Because They Can / Nelson (1995)

  Roots                   ★☆

  Pop         
        ★★★★★

  Rock      
        ★★★★☆

  WestCoast&Acoustic 
★★★
                You Can Listen From Here

  ハードロックから次第に距離を置く様になったのは、グランジ/オルタナヘヴィネスが次第にその勢力を強め、北アメリカ大陸に上陸し、停滞し始めた1990年代前半の頃だったと思う。しかもこの大低気圧は未だ熱帯低気圧にもスケールダウンすることなく停滞している。実に鬱陶しい。
  1980年代のポップでコッテリしたメジャーヒットチューンが周りに氾濫している時には、辛口なハードロックも良い酔い覚まし的な効力を発揮していたのでそこそこ聴いていた。
  また、敢えて意識してハードロックを選ばなくてもHair MetalやPop Metal、そしてLight Metalといった単語に代表されたLAメタルが1980年代後半から全盛期を迎えていたからだ。
  だが、グランジやオルタナティヴの単に暗く、ネガティヴで暴力的にノイジーなサウンドが次第にその領域を拡大していくうちに、ハードロックは全く必要の無い音楽に変化していった。音の本質はハードロックとオルタナヘヴィネスでは違いはあるだろうが、ノイジーで必要以上にハードなギターを使用するという点は程度のこそあれ似たところを持っていると筆者は考えている。まあ、異論は多いだろうが。実際にハードロックバンドのGuns N’Rosesはその後のヘヴィロックの隆盛に図らずとも一役買っていることは間違いないという例もあることだし。
 
  話を戻すが、徒でさえポップでキャッチーなメロディを含んだ良質なアメリカンロックがその行き場を無くし、ノイジーでダークでヘヴィな音が溢れ出し始めた1990年代は、敢えてハードロックを求める必要を身体が感じなくなったのだろう。本邦ではメロディアス・ハードと紹介されるハードロックのバンドがあまりにも形骸化して、全然メロディが良くなかったものが殆どでハズレのアルバムばかり引いたという経験もネガティヴな見方の後押しをしているけれども。
  そんなこんなで90年代も折り返しを迎えた1995年には、まず殆どハードロックは放置プレイであった。特に求めて購入するようなことは稀になっていたのだ。
  であるからして、1990年に「After The Rain」というハードロック系、恐らくは産業ハードロックという表現が最もしっくりとくる作風のアルバムをリリースしたNelsonが5年という長期の沈黙を破って2枚目を発表したと知った時、実は数ヶ月放置プレイだったりする。(実際はオクラ入りとなった「Imaginator」がこのアルバムの前にレコーディングされているが、これは少々詳しいファンには馬の耳に何とやらだろう。)
  結局、もしかしたら『After The Rain』や『(Can’t Live Without Your)Love And Affection』のようなシングルが聴けるかもしれないと考え直し、迷った末に安価な輸入盤を購入した。

 3回聴いた後、2曲のボーナストラックトラック目当てで日本盤も買ってしまつた。(自爆)

  実際、1990年代で先に外盤を購入した後、邦盤のボーナス目当てで購入したアルバムは数える程しかない。まず第一弾がこの「Because They Can」。次が沢山のプラスαに惹かれて購入したHootie And The Blowfishの「Cracked Rear View」、それから米国から帰国後にボーナストラック『Tired』が駄目曲と知りつつ(米国のライヴで何度も聴いたので)中古で手に入れてしまったMatchbox20の「Someone Or Yourself Like You」。このくらいである。
  大前提としてメジャーで買うアルバムが年を経るごとに減少しているし、昔から安い輸入盤を購入することが癖になっているので分母が少ないとはいえ、2枚買いの愚行を実行させた数少ないアルバムなのだ。
  また、ボーナストラック=ボケ茄子トラックという公式が大部分適用される傾向が強い伝統(?)に逆らって、この「Because They Can」収録の2曲は例外中の例外的に素晴らしい追加曲が収録されていたので、これは予期せぬ喜びになった。
  特に、#14『After The Rain‘95』は最高だ。オリジナルの全米トップ10ヒットになった『After The Rain』もトップ40ロックシングル(ハードロックでは断じて、ない。)の権化のように完全無欠のポップロックだったので大好きだ。
  しかし、このマンドリンを始めとするアクースティック楽器をメインにした所謂アクースティック/アンプラグド・ヴァージョンでは、産業ロックの厚塗りコーティングされたメロディよりもスコア自身の持つ本来の歌の良さが活かされていると思う。
  テンポもビートも一部変更はされているが、基本は元曲をスローダウンしただけのナンバーである。ピアノ、多分バンジョー、そしてノンドラムという真性のアクースティックチューンだが、ライヴ撮りではなく、スタジオで丁寧に音をオーヴァーダブしているのが分かる。
  このノスタルジックな西海岸風コーラスに浸っていると、まさに春秋という季節の朝方や夕方の雨上がり、マイナスイオンが大気に満ちた心地よい空気の流れが伝わってくる。これこそ「雨上がり」という曲題に適したアレンジだろう。
  また、セルフ・カヴァーには音のクオリティが上がっただけというパターンが多い中で、見事に全く新しいインプレッションを与えることのできる新曲として再生させている。標準型の単にエレクトリックをアクースティックにしただけというアンプラグド・ライヴスタイルの録音ではないのだ。
  そしてもう1曲のボーナス、#15『Nothing’s Good Enough For You (Demo Version)』はデモと銘打っているが、その後の作品で紹介は未だなされていない。しかし、デモということを忘却してしまいそうに完成度は高い。これは後述するが、非常にソフトで軟らかいアレンジで纏めてきたこのメジャー2作目の中では、かなりハードエッジな部類に属するトラックとなっている。(程度の問題であるから、これまたハードロックではないだろう。)
  丁寧に練られた傾向の強いアルバム収録曲よりもラフで馬力があり、本編にオフィシャルナンバーとして収録されれば#11『Be Still』と並んで良いアクセントを彫り込むロックトラックになっただろう。デモに留まり、米盤に収録されていないのは勿体無い。また、パーティ・ロック的な田舎ダンス風の味付けもしてあるナンバーであり、踊るには適したロックナンバーかもしれない。

  と、先にボーナス曲に付いて語ってしまったが、当然本編の13曲も同じかそれ以上に良質なアメリカン・ポップ/ロックのオンパレードである。
  冒頭に述べたように、1995年にはHR/HMはそれ程摂取の必要を感じなくなっていたので、
  「まあ、数曲シングル向きの曲が楽しめれば良いか。」
  という程度の期待でプレイヤーに載せたのだが、

 #1『(You Got Me)All Shook Up』でぶっ飛び。#2『The Great Escape』で小躍りし(メタル系でないことが濃厚になったので)、#3『Five O’Clock Plane』で溶けた。

  というように、完璧にノックアウトされた。見事な撃沈であった。
  何時か、何処かで、誰かが出してくれないか、という筆者の願望をそのまま実体化したようなアルバムだったからだ。
  このアルバムを聴いた後は、評価を決して貶める意図はないのだが、

 HR/HMなNelsonは逝ってヨシ!!

  とアッサリ転び、更に

 つーか、何でデヴューからこっちの方向で行かなかったのだろう?

  と激しく疑問すら感じてしまった。事実、このアルバムの後のHR回帰してメロディを無視したナンバーを多数含んだ「Silence Is Broken」とオクラ入り音源「Imaginator」の2枚は、聴くべきシングル曲はあるにせよ、相当霞んでしまった2枚になってしまった。所詮はHR崩れのアルバムでしかない、筆者にとっては。
  「After The Rain」は産業ハードロックとしては名盤に属する.。しかしまあ、このままHRを続けていたら絶対に「Nelson逝ってヨシ!!」になっていたに違いないが、1999年の再び方向性を「Because They Can」寄りに戻した「Life」と2000年のバンド名をThe Neslonsに改名した「Brother Harmony」のカントリーロックへの原点回帰により、筆者は再びNelsonに注目している。
  やはり、Firehouseの「Good Acoustic」レヴューでも書いたことだが、メロディの良さを阻害する働きは間違いなくハードロック/ヘヴィメタルには存在する。この「Because They Can」はその証左の1枚ともなっているだろう。

  さて、あまりの作風の違いから発売中止となり、契約のゴタゴタと原因となった1993年完成の「Imaginator」を挟んでこの「Because They Can」に至る方向性を得るのにはかなり紆余曲折を経たようである。このことは「Imaginator」の日本盤ライナーノーツにも詳しく記されているのでここでスペースを割くことはしない。何よりもダークでヘヴィな曲の多い「Imaginator」に製作当時のNelson兄弟の心境が反映されているだろう。
  しかし、1993年録音の「Imaginator」以降にこの「Because They Can」のナンバーが全て書かれたかは甚だ疑問ではある。というのはデヴュー作のプロデューサーそして共同ソングライターとしてもNelsonのレコード作製とプロモーションにすら貢献したMarc TannerがMatthewとGunnar兄弟と共作しているナンバーが6曲。
  そして、1980年代後半から頭角を表わし、1990年代にかけてソングライターとしてPeter Wolf、Y&T、Johnny Van Zant、Celine Dion、Aerosmith等に曲を提供しているTaylor Rhodesが2曲にペンを取っている。
  このソングライター陣の協力から鑑みて、このアルバムに収録されているナンバーの多くは「After The Rain」の発売前後に書かれていたが、ハードロックを取り入れた1st作の流れに合致しないため日の目を見ることがなかったナンバーではなかろうかと推察しているのだが如何だろう?

  まあ、そういった憶測は良いとして、まさに「After The Rain」のヒットシングル『After The Rain』や『(Can’t Live Without Your)Love And Affection』、そして『More Than Ever』から必要以上にハードロックであった部分を削り取って、代わりにカントリーロック、アメリカン・トラッド、ウエストコースト・ロックという大地の福音を音にした要素を充填したナンバーが揃っている。
  当然のことながら、メロディのキャッチーさとクリティカルさは1stのヒットナンバーからそのまま継承されているのでコマーシャルさに関して言えば、ここまでポップで良いのか、と思わず不安にさせるくらい完全無欠のコマーシャルさを誇っている。
  が、下世話な売れ筋なアイドルポップとか、単にギラギラしただけのPower Popという次元の低いレヴェルに留まらないウルトラ激烈ポップなロックアルバムだ。
  まず、アーシーな安定感があること。また、西海岸ロックの清涼感溢れる青さが満ちていること。これは1970年代から途切れずに続いてきたWestcoast Pop/Rockの正統な流れを継承したものに他ならない。
  そして何よりも、単なるポップでなくロックとしての歯応えが存在することだ。この箇所がBB Makとかのポップバンドとの大きな違いである。ここではハードロックに一時期取り入れていた影響がプラスに働いていると思う。何事も悪いことだけではないものである。
  補足だが、西海岸サウンドと筆者はこのアルバムを分類している。当然のことながらサウンド的に西海岸の影響が強いからそう分けたのだが、参加しているミュージシャンもまた西海岸周辺で活動してきた著名な人達が多いこともそれに一役買っているだろう。
  例えばEaglesのTimothy B.Schmit (B.Vocal)が#1、#2、#3、#9。
  2001年にEaglesを解雇されたDon Felder (Mandolin)が#3。
  元TotoのキーボーディストSteve Porcaro(Keyboard)が#3.
  BreadのオリジナルドラマーでDan FogelbergやAndrew Goldといった西海岸アーティストのアルバムにも多数参加しているMichael Botts (Drums)が#4。
  Doobie BrothersやSteely Danのギタリストとして説明の必要もないJeff“Skunk”Baxter (Pedal Steel)が#4。
  2000年にアルバムをリリースしてまだまだ活動継続中のAndrew Goldがエンジニア。
  西海岸ではないけれども、CarsのギタリストであったEliott Easton (Guitar)が#6、#7、#13。
  と、非常に豪華なゲスト陣が参加している。
  「After The Rain」でヘヴィメタルックスを双子とキメていた他のバンドメンバーはそれぞれ個別に曲に参加し、Nelsonが5から6名の産業ハードロックバンドというスタイルはこのアルバムで完全に崩れ、本来の中心人物であるMatthewとGunnarの双子のデュオに集束している。

