であり、AMC時代はリードヴォーカルよりもバックヴォーカル専任であったし、ソングライティングもフロントマンのMark Eitzelが一手に受け持っていた。
  また、AMC解散後、Danny(AMC時代はDan名義)の足取りはMark Eitzelのソロアルバムに顔を出しただけで、一切表層に浮かんでこなかった。そんなこんなで、このClodhopperのキャッチ・コピーの「元AMCのベーシスト」という謳い文句にも最初は全然ピンと来ずに、数枚持ってるAMCのアルバムを引っ張り出してDanの名前を確認した次第である。
  どうやら、AMC解散後、DanはAMCではあまり追い求められなかったルーツミュージックやトラッド音楽を演じることを始め、地道にサンフランシスコ周辺のクラブやバーで弾き語りをやっていたようである。セッション・ミュージシャンとして活動するよりも、自らのやりたい音楽を何とか形にしたくて、バンドのメンバーを探しつつのドサ廻りであったようである。
  そうして1995年から約1年半をかけて、レコーディングメンバーを集めることに成功。1997年に数名のゲストとClodhopper名義で録音、1998年にインディリリースされたアルバムが本作である。
  消滅したオフィシャルサイトによると、Clodhopperというバンドはベーシストでありバンジョーも弾きこなし、リードヴォーカル担当の
  Danny Pearson
  とバンジョー、マンドリン、そしてフィドルといったルーツ系の弦楽器を十得ナイフのように器用に扱う
  Tim Bierman (ルックスはアブドラ・ザ・ブッチャーのような体型と外見だけど)
  という重力の懸かり具合が必要以上にでかそうなオヤヂのユニット形式とのことだったようである。(ややあやふやなのだが・・・・)
  ライヴでは後数名がバンドメンバー扱いされていたが・・・・・。
  このレコーディングでは主要メンバーとしてAMCのドラマーであった元同僚のTim Mooneyとプロデュースの一部とエンジニアも担当しているギタリストのJoe Goldringがクレジットされバンドとしては4名体制となっている。
  ゲストとしては、やはりAMCのメンバーであったペダル・スティール弾きのBruce KaphanとギタリストのVudiが見られるし、元Pearl Jam(名前書くだけでむかつくけれど、しゃあないわな。取り敢えず氏ね)のベーシストJeff Amentが唯一のメジャーアーティストとして参加している。他にはピアノからギター、ヴォーカルまでこなすマルチセッションプレイヤーであるJ.C.HopkinsとDiana Trimbleの名前がクレジットされているくらいか。
  兎に角、意外と大勢の手を借りて作成されたアルバムのようである。録音状態も非常に素晴らしい仕上がりとなっている。もはやインディやローカルレーベルというビハインドは90年代の後半においては全く無い。

  さて、アルバムの内容であるが、はっきり言うとAlt.Countryの権化のような仕上がりになっている。かなり語弊を招きそうな言い方であるが、これ以外には語彙の乏しい筆者には表現の仕様が無い。カントリーというにはあまりにもトラッドの色合いが強いし、ロックとしてのラインの力強さがあり過ぎるため(速いということではない。念のため。)カントリーとは正直呼びたくない。とはいえカントリーロックでもない、純然たるオルタナ・カントリーのアルバムであると感じるのだ。が、Alt.Countryの必須であるガレージパンクの音は殆ど聴こえてこない。
  というか、新しいルーツミュージックの形態のような気がするのだが、ネオ・カントリーとか言うビルボードでチャートインしそうな軟弱スカスカカントリーと混同しそうなので、この表現も使いたくない。
  サウンド的には新しいアプローチは皆目である。トラッドをロックンロールに絡めた音楽、または、ロックにトラッドの乾いた感覚と懐かしさを加味した音楽。言わば、クロスオーヴァーという使い古された言い回しが適切なのだろうが、単なるトレディショナルのオマージュに終始していないところが、この「Red’s Recovery Room」が私的に名盤たる所以である。
  カントリーとして、または独創性を狙ってトラッドソングを現代的にアレンジした再評価アルバム、というような安易でチープなアプローチが全く感じられないのだ。トラッドロックという風味に近いが、ジャム的統一性の無さも鼻につかない。実に古臭いが、ユニークでしかも非常にコマーシャルな創りをしているところが凄いのだ。
  やはりAlt.Countryの傑作アルバムとして呼びたい。トラッドという単語を出すと、ロックとしての新鮮な感覚が失われそうなので。
  くどくどと述べてしまったが、要するにトラッドっぽいロックかロックなトラッド風味を楽しめるアルバムなのだ。見も蓋もないけど。

