Minute By Minute / The Doobie Brothers (1978)

  Blue-Eyed Soul            ★★★

  Pop                
★★★★

  Rock             
★★★

  Adult Contemporary 
★★☆   You Can Listen From Here


  ◆オリジナル盤と海外盤の違い?

  これは意外に知られていないが、オリジナル北米盤と日本盤を含む欧州でのリリース盤である「Minute By Minute」は全然曲の並びが違っている。
  一見大した問題ではないように思えるが、実際に曲順を変えて聴いてみたら、全くアルバムの印象が変わってしまう事請け合いだ。
  ともあれ、曲順を書き出してみよう。まずは米オリジナル盤から。

  Minute By Minute (北米盤)

  #1『Sweet Feelin’』
  #2『Open Your Eyes』
  #3『Dependin' On You』
  #4『Here To Love You』
  #5『Minute By Minute』
  #6『You Never Change』
  #7『What A Fool Believes』
  #8『Steamer Lane Breakdown』
  #9『How Do The Fools Survive』
  #10『Don't Stop To Watch The Wheels』

  Minute By Minute (日本盤等)

  #1『Here To Love You』
  #2『What A Fool Believes』
  #3『Minute By Minute』
  #4『Dependin' On You』
  #5『Don't Stop To Watch The Wheels』
  #6『Open Your Eyes』
  #7『Sweet Feelin’』
  #8『Steamer Lane Breakdown』
  #9『You Never Change』
  #10『How Do The Fools Survive』

  同じ位置にあるのは#8のインストゥルメンタル曲である、『Steamer Lane Breakdown』のみ。 
  実際に、筆者がこの「Minute By Minute」をCDとして購入したのは1988年頃で、日本盤の低価格盤再発シリーズ。それまではレンタルLPからのダビングだった訳だが、そんな事はどうでも良い。ついでに、このCDを購入してから現在に至るまで15年が経過していたりするが、しっかりとした音質を保っているのは感嘆に値する。
  閑話休題。

  で、その節になってやっと個人の所有物として歌詞カードにゆっくり目を通したのだが、インナーに印刷されている英語歌詞がCDの曲順と全然違うのに少々違和感を覚えた記憶がある。
  LP時代は歌詞をコピーする事すらしなかったので、論外。
  しかし、故意に歌詞を順不定に記載するミュージシャンはそこそこ存在するし、一時期そういった手法が流行した事もあるため、これもDoobie Brothersの遊び心かなあ、と解釈していた。

  が、1990年代後半に渡米し、現地の安売りセールで本アルバムを購入したら、上記の如くな曲順に変化していたので驚いた次第だ。
  それまでのイメージは、「Minute By Munite」は『Here To Love You』で始まり、『How Do The Fools Survive』で終了するで固まっていたからだ。
  であるからして、物凄い違和感ありまくりだった。現在、日本盤と米盤の両方を所有しているが、好んで聴くのは筆者のお気に入りが前半に集中している日本盤だ。
  というか、最初に聴き親しんだのが日本盤で『ある愚か者の場合』が2曲目に来る事が当たり前になっているので。まさに三つ子の魂何とやら、である。

  以上の前提から、今回のレヴューは本家盤ではなく、海外盤、つまり日本盤の曲順で語る事にする。
  日本盤をCDで持っている人は、一度米オリジナルの曲順に編集して聴いてみてはどうだろうか。かなり異なったインプレッションを受けること間違い無しだ。

  
  
 ◆質・売上・評価の全てで頂点を極めたアルバム

  1978年、本作「Minute By Minute」を発表したThe Doobie Brothersは全てに於いて絶頂を迎えていた。
  本アルバムは全米ポップアルバムチャート(現トップ200アルバム)の1位に6週間に渡って君臨し、グラミー賞(80年代くらいまでマトモだったと思う。セールス=実力=クオリティ、の公式が曲がりなりにも保たれている場合が多かったから。)4部門を受賞。
  全世界で600万枚を超えるセールスを記録。
  これまた同時期に「Hotel California」にて多大なカリスマ性を獲得し、L.A.のトップバンドから世界有数のビッグバンドへと人気を沸騰させていたEaglesと並べる存在、と認識されたのは本作に負う所が大きい。

  シングルは当時としては多い部類に属した3枚がカットされており、(後にベスト盤から1枚追加で合計4枚)『What A Fool Believes』は見事にNo.1シングルとなり、Doobie Brothersを代表するマイルストーン・ソングとして、そして1970年代を代表する傑作曲としても高い評価を得ている。

  間違いなく、「Minute By Minute」はデビュー作の「The Doobie Brothers」から解散後に発売された最終ツアーを録音したアルバム「Farewell Tour」までを通して最高傑作だ。
  ちなみに、1989年以降のリユニオンに関しては、「やらなきゃよかった再結成」の典型(除く1枚のシングル『The Doctor』は『China Grove』のあからさまな焼き直しとはいえ、痛快なので合格。)だからして、評価の対象外としている。

  Tom Johnstoneがフロントマンだった頃の熱心なファンには、「Takin' It To The Street」以降の路線変更を受け付けない人も少なくないとは思う。
  が、純粋なアルバムのバランスと完成度を考慮してもこれ以上のクオリティを有したバンドの作品は見当たらない。
  一般にヒットシングルの親しみ易さからストレートなロックバンドと思われ勝ちな「Stampede」までの前期5作までだが、Pat Simmonsのブラックミュージックへの傾倒はブギーなハードブルース調をアルバムに加えているし、Tom Johnstoneにしてもブルースをベースとしたブギーなハードサウンドへの歩み寄りはバンド創設当初から持っていた。
  「Stampede」のファンクロックを意識したダイナミズムに前期のバンドが黒人音楽をルーツのひとつに加えていた事が良く理解できる。

  確かにMichaelが加入して登場した『Takin' It To The Street』を始めとするスマートなソウル・ポップサウンドは衝撃的だったが、R&Bやファンクといった要素をよりソフィスティケイティッドして、ジャズのエッセンスを加え、完成度を高めたものがMichael加入以降の変遷のベースになっていると最近は考えるようになってきた。
  無論、完成形としてのレコードとしては、前期はハード酒場スタイルなロックバンド。後期はAOR(Album Oriented Rock)ベースのロックバンドになるとは思うが。

 ◆Michael McDonaldが初めて完全にリードしたアルバム

  1976年の「Takin’It To The Street」のタイトルトラックが既存のバンドの方向性から斬新な切り口をしたソウル・ポップであった為、バンドの変化が殊更取りざたされているが、続く「Livin’ On The Fault Line」までほんの僅かだがTom Johnstoneもメンバー扱いで参加している。
  また、Michael加入からの2枚はMichaelとPatがそれぞれ好きな事をやっているという印象がどうしても付き纏う。
  しかし全体的にMichaelの存在感がPatの才能を圧倒している故に、ややアンバランス、というかちぐはぐな流れがアルバムに出来上がっている気が無きにしも非ずだ。
  裏を返せば、Patが既存のDoobie Brothersの方向性をMichaelの影響を受けつつも形を少々変えて継続させていたのが、「Takin' It To The Street」であり「Livin' On The Fault Line」だと思う。
  但し、複数のソングライターとヴォーカリストがひとつのバンドに在籍するスタイルが珍しくなかった1970年代の他のバンドと同じく、そのライターやシンガーによる個性の差がそのままアルバムに彩りを加える効果を発揮している事も事実だ。

  いわば、Michael加入からの2枚は

  Doobie Brothers Almost Leaded By Michael McDonald

  だと考えている。
  これが「Minute By Minute」になるとPat Simmonsもかなりソウル・ポップを意識したAOR風の曲を提供するようになっている。
  ブルーグラスにエレクトリックアレンジを加えたそのままのインストゥルメンタルトラックである、#8『Steamer Lane Breakdown』に初期のブギー且つ西海岸カントリーらしさを主張させている。が、残りの曲はMichaelのR&Bでファンキーな作風と比べればロックしているとはいえ、最早完全にリーダーとなりバンドの舵取り役に成り上がったMichaelの作風に引き摺られるようにスマートなホワイト・ソウル調になっている。

  つまり本作は

  Doobie Brothers Leaded By Michael McDonald Completely

  だと捉えるのが妥当だ。
  Michaelのジャズ、ソウル、ファンク、R&Bという非白人的なスタイルが、Doobie Brothersの元来持っているブルース/カントリーロックのシンプルな方向性とベストブレンドした時期が、丁度本作のリリースと重なったのだろう。
  これが最後のスタジオ録音アルバムとなった「One Step Closer」になると

  Michael McDonald With Doobie Brothers

  と呼ばなくてはならないくらいMichaelの嗜好がバンドサウンドに反映してしまい、完全なポップソウル風AORバンドになってしまっている。
  「One Step Closer」の完成度は高いが、ロックアルバム又はDoobiesのアルバムとしてはやり過ぎの感が強い。
  実際、Michaelをバンドに招く事を提案した発起人のJeff BaxtorとJohn HartmanはあまりにもMichael中心に廻り始めたDoobiesに不満を訴えて離脱しているのだ。
  後年彼が「Take It To The Heart」や「Blue Obssesion」といった擬似黒人R&Bソロ作を作成し、黒人音楽のデチューンにしか見えない駄作で過去の栄光を汚しているのを見るに付け、ロック離れがさほど進まないMichael McDonaldの素晴らしさが改めて理解出来る。

  「Minute By Minute」は完全にAOR化せず、また黒人音楽のチープなビートに填まり込む前のMichaelがリードした最後のロック作と見なすのが良いだろう。

 ◆やっぱりスタートは『Here To Love You』

  数年前はツインドラムで豪快さを売りにしていたDoobiesとは本質的に異なる、グルーヴィなテクニカル・ビートを押し出したドラムとパーカッションリフでスタートする#1『Here To Love You』はMichael McDonaldが単独で作成した中では、稀有のロックトラックだ。
  このアルバムの中でも#2『What A Fool Believes』に比類するくらい完成度の高いR&Bポップロックだ。
  ファンキー且つキャッチー。Michaelの叩くピアノはホンキィ・トンクとR&Bの間に位置する。
  更に、Little FeetのBill PayneがシンセサイザーでMichaelをサポート。Doobies Brothersのアルバムにはバンド創設時からゲストプレイヤーとして殆どのアルバムに参加。
  『China Grove』や『Rockin' Down The Highway』でジャンピーなアクースティックピアノを叩いていたが、Michael加入後のDoobiesでは最初で最後の参加となっている。
  当然、McDonaldはアクースティックピアノのみならず当時かなりの進歩を見せ始めたシンセサイザーも受け持っている。
  Payne&McDonaldの黄金鍵盤コンビの職人芸プレイをじっくり堪能しよう。
  また、アルトサックスやトランペットのホーンセクションがソロとアンサンブルで大活躍。第一級ソウルポップとしてのアレンジ。その王道を進んでいる。
  やはりオープニングには#3『Minute By Minute』のB面シングルだった『Sweet Feelin’』ではなく、この歌だ。

 ◆『ある愚か者の場合』はロックシングルだ

  先日、当時のプロモーションビデオである#2『What A Fool Believes』を観た。
  真っ白な背景で単に演奏しているだけ、という極初期のビデオ・クリップというメディアが一般に広まる前の典型的な映像が懐かしかった。
  特段映像技術や演出も無く、淡々と演奏を写すだけの代物が何だか新鮮だった。
  スタジオ録音盤の『What A Fool Believes』は確かにドラマティックな展開が無い。どちらかというと、プロモーション映像のように淡々としたクールなリズムに終始する。
  然れども曲感はメロウで、ソフト。
  シンセサイザーを多用しつつ、(Bill BayneとMichael McDonald再び)要所要所はMichaelのアクースティックピアノをクリアに響かせ、ウエットなアレンジにドライなラインを加えている。
  そして西海岸バンドはかくあれ、という具合のハイトーン・コーラス。リードラインのみならず、ハーモニーでもMichael McDonaldのハスキー・ヴォイスが聴ける。
  心がほんのりと暖まるようなレイド・バックフィーリングをブルー・アイド・ソウルと相克させずに見事なポップソングにしている技量はまさに完璧だ。
  当時、同じ西海岸出身のバンドで、ジャズベースのクールで極限まで技量に拘ったアートロックを売りにしていたSteely Danと比較される事の多い後期Doobie Brothersだけれど、レイドバックした感覚を前期のユニットから引き継いでいる部分が大きな本質の違いだと思う。

