One Of These Night / Eagles (1975)

  Roots                  ★★★☆

  Pop                 
★★★★★

  Rock              
★★★☆

  West.Coast&Country 
★★★★


  もしも、ロックンロールを、洋楽を聴き始めた頃にEaglesを聴いていなかったら、きっと音楽嗜好は相当に変わっていたに違いないと、時たま思うことがある。
  1980年代のメインストリームの流れが90年代も破壊されること無く続いていたら、ここまでインディ・ルーツに首を突っ込むことは無かったろう。仮に、何処かに嵌ったとしても、Roots RockやCountry Rockにここまでの興味を覚えたかは、自身でも疑問だ。
  Eaglesを聴くことで、西海岸の音楽、カントリーの要素の加わった音楽というものに啓蒙されていたからこそ、自分の「一番」なジャンルがRoots Rockとなったのだと考えている。だから、Eaglesを知らないでいたら、音楽の聴き始めに、Eaglesという音楽の刷り込みが脳内にされなかったら、きっと違ったジャンルの音楽を追い求めていたに違いないと自己分析している。まあ、何らかの音楽をディープに追いかけていたのは間違いないだろうけれども。(苦笑)
  ということで、Eaglesというバンドは、筆者にとって特別なバンドのうちの1つである。言わば、最初に乗れた自転車に近い存在だろうか、忘れない経験ということで。
  最初に聴けた、耳に入ってくる音楽の中にEaglesが存在した時代に生まれてよかったと、しみじみ思ったりもするのだ、このようなオルタナ・ヘヴィネスが氾濫している最近のシーンを眺めるにつけ。

  さて、「Eaglesの最高傑作は?」
  と聞かれると、「Hotel California」かこの「One Of These Night」のどちらかとても迷う。が、やはりアルバムとしてのトータルバランスで「One Of These Night」に軍配が上がると思う。この筆者の見解には、きっと異論は多いだろうが。(苦笑)
  但し、アルバムの「完成度」については、一部の隙も無いくらいの緻密な「Hotel California」が本作には勝るだろう。また、歌詞については、「Hotel California」において、そのレヴェルアップの差は顕著なのも確かだ。
  以前、アメリカ人の同僚に
  「何で、Eagles、ひいては『Hotel California』のアルバムがこれだけ評判がいいのかいな?。」
  的な質問をしたことがある。
  「あの時代、60年代から70年代にかけて、この国で過ごした人にしかわからない時事的なものが、アトモスフィアーがあるんだよね、あのアルバムには。アンタも日本のある時代を生きてきたんだから、その時代にある年代でいた層しかはっきりとわからないことってあるだろう?それと同じだよ。」
  と、些か不明瞭な、それでも何となく理解できる回答を得たことを思い出す。
  自分なりに解釈するなら、“1976年当時のアメリカそのもの”が「Hotel California」には存在するのだろう。だが、そういった要素を抜きにしても名盤であるからこそ、21世紀まで聴かれ続けているのだろう。
  しかし、完成度や芸術性が優れているから故に最高傑作になるというとそうでもない。先にも述べているが、各音楽要素の釣り合いという点で、「One Of These Night」はぎりぎりの分岐点に立ち、そのバランスを過不足無く調和させているという事項において、やはり一番のアルバムであると思う。
  まあ、これも私的嗜好の偏見が随分入っているのは認めるが。(苦笑)

  多くの音楽評論家のみならず、音楽ファンが絶賛する「Hotel California」の際立った輝きには、この「One Of These Night」はややその影に隠れてしまったような感じがしなくもない。別に知名度によって、アルバムの評価尺度とするつもりはないが、「One Of These Night」を知らないライト・リスナーは結構多数存在するのではないだろうか。「Hotel California」は聴いたことがあっても。
  それはそれで致し方ないかもしれない。「呪われた夜」という殆ど曲の内容には関係のないダークなタイトルと、このネイティヴアメリカンのシャーマニズム呪術のようなジャケットが、その奇天烈な邦題を一層際立たせているようでもある。
しかしながら、一般には2番手のアルバムのように思われがちな作品だとしても、
  「Eaglesで最も好きなアルバムは?」
  と質問されれば、迷わずに本アルバムを推す。やはり、このアルバムを聴いた回数は「Hotel California」よりも断然に多い。それでも、洋楽を聴き始めの頃は、「Hotel California」を聴くことがよりプレイヤーに乗ることが多かったようには感じる。
  即効性としては、あまりにも聴いた、聴いて育ったシングル曲『Hotel California』の1曲目からの存在感が大きいのも理由だろうが、リスナー初心者の頃は4thアルバムよりも5thの「Hotel California」をより聴いたように思う。
  が、どちらかというと、よりAdult Rock(当時はMedium Oriented Rockとも呼ばれたような記憶がある。)のスケールの大きさと、ハードなロックへの追求がより表面化した「Hotel California」よりも、本作の方が親しみやすさがあるように感じるのだ。
  隅から隅までほぼ完璧な出来を主張している「Hotel California」は、演奏終了後、CDが回転を止めると、感動と共にある種の疲れを覚えることがある。それだけ、引き込まれているという証左かもしれないが。
  反して、こちらの4th作品は、素直に楽しめ、音楽を謳歌出来る・・・・やや胡乱な表現で恐縮だが、別に気を抜いて聴ける程の小作品と述べているわけではない。
  「Hotel California」ではやや圭角の立ち過ぎた緊張感が溢れているが、この邦題「呪われた夜」にはそういった気負いというか、才能のギリギリで搾り出されたような鬼気迫る気迫があまり漂ってない。頂点に上り詰める中途地点を越して、これから加速する、という感の、無意識な才能の開花を感じ取ることが出来る。
  要は、天才料理人に調理された2つの料理と言い換えれば良いだろうか。
  1つは、渾身の力を込めて苦悩の末に生み出された完璧なメインディッシュであり、もう一つはリラックスして作れた絶好調時のランチメニューということ。どちらも甲乙の判定が困難でることは想像に難くない。
  どちらも絶賛して然るべき完成品だろう。もうこうなると、趣味や好みの問題でどちらかが最高傑作と判断するしかないと思う。

  ということで、筆者の判断では、Eaglesというグループの歴史全体を眺めて考えると、やはりその音楽の最高な到達点は「One Of These Night」ということになる。言うまでも無いけれど、個人的嗜好を加味した上である。
  そもそも、EaglesはLA出身のカントリーロック・バンド、当節流行のウエスト・コースト・バンドとして、デヴューした。その辺の経歴についてはこの場で述べるのは全く必要ないだろう。何処でも手に入る情報なのだから。
  が、このアルバムの前の「On The Border」でスライドギター・プレイヤーのDon Felderを加えて、かなりロックンロールの割合を増したサウンドを模索し始める。
  この4thアルバムでは、デヴュー当時から培ってきたCountry Rockのフレイヴァーと、メインストリームのロックンロールへの傾倒による重さ。そしてWest Coast Rockの抜けるようなライトさが、見事に調和して、西海岸ロックの最高傑作とも言うべきアルバムとして纏まっている。
  これまでの音楽活動を通してきた集大成としての締めくくりのアルバムは間違いなく、この「One Of These Night」であり、別の境地に一歩踏み込んでしまったような「Hotel California」へ流れていくネクスト・ステップのような音楽的要素はそれ程強くない。
  「Hotel California」の何処かに引き摺る昏(くら)い翳りや、ダークな重さとは異なる明るさが存在しているのだ。勿論、ただ軽いだけでなく、しっかりとした重厚感のある仕上がりにはなっている。徒にヘヴィさを追求した『Victim Of Love』や『Life In The First Line』のようなナンバーとは違ったウェイトの質を感じるナンバーが多い。
  やはり、まだCountry RockとWest Coast Rockの核をこのアルバムではきちんと保持して創作しているのだ。西海岸サウンドの残照を残しつつも、よりヘヴィでディープなロックンロールへと駒を進めた次作とは手触りがかなり異質のものになっている。