  散々”トラッド”と述べてきたが、実際にトレディショナルソングは12曲中の3曲のみである。しかも、この3曲が実にロックンロールしていて、オリジナルの方が余程トラッドの香りがすることが、とても可笑しい。
  トレディショナル・スコアを元に再アレンジされたのが、#1『Dinah』、#10『900 Miles』、#11『Moonshiner』の3曲である。
  まず、#1の『Dinah』であるが、トレディショナルと知らずに聴いても全く違和感がないだろう。ポップなメロディラインにずっしりとした余裕のあるビート。とてもヒット性のあるミディアム・ルーツナンバーとしてのっけから傑作のチューンとして物凄いインパクトを与えてくれる。実際にこのアルバムを聴いた時、この曲だけで名盤決定となったほどである。ライヴのヴィヴィッドな演奏も素晴らしかったが、このアルバム収録のヴァージョンも何ら遜色の無い完成度となっている。全編にフューチャーされたマンドリンとバンジョーの乾いていてそれでいてジワっと心に沁みてくるような湿潤さ。控えめであるが、丁寧なギターワーク。所々でとてもノスタルジックに響くブルースハープ。スネアとシンバルの、メロディの垢抜けさに反比例するようなクリアさ。演奏は完璧だ。加えて、Dannyのややハイトーンでシャガれたとてもセクシー(笑)なヴォーカルが驚きであった。このようなヴォーカリストがAMC時代に2番手に居座っていたのは納得がいかない。PocoのRusty Youngと同様、埋もれていた珠玉のヴォーカリストだ。実に勿体無い。
  トラッド2曲は順に紹介するとして、まずは曲順通り#2『Walking Tune』から。ワウ・ワウ・ペダルだろうか、とても黄昏た音をひねり出すリフに、マンドリンやバンジョーが追従する気だるい展開のこの曲こそ、トレディショナル・ソングと説明されても全く違和感が無い。アルバムのジャケットの雰囲気にとてもフィットした、ややもの哀しい場末の夜のひとコマが伺えて来るようなのんべんたらりんとしたスローナンバーである。が、根幹のメロディがとてもキャッチーなために、とても聴きやすいナンバーとなっている。このどことなく懐かしさを、子供の頃夕暮れに感じた「もう一日が終わり夜が来るんやなあ。」という感慨を抱かせるような昏さは非常に特徴がある。
  続いて、更に民謡的な物悲しさと、そこはかとないせわしなさが同居したような#3『1000 Days Of Shame』は、オルタナディヴ風の陰鬱ささえ感じることができる。とはいえ、オルタナミュージック特有の平板な退屈さは無く、マンドリンとバンジョーが速弾きされるタイトなアップビートには、思わず首を伸ばして引き寄せされる魅力がある。この辺のトラッドというか欧州的な哀愁とロックビートの融合は、もう名状し難いものがあり、実際に聴いてもらうのが一番手っ取り早い。
  #4『Cafe Joli』はこのアルバムから第一弾ラジオシングルとなり、カリフォルニア北部でローカールヒットした(というかサンフランシスコのオルカン系ラジオプログラムでだが)曲である。
  「僕たちはカウ・パンクバンドではないし、ロカビリーもやらない。もっともっとバラードに近いゆっくりした音楽を演奏したいのさ。だって、人生というものがいかに冒険とは縁遠いものかを歌っているんだから。」
  というPearsonのコメントにあるが、確かにスカっとするようなロックの疾走感を味わえるようなナンバーではない。ミディアムビートの明るいがやや愛惜の匂いのするメロディが非常に心地よいポップソングである。ボトルネックギターの田舎臭い音色が、マシンの様に正確なピックを刻むマンドリンと絶妙に溶け合っている。コーラスもやはり西海岸のバンドという面目躍如に爽やかである。ローカルヒットしかしなかったのは、このダサさでは仕方ないかもしれないが、とても良いルーツ・ポップソングなので、これはナショナルワイドでヒットして欲しかった。
  次に#5『Goodnight Nobody』のスローで美しいバラードでほっと一息つかせてくれるのだが、この寂しい歌詞はかなりシンパシィを覚えてしまう。このとても綺麗だが暗い詩はこれまたPearsonの
  「本当の土着音楽というのは普通の人々を歌ったものなのさ。飲んで、ジョークを言って、男女関係のあれこれをただひたすらに見つめたものなんだよ。」というインタヴューを具体化したように思えるのだ。