  と、このヴァージョンの『What A Fool Believes』はロックトラックというよりもポップソングだが、ライヴではかなり異なった演奏が聴ける。
  「Farewell Tour」のライヴヴァージョンを聴いた事がある人になら言わずもがななのだが、かなりアップビートにテンポが上げられており、Jeff Baxtorのギターソロを、スタジオ版のシンセとストリングのラインと置き換える、といった具合にかなり熱いロックチューンとして演奏されているのだ。
  まだ聴いた事の無い人は、是非「Farewell Tour」のライヴ盤を入手される事を強烈にプッシュする。
  このスタジオ録音版とはかなり性格の違うロックトラックの『What A Fool Believes』を聴くと、後期Doobiesが云われるほどAOR化していなかった事が推測できる。
  実際に、当時はMichaelが『Long Train Running』や『China Grove』を唄っていたのだから、アルバム上でジャズやソウルポップ風の曲が増えたからとはいえ、決してロックバンドを辞めてしまった訳ではないのだ。少なくとも「Minute By Minute」では。
  『What A Fool Believes』も都会的な洒落たセンスを感じるとはいえ、ロックトラックの芯を持った歌であり、実際にロックチューンに変貌できるフレキサビリティを持っているのだ。
  だから、私的には『What A Fool Believes』はロックナンバーなのである。

 ◆完全にMichaelに染まったナンバー群

  後期Doobiesのブルー・アイド・ソウルやソフトロックへの傾斜を完全に具体化しつつ、代表曲となっているトラックは幾つか存在するが、その最たるものが#3『Minute By Minute』である。
  とてもギタリストが複数在籍しているバンドの作とは思えないように、オープニングから主役を演ずるシンセサイザー類。
  ジャズやR&Bを相当意識したグルーヴに乗るベースラインとローズピアノ。
  故意に音程をずらして歌われる甲高いコーラス。
  ゆったりしたスゥイングを独特の甘くハスキーな声で撫で回すMichaelのヴォーカル。
  曲調は完全にアーバンなソウル・ポップだが、McDonaldの唄い方にはブルースを感じる事ができる。
  取り立ててとっつき易いナンバーではないのだが、リスニングを重ねるうちに自然と耳に残って口ずさんでしまう“麻薬”タイプの曲だ。 

  同様に完全にブラック系のAOR化しているのが、#6『Open Your Eyes』。『It Keeps You Runnin’』や『You Belong To Me』といったシンセサイザーを駆使した、Michael加入後のDoobiesならでわの曲だが、かなり緊張感が満ちた張りのあるメロディがMichaelの感性の鋭さを示している。。
  Steve WinwoodのTrafficサウンドを西海岸の感覚でリアレンジするとこのようなホワイトソウル&ロックが出来上がるかもしれない。
  惜しむらくは『Minute By Minute』という同系列の大傑作が同じアルバムに存在する為、目立たなくなっている所か。 
  また、ファンクやジャズといった要素を透明感のあるアレンジで磨き上げた都会的ブルー・アイド・ソウルの完成形たる#10『How Do The Fools Survive』は、そのメロディや曲云々よりも「愚か者は生き延びることができるか」という『What A Fool Believes』(ある愚か者の場合)と対を為す歌詞に織り込まれた意味合いを考えつつアルバムを終える事になる。この効果が大きいだろう。
  その先鋭的なキーボードワークとエキセントリックなメロディは、当節頻繁に比較された同じ西海岸のバンド出身のバンドであるSteely Danの嗜好に通じるところがあると思う。ホーンや黒っぽいギターのファンク・フィーリングを押し出しながらも、ソフトな手触りが同居する不思議なナンバーでもある。

 ◆Michaelと比較すると明らかに格落ちする完成度のSimmons’Songs

  今作のリードヴォーカルの占有率は、ヴォーカル曲9つに対して、Michaelが5、Patが4となっており、ほぼ半分の割合で表面的なバランスは保たれている。
  しかし、シングルヒットとなった#4『Dependin’ On You』はMichaelのジャジーなピアノが踊るリフからも容易に推察可能なように、Michaelの影響が色濃く出ている。
  果たしてソングライティングはPatとMichaelの共同となっており、Michael主導で書かれたのは確実だ。
  Patも全米No.1を獲得した(1位になったのは相当な疑問だが)『Black Water』で黒人ブルースへの傾倒は明らかだけど、ここまで小粋なR&Bジャンプポップを書くようなライターではないし、彼のライティングにしては親しみ易過ぎるし、Nicolette Larsonの女性ヴォーカルを取り入れた演出もMcDonaldの趣味が反映されていると予想できる。
  #4はシングルとしてヒットした事実にも裏打ちされているが、かなり良質なライトトンキィなナンバーであり、絶対にMcDonaldが唄った方がハマり役だったと思う。

  他の曲もかなりMcdonald’s Doobiesに引っ張られた影響が見受けられる。
  #9『You Never Changes』もジャズロックという表現がぴったりな曲だが、どう見てもMichaelの手による曲としか思えない、AOR風の滑らかさがある。
  ヴォーカルもリードはPatだが、ハーモニーとしてダブルに配置されているMcDonaldのヴォーカルと並べると、やはりPatのヴォーカルは格落ちな感が否めない。
  更に、Michaelの作風に合わせてみようというPatの人の良さがこういった曲を書かせたのかもしれないが、かなり平々凡々としたAORソングで、他のナンバーと比べると面白みに欠ける。

  Patらしさというか、『South City Midnight Lady』で見せていたフォークと黒人音楽の中間を行くPop/Rockのバランス感覚を表現しているのが、Nicolette Larsonとのデュエット曲の#7『Sweet Feelin'』だろう。
  こちらの曲は対照とした以前の名曲よりもソウル・フィーリーが強く、やはり都会的なセンスで纏められている分、アルバムの流れに合致しているが。

  唯一インパクトが強いのが、完全ブルーグラスなメロディをエレクトリックサウンドで追求したインストナンバーである#8『Steamer Lane Breakdown』だ。JeffとPatのギターが冴えている。
  明らかにR&Bをベースにジャズやソウルポップにシフトを完了したDoobiesの完成形たる本アルバムからは浮いているが、多くの名作がそうであるように、異分子的な曲すら全体を変化に富ませる一因に結び付けてしまう輝きが「Minute By Minute」にも存在する為、違和感無く流れに収まっている。
  Patが唯一嘗てのフォークやカントリーをベースとしたユニットの色合いを持ち込み、好きな事をやっているのがこの異色トラックだろう。

  異色なら、嘗てのブルージでハードドライヴィンなバンドの影を求めたような『Don't Stop To Watch The Wheels』も同様だ。Tom Johnstoneを明らかにバンド外からのゲストとしてヴォーカルに迎えてまでブギーなハードロックを追い求めているが、アルバム全体の空気に当てられてしまったのだろうか、何処と無くAOR的な親和性を含み、昔日の荒々しさが光り輝いていない。
  寧ろ、他の曲を引き立てるために使われている感が強い。この曲を入れたかったPatの気持ちを考えないでもないが、引き立て役以外の何者にもなっていないと思う。
  全体的に、前の2枚と比べて、Patの曲は完成度は上昇しているが、よりMcDonaldとの才能の格差が見て取れるようになってきている。
  Michaelの作風に自らの黒人ルーツを近づけようとする努力は実を結んでいるが、何とも皮肉な事にアルバムのバランス調整としては貢献しているけれども、曲個々の差を浮き彫りにしてしまっている。

 ◆バンドの変化へ賛否両論はあろうが、70年代を代表する名盤

  「Takin’ It To The Street」でMichael McDonaldの独自性を掲げつつも、Pat Simmonsという創設メンバーのブルースやフォーク、カントリーロックへの追及を、Tom Johnstoneが少しだけゲスト的に参加する形で残していた2作。
  そのアンバランスさが全て解消されてはないが、そのアンバランスさがロックとジャズやR&Bといった非白人ロックの要素と適度な妥協点を見つけて綺麗に収まっているのが、本作「Minute By Minute」だ。
  次第にロックから離れようとするMichael McDonaldの意向を、バンドという錘が繋ぎ止める役割を果たしていた事は想像に難くない。
  次の「One Step Closer」ではMichaelとバックバンド的なアルバムになってしまったのだから、丁度両方の力関係が均衡を突破する手前に完成・発表となった事が幸運だったのかもしれない。
  しかし、Michael McDonaldの完璧主義を活かし切ったTed Templemanは全く毛色の違うDoobiesの前期後期に渡り素晴らしい仕事をしている。
  Tedのプロデュースなくして、この名盤は生まれなかったかもしれない。ちゃんとブルー・アイド・ソウル中心になったDoobie Brothersからロックアルバムを引き出した手腕は賞賛に値する。
  こういったジャズロックや英国アートロックっぽいサウンドがいまいちという人でも、試しに購入して、じっくりと回数を聴いてみて欲しい。  
  ジワジワと離せなくなるくらい好きになるアルバムだ。
  (2003.10.25.)


  A Night On The Town / Rod Stewart (1976)

  Roots                 ★☆

  Pop                
★★★★★

  Rock             
★★★☆

  Adult Contemporary 
★★★☆   You Can Listen From Here


 ◆「大西洋を渡った」Rod Stewartの2枚目

  この「A Night On The Town」で、前作「Atlantic Crossing」で見せた初期の5作からの変革を明らかに新しい路線としている事が解る。
  Jeff Beck GroupやFaces時代に見せていた暑苦しい熱唱系ヴォーカリストの泥臭いイメージから、そのルックスを表に出したロックスターとしてよりポップロックを意識した音にシフトチェンジを始めたのが、前年のWarner移籍1作目となる「Atlantic Crossing」だった。
  
  このレコードより後にRodをリアルタイムで聴き始めた筆者の世代にとっては、この「A Night On The Town」や「Atlantic Crossing」そして「Foot Loose & Fancy Free」(何故か邦題「明日へのキックオフ」)でさえ、かなりレイドバックしたルーツロックに聴こえない事もない。
  『Baby Jane』や『Young Turks』といった80年代ヒットシングルを筆頭として、ニューウェーヴの一派を構築していたシンセ・ポップ風を歌っていた頃のRodから本格的に聴き出した自分の耳には、初期からの路線変更の衝撃というものは当初全く感じななった。
  というか初期の頃はシングルの『Maggie May』や『Reason To Believe』、『You Wear It Well』等のヒットシングルしか知らなかったからだが。
  裏を返せば、これらの初期シングルはルーツロックとかアリーナロックとか英米とかいった枠を超えた名曲という事だが。
  寧ろ、完全に後追いで「Gasoline Alley」や「Every Picture Tells A Story」といった、ハードロック、カントリー、ブルース、R&Bといったベタベタなルーツロック/ハードパブサウンドから順序良くRodに入門した新規リスナーの方が受ける違和感は大きいと想像する。
  その違和感が肯定的か否定的かはリスナー個人の問題だろうけど。

  筆者としては、Rodの最高に味わいのあるアルバムが初期の「Gasoline Alley」から「Never Dull Moment」までの3枚という論を掲げる事に何ら躊躇するものではないが、同時に70年代のアメリカ移住後のアルバムとしては、本作そして「Atlantic Crossing」は名作に恥じない出来だと信じている。
  好みで言えば、濃過ぎて聴くのが疲れる−同時に幾ら聴いても飽きない粘っこさも存在するが−Facesと平行活動していた時代のソロアルバムより、この2枚のほうが聴き易さとバランスという面では一歩リードしているとも思っている。
  口幅ったいが、芸術とかスピリチュアルな面からは、濃厚なルーツサウンド世界に歌い手たるRod自身が耽溺しているとしか思えない初期の方向性に及ぶべくもないとは思う。
  しかし、ポップやロックとして捉えた場合、少なくとも「大西洋を渡って」米国で活動を始めた頃の2枚のアルバムは、酷く初期5作に劣るものではない。
  英国的な昏さと陰鬱さが膨らんではちきれそうな1stや、ロックアルバムとしてはルーズで気持ち良いけれど味わいに欠ける「Smiler」よりもずっと良質な作品だとも考えている。