  また、メンバーも個人的には「これぞ本当のEagles」というもので、最後のアルバム「Long Run」時には脱退しているBernie LeadonとRandy Meisnerという結成メンバー全員が揃っている最終アルバムでもある。
  特に、バンジョー、マンドリン、ペダル・スティール、といったギターの他にもルーツ系楽器を一手に受け持っていたBernieの存在と影響力はやはり無視できないものがある。21世紀現在はレコード会社のエライサンになってしまい、メンバーでは唯一音楽の第一線から撤退しているBernieであるが、1975年当時は余すところ無く、そのカントリー・フィーリーな音楽性をアルバムで発揮している。
  やはり彼の脱退とJoe Walshの加入という要素が、「Hotel California」での変革をもたらしたのは、今更述べることでもないけれど、Bernie Leadonの主張していた土臭いセンスはEaglesの優しさや爽やかさの土台となるアーシーな感覚の基盤であったと思う。
  特に、「Hotel California」と「One Of These Night」の差異を如実に示すのは、2枚のアルバムに収録されているインストゥルメンタル・ナンバーだろう。
  曲でいうなら大名曲の『Wasted Time』のRepriseであるインスト曲と、本作のインストナンバーである#4『Journey Of The Sorcerer』の違いが、2枚の傑作アルバムでの違いそのものである。
  邦題「魔術師の旅」とそのままのタイトルを冠された#4『Journey Of The Sorcerer』はLeadonの単独作。ストリングスをバックに使用しているのは『Wasted Time(Reprise)』と全く同じである。が、ストリングスのみで構成されたアダルト・コンテンポラリー風のメランコリックな邦題、「時は流れて」と全く異なるのは、ストリングスの他に、バンジョーやマンドリン、ペダル・スティール、そしてスライドギターまで使い、サイケディリックな怪しさを纏いつつも民謡的な土臭さを表現していることだろう。
  単純に清涼感のある西海岸サウンドではなくなっているし、単なるカントリー風のインストゥルメンタル曲でもないのが2枚目の「Desperado」収録のインスト・ヴァージョンの『Doolin Dalton』からの成熟を物語っている。まあ、このヴォーカル・ヴァージョンも存在する曲は、Glenn FreyとDon Henleyのライター・コンビにJackson BrownとJ.D.Southerが加わった曲であることがカントリーロック以前にポップス寄りになっている原因でもあるだろうが。
  兎に角、この#4のインストゥルメンタル・ナンバーはEagles最後のカントリータッチの強烈な曲だろう。このアルバムでも、カリフォルニアの乾燥した空気を代弁するかのようなカラカラに乾いた感覚が目立つナンバーが何曲か収録されている。
  けれど、その乾いたアレンジに、得体の知れないダートな感覚が、まさに「呪われた夜」という邦題の持つ得体の知れない妖艶さが漂うナンバーが、爽やかでキャッチーなポップ・チューンと混在しているのが、このアルバムの大きな特徴であると思う。
  それはNo.1ヒットにもなったタイトル曲『One Of These Night』や#2『Too Many Hands』といったところだ。
  ミステリアスな雰囲気を漂わせながら、これ以降のヘヴィなロックへの移行を予感させるような#1『One Of These Night』は、無論リアルタイムで聴いた訳ではないが、当時ではかなり斬新なナンバーであると思う。Glennのピアノにこのアルバムからこれまでのシンプルな楽器の使用方から、かなり多彩な楽器を取り入れてきたという傾向が覗える。前作「On The Border」から初のNo.1シングルになった『The Best Of My Love』のアクースティックでシンプルな演奏から比較すると、実に鋭角的で、複雑で、怪しく、明るく、そして不思議だ。ベースの重苦しいリフからハードなスライドギターが泥臭く絡んでくるが、コーラスではいかにも西海岸というハイトーンな鼻から突き上げるようなコーラスが聴ける。まだ、やや青さの残るDon Henleyのヴォーカルも微笑ましい。
  そう、こういった甲高いコーラスも「Hotel California」からは、もっと落ち着いた控え目なアレンジとなってしまっているのも挙げておくべきだ。西海岸ハーモニーというハイトーン・コーラスはこのアルバムを境に下火になる。これまた脱既存の表れだろう。
  #2『Too Many Hands』はトップ5ヒットとなった#6『Take It To The Limit』と並んで、ベーシストのRandy Meisnerがリード・ヴォーカルを担当するが、ここにも筆者が「One Of These Night」をバランスの取れたアルバムとして気に入っている理由がある。
  このアルバムにおけるリードヴォーカルの分担はDon Henley3曲、Randy Meisner1曲、Glenn Frey1曲、Don Felder1曲、Bernie Leadon1曲、そしてDonとGlennのツイン・リードという珍しいパターンが1曲となっている。この後のアルバムになると、ヴォーカルの中心は殆どDon Henleyとなり、他のメンバーは1曲くらいしかリードを担当しなくなる。これはEaglesの魅力である清涼感から、ヘヴィでアダルト指向のロックになったことで、Donの色合いが濃くなっていくことを示していると思うが、ちゃんと魅力的なヴォーカリストが多数存在するのに、Donの声質が強く出過ぎている点はとても不満である。
  その件に関しては、このアルバムは全員がほぼ均等にヴォーカルを受け持っているところが、均質的で良い。まあ中心はDonへと移行しているのは間違いないが。
  #2については、かなり泥臭い、とはいえ粘着質の泥ではなく、もっとカラカラに干上がってしまったような泥地の跡を踏みつけるような、ぎらつく太陽の熱い光線を思わせるような、不快感を音楽で表現したかのようなダークさや鬱の雰囲気すらある。どことなく、西海岸ネイティヴの音楽すら連想させる。ここでもハイトーンのコーラスとDon Felderのスライドが印象的だ。
  このシングル向きとは言い難い#2とは対照的に、Eaglesの名曲といえば、絶対に名前の挙がる#6『Take It To The Limit』は完全無欠のシングルとしてヒットするのが当然のようなバラードである。Randy Meisnerのメロウで爽やかなヴォーカルを最も魅力ある形で載せたナンバーがこの曲である。緩やかなストリングスとピアノに乗せて、Meisnerのヴォーカルが美しく映える。メンバーのコーラスも実に綺麗である。
  ♪「Take It To The Limit」のコーラスはついつい口ずさみたくなるくらいの、リスナーを惹き付ける魅力が溢れている。
  思えば、次作の「Hotel California」でもRandyだけは比較的に初期からのスーっと通っていく青空ナンバーである彼の単独作『Try And Love Again』を歌っているが、Randyの脱退はヘヴィに変わっていくEaglesに追従できなかった故ではないかと勝手に推測をめぐらせてしまうのだ。
  もう1曲の大ヒットナンバーが、初期のアルバムよりもかなりリードヴォーカルを担当する回数が減ってきたGlenn Freyが唄う、『Lyin’Eyes』。このグラミー獲得の曲は、全米第2位と惜しくもトップヒットを逃しているが、これまたEaglesのある種の頂点を示す大名曲である。フォーク、カントリー、アクースティックというデヴュー当時から引っ張ってきたEaglesの優しく、清い面をポップ・ロックと融合させて見事に傑作として結晶させている。
  恐らくEaglesのナンバーの中では最もキャッチーで柔らかいナンバーであるだろう。またピアノが非常に控え目であるけれども、ポイントを押さえた使われ方をしている。一部で挿入されるバンジョー・ソロが最高に美しい。適度のアーシーさを持った甘いナンバーで、これこそEaglesのポップな面の集大成と宣言できる傑作である。内容は不倫というか浮気を歌ったものであるけれども。
  ことシングル曲では、絶対に「Hotel California」よりも適当な選択をしているだろう。少なくともトップ10を逃した『Life In The First Line』よりもシングルにすべきナンバーがあるのに、カットしなかったのは未だに不満である。
  他にもシングルに出来るナンバーは目白押しである。#3『Hollywood Waltz』や#8『After The Thrill Is Gone』は、時代が15年違えば、絶対にシングルになっていただろう。この頃は多くても1アルバムからは3枚のカットというのが、アルバムリリースの間隔が早かったこともあって不文律になっていたから。
  特に#3は後期のDon Henleyの歌うどのバラードよりもルーツ・フレイヴァーが満載で、和める。マンドリンやペダル・スティールがとても暖かい音色を出している。深みや内に篭もった感情という面では『Wasted Time』や『Last Resort』には及ばないだろうが、耳朶に当たるまろやかさでは、『Hollywood Waltz』のアクースティックで土臭い雰囲気の方が心地良い。
  FreyとHenleyのヴォーカルが交互に聴けるという、ありそうでなかったバラードが#8『After The Thrill Is Gone』である。このナンバーはややすっきりとして、Country Rockらしさが少ないが、とても心に染みるバラードである。特にGlennの鼻にかかった甘い声と、Donのハスキーなヴォーカルの掛け合いは、これまでに無かったのが不思議なくらいにマッチしている。シングルとするにはやや冗長なナンバーなため、切られなかったのだろうが、名曲であることには間違いのない曲である。
  こう名曲が並ぶと、Don Felderのヴォーカリストの力量が他のメンバーと比べると正直やや劣るために、物足りなく感じるのが、#7『Visions』である。代表曲の『Already Gone』を思わせるようなスライドギターの炸裂する、このアルバムでは唯一のストレートなハードロックナンバーなのだが、周りが良過ぎたのだろう。勿論、とてもキャッチーであるし良いロックチューンであるのは確かだ。ヴォーカルが他のメンバーであったら、Felderには悪いがもっと目立つトラックになったに違いない。
  一番興味深のが、ラストナンバーの#9『I Wish You Peace』だ。RootsとCountryの部分を牽引してきたBernie Leadonが全くそういった箇所を切り離して、ストリングスとフェンダー・ローズピアノの余韻の残るような演奏をバックにしっとりと歌う。Leadonのデリケートなヴォーカルにはとても似合っている曲である。
  だが、こうした新境地に挑むような静かなバラードを発表したBernieが、このアルバムでバンドを去ったというのはどうも疑問が残るのだ。もしも、Joe WalshとBernie Leadonが入れ替わらなかったら、「Hotel California」はどのようなアルバムになっていただろう。
  このように想像してみるのも悪くないかもしれない。当時、Joe WalshはEaglesの前座を務めたり、プロデューサーのBill Szymczykを紹介したのがJoeであったことを振り返ると、JoeがBernieの後釜に座ったのも自然の成り行きかもしれない。まあ、鍵盤を弾けるミュージシャンがGlenn Freyの他に加わったのは、鍵盤好きな筆者にしてみれば歓迎すべきことではあるのだが、反面、やはりBernie Leadonの主張していた音楽性というのがいかにこのグループにとって大きなパートを占めていたかを改めて思ってしまったりもするのだ。
  結局、Eaglesの後期2枚−「Long Run」はやはり不満のあるアルバムだから除外−はどちらも物凄い名盤であるのだが、個人的に「One Of These Night」を評価してしまう。
  この拙文を読んで頂けた人はどのアルバムを一押しするのだろう?その点はとても興味がある。
  (2002.3.30.)