  そしてこのアルバムのタイトル曲にしてハイライトシングルの#6『Red’s Recovery Room』が満を持して登場するのだ。とはいえ、物凄いキャッチーでも、スピーディでもないし、ポップスの基本の如くといった、コマーシャリズムとは縁が無い曲なのだ。バンジョーとマンドリン、ペダルスティールというルーツ楽器がただひたすら物哀しい、日本の民謡にも似たメロディを奏でる。ただ、単に「哀」のある曲である。それでいて、スローでないのだ。ビートは限りなくアップテンポである。この生き生きしたリズムと大陸的なというか草の根的な伝統メロディの哀愁のミスマッチが、何故かとてもハマっており、聴けば聴く度にリピート性が出てくるのだ。自然と身体が動いてしまうのは、日本の盆踊りというか祭りのお囃子に通じるような万国共通の要素を本能が感じるからだろうか。・・・それほどご大層なものでないにせよ、確かにこの曲は民族音楽の焼き直しというラベルがビシっと貼れそうだ。特に歌い回しで切なさを過不足無く表現できるPearsonの歌い方とヴォイスはこのアルバム一番の出来である。基本的にキャッチー命な筆者がここまで入れ込むとは我ながら珍しい。この曲もラジオシングルとしてローカルヒットしている。やはりこの、ジャケット写真の空虚な夜の世界を事象化したような音世界に惹かれたリスナーが多かったのだと思うと喜ばしいものがある。
  #7『Chrystalline』は久々に電気ギターが自己主張するロックチューンとなっている。マンドリンとギターのハーモナイズはどことなくHootersを連想されてくれる。このロックテイストへの追及は、退屈になりかねないアルバムの流れを引き締めてくれる働きがある。また、とてもキャッチーな曲であるため、シングルとなっても十分にヒットしたと思う。一般的にAlt.Countryというならこのようなオーソドックスなルーツロック・チューンを指すのだろうが、それにしてもバンジョーの透明感ある導入部から、フックのあるメロディが続き、ヒット性というなら、この曲がアルバムで一番であるだろう。全体にこれほど速い曲は無いのに、スローさが気にならないというところは、やはり各曲の持つ底力が存在し、軽さとは無縁だからだろう。
  そのことはスローなナンバー#8『Cecil』を挟んだ、#9『Thomas Hart Benton』でも当てはまる。このフィドルが思いっきり元気印な、一番カントリー的な明るさを有したナンバーでも、スカスカな嫌らしい脱力した軽さが感じられないところで、Clodhopperの創りだす音世界が、とても根っ子のしっかりした作品であることが認識できる。言うならば、このアップ・チューンはカントリー風お祭りソングなのであるが、軽薄さよりもルーツ音楽としての楽しさと落ち着きが伺えるのだ。抜けるようなチューンであってもだ。このあたりの魅力はまさにマジックというしかないように思える。
  さて、やっと冒頭で触れたトレディショナル・ソングが紹介できる。#10『900 Miles』はかなりノイジーなギターとオルタナティヴミュージックの代表である重い憂鬱なメロディで演奏される。かろうじてマンドリンとバンジョーが”ルーツ”の主張を行っているが、歪んだギターのチョーク音がところどころ入り、フィドルとユニゾンするところなどはミクスチャー的な節操のなさを売りにした十羽一絡げ的なバンドを思わせてしまう。が、この曲をトラッドとして最初から認識して聴けば、かなり冒険的なアプローチを行っていると感じることができるし、彼らのロックンロールへの精神を垣間見ることも可能なので、許容範囲な1曲といえる。ユニークなアレンジをしたものだ。
  対照的に#11『Moonshiner』はア・カ・ペラで通じて歌われる2分少々の作品である。所々裏返って表現される、Pearsonの歌唱方法にただ圧倒されるだけである。焚き火を囲んでネイティヴアメリカンが夜空の月に向かって詩を捧げているような風景が浮かぶのは作者だけだろうか。このア・カ・ペラソングはとてもインパクトがある。色々な意味において。
  最後の曲はかなりしっとりと始まるが、コーラス部分でグンと盛り上がりを見せてくれるロック・バラードの名曲と呼べる『Littele Match Girl』だ。ややぐぐもったというか鼻につまるような歌い方をしているPearsonのヴォーカルが特徴的だ。この曲も珍しく、常には脇役に回っているエレキギターが全面に出たナンバーとなっているので、バラードとしてはかなりパンチ力がある。この曲を最後に持ってくると、全体としてロックアルバムであったような印象が生じるので不思議である。