  しかし、ここまで捨て曲がなく、全曲ヒットするアルバムは少ない。ボーナストラックを抜いて本編だけで考えても、#1『(You Got Me)All Shook Up』から#13『Nobody Wins In The End』までシングルに出来ないのは2曲のインストゥルメンタル曲である#6『Remi』と#9『Joshua Is With Me Now』くらいだろう。
  しかも、筆者はこの2曲の小作品は大好きであり、特にアーシーでダートな#6はアルバムでもヴォーカル曲を含め筆頭を争うくらいに愛聴している。このイントロ/アウトロ的にブリッジインストナンバーを挟むのは「After The Rain」でも同様の手法が取られていた。中でも#4-1『Tracy’s Song』のトラッドなノリが好きだった筆者にはこの土臭さとトラディショナル万杯なアレンジは堪らない。
  歌詞についても、かなり成長が見られると思う。#10『Love Me Today』や#3『Five O’Clock Plane』のように直接的なラヴ・ソングもあるけれど、ラヴ・ソングと心暖まるメッセージソングの中間的な曲が多い。#2『Great Escape』や#8『Only A Moment Away』のようなナンバーがそうだ。
  ライトメタル界のアイドル的な扱いでデヴューしたNelson兄弟だが、この「Because They Can」から音楽的にも歌詞的にも軽薄な流行から脱却したという感が強い。

  どのナンバーもツボを突きまくりで、「最高」、「耳にしたら絶対に忘れない」、「ラジオから流れているのを偶然耳にしたら絶対にソースを探して手にいられずにはいられない」という賛辞を与えるのみだ。
  が、少しだけ各曲のお気に入りの部分に触れておきたい。
  まず、#1『(You Got Me)All Shook Up』。一番の好きなパートはラストのギターソロに続きア・カ・ペラ気味に歌われる♪「And Now I’m All Shook Up」♪を挟んで乾いたパーカッシヴなスネアドラムが挿入される所。最高にグルーヴである。
  #2『Great Escape』はコーラス部分から始まるロックンロールな分厚いコーラスが駆け回る段階とそれ以前のアクースティックな前置き部分のギャップが良い。
  #3『Five O’Clock Plane』はオープニングのDon Felderのマンドリンソロ。繊細で瑞々しい感性がマンドリンの弦から零れ落ちそうなところ。それから♪「I,I,I・・・・」♪に♪「Why,Why,Why」♪のコーラスのリフレイン。ここはつい一緒になって歌ってしまう。
  #4『Cross My Broken Heart』は初めて出現するバラードである。まあ、Skunk氏のペダルスティールは文句無しなのは当然として、Gunnar Nelsonのハイトーン・ヴォイスがもう天を仰ぐくらいロマンティックだ。フェイドアウト前の♪「Uh,Uh〜〜〜〜〜〜」♪のハーモニーでも出ない高い音域を出そうと喉を嗄らしてしまう。
  #5『Peace On Earth』はこれまたお気に入りの筆頭格に当たるバラード。かなり力強いがアクースティックの利点とカントリーミュージックの土臭さを産業ロックのバラードに溶かし込んだような深みと蒼さがあるナンバーだ。聴き所はラストフレーズでのMatthewのシャウト。それからブリッジ部分のアド・リブ的なヴォーカルとコーラスのハーモナイズが儚い感じがして最高に感動する。
  #7『Won’t Walk Away』は第一弾シングルとしてカットされたが全くチャートに結果が反映されなかった。この時代が少しでもマトモなら絶対にTop40には入ることは間違いないスピーディな王道ヒット路線のロックチューンがである。このナンバーがヒットしなかった時、本格的に筆者は米国メジャーチャートを見限った。
  兎に角、爽やかなコーラス、ハードポップという表現も可能なオーヴァー16ビートのロックナンバーで、密かに鳴るピアノやオルガンの音色が好きだ。何よりもプレリュード的な#6とのギャップが、静から動への跳躍がジャンピーであるのだ。
  #8『Only A Moment Away』は最も優しさを感じる歌詞とメロディ。そして上品に弾かれるスライドギターが心地良い、極上のミディアムバラードで、全部が好きである。大勢の合唱コーラスで盛り上がる後半が一番のハイライトか。
  #10『Love Me Today』もメロウでもう蕩けそうな感性とロマンチシズムが溢れ出る、ストリングスを使用したアダルト・ロックの経典のような曲。コーラスの♪「I’ll Be On My Way Love Me Today・・・・・」♪からの甘いヴォーカルパフォーマンスは常に一緒に歌ってしまう。
  #11『Be Still』は前述したが、ともすれば甘くデリケートな曲の多いアルバム全体をロックンロールのタフさで引き締める効果がある。贅沢を言えば、もう少しこういう曲が欲しかったが、ハードロックをヘタに入れられるよりは全然正当な方向に向いたアルバムなので、仮定の願望はこれ以上述べないことにしよう。ザクザクとしたスティール弦の手触りが伝わってくるようなナンバーだ。
  そして最も好きなナンバー#12『Right Before Your Eyes』。イントロのアルペジオギターの美しさ。綺麗なバッキングを捺していくピアノ。♪「I Hear You !!」からアップビートに突き進む王道的な展開。Gunnarのソロ・ヴォーカルパートの流麗さ。完璧なアクースティックとエレクトリック、そしてウエストコースとのユニゾンだ。
  最後の#13『Nobody Wins In The End』はハイキーに揃えたピアノをクリアに押し出している大作。まるでStyxの名曲『Come Sail Away』をよりアクースティックと土臭さを際立たせて再現したような、このアルバムの中では最も1stの残滓を留めているナンバーだろう。後半のストリングスとギターのバトルは少々トゥ・マッチかもしれないが、最後を飾るにはダイナミズムに溢れて良いナンバーだろう。
  この犬ジャケットも微笑ましいというか、遊び心があるというか、それともアイドル的な装飾を嫌い本格的にソングオリエンティッドなミュージシャンを目指そうとした気概の表れか。

  ここまでポップ過ぎる曲が並ぶと、意外に早く飽きてしまうことが多いのだが、癖の少ないアルバムなのに何時までも何度聴いても飽きない。まあ、これが爽やか過ぎるというリスナーは相当する存在するだろうけど、そんなことには全く拘泥しない。このアルバムの良さが分からないのは実に気の毒と偏見で眺めるだけだから。
  きっと単純にコマーシャリズムに走るだけでなく、アメリカンルーツ・カントリーへの模索が明確な形になってきているからだろう。
  Counting Crowsに出会わなかったら間違いなくこのアルバムが1990年代10年間でベストだった。今でも高速をドライヴする際には欠かせないアルバムである。
  つくづく、Nelsonが脱HR/HMしてくれて良かった、と小さな幸せを噛み締めつつ、今も「Because They Can」を聴いている。  (2002.9.21.)


  19 / Chicago (1988)

  Adult-Contemporary   ★★★★

  Pop   
       ★★★★★

  Rock
       ★★★★

  Arena 
  ★★
                You Can Listen From Here

  もう既にChicagoファンだけでなく音楽ファンの間でも散々議論され、埃が積もりカビが生えていることなので、1980年代以降のChicagoの路線変更、本邦でAOR化と表現される音楽性の変更についての是非については、今更多くの文面を裂くことをしたくない。
  とはいえ、この「19」を語る上で、やはり1982年作品「16」からの方向性の転換について、筆者なりの見解を述べておきたいと思う。
  世間的には、プロデューサーを当節から頭角を表わしていたDavid Fosterに変更した「16」からChicagoの変節は始まったという意見が多いようだが、実際は「[(8)」や「](10)」(機種依存文字のため、一応ナンバリングをしておくことにする。)から既にAdult Contemporary化は相当進行していたように思える。
  極初期のジャジーであり、ビッグバンド風で、ブラスロック/ホーンロックの流行に載せたジャズ・ロックという音楽を展開していたデヴュー作から数えて4枚の頃とは、既に相当ソフトロック化しているのが聴き比べると良く分かる。確かに外部ライターやゲストミュージシャンを多く雇い入れ、ホーンセクションが全く挿入されない曲が増加したことは「16」以降の大きな変更点であるにせよ、「16」からいきなりChicagoがアダルト化、アダルトロックの権化に化けた訳ではないと考えている。
  確かに、「](10)」の頃のChicagoと比べると、「16」から「18」までのChicagoはより一層ソフトロック化が進行しているのは著しいだろう。
  まず、David Fosterの十八番とも言うべきオーケストレーションがかなり大仰にフューチャーされるようになっている。無論、これまでのアルバムでも効果的にストリングスを取り入れてきたバンドではある。例えば、『Old Days』のさり気ない管弦楽器の使用から、『If You Leave Me Now』や、更に管弦にメインのラインを彩らせた『Baby,What A Big Surprise』と、決してストリングスに消極的な姿勢を持ったバンドではなかった。
  加えて、これは時代とともに電子鍵盤が進化したことも背景にあるだろうが、厚塗りのキーボードサウンドが非常に増加している。特に「17」や「18」ではストリングス・シンセサイザーも含め、相当なパートがキーボードで形作られているのが分かる。
  この事実は、前者については嘗てはストリングスと共にホーンセクションも並行して使われることが多かったのに、「16」以降から3名のブラス隊の出番が減ったという点。
  後者においてはピアノとオルガンに殆どの鍵盤を依存していたバンドが必要以上に電子鍵盤を取り入れたという点、これらをしてChicagoの路線変更を嘆く旧来からのファンは多い。
  特にブラスセクションのウエイトが減ったことは、まさにChicagoの顔であったホーンサウンドを退色させた堕落として厳しい意見を叩き付けるファンは多数存在するようだ。以前、ジャズロックからより甘いソフトロックへと変革期を迎えた頃も、同様に路線の変更に対しての批判が吹き荒れたらしいので、まあ、既存のある程度固まったレールの上から脱線して新しい線路に乗り入れるバンドには宿命的につきまとう批判なのだろう。

  であるからして、やはりChicagoのサウンドが「16」を境にして急激に変貌したとは考えにくい。トップ10アルバムを初めて逃したとはいえ、ヒットを記録した12枚目の作品「Hot Street」がかなりの気力をつぎ込んで若返りを図った意欲作であることと、その後の「13」や「]W(14)」がChicagoとしては最悪のセールス的敗北を喫してしまい目立たなかったので、再び商業的に浮かび上がった契機となった「16」がターニングポイントとして印象を強烈に与えているのだろう。
  Robert Lammに言わせると「腐る寸前」まで行っていた「13」や「]W(14)」の時代と比較すれば、確かにリスナーに与えるインパクトは全く違う。かく言う筆者もアルバムでChicagoをしっかりと聴き始めたのは「16」からなので、実はChicagoといえば、「16」からというイメージがある。「13」、「]W(14)」等もアナログ盤で聴いてはいたのだが、どうにもぱっとしないアルバムであったことしか覚えてない。
  だから、「](10)」くらいからChicagoをシングル中心であったとはいえ、聴き続けている筆者にとっては、1980年代の好調なセールスとTop40ヒットの量産は嬉しかったし、Chicagoが甘くなったという批判にしてもそもそも所期のブラスロック時代が後追いなため、別に違和感無く受け入れていた。
  寧ろ、最初に「Chicago Transit Authority」を始めとする初期作品を聴いた時はそのあまりの音楽性の違いに戸惑いを覚えたくらいだ。

  つまり、筆者は「16」以降の批判派が述べるところの「シングル向きの曲を外部ライターに書かせる」、「ヒット狙いのアルバム作り」、「本来の持ち味を捨て売れ線狙いに走った」という批判に対しては、

 音楽がちゃんとしたロックなんだから売れて何処が悪いんじゃボケ茄子!!