  ◆ルーツロックからポップロックシンガーへの移行期アルバム

  「Atlantic Crossing」(1975年)
  「A Night On The Town」(1976年)
  「Foot Loose & Fancy Free」(1977年)

  この3枚は、ベタなルーツサウンドからより磨き上げられたアダルトロックへの移行期に当たる作品だ。
  特に「Atlantic Crossing」とその前のアルバム「Smiler」を聴き比べると違いが明瞭に浮き出ている。
  崩しに崩してぶん回したロックンロール一本槍で、初期のRodのロックな表情を全てつぎ込んだようなアルバムの「Smiler」に対して、「Atlantic Crossing」のオープニング且つ名曲である『Three Time Loser』は、レッドゾーンを完全に振り切ったようなテンションこそ劣るものの、切れ味とアーシーさを残した、バランスの良いルーツ&ハード風味のロックンロールナンバーとして完成している。

  この『Three Time Loser』に代表されるのが1970年代後半のRodのサウンドなのだろう。
  適度に土臭さを残しつつも、ブルースやカントリー、フォークといった根源音楽を直接叩き付けるのではなく、ポップスのオブラートに包み込むような良質なサウンドに焼き上げている。
  これが初期の濃厚な根源音楽追及の姿勢をそのまま顕したサウンドと大きく異なる点だ。
  そして、この3部作(敢えてこう呼ぶ)にも段階があり、年代が下れば下るほど、次第にもっともっと、な具合でスマートなポップオリエンテッドな方向性へ顔を向けていく。
  この流れの中で、サウンドを大きく変換した背景に押されたのか、かなりノビノビと唄っている「Atlantic Crossing」と、ルーツサウンドとチャートフレンドリーなアダルトコンテンポラリーサウンドが絶妙にブレンドされている時期に作成された「A Night On The Town」は非常に良質な作品となっている。
  この2作共に、アナログ盤時代には極普通のギミックだった、A面とB面でそれぞれ“Slow Half”と“Fast Half”という枠を設定。文字通りスローな曲と速い曲でアルバムを分割している。
  Fast/Slow Sideではなく、Halfというタームを使用している所が、元々プロサッカープレイヤーを目指していたRodらしいが。

  忘れてはならないのが、プロデューサーとして前作からRodを80年代前半までサポートし続けるTom Dowdだ。
  2002年に77歳で逝去(合掌)しているが、数多くのジャンルと著名アーティストのアルバムを手がけているその当時で既にヴェテランのプロデューサだ。
  The Allman Brothers Band、Black Oak Arkansas、Lynyrd Skynyrdといったコテコテな南部ロックバンドから、Rascals、Ray Charles、Eric Clapton、Cream、Aretha Franklin、Ben E. King等等多数のソウル、R&B、ブルースといった黒人音楽、そしてJohn Coltraneを筆頭とする数々のジャズミュージシャン。
  のみならず、ChicagoやEddie Money、Primal Scream、Kenny Loggins、Willie Nelson、Meat Loafといった具合に、英米とジャンルを問わない広範なレコード製作を手掛けてきた人だ。
  プロデュース作品をざっと当たるだけで、ジャンル的に殆ど全ての音楽をカヴァーしている人だが、この雑食性或いは包括性を活かせるプロデューサーの協力があったからこそ、Rodの脱英国パブロックが成功を収めたといえる。
  ただ、Dowdのマルチな才能は、この後ディスコミュージックの流行に迎合した「Blondes Have More Fun」の成作を成功に導びいてしまい、1980年代のRod Stewartの低迷の遠因を作ったとも云えるのだが・・・・。

  余談になるが、本作に並ぶ大ヒットを記録した次作の「Foot Loose & Fancy Free」は良い歌は凄く良いのだが、何となくRod自身に迷いのようなものが見えてならない。『Hot Legs』のようなFaces時代や初期のロックナンバーからアーシーさを引き抜いたハードトラックから、後のディスコやシンセサウンドに色気を出していく予兆のような要素が見えるトラックあり。
  そして筆者がかなりお気に入りの(『Sailing』より全然好き。)『I Was Only Joking』やモータウンソウルのポップ風味な『You’re In My Heart(The Final Acclaim)』といった良質なバラードありと、アルバムとしてのバランスがいまいち。
  また、一連のSlow HalfやFast Halfという手法を採用していない点がバラけた印象を助長している事もあるだろう。

  ミュージシャンが大きくその方向性を転換する時期のアルバムは、その方向転換自体が聴き手の嗜好に合致しなければお話にもならないのだが、その前提を抜きにしても駄目なアルバムが多い。
  稀に針路変更前後のサウンドの良いところだけ獲った非常にバランスの良い作品が生まれる事があるけれども、筆者としては「A Night On The Town」前後のRodのアルバムがこの稀有な例に当て嵌まると考えている。

 ◆Slow HalfはRodのスロウ・トラック集としては完璧

  「A Night On The Town」はロックサイドであるFast HalfがB面。バラードサイドであるSlow HalfがA面。前作とは逆の構成になっている。恐らく2作続けてA面→速い、B面→遅い、と定型化する事を避けた故にこういった構成になったのだと思う。
  大抵のロックチューンとバラードやアクースティックナンバーを分けたアルバムは、前半ロックで後半スローというパターンが多いと思うのだが、このアルバムはバラードを前半に持ってくるという結構珍しい並びとなっている。

  さて、バラードから始まるとテンションが下がってしまうという危惧は、このアルバムに関しては無用である。
  「Night On The Town」のSlow HalfはRodのポップロックとしてのバラード集としては最高の出来になっているから。
  まず、完全にアダルトなポップスに歩み始めたコーナーストーンとなった#1『Tonight's The Night(Gonna Be Alright)』。
  Rod最大のヒットシングルとなった曲として有名なのは今更言わずもがなだろう。
  Rodの創った曲としては『You Wear It Well』以来のトップ40ヒット。しかも珍しくRodの単独作だ。当然単独作としては初のヒットシングル。No.1シングルとしては『Maggie May』に続いて2枚目。
  ストリングスやサックスを加え、ゆったりとしたリズムの中にパワフルでハスキーなRodの声が良くマッチしている。ヴォーカリストとして、ルーツロックトラックからこういったアダルトチャートの常連のようなバラードまで幅広く歌える彼の力量が発揮された1枚だ。
  深みとしては『Reason To Believe』には及ばないかもしれないが、既に成功を収めた彼自身のキャリアに裏打ちされた余裕がはっきりと感じられる。
  前作からのバラードである『This Old Heart Of Mine』や『Sailing』が小スマッシュヒットにしかならなかったのに対して、チャート的やシングルセールスとしての尺度で成功を測ると、限りない差がある。
  これ以降のRodのバラードスタイルのマイルストーンになった曲でもあるだろう。

  が、筆者としては大ヒットした#1よりも英国人シンガーソングライターであるCat Stevensが1967年の「New Masters」で発表した#2『The First Cut Is The Deepest』の方が味わいがあると思う。
  既に、ソウルシンガーであるP.P.Arnoldが同年にカヴァーし英国チャートでヒットさせていたスタンダード的なフォーク系ソングである。
  英国人らしい控え目なレイドバック感覚の漂う素朴なバラードで、初期の素のままを叩きつけるようなアクースティックさではなく、アメリカ市場を意識したコンテンポラリーさが見られる。
  このアルバムの特徴として、Rodの単独作が多い事が挙げられるが、2曲のトップ40ヒット−#3『Fool For You』と#4『Killing Of Georgie,Pt.1-2』も#1に続いてRod独りの作品。
  #3『Fool For You』は傑作揃いのSlow Halfではやや目立たないのだが、米国南部のブルース風味を取り入れつつもポップな仕上がりを見せている良質なバラードだ。
  Rodのともすれば熱が入り過ぎて大仰になりがちなヴォーカルもちゃんと冷静さを保っており、曲調に合致している。
  そしてこれまた傑作と呼ぶべき#4『Killing Of Georgie,Pt.1-2』。ややトーキング気味に早口で唄うヴォーカルが印象的だ。スローバラードというよりも、オールディズ的に女性コーラスを活用したミディアムロックに属するテンポ。
  ストリングスをバックに流しているが、コッテリしたアダルト風味ではなく、あっさりしたアクースティックさが気持ち良いナンバーでもある。
  歌詞もRodのホモセクシャルだった友人が殺されるまでに至る人生について長々と語る内容で、聴き取りが出来る人には面白さが増す事請け合い。
  これより少し後に同じ英国人(イングランド人、正確には。)のElton Johnがインストゥルメンタル曲『Song For Guy』という追悼歌の名曲を世に出しているが、1970年代の鎮魂の歌としてはどちらも甲乙付け難い名曲だと思う。
  メドレー形式でPt.1が速め、Pt.2がシンプルなフレーズのリフレインであるバラードという構成も胸に沁みる。
  一発の破壊力では#1に劣るかもしれないが、長く聴ける良曲だろう。

 ◆ルーツの濃度を一気に増すFast Half。好みだけど完成度はSlow Halfに...

  さて、スローでまったりとした前半戦からB面に移ると、アルバムは一気にルーツロック、オールドタイムロックンロールの顔を露わにし始める。
  全体として素晴らしい名曲で固められた前半−3曲のトップ40ヒットを含む−のSlow Halfと比較するとかなり出来映えは落ちるとは冷静に見れば自明と考えざるを得ない。
  しかし、前作から引き続きメンフィス・ホーンをバックに迎え、英国活動期の素朴なルーツサウンドよりダイナミズムを増して耳に入りやすくなったロックナンバーの数々は、1980年代のシンセ・ポップロックの歌い手と化していくRodの歌よりも説得力がある。
  Fast Halfが無ければ、この「A Night On The Town」は単なるアダルトコンテンポラリーな作品となってしまっただろう。(それはそれで悪くないが、そうなると後年のRodの作品との差別化が難しい。曲やアルバムのクオリティではなくジャンルとしてだが。)
  大半がオリジナル曲で占められていたSlow Halfと異なり、Fast Halfの5曲中Rodの作は1トラックのみ。
  全てのオリジナルをRodが単独で書いているのは本作のみ。これも特徴のひとつであり、この時期にRodの単独作が多いのもまた同じ。

  その後半唯一のオリジナルが、#5『The Balltrap』。路線的にはロックをぶん回してFaces的なソロ作となった「Smiler」に近い。
  とことんラフでいい加減さが溢れる演奏。しかしブラスセクションが頑張り、気持ちの良いスゥイング感を盛り上げている。
  スタイルとしてはOld School Rockとも言うべき、古典パーティフロアロックで、過熱気味のRodのヴォーカルも気持ちが宜しい。
  同様にクラシカルなロックンロールが、#7『Big Bayou』だ。
  現在は既にアメリカンカントリーのホンキィ・トンクナンバーとして、スタンダート化している名曲で、幾人かのカントリーシンガーがこの曲をピックしている。オリジナルは元Flying Burrito Brothersのフィドル弾き且つギタリストであったGib Guilbeauの作。
  GuilbeauはFlying Burrito Bros.の1976年のアルバム「Airbone」にて演奏しているが、同年にRodが取り上げたのも興味深い。
  流石に名曲だけあって、ホーンを加えたアレンジにも良くマッチしている。

  名曲としては、ホンキィ・トンクとカントリーのスタンダードである#8『The Wild Side Of Life』も気持ちの良いカヴァーとなっている。Hank WilliamsやHank Thompson、Jerry Lee Lewisといった戦前生まれの大御所を含む多数のカントリーシンガーやロカビリーシンガーに歌われたクラッシックだ。
  RodはこれまたFaces風の英国ハードパブサウンドをベースにファンキー且つブギーに、そして明るく歌い切っている。転がるピアノ、ダートなギター、輝くホーンセクション、響くシンバルとロックンロールの基本を全身で表現するようなナンバーだ。
  また、#6『Pretty Flamingo』も英国ロックの老舗なカヴァーだ。ポップなR&Bソングで多数のヒット曲を英国チャートに持つ1960年代のバンドManfred Mannが1966年に英国No.1に押し上げたシングルをカヴァー。
  Fast Halfにしてはややゆったりしたリズムのロックナンバーだが、そのR&Bをルーツにした親しみ易いポップさは他のキャッチーなロックチューンの間に置かれても何ら遜色は無い。流石に元英国チャートのヒットナンバーだ。
  Rodはこの時期を前後して素行の酷さが目立つようになるが、人格とかは別として選曲のセンスが良いのは認めなくてはならない。