  Brand New Fool / Chris DiCroce (1999)

  Roots            ★★★★

  Pop         
 ★★★★★

  Rock      
★★★

  Acoustic 
★★★★
                     You Can Listen From Here

  さて、彼の音楽を何と表現したら良いだろう。
  海外では、Contemporary FolkとかNeo Countryとかメディアに書かれているのを見たことがある。
  確かに、大別すれば、彼の音楽は絶対にRoots Rock/Popであるのは疑いないだろう。が、Rock And Rollの爽快感や爆走感をこのシンガーに求めるのは、方向違いである。
  泥臭さや、ロアで畳み掛けるようなアメリカン・ルーツサウンドという、“ロックンロールした”音楽とは対極に位置するようなアクースティックな音世界を紡ぐアーティストである。
  Chris DiCroceが気に入るかどうかについては、Woodの「Songs From Stamford Hill」に「Wild Flowers」でのTom Petty、この2アーティストが当たりであれば、間違いなく大好きなアーティストになるだろう。
  また、「Nebraska」、「Tunnel Of Love」等でのBruce Springsteen。そして「Harvest Moon」や「Silver And Gold」でのNeil Youngのアルバムが好きならばこれまた確実だろう。そしてトドメはBob Dylanというところか。
  こういったことから明白であるけれども、非常にアクースティックでおとなし目の、自然体な演奏を主眼とした方向性にChris DiCroceの音楽があるのは容易に理解して頂けると想像する。
  が、彼の音楽はCountryという名前の付く音楽には当てはまらないと、筆者は思っている。フォーキーであり、且つアーシーであるけれども、Tom Pettyがアクースティックなアルバムを作ってもそのピースをカントリーと呼ぶようなリスナーが殆どいないのと同じである。
  むしろ、よりアグレッシヴでノイジーなルーツパンクの音のほうが、ロカビリーというカントリー・ミュージックの体臭をプンプンと振り撒いていることが多いだろう。
  勿論Chrisのこの1stアルバムには、ドブロ、バンジョー、スライドギター、そしてギリシャ・マンドリンのボゾキといった、完全無欠のルーツ楽器がふんだんに使用されているけれども、それはあくまでも暖かい地熱の放射という感の懐の広いのびやかな要素を、DiCroceの音楽性にエンチャントしている効果が殆どだろう。
  商業カントリー・チャートから離れた、恣意的に定型品を創り上げたようなカントリーという音楽の臭みから完全に離れたサウンド、これをカントリー・ミュージックと表現したいなら、Americanaと呼ぶ方が相応しいと思う。
  パターン化したカントリー音楽という枠から、独自の表現を目指して創造された音をAmericanaと呼称することが近年多いけれども、その定義付けに拠るなら、ChrisのサウンドもAmericanaとカテゴライズされても問題ないような気がする。
  が、それよりも、シンガー・ソング・ライター風のルーツアルバム、アクースティックでフォーキィなルーツロックという言い方がより一層似つかわしいアルバムであると思う。約めれば、アクースティック、これだろう。
  が、サッドコアやスローコアのように単に静謐なのではなく、ポップで深みのある音楽だ。オルタナティヴという枠の中で、不自然にアクースティック路線を模倣したような音を生産しているような数多のバンドとは全く耳当たりが違うの9は、一聴すれば明白だ。
  単純にアクースティックな音楽であれば、日本でもかなり人気があるだろう、「枯れ」と本邦で良く言及されるAcoustic AlternativeやAcoustic Jamというジャンルにゴロゴロと転がっている。そういった、音楽の厚味がとても薄いサウンドとは別の音楽と考えてもらわなくてはならないだろう。
  また、ポップとはいえ、軟弱なヘニョヘニョした感じは絶対にしない。実にポップでコマーシャルであるのだが、土台がしっかりしている建築物のように、傾いだり揺れたりはせずに磐石の安定感を持って存在している。
  全てにおいてではないが、アクースティック=内省的、という公式がRock Musicとしてのフィールドでは成り立つことが多いと考えている。静かに、我武者羅に16ビートを吐き出そうとしないロックンローラーのアルバムは、大概に置いて内面的な心理状態を連想させる作品が多い。
  暗い・明るいの論は置いて、内省的というのはやはり、清涼感や吹っ切れた開放感とは縁が薄い。まあ、普通これを暗いとか陰鬱とか表現するのが最も適切なのだろうが。
  しかし、このChris DiCroceのデヴューアルバムは、ひたすらナチュラルであり、フォーク・ロアで在り続けているのに、シンガー・ソング・ライター系譜のアーティストに多い、内向的なアルバムの翳りが殆ど見られない。
  間違いなく、彼のスタイルはシンガー・ソング・ライター系の弾き語りを思わせるのだが。

  DiCroseの織り成すサウンドは、とても暖色系な色を帯びているように大気に拡散していく。CDプレイヤーに載せる度に。
  柔らかい、円やか、ふくよか、とこのようにフワリと包み込まれるような親しみ易さが満ち満ちているのだ。
  筆者は彼の音楽性はカントリーとは区別しているが、こういった音楽に馴染みの無いリスナーにはCountry Rockと受け取られる可能性はあると考えている。それは、このChris DiCroceというミュージシャンの音楽が基本として暗さとは無縁なカラリとしたメロディを持っているからだろう。
  また、これと同時に、ウエットな暖かい雰囲気も同時進行させているのだから、何とも名状し難い魅力と聴き易さが際立つのだろうけれど。
  Folk PopやCountry Popと感じるリスナーも少なくないかもしれない。その解釈について異論を挟むつもりはないにしても、矢張り単なるFolk & Country Rockでは表現しきれない要素が彼の音楽であると思う。究極的にはアクースティックなアメリカンロックと叩き割るべきかもしれない。
  Tom Petty、John Mellencamp、Bob Seger、Bruce Springsteen、John Prineと誰でも良いが、こういった良質なアメリカンロックの大御所に代表されるアメリカン・サウンドが、肩肘を張らずに、素のまますんなりと語られる・唄われる。こういう演奏が、Chris DiCroceの持ち味であるのだろう。

  中々メジャーでは出現しないようなアーティストであるかもしれないけれど、ブレイクする可能性は皆無ではないと思う。このどうしようもないほどにボロボロになってしまった米国の音楽シーンに於いてでもだ。
  米国で一番確実な市場と言われているのは、何をかや云わん、Countryである。トップ40カントリーだけが売れていたのではなく、1990年代にはGarth BrooksやShania Twainのようにメジャー・チャートに堂々とランクインして、カントリー・アーティストが一千万枚を売るようなことが珍しくなくなっている。
  殊に女性のカントリー・シンガーが、アダルト・コンテンポラリーとの狭間のようなContemporary Countryとジャンル分けされるようになったカントリー系のアルバムで物凄いセールスを記録したのは1990年代のチャートの特色の一つだろう。
  誤解を招くのを承知で述べれば、Chris DiCroceの音楽性はBillboardの商業カントリーやコンテンポラリー系の音に近いところがあるのだ。
  無論、コテコテのカントリーでもなければ、どこぞの植物性乳製品の如く軽いだけのポップ・カントリーとは全然手触りの違うサウンドが、彼のサウンドなのだが。
  親しみ易く、ポップで、難解さの欠片も無い音楽。所謂「売れ筋」なフォークロックとでも卑近な表現でChrisには申し訳ないが、判断しやすいだろう。
  アクースティックでありながら、「渋さ」や「芸術性」を殊更売りにせず、「繊細さ」も自ら看板を立てるようなことをしていないと思う。自然にデリケートな彼の感覚が湧き出してくるようなサウンドである。
  もう少し華やかなコーラスやアレンジをくっ付けて、カントリー風ヒルベリーサウンドなカウボーイ味を付け加えたとしたら、かなり商業チャートでヒットしそうである。女性にでも歌わせれば完璧なドル箱アルバムになること請け合いである。
  が、そこまで行かずに、この1stアルバム「Brand New Fool」は、一般受けしそうだが、Roots Rockの重鎮な要素を損なわずに保持しているアルバムなのだ。
  「いぶし銀」や「うらぶれた渋さ」を出すほどに加齢を重ねていないが故かもしれないけれど、そういった要素よりも明るく、包容力のあるさり気ない優しさがこのアーティストの魅力なのだ。