  それにしても、この素晴らしいアルバムがどれだけの数、日本に来ているのだろう。多分著者が持っている一枚だけかもしれない。(洒落にならんとこが怖い。)全く音沙汰がなくなってしまっているし、レーベルが消滅してしまったらしいので、入手は困難かもしれないが、中古マーケットでは出回っているようだし、欧州ではまだ売られているようでもある。
  トラッドをロックで申し訳程度に飾ったようなアルバムとは全然違う、深い味わいがあるピースである。ルーツロックが好きなリスナーには絶対に必須なアルバムである。何ら奇を衒うところがないが、それでいて、とても独創的なアプローチを施し、差別化としているのだ。
  ジャム・ロックの詰まらなさ−最近のDave Matthews Bandのような−に飽き飽きしているファンは、このピュアなトラッドとオルタナカントリーとロックのフュージョンを聴いて心を癒して欲しいものである。  (2001.10.7.)


   Tug Of War / Paul McCartney (1982)

    Adult.Contemporary ★★★★☆

    Pop           ★★★★

    Rock        ★★★

    Acustic    ★☆


  ♪「この世はなべて綱引きだ。」・・・・・・・・実に印象的なファースト・フレーズだ。
  「ウォ〜〜シ、ヨ〜〜〜〜〜ィ・・・・・ソレイケ、ソレイケ、ソレイケ・・・・・ウォ〜〜〜〜〜〜〜シ・・・」
  てな具合にこのアルバムの冒頭のSEはどっかの日本の砂浜でむくつけき筋肉ダルマが綱引きをしているところを録音したとしか思えないくらい、日本語っぽい。英語の聞き取りがそれなりにできるようになってから何回聴いても、やはり「それ行け、それ行け・・・・・」としか聴こえないのは気のせいだろうか。
  ちなみにLP時代は、録音レヴェルを変えれる機能付きのプレイヤーを持っていたため、この掛け声SEだけ大音量に録音して聴いていた。(笑)かなり変てこな思い入れがあるが、この「ヨ〜〜〜〜〜〜〜〜シ」のSEは便所で踏ん張りをきかせるのに最適なインパクトの強烈な効果音である。(笑)
  で、PVも綱引きを期待していたが、あまり大したものではなかった。♪「In Another World」の歌詞にシンクロさせて未来的なロケットもどきの打ち上げシーンが出るほかは、アクースティックギターを抱えたPaulと後ろに立ったLindaがヘンなスローな振り付けを見せるという面白くない映像作品だったので、相当がっかりしたことを思い出す。
  しかし、#1『Tag Of War』からとても壮大でかつポップな曲を聴かせてくれるのは圧巻である。
  以前どっかのレヴューで”『Evony And Ivory』のような曲の入ったアルバムを創ったのを聴いた時、McCartneyはもうロックンローラーではダメでアガったヒトと思った。”という文章を読んだが・・・
 「お前がアガってろ、ボケ!!」
  と思った。このようにポップで優しい名盤を創れる人間を捕まえて、ロッカー失格とは!!
 「お前なんか中国へ逝って人間燭台になってれ!!」
  とも思った。
  というような具合で(どんなんや)、このPaulのWingsも含めて12枚目の作品には非常に思い入れがある。恐らく彼のアルバムでは「Give My Regards To Broad Street」と共に一番聴いたアルバムであるのは間違いない。
  ♪「押して、引いて、押して、引いて」
  と滑らかな余韻を残して、ストリングスがフェイドアウトすると、メドレー式で#2『Take It Away』が続く。
  PVではRingo StarrがSteve Gaddとシンバルをシェアするプレイを、ぼろぼろのアパートのような一室で披露している映像が見れる。演奏的にはそう大したプレイでないし、リフではPaulの弾くくぐもったベースラインの方が印象的だが、久々のBeatlesのメンバーが参加したPaulのソロ作品としてはファンなら好きにならずにいられない曲だろう。つーか、この曲がダメやったらダメやろね。久々にPaulの作品を−Abby Road以来か−プロデュースしているGeorge MartinのローズピアノとPaulのアクースティックピアノのダブルの鍵盤音色はとても心地よい。
  クレジットには何故か記載がないが、デライトフルなホーンセクションの入れ方といい、元10ccのEric Stwartをメインに据えたBeachboys風のバックコーラスといい、典型的なBeatlePopと言えるだろう。
  ラストヴァースの♪「Faded Flowers Wait In The Jar , Till The Evening Is Complete」の意味深な歌詞はこれまたPVでも歌詞に沿うように花を映していたこととオーヴァーラップして、とても心に残る一節だ。

  それにしても、長年のパートナーというか唯一残ったWingsのメンバーであるDanny Laineが脱退して、かなりPaulに対して批判的なコメントをばら撒いていた直後の発売であったことも印象深い。
  「Paulはとてもケチなんだ。契約に定めた給料なんて全然貰えなかった。」
  「彼とリンダは農場での質素な暮らしに満足していたようだけど、あれはつらかった。文明人の生活と言えるか疑問だね。あれではバンドのメンバーは嫌気が指してやめるのも仕方ないね。」
  まあ、筆者的にはアーティストがケチだろうが、性格が悪かろうが、モンゴロイドの非英語圏国家を馬鹿にしていようが、音楽さえ良ければどうでも良かったりする。「鯨殺し」みたく言われるのは勘弁して欲しいが。
  そのDennyの演奏もこのアルバムでは随所にクレジットされている。脱退前にテイクされていたトラックをGeorge Martinが積極的に採用したからであるが。
  #3『Somebody Who Cares』でもDennyはギター・シンセを弾いている。このアクースティックなナンバーは90年代のかなりテンションダウンしたPaulが今レコーディングしたら、きっと大して印象に残らないかもしれないが、このやや昏さを伴ったメロディは、1980年に他界したJohn Lennonへの追悼曲である#5『Here Today』と同じく、Johnに捧げた曲の様に思えてならない。
  特に#5の歌詞には是非耳を傾けて欲しい。Paul McCartneyとJohn Lennonという不出生のソングライターコンビの片割れが、心の内を素直に表している。
  ♪「I Am Holding Back The Tears No More , I Love You」
  ♪「For You Were In My Song」
  このような言霊の端々に「決して忘れないよ。」「でも、僕は前に進むよ。」と、陳腐な表現で恐縮だが、Johnの喪失を何とか気持ち的に整理をつけたPaulの心情が伝わってきてやるせない気がする。
  Elton Johnの「Empty Garden(Hey Hey Johnny)と並んで、忘れられない追悼哀歌となっている。
 