  全体として「Atlantic Crossing」のFast Halfよりもアメリカナイズされたストレートなポップセンスが増加し、より磨き上げられたPop/Rockのセンスが浮き出ている。
  『Three Time Loser』や『Stone Cold Sober』といったオリジナルの名曲クラスは無いのだが、全体としては「Atlantic Crossing」に引けを取るHalfにはなっていないと考えている。

  最後は何故かバラードなのに、Fast Halfに入っている、これまたスタンダード・ソングである#9『Trade Wind』(邦題は「貿易風」でそのまんま。)戦前のジャズ・ヴォーカルナンバーとしてこれまた多数の黒人・白人アーティストに取り上げられている。
  Rodは甘いテナーサックスを際立たせた、後にブームとなるAOR風のアレンジに仕立て、彼の引き出しの広さを最後の最後まで見せている。もっとのその引き出しの広さと柔軟性が時代の流行への安易な迎合を生むのだが、それはまだ少し先の話だ。
  Fast Halfでのややワンパターンなパーティスタイル・ロックに耳が馴染んできた後だからこそ、このナンバーの浸透する度合いは大きい。実にニクイ構成である。

 ◆Faces関連の人脈は完全に絶たれ、まさに転換期を迎えた頃の名作

  RodがFacesと平行でソロ活動をしていた時は、必ずRon Wood、Ian McLagan、Ronne Lane、Kerry JonesといったFacesの面子が曲創りや演奏に力を貸していた。
  しかし、バンド解散後の「Atlantic Crossing」からはRod独自のバックミュージシャンを迎え始める事になる。
  キーボードのBarry Beckett、ドラムのRoger Hawkins、ベースのDavid Hood、といった具合に以後バックメンバーとして頻繁に登場するラインナップが顔を見せている。
  彼等の他に、売れっ子プロデューサーになる前のDavid Foster、ギターにDavid Lindley、Joe Walsh、Fred Tackett、ドラムにDug Dunnといった著名ソロプレイヤーもゲストで参加している豪華さだ。
  サウンド的にもFacesや初期の英国ロック時代から脱却を図っているが、演奏メンバーやサポートメンバーの違いにも注目すると面白い。

 ◆出来ればリマスター盤で聴くべし

  最近非常な安価な中古品でこのアルバムのリマスター盤を入手して聴き返したのが、本レヴューを書く切っ掛けとなった。
  今までリマスター盤は金の無駄で、1枚のリマスターを買うより2枚の新譜という信条を掲げていたのだが、流石にリマスター前のCDと並べて聴き比べてみると音質の違いが歴然としていて驚かされた。
  ドラムのシンバルやバスの音は全くの別物だ。
  音量も全く違い、ヴォリュームのツマミを2つくらいリマスター盤では下げないと近所迷惑になるほど。
  ライヴ的な音が聴けるので、クオリティ的にはノイズが激減したアナログ盤という感じになっている。ちょっとしたカルチャー・ショックを味わった次第だ。
  RodのMercury時代のアルバムと70年代のWarner作は全てリマスターされているので、出来ればそちらを手に入れて聴かれる事をお薦めする。
  Rodの声も全然旧盤とは違う。彼のハスキーヴォイスを堪能したいならリマスター盤だ。
  ・・・でも全部買うのはちょっと予算的に辛いが・・・・・。  (2003.10.30.)


  New England / New England (1979)

  Arena                 ★★★★☆

  Pop                
★★★★☆

  Hard             
★☆

  Adult Contemporary 
★★★☆   Official Site


 ◆ジャケットに見られるハードロックアートの普遍性?

  久々にCDでこの「New England」を聴いている最中、ジャケットをしげしげと眺めて考えた。

  このジャケットをひと目見て、「これはカントリーロックのアルバムだ!」と断言できる人はどれだけ存在するだろうか。
  まあ、良く見ると中央のフォトウィンドウに写っている演奏者達はコテコテのHRルックスをしている。
  それ以前に、このスペイシーというかサイエンス・フィクション又はサイエンス・ファンタジー的なデザインは、どっから見ても泥臭いルーツ系のサウンドにはそぐわない。

  21世紀に入り、所謂ハードロック/ヘヴィメタルといったサウンドがヒットチャートの上位どころかトップ200に顔すら出さなくなってから10年近くが経過している。
  そのような状況で、AOR Magazineが好調に売れる独逸や北欧を中心とした、HR/HMの供給地を除けば、日本は世界でも稀有なHRレコードの売り手市場である。
  
  余談だが、日本ではアダルト・オリエンテッド・ロックとプロのライターが平気で間違った略し方を行っているAORは、ソフト系サウンドの総称と考えられているが、欧州でのAORはよりハードロックスタイルなメロディアス・ハードサウンドを指すのだ。これは大きな違いがある。
  どちらも間違っているので完全な正解ではないが、大きな枠組みでは日本のAORが本来のAlbum Rockと共通する部分は多いだろう。

  さて、話を戻して、近隣のアジア諸国も、米国で単独ツアーを行っても集客の見込めない元スターバンドがツアーとして組み込むくらいには受け皿が存在するが、“日本先行”ならぬ、“日本独自”として邦盤のみがプレスされる日本は、音楽的にHR/HMをプレイする人工に比すると、驚異的にHR系のリスニング人口が多い国なのだ。
  内実は30台後半以降の人間が殆どの購買層というお話なのだが、それはそれ。

  それにしても、HRのジャケットの普遍性というか不変性は、時が1980年代前後で止まっているかのようだ。
  このアルバムがInfinity Recordsからリリースされて今年2003年で24年目となるのだが、現在も繁く発売される北欧メタルや独逸メロディアスハードのアルバムと云っても十分に通用するだろう。
  元々独創性は出切った感のあるHR/HMだが、ここまで没進化というか時間が停止しているのは意外だ。

  そのようなHRサウンドリリース王国日本であるからこそ、世界では恐らく最も高い知名度を得ているバンドが、(多分)今回紹介するNew Englandである。
  流石、世界に冠たる再リリース王国である日本では「失われし魂」というタイトルで発売され、独自にCDも復刻されている。筆者の持っているのはバンドから購入したCD−Rで安いのだが、プレスCDの方が良かったかもしれない。邦盤リリースがある事を知っていたらプレスCDを買っていたと思う。
  現在も廃盤に放っていない模様だ。先日秋葉原某所で新品のCDを見かけて驚いた。
  更に全てのアルバムが再発されている。その中でも、この「New England」は1990年代初めに世界に先駆け、日本のみで発売。他のアルバムよりも相当フライングの発売になっている。
  それだけ人気と出来が良いという証拠でもある。

  恐らく日本盤のインナーにはもっとまともな情報が載せられていると思うので、興味のある方はそちらを購入する事をお薦めしておこう。

 ◆KissのPaul Stanleyがプロデュース。結構メジャーなバンド

  知る人ぞ知る、とはしばしば、「殆ど知ってる人が居ない」と等価の意味として語られる。別表現では「隠れた名盤」なんぞも存在する。
  しかし、HR人口の多い本邦では結構このバンドを知っている人が多いのではないだろうか。
  何といっても、未だにアメリカンロックバンドの若手に与えている影響が大きいロックバンドであるKissのPaul Stanleyが本作のプロデューサーなのだ。Kiss関連のアルバムを片っ端から洗えば、New Englandに行き着くことは困難ではないだろう。
  また、サウンドの職人であるTodd Rundgrenが1981年の「Walking Wild」でプロデュース。とかなりの大物にサポートを受けているバンドでもあるのだ。
  このデビュー作もMCA傘下のHR系中堅レーベルであるInfinityを通してジャーリリースされ、2枚目と3枚目は完全に独立し、メジャーのElektra Recordsから発売されてもいる。
  結局、その1981年リリースの3枚目がNew Englandとしては最後のアルバムとなってしまうのだが。

  その後、1983年にNew Englandは一旦解散する。
  が、解散後にメンバーが著名なバンドのメンバーに加入する事により、“元”New Englandのメンバーという呼び名でバンドの名前を残していく事になる。日本では結構知られているヘヴィ・メタルバンドのAlcatrassのメンバーとなったのが、New EnglandのキーボディストだったJimmy WaldoとベーシストのGery Sheaだ。
  Alcatrassは日本では何枚ものアルバムがリリースされているギタリスト、Yngwie MalmsteenとRainbowにも在籍したヴォーカリストのGraham Bonnetでそれなりにファンの知名度は高いだろうし、そのAlcatrassの元メンバーが属していたバンドとしてNew Englandを記憶している人も居るに違いない。

 ◆産業ロック−80年代売れ筋音楽の典型よりも、更にアメリカナイズされたサウンド

  当時、ポップで大仰なハード系のロックンロールは、チャートの上位を占める事も多く、「売るための曲」という揶揄を込めて「音楽産業のためのロック」=「産業ロック」と呼ばれたりした。
  産業ロックは英国に端を発するプログレッシヴ音楽に影響された米国のバンドが、次々とプログレ音楽をアメリカン・サウンドと融合させて、プログレッシヴ・ハードと呼ばれる大仰でスペイシーなアレンジを持ったものが多く、1970年代後半から、特にチャートの上位を占めるロックバンドは、このジャンルが大半を占めるようになる。

  幾つかの代表的なバンドがあるが、以下のバンドのアルバムがお気に入りなら、まず本作「New England」を購入しても外れる事はないだろう。
  Bostonの初期2枚、Stxyの「Conerstone」以降、Journeyの「Escape」以降、Orion The Hunter、The Stormの「Eye Of The Storm」といった産業ロックの大物グループの名盤。
  また、メロディアス・ハードと呼ばれる、ハードサウンドよりも流麗なシンセサウンドを主眼にしたアリーナーロックのアルバムならTour De Forceや瑞西のバンドGotthardの「Open」以降の脱ハードロックが進んだ作、そして些かマイナーだがVision 180なぞが好きなら更に良いだろう。
  「Histeria」から英国的なハードさを抜いた「Adrenalize」の頃のDef Leppardが一番というポップメタル嗜好なリスナーでも問題なく受け入れられると想像する。

  New Englandのデビュー・イヤーはStyxやJourneyがチャートの上位常連としてして台頭してきた時代と同じであり、BostonやKansasが評価を受けていた時とも重なるので、彼等巨大なセールス記録を残した産業ロックの怪物バンドと比較され易い。
  しかし、何処までもギター中心であり、英国生まれのプログレッシヴロックをアメリカン・ハードサウンドで具体化しようとしていたこれらのバンドと比較すると、New Englandは更に米国サウンドの解り易さを有しているバンドだと思う。
  寧ろ、1970年代から80年代にかけて東海岸で中規模のヒットを記録していたヘヴィ・メタルのユニットであるAngelに近いサウンドであるように感じる。
  とはいえ、米国のメロディックバンドの多くがそうであるように、米国的なキャッチーなラジオフレンドリー・ソングと英国的なハードサウンドを共存させていたスタイルのAngelよりも、遥かに一貫してNew Englandはポップとメロディ指向が強い。
  音楽の分類として便宜上、メロディアス・ハードとしてるが、New Englandでは特にブリティッシュ・ハードロックとしての顔はそれ程彫りが深くない。
  Bostonのヒット曲中心ナンバー、完全にアダルト化した解散前のJourneyやStyxを想像する方が、New Englandのサウンドにより近い。
  それよりも、より時代を進ませ、L.A.メタルブーム以降に登場してきたクリスチャン系の宗教メロディ・メタルバンドや欧州のメロディ嗜好AORバンドの現代の米国チャートでは見向きもされないシンセサイザー中心のアリーナサウンドに近似すると捉えるのが妥当だ。
  よって、Vision 180といったマイナーなバンド等を例に挙げているのだが、筆者の感覚としてはTour De Forceが最も近いように思える。
  又は、これまた米国的な部分だけをピックアップしたBad EnglishなぞもNew Englandに近いかもしれない。

 ◆産業ロックよりも、更にキャッチーであり、ハードロックに便宜上は分類となるが

  実際は、

  シンセサイザー・ポップス + アリーナ風ライトメタルサウンド
  キーボードをメインに据えたパワー・ポップサウンド

  以上のように考えるのがベストかもしれない。
  実際にメタルサウンドと呼べるのは、アルバムで唯一#7『Shoot』だけである。
  これにしても「Histeria」の頃の角が取れてアメリカナイズされてきたDef Leppardのハード寄りサウンドに近い。
  T.N.T.からハードメタルな部分を引っこ抜くと、パワーポップサウンドになると、誰かが書いていたような記憶があるけれど、まさにハードさをプルダウンしたサウンドがNew Englandだ。

 ◆時代的には適宜なサウンドであったと思うけど、売れなかった。何で?