  「真新しい愚か者」と名付けられた、デヴューアルバムの収録曲は全部で10曲。どのナンバーも歌詞が非常に意味深であり、分かりやすいメロディとは対をなす消化に困難を伴う内容が多いのが、矢張りシンガー・ソング・ライターの人であると思わせる。
  #1『Runaway Friend』から、全く出し惜しみせずに,このアルバムの中でもトップクラスのナンバーが飛び出してくる。と、表現するほど弾けているロックソングではないけれども。(笑)いきなり、♪「Your Angels Die Hard But They Don’t Go Away」という、Chrisの詩世界を集約するようなフレーズで始まるこの歌を聴くと、まずTom Pettyのヴォーカルを思い出さずにはいられない。
  筆者はTom Pettyが大好きだけれども、彼のヴォーカルが上手とか美声とかとは到底思えない。癖があると擁護するよりも、はっきり述べれば唄い方がヘタの部類に属するシンガーであると考えている。然れども、得体の知れない吸引力がTomのヴォーカルには存在する。“「ヘタウマ」の妙”を代表するヴォーカリストだと思うのだが、Chris DiCroceのヴォーカルもTom Pettyにかなり似通っている。
  やや音程を外したように高いんだか低いんだか一定しないヴォーカル・パフォーマンスを発揮している点。そして、美声とはいえないが、どことなく憎めないハーフ・ウエット・ヴォイス。Tom Pettyよりもやや声の質的には魅力があるヴォーカリストだとは思う。
  その半分擦り切れたようなヴェルヴェットの布地のような声で、悠然と歌われる#1から、リスナーを引き込んでしまう吸着力が一杯である。アクースティックを基本としつつも、ピアノを始めとしたまったりとしたアンサンブルがゲル状の液体のようなだっぷり感を出している。
  #2『Little Rain』は、前曲に引き続いて、スローなナンバーである。このマンドリンが大活躍するアクースティックでしかも乾燥した風に砂塵の匂いが乗ってくるような土系の味わいは、The Bandにも通じるところがありそうだ。このナンバーも、尖った気分を和ませるヒーリング効果が存在している。
  歌詞に文豪であり筆者の心の父でもあるBig Papa−アーネスト・ヘミングゥエイの名前や概念を引用をする等、文学青年の感性をさり気なく出しているところも全く気取らずに聴けるのである。また、タイトルの「Little Rain」もとても示唆的な意味合いを含んでいるようで、求道的でもあり宗教観すら感じてしまう。
  このナンバーでは薄味のホーンアレンジが噛まされていて、適度にスライスして狐色に焼いた食パンのような厚味がある。
  #3『Shakespeare’s Picasso』は歌詞の通り、シェイクスピアとピカソについて歌っている。というよりも、シェークスピアとピカソが歌い手のDiCroceと行動して話し掛けるような世界が綴られている。曲的にはオープニングから一貫してテンポのユルイ、田舎の夏休みに流れる時間のようなゆったりとした曲が続くが、決して単調になっていないところが、Chris DiCroceの持っているプライオリティだろう。バンジョーやボゾキの弦とピアノが織り成す音色は果てしなくまろい。
  ルーツィなスライドギターと、オルガンからスタートする#4『Cold Hard Truth』は、やや歯切れの良いロックナンバーであるが、唄っている内容はとある恋人の関係の破局についてであり、中々にシニカルである。♪「Nothing Comes Between Us But The Cold Truth」という件になると、よくもここまで痛い関係を明るく表現できるものだと思うが、どうやら歌い手は関係にとっくに踏ん切りを付けているため、吹っ切れているようにも思える。
  Tom Pettyの歌い方にまさにそっくりな導入から流れていく#5『This Time(It’s Bittersweet)』は、シンプルなアクースティックギターから徐々にオルガンやスライドギターが合流していってグングンと乗っていくナンバー、といえばロックンロールを転がすトラックに聞こえるが、矢張り落ち着いたナンバーである。
  #6『Only Want To Talk To You』は終始アコーディオンやフィドルが牧歌的に流れる、静謐なスローナンバーであるが、特筆するべきは彼の妻であるDeana Carterがハーモニー・ヴォーカルで参加していることだろう。カントリーファンにはこの名前は説明するまでも無いが、1995年からカントリーチャートのトップを独走するだけでなく、総合ポップチャートでもミリオンセラーのアルバムを2枚リリースしている女性カントリー・シンガーである。
  レコードの売上と知名度では旦那には遥かに水を空けている。(苦笑)
  #7『Heroes』も非常に地味なナンバーであるが、テナーサックスを始めとするブラス・セクションそしてChrisが吹くブルース・ハープがサザンロックのもっさりとした野暮ったさを、そのままでなく婉曲的にアダルトロックで表現している佳曲である。更に後半ではジャジーなスタイルのピアノまで転がりだすという凝ったアレンジに仕上げている。
  こういったホーンや鍵盤のアレンジを持って、平たいアクースティックだけのアルバムに陥ることを回避している手腕は中々だ。セルフ・プロデュースの面目が保たれている。
  #8『Gravel Or Gold』もChrisの詩人たる側面を顕著に示している。人生はボコボコの道でもあり、黄金街道でもある。君はどちらでも足を踏み入れることになるだろう。」このように唄うバックではトランペットが、鍵盤ハーモニカのような音を、何と言うのか知らないが先端にカヴァーを嵌めて吹き出している。
  #9『After All』でも緩いメロディにクラリネットのソロが延々と絡み、不思議な滑らかさを醸し出している。この後半2曲での吹奏楽器の使用がとても決まっている。地味なナンバーを巧みに引き立てているところで。
  そして、歌の意味的に#1と対を成すような『Running Behind』のウエットで控え目なアレンジをジワジワと歌い上げるようなバラードで、このアルバムは、スタートから然程ペースを変化させずに終了していく。意外に後を引かず、スッパリと終わらせるこの曲は、もう少し余韻を持たせる効果を得るために、フェイドアウト形式で纏めるべきであったのではないかとは思うが、幕引きの曲としては合格点だろう。

  Chirs DiCroceはフィラデルフィアで生まれ、1990年代前半まではフィラデルフィア周辺で演奏活動をしていた。その後、自分の音楽を発表し易い環境を求めて、テキサスはオースティンに移住する。
  その契機となったのはヴェテラン・カントリー・ミュージシャンであるLee Clayonの欧州ツアーにドラマーとして参加し、彼の音楽や言葉に啓発されたかららしい。
  そう、彼は結構希少なドラマーのヴォーカリストである。
  「僕のメインな楽器はドラムだよ。Leeからはライヴ演奏について一杯学んだ。彼のことをとても尊敬している。」
  とChris DiCroceは語る。
  オースティンで数年間、メジャーやローカルのアーティストの前座を務めつつ、メジャー・レーベルと契約してレコードをプレスする機会を伺う。が、いずれも条件的に合わなかったのか、レーベルでChrisの音楽がナッシュヴィル周辺のカントリーやカントリーロックまで商業的でなかったためか不明だが、遂に契約することができずに、インディ・レーベルのと1998年に契約を交わし、同年から録音を開始する。
  そして1999年の冬に本作「Brand New Fool」が発売されるのだが、筆者はこのシンガーのことを全くノーマークであった。とある方に薦められて購入したのだが、これが相当の当たりだったのは、まだ記憶に新しい。
  このアルバムはプレス関係からはかなりの評価を受け、Rolling Stone誌でも4つ星の評価を獲得。それなりのセールスを記録したようだ。
  そして、2000年末には2枚目のアルバム「American Dream」をリリースする。このアルバムはかなりブルースの風味が増えた重目の曲が多く、この1stのアクースティック感覚とほんわりとした暖か味が随分減退したので、個人的には1stと比較するといまいちだった。ややブルースの渋さを求めようとした足跡が見えるが、この「Brand New Fool」でのレイドバックさが薄れてしまい、何を他にしてもポップさがかなり苦くなっていたのが不満である。
  最も影響を受けたのはBruce Springsteen、Tom Waits、Patti Smith、Rickey Lee Jonesといったミュージシャンであり、嘗ては好きで、最近は全く駄目になったのが、U2やJohn Mellencampだそうだ。
  「U2は昔は凄く聴いたよ。でも、徒に流行音楽を目指した頃から全く関心がなくなった。John Mellencampがダメになったというのには全然同意するね。彼は大好きだったけど、もう聴く気がしないよ。」
  という彼のコメントに彼の求める音楽性の幾らかでも分かって戴ければと、思う。
  もっとも、試聴リンクから聴けば、すぐにChris DiCroceというシンガーの創造する世界は容易に理解できることは全く議論の余地はない。
  元気の良いロックンロールとは対極的なサウンドだけれども、その味わいはとても気持ち良く感性を撫でてくれるようである。地味と思わずに是非聴いて欲しいアーティストだ。できれば2枚目よりもこちらをお薦めする。
  (2002.4.11.)


  Ooh La La / Faces (1973)

  Roots           ★★★★

  Pop          
★★★★

  Rock       
★★★★☆

  Pub Hard 
★★★


  ウ・ラ〜・ラ〜。
  頑張れロ●コンではありまへん!!
  ・・・・ちなみにロリ●ンではない。(勿論、著者もそのような倒錯的嗜好は持っていない・・・と思う。多分持っていない。・・・・持っていないと良いな。<ダメダメ>)
  伏字の場所が悪かったので、曲解するヒトがいるやもしれんので(おるかい!)一応記しておく。
  つーか、こんなネタ、最近の若いモノには分からないと思いきや、リニューアルされて再放送されたとか、されないとか?
  山本リ●ダともちゃいまっせ〜。
  (幾つやおまい!!)

  さて、いい加減にしないと石を投げられそうなので、このくらいで正気に戻るとしよう。
  ・・・まあ、懐かしのマニア特撮ネタとかはどっかに置いておいて、(↑のネタでどんだけのヒトが笑えるか非常に疑問なんやけれども。)今回はたった4枚しかスタジオ録音のレコードを残さなかったFacesの、実質上のラスト・アルバムである「Ooh La La」について書くことにする。
  ライヴ盤とベスト盤も含めるとFacesのオフィシャル・アルバムは6枚を超える。ベスト盤は幾つかのヴァリエーションで発売されているためである。が、この「Ooh La La」の後、テツ山内をベーシストに迎えたラインナップではライヴ盤を一枚リリースしたのみであるから、グループの録音活動としてはRonnie Laneが在籍したこの4thアルバムが最後となるだろう。
  それにしても、Rolling Stonesと並んで、1970年代の英国パブロック、ルーツロック、ロックンロールといったブリティッシュ・ロックンロールのまさに“顔”であったFacesがたった4枚しかオリジナル音源を吹き込んでいないというのはかなり勿体無いと思う。
  しかも、StonesのKeith Richardsのように、ライヴで彼が歌う番になると観客がトイレに行ったり、ビールを買いに行ったりして一気に観客が減ってしまうような屁タレヴォーカルを含まずに、良質ヴォーカリストだけで構成されているバンドという点がスグレモノである。(爆)筆者も実際に米国であからさまな観客の態度を見るにつけ、ちゃっかり便乗してスナックとドリンクを買いに行ったりしたものである。(を)