  Stevie Wonderとの共演は#12『Evony And Ivory』だけが頭二つくらい飛び抜けて印象的だが、#4の『What’s That You’re Doing』も決して好きなタイプの曲ではないのだが、やはりとてもインパクトが強い。当節流行であったテクノ・ビート風のディスコティック・サウンドに乗せて、ファンキーにデュエットするPaulとStevieのヴォーカルは、シングルを意識していないためか、かなりロアでリラックスしている印象を受ける。隠れた良作という感じだろうか。
  もっとも、ここまでアルバムが売れれば隠れたも何もないけれども。(笑)
  中盤では私的に大好きな名曲が2曲入る。後の自作自演の駄作映画サウンドトラック「Give My Regards To Broad Street」にもリテイクされた#6『Ballroom Dancing』と#8『Wanderlast』である。両方ともシングル化されていないが、常に私的Paulベスト10に入る傑作である。
  #6の冒頭の乾いた、意識的に古臭い叩き方をしているピアノソロからしてキャッチーで軽快なこの曲のポップロックな楽しさを予感させてくれる。ドラムにベースにエレキ・ギターと殆どをPaulがこなし、Denny Laineのギターライン以外のロック・インストゥルメントは全てPaulのプレイである。随所でパンパンと入るホーンアレンジも胸躍るものがあるし、中盤のインタープレイでテープを変則回転させたようなヴォーカルを連想させるクラリネットも非常にユニークな雰囲気を醸し出している。正直ここまで明るい曲が聴けるとは、このアルバムを手に取るまで想像しなかった。#1、#2ともに明るさを感じさせるが、ここまで吹っ切れたイメージは伝わってこなかったからだ。
  この『Ballroom Dancing』を聴いて初めて、「ああ、PaulはPaulになったんやなあ。」と良くわからんことを感じたりもしたのだ。
  そして彼のバラードでは『My Love』より好きで、『No More Lonley Night』や『Once Upon A Long Ago』と私的に双璧な#8『Wanderlast』。Paulも「この曲が一番このアルバムで好きかな。僕はお気に入りの曲とアレンジが気に入らない曲はリテイクしたりするけどね。この曲はどうかな。」と当時述べていたけれど、実際4年後にリテイクしているのはよほどお気に入りの曲なのだろう。ストリングスやホーンセクションも挿入され、21世紀のシーンではオーヴァープロデュースと後ろ指を刺されそうであるが、レコーディングが古いため、アナログ音源としての不明瞭さが大仰過ぎない印象を与えるのに一役買ってるようにも思える。
  この曲はPaulのバラードメイカーとしての才能を遺憾なく発揮した大名曲だ。特にコーラスパートのPaul自身のハーモニーヴォーカルのオーヴァーダビングのパートが感動的に素晴らしい。彼のヴォーカルがフェイド・インとアウトを繰り返しながらラストに向かうパートはただただ美しく、奥行きが深い。何か、壮大な自然−大きく澄んだ満月や一面の夕焼けといったような−を見たときの心の拡散を感じるのだ。
  割を喰らっているのが、良作なのにこの2曲の間に埋もれてしまっている#7『The Pound Is Sinking』だろう。金属的な音響が耳に残るシンセサイザーアレンジを取り入れた、UKセンスの光るナンバーなのだが、やはり印象が薄いのだ。
  そして、完全にお遊びというか「やりたいことやっとんで〜!」と宣言しているかのような#9『Get It』。Paulの少年時代のアイドルであったロカビリーの大御所Carl Perkinsとジャム的なセッション風の小作品だ。オールディズ風味というよりも、ジャズヴォーカルのアウトテイクといったラフな曲となっている。
  兎に角、メロディ自体よりも、最後で大笑いしているCarlの笑いがとても強烈に記憶に残る曲だ。
  しかし、このアルバムでは元気に歌っているCarlは1998年に惜しむらくも他界している。こういう”現在”の事情を顧みると、この「Tug Of War」から20年近く経過してしまったことを今更ながらに感じるのだ。
  ブリッジ的な#10を経て、#11『Dress Me Up As A Robber』のかなりクサイ(死語)詩が飛び込んでくる。歌詞は大甘であるが、メロディは鋭いホーンセクションが吼える、シンプルなR&Bロックだ。Paulがファルセット気味に抑えて歌っているのが最初のうちは気持ち悪かったが、何回も聴いているうちに、リフをくちずさむようになってしまっている自分に気が付く歌。不思議な魅力のある異色のチューンである。
  で、オーラスが、80年代に洋楽を聴いていた人なら知らない筈がないであろう、大ヒット曲『Evony And Ivory』。
  PVも何回見たか忘れたくらいだ。
  いきなり窓辺のピアノの向こうにある窓を開けるオープニングから、PaulとStevieの変装した(笑)大群があらゆる楽器を弾きこなすシーン(実際に2人で全ての演奏をしている。)と、ピアノの上を飛び跳ねる2人。このPVも見たことのない音楽ファンは存在しないだろう。(断言)
  とことん売れ筋とかポップさがコマーシャル主義の代弁としてダメ、とかいう孤高を標榜するリスナー以外なら、多かれ少なかれこの曲は名曲と思うだろう。ピアノの鍵盤に擬したメッセージ性については今更付け加えることもないけれど、実に心温まる。
  が、黄色の象徴である「琥珀」−Amberもできれば入れて欲しかったなあ、とかなり後になって曲りなりに英語を操れるようになってから思ったりしたものだ。

  以上、思いつくままに各曲を書いてみた。
  それにしても80年代初めのアルバム「McCartney U」が個人的に受け入れ難い気抜けのようなアルバムであったため、この12枚目はとてもズシンと感性にきた。
  1990年代にははっきり言って全くダメになってしまった感じのPaulである。1997年の「Flamming Pie」が良い・良いと評価されているが、1970年代のPaulと比較したら、残り火的な残念アルバムであると思う。不自然にアクースティック路線を狙っただけの。
  個人的にPaulで評価できるのは1989年の「Flowers In The Dirt」で終焉している。が、彼ほどの才気溢れる天才ならきっとまだまだ隠し球があるに違いないと信じている。
  「Liverpool Oratorio」でクラッシックなんかやってる場合やないで〜、と思うのだが。
  やはり現役のアーティストが昔のアルバムだけ良かったなあ、と回顧されるのは当人がしていながら辛いものがある。もう一花欲しい。Here Todayを聴きつつ思うのだ。  (2001.10.12)