  1970年代後半から1980年代に掛けては、批判も多いが「売れる音」を目的とした姿勢が濃厚なため為、産業ロックやアリーナクラスのスタジアム向けの大仰さを皮肉ってアリーナロックと呼ばれたプログレッシヴな宇宙的広がりを感じさせるサウンドを源流にした音が流行ったが、現在New Englandを聴いてみても、当時の趨勢に乗り遅れていたとは思えない。
  寧ろ、21世紀にシフトしても、未だに欧州を中心に登場してくる、数多くのメロディの美しさを売りにした若手のバンドよりも全然キャッチーで滑らかだ。

  が、何故か際立ったチャートアクションを得るまでには至っていない。
  このデビューアルバムが最初にして最後のトップ100(しかもトップ40は逃している)であり、2枚目は辛うじてトップ200の下位にランクインしたのみ。
  シングルでは、これまたトップ40の尻40位に#2『Don't Ever Wanna Lose Ya』が引っ掛かったのみで、#1『Hello,Hello,Hello』はスマッシュシングルになったのみ。
  チャート順位至上主義では決して無いが、ある意味「売れ筋」を主眼にしている産業ロックのアルバムは、「売れてなんぼのもの」である傾向が強いので、この中程度の成功ではグループが長続きしなかったのも納得できる。
  寧ろ時代の売れ線サウンドと流行を考えれば、時代にそっぽを向かれていたとも考え難い。

  筆者として考えるのは、あまりポップ過ぎると売れない事がある。
  これである。基本的にアメリカでは耳馴染みの良いキャッチーで明るいサウンドが受けるし、英国の一筋縄で行かないヒネたポップセンスや陰鬱なメロディとは、その陽性さで比ぶるべくもない。
  しかし、逆にクセが無さ過ぎると売れないという事もしばしば起きる。(特にオルタナティヴ主流の90年代は基本的な古典スタイルのPop/Rockはセールスに苦戦する傾向が強いが、それはまた別のお話。)
  具体例は挙げないけれど、ここまでポップなのに当時売れなかったというアルバムは多く、同時代にもっとアクの強いアメリカンサウンドが売れている事実は多数。
  耳に触りが良過ぎて、サラリとラジオで聞き流されてしまったのか、印象に残り難かったか。
  はっきりとした事実は知りようもないが、売れなかったのが意外なくらい良質なウルトラ以上のコマーシャルさがあるバンドである。
  トップバンドとはならないまでも、トップ40の常連となれば、より長い活動を続けられたと思うのだが。その点に関しては残念。

 ◆アメリカンロック以上にポップでスムーズなロックがギッシリ

  ボストンのバンドだけに、ロックバンドのBostonに影響を受けたのではないだろうが、実に清々しいシンセ・メロディポップである#1『Hello,Hello,Hello』は、トップ40に食い込んでも不思議ではないドリーミーなナンバーだ。
  ♪「Hello,Hello,Hello」♪のコーラスはREO SpeedwagonやForeignerのハイトーンなハーモニーを思い出させる。
  同時代に、かなりサウンド的な近似性のあるポップ・メタルでチャートの下位に幾つかのヒット曲を送り込んでいるStarzやグラムロックバンドのSweetのヒットシングルよりもずっと耳に優しいポップチューンだ。

  そして、唯一のトップ40ヒットと成り、現在もバンドの看板ソングである#2『Don't Ever Wanna Lose Ya』。
  Paul Stanleyもバックヴォーカルとして参加したナンバーだ。
  ライトメタルとシンセサイザーが上手くブレンドされた、まさに日本人好みのロックンロール。
  バラードの美しさとアップビートナンバーの速度感覚を兼ね備えた名曲だ。この使われ過ぎなキーボード類のオーヴァー・プロダクションこそ、産業ロックの醍醐味だろう。

  この他にもハードロックの古典的名曲である『Action』を彷彿とさせるメロディを持ちつつ滑らかなスピードロックの#3『P.U.N.K.(Puny Undernourished Kid)』。
  美しさと素直さだけで構築された壮麗なポップロックナンバーの#6『Nothing To Fear』、と、メロディアスハードサウンドと呼ばれる音のロックンロール側でのスタンダートとなるべき名曲が目白押しだ。
  #5『Alone Tonight』での甘酸っぱいコーラスに、ただポップ性だけを純粋に蒸留した要素のみで構築されたスムーズさ。こういうメジャーコードのみでHRやHMを認めないリスナーには片腹痛いナンバーだろう。が、筆者に言わせれば、単にハードで難解なラインに耽溺するだけの似非アーティスト気取りのバンドよりも、よほどリスナーの事を気に掛けた姿勢が見れて好ましい。
  聴き手に媚びを売るのと、聴き手を常に念頭に置くのとは大きな違いがある。
  その点、とことんラジオフレンドリーさを追求しつつも、行き着くところまでコマーシャル性を追求しているNew Englandは間違いなく後者のバンドだと思う。

後のBon Joviサウンドを先取りしたような鍵盤が走る#10『Encore』のようにQueen的な英国ハードプログレッシヴを意識したトラックもあれば、荘厳なバラード的リフから、一気にロックギアをシフトアップさせるアメリカンロックの得意技を活用して感動を煽る#9『The Last Show』のようなロックチューンもある。

  バラードも当然ながらクオリティの高い曲が数は少ないが収録されている。
  哀愁を帯びた泣きのギターがHR解釈でのブルースを奏で、ストリングスとアクースティック弦、そしてキーボードが素晴らしい音響空間を拡げて行く#4『Shall I Run Away』は、Journeyが今だブルース色を残していた「Evolution」や「Infinty」の頃の哀調サウンドを連想させる。
  しっかりとインタープレイでヴォーカル部分を強調したコーラスで山場を作るのはアリーナサウンドのお約束、予定調和とはいえ、説得力がある。
  シンセピアノを使って、優しい雰囲気で始まりつつ、コーラス部分ではそのボルテージをアップテンポに持ち上げる#8『Turn Out The Light』。
  弦楽器とピアノがメインなじっくりと歌われるメインヴァース、そしてコーラスのオーヴァーダブで押し捲るコーラス部分のコントラストがくっきりとした、これまた産業ロックそのもののバラード。
  ギターソロも流麗に泣いてくれ、アリーナサウンド好きの期待を裏切る事は無い。

  全体的に#7が浮いてしまうほど、メタルやハードロックの音楽性が薄く、キーボードと浮遊感のあるアレンジが目立つパワーロックが主役となっているアルバムなのだ。

 ◆1990年代後半に、世界中のファンの応援を受け、復活

  こうして、同年代に大成功した産業ロックの大物バンドと比較して何ら遜色の無い作品を出していたのに、大した注目を浴びる事無く、New Englandは3枚のアルバムをメジャーに残して消えていった。
  しかし、バンドが解散した後も、才能あるライター且つヴォーカリストであったJohn Fannonを始めとした4人のメンバーは同系統のメロディアス・ハードバンドにて活動を継続していく。
  最も知名度が高いのは、Steve Vaiも参加していた前述のAlcatrazzだろうが、JohnのプロジェクトであるハードポップユニットのShyboyを筆頭にAxminsterやUnder Fire、そしてHirsh Gardnerのソロプロジェクトと、一般には知られていないが良質なアリーナロックの音を創造しているのだ。

  が、本来のNew Englandに注目が集まるのは1998年まで待たなくてはならない。バンドがTargetやFatbackといった前身のユニットを経て、ボストンにてNew Englandを結成してから実に20年後の話になるのだが。
  未発表曲とデモ音源を復刻した「1978」を1998年にリリースた所、インターネットを中心にかなりの反響が世界中から寄せられたのだ。これを切っ掛けとして、米国でのバックナンバーの復刻、オリジナルメンバーでのバンドの再結成に繋がっていくのである。
  また、嘗てのようにKissやJourneyといったバンドのフロントライナーとしてツアーにも出るようになる。
  そして、2003年には遂に久々の新作となる(ライヴアルバムだが)「Greatest Hits Live」を発売し、第二期の活動を本格的に開始しているのだ。

  正直、今の筆者の嗜好ではメロディアス・ハードロックやポップメタルのアルバムを好んで買う事は無い。
  が、昔アナログ盤で聴いて、その素直且つスムーズなポップさに感動したバンドが活動を本格的に再開という知らせを聞き、CDを手に入れ聴いた事がこのレヴューに繋がっている。
  こういったロックは日本でなら不自由なく買い揃える事が出来る。
  昔、こういった売れる事だけを考えて作った音を馬鹿にしていた層も、今ではオヤヂ世代になっているだろう。
  一度、大人も聴けるメロディのあるハードロックを見直すつもりで、このNew Englandから産業ロックの復習をしてみては如何だろう。  (2003.11.5.)


  Echo / Tom Petty & The Heartbreakers (1999)

  Roots           ★★☆

  Pop         
★★★★

  Rock      
★★★☆

  Southern 
★☆               Official Site


 ◆終わり良かった90年代、出だし最悪21世紀
 
  筆者が最も嫌う姿勢。
  安易な流行への迎合。この場合の流行とは、筆者的な意味としては「売れ線狙い」や「コマーシャル過ぎる」といった批判とは正対するモノだ。ま、今更だけど、どうしようもないオルタナティヴやヘヴィロックの事を指す。
  1980年代までの音楽の主流だった、アメリカンロックのベーシスたる解り易さとポップなメロディが仮に現在流行している場合、この解釈は多少の修正を必要とするだろうけど。
  更に嫌いな姿勢。

  「俺、ヴェテランだから渋いゲイジュツ的なレコード作っちゃったぜい。」

てな感じの音楽。これまた難しい線引きが存在する。自然の産物としてヴェテランの味が出るアルバムが、結果としてスピンアウトした場合は、賞賛を惜しむつもりは無い。が、問題は「作っちゃった」、「出来ちゃった」事それ自体を狙っている代物なのである。
  言い換えると、キャリアと評価を嵩に着て、いかにも音楽雑誌や評論家が喜んで賞賛しそうなサウンドを作る行為の生成物が、これに当たる。
  具体的に云うと、徹底的にラジオフレンドリーやチャートフレンドリーさを排除した創作姿勢だ。
  この創作姿勢も長期に渡りそういったメジャー街道を避けてきたミュージシャンが行うなら、その行為自体を嫌う事はない。その音楽の好き嫌いは別問題として。

  がしかし、これまで曲がりなりにもチャートを意識してレコード創りをしてきた人が、突然“げいじゅつ”に目覚めたかのように、ヴェテランを免罪符として渋さと評論家受けを狙ったアルバムを出すのには吐き気すら覚える。
  Tom Petty & The Heartbreakersが21世紀の初弾として打ち出した「The Last DJ」はまさにその典型だった。
  安易なヴェテランという看板を掲げ、あたかもポップミュージックに反旗を翻したような退屈でアンキャッチ‐で、そして必要以上にレイドバックしたトラックの数々。
  1990年代では、メジャーで売れる数少ない本格的アメリカン・ルーツロッカーと考えていたイメージを一気にぶち壊してくれた。
  ヴァージニアやミズーリ州で地道なインディ活動を続けていた中年マイナーシンガーあたりが出すレヴェルの出来であり、曲感もそういった誠実なインディ・ミュージックの下方修正に他ならない。。
  しかもこれ見よがしに現代音楽業界への批判を唄っている歌詞のトラックが幾つか。取り敢えず、そういう姿勢は自主レーベルでレコードを出してから示せ。
  今や米国を2分する巨大レーベルのWarnerの名前でリリースする価値を、筆者としては到底認め得ない。
  チープな反逆中年以外にこのアルバムの価値を見出す事は難しい。
  しかも、このウンコアルバムがチャートでトップ10に喰い込んでいるのが更に気に食わない。それだけ「名前」で売れる事を実証しているようなものである。
  当然、即チャート上位から落っこちていたが。
  