  と考えている、所謂「Chicagoアダルト化肯定派」である。
  徒に安直な流行をそのまま取り入れずに、少なくとも“Chicagoのアルバム”を区別できるキャッチーなアメリカンサウンドを創っている限り、売れ線狙いの何処が悪いのか、と筆者は考えているからだ。
  特に、1980年代の「16」から「19」は初期中期のような独創性の強いブラスサウンドが強烈な自己主張をするナンバーは殆ど無いけれど、何時までも愛されるバラードを多数排出した時代と捉えている。
  最もシングルヒットを多く生んだのはこの4枚、特に「17」と「19」であるが、純粋にチャート・ポジションから計算すると最高のヒットシングルのプラットホームとなったのはこの「19」である。「19」の発売の翌年に3枚目のベスト盤としてリリースされた「Greatest Hits 1982−1989」からリミックスしてシングル化され、全米第5位まで上昇した『What Kind Of Man Would I Be』まで数えると、Top10シングルを4曲も内包しているのだ。
  が、何故かアルバムはTop40にも入らないという不可思議な結果となっている。「]W(14)」以来のオリジナル作としてはTop40を逃した作品となっている。最もシングル的には売れたのに。

  そういったチャートアクションはその手のマニアに論じることを任せれば良いだろう。ここでは「19」について語っていくべきだ。
  ブラスロック色が一層薄れ、アダルト・コンテンポラリー化が進行したと判断される1980年代のChicagoの作品の中でも、この「19」は最も特異な場所に位置するバンドであると筆者は考えている。基本的にAdult Contemporaryという方向性の根幹には変化は無いのだが、それでも「16」から「18」の3枚のTop40アルバムと並べてみると、やはり「19」は異色とはいえないけれども、やや異なる色合いの見える1枚であることは間違いない。
  これは「16」から「18」までを手掛けたDavid Fosterが「19」ではプロデューサーとして全くアルバム製作に関わっていないことが大きい。
  このアルバムを手掛けたのは、Heartを始め、UFO、Ozzy Osbourne、Michael Schenker Group、Damn Yankees、Bad Company、The Babys、Europeという主にハードロック/アリーナロック畑のプロデューサーを歴任し、Survivor、Eddie Money、Jefferson Starship、Kiss、Joe Cockerというヴォーカル系の産業ロックのアルバムも手掛けている、Ron Nevisonがヒットシングル全ての4曲。
  そしてシングルカットされなかった(笑)6曲をChas Sandfordという人が担当している。Chasはどちらかというと1980年代はセッションミュージシャンとして産業ロック系のアルバムに参加している場合が多いが、当時産業ロックを演奏していたJimmy Barnesのプロデューサー等も経験している。
  David Fosterのプロモートする音楽に些かのマンネリを感じたのか飽きたのか、その辺はメンバーのコメントからは正確なことは量りかねる。
  ただ、アルバム発売後、特に次のオリジナルアルバムである「Twenty 1」の頃のインタヴューでは、最もメンバーがアルバム作製にコミットできなかったという不満が噴出している。それは演奏面においても曲の作詞作曲においても、全てに渡ってのことらしい。
  そういったセールスサイド及びマネージメントサイドに用意されたマテリアルをChicagoの名前で演奏しただけ、という事実から、この「19」を産業ロックの権化と呼んで毛嫌いするファンが多いと聞く。
  確かに、Ron NevisonとChas Sandfordという産業ロック/アリーナロックで活動するプロデューサーがコーディネイトしただけあって、純粋にサウンド的な意味合いでもこのアルバムは、アリーナロック色が強烈である。アルバムの完成に至る毛色まで産業ロック一色に成ってしまったという裏事情と奇妙に一致するところは面白い偶然だろう。
  どちらかというと、甘く、アダルトポップなサウンドを得意とするDavid Fosterの手法とはかなり違う面が存在する。

  ここで断っておきたいのは、筆者は製作の過程がどうであろうと、この「19」は非常にレヴェルの高いロックアルバムとして纏まっていると思い、1980年代のChicagoの作品では一番評価している。
  「ソングライターが過半数以上外部からの参加」とか、「Chicagoが創ったアルバムではなく、歌わされたアルバムだ」という手法については正直どうでも良い。サウンドさえ気に入れば問題ないからだ。どちらかといと凹凸の激しい「16」や纏まりに欠ける「18」よりも完成度は遥かに高いだろう。
  以下、各曲に触れつつ、「19」が他の日本で言う“AORシカゴ”と相違点を述べ、同時に思うところを吐き出していくことにする。

  まず、先に述べたように、産業ロックとしてかなりサウンドが厚味のあるロックンロールに比重を置いたアルバムとなっているのが大きな特徴だろう。
  1980年代のChicagoは「Chicago=Ballade」とメディアから賞賛及び揶揄されたように、バラードが目立つAdult Contemporaryバンドとしての性格を1970年代後半以上に全面に押し出してきた。アップテンポのヒット曲は殆ど存在しないため、その面からもアダルト化してロックから離れたという批判も多々あった。
  確かに、「16」以降のアルバムではアップテンポなロックナンバーは非常に少なく、ミディアム・ナンバーより遅い曲が大半を占めている。その点ではこの「19」も他のアルバムと殆ど変わらない。殆どがミディアムテンポを挟んでバラードに傾いたナンバーである。
  しかし、サウンドプロダクションの違いだろう、この「19」にはロックンロールを感じさせる曲が多い。
  #1『Heart In Pieces』、#3『I Stand Up』、#8『Runaround』というナンバーは軽快であり、極端なアップビートなナンバーではないのに、ロックンロールとしての装甲の厚味を十分に備えたナンバーだ。
  特に、#1『Heart In Pieces』はDanny Seraphineの絶妙なドラム・リフが非常にリズミカルであり、Jason Scheffの若々しいヴォーカルも新鮮だ。前作「18」で名曲『25 Or 6 To 4』に泥を塗るようなハードメタル・アレンジを歌わされた他はアップテンポなチューンを未だ披露していなかった新ヴォーカルの魅力がここで楽しめる。
  #3『I Stand Up』もパワフルなブラスロック・チューンであり、1980年代は完全に裏方に廻りシングル曲を1曲も歌わせて貰えなかったRobert Lammが未だ健在であることを示すようにフックの効いたジャンピーさを張り上げる曲である。
  #8『Runaround』はこのアルバムで唯一メンバーだけで創り上げたナンバーである。ライターはJasonとBill Champlinである。実にキャッチーでシングル化しても良かったミディアムポップナンバー。JasonのハイトーンなヴォーカルもPeter Ceteraとは質が違うが透明感に溢れていて良い。バラードだけでなく、こういったナンバーも歌えることを実力で証明している。
  しかし、最も重いロックナンバー#5『Come In From The Night』は確かに鋭いファンク感覚満載のアーバンロック・チューンなのだが、これはバラードに偏るという印象を避けるためにわざと酸味の効いた曲を入れたというわざとらしさが鼻につくので出来は悪くないけれども好きにはなれない。「16」の『Bad Advice』と曲調もトラッキングされた理由も似ているように思えるのは考え過ぎだろうか。しかも、リードヴォーカルがBill Champlinと共通点まであったりするのだが。

  また、#8で触れたのでここで挙げてしまうが、外部ライターの導入が最も多いのが「19」の特徴でもある。前作「18」にしてもこれまでのメインライターであったPeter Ceteraが脱退したためこれまで以上に他のライターとの共作が目立ったが本作はそれ以上。
  これまた「Twenty 1」の発売後にメンバーが色々と述べているが、メンバーのライティングが増えたその21枚目のアルバムはかなり不恰好な凡作に落ち着いてしまっていることを考えると、やはりここまで外部に頼ることは問題かもしれないが、バンド外のソングライターとペンを執ることは固まったバンドに新しい通風孔を開ける意義はあったと考えている。
  参考までに外部ライターだけで書かれた曲は
  #1 Tim Feehan / Bryan MacLead
  #2 Diane Warren / Albert Hammond
  #6 Diane Warren
  #9 Jim Scott
  #10 Mark Jordan / John Capek

  と過半数を占める。残りのナンバーもメンバーが関わっているだけという感じが強い#7『What Kind Of Man Would I Be』ではJason以外にはChas Sandfordと日本では人気の高いAORシンガーBobby Coldwellが作者となっているし、#5ではBruce Gaitschが、#4では映画Top Gunのサウンドトラックを手掛けたプロデューサーのJohn Dexterがクレジットされている。
  Diane WarrenとAlbert Hammondについては今更解説は必要ないだろう。
  こう考えると確かに全米No.1ヒットとなり年間トップのシングルとなった#6『Look Away』や全米第3位となり、「世界不思議発見」のエンディングテーマにも使用された#2『I Don’t Wanna Live Without Your Love』といった大ヒット曲、そしてトップ10ヒットの#9『You’re Not Alone』までもが他人のナンバーである。
  Chicagoのアルバムではない、という非難も分かる気はすれども、やはりしょうむないナンバーをオリジナルで並べるよりも外部ライターとの“共同作業”を増やすことは良いことだと考えている。本音を言えば、ヒットした良質なシングルが楽しめれば問題ないと思う。
  が、メンバーも流石にこれを恥じたのか、CD初回プレスにはソングライターのクレジットが存在しない。これまではどのアルバムにもちゃんとソングライターを記載していたChicagoだったのに。もっともアナログ盤はどうなっていたかは知らないので何とも言い難いが。

  次に、産業ロックと重なる要素であるが、このアルバムでは電子鍵盤の占める割合が非常に多い。これまではアダルト化しつつもシンセサイザーよりピアノまたはピアノサンプリングを表に押し出したアレンジが多かった−特にバラードにおいて−Chicagoだが、「18」から増加の傾向にあったキーボードが大きく領域を増している。
  #6『Look Away』、#2『I Don’t Wanna Live Without Your Love』、#9『You’re Not Alone』、#10『Victorious』ではピアノサンプリングの擬似音すら殆ど聴こえない。これまで『Hard To Say I’m Sorry』や『Hard Habit To Break』、『You’re My Inspiration』等ではアクースティックピアノやピアノサンプリングをメインに据えて名作バラードを完成させていた方向性とはかなり異なる。
  #4『We Can Last Forever』や#7『What Kind Of Man Would I Be』ではピアノサンプリングが使用されているとはいえ、完全に電子鍵盤と分かるサウンドプロダクションであり、敢えてアクースティックピアノの繊細さを出そうとする努力は放棄されている模様である。
  「16」以降もシンセサイザーを多数使用しながらもどことなくオーガニックな優しさが目立ったChicagoの音が、この「19」ではアリーナ風のコッテリと厚目のサウンドとしてがっちりエレクトリニズムに組み入れられてしまっている。
  しかし、このために非常にタイトで重厚な仕上がりになり、結果としてロックンロールの力を見せているため、一長一短であろう。

  同じく、Chicagoの看板とも言えるブラスセクションも、かなりデジタル化されているように感じる。
  「16」からこっち、かなり脇役扱いとなってしまった3名のブラスバンドであるが、1980年代のアルバムではこの「19」が一番出番が多いと思う。これを意外に感じる方もいるだろうが、「16」や「17」では全くホーンが入らないナンバーがかなり存在し、その免罪符の如く不自然にホーンが際立ったナンバーを無理矢理入れていたという感がアルバムの構成を考えると多い気がする。例えば『Hard To Say I’m Sorry』に対する『Get Away』のように。
  が、「19」ではホーンレスの曲は#9『You’re Not Alone』だけである。他のナンバーでは多かれ少なかれホーンが組み込まれている。#10のように一瞬しか使用されない曲もあるが。
  #1、#3、#5、#8のようにロックタイプのナンバーではかなりホーンがフューチャーされているし、バラードの#7では印象的なオーケストレーション・アンサンブルが聴ける。しかし、リミックスされたシングル・ヴァージョンでは下らないソロのサックスにリテイクされてしまい、これは今でも腹立たしいが・・・・。
  バラードでも#2のように後半だけとか、#4のようにコーラス部分だけ、それに#6のように殆ど目立たず、シンセサイザーの音に隠れてしまうなど、やはり脇役ではあるけどれも。
  ところが問題は、このようにホーンはそれなりに活躍しているのに、殆ど目立たないということだろう。
  ここに産業ロック化した「19」のマイナス面がある。
  それは、ホーンのアレンジがシンセサイザーによる擬似ホーンやキーボードによるストリングスシンセの音とあまり差別化できなくなってしまっているということだ。つまりブラスパートが有するヴィヴィッドなアナログ感覚がデジタル処理されてしまっているため、金管楽器の活き活きとした躍動感が薄れてしまっているのだ。
  極端な言い方をすれば、このプロダクションならシンセホーンだけでアルバムが作製可能ということ。生ブラス隊は必要性をあまり感じられなくなっているということだ。