   Little Big Man / Jono Manson (1998)

     Roots            ★★★☆

     Pop            ★★★★

     Rock          ★★★☆

     Blue-eyed Soul ★★★

                     You Can Listen From Here

  John HiattやJohnny Thunders、Elvis Costelloという名前は知っていても、Jono Mansonという名前を知らない音楽ファンは圧倒的に多いだろう。
  また、今年になって漸く待望の7thアルバムを4年ぶりにリリースしたBlues Travelerは大好きであっても、このバンドに関係の深いJono Mansonとの繋がりを全く知識として持っていないリスナーが殆どであると思う。
  まあ、日本盤が全くリリースされないので、仕方ないかもしれないが、彼のような才能溢れるヴォーカリストを紹介しない日本のメディアの眼はビー玉以下の材質であるのは間違いないだろう。(をいをい)何せ、輸入盤専門店でも店頭では全く見かけたことがない。まあ、滅多にレコード店へ足を運ばない筆者のことなので、「偶然見かけた」目撃例をレポートして戴ければ幸いであるが。(謎の生物かい!)
  名前から推察できるかもしれないが、このオヤヂは移民系のバックグラウンドを持つ。伊太利亜の血を父祖に持つニューヨーカーである。
  発音は本来は「ヤーノ」または「ヤノ」・マンソンであるが、アメリカの常でヨルダンをジョルダンと、南アフリカのヨハネスブルグをジョハネスブルグと発音する人も多いように、ジョノ・マンソンと呼ぶ人もいた。英語発音としては正しいが欧州的発音ルールにのっとれば明らかな間違いであるけど。
  まあ、筆者はヤーノ・マンソンと呼んでいる。F1ドライバーであるイタリアンのヤルノ・トゥルーリをヤーノと呼ぶみたいなものである。
  彼の音楽性はロックンロールを基本にして、Bar Rock、R&B、ソウル、ブルーアイド・ソウル、ブルースといった様々なルーツロックの因子をごった混ぜにしたものである。
  こう書くと節操がない音楽性を背負ったミュージシャンのような誤解を受けるかもしれないが、そのようなことは決してない。最初に挙げたJohn Hiattのようなサザンロックのラフさ、Johnny Thundersの暴れん坊なロックスピリット、Elvis CostelloのR&Bを取り入れたポップセンス、これら全てを併せ持っているのだ。
  つまり、メジャーでも十分通用する大型ヴォーカリストのアルバムの様に普遍的なポップロックのツボ−この際売れ線に即したと大鉈を振るってもあながち間違いではないだろう−を押さえた曲を書く人なのである。
  但し、MTVで繰り返しオンエアされるようなキラキラした派手さやチャラチャラした軽薄さとは無縁のオヤヂである。まあ、こういったモノを持っていたら多分ここまで惚れ込むことはなかったろうが。
  そう、大仰過ぎない、Michael Boltonからオーヴァープロデュースな部分を削ぎとって、ルーツなフレイヴァーを強調したサウンドを想像してもらえばよいだろう。ヴォーカルもMichaelほどにはソウルフルではないが、かなり熱い歌唱を聴かせてくれる人である。
  このCD初回版のプラケースにに添付されたシールのキャッチコピーを訳してみよう。
  「もし、Jono Mansonがこの世にいなかったら、Blues Traveler、Spin Doctors、John OsborneといったニューヨークのJam Bandシーンは発火しなかったに違いない。耳の肥えたバーの聴衆をガツンと一発ぶちのめして、彼の熱烈な信者へと変えさせたMansonの全てがここにある。」
  少々大袈裟なコピーであるが、このアルバムを聴けば、数々のバーバンドやロックバンドを聴き過ぎて飽き飽きし、少々のサウンドでは耳目を傾けなくなったニューヨーカーの気だるい眠りを醒ますような曲が詰まっていることが良く分かるだろう。
  兎に角、パワーと男臭さが満点の、骨太なロックアルバムとなっている。
  プロデューサーはYayhoosのEric”Roscoe”Embel、そう先日書いたJoe Floodのプロデューサーでもある。EricやJoe Floodとの付き合いが長いJonoのキャリアを反映してか、ミュージシャンはJoe Floodの2枚目のアルバムの顔ぶれに近いメンバーが集められている。

  Jono Manson (L.Vocal,Guitars) , Joe Flood (Guitars,fiddle,Mandolin,Vocals)
  Steve Lindsay (Bass) , Will Rigby (Drums) , Joe Terry (Piano,Organ,Keyboards)
  Eric Ambel (Guitars,Vocals)