  筆者としては最低の新世紀のスタートである。80年代の初めと終わりにはそれぞれ、「Hard Promise」とソロ名義の「Full Moon Fever」というそれなりの作品、そして傑作にて出発と締め括りを飾っている。90年代も筆者が最も愛する「Into The Great Wide Open」という傑作で幕開け。「Echo」で幕引きをしていただけに、どうにも不満が残る。
  これは極個人的な感想だと考えていたら、多くの海外レヴュアーも「過去最低の駄作」という評価をしており、何となく嬉しさと哀しさを同時に感じてしまう今日この頃だ。
  
  さて、不安満載な新作は都合よく忘れ、有終の美を飾った1990年代最後のアルバム「Echo」について述べる事にしよう。

 ◆元来マイナー指向な傾向を持つシンガーだが

  1970年代から80年代に掛けてのTom Pettyは、良く言えばマイナーコードを基調、悪く言えばB級メロディを基本としつつ、ロックを組み立てていたシンガーと考えている。
  ヒット性が少ないアーシーなロックトラックの合間に、ラジオと親和性の高いシングル曲を幾つか挿入する形。この売れる事と自らのルーツ指向への拘りの妥協点が、1980年代大半のスタイルだろう。
  Tom Pettyの一貫したルーツロックへの傾倒と、深いルーツサウンドを追求しつつも時代の様々な流行を取り込んでPop/Rock、Album Rockとしていた創作態度が、彼の評価すべきポイントだ。
  が、Tomに大きな変化が訪れるのが、1980年代後半。Travelling Wilburysでの活動後である。
  Wilburysについては、今更語る必要もないだろうから割愛するが、Bob DylanやJeff Lynne、そして今は亡きGeorge HarrisonにRoy Obinson等との仕事がかなりTomのスタンスに与えた影響は大きい。
  WilburysのメンバーであるJeffをプロデューサーに迎えた初のソロ名義作品「Full Moon Fever」は商業的な大成功を招く。
  これまでの作風と比較すると、遥かにポップ・オリエンティッドなアルバム作成は、1991年の「Into The Great Wide Open」にも引き継がれる事になる。
  こうした活動から、アダルトコンテンポラリー系により踏み込んだ−前と被るが、Tom PettyはAORロック的なコマーシャリズムにもそれなりに配慮したアルバムを創って来たと看做している−ロッカー化するかな、と思わせておいて、ソロ名義2作目となった「Wildflowers」では、フォークロックとサイケディリックサウンドを組み合わせたスローアクースティック中心の、これまでのハートランドロック風味とはかなり異なった顔を覗かせる。
  多分にシンガー・ソングライター的側面を押し出した枯れ系のアルバムになった。
  1980年代後半を境目として、B級から一気に完成度を上げていた彼だが、ここまで味わいのあるアルバムを作れるとは正直意外だった。
  とはいえポップミュージックへのケアは感じられるし、何よりも自然体で拵えたアルバムで、余計な意図が見えないのが好ましい。

  その後、ひと休み的な映画のサウンドトラック「She's The One」を手掛け、そして本作に至るのだ。
  「She's The One」は映画音楽という枷があった為か、やや煮え切らない中途半端さが見られ、90年代のTomの仕事ではあまり際立ったものが感じられなかった。
  またぞろ、B級なチープ感が少し顔を覗かせ、80年代に立ち返ってしまったのではないかと、少々不安になったものだ。
  こういった“滑り出しは最高”、順調な“遅咲きの傑作”、インターミッション的サウンドトラックと流れてきたTomが次に放つ作品には大いに興味があった。
  そして、1999年、未だ在米中に発売されたのが本作「Echo」である。
  アンチ・コマーシャルではないにしても、ルーツサウンドを追求する意欲が強過ぎるのか、ポップロックとしては煮え切らない印象のあるメジャー・シンガーから始まったTom Pettyが再びThe Heartbreakersと組んで放つスタジオ録音盤としては1991年から8年振りになるのだ。
  嫌がうえにも興味が湧いた。

 ◆久々の黒人音楽を指向したロックアルバム

  デビュー当初から、「Full Moon Fever」のリリースに至る直前まで、Tom Petty & The Heartbreakersまでの傾向は、R&Bを中心とした黒人音楽への傾倒が感じられる。
  南国州であるフロリダ州出身のバンドだが、活動はL.A.に拠点を移してから本格化している為、サザンロックの素養はその音楽性に感じるものの、ベタな南部サウンドで固めている印象は薄い。
  寧ろ、叩き台は西海岸から中部地方の全てを網羅する平原ロックサウンドにR&Bミュージックのリズムを取り入れたブラック&ホワイトロックだ。
  特に平原諸州や西海岸のドライ且つウェットな感覚は、Jeff Lynneとコラボレーションをしてポップさが増そうが、アクースティックやアンプラグドサウンドに興味を示した時も根底に共通して流れているものだと考えている。
  であるからこそ、R&Bリズムを組み入れたダートでマイナーな歌が多い−これを筆者はやはりB級ロックと呼びたい−シンガーであっても、ヒットシングルを生み出すメジャー感覚とは無縁ではいられないのだ。
  基本的にアメリカンルーツロックは、トラディショナルから大衆音楽化した時点でコマーシャル・サウンドとは切っても切れない関係を発生させるからだ。

  さて、「Full Moon Fever」からこちら、黒っぽいロックトラックが減ってしまったTomだが、この「Echo」では、初期の頃のブラック・ミュージックに根ざしたサウンドを再び求めていると思える。
  が、初期の頃との大きな違いは、やはり敏腕ミュージシャンと活動を共にした経験値の有無だろう。
  単に、伝統的R&Bやブルースロックの渋さを、反コマーシャリズムの御旗として振り翳している感を拭えない70年代後半から80年代前半の南部黒人サウンドへの直接的な模倣は影を潜めている。
  それよりも白人アメリカンロックとしての芯が通ったより大らかなHeartland Rockに黒人音楽を付け加える形を取っている。
  為に、ポップミュージックとの親和性は、Jeff LynneやWilburys時代よりはダウンしているが、初期から中期のアルバムよりも遥かに高い。
  従って、黒人サウンドを平手で叩き付ける様な歌は存在せず、よりPop/Rockに馴染んだトラックが多い。
  筆者にとっては、R&Bやニューウェーヴ、シンセサウンドに浮気する傾向が強かった頃の作品よりも、相当完成度が上にあるヴェテランの“メジャー”ロッカーの仕事に思える。
  
  1990年代は本当のアメリカンロックが驚くべき速度で収縮していった時代だが、メジャーレーベルからこれだけのルーツとコマーシャリズムの妥協点を発表できたTom Pettyの姿勢と真摯さには胸を打たれるものがあった。(過去形。「The Last DJ」の「なんちゃって渋いロックアルバム」でぶち壊しだが。)

  例えば、#2『Counting On You』で、Benmont Tenchが弾くアナログシンセサイザーやオルガンにより、実にサザンロックが濃厚なR&Bサウンドを聴かせてくれるが、これとてベタな黒人ソングの模倣には見えず、ホワイトロッカーとしての感覚が活かされている。
  初期のヒット曲、『Refugee』を思わせるマイナーコードなR&Bソングだけれども、その深みと完成度は比べるべくも無く上昇している。
  R&Bの滑らかさと、ウエットさを重ねて少し土臭く味付けをしたスローソング#4『Lonesome Sundown』も90年代の小サッパリしたアレンジとは趣を異にして、じっくりしたアーシーさが伺える。
  この「Echo」ではTomは一切生ギターサウンドを使用しなかったと述べているが、エフェクターで増幅されたギターのタフさも腹に響く。前作に当たるソロ名義「Wildflowers」とは相当異なったアプローチが見られる。
  黒っぽさを出しつつも、ハーモニカやピアノを使用し、雄大なイメージを同梱させている所にもTomの年齢を感じてしまったりする。
  独特のトーキングか歌っているのか判別が付き難い口調で、転がすブギーソングの#9『Won't Last Long』でも、白黒の混合した音が聴こえて来る。
  全体としては、R&Bロックの弾みやキーボード類の浮遊感からブラック・ソングに近いナンバーなのだが、ここでも白人ルーツを土臭いギターソロやちょっとしたスコアの行間に発見できる。
  #14『Rhino Skin』でもR&Bの粘っこいリズムとダート感が溢れているが、ここにカントリーミュージックの要素が含まれているように感じるのだ。

  こういった黒いサウンドの導入は、安っぽいR&Bロックのレッテルを自ら貼り付ける事になり兼ねないが、ここまでしっかりいたアメリカンルーツサウンドをメインフレームとしていれば問題ないと思う。
  寧ろ、音に深みとタフさを付加価値として与える福次効果をもたらしている。

  その好例がラストトラックの#15『One More Day,One More Night』だ。子守唄的な緩やかな導入から、次第に緩やかなうねりを伴った黒いブルースロックと南部サウンドの土臭いパワーを一緒にじっくりと火に掛け、煮込むような展開に拡大していく。
  この曲にはブルースやスワンプ、トレディショナルといった色々な要素が絡んでいるが、それがバラバラに偏在しているのではなく、ルーツロックを1本の柱として他を統合しているので、しっかりと聴けるナンバーになっている。

 ◆荒っぽいロックサウンドも久々かも

  殊に、1990年代のTom Pettyが脱ロックしてアダルト・コンテンポラリー化していたと考えるつもりはない。
  「Full Moon Fever」や「Into The Great Wide Open」にも小気味良いロックナンバーはあったし、サウンドトラックの「She's The One」でも同様だ。
  しかし、完成度が高い故か、綺麗に収斂している感じが強い−実際筆者はそのJeffがコントロールしたサウンドが最も好きだし、評価もしているが−他の90年代アルバムに対して、「Echo」のロックトラックは、自由奔放にロックしたという痛快感が存在する。

  ラジオシングルとして真っ先にカットされた#3『Free Girl Now』はそのラフなロック攻勢の尖兵である。
  分厚い演奏が暴走気味にハード街道を突っ走る、久々の熱いロックリズムに、Tom特有の少し調子を外した、微妙に声質が狂ったようなヴォーカルが全力を尽くしてインプロヴィゼィションに追従しようとしている。その不器用さが良い。
  しかし、ラフでガチャガチャしたハードチューンでも、鍵盤の入れ方、ギターの音の出し方はカッチリとしており、以前のBクラスさは顔を擡げる事すらない。
  #3ほどのコマーシャルなメロディラインは無いけれど、1980年代アリーナサウンドの残滓を纏わり着かせたようなゴージャスな音をドライヴさせる#8『Won't Last Long』や#13『About To Give Out』はオーヴァープロデュースにならないギリギリの地点で楽器を厚く重ねている。その見極めが素晴らしい。
  また、Benmont Tenchのキーボードがサウンドの質量と説得力を上げている事は歴然としている。
  これらの2曲は1980年代をメインに活動してきたバンドが90年代のオルタナティヴ世代へ問いかけたロックサウンドの在り方を示唆しているように思えてならない。
  故意にラウドでノイジーにせずとも、ロックンロールの心意気は活用することができるのだ、と。

  Mike Campbellがリードを執る、ややレアなトラックの#10『I Don’t Fight』ではニューウェーヴ的なパンクロックとファンクの混合サウンドがゴリゴリのロックを叩き出す。90年代のThe Heartbreakersの歌としては最もヘヴィだろう。

 ◆ポップでロックなバランス型は、グラスルーツ背景?