  さて、Facesの最高傑作となると、筆頭に上がるのは3rdアルバムの邦題「馬の耳に念仏」が一般的だろうし、筆者も全く意見を同じにしている。セールス的にも最も好成績を残し(全米最高6位)、唯一の全米トップ40シングルである『Stay With Me』を含んでいるのもこの3枚目である。
  一応4枚全てのアルバムについて、個人的評価を述べるなら、1stの「First Step」はラフで攻撃的といえば聞こえは良いだろうけれど、相当未整理な荒削りに過ぎる作品であり、幾らFacesの魅力の一つがルーズでハードなロックンロールとはいえ、少々グシャグシャに走り過ぎのきらいがあり、放出しているパワーは感じるが完成度は高いとは云えない。
  当時、Steve Marriottが脱退した前身グループであるSmall Facesの名前を継続使用するかどうかが即座に決まらずに、活動は開始していたにも拘らず、「First Step」の初回米盤のジャケットはSmall Facesとなっていたのは有名なエピソードである。
  一説には元Small Facesの3名に新規加入したRod StweartとRon Woodの身長が高かったのでSmallを取り払ったとも云われているが、定かではない。
  が、その1stを文字通りファーストステップにして、叩き台にして作成されたような2枚目の「Long Player」に至り、ハードでワイルドで、アグレッシヴなFacesのイメージに沿うようなサウンドを構築し始める。このアルバムはかなりルーツィであり、ハードドライヴィンなところは流石にこの5人、と賞賛できる出来栄えとなっている。が、しかしまだまだバラけた焦点の甘さが目立つアルバムでもあった。
  その「Long Player」を更に熟成させり、というときっちりと整理された感触になるのでやや適当ではないかもしれないが、より発展させたようなアルバムが3枚目の「A Nod Is As Good As A Wink....To A Blind Horse」(あ〜長いなあ。)であり、Facesの集大成的なアルバムであるのは衆目の一致するところだろう。
  その傑作/ベストセラー・アルバムの後に出された4th作の「Ooh La La」はともすれば、やや地味な印象を受けるアルバムである。その地味と言うのは内容云々ではなくて、丁度太陽と有明の月のような関係だろうか。あまりにも輝いた存在が間近に鎮座していると、結果として存在が霞んでしまう、という事象である。
  確かに、“迸る汗と筋肉と蒸気機関”という表現がピッタリと当て嵌まるような、ハードロック・アルバムとも分類できそうな「A Nod Is As Good As A Wink....To A Blind Horse」の圧倒的な男臭さと馬力の前では、本作は少々おとなしい出来になっているというのは感じる。
  特にアルバムの後半−アナログ盤ではB面に当たる#6以降は、Ronnie Laneのカントリー&フォーク嗜好が明確に現れた曲が多い。また、全体的にもハードサウンド一辺倒の傾向から拡散するようにポップで丁寧なナンバーが多くなっているのが特徴だ。
  そのために、通しで聴くと、落ち着きを感じるアルバムでもある。過去の3枚と比べても、一番暴れん坊の度合いが少ない作風であるため、Faces=とことんハードでルーズという印象からはボール1個分くらい外れているかもしれない。

  これをトーンダウンと採るか、それともグループの成長ととるかはとても微妙なところだろう。何せ、このアルバムを発売後僅か1ヶ月で、ベーシスト兼リードヴォーカルの2枚看板のひとりであったRonnie LaneはFacesを脱退してしまっているからだ。
  レコードを吹き込んでいる時に、メンバーの間で不協和音があった、というところまでは話にも聞いていないが、バンドのリーダー格であったRonnieがアルバムを発表したことで区切りを付けたかのようにバンドから抜けたことは、やはり色々と思うところがあったのだろう。
  仲違いとか内輪揉めということは兎も角、主役リードヴォーカリストのRod Stewartがソロ活動において英米で大きな成功を収めつつあったことが、やはりFacesの活動を終焉させた要因であるのは間違いないと思う。1969年にRon WoodとIan McLaganの協力を得て発表した「Rod Stewart Album」は全米でトップ100入りを逃す等、全く奮わなかったが、Facesの1stアルバムをリリース後に売り出された「Gasoline Alley」は全米第27位まで上昇。
  このあたりのアーリー・ワークスと言うかFacesと同時進行で世に出していたアルバムが、筆者的にはRodの全盛期であると思っている。1975年の「Atlantic Crossing」以降のポップロックのスターダムに上がってしまったRodのアルバムは、シングルでは良い曲がとても多いのだが、アルバムではどうも当たり外れが大きい。それより何より、ブリティッシュ・ルーツロックを熱唱していたシンガーが、キラキラとした装飾過多の軽い歌を唄ってしまっているのが、些か不満である。
  売れ筋ポップロックは大好物なのだが、1980年代後半に初期のRodを知ってしまった後は、やはり、特に1970年代後半からの作品には物足りなさを感じてしまう自分に気が付くようになった・・・・・。
  と、それは兎も角、1971年の3枚目、「Every Picture Tells A Story」、1972年の4th、「Never Dull A Moment」がそれぞれ全米で第1位・2位を記録し英国では両方ともトップアルバムになって、ミリオンセラーを軽く記録することとなる。
  こうなるとFacesは5人のミュージシャンのバンドではなく、Rod Stewartとその他4人のバンドと受け止められるようになってきても仕方が無かったかもしれない。疑いようもなく、Facesの看板はRodの暑苦しく唄いまくる声が最大のセールスポイントであった訳だし。また、RonとIanは一貫してRodのアルバムで演奏しているし、Kelly JonesとRonnieも全てのアルバムではないけれども、参加をしていることにも、Rod Stewart & Facesという公式が組まれる原因を助長したのだろう。
  ソロ作品においては、確かにブルージーでハードなトラッド・ルーツを基本に置きながらRodはFacesのアルバムよりももっとコマーシャルな歌を提供していた。こういった傾向は次第にFacesにも侵食を始め、「馬の耳に念仏」からのヒットシングル『Stay With Me』は、ロッドのハードロック寄りのセンスとポップシンガーとしてのセンスが巧みに融合した結果、生まれ出たようなものだと考えられる。
  が、Facesの2枚目、3枚目を改めて聴いてみるとRodの、そしてIanとRonが中心となったハードロック、酒場ロックの豪快なサウンドを敢えてFacesで追求していた側面が大きく、Rod中心となっていくFacesの流れが見えてくる。
  ところが、最終アルバムの「Ooh La La」では、これまで野放図に暴れていたFacesのハード&パブなサウンドよりもRodのソロ作で見られるようなポップさと、バンドのリーダーであったRonnieのトラッドな路線が中心となっている点が明確に打ち出されている。
  前述したが、Ronnie Laneはリードヴォーカル担当の曲はたった2曲と、これまでのアルバムの中で一番少ないのだが、彼のカントリーへの憧憬をFacesというバンドの音楽性という枠の中で最大限に出し切ったようなナンバーが半数を占めているのだ。
  また、#10『Ooh La La』では、Ronnieが当然のようにこれまでならヴォーカルを担当する作風のナンバーなのだが、初めてRon Woodがリードシンガーとしてマイクを持っている。

  このような事実を踏まえて考えると、Ronnie Laneが次第にRodのバックバンド的な扱いを受けるようになった(実際にマネージメントとRodはFacesを彼のバックバンドにしたかったようだし、本当の最終アルバムであるライヴ盤「Coast To Coast/Overture And Beginners」の名義はRod Stewart & Facesになっている。)現状を修正するために、極力バンドとしてのカラーを打ち出そうとして、Rod中心のハードなサウンドを中和しようとしたのでは、と推測ができる。
  事実、アルバムとしてはFacesの中で最もポップで聴き易い一枚となっている。が、アルバムの中ではFacesというバンドの多様性を演出することに成功したRonnieであるけれども、このアルバムのツアーに出ることなく、マネージメントの不備を理由に即脱退してSlim Chanceとして独自のカントリーロック路線を追求し始める。
  残念なことに、ロックスター・スーパースターとしてスターダムに上がるRod StewartやRolling Stonesに加入して現在までミュージシャンとして尊敬されているRon Woodと比較すると、Ronnie Laneはこれ以降殆ど脚光を浴びることなく、1997年にひっそりと病死する。
  当時、筆者は米国在住であったが、飛行機事故で惜しくも他界したカントリーロックの重鎮であるJohn Denverの悲劇は全米を揺るがしたが、Ronnie Laneの死去についてはメディアは全く冷淡であったことを思い出す。

  と、様々な意味合いで、メンバー達の転機となる1枚であった「Ooh La La」であるが、バランスとヴァラェティが最も豊富なアルバムとなっている。突き上げてくる底力というエモーショナルな面では「A Nod Is As Good As A Wink....To A Blind Horse」に一歩譲ると思うけれども、英国伝統ルーツロック・ポップのアルバムとしてはこちらの方が平均点は高いかもしれない。
  非常に頻繁にThe Rolling Stonesと比較されるFacesであり、何故かRolling Stonesの方がFacesよりも知名度も評価も高いというのは、何時も納得がいかないのだが、まあそれはStonesがピークを過ぎても(1970年代後半から現在まで)ズルズルと活動を続けていることも評価されているのだろう。また、発表作があれだけ多ければ、サウンドの完成したアルバムも相対的に増えるのも、Facesよりも評価される要因となっているに違いない。
  ま、多くアルバムを発表しているというのは表裏一体として、駄作も多いということだけれども。
  Facesは特に、サウンドとしてはっきり完成を見たのが「A Nod Is As Good As A Wink....To A Blind Horse」からであり、「Long Player」まではまだ手探りの状態が残留していたのは否めない事実である。まあ、「Long Player」ではパブライヴのバンドどしてのスタイルを確立して、十分名盤とはなっているけれども。
  よって、Facesの3・4枚目のピースはRolling Stonesの初期・中期の名盤と比較しても、何ら人後に落ちることは無い大傑作であると思う。しかも、Facesに特異なのはRonnie Laneによって創造されていたカントリーライクなアーシーで素朴な色合いである。単なるワイルドな英国ロックンロール音楽だけでなく、土臭いアクースティックなサウンドを酔いどれな豪放なロックサウンドと同時に堪能できるまさにその点を、著者がFacesをStonesよりも評価している所以である。