  また、発売当時かなり気になったのは、Bill Champlinが大幅にリードヴォーカリストとして勢力を拡大していることだった。Peter Cetera在席時は、Robertと同じく完全に2番手ヴォーカルだったBill。「18」でも新加入の一回り以上年齢の違うJason Scheffを紹介する必要もあったのだろうが、最も出番の多かったヴォーカリストはJasonであった。
  が、トップ10シングル3曲は全てBillのヴォーカル。Jasonは当然カットされると予想していたこのアルバムでは一番出来の良いバラード#7ではなく、やや劣る#4でシングル曲を切られただけだった。(ヒットもトップ40を逃した。)
  正直、筆者の大好きな#2や#6はBillよりもJasonが歌うべきナンバーであると思うし、これまでのChicagoなら間違いなくハイトーン・ヴォイスのヴォーカルで勝負を賭けるだろう。だからして、何故にBill Champlinがここまで引き立てられたかは不明だ。シングル4曲の中で、アルバム・ヴァージョンとかなりアレンジの異なる#9『You’re Not Alone』はBill向きであると思うが。
  しかし、このアルバムでの活躍により、Bill Champlinもソロでバラードを引っ張れる歌い手として認識されたという点では功績はあると考えているが。

  しかし、#5と#10以外は全てシングルにできるポテンシャルがあったのに、アルバムのセールスがいまいちなためか、カットは4曲止まりとなってしまった。(後にベスト盤から#7がリミックスされてヒットするのは記述した通り。)
  産業ロックとして必要以上に厚く、Chicagoとしてはやや異質のロックアルバムに完成してしまったので、旧来からのファンが敬遠したのだろうか。
  アレンジの方向性が変わっただけで、実態は1980年代のAdult ContemporaryなChicagoの完成点に達したアルバムだと思うのだが。
  繰り返すが、ロック作品としては「13」以降のChicagoでは最高傑作であると思う。Chicagoらしさという昔からのバンドが所持してきた音楽性からは一番逸脱した作品でもあると思うが。
  それにしても、このアルバム以降、オリジナル作は1991年の「Twenty 1」のみである。1990年代は非難轟々のベスト盤を名前変え、曲目を変えのリリースに終始したバンドを見るにつけ、どうにもやるせない気持ちになる。
  ベスト盤だけでChicagoのカタログナンバーが消費されていくのを見るのに耐えられないファンは多いだろう。
  是非、近日発売予定から時間が止まってしまったような「27」では、この「19」のように既存のイメージを破りつつポップでロックで新しいChicagoを見せて欲しいと心から願う。  (2002.9.26.)


  What’s Wrong With This Picture ?
                     / 
Andrew Gold (1977)
  Roots              ★★

  Pop           
★★★★☆

  Rock     
   ★★★

  WestCoast 
 ★★★★


  先日、とあるコンビニエンスストアーで、週刊雑誌を立ち読みしていた(買え!!)ら、店内のBGM用スピーカーから少しドライで軽めな録音のピアノが軽快に叩かれる、理想的なPop/Rockのイントロが流れて来ました。
  パーカッションがピアノにリズムを合わせ、ベース、そしてギターが後で地道にサポートをするこの曲は、Andrew Goldの私的一番の名曲『Lonely Boy』じゃあ、あ〜りませんカ(化石化)、と思い、思わず聞き耳を立ててしまったものです。このナンバーは1970年代の数々の名曲・ヒット曲の発信源となった西海岸のウエストコーストソング中で屈指のポップロックであると思っているからなのですが。

  だが、しかし、期待に胸を膨らませ、ヴォーカルが入るのを待っていたら、次の瞬間奈落に落とされることに相なってしまったのであります。というのは

 歌っていたのが、日本人歌手!!

  まあ、これでヘボヘボな英語発音で歌われるより、日本語で潔く歌い切る方がなんぼかマシであるかもしれませんが、所詮はどっちもクソというのには変わりありません。(をい)目糞鼻糞を貶すというヤツでしょう。(違)
  更に、

 オンナのヴォーカル!!

  しかも、鼻が詰まったような弱っちい声とはっきりせん発音で

 何を歌っているのかサッパリ分かりません!!

  全神経を集中して歌詞を聴き取ろうとしたが、駄目。吉川●司や寺尾○並なみのボソボソ声。(をい&古い)
  トドメは

 コーラスが♪「Oh,What A Lonely Girl」やんけ!!ベタ過ぎ!!つーかセンス皆無。

  原曲は歌詞も非常に秀逸な「詩」、「物語」と呼べるくらいな歌なのです。殆ど歌詞が聴き取れなかったのを立ち読みを止めて、何とか大筋を掴んだような感じではがしなくもないのですが(汗)、オリジナルのアイロニカルと同時にアドレッサンスな歌詞を完全に破壊し俗化しているようでした。少なくとも原曲に忠実な歌ではありませんね。どうやらラヴ・ソングか失恋ソングっぽいです。
  繰り返すけれど、大変聴き取りにくかったので正確なコメントは残せませんが。
  つーか、

 何で、英語の歌の方が、母国語の歌詞より分かり易いんじゃい!?

  この歌詞をつけたソングライターと、名曲をヘナチョコなヴォーカルで歌った女歌手は

 何はともあれ、逝 っ て ヨ シ !

  大体、『Lonley Boy』の替え歌で、タイトルは知らないが♪「Lonely Girl」と歌わせること−どうせタイトルも『何某のロンリー・ガール』に決まっているでしょうけど−で既に終わっています。原曲に忠実に倣えとまでは言いません。が、どうせなら完全に別の歌にしてしまえば単なるメロディの借用で終わって、アホやなあ、と笑われて終われるのに。
  これこそ、中途半端のロクデナシという典型でしょう。
  というよりも、歌詞の本質まで変えてしまったら、既にカヴァー・ソングではなく、単なる替え歌にしか過ぎず、イロモノに強制分類されます、筆者の中では。
  日本には数え切れないくらい足を運んでいてかなりの日本通であるAndrew Goldに謝罪しれ!!!

  まあ、今のJPOPを尊んで聴いている世代がAndrew Goldの『Lonely Boy』を知ってるかといえば、多分答えはネガティヴでしょう。つまり、パクリというかテンプラの衣だけ借りてきて、中身の具はスカスカな存在を、「ああ、良い歌やなあ。」と聴いているのですな。まあ、無知は最高の幸福といいますが、騙されていることに気がつかないのは端から見ればとても気の毒で涙がちょちょ切れます。

  しかし、Andrew Goldは矢沢永吉のプロデューサーを1980年代半ばあたりから1990年代初めくらいまで全て担当しているのでひょっとしたらこのヘナチョコソングに関わってる可能性もなきにしもあらずかも。
  こういった出稼ぎを日本で行ったのは、珍しいですね。大抵本国でアルバムがリリースできなくなると欧州へと逃避行をするミュージシャンが多いものです。が、Andrewの場合、ソロ名義のアルバムは1980年代は確かに1枚だけですが、10ccのGraham Gouldmanとチームを組んで、Common Knowledgeというユニットを結成し、アルバムをリリース。後にWaxというデュオに変名し、3枚のアルバムをメジャーのRCAからリリースしています。
  1990年代はプロデューサーとしての活動が増えますし、1991年に日本のCM用に書いて歌ったCMソング集「Home Is Where The Heart Is」をリリースした後は1995年のBryndleの復活アルバムまでレコードリリースはなくなるけども、それ以降はソロ作3枚、新曲入り編集盤やベスト盤でも2枚、その他のサイドプロジェクトでも複数のアルバムを発表するという具合に精力的な活動をして現在に至っています。
  であるからして、特別アルバムが出せないほど(世間の大幅な受け入れ態勢があるかは別問題として)困窮していないのに日本を相手にして活動したことは、やはり親日的なところがあったのか、それとも単にギャラが良かったのか詳しいことは寡聞にして知りません。まあ、当時から“LA録音”というものが一種のステータスとして持て囃される傾向は強かったので、Andrewがわざわざ日本まで太平洋を渡る必要はなかったのは確かであり、どっちかというと太平洋を越えて押しかけてきた日本人音楽屋の相手をしてくれるくらいAndrew Goldが優しかったのかもしれません。