  Tenchの奏でるアナログシンセサイザーが、まるでアコーディオンやフィドルの音色に聴こえる、#6『Accused Of Love』はTomが独自ルーツ路線を進みつつも、ヒット性のある曲を書き続けた1970年代からの姿勢の継承だと考えるのが妥当だ。
  この中部草原地帯のグラスルーツ色を反映した曲を書くと、Tomの歌は一気にキャッチーになる傾向があるように思える。無論、カントリーやカントリーロックらしさとは無縁に近い人だが、とはいえブルーグラスを蔑ろにした音を作るシンガーでもない。
  この辺りがHeartland Rockたる所以かもしれない。
  適度な土臭さと黒っぽいR&Bロックが妥協する点が、Tomのポップサイドに現れるのかもしれない。
  #11『This Ones For Me』もルーツィなギターリフからポップに広がっていくリズミカルなポップチューン。ストリング的な役割を果たしているオルガンがポイント。
  スライディッシュなルーツな面と、サイケディリック・フォークな危うさを同時に備える#9『Billy The Kid』は特筆するほどキャッチーではないけれど、Tomのグラスルーツの背景を体験できるナンバーだ。同じくして、マイナー嗜好のライティングも観察できたりするけど。

 ◆傑作・秀作はミディアム〜スロートラック付近に固まる
  
  #1『Room At The Top』
  #5『Swingin'』
  #7『Echo』
  #12『No More』

  筆者の主観で最も味わい深いナンバーは、全てバラードかミディアムペースのナンバーだ。
  しかも、どれも西海岸から中部平原地帯の大らかなアーシーさを持った曲、つまりメジャーで嘗てヒットしていた本格的アメリカンロック・トラックだ。

  特にTom Pettyのアルバムのオープニングとしては筆者として最高ランクに位置させている『Free Fallin’』、そして『Learning To Fly』と同等に素晴らしいナンバーの#1『Room At The Top』が、このアルバムでは最も好きなトラックである。
  ギターとアナログシンセサイザーの幽玄な音からスタートし、Tomの頼りないヘタウマヴォーカルを軸にじわじわと盛り上げていく展開は、1990年代を通して身に着けた本格派ヴェテランの技量を感じずにはいられない。
  コーラス部分のギターはあくまでパワフルなのに対して、全体から受ける印象は、何処かフワリとしたメランコリックさでもあり、キャッチーなロックソングであり、素朴なバラードであったりと、聴くタイミング、パートによって様々な顔を見せてくれる名曲だ。
  動的部分と静的部分のコントラスト、その境界線が曖昧になるくらい巧みに溶け合っている。

  #5『Swingin'』は、ラジオシングルにもなった、コッテリ目のスロールーツトラック。
  Benmont Tenchのピアノには、ややブルースを覚えるが、全体を覆っているのは、よりブロードなアメリカン・トラディショナルサウンド。
  かなりラウドに自己主張するリードギターのソロと、ノッペリしたハーモニカとピアノのリズムがかなり対照的。
  あまりシングル向きなナンバーとは思えないが、こういった曲をシングルとして主張するのが、ある意味Tomのアイデンティティなのかもしれない。
  同じくシングルとなったタイトル曲#7『Echo』だが、これは活動拠点の西海岸の風よりも、より内陸部の湿った風を感じさせるバラード。
  これまたTom Pettyの名曲に数えられる説得力を持つ傑作だ。
  高音域を強調されたピアノ、寂しげなギターの音色、さり気ないオルガンのバックアップ、派手さは無いがクロックワークを驚くべき正確さで刻むリズムセクション。
  こういった技巧をコマーシャルなバラードにスルリと入れているのが技有りと言うところ。
  しかし、ポップなラインに対して、調子ハズレっぽいトーキングを噛ますPettyのヴォーカルがアンバランスに聴こえない所は、不思議だ。かなりやる気が感じられない脱力ヴォーカルという印象が強いのに、何故かしんみりと心に侵入してくる。

  そして、更に美しく、アクースティックに昇華された#12『No More』になると、言い方がやや不適切だが、Rod Stewart的なバラードシンガーの魅力を感じてしまうのだ。
  実際にヴォーカリストとしてのTomはお世辞にも一流とは思えないのだが、やはり単なる珍味なシンガーではない。
  コブシの所々に抗い難いインパクトがあるのだが、このアルバムでは更にそのインパクトが良くも悪くも増している。その事実がヴォーカリストとしてのPettyの存在感を押し上げているだから、これまた不可思議だ。

 ◆Echoとして心に反響する名作

  全体的に90年代のTom Petty & The Heartbreakers(ソロも含めて)は、キャッチーなレコード会社の求めるサウンドと、ルーツサウンドを核とした反商業的なルーツサウンドの狭間で悩んでいたように思える。
  これまでに無いくらいのポップアルバムとなった「Into The Great Wide Open」の商業的成功の後の長い沈黙。
  突如、アンプラグドやフォーク、トラディショナル、サイケディリックに走った「Wildflowers」はその鬩ぎ合いからスピンオフした存在だと考えている。そういったアルバムが遍くアーティスティックな作品として評価されたのは、何とも皮肉に感じるが。
  そして、更に模索と求道の過程で作られた「She's The One」を通して、辿り着いた集大成が本作「Echo」なのだ。
  このアルバムにはJeff Lynneに感化され本格的に追及したポップロック、頑なに拘り続けたマイナー嗜好、絶対に離さなかったルーツサウンドへの追求、何時しか後退していたブラックサウンドへのケア。
  これら全てを平均的にすり潰して、上手く団子にしたような絶妙な地点に立ったサウンドが刻まれている。
  天秤が丁度右にも左にも傾かない、危うく傾きそうで傾かない、このような要素があると思う。
  これがガッチリした統一感のある前2作とは異なっているポイントだが、その分メリハリのあるサウンドが楽しめるのも、一面の事実。
  大傑作とはレッテルを貼れないが、傑作アルバムと思う。
  「Echo」というタイトルは、しっかりとアルバムの特性を反映している。十分心の中に反響する魅力を持った作品だから。  (2003.11.13.)


  Hang Around / Granian (2000)

  Roots           

  Pop         ★★★★

  Rock      ★★★☆

  Acoustic ★★☆
  Official Site


◆久々の新譜は、繋ぎ作の性格を帯びたライヴ盤

 Graen Gueykianのバンドプロジェクトである、Granianは非常にマイペースな活動を行っているように思える。
 これまでにGranianとして発表したアルバムは3枚。しかし、そのリリース間隔はインディバンドとしてはかなり疎らな感は否めない。
 スタジオアルバムは僅かに2枚。

 「Without Change」(1996年)
 「Hang Around」(2000年)

 以上のように、リリース間隔が4年。メジャーの大物ロッカー並みのペースである。
 そして、本年度2003年に3年の空白を経てリリースされたのが、未発表曲が半分を占めるライヴアルバムの
 「Live Sessions」(2003年)
 となる。

 以前から、2003年には新譜を出す、というコメントがリニューアル前のGranianサイトで提示されていたので期待はしていた。しかし、これが2002年に行われたスタジオ・ライヴのコピーと解った時は正直失望した。
 9曲中、今回紹介するアルバム「Hang Around」から#4『Hands Down』、#5『Ancher』、#10『Numb』がカヴァーされており、又、デビュー盤から『Fragment』が、それぞれライヴレコーディングされている。

 しかし、前年のライヴ、しかもスタジオにファン30人だけを集めて収録した完全アクースティックソロのミニライヴ盤が内容なのだ。
 これではライヴステージの熱気は伝わり難いし、何より前年のマテリアルを持ってくる行為自体が、新譜発売公約を埋める為に当てられて繋ぎとしか思えないのだ。

 とはいえ、Granianのライヴ・パフォーマンス自体を貶めるつもりは全く無いことはお断りしておく。
 筆者が見たライヴは、Matchbox 20やPat McGee Bandとのジョイント(現在なら、前座になってしまうだろうが)ステージでのフルバンドスタイルのパフォーマンスだったが、この2つのバンドに負けないくらい素晴らしいギグだった。
 しかし、「Without Change」から2作目の「Hang Around」への音楽的変遷を考えると、3作目にソロアクースティックスタイルのライヴ盤を持ってきた事に対する次の作品の不安がどうしても拭いきれないのだ。

 ◆アクースティックバンドからアクースティックロックバンドへと

 処女作「Without Change」では、Garen GueykianとChris Nicolettiという2名のギタリストがバンドに在籍している。
 しかし、クレジット上では、両者共にアクースティックギターしか弾いていない。
 それどころか、チェロの名前が見える以外は、アクースティックギターとベース、ドラムスのみの楽器しか使用されていない。実際、鍵盤の音は全く聞えて来ないし、エレキギターの音もハーフアクースティックギターがあるかな、と感じさせる程度で、ほぼアクースティックギターのみのレコーディングとなっている。
 とはいえ、単なる弾き語りのアルバムにはならず、アクースティックギターを幾本も重ね、線の太いアクースティック一辺倒なアルバムを完成させている。
 そして、そのポップセンスたるや、並大抵のものではない。後述するが、類似バンドとして、Pat McGee BandがGranianの引き合いに出される事が多い。そのPat McGeeのポップセンスと肩を並べるくらいウルトラキャッチーなメロディがアルバム全曲に装填されている。
 結果として、非常に親しみやすいアクースティック・ポップアルバムになったのが、1作目だった。
 アクースティック弦を柱にしつつ、オーヴァーダブされた多数のギターに、ともすれば単調になりがちなアクースティック系のサウンドを支えるリズムセクション。
 そして何よりも、Garenの透き通るハイトーンヴォイス。
 この綺麗な声が、目一杯ヴォルテージを上げて歌いまくるフックの強さが、単純なフォーク・ポップではなく、パワー・フォークの感が強い作風を練り上げていたのだ。

 アクースティック“系”のサウンドは大好物だが、アクースティックだけではあまり食欲が湧かない筆者の嗜好にも、かなりマッチする、馬力のある爽やかナチュラル・ポップロック。これが「Without Change」の筆者評だ。
 この優しさと軽快なエッヂの存在する、アン・エレクトリックサウンドは、次作を待望させるだけの力があった。更に、Granianのライヴ・パフォーマンスが良かったのもバンドの良い印象を持ち上げるのに一役買っていた事もあるが。

 だが、アンビエント・ミュージックとはあまり感じられなかったのが、Granianの大きな特徴だろう。
 そこはなかとない、土臭いアレンジは殆ど目立たないが、アーバン・フォークや単なるAcoustic Alternativeとは異なった土台に乗っかった優しさがあるのだ。
 Kenny Logginsがそれまでの産業ロック路線を捨てて、よりアクースティックな音楽へ回帰を始めた1990年代からのサウンドに通じる、アメリカン・ルーツを下敷きにした要素がしっかりと見て取れる。
 ジャンルとしては、ルーツロックよりも、モダン・ロック、コンテンポラリー・トップ40という所に落ち着く音楽だが、スマートな音創りの中にもしっかりとルーツ・フィーリングを取り込んでいる箇所が、Granianなのだと思う。

 しかし、フルアクースティックな演奏路線が大きな変化を見せたのが、2作目「Hang Around」なのである。

 総括すれば、非常に基本に忠実だったアクースティック・ポップアルバムの「Without Change」。
 このアルバムと比較すると、「Hang Around」は語彙の意味に沿うかのように、あちらこちらへと足を踏み込んでいる姿勢が見える。

 アルバム頭の#1『Not Just Yet』から、アクースティックギターは目立つが、ファースト作には全く耳に入って来なかったエレクトリックギターが加えられている。
 又、1作目のアクースティックなポップ路線を叩き壊すかのような、エッジの尖ったアクースティック弦がジャカジャカと暴れる。
 この1曲目で、Garen Gureykianがかなりの新しい試みを行っている事実が浮き彫りになる。
 何よりもまず、アクースティック・オンリーなアレンジに依存する事を終了した。これが最も大きな変化だ。