  まず、前作まではややヴォーカルでRodより数段落ちると感じていたRonnie Laneのヴォーカルがかなり成熟しているところが特徴であると思う。
  Ronnieは拘った曲は6曲もありながら、ヴォーカル担当はたった2曲。2分弱という#3『Flag And Banners』そして#8『Glad And Sorry』のみである。が、特にブルージーでブリティッシュ・トラッドの香りが漂う#3では、Rod張りの枯れてハスキーな歌唱法を初めて聴かせてくれる。
  また、Ianのピアノがリリカルな叙情を弾き出すバラードの#8では、Rodのともすれば聴き疲れするヴォーカルから一息つける間を与えてくれるように、淡々としたヴォーカルをRon Woodとのハーモニーで聴かせてくれる。このブルースよりもポップロックを主眼に置いて創作した如くなバラードに、Facesがロックンロールを基盤としたバンドという事実が顕われているように思えるのだ。ラスト・ヴァースでIanのピアノが調子を外すところも、即興的ライヴ感覚を大切にしていたFacesらしい。
  唯一の、そして初めてで最後となったRon Woodがリードを執るナンバーが#10『Ooh La La』である。作はRonとRonnieとなっているが、完全にRonnieのアクースティックでアーシーな作風が表面化したナンバーである。が、Ronが共作したのも理解できるように、整然としないジャム的なルーズさが漂うナンバーでもある。#8もそうだが、このタイトルトラックもRod Stewartが参加していないナンバーとなっている。この箇所にもRodのカラーを薄めようとしたRonnieの腐心が伝わってくるように思えてならない。
  しかし、やはりRon Woodのヴォーカルは独特のファルセット感覚があって面白い。強烈な個性を有したヴォーカルではないのだが、後のソロ作やStonesで披露するスタイルよりも青さが残っていて微笑ましい。
  後半全てのナンバーにはRonnie Laneの傾向が強く浮き出ているが、Faces定番のインストゥルメンタル曲である#6『Fly In The Ointment』はKelly Jonesが1stアルバム以来、久々に曲創りに参加しているためか、これは例外的である。やや当時大流行していたプログレッシヴ・ロック的な浮遊感のあるIanのオルガンを大胆に押し出しているこのインストナンバーは、Facesらしいハード・フィーリングも感じるが、異色な曲と云っても良いだろう。
  #7『If I’m On The Late Side』はRodとRonnieの共作。Rodの持つブルース的な嗜好と、Ronnieの得意とするアクースティックな指針が巧くミックスされて、Rodのソロに収録されそうな、静かなバラードとなっている。何事につけても楽器をぶん回してヒートアップする傾向にあったFacesとしてはある種の老成を感じさせるナンバーだ。
  そして、Rodの十八番であるバラードスタイルを採ってはいるのだが、これまた抑えの効いたRonnieが作成したことがよく分かる#9『Just Another Honky』も#7のように、無理矢理ソウルフルには唄い切らずにかなり素のヴォーカルで歌を紡いでいる。後年のヴォーカリストとして成長するRodの雛型を見るようなナンバーである。
  このようにアナログレコードでのBサイドは、かなりトラッド感覚を見せてくれる展開となっているが前半は殆どがRodのロッカーとしての熱唱とFacesの野性味溢れる演奏を押し出したロックチューンが目白押しとなっている。
  #1『Silicone Grown』から、Facesならでわの酔っ払いロックンロールが炸裂するが、これまでのアルバムに見られたようなハードロック一筋爆走、という雰囲気からは一歩下がったという感じになっている。ホンキィに回転するIanのピアノがブイブイ逝ってる#1は相当にラフで荒削りであるけれども、残りの歌はルーズで荒々しい酒飲みサウンドにもメロディアスなフックが増えている。
  前作で言えば『Miss Judy’s Farm』や『That’s All You Need』のようなダーティでヘヴィさのみを追求したスタイルから、ポップロックを主眼としたパフォーマンスを考慮しているような感じが、メロディ・オリエンティッドに移行しようとする意図が見え隠れしているようだ。
  そのことは#2『Cindy Incidentally』で明確に顕在化している。前作での大ヒット『Stay With Me』のコマーシャルさを継承しつつも、ブルージーな腰の据わりを叩き込んだポップロックであり、トップ40入りしなかったのが不思議なくらいの名曲である。曲の完成度と纏まりでは『Stay With Me』より上位に位置するようにも感じる。
  また、Facesナンバーとも言うべき#4『My Fault』や#5『Borstal Boys』にしても、Rodがソロアルバムで垣間見せていたポップできっちりとした演奏が大幅にではないが、添加されているように思える。勿論、攻撃的でゴリゴリなルーツハード路線は健在であるけれども、RonとRodのハーモナイズを終始聴かせてくれる#4はアメリカの西海岸のロックバンドに通じる明るさがあるし、#5のストレートでキャッチーな爽快感は#2と並んでシングル曲にしても良かったくらいの素直さが存在していると思う。
  まあ、この2曲は整ってきたとはいえ、Facesの特徴となる崩れたダルな雰囲気が、パブで漂うスコッチと紫煙のように懸かっているのは、やはり奔馬で荒馬なバンドの代表格のFacesの面目は保っているのが嬉しい。

  それにしても、これだけタフで男臭い英国ルーツハードのバンドが1970年代までは必ずシーンには存在していたのに、現在では全く見る影も無いのは何故なのだろう。
  1970年代後半から80年代初頭にかけて、ハードロックの復刻とも言うべきNBHMの波が起こるが、そのムーヴメントの中では、こういったルーツロックを基本としたバンドは出現せずに、徒にハードなサウンドをサルのようにプレイしまくる「単純なハードサウンド」のグループを量産しただけに留まっている。
  また、ノイジーなギターをカスのようなポップメロディに絡めただけの、ブリットポップの大流行以来、英国のシーンは殆ど死んでしまったように感じるのだ。
  現在でもQuireboysや他のインディバンドがハードなパブロックサウンドを細々と継承しているだけのうらぶれた英国ルーツロックの凋落には涙を禁じえない。
  インディでは幾つかのバンドがFacesのような酔っ払いパブサウンドを演奏しているらしいが、英国ではアルバムの発表が難しく、仏蘭西やスカンジナヴィアに拠点を変えているのも厳しい現状である。
  夢よもう一度ではないが、英国の芸能チャートと化したシーンに、もう一度国民的なバンドと言われたFacesのようなグループが現れてくれないだろうか。
  単なるハードロックバンドでなく、酔いどれライヴ感覚の満載された本当のロックンロールのバンドが。
  そのようなバンドが現れれば、再び英国のインディ・シーンにも目が向くと思うのだが、現在では全く食指が伸びずに、英国ルーツロックの情報には疎いままである。
  どなたか、Facesのようなパブハードなバンドを知っていれば、是非紹介して欲しい。そのくらい、Facesを愛して止まないのだ。  (2002.4.20.)


  Ed Jurdi / Ed Jurdi (1999)

  Roots                     ★★★☆

  Pop               
    ★★★★☆

  Rock           
     ★★★

  Acoustic,Blue-Eyed Soul 
★★★★
                    You Can Listen From Here

  当初は便宜上、上に掲載している音楽のディフィニションをRhythm&Bluesとしたが、実はR&Bを感じられるという程度として考えていただけだった。このEd Jurdiというシンガーは一応ルーツ・ロックの歌い手として筆者は捉えているけれど、その枠組みに納まり切らない懐の深さを持った青年である。
  故に、R&Bではかなり説得力に欠けると自ずから考え、別の表現を模索してみた。

  Ed Jurdiのオフィシャルサイトに掲げられている副題は『Cosmic American Soul』という一節。続く散文に目を通すと、殆どの概念が筆者には理解できない宗教的な啓蒙思想が書き付けられているが、これはスッパリ無視することにする。(笑)で、常日頃の勝手解釈を。
  『広大無辺なアメリカの魂』=『既存の分類に当て嵌まらない、枠から溢れ出るアメリカン・ソウル・ミュージック』と解釈できるか。
  まさに、Ed Jurdiの音楽は音楽のジャンルという垣根を取っ払って全てを抱き合わせたようなスケールの大きさを感じることのできる存在常に漂わせている。
  Rock、Pops、Soul、Blues、Rhythm & Blues、Countryというアメリカン・ミュージックの良質さをひとかたならず持っている音楽の色と芳香を、彼の創り出すサウンドに感じない人は恐らく存在しまい。
  更に細分化すれば、Acoustic Rock、Adult Contemporaryという見方も可能になると思う。が冒頭で、最初はR&Bと分けようとした、と述べたように彼の音楽には、白人ルーツサウンドと極めて自然に融合している黒人音楽の「空気」みたいな要素を感じるのだ。
  例えば、R&Bのグルーヴィで滑らかな地合いが殆どのナンバーに共通して振り撒かれている。が、R&Bといってもポコポコ鳴らすリズム・マシーンやシンセサイザーのマシン音は何処にもない。当然、入れ過ぎで飽和してしまいそうなサンプリング・キーボードの類も皆無である。古典的なR&Bだけに見られた、非打ち込みなパーティ・サウンドがその楽しさの故か近いかもしれない。
  同時にBluesの手触りもまた感じ取れる要素である。
  Bluesはあまりにも根源音楽として一般的になり過ぎ、黒人ブルースと白人ブルースを代表としてロッキン、カントリー、アーバン、といった多彩な接頭語を付け他ジャンルと混血となっているので、このような現状ではBlues=黒人の音楽、という割り切り方はもう通用しないだろう。
  で、Ed Jurdiとブルースの関係に話を戻すが、彼の音楽には所謂「黒っぽさ」が非常に希薄である。つい先に“黒人音楽の「空気」”と記しておいて何なのだが、コテコテの黒人音楽への傾倒はあまり窺えず、モータウン・ソウルナンバーに多かった柔らかな雰囲気を持っているため、何処となくブラック・ルーツの匂いがすると感じるのだ。
  もう少し新しくすると、Aaron Nevilleの90年代のポップ・アルバムに近いヴォーカリストしての暖かさといえるかもしれない。
  であるからして、Bluesのブラック・ルーツな感触を有するが、サザン・ブルースやハードロックなブルースに顕著なマッディで纏わり付いてくるような重たさもないし、ブラックミュージックの特色であるファンクな方向性も存在感は殆どない。が、俗に言うホワイト・ブルースとも同一カテゴリーで見ると、これまた違和感が生じる。
  このBlues的なメロディを脳下垂体の何処かに感じるのに、それ程Bluesアルバムな印象がしないのは、基本となる音が果てしなくアクースティックであり且つキャッチーだからだろう。またJazz音楽の即興的で自由なスタイルが随所に感じられるところも、Blues的な黒さ一辺倒で塗りつぶされない効果を発しているようである。
  Jazzにしても労働力として非人道的に強制移民されたアフリカン・アメリカンから生まれたソウル・ミュージックだけれども、これまた白人が噛み砕いて自分の音楽にしてしまっている。
  Edにはそういったボーダー・クロッシングな、白黒どちらとも云いかねる中道的なジャジー・スタイルを感じ取れるのだ。
  