  まず、Andrew Goldの経歴については、彼は意外に日本で愛されているので、それ程詳細に書く必要もないだろうから、まずはアルバムに付いて述べることにしましょう。
  「Home Is Where The Heart Is」(1991年)、「Warm Breezes」(1999年)という日本でオン・エアされたCMソング中心の独自編集盤が出ているくらいですから。
  このアルバムは1977年にソロデヴュー作である「Andrew Gold」に次いでElektra/Asylumからのメジャーリリース第2弾であり、2作目のソロアルバムです。
  「What’s Wrong With This Picture」=「この写真に何処か間違いがあります。さあ、何処かな。」というタイトルであり、実際にジャケットの中に間違いがあるという遊び心のある、現代のギスギスしたオルタナティヴのバンドには出来ないようなおかしさをアートワークにも演出しています。確かにCDサイズではない、LPサイズであるからこそ可能だった遊びかもしれませんが。
  但し、このアルバムを初めて聴いた1980年代前半から約20年経過した今でも、筆者は何処が間違いなのか全く理解できていないのです。誰か知ってたら教えてください。(汗)
  アルバムは11曲収録と、1970年代としてはかなり数の多いレコードであると思います。うち、カヴァー等の他人の作品が3曲を占めます。
  1曲は#3『Do Wah Diddy』。オールディズファンならずとも耳にしたことのある人はかなりの数になるでしょう。英国のロックバンドであったManfred Mannが1964年に全米No.1シングルにして一躍有名にのし上げたロッククラッシックを、Andrew Goldはまさに1960年代の香り漂うノスタルジックさを振り撒きつつ、Bryndleの僚友であったKenny EdwardsやプロデューサーのPeter Asher等のコーラスを加えてゴキゲンなR&Bロックにしています。ギターではDanny Korthmarも参加。1980年代から次第にプロデューサーとしての地歩を固めていくDannyもこの当時はソロ活動するミュージシャンだったことが思い出されます。
  そしてもう1曲は、ロカビリー/ロックンロールの悲劇のスターだったBuddy Hollyの大ヒットバラード#4『Learning The Game』です。スティールギターにDanny Kortchmarが担当するマンドリン、そしてAndrewはピアノを叩き、ルーツ色の程好く暖められたバラードに仕上げている。Andrew Goldの優しく若さが残る甘いヴォーカルが実にこの名曲とマッチングしています。しかし、自分が渡欧寸前に飛行機事故で若くしてこの世を去ったミュージシャンの話を書くとはあまり良い気分ではないです。(2002年10月20日。筆者は渡欧する予定を見越してこれを書いてます。)
  そして最後が#9『Stay』です。R&BロッカーのMauraice Williamsが1953年に書いたドゥ・ワップなR&Bソングです。もっとも、曲を書いた当時はDo−Wopという言葉は存在しなかったらしいですが。この『Stay』オリジナルは1960年に発表され、全米No.1ヒットとなっています。Andrewはコンガ等のハンド・パーカッションを取り入れ、レゲエかつドゥ・ワップにレトロソングを再現しています。こういったカヴァーが出来ないアホな日本人歌手は穴でも掘って埋まってもらいたいものですなあ。
  残り8曲は殆どAndrew Gold単独のペンによるもの。共同作成となっているのは#1『Hope You Feel Good』のみですね。その#1ですが、ハードな曲になるかな、という感じのオープニングのギターを思わせますが、ヘヴィなんてことにはなりません。実際は軽いR&Bなポップを西海岸風のアーシーなスパイスで炒めたようなグルーヴィな雰囲気のある曲に仕上げています。
  正規の音階を外すような、然れどもトーキングスタイルのヴォーカルではないAndrew Gold特有の声が早速十二分に活躍しているナンバーでもありますね。
  #2『Passing Time』はJ.D.SoutherやJames Taylorといったウエストコースト出身のミュージシャンが共通して所持しているロマンティックでジェントリィな感性を、アクースティックギターではなく、ピアノを中心で歌い上げるバラード。
  ここにマルチミュージシャンであるAndrew Goldの特徴が顕現しています。しかも尺八まで木管楽器のソロに使われているのには驚かされます。この頃から日本文化に対する憧憬や理解が強かったのでしょう。後年の日本を舞台にしての活動の原点を見るような思いがします。
  ヴォーカルを思い切って高目に設定し、スゥイートなAndrew Goldの声を際立たせていますね。
  #5『Angel Woman』は更に透明感のある叙情が漂うナンバーになっています。オーケストレーションをバックにAndrew Goldがピアノ1本だけでこのバラードを歌い上げるのですが、この1分半という短いが美しいナンバーで感じるのは1960年代に活躍したLeon RussellやProcol Harumのロマンチシズムを覚えてしまうのは筆者だけではないでしょう、決して。
  #6『Must Be Crazy』はAndrewらしい乾いたアレンジよりも少々ウエットな優しさが見えるナンバーですね。ヒット性としては直後に鎮座する彼最大のヒット曲、#7『Lonely Boy』に劣らぬものがあると思います。軽快に転がるAndrewのピアノにオルガン、特にオルガンがこのナンバーの湿度を増し、適度に触りやすい表面を形成しているといえるでしょう。そして派手になり過ぎないストリングスアレンジメントに、ノリノリに振り回されるサックスフォン。1960年代の古き良きロックンロールの持っていた余裕をよりコンテンポラリーな感覚でPop/Rockに纏め上げたナンバーといえるのでは。スゥイング感では#7よりも自由度が高いナンバーともいえるでしょう。
  そして、このアルバム最大のハイライトは、やはりAndrew Goldの唯一のトップ10ヒットである#7『Lonely Boy』ですね。Andrew Goldが生まれた1951年、その年を♪「He Was Born On A Summer Day 1951」と歌詞の冒頭で引用するところで、Andrew自身の経験談、自叙伝的な色合いを帯びると言われています。が、同様に回顧録の代表として見なされているGilbert O’Sullivanの大ヒットナンバー『Alone Again』が、実はGilbertの創作である部分が殆どであるという事例もありますので、この辺りははっきりしません。
  が、確かなことはこのナンバーが歌詞、メロディ、アレンジ、全てに渡って永遠にそこはかとない懐かしさを滲み出させる西海岸ロックの名曲であるということです。バックヴォーカルには彼と付き合いの長い当時の歌姫Linda Ronstadtが加わっていますし、カウベルまで使った音の深さは例えようのない感動を与えてくれます。
  #8『Firefly』は全ての楽器−ドラム、ベース、ギター、シンセサイザー、パーカッション−をAndrewが受け持ち、マルチミュージシャンとしての才能を十全に発揮している曲です。西海岸のカントリーロック風なダスティさを随所に見せながらも、後期Beatlesの影響が隠さずに感じられるこの優しいバラードではコーラスすらAndrewひとりのオーヴァー・ダビングとなっているのも驚きです。本来はもっとパンチ力のある歌い方ができるシンガーなのに、こういったスローナンバーでの抑えた大人の歌い方ができるところは脱帽としかいえません。
  #10『Go Back Home Again』は、アーシーなアメリカンロックと単純に割り切るには、少々勿体無いナンバー。これも50年代R&Bや60年代のブリティッシュ・イノヴェーションをメロディに内包しているホンキィでダイナミックなオールドロックンロール。これにドライな西海岸の天候を包んで燻製したような全体の感触が付加されるのは、やはりAndrewが西海岸のアーティストとしての基本をどのナンバーにもそれとなく打ち込んでいるからでしょう。しかし、「家へ帰ろう」という郷愁を誘うにはもってつけのナンバーであります。楽しいナンバーですが、何となく「The Party’s Over」という宴の後的な雰囲気があります。
  このアルバムの特徴の1つに、ストリングスが耳にしつこくならない程度に上手にフューチャーされているという点があるのですが、#11『One Of Them Is Me』もその例に漏れません。21世紀に入った最近は殆ど聴くことがなくなってきたエレクトリック・ピアノのディレイの掛かった音出しは、この時代ならではのサンプリングではなく、かなり実直な音色を感じることができる。これだけでこの寂しくも優しいバラードは一級品となる資格があります。更にスティールギターの土臭さはこのナンバーに安心感を与えてくれています。

  実は、筆者としては1978年発売であるメジャーアルバム3枚目の「All This And Heaven Too」(邦題:「幸福を売る男」・・・・何でやねん・・・。)がAndrew Goldの作品の中では最も好きだったりします。(をい)が、今回衝動的にこのアルバムに差し替えたのは、やはりあまりにも日本語の「替え歌」が酷い出来だったからですね。
  ものには限度があるんだから、ちっとは考えてメロディを使いまわせと、歌詞担当とヘボ歌手に改めて怒鳴りつけたい気分ですね。それくらい衝撃がありました。まだ怪しい電波ソングを聴く方が心楽しめる余地がありますな。名曲をオマージュにするのは良いでしょうが、愚劣な改悪と剽窃は勘弁して貰いたいものです。

  さて、最後にAndrew Goldについて述べておくことにしましょうか。日本での知名度はそれ程高くはないのに、支持層はしっかりと存在するし、数々のCMにも彼の歌が起用されていますので、ある程度の年齢の人は彼自身を知らなくてもAndrew Goldの歌は聴いたことがあるとは思います。
  生まれは1951年でカリフォルニア州出身。父親は作曲家であり、映画音楽でアカデミー賞を受賞したErnest Goldという人。母親は「ウエストサイド物語」や「マイ・フェア・レディ」の映画中で女優の歌の吹き替えしたシンガーのMarni Nixon、というように音楽一家に生まれています。
  当然幼い頃からあらゆる楽器のレッスンを受け、全ての楽器を一流に使いこなせる下地を形成することに恵まれた環境を活かしています。16歳には英国Polydorからシングルを発売していますが、全く注目を浴びることなく、活動の拠点は故郷の西海岸に落ち着くことになります。1973年にLAにてKenny Edwards、Wendy Waldman、Karla BonoffとヴォーカルバンドのBryndleを結成しますが、シングルを1枚作成した時点で、AndrewとKenny EdwardsがRinda Ronstadtのバックバンドに加わったため、Bryndleは解散。1995年の再結成と初アルバムのリリースまで22年を待たなくてはなりません。またBryndleは2枚目のアルバム「House Of Silence」を2002年に発表しています。
  Rindaの「Heart Like A Wheel」を皮切りに、1980年代までの彼女のアルバム殆ど全てにマルチミュージシャンとして関わりつつ、ソロ活動を並行させます。
  今回紹介した「What’s Wrong With This Picture」に関しては、
  「このアルバムはRindaの『Hasten Down The Wind』と同じ時期に録音し、発売された。彼女のバンドと僕のバンドは全部同じミュージシャンで成り立っていた。シンガーが僕かRindaかの違いだけ、それからRindaが僕のアルバムには参加していなかったことが違いだね。プロデューサーのPeter Asherやエンジニア、そして録音したスタジオまで一緒だった。
  僕はRindaのツアーの前座を受け持っていたから、まず自分のバンドで演奏した後、そのままRindaのステージでプレイしたものだよ。」
  と回想しています。
  しかし、4枚目のメジャー作、「Whirlwind」が不発に終ったことからElektraから契約を切られてしまった、Andrewは先に述べたように10ccのGraham Gouldmanと組んで、Common KnowledgeからWaxという打ち込み系のポップアルバムを4枚作成。
  並行してプロデューサーとしても活躍。Rita Coolidge、Moon Martin、Nicolette Larson、Art Garfunkel、Stephen Bishopのアルバムやシングルをプロデュース。
  1996年にはオリジナルアルバムとしては15年ぶりの「Since 1951」を発表。1996年からはかなり回転が上がりだしたのか、同年にはお化けの歌を集めた子供のためのアルバムであるAnd Friends名義の「Halloween Howls」を、1997年にはサイドプロジェクト的なアルバム「Bell Bottoms」という1960年代のカヴァーバンドを発表したり、Greg Prestopinoというソングライターのアルバムを作成。Rhinoから初のベストアルバム「Thank You For Being A Friend」をリリース。
  そして1998年にはレアトラック集の「Leftovers」、2000年には5年ぶりのオリジナルソロ「The Spence Manor Suit」を英国のインディレーベルのDomeから。
  更に近年にない短いスパンで今年の晩夏に、最新作「Intermission」を発表。このアルバムはまだ手元に届いていないので詳しいコメントはできないのが残念である。試聴した限りルーツな骨太ロックでまずまずのアルバムのように感じているので楽しみではあります。
  嘗て1970年代のウエストコーストを彩っていたミュージシャン達の多くは近年殆ど逼塞したように開店休業状態を続けているが、このように地道ではあるが、堅実に頑張っているヴェテランは是非とも応援していきたいですね。
  また期待を裏切らないだけの作品が出ているのもまずは安心できるのですが、このデヴュー当時のメジャーアルバムに匹敵する作品は1991年の「Home Is Where The Heart Is」以降出ていないので、時期に届くだろう最新作では一発花火を打ち上げてくれることを期待していたりもします、密かに。(笑)  (2002.10.18.)


  Curtis Stigers / Curtis Stigers (1991)

  Blue-Eyed Soul             ★★★☆

  Pop         
        ★★★★

  Rock     
         ★★★☆

  Adult-Contemporary
 ★★★☆
                   You Can Listen From Here

    1998年冬、シカゴのHouse Of BluesでEddie Moneyのライヴを見た。これほど小さなハコでEddieを見れるとは1980年代の段階では想像をだにできなかった。それ以上に客の入りが8分目以下の小会場でEddie Moneyがコンサートを行わなくてはならない米国の音楽状況が腹立たしかったが。
  と、本題は全く関係ない。話を進め、Eddie Moneyのライヴに戻る。
  ライヴ半ばで、Eddie Moneyがアルト・サックスフォンを徐に手にとって吹いてくれた時は、「おお、久しぶり」と感動したものだが、その時ふと浮かんだことは、
  「そういえば、Eddieのようにサックスを吹けるロックシンガーが昔(を)いたなあ。」
  というある種の感慨を伴った気持ちだった。それと同時に1992年にそのシンガーのライヴをカナダで見たことまでオーヴァーラップしてしまった。