  このメンバーはJoe Floodのレヴューでも言及しているので、そちらを参照して戴ければよいと思う。それにしてもいかにもEric Ambel関連のミュージシャンを集めた東海岸ルーツシーンの祭典のようなメンバーである。
  このラインナップでなよっとした演奏がなされる筈がなく、Jonoのソウルフルなヴォーカルと相まって、ラフでルーツロアな演奏が展開され、質感はたっぷりとしている。
  Joe Floodを引き合いに出すが、今年素晴らしいルーツロックアルバム「Crippin’Crutch」をリリースした彼よりも、とっつきやすいポップさとヴォーカリストとしての力量で、頭一つJono Mansonが上を行っていると思う。
  曲創りにはJoe Floodとの共作も14曲中6曲とかなりのウエイトを占めており、Joeのコンポーズのセンスはこのアルバムでも伺える。またソングライティングに関しては、このアルバムのリリースの前年1997年に急逝したJonoのソングライティングパートナーであったJeffrey Barrに捧げられている。Jeffreyに敬意を込めてか、アルバムのトリ2曲は彼との作品が並べられている。
  他は外部ライターの曲が3曲(1曲はJonoとの共作)とJono単独の曲が4曲となっている。Joe Floodよりもポップに仕上がっているのは自分のライティングだけでなく、外へとドアを開けて他のライターを迎え入れているからかも知れない。

  さて、この「Little Big Man」はスローな曲もアップテンポな曲も、均等に筋肉質の力が篭っていて、その有り余るエネルギーが噴出しているようなビートを感じるとことができる。同時にEric Ambelの手掛ける作品にほぼ共通なルーズさというか緊張感が些か抜けたような感覚も漂う。
  ガンガンにロックを演奏していても、どこかしら微笑んで力を抜いて聴ける音楽である。世俗的に評価されているスローミュージック系列の癒し系とは全く趣を異にしているが、わざとらしいスローアクースティックやサッドコア系の退屈さを鼻にもかけないロックンロールとしての喜びが存在するのである。
  アルバムは速いナンバーとミディアムチューン、スローソングが程よく均等に散りばめられているが、オープニングはミディアムロックチューンから始まる。
  歯切れの良いJonoとJoe Floodのツイン・ギターが泥臭さというよりも東海岸ロックのスマートさを感じさせる#1『I Wish I Could Here From You』はJonoのソウルフルなヴォーカルにEricとJoeの濃い目のハーモニーヴォーカルが被さるが、軽快でソフトなメロディがサクサクと刻まれるため、暑苦しさを感じることはない。オープニングとしてマイルドな雰囲気を出しているところはMichael Boltonの名盤のオープニングでありタイトル曲でる『Soul Provider』に近似したところを感じる。
  そして「Rascoe節」とでも呼ぶべき、Ericが好んでプロデュースする代表のようなロックナンバー#2『Don’t Mind If I Do』。コーラス隊は#1と同じく、Joe FloodとJono、そしてEric Ambelの3人。インタープレイでJoeがフィドルを元気良く躍らせ、ストリングスを使ったロックチューンの大仰さへのアンチテーゼのようなルーツロックチューンとして仕上げている。それにしてもドラマーのWillはいつもながら堅実なドラミングをしてくれる。
  Joe TerryのオルガンもフューチャーされてパワフルにソウルフルにうねっていくR&BオリエンティッドなJonoの感性が浮き彫りにされた、#3『Always Will Always Mean You』は苦笑してしまう程のストレートなラヴ・ソングだ。エモーショナルでメリハリの効いたJonoのヴォーカルがスローバラードにも良く映えるという証明がされるようなナンバーである。
  次の#4『Finest Hour』もスローバラードが連続する。ペダル・スティールがカントリー・ロック的な雰囲気を醸し出しているが、やはりヴォーカル・ロックのAdult Contemporaryなトラックとして聴こえてしまうのは、Jonoのヴォーカルがとても秀逸であるからだろう。Joe Cocker等のヴォーカリスト比較しても何ら劣るところがない。演奏する曲はメジャー向きでない垢抜けないものであるけれども。
  R&Bのリズム感覚というかビート感覚がさり気なくラフなビートに乗っかった#5『Sure Looks Good To Me』はともすればチープなR&Bのビートをライト・グルーヴなリズムで明るいブギー調に仕上げていて、このあたりのルーツバックセンスはEricの手腕によるところが大きいのではなかろうか。
  #6『Gone,Gone,Gone』は、ウェスタン風のハードドライヴ・カントリーナンバーでいかにも一息つくような意味合いで挿入されたような作品。正直、あまりこのアルバムのカラーには合っていないとは思うが。
  Joe Floodのマルチプレイヤーぶりを発揮した手堅いマンドリンの調べと#4に続きペダル・スティールを弾くTom Brumleyの音色がゆったりとした世界を構築する#7『No Strings』はBruce Donnolaというヴォーカリストの書いた地味なバラードだ。悪くない曲なのだが、次のマンドリンが全面に出された、Jonoのシャウトで始まるミディアムチューンのために印象が薄い。
  #8『Little Baby』は終始マンドリンが乾いた音色をくねらせる、サザン・ソウル風のポップチューンで、The Bandを明るくし、ホンキィな感覚をプラスしたような日なたのロックというようなお祭りチューンだ。終始スゥイングするマンドリンとJonoがカッティングするギターの後半での掛け合いはア・ドリブの極致のような気がして思わず身体がリズムをとってしまう。中盤以降はややスローテンポが主流になるこのアルバムであるが、やはりアクースティックなスローナンバー#9を経過して#10の『Under The Gun』も遅くはないが、それほど豪快なロックでもない。ブギウギ調の50年代を思わせるチューンで、JonoとJoeのツイン電気ギターが泥臭いブギーをライヴ感覚一杯に演奏するパートは聴きものである。
  #11『Madman’s Sky』も前曲のようなやや黒っぽい粘着力のある暗いスローチューンである。この2曲のようなソウルや黒人音楽への偏りがあると少しばかり聴いていて楽しくないのだが、Jonoのバリトンとまではいかないが声量の豊かな黒人ヴォーカルとでも通用する声質にはとてもマッチした曲である。彼は歌えるレンジがとても広いことが改めて良く分かる。
  #12『Little Bird Told Me』で久々に明るい曲調のミディアムロックが力強く展開する。ここではEricもエレキギターを持ち、3人がギターワークを聴かせてくれる。やはりこのようなロック寄りのナンバーで、その魅力を発揮する人であることは疑い様のない事実だ。
  そのことは、後半の山であるストレートなロックナンバー#13『Somebody I Will Take My Rest』で更に説得力を持つに至る。オールドスタイルのマシンガンの様に連打されるピアノが一貫して跳ね回る。ギターもルーズに掻き鳴らされ、ハーモナイズ・ヴォーカルとして女性ヴォーカルをフューチャーさせ、更に3人のバックヴォーカルを加えた、分厚い編成に支えられたヴォーカルパートは素晴らしいの一言。
  時には深く、そしてまた時にはシャウトして縦横無尽に活躍するJonoのヴォーカルはフィーメールのサポートによく似合っている。また、マイナーコード風にフェイドアウトするエンディングも実にクラシカルなロックンロールという印象であり、楽しさ満点なチューンとなっている。
  そして、#14『Holding You Near To Me』では再度ペダルスティールを取り入れているが、何とも懐かしい音色を紡いでくれている。ルーツナンバーというよりも回顧的な名バラードとして聴き応えがとてもあるのだが、短い。3分に満たない小作品であるのが残念である。