  ところで、アクースティック楽器を使ってブルースを演奏するだけなら、アクースティック・ブルースという、別段斬新な音楽ではなく、ロッキン・ブルースの対極として普通にプレイされている音楽が存在する。しかし、Ed Jurdiのサウンドは“Acoustic Blues”とレッテルを貼って片付けることは、あまりにも粗雑に思え、躊躇をさせる音楽だ。
  彼の曲にはアンプラグドスタイルのブルース音楽に特有の枯れた感覚、哀愁、抑制を利かせつつも内面を吐き出すような情感といった要素があまり感じられない。つまるところ、クドくないのだ。
  それよりも、グルーヴィーに弾むクラッシックR&Bのスルスルとした喉越しの良さがキリっと曲全体を包み上げている。
  また、とても心地の良いポップセンスがどのナンバーにも活きていて、アクースティック・ポップな作品としてのイメージを強くしている。が、そこに日なたに干した布団のような軽い土臭さと楽しげなブラック・ポップを垣間見せるスゥイング・リズムが加わるので、アクースティックなだけの繊細なアルバムとは違うものになっている。

  このように考えると、矢張り最も適当な表現は“Blue Eyed Soul”=「青い眼の人種がプレイする黒人音楽」という表現がEd Jurdiには一番しっくりきそうである。というか、これすら最適ではないのだが、以外にはどうにも一言では表現不可能なのだ。
  Ed Jurdiは彼のお気に入りにOtis Reddingの名前を頻繁に挙げてるが、別段黒人音楽にのみ耽溺している訳ではないようだ。特段、黒人の偉大なR&Bやソウルのヴォーカリストのみを意識して、このセルフタイトルを作成したようにも思えない。
  というのは、ブラック・コンテンポラリー的な色合いを出しつつも、彼のアルバムは間違いなくブラック・ミュージックの追従にはなっていないからだ。下敷きはあくまでも、アーシーでアクースティックなアメリカン・ルーツであるから。
  つまり、才気あるシンガー・ソングライターに普遍的に共通する、オールディズやクラッシック・ロックの良さを自分なりに噛み砕いて独自のものとして消化している。これをEd Jurdiは極自然に実行しているのだ。
  その下敷きに乗っかっている部分がとても多彩なのだ。だから彼のアルバムに、物凄くコマーシャルでトップ40ヒットに連なりそうなポップソングやパワー・バラードで泣かせるアリーナ・サウンド等がなくても、じっくりと味わって鑑賞可能なのである。

  Ed Jurdiに黒人音楽の『心』を感じてしまう、もう一つのそして恐らく最大の要因は、Edの声だろうと考えている。
  黒人でも、野太くシャウトする声量が芳醇過ぎるシンガーのみが幅を利かせているのでなく、もっと優しくナチュラルなヴォイスで感動を与えてくれる歌い手は結構いると思っている。
  Ed Jurdiのヴォーカルは、何処となく黒人のヴォーカルを彷彿とさせる箇所が多い。タイプとしては直前に挙げた2タイプでは、後者のヴォーカリストに名を連なるだろう。
  単に熱唱と汗臭さでソウルフルがフルになり過ぎるくらいに押し捲る、力技ブラック・シンガーではなく、声質の素材の善さを更に巧みに使いこなす才能があるヴォーカルを提示してくれる青年だ。
  基本は、甘めだが枯れたハスキーさも併せ持つという、所謂「男の色気と艶」がある唄い手だ。しかもオヤヂの年輪をなぞるようなオヤヂ色の色艶ではなく、まだ発展途上の若さが微笑ましい武器となっているヴォイスである。
  滑らかに、フェルトの少し粗めの柔らかさを撫でるような歌い方を中心に、よりハイキーに声を変えたり、シャウトしたり、場合によってはファルセットも使いこなしている。
  似ているヴォーカリストというと、厳密には思い当たらないが、Van MorrisonとSteve WinwoodとCliff Richardの英国ヴェテラン・ヴォーカリストから、それぞれ何処かの部分を引き抜いて合わせたような声質だ。
  ブラックシンガーとなると、Aaron NevilleやRonald Isley、そしてJames Ingramのような喉の円やかさで唄える、技巧派シンガーのソウルフルさを天賦の才として身に付けているシンガーであるとも思う。白人に頻繁に出現するような、「白人離れした」パワフルで暑苦しいヴォーカルで畳み掛けるタイプではない。ので、黒人が歌っているようなヴォーカル、というと決して完全に合致した回答ではないのだ。
  けれども、殊更に工夫を凝らさなくてもハートウォーミングで声量がまったりとしたヴォーカルは、白人には稀であると思う。彼は黒人ヴォーカルの良いところを適度な割合で継承している。いわば、核となる部分を人種間を超越して表現できる声質のシンガーなのだ。
  このヴォーカルが非常に非凡で説得力があるため、アクースティックなアルバムを作成していても、ロックの魂が入ったように力の躍動を覚えてしまう雰囲気を演出できている。これがEd Jurdiのプライオリティだろう。このヴォーカルの耳越しを楽しむために、本作を購入する価値は十分にあると考えている。

  収録ナンバーは9曲という適度なヴォリューム。このモノクロの物凄く金を掛けてないのが丸分かりな(笑)ジャケットと合わせて、かなり省エネな(死語)全体構造のようである。演奏は基本がEdを加えたトリオにゲストが数名参加する形になっている。
  #1『Love Me Till Sunshine』のアクースティックギターとオルガンが小気味の良いスウィンギングを聴かせるオープニングから、Edのヴォーカルがブルー・アイド・ソウルの抱擁感を燻らせる。インター・パートのスライド・ギターも控え目な弾かれ方でマル。出だしはかなり余裕のあるグルーヴ・ナンバーであるが、この雰囲気で既にEdの世界に引き込まれてしまうのだ。
  #2『Baby It’s Cold Outside』はタンバリンの一叩きからトーキング形式のア・カ・ペラが少し続き、そこから演奏に雪崩れ込んでいくという、かなりブラック・ルーツを感じるナンバーである。ウェスタン・スウィングとまでは行かないが、ジャズのリズムが刻まれたメロディはご機嫌なパーティ・ロックである。ハンドクラップにEdのファルセット・ヴォーカルといい実にファンキーだ。
  一転してハーモニカが流れる、グラス・ルーツな緩さが漂うのが#3『King Of Colorado』である。毛並みの良い猫の背中を撫でるような手触りのEdのヴォーカルが次第にバラードとして情感を持ち上げていくコーラス・パートは一聴の価値ありだ。
  Dylanのようなトーキング・ラップで唄われる#4『Times Like This』はR&Bの影響が明確に窺える。脱力感を調子ハズレにくねらせるペダル・スティールの音色も良いアクセントとなっている。が、コーラスの♪「La,La,La・・・」からブルース・ハープが腰を振るファースト・ヴァース以降はEdが突然シャウト歌唱に切り替え、パンキッシュでカントリーな流れも見せる、一つ捻ったナンバーでもある。
  ライト・ブルース風のアクースティック曲『Honeydew』を経て、オルガンやスライド・ギターがR&Bの崩れたフリー・フィーリングを聴かせる、ソウルナンバーの#6『Smile』は50年代のブルースシンガーやR&Bロッカーのスタンダードに通じるようなグルーヴ感を鋭く、そしてラフに伝えるロックチューンである。フェイドアウト前のEdのギターソロは2分以上も続き、Steve Winwoodの名曲『Take It As It Comes』のギターを何となく思い出させる。
  45回転のLPを33回転で廻したようなSEを冒頭に持ってきた#7『Wilson & Otis』はまさにEdが敬愛するシンガーに向けたメッセージである。アクースティック・スライド一本を中心にザクザクとアクースティックギターを弾きながら、がっちりとしたヴォーカルをぶん回すEdがどれだけクラッシックR&Bに敬意を払っているのか分かるナンバーである。この歌でEdはシャウトし、吠え、ファルセットを引っ張りまわし、とことん捨て鉢にだが楽しげに唄っている。
  カントリー・ロック調の軽快なリズムでスタートする#8『Old Urbana』は、アクースティックなグラスソングと思っていると、唐突にビートを落としピアノが流れるバラードに切り替わる。同時にコロコロと弾んでいたペダル・スティールまで寂しげなチューニングで泣き始めるという、変わり様が意表を突かれる。次第にピアノの音がクリアになり、Edのヴォーカルもエモーショナルに持ち上がっていくという大仰なナンバーになるとは出だしでは想像もできないだろう。
  何と6分を超え、フェイドアウトは美しいピアノのソロだけという終り方。これにはやられた。
  最後を飾るのは、ある程度予想していた御約束のアクースティックでシンプルなスローナンバーの#9『Atlantis』である。微妙なアーシー加減でトラッド或いはブルースの両方のスタイルを纏いながら、アクースティックギターの力強い弦が透明感のある音色を弾き出す。このナンバーではEdのヴォーカルとメロディの自然なアレンジの両方−これこそEd Jurdiの本領−が十全に発揮されている。例え定型化した曲の配置でも、それが却って嬉しいくらいのしみじみと耳を傾けれる1曲である。