  そのシンガーというのが今回紹介するCurtis Stigerである。1991年にArista Recordsがかなりの期待をかけて“本格派ロックシンガー”のコピーと共に売り出したアーティストである。
  しかし、考えてみると、ここ数年のスパンではなくもうディケイド−10年近くに渡って、“ロックバンド”ではなく“ロックヴォーカリスト”としてメジャーシーンで確固たる地位を築いた新人を全く見ていないような気がする・・・・・・・・気がするではく、実際にロックヴォーカリストとして売れた新人アーティストは存在しないだろう。
  ちなみにここでは女性ポップヴォーカルは全く考慮していない。女性ヴォーカルはどのようなタイプにしても全くOut Of 眼中なので。(をい)
  と断りを入れたところで、ロックヴォーカルに話を戻すとしよう。
  1970年代から80年代に掛けて、必ず存在したメディアが喧伝するところの“大型新人ヴォーカリスト”。
  そのうち、どれだけが本当に大型の名に恥じない大活躍と実力を発揮してきたかはまた別の論議であると思うのでここでは述べない。しかし、レコード会社や媒体が宣伝する新人アーティストの中にはロックバンドではなく、シンガーとしてロックンロールを表現できる人が物凄く多いというと語弊があるが、必ず存在した。
  1980年代後半に限ってもRichard Marx、そしてデヴューはもっと早かったがハードロックとしてではなくロックシンガーとして台頭してきたMichael Bolton。ここまで売れなくてもJudd ColeにMichael DamianやRobbie Nevilといったシンガーもそこそこのヒットを記録している。
  が、1990年代に入り、グランジ/オルタナティヴがシーンを埋め尽くしてしまった後、男性のロックシンガーというのは滅多に出現しなくなった。メジャーも売れ筋が女性ヴォーカルやブラック、そしてアイドルヴォーカルバンドに移ったことに気が付くのは道理で、ロックシンガーの後押しをすることががくんと減ってしまった。
  当然、Michael Mcdermottを始めとして、良質なアメリカンロックを歌えるアーティストが出現したのだが、どれもセールス不振のため、インディに落ちたり活動停止を余儀なくされている。
  近年、John Mayerのようなジャムロックの残りカスのようなフヌケシンガーが脚光を浴びているが、本当の意味でガッチリとした手応えを感じることが可能な本格派は絶滅状態に近い。勿論、メジャーデヴューとセールスという商業的な面においてだが。当然、インディシーンには本格的なアメリカンロックを歌えるアーティストは21世紀になっても存在している。

  さて、このCurtis Stigerだが、彼も本格的なロックシンガーとしてメジャーシーンに自分の足で立てる力量を持った人であり、普通に市場性が流れるなら、このデヴュー年の1991年から10年以上を経た2002年現在でもロックンロールを届けてくれる筈の歌い手だった。
  だった・・・・・そう、過去形になってしまっているのだ。が、別にお隠れになったという話ではない。(をいおい)
  全く違う方向へ、彼Curtis Stigersが進んでしまっているのだ。
  1999年に数えて3作目「Brighter Days」の商業的失敗でCurtis Stigersはついにメジャーの契約を失うことになってしまった。このアルバムではロックシンガーというよりも、シンガー・ソングライターの側面を大きく引き伸ばした良作であったと思っているのだが、筆者としては。
  しかし、2年後の2001年、Curtisは何とジャズレーベルから相当にジャズ・ヴォーカルに走ったアルバム「Baby Plays Around」を発表。
  これにはかなり驚いたが、まあ1枚限りの試験的なトライアルと考えていた。が、その予想は脆くも外れる。
  翌年2002年には同レーベルのConcord Jazz Recordsから、一層ジャズに特化した「Secret Heart」を発売。このアルバムで完全なジャズ・ヴォーカリストとしての転進を果たしてしまったように思える。
  Curtis曰く、
  「ポップロック界のスター的な活動をしていた時は常に違和感を感じていた。僕のルーツはジャズやソウルといった黒人音楽、特にジャズにあるのだから。それにポップだけのフィールドにしがみ付きたくなかった。」
  要約すれば以上のようなコメントを発している。
  確かにCurtisのソウルフルで馬力のある黒人顔負けのバリトン・ヴォイスは実にジャズ・ヴォーカルの曲に適した特性を持っているといえる。
  が、このようなロックンロールを歌うのにも適したヴォーカリストがロックビートから離れてしまったことには相当の寂しさを感じてしまう。
  本セルフタイトルアルバムでは150万枚を米国で売り、まずまずの成功を収めたCurtisだが、続く2枚のアルバムは全く商業的に見るべき成果を残していない。仮に順当に3枚目までのロック・ポップの作品が人気を得ていたら、現在彼がジャズを歌っているかは甚だ疑問には思うのだが、まあ詮方ないことである。事実として、熱唱ができるロックシンガーがひとり脇道へと歩を進めたということなのだから。

  ということで、「Curtis Stigers」はCurtisが通算5枚のアルバムの中で最もロックンローラーとしてのカラーを打ち出しているある意味貴重な作品と化した感が強い。近作2枚はジャズ。3枚目はシンガーソングライター風。2枚目「Time Was」はプロデューサーにDavid Fosterも参加していることから推測が可能だと考えているが、1stアルバムよりも更にAdult Contemporary化が進行したアダルトロックのピースとなっている。
  この場で名前が出たので2ndアルバムの「Time Was」についても少々言を述べておくことにしよう。本作でもプロデュースを担当しているGlen BallardとDanny Kortchmarを筆頭にDavid Fosterと本人も含め、7名のプロデューサーを起用して作製したアルバムだ。
  このためか、全体を通すと雰囲気と作風が微妙にちぐはぐな感じが否めない。一応アダルト・ロックとしての統一はなされているのだが、何処かに間違いがある騙し絵のようにいまいちカッチリとした流れが感じられないのだ。
  また、Curtisのトレードマークである太くて質量のあるバリトン・ヴォーカルが単なる産業ロック風バラードにより徒に消費されてしまっている。この点が最も重大な問題だと思う。
  確かにこういったタイプの感情の質感を素で叩き付けてくるヴォーカルは、日本人好みのエモーショナルなバラードとの相性がとても良好だ。実際に線が細いヴォーカリストや特徴が少ないロックバンドの普通なヴォーカリストが歌うよりも、熱い喉から搾り出されるヴォーカルは非常に説得力があるだろう。
  しかし、バラード系が大勢を占めてしまっているアルバムは、やはりロックアルバムとしては食い足りない思いをしてしまうことが多く、「Time Was」も全く同じ轍に填まってしまった作品と考えている。
  要するに悪くないアダルト・ヴォーカルのアルバムになっているのだが、Curtis Stigersのロックやブルーアイド・ソウルの歌い手としての特徴が完全に活用されていないものになっているのである。
  筆者としての感想は、この熱いソウル系ロックアルバムでデヴューしたシンガーが2枚目に出すアルバムと考えると、相当肩透かしを食らった次第の作である。10年くらいキャリアを積んでからよっこらせ、とリリースするバラード系コンテンポラリー作品だったら相当納得が行ったと予想している。
  繰り返しになるけど、悪いアルバムではない。が期待していたパワーの不足は如実に感じてしまった。ハイオクタン価のガソリン補給を期待していたらレギュラーガスをチャージされたというところだろうか。

  さて、デヴュー以降のCurtis Stigersに関して筆者が思うところは以上である。
  本人の情報に付いては、デヴュー当時はかなり雑誌にも取り上げられ(海外の)、日本盤もリリースされていた様子なのでバイオ関連を知るには日本盤を見れば良いだろうが、現在は廃盤らしい。筆者のアルバムは米盤である。
  であるので、簡単にCurtis Stigersに述べておくことにしよう。
  出身はアイダホ州。生まれは1966年であり、幼少時からクラッシック音楽を学び専攻はクラリネットだった。
  育ちは西海岸のシアトル周辺。単科大学在籍中に、クラッシックからジャスやブルースへと興味が移り、この頃からサックスをプレイするようになったらしい。
  であるから、最近のジャズアルバムは確かに厳密な意味では原点回帰というべきかもしれないのだが、ロックシンガーとして将来的に楽しみな人だったのでやはり転進は残念だ。
  Curtisは大学を卒業した1987年にニューヨークへと音楽をプロのキャリアにするために移り住む。ここでブルース系のロックバーバンドを率いて歌い、サックスを吹き始める。3年ほどの活動期間で、Curtis Stigersはセントラル・パークを挟んで西側に位置する地区のアッパー・ウエスト・サイドのクラブシンガーとしてかなりの人気を博するようになる。
  この評判がArista Recordsの目に留まり、1991年始めにCurtis Stigersは同レーベルと契約を交わすことに成功する。
  そしてGlen BallardとDanny Kortchmarという超大物プロデューサーの手によってデヴュー・アルバムを録音。1991年後半に「Curtis Stigers」を発売する。
  当時、筆者はカナダはトロントにいたのだが、アルバムもトップ100にランクインし、全米第9位(多分)まで上昇した#2『I Wonder Why』を含む2曲のトップ100シングルを生むというように新人としてはまずまずの成果を残したように思えた。
  ツアーもEric Clapton、Rod Stewart、Bonnie RaittそしてElton Johnの前座に抜擢を受け全米を回る。ちなみに筆者はElton Johnの「The One」ツアーの前座で彼のステージを見る機会に恵まれている。
  この翌年には、Whitney Houstonの主演映画「The Bodyguard」のサウンドトラックにもNick Loweのカヴァー曲である#10『(What’s So Funny ‘Bout)Peace,Love&Understanding』を引っさげて参加。Joe CockerやKenny Gも参加したこの大ヒットアルバムに抜擢されたというのは当時の評価と人気の高さを測る物差しとなるだろう。
  が、大成功とはいえないもののまずまずの成果を残したデヴューから、2ndアルバム「Time Was」まで4年を費やしたため、その間に起こったグランジ・オルタナティヴの変革期に合わせて市場性が変化してしまったためと、恐らく殆ど忘れ去れた存在になってしまったことも大きいのだろうが、それからの2枚のアルバムは全く売れずに、インディ落ち。
  21世紀に突入してからはジャス・シンガーとなり現在活動継続中−以上が簡単な略歴である。

  さて、アルバムの内容についてだが、非常にソウルミュージックの影響が強い−言い換えれば黒人音楽の影響が濃厚なブルー・アイド・ソウル、ソウルなロックアルバムになっている。
  発売当初は全米のメディアに“Michael Boston Meets Huey Lewis”と呼ばれたものである。この2名の大物ロック・ヴォーカルについては今更説明する必要もないが、どちらもR&Bやソウル音楽を基本にして大衆にアピールできる王道的なPop/Rockの作品を何枚も世に出してきたアーティストであり、熱唱で押し捲るソウルフルなヴォーカリストでもある。
  Curtis Stigersは疑いなく、Michael Boltonタイプのシンガーである。黒人と説明されても顔を見なければ分からないくらいの太いヴォーカルとサックスを取り入れたブルージーでムーディなソウル音楽。この黒っぽいロックサウンドにアダルト・コンテンポラリーのコマーシャルなセンスが加わっている。
  またポップという項目においてはHuey Lewisが書く曲よりも親しみ易いナンバーが多いと思う。そのソングライティングにおいては、単独で書いた曲はゼロだが、全11曲中9曲を他のライターと共同で書き上げている。
  殆どのパートナーがプロデューサーであるWayne Cohenであるが、#6ではあのBarry Mannと共作をしているのに驚かされたりする。
  ともあれ、1980年代後半から雨後の筍のように乱立したラップ/ヒップホップに埋め尽くされた黒人チャートや打ち込みに走り過ぎたブラック・コンテンポラリー系のシンガーのアルバムとは比較にもならないくらいソウルフルで正統派のブラック・ルーツロックを感じる1枚である。
  また、1991年当時人気の最盛期に乗り入れていたMichael Boltonに通じるArena Rockの分厚いサウンドも取り入れられており、Curtisの深いヴォーカルと非常にマッチしている。ブルー・アイド・ソウルの言わば本当のソウルミュージックから見れば傍系のミュージシャンが素直にソウルを追求したため、本家を凌ぐ正統派のアルバムを創ってしまっているのだ。
  まあ、これは何処の音楽ジャンルにも見られる現象ではあるが。なまじ純粋にソウルや黒人音楽を追求したので、安直な打ち込みの流行に乗らずにすんだのだろう。