 今作も、処女作に劣らず、複数のギターが重ねられているが、ギタリストはGarenだけとなっている。
 アクースティックギター2本立てだった、ファーストアルバムの演奏とは異なり、Garenが全てのギターを受け持っている。
 更に、電気ギターのみならず、ピアノ、パーカッション、そしてドラムプログラミングまで彼が手掛け、ギター片手に弾き語りを行っていた前作とはパフォーマンスの面でも大きな変革を実行している。

 さて、脱アクースティックした以外に、Granianの音楽性はどのように変わったか。これを見てみる事にしよう。

 ◆現代ジャムサウンドと欧州トラッド。ちょっと不満だ・・・・

 #1『Not Just Yet』
 #5『Anchor』
 #11『Try This』
 #12『Make It So』

 以上4曲は、アレンジ云々がナチュラルかアーティフィシャルかを語る以前に、そのメロディに他のトラックとは違った色が付けられている。
 演奏スタイルは、Dave Matthews Bandの大ブレイク以降にレミングの大繁殖も核や、と言わんばかりに増殖しているJam Rock /Acousitic Alternativeの影響を濃厚に感じる、力任せな弦の弾き飛ばしに見える。
 が、その哀愁を帯びたメロディラインと、ピチカートによる弦の躍動は、同時にヨーロピアン・トラディショナルな空気を引き摺っていると思えるのだ。
 流石に、このパワー・アクースティック弦をピチカートで演奏しているとは思い難い。
 が、#1や#5を耳にした時真っ先に連想したのが、フレンチ・ボヘミアンやワールド・ビートでは世界的に名前の知られたGipsy Kingsだった。

 同様に、#5も欧州フェスティヴァル・サウンドの匂いを感じる曲だ。
 イントロとアウトロの部分は、ファスト・テンポなメインヴァースとは正反対に、ゆったりとした、アメリカン・マウンテン・ミュージックを思わせるのだが、その強弱の対比が印象となる。
 特に、このトラックは、あまりにも牧歌的なアメリカン・ルーツを思わせるヴォーカルメインでスタートする故、てっきりバラードを予想させておいて裏切るのが一点。
 加えて、素直なメロディから辛味のあるエスニックサウンド風味に転調するという意外性で裏切るのが、もう一点。
 イントロがスローダウンしていくので、次は大きな変化が来るのは予想できるのだが、ここまでアメリカン・ルーツサウンドとは異質の流れになるとはちょっと想像がし難い。

 そして、終始ワールドビート的な速弾きが走るのが#11だ。
 やはりスパニッシュ・サウンドを思わせるメロディがジャカジャカとかき鳴らされる、#1よりもより欧州を近く覚える曲だ。
 かなり多種のキーボード・サンプリングが目立たなく使用されており、前作のシンプルさとは比較にならないくらい凝ったアレンジを行っているのが判別可能なナンバーでもあるだろう。

 しかし、単に欧州トラッドやワールドミュージックの下地を捏ね上げただけではない所が問題なのだ。
 このアメリカンロックらしからぬメロディラインは、演奏スタイルにも伺える、Jam BandやAcoustic Alternativeの近代性に繋がる部分が非常に多大であると考えられるからだ。
 純粋な欧州古典音楽の追求なら、良い意味でもっとベタベタな音楽になっても可笑しくないのだが、不思議にGranianの新境地の一角を表すこれらのナンバーはスマートさが見えている。
 やや古い言い方をすれば、プログレッシヴ・フォーク。(とはいえ、1990年代に出現した語彙だとは思うが。)
 直接的な対象を持ち出せば、Dave Matthews Bandっぽい、無国籍サウンドの取り入れと云う事も的外れではないと思う。というか、寧ろモロにDave Matthews Bandの影響を感じてしまう。
 個人的には、DMBは、ジャズを主に取り入れることで独自性を開拓した面で評価をしているがが、正直最近の詰まらなさには平行している。聴くに値するのは、初期の2枚程度しかないと思う。

 特に欧州トラッドにしては鋭角的過ぎるモダン・ロックな演奏スタイルは、数え切れないほど新人が現れるJam Bandのサウンドを嫌が応にも連想させるトリガーとなってしまうのだ。
 #12が良い例で、英国サウンドと大陸トラッドに、アメリカン・プログレッシヴを混ぜ合わせたような多国籍ソングを目指したバラードだ。まさに、DMBへのオマージュ作。
 バックヴォーカルや鍵盤の使い方、イントロのベースソロ等にはモダンロックを、Acoustic Alternativeへの視線を確かに感じる。

 Geran Gueykianはかなり新生代のミュージシャンで、影響を受けたのは、Live、Matchbox Twenty、Vertical Horizon、Pearl Jam、Toad The Wet Sprocket、Billy JoelそしてMetallicaといったミュージシャンを彼は挙げている。
 Billy Joelのような一部のヴェテランを除くと、どれもこれも1990年代、それも後半になって登場したオルタナティヴ・ロックのバンドが多い。(オルタナディヴ・ディグリーはかなり上から下まで濃さが違うが。)
 音楽活動を本格的に開始したのも、デビュー盤を発表した1996年頃からである。
 Geranの挙げているバンドには、所謂ジャム・ロックと名指しが可能なバンドは無いが、間違いなくDMBの影を感じるトラックが先に挙げた4曲だ。
 まあ、John MayerのようなDBMの改悪版に留まらず、欧州的な自身のバックボーンを取り入れている姿勢は、評価はできるとは思うが。

 正直な所、これらの4曲はあまり気に入っていない。
 これらが無ければ、完璧なアクースティックさの多目なアメリカン・ロックの好盤であるとも思っている。
 まだ嫌味なレヴェルまで達していないので、ロックな面に目覚めたGeranの新表現と見ることにしているが、ちょっと安易な流行への迎合には危惧を覚えずにはいられない。

 ◆好敵手Pat McGee Bandにも負けないかも

 然れども、残りの8曲はどれもGranianらしいキャッチーでアクースティックな曲に、ロックのダイナミズムが加わった極上のナンバーである。
 3分の1がいまいちとはいえ、それらを補って余りある好トラックが肩を並べているのだ。
 「Without Change」から4年を経て、更に磨きの掛かった、冴えるGeranのハイトーン・ヴォイス。
 爽やかな演奏に心地よいリズム。
 こういったGranianが1st作で確立した味が出てくるのが、#2『Far From Saved』からである。
 そして、#3『Whole Again』を挟み、#4『Hands Down』に至る3連コンボが、確実にこのアルバムの最大の聴き所に違いない。そう断言したくなるくらい、良質なロックナンバーが揃っている。

 ひたすらに弦を弾き流すだけのオルタナ手法に依存した#1とは全く別質の美意識が見える、イントロのアルペジオ。
 この#2のギターは、アクースティックな柔らかさを残しつつもウエスト・コースト的な爽快さを有した、オルタナ・ギターとは全然違う正統派の演奏だ。
 どちらかというと、Gerenの好きなBilly Joelのジェネレーションに属する80年代サウンドの影響が強く感じられる。
 OutfieldやLittle River Bandを思わせる懐が広い、青さを感じるミディアムチューンだ。
 しかもチェロやヴィオラといったストリングスやキーボードを非常に巧みに取り込んでいる。適度に厚みがあり、アメリカンな土臭さも微量−全く西海岸AORサウンドのように−に漂わせており、これぞ脱フルアクースティックの一番手と思わせる曲だ。
 コーラスで聴かせる、Geranのファルセットで透き通ったヴォーカルも堪らない。

 #3『Whole Again』は、1stアルバムの1曲目から通して考えると、初めてエレキギターらしいエレキギターの弦音が聴ける、ある意味エポックなGranianのナンバーである。
 その軽いドライヴ感覚を含んだギターが、サーフナンバーもかくやという具合に流れる。
 前曲#2では、どちらかというと甘く仕上げていたヴォーカルアレンジを、しめやかなシャウトを交えてパワフルに打ち込んでいる部分は、ロックである。

 ややJam Bandっぽいノッペリした面はあるが、アクースティックギターをリズムの中心に据え、コーラス部分とメインヴァースの緩急の付け方で華やかなロックナンバーに仕上げている#4『Hands Down』は初期のPat McGeeを連想させる。
 ちなみに、GeranとPat McGee Bandは何度もステージを共にしており、オフィシャルサイトのライヴ映像ではPatとGeranのデュオ・アクースティックステージが見れる。
 現在はWarner系列に完全に地位を得て準メジャー入りしたPat McGee Bandと比較すると、同等のステータスではないかもしれない。実際、前座としてPat McGeeのツアーにも参加しているのだ。

 そのPat McGeeも、初期はピアノやサックスを使用していたとはいえ、Granianと同じくアクースティックにドップリ漬かっていたミュージシャンだった。が2000年の最高傑作「Shine」でキーボードやエレキギターを積極的に使いこなして、実に素晴らしいロックユニットに成長している。
 そのPat McGeeを追えるかもしれないポテンシャルが見えるのが、優しいロッカバラードの#6『In Here』であり、更にマイルドな#8『Been To Long』だ。
 基本は1stで顕著だったアクースティックサウンドだが、各種キーボードを始めとして、パーカッションや控え目なアルペジオギターを活用した曲にしているのだ。しかもその“肉付け”が嫌味や余剰とならずに、良い質感を出しているのがとても宜しい。
 何といっても、飾らないのに耳に優しいヴォーカルはPat McGeeと同じ土俵で勝負のできる力量がある。この透き通った声は是非大切にして欲しい。
 同じく、#5や#11からジャムオルタナのアクを取ってストレートに仕上げた感じの、ハーフアクースティック/ハーフエレクトリックという配分のトラック#7『Hang Around』と#9『Fill It』もPat McGeeの2作目の辺り−ロックにシフトを始めた時代を思い出させる湧き上がるパワーに溢れている。
 清涼感のある雰囲気を大切にしつつ、ロックのタイトなリズムを表現できているのだ。多少のジャムロック風味は大して気にならないくらい気持の良いトラックだ。
 そのシャカシャカしたジャム奏法が、こうやって清清しい曲に交われば、とてもすっきりした明るさを生み出す器官にもなりえる事を実証している。

 そして、ループやピアノ、シンセサイザーといったGeranにとっての新楽器を駆使し、少し気怠るいアダルトコンテンポラリーなバラードを歌い上げている、#10『Numb』。
 極限まで高音域を使った歌い方は、地味なバラードを感動的に持ち上げる役割に貢献している。ここでも彼の声は大活躍だ。
 こういった、プログレッシヴ・フォークとも云うべきナンバーを聴くと、素朴なアクースティックだけを追い求めていた1作目の純粋さも懐かしくなる。しかし、こうやって色々な楽器に欲を出してミュージシャンは成長していくと思うから、こうやって色々な分野に手を出したのに楽器の使い過ぎでは破綻を見せずに、しっかり仕上げたGeran Gueykianの才能に感心する次第だ。

 ◆さて、次は何が来る

 で、冒頭に述べたように、ロックに踏み出した本作から3年も沈黙した結果が、前年録音(発売年の)のアンプラグド・ソロアルバムになった、というのが2004年冒頭での現状である。
 全てが上手く行ったとは云わないが、個人的にはアルバムの3分の2は大飛躍を果たした「Hang Around」の次は、更なる華麗なアクースティックを併せ持ったロックアルバムだ、と勝手に期待していたに。
 実際にライヴァルであり親友のPat McGeeは確実に前進しているのだが。

 しかし、1stアルバムから『Foresight』、このアルバムのハイライトナンバーでもある#2『Far From Saved』が、新人ロックバンドの紹介番組の観を呈している「Dawson's Creek」で流されたり、Geranが聴いて影響を受けたMatchbox 20やVertical Horizon、そしてGusterといったメジャーバンドの全米ツアーのフロントライナーまで勤めたりと、評価自体は鰻上りとなっている。
 この追い風に併せてメジャー契約したり、アルバムを出さないのが現代的なマイペース青年たるGueykianの所以かもしれないが、次のアルバムのでき次第によってはメジャー系列のレーベルに引き抜かれる才能はあるバンド・プロジェクトだと思っている。
 どうやら2004年にはスタジオ盤を出すと表明しなおしているので、当面動向を見守ろうとは思っている。
 しかし、あのライヴ盤は少々失望の出来だったが・・・・。  (2004.1.8.)

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