  Ed Jurdiに関する資料はとても少ない。オフィシャルサイトに至ってはバイオグラフィー関連の記載が全くない。
  あちこちからかき集めた乏しい資料に拠れば、Ed Jurdiはまだ20代半ばに達していない若いシンガーのようである。(推定24〜5歳。2002年現在。)
  生まれと育ちはマサーチューセッツ州のアンドヴァーという街。州都ボストンから北へ40キロほどに位置した地方都市である。現在は、ニュー・ハンプシャー州のエクゼターというところを活動拠点とし、そこを中心としてライヴ活動を周辺の州を含み廻っている。
  Edの父はかなりの音楽ファンであり万単位の枚数レコード・コレクターだそうだ。彼は息子が赤ん坊の頃から自分が趣味でプレイするギターを聞かせていた。
  その父親が「嘘ではない」と断って述べるには、Ed Jurdiが2歳の時にギターを弄って遊んでいたら、いきなりちゃんとしたコードをなぞり始めたということだ。驚いた父親は、息子を抱きかかえるようにして一緒に1本のギターを弾き始めたが、わずか2歳でEdは教えられもしないのにコードを辿っていたそうな。
  まるで、クラッシック作曲家の伝記を読むような『神童』性を思わせるようなエピソードである。
  Edが言うには、こうである。

  「僕の最初の記憶にある風景は音楽だ。ギターを弾き始める遥か前に、僕はリヴィング・ルームに座って、Beatlesを聴いていたことを覚えている。」
  兎にも角にも、音楽情操教育は功を奏したことだけは間違いない。話半分としても、Ed Jurdiの天才を暗示する逸話であることは言を待たない。確かに、この「Ed Jurdi」で彼特有の才能は顕現している。後は、いかに才能を伸ばせるかで評価は決まっていくのだろう。
  Edは高等学校でDr.Head’s Rhythm And Blues Revivalという街の固定プロジェクトバンド−というかローカルなロック楽団という方が適当か−に参加する。が、彼は正式なレッスンを受けたことも譜面の読み方も習ったことがないという話である。
  「10歳の頃、ちょっとだけギターのレッスンを受けたけど、1時間も座ってられなかった。僕にとっては苦手な野菜を食べることと同じくらい苦痛だったさ。(笑)基本は遊びに出かけてない時間にギターを弾いて身に付けた。小さい頃から外国語に接していたら、その人にとってそれは外国語でないのと同じさ。音楽は常に自然に隣に在った。」

  また、かなり即興的なソングライティングを感性に依存してやっつけているようだ。
  「きっちりと順序立てて曲を書く人もいるね。後から手を加えて、手を加えて・・・。が僕はモノを壁にぶつけて、ぶちまかれたものを拾うような書き方をしている。5分かけて曲を書き、それが気に入ったらそれでお終い。」
  これもEdの天性の才能だろうか。

  「Dr.Headのバンドで僕たちはオールディズのロックンロールやソウルを演ったんだ。こういった音楽は当時物凄く人気のあったNirvanaやPearl Jamへのアンチ・テーゼだった。1990年代のティーンズのバンドがカヴァーする、って状況から想像できるようなカヴァー・バンドではなかったよ。」
  その心意気やヨシ!!!!!!(拍手〜〜〜〜〜!!!!!!)
  Edは相当のアメリカン・ミュージックを聴いて育ってきたようだ。その殆どは父親の何万枚ものレコードコレクションから耳にしたものだ。

  「この僕のレコードに一番影響を与えている音楽は、ブルースと言う点ではMuddy Waters。カントリーではHank Williams。そしてその他の沢山のミュージシャンに様々な影響を受けているね。」
  「Willson PickettやOtis Reddingの歌のソウルフルなパワーにはただ賞賛するだけだ。僕は、自分のスライド・ギターのプレイにそういった感情を表現しているつもりだ。」

  Jurdiのヴォーカルと曲を、何故か世紀の産業廃棄物バンドであるBlack Crowesに影響されていると書かれたレヴューが多いようだが、Jurdiはそれに対してこう述べている。
  「確かにChris Robinsonの声と似ているところがあるかなあ。でも僕の影響を受けたものはもっと深い音楽だね。多分僕の方がより若くて白人よりな音楽を演ってるから、もっと古い音楽をルーツにしているということを否定されるんだろうね、きっと。」
  「僕はどんどんとルーツ音楽の根っ子にのめり込んで行っている。源流から派生した枝葉末節よりも、もっと古い音楽にさ。例えば、Robert Johnsonをじっくり聴いてみたとするよね。そしたらたった4曲を聴くだけで彼が理解できる筈さ。物凄い情熱があるからね。」
  と、Edはより古典的でプリミティヴな音楽に傾倒し、影響を受けていることが分かる。ま、Black Crowesは是非ともくたばってしまって欲しいバンドだから、Edの意見を120%支持。
  支持といえば、Edはニューイングランド州を中心としたのグラスルーツ・ミュージックファンに歓迎されているらしい。
  「グラス・ミュージックは良いね。だって、流行やファッションといった不確定なものに惑わされないからね。90年代のある時期、皆Macarenaを聴いていただろう。そんなものさ。でも音楽と言うのは続いていくものだしね。」
  「僕は何もないところから、創作をするのが好きだ。今何が流行しているか全く無視してね。で、今ポーツマスで主に演奏してるんだけれど、ここは最高だね。誰もが音楽好きだし、自分のやりたい音楽を何の批判を受けずにできるからね。」

  と、彼のスタイルがこれで分かると思う。
  2002年の夏には、3年振りに漸く、2枚目のアルバムが発表されるらしい。2001年の末からリリースると言う情報はアップされていたが、いよいよな様子だ。
  とても楽しみである。彼の長髪はより長くなったのだろうか、それとも短くなったのだろうか。  (2002.5.21.)     


  Boomchild / Dennis DeYoung (1988)

  Adult.contemporary ★★★★★

  Pop        
★★★★★

  Rock   
  ★★★

  Arena 


  Styxを解散後、Dennis DeYoungは都合3枚のソロ名義のアルバムを発表し、1997年に新曲入りベストアルバムの発表に合わせて、再結成ツアーを行う。が、ツアー中にオリジナルメンバーのJohn Panozzoが急性アルコール中毒で急死。元からアル中であったそうだが。
  一時、バンドは分解しかけたが、何とか1999年に最大の駄作アルバム「Brave New World」のリリースに漕ぎ着けた。しかし、このアルバムはDennisプラス他のStyxという感じであり、バラバラなアルバムとなってしまっていた。アルバムを発表後にDeYoungは他のメンバーとの不協和音に耐えかねたように脱退。
  DeYoungのいないStyxは、サンタのいないクリスマス以下(謎)であるため、来日公演の演奏場所を見るのも嫌なくらいだったので、その日は終始西を向いていた。(大嘘)
  やはり、Dennisの美しくも切ないメロディとハイトーンのヴォーカルあってこそのStyxであった。後に残った有象無象はさっさと三途の川で水泳にでも逝って、2度と帰ってこなくても良い。
  さて、このソロ3枚目であるが、聴き所は非常に多い。スタート曲#1『Beneath The Moon』のロックヴォーカルの甘いリズム。#5−タイトル曲である『Boomchild』の産業ロック風のハードポップナンバー。#3『What A Way To Go』のアクースティックでメランコリックな素朴な演奏に透き通るDeYoungの声。
  のように、捨てナンバーはない。が、最大の注目は#4『Harry’s Hands』だろう。
  純朴な機械工のハリー。派手な遊びは全くせずに、ただテレビで野球を見るのが好きという青年。が、熟練工としての腕ひとつを頼りにして生きてきた彼に、大量生産規格品の氾濫という、新経済の波が押し寄せる・・・・・。
  こういった妄信的にアメリカを信じつつも、次第に困窮を深めていくハリーの生活。この貧窮問答歌、亜米利加版という類の詩をダイナミックなアリーナ・ポップロックのメロディが唄い上げていく。

  そう、ここで唄われているのは、無知なる大衆の悲哀と、テレビという媒体への痛烈なるアイロニーである。


  という訳で!(なんでじゃ!)
 久々の、実録しりいず傑作選!!
 満を持して約1年ぶりの登場!

  
  今回は、大衆問題とテレビという社会派なトピックを斬る!!(嘘コケ!!)

 第伍回 毒電波に負けるな!! 

  毎度のことですが、冗談の分からない方、アホ話が苦痛な方、暴力・残虐なシーンが含まれている(プレイステーションのソフトかい!?これは!)メディアに耐性の無い方、真面目なレヴューを期待してる人は、ここでお帰りください。


 さて、まずは例えの話からはじめませう。(今回は恒例のアレはありまへん。)


 仮に貴方の家やアパートの隣がミニFM局やタウン
 FM局であったと仮定します。

 ある日、貴方はラジヲを聞こうと思い立ち、チュー
 ニングを調整しているうちに、隣のFM局のバンド
 に合わせてしまいました。

 特段面白くも無く、暫く漫然と聞いていたけれど、
 やがて飽きて、他の局に変えました。

 すると、トントン、とドアを叩く音がします。

 「何かのセールスやろか?めんどいなあ〜。」

 と思いつつも、善良な貴方はドアを開けました。

 
さて、問題。ドアを開けるとそこにいたのは・・



 1.桃太郎侍

 2.キャプテン・ウルトラ

 3.普通の量産型オヤヂ

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           帰るなあ!!!(涙) 
            というかここで帰った方が・・・。2なんて誰が分かるねん!?


    ハイ、気を取り直して正解は?
    選んだ選択肢をクリックして、Go!!
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