  プロデューサーは前述のようにDanny KortchmarとGlen Ballardであるが、Dannyが4曲、残りをGlenが手掛けている。が、両者共にCurtisの持ち味を上手に引き出しており、バラバラな感じは皆無である。
  まずはDannyの関わった4曲であるが、その一番手であるオープニングの#1『Sleeping With The Lights On』からロックンロールの熱さと、ソウルの熱がヒートアップしている。ドラムに今は亡きJeff Porcaro、かなりオーヴァー・ダブされたキーボードにDavid PaichというTotoのヴェテラン・ミュージシャンを迎え、演奏は完璧。Dannyの受け持ったナンバーには全てこのTotoの中枢であるセッションミュージシャンが参加してるし、Dannyも殆どのナンバーでギターを弾いている。ダイナミックな躍動感溢れるロックビートにCurtisが振り回すテナーサックスがグイグイと絡んでいくパートは最高に気持ち良いロックビートのグルーヴが堪能できる。
  第3段シングルとなったのだが、残念ながらチャート・インは確かしていない筈だ。
  #4『The Man You’re Gonna Fall In Love』はニューヨークのバーバンドで活動していたCurtisのキャリアを思わせるヘヴィで鋭角的なブルースロックである。かなりR&Bなファンク感覚を押し出しながら、女性コーラスによるアダルトさ、そしてCurtisのテナーサックスによる夜色の音色が印象的だ。ギターにはMichael Landauが参加している。
  #9『I Keep Telling Myself』は#5『People Like Us』と同様、キャッチーでブラックカラーよりも白人としてのポップス感覚が全面に出された良質なミディアム・ポップである。1980年代風のキーボードプログラミングを多用した打ち込み音楽の下地に立っているナンバーだが、ゴスペル風女性コーラスにアルトサックスの柔らかい音色が独特の調子を与えている。
  最後のナンバー#11『The Last Time I Said Goodbye』では、西海岸風の透明感を有したムーディでトロリとしたベイ・エリア風の調子から、ストリングスやシンセサイザーを交えたバラードに変わっていく、非常に落ち着いたヴォーカルナンバーであり、Otis Redding等を彷彿とさせる。

  Glenn Ballardが手腕を振るった残り7曲のトップが、Curtis最大のヒット曲となった#2『I Wonder Why』である。
  Curtisが奏でる印象的なアルトサックスのリフからたっぷりとした質量のあるヴォーカルがキャッチーなメロディに乗せてドラマティックに流れていく。ソウルバラードというよりもソウルフルなロックシンガーのバラードだろう。
  オルガンにはLittle FeetのBill Payne、ドラムにはJohn Robinsonといった西海岸ミュージシャンの豪華ゲスト陣をDannyの側に負けないくらいに揃えている。
  やはり出色はCurtisの受け持つサックスだろう。これをヴォーカリスト本人がガッチリ握って吹いているという事実を知ることで更に熱が伝わってくるようで、迫力が増す。
  第2段シングルになり、スマッシュヒットを記録したのが続く#3『You’re All That Matter To Me』である。ストリングスセクションと、ホーンセクションを配し、このナンバーではCurtisが金管楽器を演奏していないのも珍しい。
  女性コーラスが暖かい雰囲気をもたらす、ホーンと弦楽器に彩られた南部風ゴスペルのゆとりが伝わってくるオーセンティックでいて重過ぎないバラードとなっている。かなりクラシカルな雰囲気を漂わせる何処か懐かしいナンバーでもある。トップ40入りしても不思議は無かったのだが。
  #5『People Like Us』にもBill Payneがオルガンで参加しているが、このナンバーが最も白人ロックとしての側面が強いだろう。言い換えれば、軽快でクセの少ない素直なチューンであるということだ。当然シングルになると考えていたが、2ndシングルが#3だったのに当時は驚いた記憶がある。Michael Landauのギターソロも彼らしい高音域を綺麗に出した気持ちの良いチューニングである。筆者がこのアルバムで#1と共に大好きなナンバーである。
  また、バラードとしては#2よりも気に入っている、ピアノにリードされ情緒溢れた音色を紡ぎ出す#6『Never Saw A Miracle』も大好きなナンバーである。このナンバーも白人ポップロックのシンガーが好んで取り上げそうな王道バラードである。大掛かりなバックコーラス隊とストリングスシンセサイザーを厚く塗りこめたナンバーであるけれども、しつこさは全く感じない。このナンバーではBilly JoelやElton Johnといったピアノ・マンの最高峰に通じる才能さえ感じてしまうのだ。
  ライトなR&Bロックの感覚が瑞々しい、#7『I Guess It Wasn’t Mine』もアーバンでスマートなセンスが光る佳曲であると思う。このナンバーにも黒人色は希薄であり、全体的にGlenn Ballardが担当したナンバーの特徴が現れていると考えている。それは女性コーラスを好んで活用し柔らかいゴスペル風味を付け加えることと、Curtisの吹くテナーサックスをブルージーというよりもアダルトロックの強調に使用するという点だ。
  #8『Nobody Loves You Like I Do』はメンフィス・ソウル、Al Greenを思わせるハートウォーミングでライトなソウルバラード。ただ、崩れたプレイを続けるピアノにはジャズの匂いがあるし、リズム的にはロックとソウルの中間よりもソウルによった黒人好みのビートを感じる。しかし、この表現力の豊かなヴォーカル・パフォーマンスはとても新人とは思えない。
  #10『Count My Blessings』はクラッシックソウルのレコードを聴くような感慨を与えてくれるが、筆者的にはここまでソウルミュージックの特徴が強くなると、ロックから離れてしまうため、このナンバーはどうにも好きになれない。アルバムの中では最もハズレのナンバーだ。とはいえ当然悪いナンバーでもないのだが。

  この当時長髪にロイド風のサングラスというファッションだったCurtisも2ndアルバムではバッサリと散髪して短髪になってしまっている。このジャケットの長髪を見るにつけ、やはりメジャーで活動するにはファッションにも妥協が必要なのだなあ、と感じてしまうのだ。
  Curtis自身も長髪はそれほど好きでなかったらしい。良くも悪くもマーケットに合わせる必要が何処かには存在するのだろう。が、音楽的には次第に頭角を表わしていたオルタナティヴとは全く相容れないものだ。となると、やはりデヴューした時期が微妙であることも明白となる。
  1991年以降は彼のようなロックヴォーカルを武器にしたシンガーをレコード会社がプッシュすることが減少していく傾向を見るだけでも明らかであろう。
  そう考えると、Curtis Stigersは端境期とはいえ、まだ正統派のロックヴォーカルがマーケットで売れる余地のある時代にデヴューでき、ヒットも記録しただけ幸福であるのかもしれない。
  もう一度、Michael BoltonやCurtis Stigersが活躍するような市場性が訪れないものかと、このアルバムを久々に引っ張り出して聴きながら思っている。  (2002.10.3.)


  It’s About Time / Bobby Whitlock (1999)

  Roots              ★★★☆

  Pop             
★★★★

  Rock          
★★★

  Blues&Southern 
★★★★


    「うん、『It’About Time』−そろそろその時だ、は2回や3回ではなく、4回は耳を傾けて欲しいね。そろそろ僕は何かを創作すべき時だったし、そろそろ生きていくためのより良い世界を築くため何かを変える時だと思っている。そういったことを歌に込めている。
  歌を聴いて貰えれば、このような解釈は不要だね、歌が語ってくれるから。それが全てだ。
  歌を聴いて、その歌詞が何に付いて書かれているかを理解して貰いたい、本当に。何故なら、全てが「時」についてだからだ。そして僕の歌は今の世紀から次の世紀にと誰かにレコーディングされていくだろうから。これこそが時の構図を示しているだろう。
  私はこの『It’s About Time』を湾岸事変の丁度前日、多国籍軍がサダム・フセインに対して戦端を開いた前の日に書いたんだ。いいかい?

  ♪「そして、子供達は街角で泣いている。
    母の足元に息子や娘の死骸が転がっている。
    さあ、そろそろ時が来る−解き放たれる時代が。
    さあ、そろそろ時が来る−我々の宿命から。
    やがて、我々は中睦まじく共存することが出来るだろう。
    やがて、平和の歌を唄うことが出来るだろう。
    近しい人を愛することから始めよう。
    君の目が曇っていない限り、手と手を優しく取り合おう。」♪
   (訳者註:『It’s About Time』の歌詞から歌う順序でなくランダムにBobbyがラインを取り上げている。)
  
    そろそろ私たちはこの歌のように時代を変えていくべきだ。だから、歌は必要なんだ。」
  アルバムのタイトル、そしてタイトル曲に託した想いについて、「It’s About Time」の発売時に、Bobby Whitlockは以上のように語っている。
  今回はBobbyのインタヴューの一部を拙いながらにも冒頭に持ってきた。当時で既に50歳を超えるおやっさんの言う主張にしては少々青臭い気はするが、このアルバムに魂を篭めたことは幾らか伝わってくれれば幸いと考え、少しばかり訳をしてみた。
  Bobby Whitlockの名前は、直接的にはあまり有名ではないかもしれない。
  Eric Claptonは知っていても、Bobby Whitlockの名前は知らないという一般音楽ファンは相当多数に登るだろうと想像している。あながち、この想像は的外れではないと思う。
  勿論、熱心なClaptonのフリークやファンにとってはBobby Whitlockというピアニスト兼ギタリストの名前はお馴染みであるだろうけど。
  このレヴューを読んでくれるような方には、釈迦に説法であることを恐れるが、一応Bobby Whitlockについて簡単に説明することから今回は始めよう。一番手っ取り早いのは、1年遅れで日本盤化されたこの「It’s About Time」(邦盤タイトルは「ベル・ボトム・ブルースとなっていた。店頭で見かけた時には。)のライナー・ノーツに解説が付随されているそうなので、そちらを購入して見ることが良いかもしれない。
  というか、日本盤化されたこと自体が相当な驚きである。Bobby Whitlockの海外での評価はそれなりに高いし、ステイタス的な面では相当な大御所の地位にあると見られていることが多いけれど、日本では知名度は前述したように高くは無い。このリリースには彼が在籍していたビッグ・ネームなバンド繋がり−つまりClapton繋がりが原因であることは間違いないだろう。
  Bobby Whitlockは1948年、テネシー州はメンフィスに生まれて、アーカン州で幼少時の大半を過ごしている。
  10代後半からメンフィスで音楽に携わり始め、Bucker T.Jones&The MG’sらと親交を深めていく。そして黒人ブルースやR&BのレーベルであったStax Recordsに白人ながら契約を許可され、MG’sとツアーを60年代後半に行うようになっていく。
  1969年に、メンフィスに録音にやってきたDelaney & BonnieにWhitlockjはそのR&Bな歌唱とピアノの演奏スタイルを評価され、Delaney & Bonnieのキーボーディストに誘われそのままバンドに加入。1971年の「Motal Shot」まで、かの有名な「Delaney & Bonnie & Friends On Tour With Eric Clapton」を含む5枚のアルバムにバンドメンバーとして参加している。(1枚クレジットされていないが、実際には彼のプレイが録音されているのが「From Delaney To Bonnie」である。)
  その合間の、1970年に既に前年、Delaney & BonnieのツアーのメインアクトであったBlind Faithから脱退していたEric ClaptonとDerek And The Dominosを結成。ブルースロックの名盤という評価が定番の「Layla & Other Assorted Love Songs」を作成。
  このアルバムのリード・ヴォーカルはClaptonだったが、Whitlockのバックヴォーカルでのヘルプは一聴の価値はあるだろう。
  しかし、2枚目のアルバムを作成中にDerek And The Dominosは解散してしまう。この後、2枚のライヴアルバムが発表されているが、その音源は1970年のものである。この時代が最もBobbyが精力的に活動した期間でもあり、George Harrisonの「All Thing Must Pass」やThe Rolling Stonesの「Exile On Main Street」(こちらはアルバムにはクレジットはされていないが。)といったロック史に残るクラッシックアルバムに鍵盤とバックヴォーカルで足跡を残しているし、Duane Allmanのレコーディングにもスタジオミュージシャンとして参加したりもしている。
  この後、Bobby Whitlockはソロ活動を即座に始め、1970年代に4枚のアルバムを作成。1972年の「Bobby Whitlock」から1976年の「Rock Your Sox Off」を残している。が、1st作はかなりの評価をされているが、残り3枚のソロ作はそこそこ平均のアルバムだったようである。
  この4枚のソロ作は未だCD化されておらず、筆者も1作目をテープで聴いたことがあるのみだが、確かにベッタリなソウルでR&Bなスワンプロックであった記憶がある。是非ともデジタル音源として再発してもらいたいものだ。
  しかし、この後、1980年代と1990年代の20年以上をBobbyは殆どシーンに出ることなく過ごしている。
  Eric Clapton、John Prine、Colin JamesそしてThe Jeff Healey Band等のアルバムにキーボーディストそしてバックヴォーカルで稀に名前が見られたくらいである。
  1990年代には幾つかの南部のソウルやブルースロックのライヴには出演していたようで、日本でも彼のソロライヴが放映されたことがある。アルバム1枚分くらいの分量だったが、『Layla』もカヴァーしていたような記憶がある。全く裏手に引っ込んでいた訳ではなさそうだが、のんびりと好きな時に好きなだけ歌ってピアノやハモンドオルガンを弾き、ギターを抱えていたようだ。
  既に、1990年代は隠居の時代になってしまっていたと感じて、彼の名前を忘れた頃に突然の新作の発表には相当驚いたことを思い出す。
  このアルバムは1976年の4作目から数えると、23年振りとなる、しかも突然のアルバムだった。しかも契約先は英国のインディ・レーベルであるGravebineというレコード会社であり、日本や米国にアルバムが並ぶまで1年程の時間を掛けることにもなっている。
  この空白の4半世紀について、Bobbyの直接的なコメントはないが、冒頭に述べたように、51歳になった1999年にBobby Whitlockは、彼を創作に駆り立てる時代の流れや潮流を彼は感じていたのかもしれない。
  