  さて、Jono Mansonという人についてだが、朗報が入ってきた。2001年11月に、2000年に「Live Your Life」をリリースしたばかりなのに既に5作目のソロを発売するというのだ。タイトルは「Under The Stone」でジャケットも完成している。サンプルが残念ながらまだ聴けないが、ハズレはないだろう。
  ということで、詳しいパーソナルデータについてはその新譜かまたは「Live Your Life」で述べることにしようと計画している。よってここでは簡単に触れておくことに留めよう。
  Jono Mansonは80年代初めから、ニューヨークのバーロッカーとして活動をしてきた20年以上のキャリアのあるミュージシャンである。
  メジャーデヴューしたのが1995年に大手レーベルのA&Mからである。Jono Manson Bandというバンド名でリリースされたアルバムはBlues TravelerのBob SeenhamとChan Kinchlaがバンド活動の合間に始めたプロジェクトHigh Plains DrifterというユニットのヴォーカリストにJonoを招いたところから始まる。
  JonoはBlues Travelerの最大ヒットアルバムである1994年の「Four」にバックヴォーカルとしても参加。
  High Plains Drifterとしても並行して活動を続けるうちに、A&Mの既知を得て、Jono Manson Bandとして変名しBlues Travelerのメンバーを加えてレコーディングをする。この「Almost Home」にはJohn Hopperもハーモニカで参加している。
  が、セールスは大失敗であった。かなりハードなソウル&ブルージーなアルバムであったため、一般受けが難しかったようだ。そしてまたもインディ落ちしたJonoはイタリアのみで「One Horse Town」を1997年に発売。アメリカにも逆輸入され一部で好評を博したため、今作「Little Big Man」の発売が再びアメリカで契約できたと言う訳である。
  このアルバムもセールス的には全く目立ったことはなく、Jonoは人気のあるイタリアや欧州中心でライヴ活動を行うようになり、アメリカではまだ存続しているHigh Plains Drifterのヴォーカリストとしてステージに立つことが殆どになる。
  2000年にはやはりイタリアのレーベルから「Live Your Life」をリリース。これまたキャリア最高傑作であるのだけれども、アメリカ発売は正式にされていない・・・・・。
  些か、斜陽の感が強いが、簡単に彼の経歴を記してみた。
  しかし、このような正統派ルーツというかアメリカンロック・ヴォーカルが全く通用しないアメリカのメジャーシーンはもう筆者としてはうんざりである。
  最近ルーツ系やオルタナカントリーのバンドの欧州への逃避というか活動拠点のチェンジが顕著である。やはり売れない市場にいても仕方ないとは理解できるのだが、嘗てのハードロックと同じような道を辿っているのがとても不安である。が、日本ではHRが世界で有数に持て囃されているのに対し、ルーツ勢の扱いはお寒い限りである。
  夢も希望もない終わり方になりそうだ・・・・・・・・・・・。
  が、体格的には大柄とはいえないが、小柄でもない、Jono Mansonが「小さな巨人」としてシーンに踏ん張ってくれている限りは彼の音楽を聴くことができるのだから、まだ幸せなのだろう。
  タイトルの様にこのアルバム「Little Big Man」は、売上や世俗の評価こそ「小さ」かったが、内容は「大きい」一枚である。この機会に本邦では無名の彼の名前を知って貰えれば至上の喜びである。  (2001.10.22.)

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