  時代性ということについてBobbyは更に語る。

  「私が小さな子供の頃から、それを今行う時という重要性についてはずっと気が付いてきた。大統領や上院議員や大会社の社長になって全てをコントロールしようなんて野望は抱いたことはないけれどね。私は、変化というものに常に敏感で、今起きている変化、そして起こってしまった変化を知り、人生に影響を及ぼす時を知ることを無意識に実行していただけだけどね。」
  そして、それを他人に媒介する方法がBobbyの場合音楽だったという訳である。
  「私はそれなりの地位を持っていると思う、何かを他人に伝えることの出来る。しかし、一度たりとも無理強いしたことはないよ。私の今は亡くなった叔父はマンドリンとフラット・トップのギターをプレイしていた。叔父はこう言った。『やりたいことをやれ、やらなければならないのではなく、やりたいからやる。これが真理だ。』
  この概念は正しく継承されていると思う。(中略)何か言うべきことがあるのなら、それは『I Love You』、それだけだね。私はたくさんの曲を書き、違ったことを歌ってきたけど、そのメッセージはいつも同じなんだ。」

  Bobbyは牧師が父親だったこともあり、音楽的にゴスペル・ミュージックの影響をかなり受けていることが分かるけれども、宗教的な博愛精神も同様に継承したようだ。このご時世に「愛」ということを堂々と述べられるオヤヂはかなり純粋というか貴重な存在であるかもしれない。

  さて、Bobby Whitlockが「そろそろアルバムを出す時だ」と思い立って久々に発売したアルバムは、過去のアルバムがすべて廃盤なため、過去のソロ作品との比較は不可能に近いが、簡単に手に入る「Layla & Other Assorted Love Songs」(邦題:いとしのレイラ)等と比較すると、やはり30年近い歳月を経た老成と、音楽にも刻まれることになるだろう年輪のような渋みである。
  BobbyのスタイルはLAスワンプのDelaney & Bonnieのメンバーだった頃や、Derek And The DominosでClaptonと演奏していた頃と基本は全く変わらない。
  ゴスペル、ソウル、R&B、ブルースといった南部の黒人音楽に根ざしたコッテリとしたロックを演奏している。またこれらの黒い音楽にカントリー風のポップセンスが少しだけ加わっており、単なるブルー・アイド・ソウルのシンガーではなく、白人的アメリカン・ルーツをもまた継承している人であることも彼の特徴であろう。
  参加ミュージシャンにはDelaney & Bonnie時代のバンド仲間であるサックスフォニストのJim Hornを始め、ギターにはSteve Cooper、そしてあのBuddy Miller。特にBuddy Millerは彼の人脈を生かして、ベーシストやドラマーをBobbyのアルバムに参加させている。
  そして全体を司るのが、BobbyのプレイするピアノとB3ハモンドオルガンであること、そしてその太目で大らかな、まるでヴェルヴェトのオブラートで包まれたようなヴォーカルである。ソロアルバムを順調にリリースしていた頃から20年以上のブランクがあるのだが、それを全く感じさせないくらいに素晴らしい、魂の入った声を聴かせてくれる。
  きっと毎年自分の好きな期間だけ歌うだけ歌って、喉のメンテナンスは怠ることがなかったのだと勝手な想像を巡らせてしまうくらいに、年齢と不在を感じさせない歌いっぷりだ。

  まず、目に付くのは#2『Why Does Love Got To Be So Sad』(邦題:恋は悲しきもの)と#10『Bell Bottom Blues』のDerek And The Dominos時代のリメイク作品だろう。
  以前のクレジットでは#10はClaptonの単独作とクレジットされていたが、実はBobby Whitlockも曲創りに手を貸していたそうで、ここでは改めて修正が行われている。
  また、#2は前作の4枚目「Rock Your Sox Off」の1曲目としても収録されていたので、ヴァージョンは3つ目ということになる。
  #2に関しては、相変わらずのファンキーで粘着性の高いBobby特有のオルガンプレイが、Derek And The Dominos時代から衰えるどころか、堅実性を増しているところに嬉しさを覚えてしまう。そのR&Bでファンクなリズムにゴスペル的な懐の深さをミックスしているのが、南部感覚をバックボーンに持つBobbyの持ち味だろう。このアルバムではギターもWhitlockが弾いて、かなりのブギウギさを出している。バックコーラスには息子のBeau Whitlockも参加している。
  #10については後に触れるとして、#2で過不足なく表現してくれるR&Bとロックンロールのダイナミズムを別の形で表現してくれるナンバーは他にも傑作が多い。
  #5『Sold Me Down The River』ではサザンロックたっぷりなスライドギターも加わり、更にロッキン・ブルースを追及したコテコテの泥臭いロックンナンバーが暴れまわる。そのスライドを弾きまくるのはBobbyである。更に、妙に隙のあるピアノがオルガンと一緒に叩かれるところは、キーボーディストのアルバムの良点がきっちりと表現されているところである。ギターだけでは乾燥し過ぎる作風を、見事にピアノやハモンドオルガンで湿り気を付けている。
  ポップロックナンバーでもアクースティックでマンドリンも加えた、ホワイト・サザンロックの王道的なアプローチを展開していく明るくポップな#12『I Love You』ではそれ程ブラックやソウルの影響を漂わせていないのが対照的で面白い要素である。スワンプ的なルーズさとスケールの大きいアダルト・ロックの要素が南部性という柱を基点に上手く鬩ぎ合っているのだ。
  また、形式としてはロッカ・バラードを踏襲しているタイトルナンバーの#3『It’s About Time』や#6『It’s Only Midnight』でもパンチ力と重量級の工作機械が発散しているクドイまでの安定感がガッシリと打ち込まれている。その中にも見え隠れするカントリー的な土臭さが、#6には絶妙なバランスで盛り込まれている。一見、スマートなアーバンロックのパワーバラード風なアレンジをしつつも、手で掴めるような南部の大地の砂の手触りと熱さが伝わってくるような暑いナンバーである。

  意外な名前がソングライターとして見えたりするのも新鮮である。
  #11『Ghost Driver』では共作者に何と、John Parrがクレジットされている。1980年代後半に全米No.1ヒットである『St.Elmo’s Fire』をDavid Fosterとの筆でヒットさせたロックシンガーであるが、まさかBobby Whitlockと繋がりがあったとは思いもよらなかった。
  しかも、かなり濃い目なファンク/R&Bの鋭さが目立つ#11のハード・ソウルなナンバーを手掛けているとは。まあ、ソウルなヴォーカルとハードなロックが売りでもあったJohn Parrの初期の作風に通じなくもないか。
  同様にベタベタなブギー調のルーズ・ブルースナンバーが、曲の題名の通りで#8『Born To Sing The Blues』。この曲を聴いていると、少しばかり声の軽めな黒人シンガーと錯覚してしまいそうに黒い。
  バラードが素晴らしいのがこのアルバムの特徴だが、#4『A Wing & A Prayer』は黒人霊歌の背景、ゴスペル・ルーツをはっきりと表面に出しているバラードだ。
  更にお気楽な感じでライヴ・フィーリングがダンスしているサックスにリードされる#9『High On You』では西海岸のアダルト・コンテンポラリーソング的、AORのような緩さを持つスローなムーディソングとして歌われている。ここではファルセット気味なBobbyのヴォーカルがライト・ブギーな音符の連なりに乗って寛いでいる風景が見えてくるようだ。
  そして、シンガー・ソングライターとして甘く、切ない雰囲気を出し切っているバラードが、オープニングの#1『There She Goes』であり、#7『Standing In The Rain』である。
  名曲の#10『Bell Bottom Blues』を含めてのこの3曲は、前から順に甘さ、レイドバックした郷愁、心の琴線を掴みまくる美しさという3点で共通している。
  トロ〜リとした溶けるチーズや火に当てた砂糖のようなネットリ感覚でリスナーを抱擁する力のある#1での、Bobbyの声。
  マンドリンやアクースティックギター、そして12弦ギターといった弦楽器のみでありドラムレスな#7の繊細なメロディとそれをやや壊しがちな、しかし叙情たっぷりのWhitlockの暑い喉。細く、高く叩かれる小さなピアノの音色。後半でのハイトーンなBobbyのハミング。
  ファルセットをここぞとばかり、オーヴァー・ブースと気味に全開にする、メロディ的に完璧なバラードの#10は再録トラックとはいえ、やはりこのアルバムの顔だろう。時をテーマにアルバムを拵えたBobbyにはやや不本意かもしれないが、この名曲の存在感は他のナンバーを圧倒している。Eric Claptonによるオリジナルが耳に馴染んでいるためもあるだろうけど、その印象の強さは。
  しかし、ヴォーカリストとしてはClaptonよりも遥かにソウルフルで味わい深いBobby Whitlockがリードを執って、初めてこのバラードは本領を発揮したと思うのは筆者だけではないだろう。時にシャガレ、時に裏返って、サックスの滑らかな音色とブリッジを繋いでいくフェイドアウト前の情感の入れ込み方は半端ではない。
  また、オルガンを力技で弾くという何時ものスタイルから、相当抑えた音色を出すようなアレンジをしているソロパートのルーツィなパートも細かいながら聴き所として外せない。

  アーティストとしてのデヴューは少しだけ早かったが、同じ年代であり、同じように白人ブルース・マンとして活動を始めたEric Claptonがメジャー街道から外れることなく多くの作品を出しつつ、神様と称されている裏で、Bobby Whitlockは地道に歩みを進めていた感が強い。
  アメリカ南部の広大な畑を手で耕すような、ゆっくりとした確実な前進を実行してきたことを感じ取らせてくれるアルバムである。
  日の当たる場所に常に存在することを廻りから義務付けられたような「ギターの神様」と、裏方でひっそりと時を経てきた「鍵盤の職人」。この2名の同時代のソロ作を聴き比べたくなる1枚でもある。
  どうしてもClaptonが、ブルースらしいブルースを期待され、更にロックシンガーであることも決定されていたためか作風に自由度やゆとりが少なく思えてしまったりもする、Bobbyのこの「It’s About Time」を聴くだけで。
  久々にEric Claptonでも引っ張り出して聴いてみようかな、という動機を駆り立たせる作品でもある。
  (2002.11.12.)    

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